2019/11/03 - 2019/11/03
24位(同エリア270件中)
滝山氏照さん
安宅の関(あたかのせき・石川県小松市安宅町)は能「安宅」、歌舞伎「勧進帳」の舞台としてその名が広く知られてます。地理的には小松空港の北部を東西に流れる梯川河口に位置して古代より日本海を介して朝鮮半島や中国東北部と深く関わっており、平安時代には加賀国府の外港として日本海交通の要所の一つであったといわれています。
また当地は義経一行が通過した関所を設置するほどの交通の要地として、又は木曽義仲(きそ・よしなか、1154~1184)が信濃にて蜂起し北陸道を経て入洛する途中迎え撃つ平維盛(たいらの・これもり、1159~1184)を破った安宅合戦の地として、あるいは戦国時代における加賀一向一揆と南進を阻止する越前朝倉氏との死闘を尽くした地でもあり歴史的に重要な地点であったようです。
現地「勧進帳の里」で入手したパンフレットには下記のごとく説明がなされています。
「智・仁・勇の心を伝える歌舞伎「勧進帳」
壇の浦合戦で平家を滅ぼした源義経は、鎌倉幕府の樹立を謀ろうとする兄頼朝と対立して追われ、奥州平泉の藤原氏のもとへ落ちのびようとしました。頼朝はこれを捕えようと各地に新関を設けます。
文治3年(1187)、山伏姿に変装した義経一行が安宅の関を通ろうとすると、関守・富樫左衛門が義経一行を疑います。この危機を乗り切るため武蔵坊弁慶は、東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧と称し、即興で「勧進帳」(寄付集めの趣意書)を読みあげます。さらに強力姿の義経が咎められると、疑念をはらすため金剛杖をもって主君義経を打据えます。富樫は弁慶の主君を守ろうとする忠誠心に心を打たれ、義経と知りつつも主従の通行を許すのでした。
この物語は能「安宅」、歌舞伎「勧進帳」として広く知られ、平安の歴史ロマンを今に伝えています。」
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