2018/06/04 - 2018/06/04
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frau.himmelさん
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今回はベルリンに4泊いたしました。
シニア3人旅としては2014年にも3泊しておりますので、ベルリンの、いわゆる観光名所は一通り見ておりました。
今回はシャルロッテンブルク宮殿、サンスーシ宮殿、それにツェツィーリエンホーフ宮殿など、期せずしてプロイセンの歴史を辿る旅になってしまいました。
旅行記作成も、ヴィルヘルム○○とかフリードリヒ○○とか同じような名前の連続で、老化した脳には大変過酷な作業でした。
そして4日目。
ベルリン王宮・ベルリン大聖堂はプロイセン王国の歴史の集大成ともいうべき場所だと気が付きました。
思えば一地方のドイツ騎士団の一つであったプロイセン公国がやがて力を付けてプロイセン王国となり、さらに列強のオーストリアやデンマーク、フランスに勝利してドイツ帝国の統一を果たし、その頂点となったホーエンツォレルン家、当然のことながらベルリンはドイツ帝国の首都でしたから、当たり前と言えば当たり前のことです。
ベルリン王宮は代々のプロイセン王の居城でしたし、ベルリン大聖堂はホーエンツォレルン家の菩提寺。地下のクリプトには一族の棺が一堂に会しています。
今回もフリードリヒ○○、ヴィルヘルム○○に悩まされる旅行記になりました。
そしてベルリンでの最後の晩餐はポツダム広場のリンデンブロイでいただきました。
自画自賛的には、充実したベルリン滞在だったと思います。疲れましたけどね。
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ベルリン大聖堂に向かおうと通りを渡って振り返ったら、ベルリン王宮の工事現場。
ここから見ると一部分足場は組まれているけど、完成している壁も見えます。
右側には奇妙な多角形の形をした「フンボルトボックス」も。
フンボルトボックスはベルリン王宮の開発計画に関しての情報センターです。
前回、ベルリン王宮のことを載せましたら、ハッピーねこさんとmistralさんからコメントをいただきました。
王宮は2019年には完成予定のハズでは?というものでした。 -
私、実は2019年10月にもここを訪れていました。
建物の足場は外されていましたが、まだ板囲いがしてありましたので、あら~まだできていないのね、とガッカリしたものでした。(2019年の写真) -
そしてあのバルコニーは既に正面に移設されていました。
1918年にカール・リープクネヒトが「ドイツ社会主義共和国樹立」の宣言をしたバルコニー。
旧王宮は、1945年戦災に遭い廃墟と化していましたが、再建工事を行い復元することは可能な状態でした。しかし旧東ドイツ政府は帝国主義の象徴だとして、跡形もなく取り壊してしまいました。
唯一リープクネヒトのバルコニーだけは残されました。
(2019年の写真) -
王宮を取り壊した後に建てられたDDRの国家評議会ビル(現在はESMT学校)のファサードにバルコニーが取り付けられていました。○印
(2012年の写真)。
また旧王宮の跡にはホーネッカーのキンキラキンの宮殿、共和国宮殿が建てられたのでした。 -
この写真は2019年10月に、インフォセンターで写し出されていた王宮の画像です。大聖堂と反対側から見た画像です。
てっきり完成予想図だと思っていましたが、よく見ると工事用車両などがありますから2019年10月当時のものなのですね。
あの時点で大聖堂の反対側はほとんど完了しているということは・・・。
あれから8か月経っている(2020年6月時点で)のだから完成していても不思議ではないのでは?
お二人からコメントをいただいて、再度調べましたら、2020年末にはオープン予定とのこと。 -
では、現在のベルリン王宮の工事進捗状況はどうなっているのだろう?
グーグルアースで調べてみました。(2020.6.11現在)
ほとんど完成していますね。まだ工事用車両や資材は残ったままですが。
ベルリン王宮は完成の暁には「フンボルトフォーラム」として博物館や美術館などが入る一大文化フォーラムになるようです。
しかしコロナ禍の影響などもあり、博物館に展示する材料がなかなか揃わないことから2019年の完成予定が伸びているとのこと。
今年の12月には完成予定とのことですが、ベルリン空港の件もあり一応予定は未定というとこでしょうか。
ところで遅れに遅れたベルリン空港、いつ開港するのでしょうね。 -
それでは大聖堂に向かいましょう。
グーグル地図にも、「精緻な細工が施された19世紀建造の大聖堂」とありますように、114mの大きなドームを持つ美しい大聖堂です。
左側の塔が工事中でカバーで覆われているのは残念です。
右側にはテレビ塔が立っています。 -
大聖堂前のルストガルテン、思い思いに寛いでいる人の姿が・・・。
ルストガルテンはプロイセン王や王妃たちによって菜園や庭園として利用されていました。
しかし、軍隊王と呼ばれるフリードリヒ・ヴィルヘルム1世がプロイセン王に即位すると練兵場に変わりました。
今は時折、ここで変な物売りや寄付金集めと称して、小銭をたかるジプシー風の人がいますので、気を付けてください。 -
ルストガルテンと噴水、その向こうに見える列柱が並ぶギリシャ風の建物は、旧博物館。
宮廷建築家カール・フリードリヒ・シンケルの設計により新古典様式で建造されたものです。 -
ベルリン大聖堂。
入場料を払って中に入ります。
1905年に最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世によって建て替えられたネオゴシック様式の建造物でしたが、第二次世界大戦で大きな被害を蒙り、戦後元の形に再建されています。 -
私にとっては2度目の大聖堂内部見学です。何度みてもその豪華さには目を見張ります。
ここはホーエンツォレルン家の菩提寺(言い方、おかしいですか?)です。シャルロッテンベルク宮殿もサンスーシ宮殿も豪華でしたものね。
正面は主祭壇。 -
主祭壇の入り口。
二人の天使がプレートを捧げもっています。中には「神と和解を」の文字。
目もくらみそうな豪華な黄金の壁。 -
中に入ると・・・。
主祭壇はステンドグラスになっています。
祭壇中央にはキリスト磔刑図、左はキリスト誕生、右はキリスト昇天が描かれています。 -
丸天井の素晴らしいこと。
ここは114mのあの青いドームの部分でしょうか。
ドームの内側には8面のモザイク画が描かれています。
キリスト教にとって「8」と言う数字はとても意味のある数字です。
何が描かれているのでしょうね。拡大してみます。 -
ドームの中央に描かれているもの、「鳩」ですよね?
見えますか?
どうみてもプロイセンの「鷲」には見えませんよね。 -
そして8つの面には、それぞれにキリスト関係の8つの絵と言葉が刻まれています。
-
7000本以上のパイプを備えた巨大なパイプオルガン。
ヴィルヘルム・ザウアー工房作 -
そしてさっきから気になっていた・・・、
これが説教壇なんですって。 -
小天井ドームには聖人たち。
マルコ(左)とルーカス(右) -
聖堂内には豪華な墓碑がありました。
ゾフィー・シャルロッテ(1668-1705)の黄金の墓碑。
初代プロイセン王フリードリヒ1世の2番目の妻。
シャルロッテンブルク宮殿の主でした。 -
こちらはフリードリヒ1世(1657-1713)の黄金の墓碑。
-
フリードリヒ1世の父親、フリードリヒ・ヴィルヘルム(ブランデンブルク選帝侯)(1620-1688)。
大選帝侯と呼ばれた人でした。 -
フリードリヒとかヴィルヘルムとか名前が覚えられなくて面倒くさいなんて思っていましたが、意に反してズブズブと深みにはまってしまう運命にあるようです。
判らなくなったらこの系図を見て思い出しています。
シャルロッテンブルク宮殿の旅行記で使ったものです。 -
地下のクリプト(墓所)に降りていきます。
地下には16世紀から20世紀までのホーエンツォレルン家一族の94もの棺が置かれています。 -
壁の写真パネル。
大聖堂は1945年の第二次世界大戦の空爆により、大きな被害を受けました。
上は1945年以前のホーエンツォレルン家の墓所、
下:戦後被害を受けた墓所の様子。 -
墓所の入り口には、ドイツ彫刻家August Kiss作(1802-1865)の聖母子像が飾られています。
-
クリプトの中には94ものホーエンツォレルン家の方々の棺が安置されているのかと思うと、身が引き締まる思いです。
一つ一つ見てまいります。
柵で遮られているので、離れた棺はよく見えないのが残念です。 -
デザイン、装飾、色、レリーフ・・・、いろんな棺があります。
王冠が上に乗っているのは歴代の王様でしょうか。
また小さい棺も数多くあることに気が付きます。幼くして亡くなられた皇太子や姫君なのでしょうか。 -
歴史の宝庫であるホーエンツォーレルン家のこの墓所、私の判る範囲で棺の主を特定してみたいと思います。
墓マイラーならぬ棺マイラーですね。違っていたら訂正してくださるとうれしいです。
まず最初。
なぜだかビスマルク宰相(ですよね?)の胸像の前の棺は
○エリザベート・マグダレン(1537-1595)。
ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム2世(1505?1571)の娘。
最も古い時代の棺になります。 -
○カタリーナ・フォン・ブランデンブルク=キュストリン(1549-1602)。
ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム・フリードリヒの王妃 -
3つ並んでいる棺。
真ん中はゾフィー・シャルロッテ(1668-1705)のもの、
右側、夫で初代プロイセン王はフリードリヒ1世(1657-1713)の棺。 -
ゾフィー・シャルロッテはフリードリヒ1世の2番目の妻で、彼からシャルロッテンブルク宮殿をプレゼントされた王妃です。
-
ゾフィーの隣にある棺は、たぶんエリーザベト・ヘンリエッテ(1661-1683)ではないかと。
フリードリヒ1世の最初の妻、21歳で若くして亡くなりました。 -
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1620-1688)
ブランデンブルク選帝侯(大選帝侯)。
フリ-ドリヒ1世の父親です。 -
フリードリヒ1世の母親の棺。
○ルイーゼ・ヘンリエッテ(1627-1667)。
ブランデンブルク選帝侯(大選帝侯)フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1620-1688)の妻で、初代プロイセン王フリードリヒ1世の母 -
こちらにはブランデンブルク大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの2番目の妻、
○ドロテア妃(1620-1688)の棺 -
○フィリップ・ヴィルヘルム(ブランデンブルク・シュヴェート辺境伯)(1664-1714)。
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世とドロテア妃の子供。
フリードリヒ1世は異母兄になります。 -
父親フリードリヒ3世をお参りしているドイツ最後の皇帝ヴィルヘルム2世夫妻。
ベルリン大聖堂を建造したのはヴィルヘルム2世でした。
そして、カイザーヴィルヘルム教会を建てたのもヴィルヘルム2世です。 -
ヴィルヘルム2世の絵の前にはこんな可愛い棺が。
ヴィルヘルム2世の息子、アーダルベルト・フォン・プロイセン(1884-1948)と妃のアーデルハイトとの間に生まれた長女。
生まれてすぐ亡くなったので名前がない「Nameless Princess」。
この墓所の中で最も新しい棺でしょう。 -
○フリードリヒ・ヴィルヘルム2世(1744-1797)。プロイセン王
フリードリヒ大王の甥で次代のプロイセン王となる。
戦災により毀れた棺が置かれています。
ところでフリードリヒ大王の棺は?
愛犬と一緒にサンスーシ宮殿で眠っているのでしたね。 -
○マリアンネ・フォン・ヘッセン=ホンブルク(1785-1846)
配偶者:ヴィルヘルム・フォン・プロイセン (1783-1851)の父はプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世(↑の棺の主) -
お元気なK氏は270段の階段をものともせず展望台へ登っていきました。
眼下にはテレビ塔、赤の市庁舎、それにマリエン教会が見えます。 -
シュプレー川
-
大聖堂のすぐ下はルストガルテン。
その向こうにはドイツ歴史博物館とフンボルト大学。 -
工事中のベルリン王宮と情報センターのフンボルトボックスがよく見えます。
-
ニコライ教会とニコライ地区。
K氏が降りてきて、聖堂内で待っていた私たちとドッキング。
さあ、次へ向かいましょう。 -
ベルリン大聖堂を後にして・・。
今日はベルリン最後の日です。
どこか素敵なレストランでお食事を。 -
やってきたところはポツダム広場。
一瞬あれぇ~?と違和感を覚えて思わず撮った写真。
これは絵ですよね?
どこまでが絵でどこまでが本物か、こういう目隠しって面白いですね。 -
高級ホテルのリッツカールトンに立っていた「ベルリンの熊さん」。
格式ある服装のホテルボーイさん? -
やっぱりベルリンの旅の最後はソニーセンターですね。
ベルリンに来たら一度は訪れたい場所。 -
ベルリン・最後の晩餐はどこにしましょう?
映画「ベルリン・天使の詩」に出てきた「カフェ・ヨスティ」もいいわね。 -
でも、やっぱり最後はここで決まり。
「リンデンブロイ」。
いつも混んでいますね。
でも日本のシニア達、結構要領がいいのです。
さっと見渡して、空いている席があると躊躇しないで座ります。
三人旅もこれで3度目。1度目と2度目は2週間の旅、今回は3週間の長旅、結構場数を踏んでいますので、要領もよくなるってもの。 -
まずは自家製ビールで乾杯です。
-
メニューにこれを見つけて注文しました。フラムクーヘン。
これ食べたかったのです。
2017年の夫と二人のアルザスの旅ではよくいただきました。
今回の旅では初めてです。 -
それに、ソーセージの盛り合わせとサラダの盛り合わせ。
シニアにはこれくらいがちょうどいいですね。 -
食事を終えて、ホテルに帰ります。
ポツダム広場にもベルリンの壁跡が残っています。 -
ポツダム広場からバスで中央駅まで、そこでトラムM10に乗り換えてホテルに帰ります。
明日は4日間滞在したベルリンを離れますので、帰ったら荷造りをしなければなりません。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- mistralさん 2020/06/15 16:13:52
- お元気なお3人の旅は、この後は?
- himmelさん
ベルリンご滞在の最後のディナーまでの旅行記のアップ、
お疲れさまでした。
ここまでお3人がお元気とはいえ、引っ張ってこられて
旅行社の添乗員さん、さながらの手腕を発揮されてこられました。
さて、王宮は19年末までには竣工の予定?というのは、多分himmelさんの
コメントを拾って、たまたま私が記載したのかもしれませんね。
それほどドイツ通ではありませんので (笑)
そういえば空港もまだまだそうですね。
横目に見ながらも通りすぎてしまった壮麗な大聖堂の内部、
今回拝見できて嬉しかったです。
クリプトにずらりと並ぶ王家の方々の棺、
歴代の王家の方々のお名前、本当に手元に資料がないと誰が誰やらで
混乱を極めそうですね。
かつてロシアの王家の事を旅行記に書く折の私の混乱ぶりを
思い出しました。
その折にはずいぶん馴染んできた、と思いましたが
今となってはまたまたわからなくなりました。
ソニーセンターそばのホテルに泊まり、一度ぐらいはそこで食事を
と思いつつも実現せず。
himmelさんはそこで何度か食事をなさっておられますよね。
席の確保もお上手そう。
ポツダム広場の景観、一度しか行ってないのに、懐かしいです。
翌朝はどちらへ向かわれたんでしょうか?
まだまだお3人の旅は?
楽しみにしております。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2020/06/16 20:28:58
- RE: お元気なお3人の旅は、この後は?
- mistralさん、こんばんは。
今日も暑かったですね〜〜。
週1回の都心行き、マスクと暑さで本当に熱中症になりそうでした。
さて、まず最初に謝らなければ・・。
勝手にお名前を使ってしまい申し訳ありません。
あの旅行記を書くまでは、いつ王宮が完成するのか全く調べもせずに書いてしまいました。昨年(2019年10月)時点であの程度でしたので、まだしばらくはかかりそうだね・・と。
お二人からコメントをいただいて、果たしていつできるのか、急に心配になりまして。
そしてこのコロナのこともあり、私、完成した姿を見ることができるのかしらと、なんだか寂しくなって・・・。
でも次回のベルリン行(いつになるのか)には見ることができそうでちょっぴり安心しました。
クリプトの棺の主の名前、私も手元に資料などなく、いろいろ調べて(調べる過程が楽しかった)判明するとうれしくて一人で盛り上がっていました。
でもお墓なら墓マイラーでともかく、お棺を調べて喜んでいるのは私一人(笑)、ちょっとドン引きされてしまいましたね。
>ソニーセンターそばのホテルに泊まり・・・
はい、存じ上げています、あの赤い格調ある服装をしたベルボーイ姿のクマさんのホテルですね。素敵なホテルですよね〜。
ほんとにすぐそばでしたのに、リンデンブロイにはいらっしゃらなかったのですね。
あのレストランは何時でも行けますから。mistralさんにはリンデンブロイより、「ヨスティ」の方がお似合いのような。
映画にも何度か出てくるレストランです。
「席の確保」・・・、
旅をすると、せっかくならそれなりのレストランに行きたいと思っている私たち。しかし予定が立たない気ままなシニア3人旅のこと、勢いレストランの予約などできません。
仕方がないので、混雑する前に行くようにしていますが、だいたい座れます。レストランのボーイさんたちもシニアには優しいし・・・。
なんて書いていると、早く旅に出たくなります。
本当にこれから旅のスタイルがどう変わっていくのでしょうね。
mistralさんがおっしゃるように、旅に出られるその日まで、健康に留意しなければなりませんね。
ありがとうございました。
himmel
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