2018/06/03 - 2018/06/04
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frau.himmelさん
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書きかけの旅行記の日付は2018年6月、ちょうど2年前のまさに今頃の旅です。
まさか新型コロナウイルスで世界中がこんな未曽有の危機に襲われるとは思ってもいませんでしたから、今年も今頃はドイツをはじめヨーロッパを旅しているはずでした。
表題にも書いていますが、三度も一緒に旅をしてくれたI女史はお元気とはいえ齢80ン才、さすがに個人旅はもう無理と辞退されたため、今回は新メンバーを加えての「新シニア3人旅」の予定でした。
私なりに旅のスケジュール表を作り、あとは新メンバーにそれを見せて、OKが出れば飛行機やホテルの予約をするだけ・・・、そんな時のコロナ騒動。私的にはとても気に入ったスケジュールだったのですが、これを使う日はくるのでしょうか。
ところでI女史、齢はとっても相変わらず意気揚々。なんと「東京オリンピックのボランティアをやることになったのよ~」と言っていました。そうなると1964年の東京オリンピックに続いて2回連続のボランティアです。
ぜひ、頑張っていただきたいとは思っても、東京オリンピックもおかしな雰囲気になってまいりましたね。せめてそれまでには収束してほしい・・・。
コロナは世界中のいろんな人々の運命を生活を、大きく変えてしまいました。
◆◆◆
さて2年前の楽しかった話題に戻ります。
サンスーシ宮殿、ツェツィーリエンホーフ宮殿、そしてヴァンゼークルーズと続けて旅行記をアップしてまいりましたが、その中に一度も食事の風景がないのに気が付きました。
飲むのも食べるのも大好き、旅ではそれなりのレストランで食事をすることもテーマの一つとなっている食いしん坊のシニア3人ですから、何もないわけはありません。
どうも食事の時に私のカメラのバッテリーが無くなり写真がなかったものと思われます。
そこが3人旅の良いところです。ちゃんとK氏のカメラで撮ってありました。
食べたものを記録しておくのも、私の旅日記の重大要素です。助かりました。
今回はその他、ベルリンの壁記録センターでの展示の模様や、私が長く追っかけをやっている「ベルリン王宮」の工事状況などを書いています。(写真は2018年王宮の工事現場)
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6月3日、時間を1日前に戻します。
ポツダムから戻った私たちは、ホテル前からトラムで2駅目、プレンツラウアーベルク地区にある地下鉄エーベルスヴァルダー駅前で降りました。
地下鉄と言いながら地上にありますがれっきとした地下鉄の駅。
そこから斜めにカスタニエンアレーに入ります。
これをさらに行くと2007年に夫と短期留学で通ったドイツ語学校があります。
私にとっては懐かしい場所。 -
そこに有名なビアガーデンがあったのを思い出したのです。
プラーターガーデン。
1837年創業、ベルリンで一番古いビアガーデンです。 -
人気店だから客も多いけど、構わず空いている席に座ります。
-
そしてまずは飲み物。
ビールに白ワイン、大きいグラスはスパークリングワインだったのか?
何を食べようかとメニューを見ながら3人で迷っていたら、隣の席から日本語が・・。
「お手伝いしましょうか?」 -
お隣はドイツ人の家族連れ。声の主は奥様でした。
いろいろ丁寧に教えていただいて、ウィンナーシュニッツェル、シュパーゲルスープ、デザートにはアプフェル・シュトゥーデルを注文しました。 -
そのご家族、奥様は東京に3年住んでいらっしゃったそう。
日本の話題、私たちの旅程、ドイツのこと・・・、その他何を話したのか忘れましたがいろいろ話が弾みました。
目の前はセルフサービス式のビアガーデンだそうです。 -
思いがけず現地の方と日本語交流ができ、すっかり楽しいひとときを過ごした私たち、プラター・ガーデンを後にしました。
-
ビアガーデンからまたトラムで2駅乗って、ホテルに帰ります。
地図を載せておきます。
右側□枠がプラーターガーデン、右側□枠がホテル。
ホテルの近くにはマウアーパークがあり、毎週日曜日にベルリン最大の蚤の市が開かれます。(場所:赤○) -
今回私たちが2泊したH+ホテル 4ユース。
ほんとに何の飾り気もないホテルです。
私は2013年以来今回で2回目、このホテルが気に入っています。
ホテルの目の前はベルナウアー通り、ベルリンの壁建設で最も多くの悲劇が生まれた場所です。 -
ご覧ください。
ホテルの横からベルリンの壁が設置されていたという印があります。
向こうの建物が私たちのホテルです。 -
ホテルに展示してあった当時の写真がそれを物語っています。(2013年写す)
ベルナウアー通りとシュヴェッター通り(現在はヴォルナー通り?)の間に壁は建設されました。
1961年8月、突然東西ベルリンの境界線が封鎖されました。
ホテルの横はバリケード様のもので閉鎖され、ホテルの屋上には有刺鉄線が張られました。(赤○印) -
私が愛用しているベルリンの壁の地図で詳しい位置関係をご覧ください。
ホテルは、まさに境界線の際のところにあります。
右側の【☆印矢印】がホテルです。 -
大きな窓から明るい光が射しこんでくる清潔な部屋です。
ベッドは狭いけど、この部屋を一人で使えるのですから文句は言えません。 -
コンパクトな洗面所。これで1泊朝食付67ユーロ。
前泊のアレキサンダープラッツ駅近くのモーテルワンもよかったけど、こちらは若者に人気のプレンツラウアーベルク地区にあり、なんとなく旧東ドイツっぽい雰囲気が味わえるホテルです。
これも捨てがたいです。 -
K氏は、私たちとホテル入り口で別れた後、一人でベルリンの壁記録センターの展示場を訪れたそうです。
私は何回も訪れているので今回は端折りましたが、さすがはK氏です。ちゃんと調べていらっしゃったのですね。
せっかくなのでK氏の写真と、私が過去に訪れて撮った写真を基に少し復習しましょう。
右のHマークは私たちが今回利用した路面電車駅「ヴォルナー通り」。かって壁があった位置にはモニュメントとして鉄の棒が立っています。 -
ここはUバーンのベルナウアーシュトラーセ駅。
ベルリンの壁の緩衝帯を利用して、ベルリンの壁のいろんな記録や写真が展示されています。
大通りには団体客を乗せた観光バスも停まっています。
Uバーンの上に見える壁の写真は? -
この写真、有名ですね。
ベルリンの壁建設直後の1961年8月15日、有刺鉄線を飛び越えて西側に亡命した国境警察官(コンラッド・シューマン)
この写真は世界中に配信されたのでご存知の方も多いかと思います。
『自由への跳躍』としてベルリンの壁の象徴として一躍有名になりました。 -
その下にはベルナウアー通りで起った年代ごとの出来事のパネル、
その横には当時の壁の跡がまだ残っています。 -
ベルリンの壁が崩壊した1989年当時の街の模型。
★印をつけている細い線が壁の位置、その右は旧西ベルリン、左は旧東ベルリン。 -
1961年8月13日、東側政府は突如として東西ベルリン間の通行をすべて遮断し、西ベルリンの周囲をすべて有刺鉄線で隔離しました。
写真は目の前に突如現れた有刺鉄線の壁に驚いて新聞の「号外」を読んでいる子供。
下:壁はこの後堅牢なコンクリートで囲われました。 -
ベルリンの壁建設に伴い最も大きな悲劇を生んだのがこのベルナウアー通りです。
この通りに面して国境線が封鎖され、家族や友人などと、ある日突然、強制的に切り離されてしまいました。
ベルナウアー通りは、ベルリン分断の象徴的な場所なのです。
壁の写真は住んでいた建物が壁の境界線となり、入口を塞がれたので、窓からあわてて西側に逃げている人々。
ここのアパートに住んでいた住民は、封鎖初日は比較的簡単に亡命することができました。 -
そこで東側政府は、西側に面する窓や入口にレンガで封鎖しました。
しかし今度は窓から飛び降りて逃亡する人々が後を立たなかったため、ついに、住民を強制的に立ち退かせ、建物を爆破してここを封鎖地区としました。 -
窓からジャンプして逃亡する人々。
窓の下には西ベルリンの人々がシーツを広げて待っている。
77歳の女性がシーツの上にジャンプして助かった。
着地に失敗して亡くなった人もいました。 -
東ベルリンの人々はあらゆる方法で逃亡の手段を試みました。
車の下にもぐりこんで逃亡した人。 -
ついにはトンネルを掘って西側に逃げ出す人も現れました。
ここに地図があります。
茶色の太い点線は逃亡のトンネルが掘られた位置を示してあります。
右側Westは西側、左上Ostは東側。トンネルは壁の下を潜り、西側に延びています。
壁は2本ありますね。その間の「B」の文字が見える空間は緩衝地帯。
この緩衝地帯に犬を放ったり、銃を持った人民警察官が厳重に警備しており、壁を越えようとするものがいればすぐわかるようになっていました。 -
1971年に掘られたトンネルの跡。
-
これは1964年に造られたトンネル57。壁を越えて西側まで続いています。
西ベルリンのベルナウアー通りから東ベルリンに掘られた全長150メートルのトンネル。
東ドイツの国境警備兵に発見されるまで、3日の間に57人が西側への脱出に成功しました。
トンネルの脱出には多くの西側の人々の助けがありました。 -
1964年トンネル脱出の様子。
アメリカのテレビ局が費用を出して、その模様を米国のテレビ番組で放映しました。
作戦名は同年開催される東京オリンピックにちなんで「トーキョー作戦」と呼ばれていたそうです。 -
他にもいろいろな展示がありました。
左:ベルナウアー通りに住んでいたゼルマとペーターの母親と息子は、窓からの脱出に成功した。
右:オルガ・ゼルガーは1962年9月25日、娘のいる西側へ逃亡しようと2階から飛び降りて亡くなった。 -
最後にこの写真を。
2014年6月に撮影したものです。
ベルリンの壁を越えようとして犠牲となった人々。 -
さて、時間を進めて。
6月4日、ヴァンゼークルーズを終えて、Sバーンのツォーロギッシャー駅で降りて、100番バスに乗りました。
一応2階席ではあったけど、結構乗客が多くてあまりいい席には座れませんでした。 -
バスの前方には戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)。
手を伸ばして撮ってもこの画像。┐(´~`;)┌
これではしようがないので2016年に撮った写真を(右)。
塔の高さは67m、勝利の女神のヴィクトリアが立っています。
この塔は、1864年のデンマーク戦争、1866年の普墺戦争、1870-71年の普仏戦争に勝利した記念に建てられました。 -
モルトケ像。
初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を、ビスマルク宰相と共に支え、ドイツ統一に貢献した人でしたね。
「近代ドイツ陸軍の父」と呼ばれているそうです。 -
ヴェルベデーレ宮殿
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前方には連邦首相府と手前の建物は連邦議会議事堂・・・。
なんて、ピントの合わないつまらない写真をいつまで載せているのだろう。
一応記録として・・・。 -
ここからは徒歩での観光です。
100番バスをウンター・デン・リンデン通りで降りました。
目の前にはフリードリヒ大王の騎馬像。
フリードリヒ大王ことプロイセン王フリードリヒ2世。
サンスーシ宮殿で犬と共に眠っているあの大王様です。 -
高さは13.5m。
台座には、サンスーシ宮殿をこよなく愛したフリードリヒ大王の生涯や出来事、縁の人々などが浮彫で飾られています。 -
ベルリン国立歌劇場とベーベルプラッツ。
ベーベルプラッツと言えばヒトラーの第三帝国時代に行われた焚書事件ですね。
この広場で1933年5月10日、退廃芸術とされたナチスの意に沿わない書物2万冊が焼かれました。
その中にはトーマス・マン、ケストナー、ハイネなどの書もありました。 -
広場の地下には、モニュメントとして空っぽの本棚が置かれています。
2013年に撮った写真。
ガラス越しに本棚を見ることができるのですが、残念ながら写真には写りこんでいませんでした。 -
広場の右手にはフンボルト大学の図書館があります。
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広場の左手はベルリン国立歌劇場。
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あらいいわね~~!
ヴェルディーの「マクベス」ですって。
バレンボインの指揮で主役はプラシド・ドミンゴ。
一度くらい本場のオペラをこんな豪華なキャストで観て見たいものです。
「ドミンゴ、老けたね~」って誰かの声。 -
劇場入り口でプログラムを見て考え込んでいる人。
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私たちは横断歩道を横切って正面に見えるフンボルト大学へ。
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大学名物の古本市と、大学入り口の像は、フンボルト大学(ベルリン大学)の創設者、カール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767-1835)。
ドイツの言語学者・政治家・貴族。 -
こちらの像は、弟のアレキサンダー・フォン・フンボルト(1769-1859)。博物学者兼探検家、地理学者。
「フンボルトペンギン」は彼の名前に由来するそうです。 -
名門フンボルト大学に建っている像の数々。
さぞかし立派な学者さんたちなのでしょうね。
こんな像を見ると写真を撮って、身元調査(笑)をしたくなる私。
ちょっとだけご紹介しますね。
左:マックス・プランク(1858-1947)物理学者、「量子論の父」、総長も務めています。
右:テオドール・モムゼン(1817-1903)ドイツ歴史家・法学者 -
左:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ(1821-1894)生理学者・物理学者。
右:リーゼ・マイトナー(1878-1968)物理学者、放射線・核物理学。
私には縁のない方たちでした。 -
フンボルト大学の像は、そんな固いお方ばかりではありません。
この軽いノリのこの方は?
実はドイツの詩人、ハインリッヒ・ハイネ(1797-1856)。(2013年撮影)
その他にもフンボルト大学の卒業生には、アインシュタインや、ヤーコブとヴィルヘルムのグリム兄弟、それに最近名前をしょっちゅう耳にするロベルト・コッホなどがいます。
文学者ではツルゲーネフ、シュトルムや、政治家ではビスマルクも出身者です。 -
美しい校舎、扉が開いていたのでちょっと入ってみたかったけど、やっぱり敷居が高い。
-
こちら側はノイエヴァッヘ。
プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が建築家シンケルに衛兵所として設計させたもの。
1993年、東西ドイツ統一以来、この建物は戦没者の追悼施設の式典会場となっています。 -
中には、彫刻家ケーテ・コルヴィッツの「ピエタ(死んだ息子を抱きかかえる母親)像」が1体だけぽつんと置かれています。
日本語の説明もあります。 -
今年もやってきました~、ベルリン王宮の再建工事現場へ。
ベルリン王宮の追っかけを始めてもう何年になるだろう。
ベルリンを訪れるたびにここに立ち、早く完成しないかなーと心待ちにしています。 -
場所はシュロス橋の先のシュロスプラッツ。
戦前、ここにはホーエンツォレルン家のベルリン王宮が建っていました。
しかし空襲により破壊され、1950年に東ドイツ政府により解体され、その後キンキラキンの琥珀色のホーネッカー好みの共和国宮殿が建てられました。 -
これがキンキラキンの共和国宮殿。別名琥珀宮殿とも言われていました。
東西ドイツ再統一後に、共和国宮殿は高度のアスベストが使われているとかの理由で撤去され、ここに往時の王宮をよみがえらせることになりました。 -
そして、2006年から2007年にかけて分解作業が始まりました。
2007年に訪れたときは、琥珀の宮殿は解体され骨組みだけになっていました。 -
2009年に訪れた時はホーネッカーの共和国宮殿は撤去され、広い原っぱとその横では発掘作業が進められていました。
写真に見える建物は、DDRの国家評議会ビル。
正面のバルコニーはベルリン王宮から移されたもの。このバルコニーでカール・リープクネヒトが演説をしました。 -
2016年の写真
その後何度か訪れましたが、遅々として進まずの状態でした。
上の写真から7年経った2016年にようやく王宮のドームができていました。 -
その2年後、2018年の進捗状況。
まだまだですね。
せっかく今まで追っかけてきたのですから、完成した宮殿の姿をぜひこの目で見たいと思っています。
それには、世の中が落ち着いて安全に旅行ができる状態に戻らなければなりませんね。また私自身が健康でいなければなりません。
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この旅行記へのコメント (5)
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- mistralさん 2020/06/10 15:54:17
- 旅に出られるその日まで。
- himmelさん
こんにちは。
次々にアップされます旅行記、楽しませていただいてます。
コロナウィルス蔓延で、旅の予定もキャンセルが相次いで行ったなか
好調にhimmelさんの旅の記録は更新され続け
あと少しで今の時まで追いつくやも?
それとも2019年の分もまだまだありましたか?
さて、ベルリン王宮の追っかけは
もうかなり前に始まっていたんですね。
2019年が当初の完成予定だったそうですが、それが2020年末に。
そんな予定もこの情勢ではどうなんでしょうね。
それでも次のhimmelさんのご旅行される頃には、竣工となるやも。
旅のお仲間だったI女子、
まだまだどこまでも個人旅行されそうなくらい健康そうなご様子でした。
次からは新メンバーでの旅をご計画中の最中の今回のウィルス騒動。
新メンバーでの旅はどんなかしら、と興味津々!
ベルナウアー通りはベルリンの旅行記を書く際、にわか知識として
仕入れた地名でした。
ある日突然、鉄条網が張り巡らされ国境が設けられ東と西に分断された。
前日まで行き来していたのに、それすら出来なくなった。
窓から飛び降りるご老人のお写真のことなど、良く覚えています。
今回himmelさんの旅行記でも取り上げられ、より詳細なコメント、
改めて復習させていただきました。
滞在されたホテル、その通りに面しているとか、快適そうですね。
今まで行きたい時に行きたい地に、という旅のスタイルが今後
どのように変わっていくのやら
旅に出られるその日にそなえて、健康で過ごしたいものですね。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2020/06/10 23:07:23
- RE: 旅に出られるその日まで。
- mistralさん、こんばんは。
何度も足跡をつけて申し訳ありません。新作はまだかな〜と待ち焦がれております。
さて、いつもコメントありがとうございます。
>好調にhimmelさんの旅の記録は更新され続け・・・
何と言ったらいいのか、照れ笑い・苦笑いです。
何年も前からの旅行記を溜めに溜めこんでいますので、このコロナ禍、少しは捗るかなーと思っていたのですが、毎度毎度唸っております。苦しんでいる様子が夢にも出てきます(笑)。
もっとすっきり、簡単にまとめられればいいのですが・・・。
ベルリン王宮は2019年が当初の完成予定だったのですね。
2019年(昨年)秋にも訪れたのですが、まだカバーが掛かっており、そんな雰囲気ではありませんでした。2020年末の完成は間違いないと思っていいでしょうね。
ドイツは新空港建設も延長に延長で、随分長いこと待たされた(ところでもう出来たのかしら?)という前科もありますから(笑)。
このコロナ禍で海外旅行もしばらく行けそうもないですから、次に行くときには是非と思います。
コメントをいただいて、そう言えば・・・と思い出して、mistralさんのベルリンの歴史編、さっき再び見せていただきました。
改めて、詳しく調べていらっしゃる〜、素晴らしい!と思いました。
歴史の流れがとてもよく解りました。私の名前まで載せていただいていたのですね、恥ずかしいです((*ノωノ)。
トンネル57の写真やビルの窓から飛び降りるおばあさんの写真など、重なるところも多くて、きっと同じことを考えながら旅行記を書いていらっしゃったのだな〜、と改めて、東西ベルリンの残酷な歴史に思いを馳せました。
このコロナで旅行形態もどう変わっていくのか、今までみたいに気楽には行けなくなるかも知れませんね。それがまた怖いですね。
関東地方も梅雨入り宣言がなされたようです。
どうかお身体ご自愛ください。
himmel
-
- ハッピーねこさん 2020/06/08 23:27:08
- ベルリン王宮、現在は・・・?
- himmelさん、こんばんは。
私がベルリンを訪ねた2017年4月、ベルリン王宮は絶賛再建中でした。
その当時の情報では2019年の完成とのことでしたが、himmelさんがお訪ねになった2018年6月もこのような様子。きっと予定は延びて、今年はまたコロナ禍で工事も中断していたことでしょうね。
さて、完成はいつになるでしょう。そしてその姿をいつか見ることができるかなー、とちょっと気が遠くなりますが、楽しみが先に延びたと思うことに致しましょう。
プレンツラウアー・ベルク地区。
わずかな時間でしたが町歩きしました。そうでしたね、himmelさん、このエリアにご宿泊されたと以前伺っていました。
ホテルのシンプルなお部屋の窓の外には緑、その大きな窓からは光が燦燦と射して、私もとても好みのお宿です。
私はエバースヴァルダー通り駅の東側を歩いたのみだったのですが、この界隈は東独時代の色濃い歴史を持っていると手持ちの本で読んでいました。
今回のhimmelさんのご解説で納得。そしてご紹介された出来事の中には私の生まれた年もあり、自分が誕生した頃にドイツで起こっていたことを改めて知りました。(さて、どの年号でしょうか?笑)
ベルリン最古のビアガーデンも、結構近くまで行ってたようですがその時は存在も知らず。コノプケでカリーヴルストをいただいて満足して帰りました。(笑)
次にはもっと時間をかけてじっくり歩いてみたいです。
新お三人旅のための今年のご予定、きっと実現する日がくると信じて祈っております。
I女子さんの東京五輪のボランティアのご予定もきっときっと現実のものとなりますように!!
まだまだ気の抜けない日々が続きますが、がんばって参りましょう♪
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2020/06/09 21:02:45
- RE: ベルリン王宮、現在は・・・?
- ハッピーねこさん、こんばんは。
今日は暑い日でしたね〜。
天気予報では関東の方もそろそろ梅雨入りと伝えていました。
コロナに梅雨・・、二重苦です。
さて、ベルリン王宮。
ハッピーねこさんのコメントを拝見して、ところで完成予定は何時なのかしら?と調べましたら、ホント、2019年の予定だったのですね。
ところが、昨年2019年10月に夫とベルリンを訪れ、王宮の工事現場にも行っているのですが、とっても完成という雰囲気ではありませんでした。
そしてさらに調べたらもっと驚くことが判りました。
なんとあの工事中のベルリン王宮がこの4月8日に火災にあったのですって。
幸い大したことはなかったようですが、それでも王宮の火事となれば大きなニュースになるのでしょうけど、いま世界中コロナ一色ですから、全然知りませんでした。ビックリしましたね〜。
一応完成予定は2020年の末らしいですから次回こそは完成したベルリン王宮を見ることができそうです。
プレンツラウアーベルクってとっても雰囲気のある地域ですよね。
なんだかあの付近に吸い寄せられるように何度も宿泊しています。
そうです、あのベルリン一古いビアガーデンは、コノプケの近くです。コノプケはガード下にありますが、その斜め前の道路をテレビ塔の方に向かっていくと右側にあります。
こんなことを書いていると、あの雰囲気が思い出され、また行きたくなります。
ベルリン王宮が完成するのもそんなに遠いことではなさそうですし、ぜひまたベルリンは行きたいですね。と言いながら新3人旅のスケジュールにはベルリンは入っていなかったのでした。
来年はシュパーゲルの季節には旅が解禁になっていればいいですね。
ハッピーねこさんは旅が解禁になれば、待ってました〜〜と、いの一番にドイツにいらっしゃるのでしょうね。
いつもコメント、ありがとうございます。
himmel
- ハッピーねこさん からの返信 2020/06/10 21:28:21
- ベルリン王宮、火災・・・!
- himmelさん、こんばんは。
ベルリンは昨年秋もご主人と訪ねられたのでしたね!
王宮建設はあまり進んでいなかったのですね。そして4月に火災が!?
驚きましたー!大事に至らずよかったですよね。
今年のうちには完成するのでしょうか。お互いその姿を見る機会が早く訪れるといいですね。
himmelさんのおっしゃるとおり、人様のご旅行記を拝見したり、自分のを見返したりしてあれこれ思い出したり想像したりしていると、すぐにでも飛んで行きたくなりますね。
欧州では閉ざされていた国境がまた開かれ、国同士の行き来も再開したようですが、それで感染拡大第2波、第3波となるのは避けてほしいところですよね。
日本からの渡独の時期がどんどん延びてしまう~~!!
その前に国内のことを心配しないといけませんが。
今日も暑い一日でした。
本日は在宅ワークでしたが、クーラーを入れたい衝動に駆られながらなんとか我慢しました。無理して熱中症になってもいけませんけどね。
himmelさんもくれぐれもご自愛のほど。
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