2019/04/29 - 2019/05/06
2815位(同エリア11689件中)
ヒデールさん
ワタシはいつもどおり自分が興味のある上海の古鎮を訪れるつもりだった。
そこでは地元の人に声をかけたり生活臭漂う水郷古鎮の風景に心を和ますつもりでいた...
しかし目の当たりにした光景は かつて見たことのないものだった。
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アジア周遊の旅 7日目 午前10:11.HK発浦東行きMU726便は2時間強のフライトの末、無事 浦東国際空港に到着。
ここ上海がこの旅の最後の滞在地だ。 -
ターミナル1のイミグレはGWを日本で過ごしたであろう上海赴任の日本人おっさんが屯ってる。
そんな中、順番を並びイミグレをパスして地鉄の駅へ向かう...
うわっ ダダ混み -
地鉄に乗り川沙へ移動。
昼12:08.到着 -
10分ほど歩いて今日の寝床 「佳和・上居酒店」に着く。
レセプションには中国人の宿泊客の男3人がいて なんだかんだ言っててしばらく待ってからチェックイン。
ただワタシの中国語がわかりづらいのか20歳そこそこの若い小姐3人は一応に不愛想。
「明日の朝6時半にタクシーを呼んでくれ」という中国語もゆっくり話したり、わかり難そうな箇所を強調して話しても...
「何言ってんの コイツ?」みたい感じで不機嫌そうな顔をしてる。
はあ? 不機嫌になるのはこちらでしょう。
なんですか そのお顔は?
ワタシは何十回も中国のあちこちの三ツ星クラスのホテルに泊まってるが ここまでホテルの服務員に嫌な顔をされるのは初めてだ。
ようやく奥にいた唯一英語が出来る30歳代の女性服務員が現れ無難な対応をされチェックインできたが 無性に後味が悪い...
わからないなら わからないで翻訳アプリを使うとか、英語が出来るスタッフを呼びに行くとか 何かリアクション起こしたらどうなんでしょうかね。 -
接客サービスは最悪だが ホテルのハード面は良さそうだ。
部屋もベッドが丸い形でラブホっぽいが とてもキレイだ。 -
シャワーもチェックしたが特に問題はなさそう。
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眺望は街の中で3Fだから これで上等。
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今回の7泊8日の旅の最後の滞在場所が上海になった理由は、別に自分が望んだわけではなく 小松~HKの安い往復航空券の場合 復路の上海でのトランジットが1日ほどになってしまってるというだけ。
だから上海はオマケみたいなもの。
だからと言って無駄に過ごす気はさらさらないので 事前に計画を練り 上海に数ある行ってみたいと思わせる古鎮の中から 行き易いという点とNET上で見る古鎮の雰囲気から「ハンミェンチェン / 横沔鎮」を訪れることに決めてある。
さっそくホテルの近くの「川環南路華戴路」から川航○線のバスに乗る。
※ ○の漢字は日本にない漢字のため表記不可、写真内の漢字をご覧ください。 -
ワタシと同じバス停から乗り込んだ乗客は順番に車内にいる車掌のおばさんに行き先を告げて運賃を払ってる。
ワタシは目的地の「横沔鎮」の発音の仕方が この時点ではわからなかったので百度地図のコピーを車掌に見せて「ウォシャンチュイ ジェリ / ここへ行きたい」と話す。
すると「☆÷◎?▲...」と返されるが、
???... 「ティンブードォン / わかりません」と答える。
でも後から思えば 恐らく車掌は横沔鎮の中のどこに行きたいのか? てことを訊きたかったんだと思う。
とにかく車内には次のバス停名の表示がないので、「横沔鎮に着いたら知らせて欲しい」旨をたどたどしい中国語で車掌に伝え理解を得る。 -
そう頼んではみたが 途中からこのバスがどの辺りを走ってるか見当がついたし、自分が降りる ひとつ手前のバス停名も把握してたので バス停で停車する度に窓の外に見えるバス停の表示をチェックしてたら 次が目的地だと自力でわかった。
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午後2:37.20分ほどバスに揺られて目的地の横沔鎮に到着。
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バス停のすぐ近くに橋がある。
この橋から南の水路沿い一帯が古鎮エリアだ。
さっそく歩いてみる。 -
水路の西側にある河西街という路地から入って行く...
が、すぐにワタシは異変に気付く。 -
この一帯 空き家だらけだ...
その中の一軒の壁に「理髪店」と書かれた家がある。
恐らく家主がここを立ち去る時に書き残していったんだろう。
急に物悲しくなった... -
好奇心に駆られ理髪店のドアに触れると ゆっくりとドアが開いたので中へ入ってみる。
何日遡るかはわからないが 間違いなくここには人々の暮らしがあった。 -
木造の階段を上り2階へ上がる。
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隣の家も空き家と思われるが 家の中には椅子や机が放置されたままだ。
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この家には屋根裏がないので2階の部屋は天井が高い。
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部屋の壁には絵が2枚貼られたままになってる。
住人の痕跡を見つける度 儚さを感じる。 -
1階に下り家の裏側へ出てみる。
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もうこの蛇口から水が出ることはないんだろう...
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赤い扉が印象的な民家も窓から中を覗くともぬけの殻。
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河西街を南へ歩くと民家が途切れた場所に小さな畑があって そこに20代くらいのお兄さんがいる...
と、思ったら 立ち去った。
見た感じ この村の住人ではなさそうだ。 -
先へ進む...
お! 路地の先に洗濯物が干してある。
近づいてみると洗濯物に混ざり扉に何か紙が貼られてる。
未搬区...
てことは 未だ引っ越ししてないってことかな? -
近くに水路に架かる橋があるので行ってみる...
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橋そのものは どこにでもある平凡な橋だが この橋の上から眺める景色は水郷古鎮の雰囲気充分だ。
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ただ生活臭がないのが本当に残念...
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橋の中央付近で写真を撮ってると 中大街側から3人組のおばさん達が喋りながら歩いて来た。
「中午好! / こんにちわ!」
ワタシが挨拶すると向こうは笑ってる。
「我是日本人! / ワタシは日本人です!」と続けるが大したリアクションもなく そのまま通り過ぎそうな勢い。
「カーイ ジャオ ニーメンマ? / あなた達の写真を撮ってもいい?」て訊いたけどダメだって。 -
再び河西街を南へと歩く...
住居は連なっているが この辺りも人が住んでる気配はない。 -
村人らしきおばさんとすれ違う。
さっき相手してくれそうだったおばさんに構ってもらえなかった事が尾を引いて話しかける気にならない。
一昨日までいたフィリピンと豪い違いだ。 -
この辺りが古鎮エリアの西の端。
Uターンする -
静まり返る古鎮。
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ここには誰もいない...
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かつてはここで水を汲み 物を洗ったりしてたんだろうな。
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さっき途中で引き返した橋を今度は渡り切る。
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突き当たった路地が「中大街」
なかなか味のある通りだ。 -
しかし この通りも全くひと気を感じない。
まるで中国の山間の村にでもやって来た気分だ。 -
中大街を南の突き当りまで歩き右に折れ水路沿いへ出る。
そこにあった1軒の古い民家の木の扉が半開きになっていたので 中へ入ってみる。 -
更に奥へと進む...
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奥には平屋の民家があった。
まるで今にも中から住人が出てきそうな雰囲気。 -
再び水路沿いに戻り また路地を歩く...
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しばらく歩くと 路地の先に人がいると思ったら公安局員っぽい しかも2人。
こんなトコで何やってんだろ?
空き家泥棒でも見張ってるんだろうか?
恐らく向こうもワタシの事を注意して見てるんだろうな。
特にすれ違っても何も言われることはなかったが... -
またレトロな感じの路地に入った。
ここはまだ1~2世帯の人が暮らしてる感じだ。 -
なんとなく昭和ちっく。
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北に突き当たった路地が花園街。
花など全く無いが... -
ひとつ前の路地に戻る。
さっき橋が見えてた所へ行ってみる。 -
小さな橋の上から水路を眺めると 改めてここが水郷古鎮だとわかる。
ただ残念な事に この辺りも全く人がいない。 -
橋を渡り南の方へ歩くと一気に民家の数が減る。
そんな中 真正面に3階建ての建物が現れた。
それはまるで空爆にでもあったような無残な姿を曝け出している。
この光景を見た瞬間 ワタシの脳裏には「ゴーストタウン」という言葉が浮かんだ。 -
廃墟と化した建物の西側は広大な更地になっている。
かつてはこの場所にも人が住んでいたことは 更地のあちこちに落ちている片方だけの靴やブラシといった生活用品の残骸を見ればわかる。
そして理由はわからないが この辺りを見張るように公安局員が2人近くに立っている。
ワタシは彼らの目を気にしながらも この見慣れない光景にカメラを向ける。 -
さっき近隣の村人だろうか 男性がひとり この先まで歩いて行ったので ワタシももう少し先(南)まで行ってみる。
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長屋の扉が開いていたので中を見ると家財道具が置いたままになっている家もある。
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ここが古鎮エリアの南の端だろう。
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草むらには子供のおもちゃがポツンと残っていた。
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少し戻った所に一軒だけ独立した小屋のような建物があって その入り口に「非請勾人私人住宅未搬」と書いてある。
恐らく「入らないで下さい、まだ引っ越ししていません」という意味だと思う。
うん、確かにこの周知がなければ 空き家と思われても仕方がないくらい廃れている。 -
中心の方へ戻る...
こんな屋根裏の窓がデカい変わった古民家の長屋が このあと壊されると思うと残念だ。 -
花園街まで戻り東の方へ歩くと小さな交差点の角に「華氏宅」というこの辺りでは立派な民家がある。
この建物の壁には周知板が設置されていて「浦東新区文物保護点」と記されてある。
しかし このあとも保存されるのか...
可能性は低そうだ。 -
もう少し花園街を東へ歩いたところでUターン。
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ここの住人ではなく この近くに住んでる人達だろう、たまにこの路地をバイクで通って行く。
そんな抜け道になってる路地を歩いてみる。
ちょうど進行方向がバス通り(川周公路)だからな。 -
そんな路地から脇道に逸れてみても人はいない...
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再び路地に戻る...
お~
ここんちの門なんか素晴らしいよ。 -
更に北へ向かって歩くと右手に割と大きな閉鎖した工場があった...
あーっ!
ガシっ
この旅2度目のスマホ落下。
職を失った者の呪いか?
... と勝手に想像してみた。 -
また路地を歩くと右手にブロックの山が現れた。
これが一体何を意味するものなのかはワタシにはわからない。 -
午後4:23.横沔鎮の古鎮エリアを一周し終えた。
この村歩きに費やした時間は約1時間40分。
当初から予定していた古鎮歩きの目的は達成したが こんなに後味の悪い村歩きは今まで経験がない。
元々古鎮の家屋は廃墟と紙一重なので廃れた古鎮くらいのレベルなら気にもならないが ここは全くそんな類いではなかった。
恐らく この古鎮は近い内に消滅するだろう。
何百年と続いて来た古鎮の最末期をワタシは肌で感じ取ったようだ。
中国ではよく立ち退きの話を聞く。
それは再開発が理由だったり、借りていた土地の所有権を巡る問題だったりする。
ここの理由は不明だが 古鎮に住んでいた住民の98~99%の人が既にこの地を去ったようだ。
物音のしない無人の路地、電球が外された街灯、廃墟と化したアパート、瓦礫が散乱する更地、閉鎖した工場、連なる空き家...
その姿を映す水路だけは以前と何ら変わらないのかもしれない。
そんな消えゆく古鎮を歩いてみて 住人が生活していた痕跡に触れる度 物悲しさに包まれた。
このような状況は特に中国都市部の古鎮では今後も起こりうるのだろう。
古鎮はいつまでも存在するものではない、と改めて思い知らされた。
興味のある都市部の古鎮は早めに訪れた方が良さそうだ。
全く楽しさのない村歩きだったが貴重な体験になった。 -
川周公路を歩き帰路は下車したバス停のひとつ手前のバス停からバスに乗る。
NEXT旅行記「アジア周遊8日間の旅 最後の夜は上海・川沙で地味~にひとり火鍋」へつづく。
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