2018/05/30 - 2018/06/01
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frau.himmelさん
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世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス、
日本でも、日一日と増えていく感染者数や死者数が驚異的な早さで更新されるのを、私たちはただただ見ていることしかできない。わが身にもその恐怖が・・・、ひたひたと近づいてくる足跡を感じて、戦々恐々としています。
いったいこれからどうなっていくのだろうか、全く先が見えない状態です。全世界ほとんどの国で出国禁止・入国禁止の措置がとられ、海外旅行どころかそれを口にすることも憚られる風潮になっています。
それを反映してか、最近旅行記を閲覧してくださる方も少なくなったように感じます。確かに、次の旅行の参考にとか、あるいは次はどこに行こうかなどの計画策定のために閲覧される方が多いと思いますが、今はそれどころではないですものね。反対にお気楽に旅行記をアップする方が恥かしい?。
でも、世の中がどうであれ、私たちの日常は続くのです。
3つの密をしっかり守り、政府や地方自治体の注意喚起には耳を傾け、過度に心配することなく、粛々と日常の生活をこなしていけばいいのです。
私も日常の生活・・・、写真やメモを見ながら、楽しかった過去の旅行を思い出し4トラベルに旅行記を投稿すること・・・、を続けます。
それでも、いつ平常に戻れるのか、何年も旅行ができない状況が続くのではないか、私にその機会はまだ残されているのか?書きながら諸々考えると空しくなり、旅行記を書く手も鈍ります。
あ~~、早く旅行ができる環境になってほしいです。
世の中がこんな状況だから、せめて今は楽しいことを考えることにします。
さて、シニア男女三人旅はプラハからライプツィヒに到着したところから始めます。ワイマールを先行しましたので、順番が少し変わっています。
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2018年5月30日
プラハからICバスでライプツィヒに到着。
ホテルはマイニンガー ホテル ライプツィヒ ハウプトバーンホーフ。
各自1人部屋ですから、お部屋に贅沢を言わない私には十分な広さ。
それはいいのですが・・・。 -
シャワー室の壁にはギョギョっとしました。
天井からどろっとした液体が流れている!!。
場所が場所ですから殺人事件の現場みたい・・・、考えすぎですね(笑)。
このホテルは紫色がテーマカラーのようで通路の壁も扉も天井も、全てこの色。 -
部屋で荷物を急いで整理して、食事に出かけます。
ライプツィヒは神聖ローマ帝国のころより交易が盛んだった豊かな町で、通りにも歴史的な建物が多く見られます。 -
ニコライ教会にやってきました。
ライプチヒで一番大きな教会です。ここはベルリンの壁崩壊に重要な役割を果たしました。
ニコライ教会の祈りの集会が発端となり、1989年に行われた「月曜デモ」では、7万人の人々が東ドイツの民主化を求めて行進しました。
それがベルリンの壁崩壊のきっかけとなり東西ドイツ再統一につながりました。
私たちは先を急いでいるので今は中に入りません。 -
広場の一角にはニコライ記念柱。
7万人の平和の行進を記念して、10年後の1999年10月9日に建てられました。
教会内部の柱と同じシュロの木が「東西ドイツ統一の出発点」のシンボルになっています。 -
ここには、1989年10月9日、ベルリンの壁崩壊の端緒となった「月曜デモ」の足跡のモニュメント。
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ニコライ教会の前の建物
この建物の続きにライプツィヒで一番古い旧ニコライ学校がありました。
ライプチヒ出身の哲学者ライプニッツや、同じくライプツィヒ出身のワーグナーなどが学びました。 -
これが旧ニコライ学校です(2013年の写真)
私は2013年、ワーグナー生誕200年の記念の年に、ワーグナーの足跡を辿ってライプチヒを訪れました。
その後にここにワーグナー博物館が創られたことを帰国してNHKのテレビで知りました。 -
さて、先を急ぎます。
広場にはチューリンガーソーセージやパン屋さんの屋台が出ています。
明日5月31日は聖体拝受祭でこの地方は祝日です。明日のお祭りの準備なのでしょうか。 -
座禅を組んでいる丸い広告塔の先にはドイツのデパートのカウフホフ。
立ち止まらないで先を急ぎます。 -
この美しい女性は、クララ・シューマン。
ここでは足を止めます。
クララ・シューマン(1819-1896)。
音楽家でピアノ教師だった父親のフリードリヒ・ヴィークと共に1825年から1835年までこの家に住んでいました。
ロベルト・シューマン(1810-1856)はライプツィヒ大学で法学を学ぶ傍ら、ピアノ教師フリードリヒ・ヴィークに師事し、クララと恋に堕ちるのです。 -
ここはナッシュマルクト広場。
広場にはレーヴェンブルンネン(獅子の泉)。
背後の建物はライプツィヒ旧市庁舎。 -
その先には、若き日のゲーテ像。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832)。
フランクフルトの裕福な家に生まれ、法学を学ぶためにライプツィヒ大学に入学しました。
台座には「ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ」と、偉い人につけられる称号「von」は付いていません。学生ゲーテに親しみを表しているのだとか。
また下の台座には「1765-1768年、ライプツィヒ大学の学生」と。 -
都会的な服に身を包んだゲーテの学生時代、このライプツィヒでずいぶん青春を謳歌したようです。
ゲーテと言えども人の子、勉学よりも遊びや恋に夢中で、結局体を壊し、3年ほどで大学を中退してフランクフルトに帰ってしまいます。
台座の女性像は彼の恋人たち。たしか一人は「ケートヒェン」?
ワイン酒場にもしょっちゅう出入りをしました。 -
ゲーテ像の背後には、美しいバロック様式の旧交易会館(元証券取引所)があります。
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旧市庁舎・ライプツィヒ市歴史博物館
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マルクト広場に回ります。
広場にはライプツィヒでよく見かける「ウーァ・クロスティッツァービール」( Ur-Krostitzer)の屋台。
このビールのラベルは、三十年戦争時のスウェーデン王グスタフ2世アドルフの肖像だそうです。
明日のお祭りの準備です。 -
マルクト広場側からの「旧市庁舎」。
残念ながらただいま工事中でカバーで覆われています。
市庁舎の塔も上だけしか見えません。 -
現代史博物館の前の路上には面白い銅像が。
ヴォルフガング・マットイヤー(1927-2004)作の「Der Jahrhundertschritt」:世紀のステップ。
右手はヒトラーの敬礼(ナチス第三帝国のファシズム)、左手は労働者の突き上げた拳(東ドイツの抑圧された社会主義)、
すなわち東ドイツ国民が通過しなければならなかった2つの苦悩の時代を表現しているものだそうです。 -
同じものを2019年10月2日、ポツダムの美術館の中庭でも見ました。
正面から見ると突き上げた両腕の様子がよくわかりますね。 -
ここはメドラ―パッサージュ。
やっと楽しみにしていた「あそこ」に着きました。
そうです、みなさまもよくご存知、この地下にあの「アウアーバッハスケラー」があるのです。 -
「アウアーバッハスケラー」は、若き日のゲーテが通いつめた居酒屋です。
正面入り口にはゲーテの「ファウスト」の中の、ファウスト博士と悪魔メフィストフェレスの像が。
ファウスト博士の靴先がピカピカになっています。
博士の足元に触ると、幸運が訪れるとか、ライプチヒに戻ってこれるとか言われているそうです。
もちろんシニア達も触りました。 -
ここは1525年創業の歴史的なレストラン、内装も素敵。
至る所にゲーテの「ファウスト」関連のものが飾られています。
ゲーテはこの酒場で「ファウスト」のヒントを得ました。 -
この絵は若き学生ゲーテがアウアーバッハスケラーで戯曲「ファウスト」のインスピレーションを得ている場面です。
ワインがこぼれても気が付かず、滴るワインを犬がなめていても気が付かず、全く空想の世界に入りこんでいるゲーテ。
ファウストが樽にまたがってこの酒場から飛び出す場面を想像していたのでしょうね。
Volker Pohleng作。
1765年10月19日にゲーテがライプツィヒ大学に入学して250周年を記念して、2015年10月19日にお披露目されました。
2013年に訪れた時にはこの絵はありませんでした。 -
お馴染みの森鴎外の絵。
ドイツ留学中の若き日の軍服姿の鴎外と、鴎外にファウストの翻訳を進めた友人の井上哲次郎、そしてその後ろには悪魔メフィストフェレスとファウスト博士が立っています。
もう一人の和服姿の鴎外は、過去の自分を振り返る晩年の鴎外、という設定になっています。
「森鴎外、アウアーバッハス・ケラー訪問時の回想(明治18年12月27日)」とあります。 -
ここに森鴎外がゲーテの「ファウスト」と日本に紹介するきっかけになった歴史的事実があります。
「作家森鴎外として知られる、日本陸軍軍医であった森林太郎は1884年から1888年のドイツ留学中、1384年10月22日から翌年10月11日までライプツィヒに滞在しました。
1885年のクリスマスンも、ドレスデンから数日間再びライプツィヒに戻ってきています。
この滞在期間中12月27日に、鴎外は日本人留学生井上哲次郎(雅号巽軒)と共にアウアーバッハスケラーを訪れ、日記に
「ギョオテ「ファウスト」FAUSTを譯するに漢字體を以てせば何如杯と語りあひ、巽軒は終に余に勧むるに此業を以てす。余も亦戯に之を諾す」
と記しています。
ドイツ滞在中に鴎外はヨーロッパの作家の作品を収集しました。ドレスデンでは「ファウスト」の舞台を見ています。
1913年に出版された鴎外のファウスト完訳は、日本では今でも高く評価されています。
森鴎外はその間に軍医総監の任を解かれ、文筆業に専念することができました。・・・以下略
切手は彼の業績を讃えて、1990年に発行されたもの。
日本でよく知られる言葉
「ギョオテとは俺のことかと・・・」は森鴎外から来た言葉なのでしょうか。
↑ ではなかったようです。 -
私たちも空いている席に座ります。
すぐさまウェイターがテーブルのろうそくを灯してくれます。
ワイン酒場ですからもちろんワインですね。
このなみなみと注がれたワイン、幸せだな~~。 -
お料理は大好きな「シュヴァイネブラーテン」。
これが美味しいのです。
付け合わせはクネーデルと紫キャベツの酢漬け、それにキノコのソテーです。 -
これは本日のお薦め料理でもありました。
14.9ユーロ、リーズナブルです。 -
アウアーバッハス・ケラーでいただいたワインも食事も大変満足致しました。
交易で栄えたライプツィヒの豪華な建物を鑑賞しながらホテルに帰ります。 -
またまた奇妙なこの像に出会いました。
手に手にバラバラなものを持ち、バラバラな形の台座に乗っている5つの裸の像。
何度も見ていますが何を表しているのかさっぱり理解できません。
5つと言えばオリンピック・・・、でもなさそうです。
何やら哲学的な意味合いがある彫像だとか・・・。 -
そうこうしているうちに紫色一色のホテルに着きました。
明日はワイマールへ遠出しますので早く休みます。 -
今日から6月です。
昨日はワイマールへ行ってきました。
朝起きてテレビを点けたら突然日本語の画面が現れビックリ。
じっくり見ている時間もありませんが、東日本大震災で頑張っている人々の話でした。
あえて被災した東北の町で結婚式を挙げたカップル話だったような。
あの大震災、いまだに世界の人々が気に掛けてくれているのですね。 -
今日はベルリンへ移動する日。
しかしまだライプツィヒを十分に観光していないし、出発を午後にしてそれまでライプツィヒ観光をいたします。
ホテルをチェックアウトして荷物を預かってもらい、観光地とは反対方向の駅へ向かいます。
チケットは昨日すったもんだして、ワイマールの駅でバリデートしてもらったジャーマンレイルパスがあるし、問題はないのですが、ちょっとだけ不安材料がありました。 -
最初は、ライプツィヒからベルリンまで1時間ちょっとだし、座席指定なんか必要ないだろう、と思っていました。
しかし待てよ?
昨日の5月31日は祝日(聖体拝受祭)でしたし、今日の金曜日を挟めば4連休になるのです。
きっと列車は混むと思うから座席指定をしておいた方がよさそうです。
と言うことで駅へやってきました。 -
ライプツィヒのライゼツェントルムに行き、番号札をとって順番を待ちます。
そして14:16分発のICEの座席指定が取れました。1人4.5ユーロ。 -
せっかく今日はジャーマンレイルパスを使う日なのだからSバーンで街中に出ることにします。たった一駅なのですけどね・・・(笑)。
ライプツィヒには何度か来ているけれど、Sバーンに乗るのは初めてです。地下にホームがあるのですね。 -
Sバーンのホームはあちら。
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東京の山手線の列車に似たグリーン色の車体。
山手線と違うところは、自転車も乗せられるところ。 -
早~っ!もう車掌さんの検札です(矢印)。
私たちは次の駅ですので、車掌さんの目の前で降りなければなりません。
ごめんなさい、決して不正乗車とかではありませんからね~。 -
そしてやってきたところはドイツ最古のカフェと言われる「カフェ・バウム」。
ここで朝食を摂るつもりでしたがまだ開いていません。 -
仕方がないのでマルクト広場に面したこのカフェに入りました。
-
がら空きの店内に入りました。
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凄い!
壁一面に書かれたメニューの数々。
キッチンの棚にはグラスがびっしり、二階席もあります。
今はまだガラガラだけどきっと昼間や夜は混むのでしょうね。 -
朝食セットを注文すると、まず香り高いコーヒー運ばれてきます。
パンも篭に山盛り。 -
それにフルーツたっぷりのこの豪華な朝食。
お皿が欠けていなければ高得点だったのにね(笑)。 -
朝食を終えて出るころにはこの賑わい。
建物の装飾も素晴らしい。 -
トーマス教会へやってきました。
ライプツィヒの人気教会ですから観光客もいっぱい。 -
トーマス教会の前には、ヨハン・セバスチャン・バッハの像。
-
前にツアーのガイドさんがこんな説明をしてくれました。
このバッハ像の上着のポケットが裏返っている(○印)のは「お金がない」とアピールしているんだとか。
またチョッキの上から2番目のボタンが外れている(○印)のはさっと楽譜をしまうためだとか。
子沢山のバッハの生活はそんなに豊かではなかったようです。 -
教会の中は、ワイン色と白のコントラストが美しい。
このパイプオルガンは、オルガン製作者ヴィルヘルム・ザウアーが1889年に制作した「ザウアーオルガン」。
通常のミサやコンサートに使われるそうです。 -
説教壇。
トーマス教会は、ヨハン・セバスチャン・バッハゆかりの場所、
世界的に有名なトーマス教会少年合唱団の活動拠点として知られています。 -
またバッハ関連があちこちで見つかります。
こちらは2000年に製作された「バッハ・オルガン」。
バッハが演奏した当時のオルガンは残っていないけど、バッハ没後250年を記念して、バッハ時代のオルガンを忠実に再現したオルガンだそう。
演奏会では、バッハの曲はこちらで演奏されるそうです。 -
主祭壇。
バッハは、1723年から1750年までトーマス教会音楽監督(トーマスカントル)を務めました。
バッハはここで少年たちの合唱指導にあたりながら、数々の傑作を書き上げています。 -
主祭壇の手前にはバッハの墓碑があります。
バッハはこのトーマス教会で眠っているのです。
第二次世界大戦によって、それまで安置してあった聖ヨハネ教会が破壊されたため、この教会に墓が移されたものだそう。 -
ステンドグラスの中にもバッハはいます。
光が入り過ぎてちょっと見難いですが・・・。 -
マルティンルターのステンドグラス。これも光のせいで顔はのっぺらぼう。
トーマス教会はプロテスタント・ルター派の教会です。
両脇の人物は、ルターの右手にはルターを擁護したザクセン選帝侯?。右はわかりません。 -
ルターは1539年の聖霊降臨日にこの教会で説教を行いました。
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こちらは、ライプチヒにとって重要なもう1人の音楽家メンデルスゾーン。
ライプツィヒに活動拠点を移したメンデルスゾーンは、バッハの曲「マタイ受難曲」を100年ぶりにここトーマース教会で再演しました。 -
教会の中を見学していると、突然オルガンの音色が響き渡りました。
驚いてその方向を見上げると、ザウアーオルガンの前には演奏者の姿が。
美しい教会の中で聴く荘厳なパイプオルガンの音色。
体中がぞーーっとするくらい感動しました。
しばし3人ともベンチに座って至福の時間を味わいました。 -
それではトーマス教会を後にします。
K氏がいつものように、私たちの感謝のしるしとして少しばかりの小銭を献金します。 -
外に出ると目の前にこんな像が。
何だと思いますか? -
実はバッハ像の背後です。
バッハオルガンを背負っているのですね。
ここから私はI女史、K氏と別れて別行動です。
お二人は初めてのライプツィヒなので、ゲヴァントハウスやオペラ座の方にも行きたいと。
私はいつもながらの暗い歴史の場所へ。
待ち合わせ場所を先ほどの「カフェ・バウム」と決めて別れました。
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この旅行記へのコメント (11)
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- ペコリーノさん 2020/04/10 22:00:49
- ライプツィヒの思い出と、将来の希望と
- frau.himmelさん、こんばんは
だいぶ前にライプツィヒの旅行記を拝見しておりましたが、なかなかコメントすることができず、週末になってしまいました。
私はもうかれこれ2月末からずっと在宅勤務の日々を過ごしております。その間、週に1度か2度は出社しておりましたが、現在のこの状況、仕事はかなり忙しくしておりまして、仕事の後に、自分のパソコンを開く気持ちにはなれない気持ちです。
通勤が仕事とプライベートの切り替えのスイッチになっていたのだと思います。
仕事があり、この時期、在宅でも忙しいのはありがたいことなのですが。
さて、私にとってはとても思い出深いライプツィヒ、アウアーバッハスケラーには行けず、ストライキで列車は走らず、という旅でした。
次回に行くのなら、と気持ちはあります。
実は、来年は長い休みが取れるので、今から楽しみにしているのですが、どうでしょうね。
丁度11年前の旅行の記録を見ましたら、その時は前年から春にかけて、「新型インフルエンザ」が」流行して、それがようやく夏前に収束して、私は6月にドイツに旅行していたことがわかりました。そんな風に、来年がうまくいくといいのですが。
なんだか自分のことだけ書いてしまいました。
世界を旅行できるって、本当に貴重なことだったんだな、と思います。
また、皆さんで旅の思い出を楽しめる時が来ることを願って、頑張りましょうね。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2020/04/11 21:57:44
- RE: ライプツィヒの思い出と、将来の希望と
- ペコリーノさん、こんばんは。
新型コロナウィルスで2月末から自宅勤務ですか。
大変な思いをしていらっしゃるのですね。
通常と異なった生活と言うのは気疲れしますよね。
会社の仕事が常に自宅にありチラチラしている状況の中で、日常のことをやる・・・。
どこまでが仕事でどこまでが日常か・・・、メリハリが付かなくて、返って疲れますね。
実は私も仕事を持ちこんでやっていますが、夜中に、あそこは間違っていた!ってガバッと起きてパソコンを広げてみたり、仕事が終わっていないのに他のことをやるのに罪悪感を感じたり、結局ダラダラと効率の悪いやり方を続けていました。
でも、この緊急事態がすぐに終わるとは思えませんし、臨機応変につきあっていくしかないですね。
前回のライプツィヒはペコリーノさんにとって試練の町でしたね。
あのストライキの中をよくベルリンへお帰りになりました。
それからあのザヴィエルの時の経験も凄かった。しかも一人ですからね。
ペコリーノさんはアクシデントをはね返す術をお持ちの方だと思います。
来年は長いお休みがとれるとのこと。
オリンピックも来年に延期されましたし、来年はどうにかなって欲しいですね。
長引いたら私など海外旅行に行くことができなくなってしまいます(泣)。
でもストライキといい、ザヴィエルといい、またインフルエンザのことと言い、ペコリーノさんは強い運をお持ちの方ですから何とかなるような気がします。私もペコリーノさんの強運に便乗させてください。
本当に本当に、一日でも早くコロナが終息して、世界中を旅行できる日が来るよう祈ります。
しばらくは外出もままならない日が続きますが、どうかお身体ご自愛ください。
himmel
- ペコリーノさん からの返信 2020/04/12 11:25:49
- RE: RE: ライプツィヒの思い出と、将来の希望と
- frau.himmelさん、こんにちは
> 実は私も仕事を持ちこんでやっていますが、夜中に、あそこは間違っていた!ってガバッと起きてパソコンを広げてみたり、仕事が終わっていないのに他のことをやるのに罪悪感を感じたり、結局ダラダラと効率の悪いやり方を続けていました。
> でも、この緊急事態がすぐに終わるとは思えませんし、臨機応変につきあっていくしかないですね。
なんだか、自分だけが被害者のような気分になっておりました。
皆さん、大変なのですよね。
こんな閉塞的な状況になると視野が狭くなるものだ、と自分に戒めます。
> でもストライキといい、ザヴィエルといい、またインフルエンザのことと言い、ペコリーノさんは強い運をお持ちの方ですから何とかなるような気がします。私もペコリーノさんの強運に便乗させてください。
私自身は、それほど運がいいとは思っていませんが、振り返ってからはそう思うことにしています。
トラブルに遭遇したら、とにかく、
「何とかする、何とかなる」
と言い聞かせて、目の前のことに何ができるのか、考えることにしています。
そう考えたら、今の状況もそうなのですが、まあ、とりあえず仕事を頑張っています。
世界を自由に旅行できる日を目指して、自分自身でもできることをやっていこうと思います。
ペコリーノ
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- mistralさん 2020/04/08 19:48:34
- 懐かしいライプツィヒ。
- himmelさん
こんばんは。
地球規模での危機!の昨今です。
地球を我が物顔で占有してきた人間に対しての警告のようにも思われます。
周りでは色々な事があって、先行きも不安だらけですが
いつの日か、あの折は大変だった、旅行どころではなかった、と懐かしむ
日が訪れると信じて、今この時を辛抱しつつ大切に生きたいと思います。
himmelさんのライプツィヒの旅行記、懐かしい思いで拝見しました。
通りにあった二種類の像の一つはお陰さまで解明しました。
通りを歩きながら、これはどんな意味かしら?と夫と話しつつ通り過ぎました。
夫は、この像のこと、どこかで読んだ記憶がある、何やらヒトラーに関係
していそう?と結局訳のわからないまま通りすぎたのでした。
もう一つの5人の像は不明のままで?
どなたかが、いつか解明して下さることでしょう。
アウアーバッハスケラー、トーマス教会で聞いたトマーナーの歌声など
今閉塞感一杯の時ですが、himmelさんの旅行記を読ませて頂きながら
同時に自身の旅を辿りつつ、しばしウィルスの事を忘れていました。
安心して大好きな地に飛び立っていける日まで、お互いになんとか健康で
過ごして参りましょう。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2020/04/09 20:27:19
- RE: 懐かしいライプツィヒ。
- mistralさん、こんばんは。
新型コロナウィルスの猛威は留まるところを知らず、大変なことになっていますね。
人間に対しての警告、そうかもしれませんね。
中世のヨーロッパではペストの大流行で、人口の3分の1とか半分とかが死亡したということもありましたし、歴史は繰り返されるって本当ですね。
あの時は大変だった、旅行どころではなかったと、懐かしく思える日が早く来ることを祈ります。
さて、いつもコメントありがとうございます。
こういう時期ですから旅行記を書く手も重くて、やっと書き上げたものでした。
手を突き上げている像は気になりますね。
今回の旅行記で見たのは2018年、その時は面白い像ね、なんて思ったくらいでしたが、昨年ポツダムで同じものを見て俄然気になり調べました。そして納得〜〜と。
もう一つは私の最も苦手とする哲学的なものらしくて・・・。
トーマス教会では有名なトマーナをお聞きになったなんて羨ましい。
なんてここまで書いて、前に拝見したとは思うけど、mistralさんはどんなライプツィヒを経験なさったのだったかしら、さっき再びご旅行記拝見して参りました。
深い旅をしていらっしゃいますね〜〜。
拝見しましたらあの2つの像も登場しているし、アウアーバッハスケラーやゲヴァントハウス、大学も。
ゲヴァントハウスではコンサートにも行っていらっしゃる・・・。
メンデルスゾーンの家も、バッハ博物館も、本当に精力的に見学されて、まことに充実したライプツィヒでしたね。
私たちのライプツィヒなんて、mistralさんの上っ面をなぞっただけみたい、やはり年齢の差を感じました(笑)。
これからいつまで続くかわからないこの苦難の道、お互いに健康には気を付けて毎日を過ごしましょう。
ありがとうございました。
himmel
-
- ハッピーねこさん 2020/04/07 22:19:22
- こんな時だからこそ、私は楽しみにさせていただきます。
- himmelさん、こんばんは。
ライプツィヒの町、やはり歴史があり趣きがあり素敵ですね。
トーマス教会のバッハさんの像、背中にオルガンを背負っていたなんて、全く気が付きませんでした!さすが、himmelさん、ご覧になられるところが違いますね!
私の住む福岡県も緊急事態宣言を受けました。
勤務先でもこれまでもいろいろと段階を踏んで指示が出ていましたが、今日はより詳細な通達がありました。
在宅勤務を基本とし、体温や体調の報告を毎日実施し、3密を守り・・・それらをより一層厳守する生活が始まります。
これからががんばりどころですよね。
辛い時期になりますが、お互いがんばりましょう。
そしてそんな時期だからこそ、ご旅行記楽しみにさせていただきますよ~!
かなり先になるかもしれませんが(そうならないでほしいですが)、また安心してドイツを旅することができる日が来ることを願いつつ、これまでの自分の旅も思い出しながら、himmelさんのご旅行記を拝見できるのはとても励みになります。
今を耐えればきっとまた・・・と活力にもなります。
いつものように楽しみながら、ご投稿を続けていただけましたらうれしいです。
でもまずは、himmelさんとご家族の皆様のご健康が最優先。
ただでさえ季節の変わり目で体調を崩す時期ですし、どうぞどうぞ、ご自愛のほど。
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2020/04/08 14:33:43
- RE: こんな時だからこそ、私は楽しみにさせていただきます。
- ハッピーねこさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
各地に非常事態宣言が出され、旅どころか外に出るのもままならない状況。
今朝はいつも通っているジムが1か月休業するとの知らせがありました。
一体これから何をやったらいいのか、どうなっていくのか、考えると暗〜く深いところに沈んでしまいそうになります。
そんな中ハッピーねこさんの力強いお言葉、大変励みになります。
旅行もいつかまた行けると思うから、自己満足の旅行記であれ書くのが楽しいのであって、その未来はあるのか、もうないのでは、なんて思うと空しくて書けませんね。
そうですね、暇がたくさんできた今、今まで書き残していた旅行の足跡の数々、ビックリするくらい残っていますので、徐々に徐々に手をつけて行こうと思います。自分の備忘録として。
ハッピーねこさんのお言葉でそんな気になりました。
私の方も、ハッピーねこさんの旅行記を拝見する楽しみもあと1篇になってしまいました。
こちらも古いものを掘り起こして拝見させていただきたいと思います。
本当に今はみんなが耐えるときですね。
眼前に迫ったドイツ旅行をキャンセルしなければならなかったハッピーねこさんは、楽しみにしていらっしただけにお辛かったですね。
またいつか、出来たら早い時期に、旅行ができるときがくると信じて、お互いに健康に注意して頑張りましょう。
himmel
-
- ベームさん 2020/04/07 20:50:15
- びっくりしました
- himmelさん、
いきなりライプチヒが出てきたのでびっくりしました。ご主人との旅行記から船頭三人組の旅行記に移っていたのですね。二つの旅行記を並行して作成するのは大変でしょう。記憶が混ざってしまいませんか。
アウアーバッハスケラーでの森鴎外の絵との邂逅、鴎外の「ファウスト」翻訳のいきさつなど、よくお調べになりましたね。
ブーヘンヴァルト強制収容所の写真、スルーしないで拝見しました。私は残酷なものが嫌で、ダッハウにも行ったことがないのです。歴史書で知るだけでよしとし、この目で見る勇気がありませんでした。しかし今回のhimmelさんの労作(写真だけでなくその説明も)だけはしっかりと読みました。
例年なら4月に入るとスギ花粉も終わり、冬眠から抜け出す頃ですが、明日からは緊急事態です。街歩きは当分お預けです。himmelさんも今年は海外は無理でしょうね。早く災いが去ってほしいものです。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2020/04/08 15:14:25
- RE: びっくりしました
- ベームさん、こんにちは。
ついに非常事態宣言が出され、旅どころか外に出るのも憚られる風潮になっております。
ベームさんにとっては、そろそろ花粉から解放されると喜んでいらっしたそんな時に、にっくき強力なコロナの来襲、全く嫌になりますね。
はい、シニア3人旅も夫との船頭二人旅もまだ終息していませんでした。
しばらくは交互に書いていきたいと思っています。
とは言え、旅行記もまだ旅行ができると思うから書くのが楽しいのであって、先が見えない今は書いていても空しくなるときがあります。でも早くアップしないと内容を忘れてしまいます。
森鴎外のファウストの翻訳のいきさつ、
バッハスケラーにあった写真を書き写しただけです。
でもファウストが日本に紹介されるきっかけになった出来事があそこにあったなんて驚きました。
井上哲次郎の名前はいつかベームさんの国内旅行記で拝見して覚えておりました。
そして「ギョオテとは俺のことかと・・・」の言葉もここから出たのかと自分勝手にそう想像したのですが、違うかも知れません。
ベームさんのライプツィヒの旅行記、さきほど拝見させていただきました。
その時書き忘れたことがありました。
ベームさんはモーリッツバスタイにも行ってらっしゃるのですね。
2013年の私の旅行記に、この4トラでは取り上げられていない、なんて大きなことを書いておりましたが、恥ずかしい〜〜。
コロナが終息して再び旅ができるのはいつになるのか、たぶんしばらくは長い長いトンネルの中から抜け出せそうにないと思います。
その時私たちに旅をするチャンスが残されているのか・・・、考えても仕方がない。
まずはコロナに打ち克って健康な体でいることが先決ですね。
お互いに健康に留意して頑張りましょう。
himmel
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- norisaさん 2020/04/06 13:44:37
- 今や夢のーー
- frau himmelさん
こんにちは。
まさに三密を守って静かに生きております(笑)
ザウアーオルガンにステキなステンドグラス。
この雰囲気の中でぼっーとしていたらさぞや幸せなことでしょう!
しかし、今回ご紹介頂いたような名所、いつか訪れて見たいとは思うのですが、今のコロナウイルス感染騒ぎで世界中大変な状況。
仮に収束しても数年は世界各地に残存するので安心できないとの専門家のお話もあります。
海外旅行は3,4年はあきらめざるを得ない状況、本当に残念ですーー。
ではくれぐれもご自愛くださいますよう!
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2020/04/06 20:34:24
- RE: 今や夢のーー
- norisaさん、こんばんは。
>まさに三密を守って静かに生きております(笑)
行動的なご夫妻のことですからお辛いことでしょうねぇ〜。
えっ、そうなのですか!?
3,4年は海外旅行は諦めなければならない!!!
それではもう私に次回のチャンスはないにも等しい(大泣き)。
でもなんだかそんな感じはしていました。長引くんだろうな〜と。
数年は残存するのですね。
本当に大変なウィルスですね。
どうしてこんなことになったのか?、考えてもしようがない。
私も三密を守って、せめて罹らないように気を付けなければと思います。本人も悲劇、周りも悲劇ですものね。
こんな時はnorisaさんの美しい花や山の、自然の旅行記がまた見たいです。
himmel
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