2018/05/31 - 2018/05/31
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frau.himmelさん
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ブーヘンヴァルト強制収容所を後にして、世界遺産に登録されているワイマールの市内観光をいたします。
重たい旅行記が2篇続きましたので、次は軽く行きましょう。コメントも軽やかに(単に中身がないというだけです・笑)。
ワイマールとは・・・
神聖ローマ帝国時代のワイマールはザクセン・ワイマール公国の首都でした。
ゲーテは1775年26歳のときに、時のカール・アウグスト公に招聘されワイマールにやってきました。そして、1782年33歳で宰相に任命され、1832年に没するまで50年にわたりワイマールで活躍しました。
ワイマールのもう一つの顔・・。
1919年第1次世界大戦で敗れドイツ帝国が崩壊した後、ここワイマールで「ワイマール憲法」が制定され、「ワイマール共和国」と呼ばれていました。
それは1933年にヒトラーが台頭し、ナチスの第三帝国が出現するまで続きました。そして、ドイツやヨーロッパのみならず全世界を巻き込んだ暗黒の時代へと突入するのです。
「古典主義の都」として世界遺産に登録されているワイマール、優雅に街歩きをして軽やかに旅行記を仕上げるつもりでしたが、やはり重たくなってしまいましたね。私の性分です。
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ブーヘンヴァルト強制収容所バス停から6番のバスに乗り、ゲーテ広場で降ります。
街の中心に出るにはここが便利なのです。
(赤線参照) -
ゲーテ広場からブラブラ歩いてマルクト広場へ。
広場でひときわ目を引くのは市庁舎。
時計台の上のマイセン焼きのカリヨンは1日4回演奏されます。
そして市庁舎の前には小さな屋台がいくつも・・・。 -
目の前ににゅ~~っと立ちふさがった看板。
美味しそうなチューリンガーソーセージでした。 -
ルネッサンス様式の鮮やかな館は、画家ルーカス・クラナッハの家です。
彼はルターの街ヴィッテンベルクからこちらに移り住みました。 -
そしてこの地で最後を迎えました。
建物の正面に碑文があります。
「この家に、ルーカス・クラナッハは1552年から亡くなる1553年10月16日まで住んだ」
クラナッハは宗教改革者のマルティン・ルターの親友で、彼の絵のほとんどはクラナッハの作だと言われています。 -
マルクト広場。
ルーカス・クラナッハのお隣には美しい緑色の建物。ここに観光案内所が入っています。
世界遺産の街を馬車に揺られて優雅に観光、いいですね~。 -
お腹が空きました~。私たちは優雅より食い気が先です。
ここでお昼にします。
ワイマールの有名レストラン「シュヴァルツェン・ベーレン」、日本語で「黒くま亭」。
私は何度もワイマールに来ているのにまだここには入ったことがなかった。 -
外のテラス席もいいけど、店内の雰囲気を見たいので中にはいります。
中には誰もいない、私たちだけの貸し切りです。 -
やはり素敵ですね、歴史を感じます。
ここはワイマールで最古のレストランです。 -
壁にも古い歴史的な写真が所狭しと掛けてあります。
こんなの見たらじっとしておれない私、一つ一つ写真に撮って、帰ってからじっくり検証してみたい・・・。
でも今日は止めておきます。軽やかに、とさっき宣言したばかり。 -
1枚だけ!
この人はフランツ・リストですよね?
晩年のリストの写真のようです。
リストが住んだ家がワイマールの郊外にありました。
私は観光案内所の街歩きツアーで2回行っております。 -
ウェイターさんがメニューを持ってきました。
立派な装丁です。創業は1540年ですって。
やっぱりシュパーゲルですね。
そのためにこの時期に合わせてドイツに来たのですから。
特にI女史の強いリクエストで。
老舗だからある程度の金額は覚悟していましたが、あら意外とリーズナブル。 -
飲み物はラードラー。
喉がカラカラに渇いています。
こんな時の定番です。 -
お料理が出てきました。
シュパーゲルはドイツでは今回初めて。ウィーンのカフェ・ムゼウムで1度いただいたきりです。
それに先ほど広場で見た看板、チューリンゲン地方の名物チュリンガー焼きソーセージとの盛り合わせ。
タップリのポテトサラダが付いています。
これで13.5ユーロでした。感激! -
大変おいしゅうございました。
「黒くま亭」を後にします。 -
「黒くま亭」のお隣は、これも有名なホテル・エレファント。
有名人が大勢宿泊した老舗ホテルです。
メンデルスゾーンやバッハ、リスト、ワーグナーなども泊まりました。
今日はなんだかひっそりしていますね。 -
バルコニーにはエレファントが金づちを持って、
「秋まで改修でお休みだよ~」と休業を告げています。
だからね。
また重たい話になりますが、1919年にワイマール憲法が制定されてからあのアドルフ・ヒトラーはワイマール共和国となったワイマールを度々訪れていました。
その際にはホテル・エレファントを定宿にし、党本部として使っていました。 -
ワイマール憲法制定からわずか7年後の1926年、ナチスの第二回党大会がワイマールで開かれました。第一回党大会はニュルンベルクでした。
そのころはまだナチスは弱小政党でしたが、3500人の突撃隊が行進して党をアピールしました。
マルクト広場での行進をヒトラーはこのバルコニーで謁見し、このバルコニーで演説を行ったそうです。
○印がバルコニー。(2013年の写真です) -
そのバルコニーの上に書かれている文字・・・
「Hier bin ich Mensch, hier darf ich's sein.」
ゲーテのファウストの一節です。
またこのホテルをモデルに、トーマンマンがゲーテの「若きウェルテルの悩み」のその後編、「ワイマールのシャルロッテ」を書いています。 -
童話作家アンデルセンも1844年、ここに滞在したそうです。
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ここにも銘碑が。
ここに建っていた家はヨハン・セヴァスティアン・バッハが1708年から1717年に住んでいました。
そしてバッハの2人の息子はこの家で生まれました。 -
近くにバッハの胸像がありました。
バッハが住んでいた家は第二次世界大戦で破壊されて今はありません。
逆光で顔がほとんど見えません(泣)。 -
この建物は、ヨハン・セヴァスティアン・バッハの雇い主、ヨハン・エルンスト3世の居城でした。
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この騎馬像の主は、ザクセン・ヴァイマール公国時代、ここを統治していた「カール・アウグスト公(1757-1828)」。
ゲーテを宰相に任命した人です。 -
カール・アウグスト公騎馬像の後ろの建物は、現在はフランツ・リスト音楽院になっています。1872年に音楽学校として開校しました。
リストは、カール・フリードリヒ大公から招聘され、36歳からの10年間、ワイマールの宮廷楽長として仕えました。 -
カール・アウグスト騎馬像の左側にはアンナ・アマーリア図書館(矢印がみえますか)。ゲーテが館長を務めました。
アンナ・アマーリアはカール・アウグスト公の母親。
幼くして公位を引き継いだアウグスト公に代わり、彼女が摂政となり公国を統治しました。 -
アンナ・アマーリア図書館の近くにあった噴水。二人の若者が建っている古典的な優雅な噴水です。
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おばさまが写真を撮ってるところはゲーテハウスの入り口。
その上には世界遺産のマーク。
ワイマールはゲーテやシラーを中心として花開いた「古典主義の都」として世界遺産に登録されています。 -
ゲーテの家。
文豪ゲーテが1782年から1832年に亡くなるまで50年間住んだ家です。
現在ゲーテ博物館として一般に公開されています。
「もっと光を!」と言って息を引き取った部屋や、彼の書斎などが残っています。 -
ゲーテハウスの近くにシュタイン夫人の館がありました。これは2013年の写真です。
ゲーテはカール・アウグスト公からワイマールに招聘されると、ほどなくしてシュタイン男爵夫人であるシャルロッテ・フォン・シュタインと親しくなります。
その関係はゲーテがイタリアに旅をするまで10年続きました。
またゲーテは恋多き人で80歳になっても17歳の少女に恋をしていました。 -
次に向った場所はヘルダー教会。
2013年に訪れた時は教会が工事中で、有名な祭壇画は見ることはできませんでした。リベンジです。
教会の正式名称は「聖ペーターパウル市教会」ですが、この教会に眠っているヨハン・ゴットフリート・ヘルダーにちなんでヘルダー教会と呼ばれています。
教会内にはヘルダーの墓や、代々のワイマール公国の墓碑、アンナ・アマーリアの墓碑などがあります。 -
ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744-1803)
ドイツの哲学者・文学者、詩人、神学者です。
1776年、当時宮廷顧問としてカール・アウグストに仕えていた若きゲーテの尽力でワイマールにやってきました。そして、神学を研究し、牧師としてこの教会に27年務めました。
ゲーテの文学指導の師でもありました。 -
中に入ります。
美しい内部です。
2013年に訪れた時は工事中で、祭壇や大事なものはカバーが掛けられていました。 -
そうそう、これが見たかった。
ルーカス・クラーナッハ親子合作の祭壇画。
この祭壇画はクラーナハ(父)が手がけ、没後、クラーナッハ(子)が仕上げました。
中央に十字架のキリスト、キリストの右には手前からマルティン・ルター、ルーカス・クラナッハ自身、洗礼者ヨハネが描かれています。 -
私の写真はピンボケなので教会内に展示してあったパネルで詳しく見て参ります。これでもよく見えませんが・・・。
キリストの脇腹の傷からほとばしる血はルターの頭上に降りかかっています。(血の軌跡、赤い線は私が入れました。)
また画面の左側の子羊の後ろで妖怪(悪魔)と戦っているのは、復活したキリストが悪と戦い勝利した場面とか。
そして左翼で祈りを捧げている二人は、ザクセン選帝侯のヨハン・フリードリヒと妻ジビレ妃。
右翼の三人は、ヨハン・フリードリヒとジビーレの子供たち。
ヨハン・フリードリヒ2世(左)とヨハン・ヴィルヘルム(中央)およびヨハン・フリードリヒ3世。 -
ジビーレで思い出すのは城美術館に展示されていたこの絵画(2013年写真)。
クラナッハ作、「ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒと、シビーレ・フォン・クレーベ姫の肖像」。
美しいジビーレ妃、いえこの時はまだクレーベ姫。
ジビーレはこのとき14歳だったそうです。なんて魅力的な目なんでしょう。
それにフリードリヒ公もこのころはまだ若くて痩せていましたね。その後は動くのも大儀なほど太りました。 -
「3人のマルティン・ルターの肖像画」。
この肖像画は3人のルターが描かれています。
真ん中のルターを挟んで、修道士時代の若きルター、そしてヴァルトブルク城に匿われていたころの偽名「ユンカー・イェルク」。
マルティン・ルターとルーカス・クラナッハが親友だったことは有名です。
またザクセン選帝侯フリードリヒはマルティン・ルターの熱心な信奉者。クラナッハも後年、ワイマールに住み、そこで没しています。
三つ巴で持ちつ持たれつの関係でした。 -
クラナッハの祭壇を囲むように建っている豪華な祭壇、これもワイマール大公家のどなたかの碑と思われます。
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美しいパイプオルガン、豪華な紋章。
18世紀にバロック様式に改築された内部。 -
そして私のテーマの説教壇。
真っ白な美しい空間の中で、心地よい充実した時間を過ごすことができました。 -
教会を出て、最後にもう一か所ワイマールで重要な場所へ向かいます。
母親と二人の子供との美しい噴水。 -
ヴィトゥムス宮殿。
ここにも世界遺産のマークが。
下の写真は2013年のもの。
カール・アウグストの母親アンナ・アマリア王女が夫の没後にここに移り住み、ゲーテ、へルダー、シラーなど著名な文化人を招いてサロンを開きました。
多くの文化人がここに集い、ドイツ古典主義文化の花が開きました。
ワイマールが古典主義の都として世界遺産に登録されたのは、彼女の功績が大きかった。 -
バウハウス博物館
ヴァルター・グロビウスによって1919年に創設された芸術造詣学校バウハウス。
近代デザイン史を語るのに欠かせない存在で、展示品の数々が納められた博物館となっています。
郊外のリストの家の近くには「バウハウス大学」もあり、内部を見学できます。 -
今回は写真に撮っていませんが、ついでに「シラーの家」。(2013年写真)
ゲーテの招きでワイマールにやってきたシラーは、1802年から1805年に没するまでの3年間ここに住みました。
この家で、有名な「ウィリアムテル」や「メッシーナの許婚」が生み出されました。 -
ここがワイマールで一番有名な劇場広場です。
ゲーテとシラーの像の後ろの建物は国民劇場。
国民劇場は、ゲーテの「ファウスト」やシラーの「ウィリアム・テル」が初演され、さらに後年にはフランツ・リストやリヒャルト・シュトラウスが音楽監督を務めて、リヒャルト・ヴァーグナーの「ローエングリン」などが初演されたという歴史ある劇場です。 -
ゲーテとシラーの像の前には記念撮影の順番待ちができています。
ゲーテの像は他で今まで見たゲーテ像より背が高く見えませんか?
実際はもっと背が低かったのですが、ハンサムなシラーと釣り合いを取るためにかなり嵩上げされたようです。今で言う忖度ですね(笑)。 -
劇場の両脇に黒い碑文がいくつか見えます。
1919年ここで「ヴァイマール憲法」が制定され、以後ドイツは、「ヴァイマール共和国」と呼ばれるようになりました。
そのワイマール憲法が制定されたのがここ国民劇場。
そして、そのワイマール共和国は1933年1月にヒトラーが首相に就任し、ヒトラー内閣が成立した時点で終了し、その後第三帝国として暗黒の世界に突入することになるのです。
右側の碑は、政治家で詩人のヨハネス・ベッヒャーと、小説家のトーマス・マン(1929ノーベル文学賞)が、ナチス政権後アメリカなどに亡命したことが記されています。 -
エルンスト・クリスティアン・アウグスト・フォン・ゲルスドルフ(1781-1852)の館。
この家に、ゲーテが宰相時代の外交官エルンスト・クリスティアン・アウグスト・フォン・ゲルスドルフが住んでいました。
彼は老齢のゲーテの代わりにウィーン会議に出席して素晴らしい功績を残した。それまでワイマールは公国だったのが彼の働きで大公国に昇格しました。
この家の近くからバスに乗ります。 -
ゲーテプラッツからバスに乗ってワイマール駅に向かいます。
ところが駅と反対側に走っているような気がする。
隣に座っているおば様に「このバス、駅に行くの?」って聞いたら、大きな声で「Falsch!(まちがい!)」と。
次の停留所で降りて引き返し、橋を渡るとバス停があるから、そこから1番のバスに乗りなさい、と。 -
そのおばさま、簡単に言うので近いのかと思ったら、それが遠いのなんのって!
朝からブーヘンヴァルト強制収容所をさんざん歩き回り、その後市内をあちこち観光して、もう疲れて死にそう!(笑)
私にとっては、まさに「死の行進」。 -
やっとバス停にたどり着き、バスに乗って駅に到着。
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駅前のホテル、カイザリン・アウグスタ。2007年に夫と訪れた時、ここに泊まったことがあります。懐かしい~~。
さて、次のライプツィヒ行きのREの出発まで50分ほどの待ち時間。
帰りにライプツィヒ駅でやろうと思っていたけど、時間短縮のためにここでジャーマンレイルパスのバリデートをしておきましょう。 -
ワイマール駅のライゼツェントルムに入る。
女性係員に、ジャーマンレイルパスのバリデートをしていただけますか?と聞いたら、「何それ!?」って感じ。
現物を見せるも、初めて見たという感じで裏表ひっくり返してフーンフーンなるほど・・・とじっくり見ている。
この人大丈夫かいな、返してもらってライプツィヒ駅でやってもらった方がよさそう、と思っていたら、
「で、今日から?」と聞く。
あら解っているのね、「明日からお願いします」と答える。 -
あ、そう。
と言いながら明日の日付と1か月後の日付を書き込む。
そして裏面にバーンとスタンプを押す。
あ~~よかった、理解したのね。
じゃあとパスポートをと3人分まとめて差し出す。
すると信じられない言葉が。「カインプルブレム!」(心配ないわ)。
えっ~~~!パスポートを提示しないでジャーマンレイルパスのバリデートをしてもらったことは今まで一度もない。
結構いるんですよね、ジャーマンレイルパスのことを知らない駅員さんが。それだけ認知度は低いっていうか・・・。
でもこれで明日のベルリン行はOKです。 -
ワイマール駅構内では、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アレクサンダー公(1818-1901)の生誕200年の記念歴史展示が開催されていました。
カール・アレクサンダー公はカール・アウグストの2代後の大公、孫にあたります。 -
200年記念にちなんでワイマールの見どころも展示してありましたので、復習のつもりで見ていきます。
上左:カール・アウグストの騎馬像、後ろはフランツ・リスト音楽学校、上右:城博物館
下左:ゲーテの家
下左:劇場広場のゲーテとシラー像。 -
ライプツィヒ行きのREはほぼ定刻通りにやってきたが、途中各駅で長いこと停車する。
-
アポルダ駅付近から徐行運転、停車と繰り返す。
列車は遅れを伸ばしながら走る。
「アポルダ」と言ったら、反射的に出てくる言葉「アポルダの鐘」。 -
懐かしい、ナウムブルク付近。
-
ライプツィヒには一時間遅れで到着。
三人とも疲れてしまって街中に出て食事する元気なし。
駅の構内で食料と飲み物を調達して、各自部屋食とする。
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この旅行記へのコメント (5)
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- ハッピーねこさん 2020/03/22 16:03:11
- やはり素敵な町ですね。
- himmelさん、こんにちは。
2018年のワイマール記にお邪魔しました。
小さいながら、品があって洗練されていて、やはり素敵な町ですね。
なつかしく楽しく拝見しました。
以前訪ねた際は町の中心を見たのみでしたので、いつか再訪してちょっと町はずれの大公家の墓所やゲーテの山荘など訪ねたいと思っています。
「黒熊ホテル」でのお食事、うらやましいです。
私は時間がなく、マルクト広場の屋台でソーセージをいただいたのみでしたので。
シュパーゲルとソーセージという組み合わせ、初めて拝見しました。
どちらも美味しいので間違いのないペアリングですね。
あ~、次にシュパーゲルがいただけるのはいつになることか・・・(とブツブツ)。
ライプツィヒに戻られて、翌日はいかが過ごされたのでしょう。
楽しみにさせていただきます。
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2020/03/22 20:50:44
- Re: やはり素敵な町ですね。
- ハッピーねこさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
やっぱり今年のご旅行はおやめになったのですね。本当に悔しいですね。
そうですよね、シュパーゲルの季節は決まっていますから、次はいついただけるのか?
ハッピーねこさんは昨年食べていらっしゃいますが、私は昨年の旅行は秋でしたから、もう長いこと(2年も)シュパーゲルに見放されています。
次はいつになるのか・・・(絶望的)。
チューリンガーソーセージ、あの長い焼きソーセージ、ほんとに美味しいですね。コーブルかどこかの屋台で、あれをパンにはさんでもらって、はみ出たソーセージの方からパクリと!
あ~~思い出します。
はい、次はライプツィヒです。
プラハからライプツィヒに着いて、夜は「あそこ」に行ったところから書き始めます。また見てください。
コロナが猛威を振るっています。ご自愛をほどを。
himmel
- ハッピーねこさん からの返信 2020/03/22 23:07:10
- そうですよね〜!
- こんばんは。
そうですよね、ライプツィヒに到着されて、「あそこ」に行かれたところがまだだな〜と気になっておりました。
楽しみにしております♪
依然終息の見えないコロナ。
今はヨーロッパからの帰国の方の感染者が日々報道されており、欧州の大変な状況が感じられますね。
ドイツでも軒並みお店の営業は制限され、スーパーも棚がガラガラだそうですね。
早くいつもの状態に戻って、春にはシュパーゲルを美味しくいただき、スーパーやドラッグストアで買い物が楽しめるドイツをまた訪ねたいものですね。
himmelさんもくれぐれもご自愛のほど。
ハッピーねこ
-
- norisaさん 2020/03/22 13:46:54
- ワイマール共和国
- frau .himmelさん
こんにちは。
世界中がコロナウイルス感染騒ぎで大変ですが、このご旅行記の時期ならおくびにも出ていなかった頃ですね!
ホント!今は論外です。
さて、ワイマール共和国!懐かしい響きです。
あまり得意ではなかった世界史で学びましたが、つかの間の平和で民主的な時代だったんですね。
黒熊亭?なるほどドイツ語の方が響きが良いですが、何とも歴史豊かなレストランですね。
ビールもお料理もおいしそうですね。
ゲーテの生家があるとは知りませんでしたが、80歳で10代の女性に恋したことは知っています(笑)
芸術家はこのくらい情熱がないと、とてもではありませんが名作を数多く残すことはできませんね。
シラーとの銅像、忖度はドイツにもあるのですね(笑)
まだまだ広がるコロナウイルス感染騒ぎですが、どうぞご自愛ください!
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2020/03/22 20:31:11
- Re: ワイマール共和国
- norisaさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
ホント、コロナウィルスは世界中に蔓延して留まるところを知りませんね。ドイツでも大勢の感染者が出ていますし、これからどうなるのやら。
この旅行の時は、2年後にそんなことが起きるなんて夢にも思っていませんでしたね。
noriaさんも今回の件では今年のご旅行を取りやめになさったのでしょう?
ほんと、にっくきc国。(私も同じ考えです)。
ワイマール共和国は、帝国と帝国との間のつかの間の共和国でした。難しくて私にはよくわからないのですが、あの時代にはそれも長くは育たなかったのですね。
なぜだか、「悪魔がきたリて笛を吹く」って言葉を思い出します。古い!(笑)。
ワイマールの家はゲーテが気に入って50年住んだところです。
その近くに愛人の家があり、また80歳過ぎても10代の女性に恋を!?
いつまでもお若いですね、ゲーテさん。って声をかけたくなります。
コロナウィルスもこれからもっとひどくなるとか。
何よりも罹らないように気を付けなければと思います。齢が齢ですから、致死率は高いので(笑)。
ありがとうございました。
himmel
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