2018/06/01 - 2018/06/01
21位(同エリア257件中)
frau.himmelさん
- frau.himmelさんTOP
- 旅行記596冊
- クチコミ0件
- Q&A回答19件
- 1,070,018アクセス
- フォロワー151人
トーマス教会を見学した後は別行動です。
K氏I女史はオペラ座・ゲヴァントハウスの方へ。
私は、私の旅のテーマであるドイツの現代史探訪。今回は旧国家保安省記念館、つまりシュタージのライプツィヒ支部を訪れました。
シュタージと言えば旧東ドイツ国民に恐れられていた秘密警察・諜報機関です。
私はベルリンでもシュタージ博物館とシュタージ刑務所を見ております。
どちらも見学して背筋が寒くなる場所でした。
2013(32) ベルリン滞在 ☆恐怖のシュタージ刑務所 ホーエンシェーンハウゼン
https://4travel.jp/travelogue/10831369
2012(42) ベルリン歴史探訪 ☆ポツダム広場 & 旧東ドイツ秘密警察(シュタージ)博物館
https://4travel.jp/travelogue/10746388
世界最大の秘密警察国家だった旧東ドイツにはシュタージの正職員の数は1989年には9万1千人いたそうです。これは東ドイツ市民180人に一人が秘密警察職員だったことを意味します。またシュタージに情報を流していた非公式職員が延べ60万人。何と東ドイツ人口の1割以上が秘密警察関係者という驚くべき国家だったのです。
その国家体制が崩壊するきっかけとなったのが、ライプツィヒ市民の平和革命、月曜デモでした。
その後、シニア3人で合流してコーヒー博物館「カフェ・バウム」を訪れました。
注)コーヒー博物館としても利用されていたドイツで最古のコーヒーハウス「カフェ・バウム」は、2018年12月から閉店しているようです。開店はいつになるのか、それともこのまま閉めてしまうのか不明だそうです。
予定していらっしゃる方はお気を付けください。
-
トーマス教会のバッハ像の前で別れて、私は北へ、K氏I女史は東へと向かいます。
-
トーマス教会の正面入り口から見えるところにこの像がありました。
作曲家フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809~1847)の像です。
メンデルスゾーンとライプチヒは強い繋がりがあります。
彼は1835年から1847年までゲヴァントハウス管弦楽団の楽長を務め、1843年にはドイツ初の音楽院を創設しました。
そして、当時忘れ去られていたバッハの「マタイ受難曲」を蘇らせたのもメンデルスゾーンでした。 -
この像は、1892年に当時のゲヴァントハウス・コンサートホール前に建立されたものでしたが、ナチスドイツ時代にメンデルスゾーンの家系がユダヤ系ということを理由に撤去・破壊されたそうです。
そして東西ドイツ再統一後の2008年に、トーマス教会前に新たに復元されました。
この場所が選ばれたのには理由があります。 -
メンデルスゾーンの像が見つめる先にはヨハン・セバスチャン・バッハの胸像があります。
このバッハ像こそが、尊敬してやまないバッハのために、メンデルスゾーンが基金を募り寄贈したものでした。(2008年の写真) -
緑地をさらに進むと「メルヒェンの泉」。
グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」がモチーフです。 -
ヘンゼルとグレーテルって覚えていますか?
口減らしのために、森の中に置き去りにされたヘンゼルとグレーテルの兄妹は、道に迷ってお菓子の家を見つけるのでしたね。しかしそれは魔女が二人を太らせて食べるための餌だったのです。
物語の場面が描かれています。噴水の上の顔は魔女でしょうか。 -
さらに進むと「ベルリンの壁」。
いよいよ目的地に近づいてきました。 -
探していたのはここでした。
「シュタージ博物館」。
「ルンデン・エッケ」と呼ばれています。 -
ルンデン・エッケとは「丸い角」のこと。この場所の形状です。
ここに東ドイツの国家保安省ライプツィヒ支部が置かれていました。
1950年から1989年に壁が崩壊するまで約40年間にわたって、このルンデン・エッケはライプツィヒ市民を監視し続けました。 -
世界最大の秘密警察国家だった東ドイツ、その監視も熾烈を極め、国民には脅威の存在でした。
博物館では様々な展示品でその歴史を知ることができます。 -
では中に入ります。
シュタージと言えば、私はベルリンで2012年にシュタージ博物館を、2013年にシュタージ刑務所を見学しております。
当時の東ドイツの監視体制、諜報活動、密告システムなど、いずれも想像を絶する恐怖の内容でした。 -
残念ながら館内撮影禁止。
ベルリンでは全て撮影OKだったのにここは厳しいですね。
写真がないと何も覚えていない私。
入り口の周りは撮影してもいいようです。歴史の写真がずらりと展示してありましたので、せめてこれだけでも。 -
ここにあるのは「Friedlichen Revolution」、つまりライプツィヒが発端となった「平和革命」の展示ばかりです。
ニコライ教会などでも軽く説明しましたが、いい機会なのでもう一度勉強したいと思います。
1989年の夏ごろから、東ドイツ政府の腐敗と厳しい締め付けに絶望した人々が、西ドイツに流れ込む現象が拡大しました。プラハやワルシャワの西ドイツ大使館には、亡命希望の東ドイツの人々が殺到しました。
8月19日、ハンガリー国境ショプロンでは「汎ヨーロッパピクニック」という名目で多くの東ドイツ市民が脱出に成功しました。 -
近隣諸国との足並みがそろわなくなった東ドイツ政府、
それに乗じるかように「出発89」と題する「新フォーラム」などいくつもの市民運動グループが発足し、社会主義統一党(SED)を脅かし始めた。 -
ライプツィヒのニコライ教会では、毎週月曜日に「平和の祈り」のミサが行われていました。
その後に、東ドイツの民主化を求めて行進する「月曜デモ」へと発展していきました。そして参加者は日を追うごとに膨れ上がっていきました。
9月4日の月曜デモの様子は、西側メディアが取材している中で行われ世界中に配信されました。
9月25日には8000人もの人数に膨れ上がったデモ隊が、市内を行進しました。
DDR国家保安省は、暴力的に鎮圧し、参加者を逮捕しました。 -
1989年10月7日、ホーネッカー率いる東ドイツ指導部は権力を誇示するように、DDR40周年記念式典を実施しました。
しかしこれがDDR最後の記念式典でした。
○印、40周年式典でのホーネッカー書記長。
式典の2日後の1989年10月9日、ライプツィヒでは7万人を集めた月曜デモがニコライ教会前を出発しました。 -
「Wir sind das Volk!」我々こそが国民だ!というスローガンを口々に叫びながら。
ホーネッカーやエーリッヒ・ミールケは武力での制圧を予定していました。
しかし駐独ソ連軍は全く動こうとはせず、また治安部隊もなすすべがなかった。 -
その陰には、ゲヴァントハウスのカペルマイスターであるクルト・マズーア氏の「対話で解決を」という呼び掛けがありました。
また、写真を見ていただければお分かりのように、参加者はみな手に手にロウソクを持って行進しています。
手がふさがっているので、暴力行為はできません。
こうしてデモ隊と治安部隊の衝突は避けられ、無暴力でのデモ行進となったのです。
社会主義体制下の冷酷なシュタージのことを考えれば本当に奇跡でした。
このことは「ライプツィヒの奇跡」と呼ばれています。
(写真は2009年撮影) -
10月18日にはホーネッカーの辞職。
そして11月4日、ベルリンアレキサンダー広場で行われた50万人のデモ。
11月7日、8日にはDDR閣僚の総辞職、SED政治局全員の辞職と続き、
11月9日には・・・。 -
11月9日には勘違い男のギュンター・シャボウスキー政治局広報官の登場で、ベルリンの壁が開かれるのです。
https://4travel.jp/travelogue/11147208
まさかの勘違いでベルリンの壁が最初に開いた場所~ボルンホルム通り検問所~
写真はユーチューブから。 -
おまけ
ビルの壁一面に描かれていた「平和革命デモ」の様子。
「Wir sind das Volk!」はもちろん「自由選挙」「報道の自由」「無暴力」「新フォーラム」「壁の撤去」などのプラカード。
東ドイツ国民の活動は壁の崩壊をもって終わったわけではありません。
旧シュタージの職員が大量の書類を廃棄して証拠隠滅を図っていると知った市民グループは、各地でシュタージを占拠して保全に務め、文書の開示を求めました。 -
それでは階段を上って展示物を見学します。
あれ、おかしい、写真を撮っている人がいる。それも複数人。
では私も。
これはシュタージの旗。MfS旗 -
ここはたぶん上級職員の執務室。
棚にびっしりと積み上げられた個人情報、それにホーネッカーの写真。
内部の写真はこの2枚に留めておきます。
ベルリンでシュタージ博物館と刑務所の見学をしてたので、同じようなものもたくさんありましたが、ちょっと興味を持ったものがありました。
DDRの国民の郵便物は全てチェックされ、元のように封をして素知らぬ顔で配達されていたということです。中身を見た形跡が残らないように元通りにする機械がありました。
手紙の中身まですべて監視されていたのですね。
その他いろいろ興味深い展示物もあったのですが、悲しきかな、写真がないと思いだしません(泣)。 -
写真を見て旅行記を書きながら、この写真を見て気が付いた。
絵だけパッと見て撮影禁止だと思ったけど、下の方の小さい字を読むと、事務所に申し出れば撮影可能みたいなことが書いてあります。
しまった~、写真撮りたかった~。 -
ルンデン・エッケをもう一度振り返ります。
東ドイツ国民の行動や発言を監視し、密告者社会をつくりあげていったシュタージ、東西ドイツ統一後、信じていた人が密告者だったということで離婚に追いこまれた夫婦、また長年の友情が破綻した人など悲惨な現実も待っていました。
では、お二人との待ち合わせ場所に向かいます。 -
そのころ、K氏・I女史はまずニコライ教会の中に入ります。
一昨日この前を通った時は、アウアーバッハス・ケラーに急いでいたので中には入りませんでしたからね。
ライプツィヒ最古の歴史的なこの教会で毎週月曜日に「平和の祈り」が行われていました。
祈りの集会が終わった後、市内へのデモ行進へと繋がり、それは「月曜デモ」と呼ばれ、ベルリンの壁崩壊の端緒となりました。 -
内部は白を基調とした豪華な装飾です。
シュロの木をかたどった列柱が昔から諸外国との交易で栄えたライプツィヒらしく、エキゾチックで素敵です。 -
6800本以上のパイプと5段の鍵盤を持つパイプオルガンは、ザクセン州で最大のものだとか。
バッハはこのニコライ教会でも礼拝の際にオルガンを演奏しておりました。ここでバッハは「ヨハネ受難曲」や「クリスマス・オラトリオ」などを初演しています。 -
次にお二人向かったのはアウクストゥス広場。
市内交通の要所なので車も人も多い。
正面にはゲヴァントハウスが見えます。 -
反対側はオペラハウス。
ここも修復中で幕が架けられています。
近づいてみたら、ドヴォルザークのオペラ「ルサルカ」をやっているよう。しかもゲヴァントハウス・オーケストラの演奏ですって。
凄いな~。 -
そして、こちらにはシティ・ホーホハウスとライプツィヒ大学。
シティ・ホーホハウスには以前はライプティヒ大学が入っていたのですが、現在はテレビ局に売却されました。
この建物、なぜだか「親知らず」とのあだ名が付いているそう・・。 -
電車の影に隠れていますが、ブルーの近代的な建物はライプティヒ大学。
ドイツで2番目か3番目に古い由緒ある大学だそうで、ここで錚々たる偉人が学びました。
ゲーテ、ニーチェ、ライプニッツ、エーリッヒ・ケストナー、それに音楽家ではテレマン、バッハ、シューマン、そしてワーグナーなど。
ワーグナーはここで音楽の勉強をして、作曲家になる決意をしました。
2009年に私が訪れたときはまだ工事中でした。 -
突然、そうだ!と思い出したことがあります。
私は旅先でよく工事中の写真を撮ります。次回訪れた時にここがどう変貌しているのか、確かめるのが楽しみなもので。
2009年にも大学の工事中の写真を撮っておりました。
下は2013年に撮ったものです。2013年には大学は完成していました。 -
大学の入り口。
さすがに若者が多い。
東ドイツ時代には「カール・マルクス大学」と呼ばれており、ドイツ初の女性首相アンゲラ・メルケルもここで物理学を専攻しました。 -
大学前のライプニッツ広場には、ライプツィヒ出身の哲学者・数学者であるゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の像が。
-
メンデの泉。
この名前の由来についてはいろいろあるようですが、ライプツィヒの商人だったメンデさんの遺産で造られたものらしい。
どうもメンデさんは売春宿を経営していて、その贖罪の意味もあった(?)とか。 -
メンデの泉の先には有名なゲヴァントハウス。
宮廷に起源をもたない民間のオーケストラとしては世界最古。
メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ワーグナー、シュトラウス、フルトヴェングラーなどが活躍した舞台でもありました。
現在の建物は3代目。日本でも有名なクルト・マズーア(1996年まで楽長)の尽力で1981年に完成しました。 -
おっ、あのお方は?
アンドリス・ネルソンスさん。若手の指揮者ですね。
21代目のゲヴァントハウスのカペルマイスターとして2018年から就任だそう。
今年(2020年)のウィーンニューイヤーコンサートの指揮者でしたね。
またゲヴァントハウスオーケストラは2018年で創立275年目を迎えるそうです。
広場ではマルクトが開かれていて、いろんな出店が出ています。
K氏I女史のお二人はアウクストゥス広場を後にして、私との待ち合わせ場所「カフェ・バウム」へ向かいます。 -
そのころ私も、シュタージのライプツィヒ支部だったルンデン・エッケを後にして、お二人との待ち合わせ場所「カフェ・バウム」に向かいます。
通りには歴史的な建物が建ちならびます。
それらを眺めるだけでも楽しい。 -
私の方が先に「カフェ・バウム」に着きました。
赤いテントの中には結構客が入っていますね。 -
待ち合わせ時間にちょっとばかり早いので、近くをぶらぶらして待ちます。
歴史的カフェを見ようと団体さんがあちこちに。建物の写真を撮っている人。
噴水の近くにはパウラナーのビールが売りのカフェも、
ビールも美味しそうね。 -
この噴水はLipsia Brunnen(リプシアの泉)。
下には髭面の顔が4つ、上には対照的に可愛い裸の男の子が4人。
リプシアとはライプツィヒのラテン語名だそう。 -
さて、カフェ・バウム。
ドイツでは最古、ヨーロッパでも2番目に古いコーヒー店だそうです。
この3階部分にはコーヒー博物館もありますので、後で見学したい思います。
K氏I女史のお二人の到着。 -
オープンテラスの空いているテントの下に座ります。
立派な革張りのメニュー。
まだお腹は空かないけど喉が渇いたわね~、冷た~いワインが飲みたいわね。 -
冷えた白ワインが運ばれてきて、きゅっと喉を潤しました。
ん?
ここはコーヒーの方がよかったんじゃない?
3人とも喉の渇きに負けて、ここがドイツ最古のコーヒーハウスだということをすっか忘れていました。 -
それではコーヒー博物館を見学します。
古くからヨーロッパ有数の交易都市として栄えたライプツィヒには珍しいものがいち早く入ってきました。
コーヒー文化もその一つ。
ライプツィヒでは1711年にはお店でコーヒーが提供されたそうです。
当時のヨーロッパの人々にとってコーヒーは異国情緒あふれる珍しい飲み物でした -
このことはカフェ・バウムの正式名称が「ツム・アラビッシェン・カフェ・バウム(アラビアのコーヒーの樹)」と言われることでもわかります。
入り口の装飾にも、ヨーロッパの象徴キューピットと、オリエンタルなアラビア男性がコーヒーの樹の下で、コーヒーを楽しんでいる姿であらわされています。
カフェ・バウムのロゴもそうですね。 -
3階にある博物館の壁には、コーヒー豆を採取しているオリエンタルな絵が。
-
まさにアラビアンナイトの世界。
エキゾチックな装飾の部屋にコーヒーに関連のある器具や器、ポットなどが置かれています -
博物館では300年に及ぶザクセン州のコーヒー文化の歴史がいろんな展示物、写真などで紹介されています。
-
いつごろの絵でしょうか。
みんなコーヒーを平たい取っ手のない器みたいなもので飲んでいます。
ここに女性の姿はありませんね。左端のお店のマダム風の女性は別。
そのころのカフェは女人禁制、女性はコーヒーを飲むものではないとされていました。 -
コーヒーは上流階級の王侯貴族だけしか飲めなかった。
贅沢品のコーヒーを飲むために、貴族たちは中国や日本から磁器を手に入れていましたが、マイセンでも美しい磁器ができるようになり、高級な磁器や銀器のカップを集めるようになりました。 -
コーヒーと音楽も自然に結びつきました。
そのころバッハはコーヒーハウスで定期的に演奏会を開いていました。バッハも珍しい飲み物に魅了され、そこでできたのが「コーヒー・カンタータ」 -
背中にオルガンを背負ったバッハ像。
トーマス教会にありましたね。 -
コーヒーはいろんな文化と繋がっていきました。
文学と、詩と、演劇と、遊戯、歴史と・・・。
ナポレオンが諸国民の戦いの際に飲んだと言われるカップも残されているそうです。 -
これは比較的新しい写真です。
すっかりサロン化しているカフェ。
手前には古い大きなカフェ・マシーン。 -
このカフェ・バウムには多くの音楽家が足を運びました。
特に有名なのは、ロベルト・シューマン。
彼は毎晩のように通っては仲間と音楽談義を戦わせたようです。
彼の指定席は「シューマン・エッケ」と呼ばれています。
エッケ(角)だからここかしら? -
いや、あちらの方に音楽家の肖像画がたくさん飾られたコーナーがあります。
そちらだと思いますが、座っている人がいるので写真を撮るのがはばかられる。
シューマンやその他の音楽家の写真を撮るふりをして急いで撮った。
やっぱりボケボケ。 -
女性の頭の上にはシューマンと、その横にはメンデルスゾーン。
-
右から2番目はマーラー(これは判ります)。
左端にはリスト(晩年の)とグリーク(4トラ会員のベームさんよりの盗用です)。
その奥にはワーグナーもいるそうですが、これではもはや判別付きません。
ベームさんはよく調べていらっしゃる・・・。
注)カフェバウムは現在閉まっているようです。 -
カフェ・バウムを出て・・・。
-
修復中の旧市庁舎の前を通り・・・。
-
トーマス教会が頭を覗かせる通りを抜け・・・。
ホテルで荷物を受け取り、ライプツィヒ駅に向かいます。 -
ベルリン行のICEは読みが的中してやはり混んでいました。
座れなくて右往左往している人達を見て、座席指定して良かったと思いました。
この写真・・・、
混雑した車内を撮影するわけにはいかず、車窓の風景を単に撮っただけで、意味はありません。 -
ベルリン駅到着。
これがライプツィヒから乗ってきたICE。
ベルリンを過ぎてもこの混雑です。
シニアの旅には座席指定は必須ですね。
次回からベルリン編です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (7)
-
- pu_nosukeさん 2020/05/04 13:34:24
- 勉強になります😳
- ライプツィヒへは2012年に行ったんですが、シュタージの施設があるなんて知らなかったです。今は違うかもしれませんが、学生の多いちょっと自由な東ドイツの残り香を感じました。ドイツ語にもご堪能なのですね。私はNHKのテレビドイツ語が精一杯です😅
非常に知性的で、かつユーモアのある文章に、こちらもわくわくしています。人生を謳歌されているようですので、これが最後と言わず、知識欲を刺激する旅を続けてください。興味を同じくするお友達との旅は何ものにも替えがたいと思います。私なんて、貧乏一人旅で、感動を共有することができないのが残念です😂長文失礼しました。
- frau.himmelさん からの返信 2020/05/07 21:07:51
- RE: 勉強になります😳
- pu_nosukeさん、こんばんは。
再びコメントありがとうございます。
ちょうど新旅行記に取り掛かっておりまして、そんな時はそれだけしか見えませんので、返信遅くなってしまいました。🙇
ライプチヒ、学生が多い素敵な街ですよね。
学生って言えば、ドイツ首相のメルケルさんもライプチヒ大学でしたね。
>非常に知性的で、かつユーモアのある文章に、こちらもわくわくしています。
ちょっとちょっと、誉めすぎですよ。
70も過ぎれば、文章も昔のようにはさっと出てこないし、それに同じところをいつまでもグルグル考え込んでいるし、なかなか旅行記作成も捗りません。でも老化防止だと思い頑張っています。
まだまだ旅行は続けたいですよね。
コロナ終息に何年もかかってしまえば、それも覚束ない(´;ω;`)。
いつになるのか・・・。
pu_nosukeさんのご旅行記、拝見できませんが、ドイツやオーストリア、イタリアなどで音楽三昧の旅、贅沢な旅をしていらっしゃるではありませんか。
お忙しいとはおもいますが、pu_nosukeさんの旅行記、見たいですね。
himmel
-
- jijidarumaさん 2020/04/17 15:00:40
- 国家保安省 ― その権力と空疎
- himmelさん、
今日は。武漢ウイルスにもめげず、ご活躍何よりです。
旧国家保安省記念館Gedenkstaette Museum in der „Runden Ecke“ルンデンエッケ(Runden Ecke =円い角)では常設展「国家保安省 ― その権力と空疎」が行われているそうですが、何やら撮影禁止、秘密主義の正体見えたりという感じがします(笑)。
ともあれ、市民の殆どがシュタージ関係者のようにも思えるこの町で、「東ドイツ平和革命」の発端が起こったのも面白いですが、ここ旧国家保安省記念館で一応シュタージの活動を記念館としながら、「東ドイツ平和革命」の展示を前面に押し出し、その陰に隠れている様子が見えてしまうのは、勘ぐり過ぎなのでしょうかね?
あの時からまだ31年なのですから・・・。
へそ曲がりのjijidarumaでした。
- frau.himmelさん からの返信 2020/04/19 20:43:26
- Re: 国家保安省 ― その権力と空疎
- jijidarumaさん、こんばんは。
何やかやと野暮用が重なり、返信が遅くなって申し訳ありません。
本当に新型コロナウイルス、大変なことになっていますね。いつまでこんな状態が続くのか、恐ろしいです。
ルンデン・エッケ、撮影禁止にするほどではないと思いましたね。現に何人も撮影していましたし。
ベルリンではシュタージ博物館もシュタージ刑務所も撮影OKでしたし、そちらの方が興味深い展示物があったように思います。
事務所に申し出れば撮影してもよかったようですが、今回写真をみてそれに気が付きました。撮影料が必要なのか、署名が必要なのかわかりませんが。
東ドイツ平和革命Friedlichen Revolution、やはりライプツィヒがきっかけとなったベルリンの壁崩壊ですから、あのルンデン・エッケでも言葉は悪いですが「目玉」なのでしょうね。
ただ私が面白いと思ったのは、東ドイツ国民が大挙して西側への出国を希望して「我々は外に出たい!」と叫んでいたころ、(実際にチェコやハンガリー、オーストリアの国境では大勢の人が脱出に成功していましたが)ライプツィヒの月曜デモでは「我々はここに留まる」と叫んでいたことです。
ここに留まって国家に支配されない開かれた社会を求めていた、ということでしょうか。さすが気骨がある、と思ったのですが。
私は壁崩壊20周年の2009年にライプツィヒを訪れ、実はまだ旅行記はずっと先なのですが、30周年にあたる昨年もライプツィヒを訪れています。たぶん40周年の2029年は無理だと思いますが(笑)。
体力が続けば歴史を追い続ける旅も面白いですね。
それより早くこのコロナ問題が解決しないことには旅行もできませんから、今は3密も守り、じっと家に蟄居していなければなりませんね。
ありがとうございました。
himmel
-
- ハッピーねこさん 2020/04/16 23:09:21
- さすがのライプツィヒ町歩きですね。
- himmelさん、こんばんは。
ライプツィヒ。私も4年前に訪ねました。
トーマス教会を出てしばらく歩いてのバッハさんの胸像は私も見ましたが、メンデルスゾーンが寄贈したとはつゆ知りませんでした。
いつ頃なのだろう?とwlkiでメンデルスゾーンを調べましたら、彼は38歳の若さで亡くなっているのですね。ユダヤ人の家系でいわれなき迫害を受けたこともあったとか、そんなことを初めて知って見入ってしまいました。
元の目的に戻って、彼の生きた年代から考えると180年ほども前に造られたものなのですね。すごい。
そして「シュタージ博物館」。himmelさん、シュタージの歴史はもう極めてらっしゃいますよね!私はそういう博物館があの町にあることすら知りませんでした。
ほかの町でもその関連の施設はまだ訪ねたことがありませんが、himmelさんのご報告を拝見しただけで、当時の東ドイツのものすごさが・・・。
それから「カフェ・バウム」。今は閉まっているのですか!知りませんでした。
1度しか入ったことがないのに、さみしい気持ちになります。
その折、シューマンの席を見ることができなかったので「またいつか」と思っていたのですが。
上階にコーヒー博物館があったのも知りませんでした。
そんなコーヒーの歴史を持ったドイツ最古のカフェが・・・。また開店してくれるといいですね。
そしてベルリンへ!
また、濃~いベルリンの町歩きをご披露いただけると楽しみです。
昨年の旦那様とのご旅行もベルリンに到着されたところまで書かれていましたよね?
2年連続でベルリンを訪ねられたのですね。いいですね~。
つづきを楽しみにさせていただきます。
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2020/04/19 11:53:00
- RE: さすがのライプツィヒ町歩きですね。
- ハッピーねこさん、おはようございます。
返信遅くなって申し訳ありません。
聞いてください!
コロナの影響で持ち帰った仕事をやっと終わらせて、やっとのんびりできると思った矢先、九州の親戚から大きな荷物が送られてきました。
大きなタケノコ十数本、ハッピーねこさんはご存知ですね、あちらのタケノコ巨大さを。それに酸っぱい夏みかんと梅酒の梅をどっさり、大きな箱に入っていました。
まあその処理が大変!
二人暮らしゆえ、大きなお鍋などなく、普通のお鍋で何回も何回もタケノコを茹でて(2日間夜中までの作業)、それを友人知人に小包郵送したり、配って回ったり。
夏みかんはマーマレードに、梅酒の梅は(これがまたどっさりあったのです)アルコールを飛ばしてコンポートにと・・・、ふ〜、書いているだけで疲れました(笑)。
やっと先ほど最後の荷造りをしまして、集荷をお願いしたところです。
これでもタケノコはいつもの半分なのです。
皆さんに配ると喜ばれるので、毎年もっと送ってくるのですが、今年はコロナのせいでお会いしてお渡しすることができずこの量に。
でも今は世界中が混沌として先が見えない世の中ですが、自然は変わらず動いているのだなーって、大きなタケノコを見て少しだけ勇気づけられました。
ライプツィヒ、素敵なところですよね。
私も4,5回は行っていると思いますが、シュタージ博物館は今回初めてでした。
ベルリンでも見ていましたし、壁関係はいろんなところで展示していますので、そういうのも加えるとドイツの東西分断時代の歴史は結構見ていますね。
でも何度見ても秘密警察、密告社会ってこわいなーと思います。
カフェ・バウムも行きたいと思いつつまだ訪れていなかったのでした。
今回旅行記を書くにあたり調べていましたら、私たちが訪れた2018年の暮れから閉鎖されてるようです。
改装にしては随分長いし、未だに開いていないということはこのまま開かれないのでしょうか。博物館はとても面白かったのに、あれも見られなくなるんでしょうかね。
やっとドタバタが過ぎましたので、少し本腰を入れて旅行記の続きを・・・、と思うのですが、コロナの蔓延で世界中で多くの人々がなくなっていらっしゃる、それを思うとどうも力が入りません。こんな状況だからこそ、楽しいことを考えなければと思うのですが。
ハッピーねこさんの福岡でも非常事態宣言が出されていますね。
在宅でお仕事なのでしょうか。
これを乗り越えれば旅に行ける〜〜〜!と希望をもってコロナなんぞには負けないで、お互いに頑張りましょう。
himmel
- ハッピーねこさん からの返信 2020/04/19 20:06:36
- お疲れさまでしたー!!
- himmelさん、こんばんは。
いや〜、春の旬のもののお仕事(梅仕事のみならずタケノコに夏みかんまで!)本当にお疲れさまでした。
タケノコ茹でだけでも大変ですのに(そう、九州のタケノコは立派ですものね)、夏みかんマーマレードに梅のコンポート!!
私なぞすぐにギブアップしてしまいそうです。
でも、贈られたご友人方はもちろんのこと、送っていらしたご親戚の方もそれ程手間ひまかけて下ごしらえ、調理されてさぞお喜びのことでしょうね。
おっしゃるとおり、世の中はかつてない程の非常時ですが、自然はいつもどおりの営みをしているんだなと、はっとしたりほっとしたり。
桜が葉桜に変わり、ご近所のクレマチスが咲き始め「あー、これが咲く頃にはいつもドイツへ旅経つのになー」ですとか、「実家のクレマチスやシャクナゲの様子を見に帰ることもできないなー」などと少々ネガティブにもなりますが、今はがまんがまん。
himmelさん、まずはのんびりお休みになって、旬のもののお仕事疲れをよーく癒されて下さいね。今は体力・免疫力が大切ですから。
そして気が向かれましたらぜひまたご旅行の続きを。
ハッピーねこ
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
frau.himmelさんの関連旅行記
ライプツィヒ(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
7
65