2018/05/31 - 2018/05/31
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frau.himmelさん
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プラハからライプティヒに到着した翌日は、疲れも見せずにブーヘンヴァルト強制収容所を訪れました。
シニア3人組で強制収容所訪問は2014年のザクセンハウゼンに次いで2か所目です。
私達の年代になると、単なる物見遊山だけでなく、過去の歴史の現場にも立ち会ってみたいという思いにも駆られます。
ブーヘンヴァルト強制収容所は絶滅収容所ではなく、労働収容所のはずでした。
しかしここには大勢の囚人が連れてこられ、大勢の人が殺されました。
ユダヤ人はもちろん、ナチに反対する政治家、犯罪者、アルコール中毒者、ホームレス・乞食、シンティ・ロマなどのジプシー、精神・身体障碍者、同性愛者、エホバの証人、売春婦・・・、ありとあらゆる広範囲なナチが悪と見なす人々でした。
多くの人々が過酷な強制労働、虐待、劣悪な環境、飢え、人体実験、また捕虜などは組織的に射殺されました。
ブーヘンヴァルトの敷地内にはそれらの人々を追悼するいろいろな碑やプレートがあります。
また展示館では写真や資料、映像などを多用して充実した内容の説明がなされていました。
*なお、目をそむけたくなる写真も出てまいりますが、ご気分が悪くなる方は飛ばしてください。
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5月31日
今日はライプツィヒからワイマールまで日帰りの旅です。
支度をして、公園を抜けてライプツィヒ駅へ向かいます。
ホテルから5分もかかりません。 -
ライプツィヒは行き止まりの駅。
ヨーロッパでも最大級の駅です。
ICEや地域列車など何台もの珍しい列車が停まっています。
鉄ヲタの息子さんのために、K氏はそれらの写真を撮るのに余念がありません。 -
私たちはこの地域列車に乗ります。
今日は3人でザクセンチケットを使いたいのですが、少々問題があります。
RE17の時刻表。
ライプツィヒ発8:49、ワイマール着10:07分。
ザクセンチケットは平日は9時からしか使えないので、9:02着のLeipzig-Miltitzまでのチケットを別途買わなければなりません。 -
そこで駅の券売機で、ザクセンチケット3人で36ユーロと一人2.6ユーロの短距離チケットを買って乗り込みます。
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列車が発車すると程なくして車内検札。
大柄な車掌にこの2種類のチケットを見せると、腕時計をちらっと見て、「Gut!」。
よく知っているわねと言う風に、にっこり笑って返してくれました。
数分のことだからと、ザクセンチケットだけで乗ったら多額の罰金を払わなければなりません。お気を付けください。
車内はがら空きです。 -
さあてそれでは朝ごはんです。
ホテルで朝食はつけていませんので、先ほど駅構内で果物や水などを購入して乗り込みました。
まるでいい歳のシニアがハイキング気分です。
これから暗~い歴史の場所を訪れるというのに・・・。 -
車窓からは真っ赤なポピーの群生。ヨーロッパの春ですね~。
私たちはこれからブーヘンヴァルト強制収容所を訪れるます。
私はアウシュヴィッツ、ダッハウ、ザクセンハウゼン強制収容所に次いで4か所目の収容所訪問。
K氏、I女史は2014年のザクセンハウゼン強制収容所に次いで2か所目の訪問になります。 -
こちらは菜の花畑。
ちょっと色が薄いのは2番咲きだからか。
なににしても菜の花の季節に間に合ってよかった。 -
ここはナウムブルク。
2013年に滞在しました。懐かしい~。
ご一緒したY子さんとは時々スポーツジムでお会いしては、あの時のドイツ旅行の思い出話に花が咲きます。 -
ワイマール駅に到着。
駅構内ではなにやら歴史的な写真が展示してあります。
興味をそそられますが、後でゆっくり見ます。 -
ブーヘンヴァルト強制収容所へは駅前から6番のバスに乗ります。
14~5分、終点で降ります。
時刻表を見ると1時間に1本走っているようです。 -
バスはブナの木の林の中を走り抜けます。
ブーヘンヴァルトとはブナの木の森のこと。 -
ブーヘンヴァルト強制収容所に到着、降り立ったのは若い子ばかり。
学校の課外授業なのでしょうか。
こういう場面を目にしていつも思うのですが、ドイツの若者は、先人たちが犯したドイツの負の歴史に真摯に向き合っているな~と。 -
インフォメーションの建物。
ここは当時SS親衛隊の宿舎でした。
ザクセンハウゼンやダッハウのように日本語の説明書がないかなー、寄ってみます。 -
期待していましたが残念ながらありませんでした。
でも入場料は無料です。 -
どこからどうやって回ったらいいのか?
ともかく前のグループに着いていきます。 -
地図があります。広い敷地です。
悲しきかな、シニアの私たちが回ることができたのは、わずかに○の範囲のみ。 -
周りは緑が茂るブナの大木、足元は可憐な白い花の絨毯、その中に混じって赤いポピーが彩りを添えてくれる。
なんだかハイキングでもしているような錯覚に陥ります。 -
でも、ところどころに、私たちはハイキングに来たんではないのだ~と思わせる立札があります。
「カラチョーベグ:(カラチョー通り)」
捕虜として駅に降りたった囚人は、ブーヘンヴァルトの大通りであるこのカラチョー通りを通って入り口ゲートに行進します。
下は現在のカラチョー通り。
ここにつれてこられる囚人は、ナチスに反対する政治犯や宗教家、前科者、ホモセクシュアル、シンティ・ロマなど。
その後ホロコーストが始まるとヨーロッパ中のユダヤ人を収容するようになり、収容人数は一挙に膨らみました。 -
囚人たちはこの通りを行進してこの場所に着きます。
ブーヘンヴァルト収容所のゲートです。
ダッハウやザクセンハウゼンでも似たようなゲートがありました。 -
ゲート上は監視塔。
あの上ではSS親衛隊が機関銃を持って監視していました。
そして大きなスピーカー。
このゲートは復元されたものです。
時計の針は、アメリカ軍によって解放された1945年4月11日午後3時15分を指しています。 -
ダッハウやザクセンハウゼンと違うのはゲートの扉の文字。
ダッハウやザクセンハウゼンには「ARBEIT MACHT FREI:働けば自由になる!」という白々しい言葉でした。
ここには「JEDEM DAS SEINE」(各人に各人のものを」とあります。 -
ゲートをくぐって中に入ります。
もの凄く広い敷地です。
ナチス恐怖政治のアドルフ・ヒトラーの政策の過程で、大量の煉瓦が必要になりました。
そこでブーヘンヴァルト強制収容所は、この地にレンガ工場を作って大勢の囚人を従事させる目的で設立されました。
いわゆる強制労働収容所です。 -
1937年に設立され、1945年4月11日にアメリカ軍により解放されるまでにここには280,000人の囚人が収容されました。
この広い敷地の一部には、彼らの生活空間である粗末なバラックが建てられました。 -
また広い敷地には点呼広場と呼ばれる広場もありました。
囚人は毎日10時間以上の強制労働のあと、どのような天候であっても、この広場に集められ点呼を受けなければなりませんでした。
脱走者が出ると「処罰点呼」として、さらに長時間立たせられたり、また長時間無駄に行進させられました。 -
あちらに人が多く集まっているエリアがあります。
何があるのか行ってみましょう。 -
途中でバラの花を手向けている人がいました。
たぶん犠牲になったユダヤ人の慰霊碑だと思います。
他の強制収容所の例に漏れずここでも大勢のユダヤ人が犠牲になりました。
ヒトラーはドイツの困難は、ドイツを裏切ったユダヤ人及び共産主義者のせいである。だから、悪を全世界に撒き散らしているユダヤ人を根絶やしにして、人種汚染を防がなければならないと唱えていました。
まるで今、世界中に流行して恐怖を植え付けている「新型コロナウィルス」のような言い方をしています。 -
大勢の若者がガイドさんから真剣に説明を聞いています。
ここは死体処理施設なのです。
焼却棟の屋根から見える煙突が不気味です。 -
私たちがまず入りこんだところは病理学室。
この上で遺体の解剖などが行われたのでしょうか。
この収容所でも人体実験がやられていたそうですから。
白いタイルの上にはそっと薔薇の花が手向けてありました。 -
棚の中には大きなのこぎり、ペンチ、包丁、はさみなどなど・・・。
何に使われたものでしょうか?
拷問?それとも死体の処理に? -
何を洗った水槽なのか?
想像するのも悍ましい・・・。 -
そして・・・、
壁に掲示してあった写真は・・・、
死体処理施設の中庭に積み上げられた死体。
その写真の下にも花が捧げられています。
この写真は、1945年4月アメリカ軍の解放後に撮られた写真です。
気持ち悪い方はどうかスルーしてください。 -
死体焼却炉。
過酷な労働と劣悪な環境、飢餓、それに組織的な処罰などにより死亡した囚人を処理するための死体焼却炉。
遺体を焼く作業も囚人の仕事でした。 -
こちら側にも・・・。
一体何基の焼却炉があるのでしょう。
これがフル稼働していたそうですから、怖いです。 -
焼却炉の壁に日本からの千羽鶴がそっとかけてありました。
短冊には「平和を願って」と。
このおぞましい空間が少し和らいだ気がしました。
平成27年に捧げられたもののようです。 -
こちらにも花束や願いを書いた石、十字架、折り鶴、平和の願いをこめた短冊など・・・。
みんな思いは同じですね。
私たちもそっとお祈りしました。 -
この部屋に積み上げられているもの、無知な私はガス室で使う毒ガスの空になった容器かと思いました。
調べてみると、これは骨壺ならぬ遺灰壺だそうです。
囚人の遺族は料金を払えば、この壺に遺灰をいれて返してもらえたそうです。
遺族にしてみればどんなものでも、故人を偲ぶものが欲しい、特に政治家や宗教家など社会的に地位があった人の家族や後援者などそう思うでしょうね。
それを逆手にとったSSの汚い商法です。 -
息苦しくなりました。
ふぅ~っと一息つきたくなり外に出ます。 -
また次なる入り口が。
ここは何だろう?
怖いもの見たさに中に入ります。 -
ここで殺害された囚人のメモリアルプレートです。
ここで亡くなられた遺族によって飾られたものでしょうね。 -
様々な国語で記されています。
氏名、生年月日・死亡月日。それに悲しみの言葉が。
中には写真付のものもあります。
さぞかし無念だったことでしょうね。 -
エルンスト・テールマンの記念碑。
エルンスト・テールマンは、ヒトラーに嫌われたドイツ共産党の党首でした。
ナチスが政権を掌握するとゲシュタポに捕らえられ、最終的にはブーヘンヴァルト強制収容所に送られました。
そして1944年8月、SSによりこの焼却棟で射殺されました。
この慰霊碑は、1953年、DDR(東ドイツ)によって取り付けられました。 -
この地下には「Leichenkeller」なる(死体ケラー)があり、1100人もの囚人がここで殺されました
-
ここのことでしょうか。中に入ってみます。
-
病院の診察室のような部屋かあります。
人体図があったり身長測定器があったり・・・。
ここに連れてこられた囚人たちは診察を受けると称して、この後殺害されるのです。
たしか身体測定器にも何か仕掛けがあったようにどこかで読みました。 -
その後ここで射殺された?
それともここは死体置き場?
部屋に入っただけでぞ~~っと寒気を覚えます。 -
そして遺体はこのコンテナで火葬棟に運ばれたのです。
これにうず高く積まれた死体を想像すると・・・・。 -
また焼却等棟隣には「馬小屋」と呼ばれる建物があったそうです。
そこは実は射殺現場、ソ連から連れてこられた8,000人以上の捕虜がここで殺害されました。 -
早々に退散します。
青い空に救われる。
だけど、ここにも荷車が・・・。 -
こちらは採石場から切り出した石を運ぶ荷車だそう。
しかしこの杭は?
後ろ手に組まされた囚人をつるし、親衛隊が罰則として殴るのだそう。
見せしめのために他の囚人の面前でやられることもあったそうです。 -
バラックの跡とバラックの番号。
広い敷地にはところどころにバラックがあったという番号が記された石があります。
当時は多くのバラックがありましたが、今は毀されて残っていません。
バラックと言えば、日本では粗末な家の事を言いますね。
ここも文字通りバラックでした。 -
ブーヘンヴァルト強制収容所女性のための記念碑。
労働収容所の軍需工場で働かされた27,000人の女性のための慰霊碑 -
「GOETHE EICHE」ゲーテのカシの木。
ゲーテが瞑想したと言われている樫の木の切り株が残っています。 -
1944年の連合軍の空爆で折れてしまい今は切り株しか残っていません。
-
まだ枯れる前のゲーテの樫の木。
ゲーテと言えばワイマールの宰相を務めた偉人。
ワイマールに50年間住んでいましたから、そこから程近いここにも何度も足を運んだのでしょうね。 -
しかしゲーテが静かに瞑想した美しい場所に強制収容所が建てられ、おぞましい処刑が行われる場所に変わっているなんて、
今頃ゲーテは驚いていることでしょう。
すみません。長くなってしまいました。
(後編)に続けます。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- jijidarumaさん 2020/03/14 17:47:15
- ゲーテの樫の木
- himmelさん、
今晩は。シニア3人旅は充実していますね。
以前、ドイツの負の歴史であるバート・ガンデルスハイム強制収容所
(外部収容所)の旅行記を書きましたが、文中に載せた【Kz-Buchenwald
ブーヘンヴァルト強制収容所1945年の様子図】が枯れる前のゲーテの樫
の木に枝ぶりが似ていることに気付きました。さてどうでしょうか?
それにしても、アウシュヴィッツ、ダッハウ、ザクセンハウゼン強制収容所
に次いで4か所目のブーヘンヴァルト収容所訪問とのこと、私は敬遠して
きましたから、himmelさんには恐れ入りました。
jijidaruma
- frau.himmelさん からの返信 2020/03/14 22:21:42
- RE: ゲーテの樫の木
- jijidarumaさん、こんばんは。
コメントありがとうございました。
そうでしたね、いつぞやはバート・ガンデルスハイム強制収容所の旅行記をお書きになっていらっしゃいましたね。
その折には私もコメントを寄せさせていただいたのでした。
いま再度見せていただきました。【Kz-Buchenwaldブーヘンヴァルト強制収容所1945年の様子図】がゲーテの樫の木と同じものかどうか確認できませんでした。
ただ、あの樫の木は、1944年8月の連合軍空襲の際に折れてしまったもののようですから、1945年にはもうなかったのではと思います。
あの空襲の時にヘッセン=カッセル方伯フィリップの奥様も、ワイマール時代の政治家ルドルフ・ブライトシャイトも亡くなっています。かなりひどい空襲だったようです。
>シニア3人旅は充実していますね。
ありがとうございます。
でも今頃、2年前の旅行記です(笑)。
齢のせいか、旅行記をアップする速度もおそくなりました。
jijidarumaさんは、相変わらずスムースにアップしていらっしゃいますね。
今見ましたらまた新しい旅行記がありました。
これから拝見させていただきます。
himmel
-
- 横浜臨海公園さん 2020/03/14 11:41:52
- 解剖用具ならぬ拷問道具
- frau.himmelさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
小生が、ブーヘンヴァルト強制収容所を訪れたのは今から35年前で、現在の様に整備されておらず、オドロオドロした不気味な雰囲気だったのを今でも覚えております。
ところで、旅行記内の写真で解剖用具となっておりますが、此れは解剖ならぬ拷問道具で器具を使う事に撚り自白を強要されたものです。
ナチス親衛隊の共通仕様品です。
横浜臨海公園
- frau.himmelさん からの返信 2020/03/14 21:26:10
- Re: 解剖用具ならぬ拷問道具
- 横浜臨海公園さま、こんばんは。
コメントありがとうございます。
たった今、やっと(後編)を投稿しました。ご覧いただければ嬉しいです。
さて、解剖用具ならぬ拷問道具とのこと、なるほどと思いました。
あの部屋がタイルの手術台を備えた手術室のような解剖室のような仕様でしたので手術用具と思いましたが、確かにあれで人体を・・・、と言うのは乱暴のような気もしていました。
少し文章を手直ししたいと思います。
横浜臨海公園さまは35年前に行かれたのですか。随分前にいらっしゃったのですね。その時はオドロオドロしたということですが、私にとっては今でも結構オドロオドロしていました。
私の旅行記は自分勝手な間違い勘違いが多いので、これからもご指導くださるとうれしいです。
himmel
- 横浜臨海公園さん からの返信 2020/03/15 09:55:41
- クルト・ユルゲンス
- frau.himmelさま、こんにちは。
ドイツ人俳優でクルト・ユルゲンスと云う方をご存じでしょうか?
典型的な性格俳優で、ゲルト・フレーベと共に、映画でのドイツ軍将軍役ではピッタリの俳優でした。
ユルゲンスは純粋アーリア人だったにも拘らず、反ナチスだった事から1944年に逮捕され、ブーヘンヴァルト収容所に送られ、寸での所で解放された為に殺害から免れ助かった人物です。
邦訳は出ておりませんが、ユルゲンスの回顧録を読むと、それはそれは毎日が死との直面だった描写がリアリテイを以って描かれております。
戦後、ユルゲンスは反ナチだった事から俳優業に戻り、更に、ドイツ人俳優としてハリウッドに進出し、映画 眼下の敵で一躍世界的スターになりました。
横浜臨海公園
- frau.himmelさん からの返信 2020/03/16 11:45:12
- RE: クルト・ユルゲンス
- 横浜臨海公園さま 再びありがとうございます。
クルト・ユルゲンス!、大ファンでした。
戦争映画でドイツ軍の将校と言ったらクルトユルゲンス。私の中ではドイツの中のドイツでした。
そんなクルトユルゲンスも逮捕され、収容所送りになっていたとか。知りませんでした。
反ナチ、あのころは有名な文学者や舞台人なども外国に逃亡して外国から反ナチを唱えていましたが、彼は国にとどまったのですね。
そうですか、ブーヘンヴァルト強制収容所にも収監されたことがあるのですか。
しかし戦後、反ナチだったことが福に転じて俳優に復帰できた・・。
皮肉なものですね。その彼が最も嫌いなドイツ軍の将校役で世界的に有名になったのですから。でもそれで平和を訴えているのですから、やはり彼は偉大でした。
私が今回残念だったのは、ブーヘンヴァルト収容所に、あのシュタウフェンベルク大佐のヒトラー暗殺計画に加担したディートリヒ・ボンヘッファーが収監されていて、彼の慰霊碑があったのに気が付かなかったことです。
彼のことはドイツ旅行の一つの目的として、折に触れ調べておりましたので。
コロナウィルスが終息しそうもありませんね。どうかお身体にお気を付けください。
himmel
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