2019/07/28 - 2019/07/28
93位(同エリア1233件中)
sio爺さん
松江城見学を終えた後、松江城周辺を中心とした市内巡りをした。予定の行程は、松江城天守閣→小泉八雲記念館→武家屋敷→松江ごころ→塩見縄手→松江歴史館と周り、余裕があれば島根県立美術館に行き、最後は槙戸天狗堂に行って、ホテルに向かうという計画だ。
ところが当日は想定外の暑さのため、松江城天守閣を出て小泉八雲記念化館に行くまでの約20~30分でグッタリしてしまい、八雲記念館で過ごした時間は休憩時間となった。今まで旅行中、休憩のための休憩はあまりないが、数年前の長州旅行最終日以来、松江ごころでもタップリ休憩した。
休憩後、計画では塩見縄手をのんびり散策しながら松江歴史館に行く予定だったが、猛暑の中を歩く気は失せてしまった。結局バスで回れるコースに変更して、松江ごころからバスに乗って月照寺に行って少し見学して、島根県立美術館見学終了後は松江駅に向かった。
真夏の旅行は過酷だということが骨身に沁みた。
- 旅行の満足度
- 4.0
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松江城天守閣を出て、塩見縄手方面に向かう。
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進行方向左側に、松江護国神社の鳥居が見えた。
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松江護国神社のほぼ向かい側に城山稲荷神社があった。
説明板には下記の記載があった。
小泉八雲は通勤途上に散歩がてら、ここ城山稲荷神社に立ち寄った。当時二千以上を数えた石狐に、八雲は大変興味を抱いた。(中略)「ほとんどすべての家の戸口には、特に、特に、他国の人の注意をひきそうなお札がある。(中略)このお札は、城内のお城山からいただいたもので、防火の護符である。実際、木造建築に関する限り、これらの護符は松江で唯一の防火設備である」(「知られぬ日本の面影」より) -
城山稲荷神社について、「日本伝承大鑑」には下記のように記載されていた。
「創建は寛永15年(1638年)。この年、新しく松江藩主として領国入りしたのが、徳川家康の孫にあたる松平直政である。その直政の夢枕に現れたのが、一人の美少年。そして自らを稲荷真左衞門と名乗ると、「私はあなたを全ての災厄からお守りいたします。城内に住む場所を作っていただければ、城内はもちろん、江戸の屋敷まで火事から防ぎましょう」と言って消えた。そこで早速城内に稲荷神社を建てたのが、この城山稲荷神社であると言われる。(後略) -
2番目の鳥居、この先を斜め左に進む。
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この鳥居は、正面から3番目の鳥居。
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3番目の鳥居をくぐってしばらく進むと、この鳥居に出るが、その先は石段を昇るようだ。
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もともと見学コースに入れてないので、参拝順路図の写真を撮って見学終了とした。
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城山稲荷神社を出て、お濠の方に進むと、やがてこの橋に出た。ここまでの道はとても狭く、この道で本当に良いのだろうか?と心配になるほどだった。「
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堀川めぐりの屋形船だ。
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幾つもの橋が架かり、
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屋形船も何そうも巡っていた。
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この橋を渡り、お濠に沿ってしばらく歩く。
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小泉八雲記念館が見えてきた。この時点で既に暑さでグッタリしていた。
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小泉八雲記念館
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瀟洒な造りだ。
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入館すると、「ハーンを慕った二人のアメリカ人」という企画展を行っていた。小泉八雲に特化した小さな記念館だが、八雲がかなり波乱万丈の生涯を過ごしたことを知ることができた。撮影禁止なので内部画像はない。館内はエアコンが効いていて、当日は強烈な猛暑日だったので生き返った気がした。
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頑張って武家屋敷方面に向かった。画像は田部美術館。
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武家屋敷まで来た。
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中に入ると庭内は小ぎれいで、とても整っている感じがした。
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「武家屋敷」の説明板の内容を一部抜粋させていただく。
・塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛も済んだ屋敷で、500~1000石程度の藩士が屋敷替えによって入れ替わり住んでいました。
・享保18年(1733)の大火で焼失ご再建されたもので、主屋はその後も幾度かの増改築を経ています。
・平成28年から3か年に及ぶ保存修理工事において、解体調査や資料調査により明らかとなった明治期の姿を復元しました。
やはり復元だった。 -
中に入る
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玄関の間
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武家屋敷の説明板には庭園について、
「築山式の庭園は、飾りを省いた素朴なつくりで、質実剛健な気風がうかがえます。」と記載されていた。 -
味噌部屋
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画像は、竈(くど)復元、要は竈(かまど)だ。
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表に出て、外から見る。
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武家屋敷が面しているお濠に沿って、松江ごころに向かう。
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松江ごころに辿り着いた。
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中はお土産品などをたくさん置いていた。
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お土産コーナーの方々は、とても愛想が良くフレンドリーだった。
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「マツコ絶賛」というドレッシング等をお買い上げ
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李白の直営売店のようなところ。
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李白コーナー前に行き、ここでしか飲めないという「飛流生原酒」を注文。やはり李白も辛口だった。
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買物等が終わってもメチャクチャ暑くて外に出たくなかったので、ゆずサイダーを飲んだりして、暫く休憩した。
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バルコニーに出てみると、お濠に面しており、良い眺めだった。
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松江ごころ前のバス停で、レイクラインバスに乗って、月照寺に行った。
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ここは小泉八雲が大好きなお寺だったそうだ。
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こちらの掲示板には、次の記載があった。
「月照寺はもと禅林のお寺で、洞雲寺と称したが、松平直政公が生母月照院の零牌を安置するため、寛文四年(1664)、浄土宗の長誉上人を開基として、蒙光山月照寺と改称復興したもの」 -
不昧公ご愛用 茶の湯の水
不昧公(ふまいこう)とは、歴代の松江藩主の中で松江藩中興の祖とされる、大名茶人としても名高い7代藩主の松平治郷公のこと -
雷電の碑。石碑の説明を要約すると下記の通り。
雷電は明和四年(1767)信濃国に生まれた力士。天明八年、松江藩主松平治郷公(不昧公)に召し抱えられ、不昧公より雷電為右衛門の名前を給わった。21年間258試合の相撲を行い、負けたのはわずか10回で、勝率は相撲史上第一位とのこと。 -
石碑には手形が彫られているが、自分の手を合わせてみると為右衛門の手はホントにデカかった。
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