2011/03/21 - 2011/03/29
1016位(同エリア2400件中)
tonoさん
今から9年前、2011年3月に、家族と2人でドイツへ行きました。5年ぶり4回目のドイツでした。
初めてドイツへ行ったのは1988年で、まだ西ドイツと東ドイツに分かれていた時代で、私はベルリンでは当時の西ベルリンの中心駅、Zoo駅の近くにホテルを取り、地下鉄でKoch Strasseへ行き、Checkpoint Charlieで25マルクの強制両替をして、徒歩でベルリンの壁を越えて、東ベルリンへ入りました。Unter Den Lindenにあったホテルの喫茶店でケーキを食べ、まだ手前で封鎖されていたBlandenburg門へ行って、無事にCheckpoint Charlieから西ベルリンへ戻りました。そのときはミュンヘンへも行き、シュタルンベルグ湖、Dachau収容所跡にも行きました。
1991年に行ったときには、ベルリンの壁が崩壊していて、Blandenburg門も自由に往来できました。まだvisaが免除になっていなかった、ポーランドとハンガリーのビザを、ベルリンの大使館で取って、それで時間がつぶれました。このときは初めてポーランドへ行き、Auschwitz-Birkenauへも行き、ドイツ語が話せるタクシーの運転手とともに回りました。まだAuschwitzが個人客しか訪れていない時代で、閑散としていましたので、じっくりと見学できました。。
2006年にはポーランドで15年ぶりにAuschwitzへ行った後、クラコフから夜行寝台列車でベルリンで来て、Ploetzenseeに初めて行きました。Auschwitzは団体が大勢来ていて、もはや本当に見学したい人が行かれる場所ではなくなっていました。単なる観光地に成り下がっていました。
今回の、2011年のときには、German rail passが125周年を記念して安く使えたのがありがたかったです。経路は、日本からチャイナエアラインの台北乗り換えでフランクフルトへ行き、エアベルリンでベルリンへ。鉄道でライプチヒ、ワイマールと寄って、フランクフルトから台北乗り換えで帰ってきました。このころはまだチャイナエアラインのビジネスクラスのヨーロッパ往復が20万円で安かったのですが、今はこの倍はします。台北での乗り継ぎ時間が長かったので、行きも帰りも入国して観光しました。
ベルリンではGedenkstaette Ploetzensee、Oranienburg、近郊のPotzdamのサンスーシー宮殿とツェツィリエンホーフ宮殿、Wannsee会議が行われた記念館、ライプチヒではBachのThomas教会、ワイマールではGedenkstaette Buchenwaldといった、ドイツの負の歴史をめぐりました。いずれも電車と路線バスを利用して、行くことができました。とても印象に残る旅でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- チャイナエアライン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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日本から台北までの機内食。このころは洋食を選んでいました。
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台北の龍山寺です。台北駅からMRTですぐです。
龍山寺 寺院・教会
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台北の孫文記念館です。
国立中正紀念堂 建造物
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台北の忠烈しです。
忠烈祠(台北市) 史跡・遺跡
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台北からフランクフルトまでの機内食。
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ドイツのベルリン、Pergamon博物館です。入場料が高かったですが、意外に見るところがなかったです。
ペルガモン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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Gedenkstaette Ploetzensee(プレッツェンゼー記念館)です。主にナチスに抵抗運動をした人が処刑された場所です。
亡くなられてずいぶん経ちますが、作家の小田実さんがベルリン滞在中にたびたび訪れて、「世界わが心の旅」の番組の中で、涙を流した大切な場所です。
私は2006年以来5年ぶりに訪れました。
路線バスの123番で行かれます。私にとっても大切な場所です。プレッツェンゼー記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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Ploetzenseeの壁に書かれた、「1933年から1945年にヒトラー独裁の犠牲となった人々のために」
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Ploetzenseeの前の道、Emmy-Zehden-Weg
Emmy-Zehdenとは、Ploetzenseeで処刑された方の名前です。 -
ベルリン郊外のポツダムにある、サンスーシー宮殿。世界遺産です。
ポツダムへはベルリンから電車で30分くらい。サンスーシーとは、「憂いのない」という意味です。宮殿の内部の展示にフリードリッヒ大王の肖像画があります。フリードリッヒ大王が作曲された、ブランデンブルグ交響曲のCDも売っています。サンスーシー宮殿 城・宮殿
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サンスーシー宮殿のすぐそばにある、フリードリッヒ大王の墓です。
フリードリッヒ大王は、亡くなるときに、サンスーシー宮殿のところに埋葬してくれるように頼んだそうですが、実際にそこに埋葬されたのは、亡くなった200年後だそうです。 -
Wannsee記念館の展示室。1942年にHitlerは、この場所で、ユダヤ人問題の最終的解決つまり、絶滅させるということを、わずか1時間の会議で決めました。
ヴァンゼー会議記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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Sachsenhausen収容所跡。ベルリン中心部から電車(S1)とバスを乗り継いで1時間くらいでした。跡地は広大ですが、展示はわずかです。
ザクセンハウゼン ゲデンクシュテッテ (記念所) 博物館・美術館・ギャラリー
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Sachsenhausen収容所跡の、ガス室跡とされているところです。
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テロのトポグラフィー。ナチスの時代、Prinz Albrecht strasse8番地、Gestapo本部の地下にあった、独房です。抵抗運動でとらえられた人々が入れられたところです。ここは東ドイツ側にあったので、長い間、見られませんでした。東西冷戦が終わって、発掘されました。
テロのトポグラフィー 博物館・美術館・ギャラリー
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ベルリンから列車で2時間ほどにある、ライプチヒ。そこにJ.S.Bachが聖歌隊の指揮者をしていたトーマス教会があります。
私は1991年以来、20年ぶりでした。聖トーマス教会 寺院・教会
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さらに、列車に2時間ほど乗って、ワイマールへ。あの、ワイマール憲法のワイマールです。ワイマール中央駅から1時間に1本の割合で出ているバスに乗って、
Buchenwald収容所跡へ。
イルゼ・コッホという、悪名高い収容所長の妻で有名なところです。ブーヘンヴァルト収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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ワイマールの市街地です。近くにゲーテの家もあります。
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ワイマールから列車に乗って、フランクフルトへ。ここにも1泊しましたが、特にみるべきものがないので、ICE(intercity express)に乗って、Koeln(ケルン)へ。駅前にある、ケルン大聖堂へ行きました。600年以上かかって完成したという、とても立派な大聖堂、行ってよかったです。
ケルン大聖堂 寺院・教会
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帰りの、フランクフルトから台北までの機内食。
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フランクフルトから台北までの機内食
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台北で乗り継ぎ時間が長かったので、入国し、鴬歌の焼き物の博物館へ行きました。
新北市立鴬歌陶瓷博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これも鴬歌の焼き物博物館
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ピントがずれていますが、台北から日本までの機内食。
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