
2020/01/18 - 2020/01/19
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sundy2017さん
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2017年4月、夫婦での初海外旅行として選んだローマ。10日間、存分に食べ歩き・街歩き・名所巡りを楽しんだが、当時は教会や美術館に全く興味がなく、バチカン美術館さえ行かなかった。
その後ヨーロッパを旅するにつれ、教会や絵画などの素晴らしさに目覚め、今回は(2017年10月パリ旅行以来すっかりハマってしまった)アパートに滞在しゆったり教会巡りをすることにした。
教会の名前にはChiesaとBasilica がある。この違いが何かを調べていたら、小畑紘一著「ローマの教会巡り」に
Basilicaはローマ法王から与えられる称号で、高名な聖人や歴史的に重要な出来事に関係し、法王か枢機卿か総大司教専用の祭壇を有している教会の事とある。ローマには15のBasilicaがあり、その中でもMaggioreという形容詞がつく大聖堂(法王専用の祭壇を有す)は世界に4つしかなくその全てがローマにある。
サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(18日午前訪問)
サン・ピエトロ大聖堂(16日午後訪問)
サン・パオロ・フォリ・レ・ムーラ大聖堂(19日午前訪問)
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(18日午前訪問)
これら四大聖堂の旅行記をここにまとめました。
私達は計画に合わせて別々の日に訪問しましたが、四大聖堂は朝早くから夕方まで開いており、地下鉄の駅からも近いので、十分1日で回る事が出来ます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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(1) サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂
日曜日午前訪問。地下鉄サン・ジョバンニ駅から徒歩すぐです。
この教会はコンスタンティヌス帝がキリスト教の為に最初に建てた教会です。世界で最も権威ある教会として「全世界の教会の母および頭」という称号が与えられています。
ファサードは1730年代にアレッサンドロ・ガリレイの設計で作られた。救世主を中心に12人の教会博士の像が屋上に。 -
身廊。ミサの為入れません。
法王専用祭壇前のアーチは勝利の門と言われ、身廊と内陣を分けています。 -
身廊左右のニッチには6人づつ配置された十二使徒の像。18世紀前半ベルニーニ派の彫刻家により作られたものです。
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天井にはメディチ家の紋章と法王の紋章が
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内陣にある法王専用の聖体用祭壇。1367年ジョヴァンニ・ディ・ステファノにより製作されました。
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ミサの為後陣の素晴らしい黄金のモザイクには近づけません。1878年に修復されたものですが、1292年頃にヤコボ・トッリーティとヤコボ・ダ・カメリーノが4世紀の古代の聖堂にあった後陣のモザイクを再現したものだと言われています。
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右側廊入口に最も近い柱の壁面にある
ジョットが描いたフレスコ画「1300年初めての聖年を宣言している法王ボニファティウス8世」 -
ここにもキリスト生誕を祝うPresepe。
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後陣のオルガンは19世紀ペルージャの名工マレッティ作
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ミサが終わりいよいよ中に入れるかなぁと期待していたら、正装した人がぞろぞろ出てきました。何かなぁと思っていたら
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讃美歌の合唱が始まりました。
反響も素晴らしくうっとり。 -
この人が指揮をしています
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あまりの素敵さに、回廊・Scala Santa・洗礼堂はスキップ。心行くまで讃美歌の美しさを堪能しました。日曜日はミサの為制約が多いですが、教会の厳粛さを経験するにはいい機会だと思いました。
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(2) サン・パオロ・フォリ・レ・ムーラ大聖堂
地下鉄Basilica S.Paoloから徒歩5分位。サン・ピエトロ大聖堂が出来るまではローマで最も大きな教会と言われただけあり、広い敷地・大きな教会です。
工事の為か側面から入りましたが、ここが教会西正面前にある20世紀初頭に付け加えられた前庭(アトリウム)です。19世紀末製作聖パウロの像があります。 -
切妻屋根の正面は、14世紀前半に描かれたモザイク画の破片を集めて描かれたモザイク画で覆われています。
三角形の部分にはパウロとペテロを従えたキリスト。
その下には天国で遊ぶ子羊
その下には、四人の預言者イザヤ・ダニエル・エゼキエル・エレミア -
大きなポルティコです。
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コリント式柱頭はアカンサツの花
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ポルティコの屋根も豪華です
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正面入口には5つの扉
その一つ「聖堂の扉」 -
左側に聖ペテロ、右側に聖パウロ
それぞれの生涯が描かれています。 -
聖なる扉
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正面にある聖パウロ像。剣を持っています。
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正面にある聖ペテロ像。鍵を持っています。
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中に入るとその広さ・豪華さに圧倒されます。
身廊。正面、勝利の門中央に描かれたキリストに自然を目が行きます。 -
勝利の門
上段は
牝牛(ヨハネ)、人(マタイ)、キリスト、獅子(マルコ)、鷲(ルカ)
その下は左右それぞれ天使と12人の長老
その下左は聖パウロ、右は聖ペテロ(残念。半分切れている) -
1285年アルノルフォ・ディ・カンビオ製作ゴシック様式天蓋
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後陣のモザイク画は1226年ベネチアの芸術家が描いたものです。
キリストと聖ペテロ、聖パウロ、聖アンドレア、聖ルカ。 -
後陣の祭壇?
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豪華な天井
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側面には歴代法王の肖像画がメダル形式でずらりと並んでおり豪華なアクセントになっています。
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後陣から入口方向。格間天井とメダル状の肖像画が綺麗ですね。
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側廊にあるラファエロの下絵を元にしたというモザイク画「聖母マリアの戴冠」
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そのモザイク画がある聖母の祭壇
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この側廊の別の祭壇には
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ミイラのようなものがあり「SAN TIMOTEO」とありました。
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(3)サン・ピエトロ大聖堂
バチカン美術館システィーナ礼拝堂から入り行列をスキップする方法もありましたが、バチカン美術館が素敵すぎて時間がかかり、一旦外に出てランチをゆっくり戴き再入場することにしました。
15時頃ですがこの行列。一瞬しまったと思いましたが30分位で入場出来ました。美味しいランチを戴き英気を養ってゆっくり見学できたので良かったと思っています。 -
ベルニーニが1656年から11年間かけて作り上げた広場。
工事用車両や仕切り版が多く、がっかりです。 -
建物正面は1607年から14年かけてカルロ・マデルノにより作られました。
屋根には救世主と11人の使途の像。
前面には聖パウロの像。写っていませんが反対側には聖ペテロの像があります。 -
ポルティコには5つの扉。
「善と悪の扉」
1977年ルチアーノ・ミングッツィ作。 -
もう一方の「善と悪の扉」
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フィラレーテの扉
旧サン・ピエトロ大聖堂時代からあったもの。
扉の中央に聖ペテロと聖パウロが描かれ、その下には二人の殉教が描かれています。アントニオ・フィラレーテ作。 -
聖なる扉
1950年の聖年祭にスイスのカトリック教徒により寄贈されたブロンズ製の扉。聖書の物語が刻まれています。聖年にのみ法王により開かれる特別な扉。ヴィーコ・コンソルティ作。 -
内部に入りました。まずピエタの礼拝堂へ
ミケランジェロ「ピエタ像」
24歳の時に依頼を受け1498年から2年をかけて制作しました。 -
参考までに1年半前にミラノ・スフォルツァ城で見たミケランジェロ晩年のピエタ像
この変化を真に理解するのは難しいですね。 -
ドメニコ・ザンビエーリ「聖セバスティアヌスの殉教」
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上のフレスコ画がある「セバスティアヌスの礼拝堂」
ヨハネ・パウロ二世のお墓があります。 -
綺麗な天井です
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身廊に戻るとこの素晴らしい景色
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この様にしてみると奥の「黄金の司教座」が大天蓋を額縁にしている様ですね。
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ベルニーニ作「大天蓋」
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見事なクーポラです
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覆っているのはカヴァリエール・ダルピーノが1590年に描いた天上の世界。
ミケランジェロの設計にはなかったそうです。 -
ペンデンティブには四福音書記者が描かれています。これは聖マタイ。
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聖ヨハネ
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聖マルコ
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聖ルカ
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クーポラを支える柱には祭壇があり異なる聖遺物が納められ、それに因む聖人像が配置されています。これは聖アンデレアスの像(フランソワ・デュケノワ作)
聖アンデレアスは12使徒の一人。ガリラヤの漁師で最初にイエスの弟子になった。ロシアの布教に貢献。聖遺物は聖人の頭蓋骨。 -
聖ロンギヌスの像(ジャン・R・ベルニーニ作)
聖ロンギヌスは、イエスの処刑の際に脇腹を槍で刺した百人隊の隊長。この時イエスの血が槍を通してロンギヌスの目に入り衰えていた視力が回復しその後改宗した。6世紀以降ロンギヌス崇拝が起こり聖槍伝説が生まれた。聖遺物は聖槍。 -
聖女ヘレナの像(アンドレア・ボルジ作)
聖女ヘレナはコンスタンティヌス帝の母。エルサレムから色々な聖遺物を持ち帰った。聖遺物は聖十字架。 -
聖ヴェロニカの像(フランチェスコ・モーキ作)
聖ヴェロニカは、イエスが十字架を背負って歩いた時、イエスの顔の汗をぬぐった。聖遺物は聖顔布。 -
祭壇の奥の後陣には1666年にベルニーニが製作した「聖ペトロの司教座」。豪華ですね。120トンのブロンズが使用されたそうです。
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中央身廊の右手前には「聖ペテロのブロンズ像」
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ベルニーニが80歳の時に手掛けた教皇アレクサンデル7世の墓碑
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イノセント11世の墓碑
フランス王と論争をした教皇です。改革をした意欲的な教皇と記憶しています。 -
それにしてもきれいな天井だ
これ程の豪華さを味わったことは今までにない。
建設資金を調達するために免罪符を乱発し、それが宗教改革・宗教戦争の大きな原因になったのだから複雑な気持ちになります。 -
(4)サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
テルミニ駅から徒歩5分位ですが、私達はサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂見学後、教会そばのバス停から714番バスで向かいました。
この教会はコンスタンティヌス帝や使徒の墓とは関係ありませんが、5世紀に起こった「神の母マリア」論争に勝利した記念に建立された教会と言う、神学上きわめて重要な教会なので大聖堂になったとの事です。
奥に見えるロマネスク様式の鐘楼は、1377年に建てられ高さはローマで一番(75m)です。 -
ミサ中なので入れません。
身廊と2つの側廊の3廊構造になっています。 -
身廊と側廊を分ける大理石の柱。36本在ります。
柱頭はイオニア式。 -
身廊両側のモザイク画は5世紀前半教会創建時のもので、ローマの教会の中で最も古い物の一つです。左側は旧約聖書のアブラハム・イサク・ヤコブの物語、
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右側は旧約聖書のモーゼ・ヨシュアの物語です。
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金色に輝く身廊天井。
ルネサンスの建築家ジュリアーノ・ダ・サンガッロにより制作され、スペイン国王に献上されたアメリカ大陸の金で化粧されたのですが、1527年のローマの略奪で内部が荒らされ、18世紀半ばフェルディンナンド・フーガが改修しました。 -
勝利の門の横断アーチのモザイク画も5世紀前半教会創建時のものです。
ヨハネの黙示録の世界を具象化しています。
後陣モザイク画は創建当時の破片を集めて13世紀末ジャコポ・トッリティが製作しました。
天蓋は改修をしたフーガの作品です。 -
側廊の天井も金色に輝いています。
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改めて身廊と側廊を分けている列柱の美しさに見とれました。
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右側廊入口付近の洗礼堂
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イル・バッシニャーノが描いた洗礼堂天井のフレスコ画。
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正面のピエトロ作聖母被昇天のレリーフ
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エントランス上部の装飾とマリアのステンドグラス。
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教皇の紋章とマリアのステンドグラスに別れを告げて教会を後にしました。
ミサの為制約も多かったですが、素敵な教会でした。
四大聖堂と言われるに相応しい奥深さがあり、ローマに来るたびに訪れることになりそうです。
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