2019/10/10 - 2019/10/10
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hakusan66さん
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中国の山西省というのは、北京から南西にあります。陸路、北京から、山西省を通って、西安に行けるのです。清朝末期、北清事変(義和団事件)という事件がありました。日本を含む外国公館が攻撃されたため、八か国連合軍が北京に向けて進軍することになったので、当時の権力者、西太后が西安目指し避難するときこの経路を通り、平遥を訪れます。このとき、一行を迎え、接待したのが、今回訪れた「喬家」という大商人です。
平遥古城を訪れるにあたり、まずこの大商人宅を見たくて来ました。中に入ると、西太后がここにやってきたことが碑に掲示されていました。中は豪華な家と庭ですが、展示物もあり、山西省の商人とは何か、どのような商業を行っていたかがわかります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 飛行機
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清朝の商人の大邸宅です。平遥の町から、ここまで、タクシーで来ました。最初に見かける門です。
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門を入って、建物まで、結構遠いですね。
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最初に目につくのが、子供の学習の像。
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これは、北清事変(義和団事件)の際、西太后が西安目指し避難したとき、ここで大商人喬家の主人が出迎えた当時の様子を表している。
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いよいよその入口に入ります。城あるいは宮殿のような建物です。
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邸宅には、19の院落と300の部屋があるようです。
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祁県民俗博物館として公開されています。
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部屋がたくさんあり、どれも似ているので、これは何ですとかといった説明は難しいですね。
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チャンイーモー監督の中国映画「紅夢」の撮影にも使われました。
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この部屋は説明がありました。翻訳すると喬氏の夫婦の居間で、質素な部屋で、寝室も兼ねていたようです。
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日常暮らす部屋のようです。
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寝室はやはりオンドルになっています。
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こちらは喬氏の別の代の方、喬致庸氏が作った居室です。
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全体の案内図です。建物は広いけれど、部屋が似通っていて、特徴がないので、どこへ行こうか考えが出てきません。
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居室、客室、書斎の機能があります。
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庭は中国的でいいですね。建物ばかりだと飽きてしまいます。
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徳興堂です。その名前は、詩経から取っているそうです。
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建物の内部には、多くの展示品があります。これらは、そろばんです。種類が多く、形も異なるので、面白いと感じました。
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ここまで来るとそろばんを模した芸術品ですね。
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秤量貨幣。上は、馬蹄型の銀錠(ぎんじょう)。日本では馬蹄銀と呼ばれる。下の大きいのも、決済に使われたのでしょうか。
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徳興堂の家族が居住する第四院。
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イベントもなく、ただ休むところでした。
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尊聖閣とありますので、孔子を祀っているのでしょう。
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ここに出てくると出口近くです。
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大邸宅とはこのようなものかということはわかりました。大きいのは驚きますが、部屋の装飾というのが、地味で俗な感じがします。ちょっと殺風景かな。ただ、大商人が住んでいたときに、価値のある書画、工芸品が飾られていたのかもしれません。印象が違ってくるでしょうね。
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