2019/11/05 - 2019/11/12
266位(同エリア471件中)
azianokazeさん
- azianokazeさんTOP
- 旅行記450冊
- クチコミ0件
- Q&A回答12件
- 804,406アクセス
- フォロワー30人
2019年11月11日 ウズベキスタン観光実質6日目
ツアーも最終日で、ヒヴァから空路、首都タシケントに移動。
夜の帰国フライトまでの間、抑留日本人墓地(表紙写真)や、やはり抑留日本人と関連があるナボイ劇場などを観光。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
-
ヒヴァのウルゲンチ空港
-
空路、首都タシケントへ移動
フライト時間は旅程表によれば1時間20分ほど。 -
ウズベキスタンの大地
-
タシケント空港到着
-
ラグマン、ウズベク風うどんですね。
-
サモサも
“オーブンや窯で焼かれたパイのこと。バザールや街中などいたるところで大量に売られており、気軽に食べられる国民食のようなもの。中には玉ねぎのみじん切りとジューシーなひき肉がアツアツの状態で入っています。”【「風の旅行社」】 -
デザートなどもガッツリ食べたいところですが、カロリーを考えて半分ぐらいに。
-
先ずは抑留日本人が眠る墓地。
バスを降りてしばし歩きます。 -
道の両脇には、ウズベキスタンの方の墓が。
-
同上 墓石に顔写真を彫り込むというのはわかりやすくていいですね。
家族・親戚でも、遠縁になればどんな方だったのかわかりませんし、身近な家族でも時とともに薄らいでいく記憶もありますから。 -
****タシケント抑留日本人墓地****
場所は市の南東地区、ヤッカサライ通りに位置する公営墓地の一角、ドイツ人墓地に隣接している。
太平洋戦争の終戦直後、中国東北地方(満洲)や樺太に駐留していた日本兵約57.5万人が、武装を解除して投降した後、捕虜としてソビエト連邦内の各地に連行され、過酷な労働を強いられた。
中央アジア地域のウズベキスタンにも約2万3千名の日本軍捕虜が移送され、同国の各地で建設事業に従事する長期的な抑留生活を送り、日ソ間の国交が回復(日ソ共同宣言)され、帰国する1956年までの間に884名(2010年1月現在)が亡くなった。
ヤッカサライにある日本人墓地は、タシケント地区及びウズベキスタン各地で亡くなった抑留日本人共同墓地である。 【ウィキペディア】
****************** -
*************
ソヴィエト時代は土を盛っただけであったがウズベキスタン独立後、遺族関係機関の支援やウズベキスタン政府の協力により、現在のような戦没者名と出身県を刻印した墓石が設けられ、敷地内奥にはこれらウズベキスタン各地に点在する13か所の日本人抑留者墓地の共同慰霊碑が設営されている。【ウィキペディア】
************** -
埼玉の村山正雄さん
-
ここには、87名の日本人が眠っておられるそうです。
-
ウズベキスタンには、ここの他、計13カ所に日本人墓地があるそうです。
-
日本人墓地を後にしてやってきたのは「工芸博物館」
1937年にオープンしたこの博物館は、展示品のみならず、ウズベキスタン各地の職人による建築装飾が施された建物自体が美しい展示品ともなっています。
正式には改名されて「ウズベキスタン国立応用美術館」という名称になっているようです。 -
右手男性は現地ガイドのドストンさん。
-
絨毯
-
-
刺繍工芸
-
-
-
-
-
-
絨毯や刺繍のほか、楽器、陶器、金属製品などなど、いろんな展示が。
-
-
-
工芸品はともかく、このとき私の頭にあったのは「トイレに行きたいけど・・・」という尾籠な話。
小ではなく大きい方。
もちろん館内にトイレはありますので、行きたければ行けばいいのですが、一応グループ行動で動いていますので。
自由時間になればなったで、大勢が一斉にトイレに押しかけ、行列ができるような状態にも。そんなときに長く占有して迷惑になるのも嫌だし・・・。
どのタイミングでトイレに行くか・・・そんなつまらないことを考えており、美しい工芸品はあまりしっかりとは見ていませんでした。
些細な話といえばそれまでですが、このあたりが個人旅行ではないツアーの不便なところです。 -
-
-
-
-
工芸博物館に続いてやってきたのは「ナボイ劇場」
-
ナボイ劇場はオペラ・バレエのための劇場ですが、捕虜として抑留していた旧日本軍兵士が建設に携わったことで、日本人観光客が訪れるスポットとなっています。
1966年4月26日のタシュケント地震では、78,000棟の建物が倒壊するもナボイ劇場は無傷であり、市民達の避難場所としても機能したということで、日本人の勤勉さ・作業の丁寧さを示す「伝説」ともなっています。 -
劇場正面に設置されたプレート
-
**************
ソ連は、レーニンによるロシア革命から30周年にあたる1947年11月までにこの劇場を建設することを決定して建築を進めていた。
しかし、第二次世界大戦が始まったため、土台と一部の壁、柱などがつくられた状態で工事が止まっていた。
そのため大戦後、捕虜として抑留していた旧日本軍兵士を労働力として活用し、革命30周年に間に合わせることを命題とし、建築作業に適した工兵457人の日本兵が強制的に派遣された。
ソ連の捕虜になったのは合計60万人とも言われ、満州で捕虜となった日本兵はシベリアなどで森林伐採、道路・鉄道建設に従事しており、この劇場建設の任務は特殊業務であった。【ウィキペディア】
****************** -
ナボイ劇場から徒歩移動
タシケントはウズベキスタンの首都ですがソ連時代から中央アジアの中心都市として発展しました。
タシケントの人口は約220万人。中央アジアで唯一、地下鉄が走っている街としても知られています。 -
サマルカンド、ブハラ、ヒヴァのような古都ではありませんが、タシケントは昔から東西貿易をつなぐ中継地として発展しました。
10世紀のカラハン朝の時代からタシケントの名前が文献に登場します。
19世紀には人口10万人を超え、ロシアとの中継地として栄えたとのこと。 -
徒歩移動中のツアー参加者一行
画像右手の溝に落ちている薄緑色の街路樹の実が気になったのですが、何でしょうか?たくさん落ちています。 -
やってきたのはティムール広場のティムール像
と言うか、広場自体には入らず、広い幹線道路をはさんだ対面から眺めます。
ウズベキスタンにはティムール像が三つ。
サマルカンドの座位像(今回旅行では見ていません・・・多分)、生誕地シャフルサブスの立像、そしてタシケントの騎馬像。 -
ティムール広場と反対側に伸びる歩道にはたくさんの露店が。
イルミネーションも施されていますので、夜の散策などは楽しいでしょう。 -
今回は、眺めるだけ。
-
本当は、夜に仰々しいレストランで長々と食事するより、10分でもいいので、こういう場所に足を運ぶことができたらいいのですが、あるいは食事は屋台ですますとか・・・そのあたりがツアーの不便なところです。
-
最後にやってきたのは大型スーパー
今夜の帰国に備えて、お土産の「お買い物タイム」です。 -
-
集合時間・場所を決めて、一斉にお目当ての商品へ。
-
チョコレートとかジャムとか蜂蜜とか・・・
ただ、私は特に購入予定はないので眺めるだけ。 -
-
大きなショッピングモールになっています。
-
特にすることもないので、上の階にあがってぼんやりと時間を潰します。
ウズベク最後の時間なのにもったいないですが、まあ、ツアーの場合致し方ないところです。
ツアーであることで、安心・安全に、快適に、効率的に観光することもできましたので、メリット・デメリットはそれぞれです。 -
ウズベキスタン、最後の晩餐
-
-
こういうツアーの場合、ガイド氏へのチップはどうするんだろう?
個人旅行の場合は、1日あたり10ドルとかいった目安もありますが・・・
ツアー客全員がそんな金額を払ったら、ガイド氏は大金を手にすることにも。
ツアー参加者に聞いても、対応は様々なようです。
結局、「気持ち」程度の金額を空港で渡すことにしました。 -
空港では、スーツケースの重量制限が他国より少し厳しかったようで、ツアーの中には対応に苦慮する人も。
-
夜10時頃のフライトで日本へ 所要時間は旅程表によれば7時間50分
私の場合は、成田から羽田へ移動して、更に空路鹿児島へ・・・という長旅が待っていますが・・・
以上、ウズベキスタン観光、無事終了です。
観光も、ツアーもいろいろ楽しめました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
azianokazeさんの関連旅行記
タシケント(ウズベキスタン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
タシケント(ウズベキスタン) の人気ホテル
ウズベキスタンで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ウズベキスタン最安
1,760円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
59