2019/11/05 - 2019/11/12
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azianokazeさん
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ブハラ市内観光の後編
シルクロードのオアシス都市ブハラは手工業が非常に栄えた街で、その製品はシリア、エジプト、ビザンチンにも輸出されていたとか。
そうした面影を留めるバザールを見学。
観光の写真の他、数少ない日本とウズベキスタンの「架け橋」と言えるボランティアで運営されている無料日本語学校「NORIKO学級」の紹介も少し。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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たこ焼き器のような丸いドームがポコポコ並んだ建物が「タキ・バザール」
タキとは“市場”の意味とか、“丸天井”の意味とかありますが、丸天井の場所が市場ということで、ほぼ同義なのでしょう。
かつては、宝石商、帽子商、両替商といった業種ごとに密集した形だったようですが、今ではいろんなお土産屋さんがゴチャゴチャ混じっているという感じ。
ツアー一行は、この「タキ・バザール」でお買い物タイムです。 -
最初にやってきたのは絹織物などのお店
この種のお店によくあるように、最初に作っているところを見学して、その後商品ルームへ。
*****伝統的絹織物アトラス****
シルクロードの中継地であるウズベキスタンには、その名にふさわしいシルクがあります。
アトラスと呼ばれる、日本の絣(かすり)と同じのような方法でつくられた色鮮やかな布地です。
あらかじめ部分的に染め分けた経糸(たていと)の模様にしたがって織り上げていきます。
原色をふんだんに取り入れた織物で、この美しいアトラスは、民族衣装となり、沙漠のオアシスの太陽の光を浴びてカラフルに輝き、とても鮮やかにウズベク女性を引き立てます。【東京農工大ウズベキスタンプロジェクト】
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ウズベキスタンを代表する文様としては「矢絣」が有名です。
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店内
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現代的な感覚からすると、こうした伝統的デザインをお洒落に着こなすのは難しいかも。
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いずれもかなり大胆な柄です。
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こうしたものが、本当に伝統様式に沿ったものなのか、あるいは浅草で売られている外国人向け「着物」の類なのか・・・知りません。
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次は、スザニ(刺繍製品)のお店
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刺繍に使う意図
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続いては、刃物・ナイフのお店
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鳥の形をしたハサミが名物みたいで、この店だけでなく、路上の屋台などでもさかんに売っています。
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現地ガイド・ドストンさんがツアー客を連れてお店を回る「買い物タイム・第1部」が終了
少しだけ、また遺跡観光を。
「ウルグベクのメドレセ」
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ウルグベクは為政者でありながらも、天文学や詩吟、音楽、神学、歴史学などに通じ、学問の高揚に努めていました。
彼は教育の重要性を悟っており、1418年にこのメドレセを建築しました。現存する中央アジアで最古の神学校です。
メドレセの扉にはウルグベクの格言「向学心こそ、ムスリムになくてはならぬもの」、「信仰する人には、いつでも神の祝福の扉が開かれている」と彫られています。【ADVANTOUR】
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「ウルグベクのメドレセ」の対面に建つ、「アブドラジス・ハンのメドレセ」
ウルグベクのメドレセ(神学校)より235年あとの1653年に建築 -
きれいな装飾が施されています。
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このメドレセの左端の塔の上に鳥の巣のようなものが。
しつこく写真を撮っているところを見ると、何やらいわれのあるもののようで、ドストンさんから説明があったのでしょうが・・・・忘れました。 -
タキ・バザールでの「お買い物タイム・第2部」
今度は自由行動です。 -
と言われても、特に土産物を買うつもりもない私としては、やや時間を持て余します。
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付近で見かけた素敵な男女 ちょっと素人とは思えないぐらい。
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「お買い物タイム・第2部」終了後、付近のレストランで昼食
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インドから中央アジア一帯に多い「サモサ」(ミートパイ)のようなもの。
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ラグメン(ラグマン) 中央アジア全域で広く食べられている手延べ麺です。
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スープ
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昼食後、近くの陶器屋さんへ。
ウズベキスタンの陶器には三つほど有名なものがあり、その一つがリシタン焼(写真のものが何焼にあたるのかは知りません。質のいいリシタン焼も扱っているようですが)
数少ない日本とウズベキスタンの「架け橋」と言えるものに、「歩き方」にも掲載されており、TVでも取り上げられたことがあるボランティアで運営されている無料日本語学校「NORIKO学級」があります。
その日本語学校「NORIKO学級」があるのが、リシタン焼で有名なリシタンです。
今回のツアーガイドのドストンさん(30歳過ぎぐらいの男性)はリシタンの出身で、彼自身も「NORIKO学級」の生徒でした。その後、文部省の留学生試験にパスして、筑波大で1年学んだそうです。
そのドストンさんのおじいさんがリシタンでは有名な陶器の職人でした。 -
ソ連崩壊・ウズベキスタン独立時の混乱で、それまでの大きな国営の陶器工場は潰れ、ドストンさんのおじいさんが中心になって、なんとか大勢の陶工たちの生活がなりたつようにあれこれやっていたそうですが、ある展示会でリシタンの焼き物を見た日本大使が九谷焼とコラボすればいいものが生まれると思い、おじいさんと日本大使の交流が始まりました。
その関係でドストンさんのおじいさんは日本に来て九谷焼の技法を学ぶことに。
ちょうどそのときウズベキスタンで工場建設の仕事を請け負っていた日本企業「コマツ」は、現地に派遣するエンジニアの日常の面倒をみてくれる人を探していました。
そして、近隣にウズベキスタンから陶工が来日しているのを知り、30名ほどのエンジニアの現地生活の面倒を依頼します。
ドストンさんのおじいさんはこの依頼を受けて、コマツのエンジニアのウズベクでの面倒をみることに。
ドストンさんの家でも大勢のエンジニアが暮らしていたそうです。 -
リシタン焼の画像
画像は「自転車世界一周TRANSIT」(Shinrinさん)http://shinrinworldts.blog.fc2.com/blog-entry-148.htmlからお借りしたもの
前述の縁で、下記のような話に。
*****無料の日本語学校、灯は消さない 創設者の遺志継いだ校長の決意****
(中略)この地にNORIKO学級ができたのは1999年。建設機械大手コマツのエンジニアだった大崎重勝さんが、フェルガナ盆地の他の街にできた自動車工場で重機操作を指導するため、ウズベキスタンと日本を行き来していた。
その大崎さんが退職金を元手に、妻の紀子さんと開いた学校だ。学校名は、紀子さんから取った。
ガニシェルさんは工場で運転手や世話係として働いていたが、滞在していた日本人と接しながら独学で日本語を身につけ、開校時には資金も出した。
学校ではこれまで約5000人が学び、100人以上が日本に留学。商社や銀行など日本企業で活躍している卒業生もいる。
大崎さんは体調を崩して2001年に帰国。その後05年に病没した。ガニシェルさんは、大崎さんの遺志を継いで学校を続けることを決めた。
現在、講師はウズベキスタンを観光で訪れる大学生などの日本人ボランティア頼み。(後略)【2月20日 GLOBE+】
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画像は同上
現地ガイドのドストンさんは、単に日本留学の経験があると言うだけでなく、上記のように、おじいさんが日本とウズベキスタンの「架け橋」に深く関連された方でもあります。
この「NORIKO学級」のおかげで、リシタンの人々の多くが職を得ることができるようになり、暮らしも改善したそうです。 -
やってきたのは「リャビ・ハウズ」
前編で紹介した「バラ・ハウズ」と並ぶブハラを代表する池です。
1620年に用水池としてつくられ、36m×45m、かつて砂漠を旅してブハラにたどり着いた旅人・キャラバンにとっては、まさにオアシスでした。 -
池の正面には「ディバンバギ・メドレッセ」
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池のほとりにはチャイハナ(茶店)
こういうチャイハナでゆっくりお茶したいのですが、26名団体様ですからそれも無理です。 -
記念撮影する新婚さん
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ロバにまたがるフッジャ・ナスレッディンの像
フッジャ・ナスレッディンは高名な神学者です。
メドレセでの講義はユーモアに溢れており神学生からとても人気があったそうです。
彼にまつわる逸話も沢山残されており、今もブハラの人達に慕われているとか。ウズベキスタンの一休さんですね。
ティムールから「自分は天国に行けるか」と尋ねられて、「天国なんかはつまらないところだ。チンギスハンやアレクサンダーが待っているから地獄に行ったら」と答えたという気骨がある一面も。 -
新婚さんがここにも。
新郎の表情が不機嫌そうなのは地顔か? -
先ほど池の反対側から見ていた「ディバンバギ・メドレッセ」 1622年に完成。
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イスラムでは偶像崇拝は禁止されていますが、この神学校は、中央に人の顔が描かれた日輪、両脇に2羽のフェニックス、フェニックスが爪でつかむ白い鹿が描かれており、非常にユニーク。
日輪の中の人の顔というのはゾロアスター教の影響とか。
ペルシャ系ソグド人が住んでいた地域ですから、ゾロアスター教の影響が濃いのでしょう。
いずれにしても、偶像崇拝禁止ということについても、様々な解釈を許容する多様性が本来イスラムにはあるのでしょう。
固定的にとらえる発想は原理主義的で、過激派的なものを生むことにも。 -
このあたり一帯は公園のように整備されており、そのなかに遺跡が点在しています。
こちらは「イスマイル・サマニ廟」
9世紀にブハラを支配していたサーマーン朝のイスマイル・サマニが父親のために建てた廟で、後に一族の霊廟となったものとか。 -
古代以来のレンガ建築で建設されており、中央アジアにおける最古のイスラーム建築。
こぶりの可愛らしい廟です。
チンギスハンの破壊を免れたのは、砂に埋もれていたためとか。 -
内部
「壁の材質にはレンガのみが使用され、レンガの凹凸のみを使用して複雑な陰影を表現している」【ウィキペディア】
「レンガは一辺20-25cmの正方形、厚さは3-5cmの形状をしており、レンガに施された装飾はイスラーム化以前の中央アジアの建築に見られる特徴が残る」【同上】 -
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「廟は外観と内装両方の美しさを評価されて宝石箱にも例えられており、月の光に照らして見た姿が最も美しいと言われている」【ウィキペディア】
この廟を反時計回りに3回まわると「健康」が、時計回りに3回まわれば「お金」が手に入るということで、ツアー一行はゾロゾロと回ります。
みなさん「健康」を選択されたようですが、私は「お金があれば健康も買えるさ」ということで「お金」を。
欲深い方は、両方まわられていました。 -
猫
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ゆりかご
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銀細工実演中
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「イスマイル・サマニ廟」と同じ園内にある「チャシュマ・アユブ廟」
チャシュマとは泉、アユブは旧訳聖書のヨブのこと
ヨブがここに杖を立てたら泉が湧き出たという伝説があり、今でもその泉が湧いでいるそうです。 -
泉が彫られたのが12世紀
真ん中のドーム建設が14世紀
手前のドーム増設が16世紀
妃がこの泉で病気を治したため、王がこの塔を建てたという伝承などもあり、多くの伝染病患者が集まったので、疫病が広まるのを恐れたハーンがこの泉の使用を禁じたとのこと。
今でも飲んでいる人はいるそうです。 -
観光はこれで終了でしたが、公園のように整備された敷地内には観覧車があって、ツアー客の中でも最高齢女性が是非乗りたいとのこと。
私も嫌いではないので、お付き合いすることに。
ガイドのドストンさんは早くホテルに戻りたそうな雰囲気で(来たときは、「後で好きな方は乗ってください」と言っていましたが、本当に乗りたいという人間がいるとは思わなかったようです)、「他のみんなを待たせるのは・・・」と渋っていました。
そこで、他のツアー客にも声をかけたところ、「じゃ、私も・・」という方が大勢出てきて、結局半数以上が観覧車に乗ることに。
まあ、何も買わない買い物ツアーにお付き合いしましたので、このくらいのわがままはいいでしょう。
写真は観覧車からのブハラ市街の眺め。 -
先ほど訪れた「イスマイル・サマニ廟」
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中央にカリャン・ミナレット、左手にアルク城
観覧車を楽しんだあと、ホテルへ戻ります。 -
この日の夕食は、ホテルで「民族ショー」(民族舞踊と伝統衣装をベースにしたファッションショー)を観ながらの食事
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こちらはファッションショー(日本で言えば、着物ショーでしょうか)
ウズベキスタンのファッション感覚がわかって面白い面もあります。 -
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私の感覚では?なファッションにも思えますが・・・・
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でもって、食事の方はこんな感じ チキンだったかな?
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肉団子スープ
翌日はヒヴァに移動します。
その記録は、また次編で。
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