2019/11/05 - 2019/11/12
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azianokazeさん
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ウズベキスタン旅行(トラピックス参加 一人旅)の実質三日目は古都ブハラ観光
観光の中心は、「アルク城」と「カリャン・ミナレット」
写真は、ブハラのシンボル「カリャン(カラーン)・ミナレット」(中央の塔)を含む「パイ・ミナル(ミナレットの麓)」
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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11月8日 朝 ホテルの朝食
普段はトーストに紅茶だけですから、これでもカロリーオーバー
旅行に出ると、つい食べ過ぎてしまいます。 -
ホテル正面からの眺め
ホテル自体も、写っている建物のようなウズベキスタンにしては珍しい高層の建物です。 -
バスの車窓から ブハラ市街
ウズベキスタンは土地が余っているせいか、市街中心部でも敷地を広くとった低層の建物が多いようなイメージ。あくまでもイメージです。 -
この日、ブハラ観光の最初にやってきたのは「バラハウズ・モスク」
“やってきた”というより、このモスクの向かいにある「アルク城」に行くために、このモスク前を通過したという話ですが。
モスクは作業中で中には入れませんでした。
なお、チャーター便で日本からいくつかの旅行会社のツアーが来ていますが、同時刻に同じ場所で重ならないように、コース設定は調整しているようです。
「バラハウズ・モスク」は、1718年に建てられたブハラのハーン専用モスクだとか。
現地語で「ハウズ」は石垣でキレイに四角く取り囲んだ『池』を、「バラハウズ」は「池の前」を意味します。 -
「アルク城」の向かいに位置していますので、かつてハーンはアルク城から絨毯の上を歩いてこのモスクまで来たそうです。
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この日、池の水は抜かれていました。
バラハウズ・モスクには、クルミの木で作られ柱が20本並んでいますが、それが池に映って見えることから「40本柱のモスク」とも呼ばれているそうです。 -
池に水があれば、こんな感じにもなるようです。
きれいですね。「40本柱のモスク」の名前もうなずけます。
「工房八重の部屋」https://blog.goo.ne.jp/koubou-yae/e/1fceed03fc5c6cddb13e761233c66bab
から写真を無断でお借りしました。 -
広い道路をはさんで、向かいがアルク城
完璧な逆光ですが・・・。 -
城門
ティームル帝国の後、ロシアが征服するまでの16世紀初頭から20世紀初頭にかけて、ウズベキスタン地方は、ヒヴァを中心とする「ヒヴァ・ハン国」、フェルガナ盆地を中心とする「コーカンド・ハン国」、そしてブハラを中心とする「ブハラ・ハン国」の三つの勢力が鼎立する形になります。
もっともブハラハン国と言っても、一つの王朝ではなく、「「ブハラに首都を置き、ハンを推戴する国家」の総称で、シャイバーニー朝、ジャーン朝、マンギト朝(英語版)の3王朝を指すようです。
このアルク城はブハラ・ハン国の歴代ハン(王様)の居城でした。 -
3ハン国が鼎立していた頃の勢力図 アルク城内資料館展示品より
オレンジがヒヴァ・ハン国、中央黄色がブハラ・ハン国、紫がコーカンド・ハン国・・・多分。 -
アルク城の城門
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城門をくぐる通路
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通路脇の部屋は、かつては囚人が入れられていた地下牢になっています。
ハンの権力に逆らう者は、城の前のレギスタン広場(レギスタンは砂場の意味)で、見せしめとして残忍な方法で処刑されたとか。 -
城門をくぐって、まずやってきたのが夏用のモスク・・・だそうです。(他の方の旅行記などによると。そう言えば、そんなことをガイドのドストンさんが話していたような・・・・ろくに聞いていませんし、聞いても右から左なので・・・)
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モスク内部
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天井の装飾
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これはアルク城とは関係ありません。
アルク城の正面に立つ塔で、昔、敵に包囲されたときのための給水塔としてつくられ、今は展望台になっているとか。
あそこから眺めたら、ブハラの街がよく見えるだろうに・・・と思ったものですから。 -
アルク城に戻って、謁見の間(玉座の間)
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謁見の間の入口 前面に障壁が。
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「ふーん・・・」って感じのツアー客
妙にばらけた感じが面白いですね。 -
玉座が置かれていた場所 玉座そのものは、別の場所に展示されています。多分。
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地下倉庫と門前のライオン
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アルク城内資料館展示品より
かつてのアルク城 よくわかりませんが、20世紀初頭ぐらいでしょうか。
現在の城壁などは、だいぶ補修されたもののようです。 -
よくわかりませんが、かつての王様でしょうか。
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多分、最後の頃のハーンでしょう。
上の絵もそうですが、国民から搾り取った富で贅沢な暮らしをしていたようで、随分と肥満体です。 -
そのため、着ていたものもラージサイズ。
中央は玉座 -
こちらは、お妃様の衣装でしょうか。とても綺麗です。
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ブレてしまいましたが、同上
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こちらは将軍でしょうか?
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給水の大きな壺でしょうか。
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これは現在のブハラの写真でしょう。
高い塔が、これから向かうブハラのシンボル、「カリャン・ミナレット」 -
城内見学を終えて、外に出てきました。
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観光用でしょうか、ラクダも。
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城壁
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アルク城全景
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アルク城の次にやってきた「カリャン・ミナレット」(中央の塔)を含む「パイ・ミナル(ミナレットの麓)」
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ブハラのシンボル、カリャン・ミナレット
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ミナレットはペルシャ語で光塔という意味。高くそびえ、最上部に窓があいているのが基本の形。
中央アジアで最大といわれているカリヤン・ミナレットは、40数メートルあり、オアシスの町ブハラのシンボルとなっている。
18~19世紀には罪人を塔の上から投げ落としたため、「死の塔」と呼ばれたこともある。
夜になると塔の上に火が点され、あたりを照らし出すこの「燈台」は、ハウズ(池)や食物のあるオアシスがまわりに開けているので、シルクロードを行くキャラバンの拠り所となった。
日干しのレンガで作られた壁は、複雑な模様を浮かび上がらせ、見飽きることがない。【AB ROAD】
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ミナレットの隣は「カリャン・モスク」
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1514年にカラハン朝のアルスラン・ハーンによって造られた、広さが1 ha、1
万人の信者が礼拝できたというから、サマルカンドのビビ・ハヌム・モスクに匹敵する巨大な礼拝所。【「ウズベキスタン シルクロードのオアシス】
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カリャン・ミナレットとはブリッジで連結しています。
(現在はミナレットは上れません) -
カリャン・モスクの対面はミル・アラブ・メドレッセ
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このメドレセは16世紀に建設された、ブハラで最も優れたメドレセのひとつであり、すばらしい建築様式と装飾が際立っています。
過去には損壊した経験を持ちながらも、現在はほぼ完全な姿で見ることができます。
宗教を禁じられたソ連時代にも、開校を認められていた貴重な神学校のひとつです。
ティムール廟を調査のため開封した直後にナチスドイツによるソ連侵攻が勃発したことから、恐怖の念を抱いたスターリンによって存続が認められたという話も残っています。【ADVANTOUR】
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この神学校をつくった人物は、3000人以上のペルシャ人奴隷を売って建設資金をつくったとのことで、「このメドレセの土台はれんがと粘土ではなく、奴隷達の血と涙と悲しみだ」と歴史家は記述しているそうです。
もっとも、それを言えば、ティムールやの他の英雄がつくったものも、その富が何によってもたらされたのか・・・という話にもなります。 -
広大なカリャン・モスク内部
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同上
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同上
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同上
他の宗教と異なり、イスラムは偶像崇拝を否定していますので、仏像・神像の類はありません。
だだっ広いモスクの空間で、異教徒としてはやや戸惑う感も。 -
同上
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カリャン・モスクから外に出て、ル・アラブ・メドレッセ
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カリャン・ミナレット近くのオッパイ型建物
前面は土産物屋さんになっているみたい。 -
カリャン・ミナレット
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トイレを利用するため、再びカリャン・モスクの中に。
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以上で「パイ・ミナル(ミナレットの麓)」観光を終えて、市場に移動して皆さんお待ちかね買い物タイム
写真枚数も増えてきたので、ここでいったん締めて、続きは次編で。
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