2019/11/17 - 2019/11/17
11位(同エリア114件中)
たろたろさん
この旅行記スケジュールを元に
天気のいい日曜日。今日は恵那までドライブです。大正時代の雰囲気を残した大正村。大正時代にタイムスリップした気分で街歩きです。まだ早い時間なので観光客も少なくてゆっくり散策できました。
明知城跡は行くのに少し大変でしたが、いい運動になりました。来年は明智光秀が大河ドラマの主役ということで大正村はゆかりの地らしく光秀一色でした。
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今日も天気がいいのでドライブに出かけます。
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今月は毎週のようにお出かけしてます。
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パパさんは今日は恵那の方に行ってみたいそうです。『道の駅 そばの郷 らっせぃみさと』で休憩。
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「そば打ち体験道場」二八そばを打って食べることができます。まだ8時30分なのにそば打ちしてるよ。テレビか何かの撮影中でした。
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直売所では新鮮な野菜を販売していました。「青トマト」安いですがどうやって食べるのかな?
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そうそう。道の駅に来る前に見つけました。
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《飛び出し坊や》なのかな?女の子だけど。
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同じ岐阜県でも岐阜市や大垣市では見たことないです。ちょっと怖くないですか?
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途中の道も紅葉できれいです。
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もう紅葉も終わりですがこの辺りは見頃です。
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気持ちいいドライブコースです。
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9時。日本大正村に到着。愛知県の明治村、岐阜県美濃加茂市の日本昭和村は行きますが、大正村は25年ぶりくらいかも。
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駐車場に車を停めて散策します。
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朝市が開催されていました。朝市というよりフリーマーケットのような感じで骨董品とかもありました。
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「大正村浪漫亭」お土産、カフェ、レストランが入っています。
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2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」は明智光秀が主役です。恵那は光秀ゆかりの地なのでお土産も光秀推しです。
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すんごい売れてるプリンの横に光秀ぷりん。あやかり商品があっちにも、こっちにも(笑)
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建物の裏には写真を撮れるコーナーも。インスタ映えを狙います。
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なぜか、散策の前にお土産を買ってしまい(帰りに買えばいいものを)車に置きにいくはめになりました。
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気を取り直して散策を始めます。
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観光案内所で「まち歩きマップ」をもらったので地図を頼りに散策します。
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《糸曳き乙女地蔵》橋を渡ってすぐにあります。製糸工場で働いていた女工さんの供養のためのお地蔵様でしょうか。
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まち歩き最初は《大正路地》から。
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大正路地の道は石畳でできています。江戸時代から続いた呉服問屋の蔵と年貢米を納めていた米蔵が並びます。
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両側には黒い防火壁があり、これは大正時代から残っているものです。
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大正時代の雰囲気が残る路地と黒壁と漆喰の白が鮮やかでフォトスポットになっています。
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《日本大正村役場》瓦葺きの寄せ棟造りで洋風な外観です。
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大正村役場は旧明智町役場庁舎です。町役場として昭和32年まで使われました。登録有形文化財に指定されています。
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当時は超最先端なモダンな建物でした。今日は大正108年11月17日です。
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中は自由に見学できます。ボランティアの方が出てきてにこやかに挨拶してくださいました。
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休憩所もあり自由にお茶をいただけるようです。
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電話もレトロでかわいい。
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階段を上って2階へ。
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村長公室。
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豪華な応接室。応接セットも当時のままなのでしょうか。
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カンカン帽が大正っぽいですね。
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初代村長は高峰三枝子さん。二代目は司葉子さん、現村長は竹下景子さん。写真がたくさん飾られています。
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《絵画館》こちらの洋館では絵画や書物の展示のような企画展示が行われています。
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《大正浪漫館》大正時代のモダンな洋風建築の建物。
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ここは有料。立派な庭園にはバラがたくさん植えられています。6月ごろには美しく咲き誇ります。
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大正村議会議長の春日野清隆氏の銅像。
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大正村初代村長 高峰三枝子さんの銅像。
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2020年1月11日から1年間、大正浪漫館の1階に「麒麟がくる 岐阜恵那 大河ドラマ館」がオープンします。恵那は光秀一色の1年になりそうです。
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大正浪漫館の裏手には今までの洋風建築とは違う昔のお屋敷がありました。
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《旧三宅家》元禄元年(1688年)に普請されたと書いてあります。
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鳥居建てという形式の建物です。
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外には薪もあっていい感じです。
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奥に座っている方が囲炉裏で薪を焚いてみえました。家を長持ちさせるのに必要ですね。
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いろいろと説明していただきました。ありがとうございました。
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次は旧三宅家の裏の道を通って《明知城跡》に行きます。
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山道を登ります。
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《万ヶ洞天神神社》明智光秀が幼少期ここで学んでいたという説明。
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けっこう大変です。
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本丸まであと少し。大正村ウォーキングコースだったんですね。
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二の丸到着。特に何もありません。本丸跡も建物があるわけではないので興味のない私にはただの平地にしか見えませんでした。ごめんなさい。
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大正村のある明智町は明智光秀ゆかりの地です。
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宝治元年(1247年)にこの千畳敷台地に砦が築かれ、明智光秀はこの砦で生まれたとされています。
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しかし、ここが光秀の生誕地の可能性は調べてみると低いらしいです。
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可児市にある明智長山城である可能性が高いとされています。
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明知城。標高530mの山に築かれた自然の地形を利用した平山城で今もその様子が原形のまま残っています。
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足利時代に明智と呼ばれていたこの場所は、なぜか江戸時代に明知と改名されました。
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本能寺の変を境に追求を恐れて改名したとの説もあるようです。なるほど。
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反対側の下に降りて近道だと思ったのですが、ここに車を停めて明知城に行く人用の道でした。
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ここから大正村には行けないので仕方なく、もと来た道を戻りました。余計疲れたー。
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大正浪漫館まで戻ってきました。軽い登山をした気分です。
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《格子のある家》はここでしょうか
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日本大正村がある明智町には今も多くの大正時代の建物が残っています。
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特定の敷地内だけでなく街全体が大正時代の雰囲気を残していて、街全体が大正村です。
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明治村のようなテーマパークを想像して来ると違和感を覚えるかもしれません。
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十六銀行。今も銀行として使われています。こういうところが大正村です。
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この後は城下町岩村へ向かいます。
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