2019/07/10 - 2019/07/10
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エンリケさん
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2019年夏休みのポーランド旅行記5日目。
この日は、ポーランド中部の世界遺産都市、トルンを観光。
ワルシャワやクラクフに比べ、日本人にはあまり馴染みのない都市ながらも、第二次世界大戦の被害を受けずに残った中世からの街並みは素晴らしいの一言。
コンパクトな街のサイズも手伝って、気負わずにゆっくりと観光を楽しむことができた一日となりました。
<旅程表>
2019年
7月 6日(土) 羽田→ミュンヘン→ワルシャワ
7月 7日(日) ワルシャワ
7月 8日(月) ワルシャワ→グダンスク
7月 9日(火) グダンスク→マルボルク城→グダンスク
→トルン
〇7月10日(水) トルン→ウッチ→クラクフ
7月11日(木) クラクフ
7月12日(金) クラクフ→ヴィエリチカ岩塩坑→クラクフ
7月13日(土) クラクフ→アウシュヴィッツ・ビルケナウ
強制絶滅収容所→クラクフ
7月14日(日) クラクフ→ミュンヘン→
7月15日(月) →羽田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
7月10日(水)
この日は日中トルンを観光し、夕方にポーランド南部の歴史都市クラクフに向かうスケジュール。
まずは朝7時30分、朝食をとりに宿泊したトルンの宿Hotel Pod Orlemの食堂へ。
早朝移動がない分、今回の旅の中ではややのんびりめのスタートです。ホテル ポッド オーレム ホテル
-
食堂はこんな感じで明るい雰囲気。
朝食はもちろんバイキング形式です。 -
早速お皿にパンやハムなどを集めて腹ごしらえ。
そういえば今回のポーランド旅行、宿は基本的に朝食なしのプランだったので、しっかり朝食をとったのはこのときだけだったかも。 -
食後にはデザートやスイーツもいただきます。
このHotel Pod Orlem、到着時のおもてなしのみならず、朝食も充実していて、何から何まで大満足の宿でした。 -
窓の外を見ると、通りを行く人々の姿がちらほら。
さて、居心地の良いこの宿にいつまでも安住していないで、そろそろ動き出しますか。 -
9時30分、荷物をフロントに預け、旧市街に繰り出します。
ちょっと雲が多いですが、この日は雨は大丈夫かな・・・。シェロカ通り 散歩・街歩き
-
大通りのシェロカ通りをまっすぐ進み、旧市街の中心部、旧市庁舎前へ。
前夜も見たコペルニクス像がお出迎えです。コペルニクスの像 (トルン) モニュメント・記念碑
-
続いて隣の旧市街広場へ。
目の前に見える淡い色の建物は聖霊教会。
朝からお祈りに訪れる人の姿も見受けられます。旧市街広場 広場・公園
-
旧市街広場を横切って、聖母マリア教会へ。
14世紀創建のゴシック様式の教会とのことですが、こちらは一部改修中らしく、ところどころ足場が組まれています。
中に入れるようなので入ってみると・・・。聖母マリア教会 (トルン) 寺院・教会
-
高い天井の下には厳かな空間が。
早朝のこの時間帯、忙しい通勤の間に訪れて祈りを捧げていく人々の姿が印象的でした。 -
10時、旧市庁舎内の施設の開館時間になったので、早速中庭に入ったところにあるチケット売り場へ。
この日は常設の博物館(美術館を含む)と塔、特別展のマテイコ展が入館可能とのことで、とりあえず全部買ってみました(笑)。
入館料は博物館が水曜のため無料、塔が15ズウォティ(約440円)、特別展が10ズウォティ(約290円)でした。旧市庁舎博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
まずは常設の博物館部分から。
2階に上がると、かつて会議などに使われたと思われる大ホールが。 -
その奥の部屋には、この建物が市庁舎だった時に使用していたと思われる調度品が。
真ん中に見える白い陶器製の置き物はストーヴ。
一見、衣装箪笥などと間違えてしまいそうなオシャレなデザインです。 -
中庭を挟んで反対側の回廊は美術館になっています。
まず2階部分は近代美術のエリア。 -
展示されているのは20世紀前半、主にポーランドが第一次世界大戦後に独立した後のポーランド人画家の作品。
こちらはGustaw Gwozdecki(1880-1935年)という画家の“帽子をかぶった女性の肖像”(The portrait of a woman in a hat、1920年)。
マティスに代表されるフォービスム(野獣派)風のタッチが印象的。 -
続いてEdward Karniej(1890-1942年)という画家の“裸体画”(The nude、1930年)。
こちらはゴーギャン風でしょうかね。 -
Waclaw Wasowicz(1891-1942年)の“カード遊びをする人々”(The players、1932年)。
セザンヌの同名の作品にインスピレーションを得て描いたものでしょうか。
【ポール・セザンヌ カード遊びをする人々~アートペディア(Artpedia)】
https://www.artpedia.asia/work-the-card-players/ -
Wojciech Weiss(1875-1950年)の“画家とモデル”(The painter and a model、1911年)。
ポーランド人画家らしい(?)エロティックな作品です。 -
近代美術の部は数部屋続きます。
この美術館、特に有名な画家の作品はありませんが、どこか親しみがあって見やすい感じ。 -
近代美術の最後は彫刻作品。
こちらはXawery Dunikowski(1875-1964年)という彫刻家の“ダンテ像”(Dante、1903年以前の作)
よく特徴を捉えた作品です。
【ダンテ・アリギエーリ~ウィキペディア(Wikipedia)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダンテ・アリギエーリ -
3階に上がって最初の回廊にあったのが、特別展のマテイコ展。
ポーランド分割下のオーストリア領クラクフに生まれ、ポーランド人の民族的誇りを取り戻そうと、数多くの歴史画を描いたヤン・マテイコ(Jan Matejko、1838-93年)の作品を集めた特別展です。
肖像画や習作などが中心で、ワルシャワの旧王宮や国立美術館で見たような大作はなかったものの、彼独特の精緻な筆遣いなどに触れることができ、マテイコに関する理解を一歩進めることができました。
撮影禁止だったのが残念・・・。
【雨多き初夏のポーランド(2) ワルシャワ旧王宮のマテイコの歴史画】
https://4travel.jp/travelogue/11527283#photo_link_61464868 -
3階の次の回廊は常設展の続きで、こちらは現代美術。
近代美術と比べるとやや難解のため、あまり人が入っていない・・・かな? -
現代美術の部のいくつかの作品をご紹介。
こちらはAnna Alina Guntner(1933-2013年)の“高校卒業”(High school graduates、1962年)。
なんとなく分かる絵ではありますね(笑)。 -
Marek Zulawski(1908-1985年)の“アダム”(Adam、1961年)。
原罪を負ったアダムの名前を冠しているところ、“悩める人間”といった主題でしょうか。 -
Antoni Rzasa(1919-1980年)の“逃げる預言者”(The fleeing prophet、1977年)。
こんな細長い顔でも、イエス・キリストと一発で分かりますね。
ポーランドの現代美術は他の国のものより難解ではなく、見ていて気付きが感じられて面白いです。 -
そんな現代美術の回廊を抜けて・・・。
-
こちらも特別展になっていたガラス工芸の間。
マテイコ展とは違って、無料で見学できるようです。 -
こちらは19世紀後半に当時オーストリア領だったチェコ中西部のボヘミア地方で作られたボヘミアングラス。
緑色のソーダガラスを使った安価な日用品として、当時ヨーロッパ中で流通していたそうです。 -
1階に戻ってきてこちらは18世紀頃の調度品などを展示している回廊。
この旧市庁舎、もっと小規模かと思っていたら意外に展示品が盛り沢山ですね。 -
こちらは18世紀後半に作られた衣装箪笥。
木目がうまく使われていて、図柄も高級品らしい感じです。 -
壁に掛けられていたこちらは、18世紀のトルンの街並みを描いた風景画。
何ともまあ、前日夕方に見たヴィスワ川対岸からの眺めにそっくり。
こういうのを見ると、中世からの街並みがよく保存されているということが一目で分かりますね。
【雨多き初夏のポーランド(7) ヴィスワ川対岸からのトルンの眺め】
https://4travel.jp/travelogue/11583148#photo_link_64150191 -
1階の中庭を挟んで反対側の回廊は宗教美術の間。
-
こちらは15世紀末、チェコ国境に近いシロンスク(ドイツ語ではシュレジエン)地方の工房で作られた祭壇彫刻。
-
こちらは16世紀初頭に同じくシロンスク地方の工房で造られた祭壇彫刻。
ちなみにこのシロンスク地方、中世より鉱工業が発達していたため各国の争奪の的となり、14世紀以降、ボヘミア王国、オーストリア(ハプスブルク家)、プロイセン(ドイツ)と様々に支配者が変わり、最終的にポーランドに戻ってくるのは、第二次世界大戦によるドイツの敗戦を待たなければなりませんでした・・・。 -
12時、旧市庁舎内の博物館、美術館の見学を終え、いったん外へ。
今度は大通り沿いにある入口から塔に登ります。旧市庁舎 建造物
-
幾重にも続く階段を上り切り、塔の頂上にたどり着くと、そこからはトルン旧市街の素晴らしい眺めが。
聖霊教会 寺院・教会
-
南側には、ワルシャワから滔々と流れ来るヴィスワ川と、その先に続く大平原が。
-
東側には赤い屋根の旧市街が続きます。
-
ぐるっと回ってもう一度、聖霊教会とヴィスワ川をパチリ。
天気にも恵まれて、ここ何日かで最高の写真が撮れました。 -
12時30分、旧市庁舎の見学をすべて終え、再び大通りへ。
いよいよいい天気になってきましたね。 -
そんなしばらく散歩でもしたいいい天気ですが、この街出身の偉人、コペルニクスの関連物を展示しているという“コペルニクスの生家”が気になったので、1ブロック離れたところにあるその生家へ行ってみることにします。
コペルニクスの生家 建造物
-
この“コペルニクスの生家”、外見は赤レンガ造りのクラシックな家屋のような感じですが、中身は丸ごと博物館。
入館料13ズウォティ(約380円)のところ水曜日は無料とのことで、早速館内を進んでみると、最初はこんな天文学を意識した展示室。 -
続いては宇宙服を試着・・・でなくて、ヘルメットのような怪しい被り物を使ったユニークな展示。
わたしも被ってみましたが、何か文章が見えるだけで、それが何を表わすのか、そこから先の映像へ行けるのか、いまいち意図がつかめずじまいでした・・・。 -
こちらが、地動説を唱えたニコラウス・コペルニクス(1473-1543年、ポーランド語ではミコワイ・コペルニク)の肖像。
ヤギェウォ朝統治下のトルンの銅商人の家(彼の姓はゲルマン系言語の“コッパー”(銅)に由来)に生まれた彼は、10歳で父を亡くした後、司祭をしていた叔父に引き取られます。
コペルニクスは司祭になるようにとの叔父の勧めに従い、1491年にクラクフ大学に入学しますが、ここで当時、天動説に疑問を持っていた天文学者アルベルト・ブルゼフスキの教えを受け、天文学に興味を持つことに。 -
クラクフ大学での学業を終え、いったん司祭になったコペルニクスですが、学問への興味を捨てきれなかったのか、1496年にイタリアのボローニャ大学に留学。
本来は法学を学ぶために入学したのですが、ここでもまた、著名な天文学者ドメニコ・マリア・ノヴァーラ・ダ・フェラーラに出会い、天文学の知識を高めることになります。
・・・続いての部屋は中世トルンの生活用品などを紹介する部屋。
この街でかつて使われ、今に伝わっている陶器や靴などが展示されています。 -
こちらは中世の都市住民の生活を再現した部屋。
着飾った男女像は、フランドルの画家ヤン・ファン・エイクの“アルノルフィーニ夫妻像”(1434年)をモデルにしていることが一目瞭然ですね。
【アルノルフィーニ夫妻像~ウィキペディア(Wikipedia)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルノルフィーニ夫妻像 -
続いて都市住民の食卓の様子。
肉や鶏、果物が皿に載せられていますが、シンプルなことを除けば現代の食生活とさほど変わりはありませんね(笑)。 -
こちらは食糧の貯蔵部屋でしょうか。
現代でも十分栄養が採れそうな食材ですね。 -
続いては天体観測用具の部屋。
やはり幼い方がこういう世界に憧れるのか、大人よりも子どもたちの方が興味津々です。 -
分度器や変わった形の定規など。
コペルニクスはこういった用具を使って天体観測を行っていたのでしょうか。
・・・1500年、ボローニャ大学を卒業したコペルニクスですが、よほど学問への探求心が強かったのか、1501年、今度は医学を学びにパドヴァ大学に入学。
同大学を卒業した後は、ポーランド北部のヴァルミアにて司祭兼医師として働く傍ら、独自に天文学の研究を進め、後世において彼の名を永久のものとすることになる“地動説”の理論を少しずつ固めていくこととなります。 -
最後は“死の床のコペルニクス”(1543年)を描いた絵画。
1510年代からすでに知人に対して地動説を唱え始めていた彼は、周囲の勧めにより、晩年になってようやくこの学説を出版しようとしますが、その主著“天体の回転について”の校正刷りが届いたのは、脳卒中に倒れた彼が亡くなった当日だったという・・・。
よく言われている、“コペルニクスが生前に地動説を発表しなかったのはカトリック教会からの反発(破門)を恐れて”というのは、どうやら都市伝説の類のようです。
以上をもって、“コペルニクスの生家”の見学を終了。
上記にあげた写真のほか、屋根裏部屋のようなところで天体の動きを表現したプロジェクションマッピングのようなものもありましたが、トータルで所要時間は1時間程度。
展示内容はややマニアックなものが多く、コペルニクスや中世の市民生活にあまり興味がない方は、トルンの観光から飛ばしてみてもいいかもしれません。 -
13時30分、続いてはトルンに現存する教会の中でも13世紀に起工され、最古のものと言われる“聖ヨハネ大聖堂”へ。
敷地内には同じ“ヨハネ”の名前を持つポーランド出身のローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世の像が。聖ヨハネ大聖堂 寺院・教会
-
内部(入場無料)はこんなふうに白を基調とした清楚な空間。
このヨハネ大聖堂、観光客に見学を開放しているものの、身廊の手前に柵が設けられており、残念ながら祭壇近くまでは行けませんでした。 -
左上に見えるのはヨハネ・パウロ2世を描いたものでしょうか。
さすがポーランド、至るところでヨハネ・パウロ2世に対するリスペクトが感じられますね。 -
ヨハネ大聖堂を出て大通りに戻ると、ますます人が増えて賑やかに。
こんな首都から遠く離れた小さな街が平日の昼間にこんなに賑わうなんて・・・日本の地方都市も大いに見習うべきところがありますね。 -
14時、トルンにおける最後の目的地、ドイツ騎士団城跡へ。
前日にマルボルクでもドイツ騎士団の城跡を見ましたが、ここトルンも、実はドイツ騎士団の東方植民がきっかけとなって建設された街。ドイツ騎士団城跡 城・宮殿
-
入場料10ズウォティ(約290円)を入って敷地内に入ると、半ば廃墟化したレンガ造りの城跡が。
・・・このトルンのドイツ騎士団城、1230年に同騎士団がヴィスワ川の渡しに建てた要塞が基になっていますが、ここに集まり市街を形成していった商工業者たちは、王侯貴族の子弟が中心のドイツ騎士団と、やがて政治的に対立するようになります。 -
1410年、ポーランド北部のグルンヴァルト(タンネンベルク)の戦いでポーランド王国がドイツ騎士団に勝利したことが弾みをつけ、1440年、トルンの街は、グダンスクなどハンザ同盟都市で構成された“対ドイツ騎士団連合”である“プロイセン連合”に加盟。
1454年、ドイツ騎士団に対してプロイセン連合が反乱を起こし、トルンにおいてはドイツ騎士団城を破壊。
そして1466年に結ばれたトルンの和約により、トルンの街はマリエンブルク(現マルボルク)などとともにポーランド王領に。
このドイツ騎士団城跡、その時以来、廃墟のまま野ざらしになっていると思うと、とてつもない歴史の重みを感じますね。 -
さて、このドイツ騎士団城、後世に復元されたものなのか、廃墟の一角にこんなきれいな通路があります。
この通路をたどっていくと・・・。 -
“グダンスク”と呼ばれる部屋へ通じていました。
この部屋、最初は薄暗い感じでしたが、やがて明かりが灯り・・・。 -
こんな中世の拷問器具が姿を現します。
この部屋は拷問部屋だったのか??? -
こちらはいかにも痛そうなイス・・・。
うーむ、こんなもの、中世の時代に本当にあったのか、それとも観光客を楽しませる(?)現代の演出でしょうか・・・。
これまでは見られなかったポーランド人の反独感情のあらわれだったりして。 -
このドイツ騎士団城には地下室もあります。
こんな今にも動き出しそうな甲冑も展示されていて、一人で入るとちょっとコワいかも・・・。 -
その先の部屋は、真っ暗な空間が急に赤くなり、誰かの叫び声が聞こえてくるという仕掛けが。
かつてのドイツ騎士団城は、今や“お化け屋敷”というエンターテインメント空間に様変わりしていました(笑)。
そんなこんなでドイツ騎士団城跡の見学を終了。
急ぎ足で回って30分ほどの見学時間でした。 -
ドイツ騎士団城跡から出ると、14時30分。
夕方のクラクフ行き列車の時刻が近づいているため、このあたりでトルンの観光を切り上げ、駅に向かうことにします。 -
ホテルに戻って荷物をピックアップし、シェロカ大通りを通って駅へ。
通りには午後のひとときを楽しむ市民や観光客がたくさん。
・・・雰囲気のいいこの街にもう少し長く滞在していたかったなと何度も振り返りつつ、駅への道を急ぎます。 -
旧市街の門の外に出て、ヴィスワ川に架かる橋をてくてく。
ああ、名残惜しい・・・。
今回のポーランド旅行でトルンが名残惜しく感じられるほど印象に残ったのは、この街が第二次世界大戦とは無縁で、おとぎの国のような古きヨーロッパの雰囲気をよく残していて、ポーランドの他の都市で感じられるような重さや暗さがなかったからかもしれませんね。
(あくまで旅行者の視点ですが・・・。) -
旧市街と鉄道駅の間を滔々と流れるヴィスワ川。
このヴィスワ川を遥か遡った先には、首都のワルシャワ、そして次の目的地クラクフがあるんだなあ・・・。 -
15時15分、橋を渡り切り、最後の思い出にと、前日のトルン到着時にも訪れた、ヴィスワ川の対岸から旧市街を望めるビュースポットへ。
-
ビュースポットの先から旧市街を展望。
旧市庁舎博物館でも見た、中世の昔から変わらない景色ですね・・・。 -
旧市街をズームアップ。
やはり中央の聖ヨハネ大聖堂の存在感が際立っていますね。 -
最後にもう一度、旧市街をパチリ。
中世都市トルン、返す返すもいい街でした・・・。
名残惜しいですが、今回の旅の最後の宿泊地、クラクフへの道を急ぐことにします。
(ポーランド旅行6日目~クラクフ観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (4)
-
- kuritchiさん 2020/02/25 09:27:00
- トルン♪ その2
- エンリケさん、こんにちは~
引き続き、トルン記にお邪魔させていただきます(^^
確かに、、中世の姿がそのまま残されたトルンは魅力的~♪
旧市庁舎に、聖ヨハネ大聖堂、、コペルニクスの生家、そして、、ヴィスワ川の眺めと見所も十分、、
シロンスクで造られた祭壇彫刻の見事なこと、、
拷問器具の展示も色々と考えさせられます、、
拷問器具と言えば、、宗教の違いから発生するものだと思っていたのですが、、
プラハ城にも拷問器具が沢山ありました、、
トルン、クラクフ、ワルシャワのルート、、良いですね♪
kuritchi
- エンリケさん からの返信 2020/03/01 21:28:12
- トルンはいい街ですよ。
- kuritchiさん
こちらの旅行記にもご訪問ありがとうございます。
ポーランド旅行の王道はワルシャワとクラクフなのですが、両方とも大きな街なので、トルンのような小さな街をからめるといいですよ。
イギリスやフランスもそうだと思いますが、ロンドンやパリだけではその国の本質が見えてこないですよね。
ぜひ、ポーランド旅行を計画の際にはトルン、検討してみてください!
-
- 川岸 町子さん 2020/02/23 11:07:48
- 返す返すもいい街
- エンリケさん、こんにちは(*^▽^*)
最初にお入りになった美術館の壁の色が印象的です。
美術館では、つい作品の邪魔をしないようにとシンプルな色合いになってしまうけど、こちらは様々な雰囲気を作っていますね。
ホッとするような暖色系とクールな寒色系、作品によって使い分けているのでしょうか?
実際にご覧になったヴィスワ川対岸からの眺めにそっくりな作品、これは嬉しいですね(^^♪
中世からの街並みを長い間大切に保存してきたことが伝わります。
塔の上からの眺めがとっても素晴らしく、お天気にも恵まれ、爽やかなお気持ちで撮影なさったと思い、私まで嬉しくなりました(*^▽^*)
やっぱりヨーロッパの旧市街は絵になりますね!
「中世都市トルン、返す返すもいい街でした・・・。」
この様な街に出会えることは旅の大きな財産ですね。
期待以上の素晴らしい要素がたくさん詰まって、心に残る街。
地方都市でこれだけ充実感がある街には、なかなか出会えないと思います。
私もそんな街を見つけたいと思いました。
町子
- エンリケさん からの返信 2020/02/23 22:13:11
- 今回のポーランド旅行でいちばん落ち着けた街でした。
- 川岸 町子さん
こんばんは。トルン旅行記に早速ご訪問いただきありがとうございます。
> 最初にお入りになった美術館の壁の色が印象的です。
> 美術館では、つい作品の邪魔をしないようにとシンプルな色合いになってしまうけど、こちらは様々な雰囲気を作っていますね。
海外の美術館巡りは個人的な趣味で、いつもマニアックな感じになってしまうのですが、こういうふうにコメントいただけると嬉しいですね。
> 実際にご覧になったヴィスワ川対岸からの眺めにそっくりな作品、これは嬉しいですね(^^♪
> 中世からの街並みを長い間大切に保存してきたことが伝わります。
トルンなどのように、ヨーロッパの旧市街は遥か中世の昔と変わらないところがすごいところですよね。
> 塔の上からの眺めがとっても素晴らしく、お天気にも恵まれ、爽やかなお気持ちで撮影なさったと思い、私まで嬉しくなりました(*^▽^*)
> やっぱりヨーロッパの旧市街は絵になりますね!
何もかもがものすごいスピードで変わっていく時代だからこそ、昔ながらの変わらない街が恋しくなるのかなあと最近思うようになりました・・・。
もうトシですかね(笑)。
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