2019/02/15 - 2019/02/19
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赤い彗星さん
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インド旅行を予定していた友人に声を掛けて貰い、
ほぼ20年ぶりにインドを再訪。
前回は、夏季休暇をフルに利用しての旅行でしたが、
今回はデリー近郊のみの数日の駆け足観光。
それでもしばらくぶりに訪れるインドは、何が変わって、
何が変わっていないのか。何を覚えていて、何を
忘れてしまっているのか、楽しみなところがあります。
近年、特に問題となっている大気汚染真っ只中のデリー
観光は、フマユーン廟やクトゥプ・ミナールから始まります。
- 旅行の満足度
- 4.5
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空港に迎えのバスがなかなか来ず、ガイドさんが配ってくれたサンドイッチ。
香りもスパイシーな感じ。 -
甘いけど濃厚で美味しかったチャイ。
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駐車場の入口に車が止められ、持ち主もおらず、バスが駐車場に入れなかった(本当かどうかは不明)との事で、2時間ぐらい待たされたかな。
まあインドだしとあっさり納得し、あまり気にならなかったけど、流石に疲れた。インディラ ガンディー国際空港 (DEL) 空港
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駐車場からの空港の風景。すでに数匹の野良犬が、周りを歩いています。
毎年、狂犬病で数万人が亡くなる国インド。近づかないように十分な注意が必要です。インディラ ガンディー国際空港 (DEL) 空港
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デリー市内は、大渋滞。
昔から人も車も多い国だったけど、昔は二輪が多かった。今は車もオートリキシャも段違いに数が増えた気がする。前来た時は、まだバスや列車の屋根に人が乗っていた時代だったので、隔世の感が。 -
大きな部屋ではないけれど、一晩寝るだけの身には、清潔だし十分すぎる部屋でした。
カスピア ホテル ニューデリー シャリマー バック ホテル
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シャワーも浴びたし、寝るかと荷物を整理していたら、友人たちから、ホテルの食堂でカレーのお誘い。初日は夕飯が付いていなかったので、早速同伴。辛すぎたら食べられないかもと思いましたが、辛さも含めて美味しいカレーでした。
こちらはそのうちの一つチキンバターカレー。マイルドで美味しかった。カスピア ホテル ニューデリー シャリマー バック ホテル
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ホテル外観。
カスピア ホテル ニューデリー シャリマー バック ホテル
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朝の渋滞は、昨晩よりはマシだった。
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ヒンズー教の神様像を車窓から。
たくさんの顔と手、仏教だと阿修羅に近い神様像です。 -
車窓見学のみの官庁街。建物が霞んでいます。
これは朝もやというより、完全にスモッグと思われ。インド門と官庁街 建造物
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同じように車窓見学のみと思われる複数のバスが、噴水の周りを廻っていました。
インド門と官庁街 建造物
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こちらも車窓のみのインド門。
第一次世界大戦のインド兵戦死者(イギリス軍所属)を慰霊するために建てられました。車窓からにしては、ばっちり撮れたかな。
20年前の観光時に、インド門前で初めて本場の蛇使いを見る事が出来たことをよく覚えています。インド門と官庁街 建造物
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フマユーン廟に到着しました。
入口は自動改札です。チケット売り場は、すぐ右にあります。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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ペットボトルを頭に乗せ、腕を組む女性。
ペットボトルは微動だにせず。達人の技。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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入口を入ると、すぐ右手にイーサーハーン廟が見えてきます。
フマーユーン廟 史跡・遺跡
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ほんと空気が霞んでる。
気管支があまり丈夫でない質なので、事前にPM2.5対応用の高いマスクを購入し、インドに持参。本気過ぎるマスクを装着しながらも、世界最悪の呼び声高い冬場のデリーの大気に不安は尽きません。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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廟の門内部には鳩がいましたが、装飾はほぼ何もありませんでした。
フマーユーン廟 史跡・遺跡
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こちらも門ですね。
廟に到達するまでには、いくつかの門を抜けていく必要があります。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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この門を抜けると、廟のある庭園に到着します。
今までの門とは、規模も造りも全く違いますね。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの霊廟です。
タージ・マハルを建設する際にモデルにしたと云われるだけあって、よく似ています。インド・イスラム様式の建物とペルシャ様式の庭園が、融合しています。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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廟の外周部。これだけ見ると水道橋のようにも見えます。
フマーユーン廟 史跡・遺跡
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庭園の芝生も青々としていて、よく整備されています。
フマーユーン廟 史跡・遺跡
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フマユーン廟は、フマユーンが亡くなった後、妃の発案で建造されました。
2代皇帝フマユーンは、スール朝創始者のシェール・ハーンに大敗し、初代皇帝バーブルが築いたムガール帝国の広大な版図を全て失いました。その後、約15年もの間、流浪や亡命生活を送ったそうです。ペルシャの支援でムガール帝国皇帝として、デリーに返り咲きましたが、デリーに戻った半年後に、書庫の階段から落ちる事故で亡くなってしまいました。
波乱万丈な人生を送った皇帝だったんですね。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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前回訪れた際は、確か夕方で庭園が半分くらい陰に覆われていましたが、フマユーン廟の後ろに広がっていた青空をよく覚えています。
天気が違うと、随分と雰囲気が変わります。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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大人しく座っているワンちゃん。
インドでは、そこかしこで痩せた野良犬を見かけますが、このワンちゃんは服を着ていますね。インドでは初めて見ました。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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フマユーン廟のドームは大理石が用いられていますが、赤い建物部分は砂岩で建造されています。
フマーユーン廟 史跡・遺跡
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フマユーン廟のイーワーン。
フマーユーン廟 史跡・遺跡
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フマユーン廟中央には、フマユーンの模棺が安置されています。
ムガール帝国最後の皇帝バハードゥル・シャー2世は、家族と避難していたこの場所でイギリス軍に捕まり、王権をはく奪されました。その後、イギリス領のビルマに追放されてしまい、ムガール帝国は滅亡したそうです。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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フマユーン廟は、フマユーンだけではなく、王妃や王子、宮廷の要人など、約150人もの人が埋葬されています。
フマーユーン廟 史跡・遺跡
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こちらも誰かの廟のようですね。
ドーム部分は、色褪せてしまっていますが、建物部分はフマユーン廟と同じ様式の建物です。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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フマユーン廟入場口近くにあるイーサーハーン廟です。
イーサハーンは、床屋から宰相になった人物です。有能な人を用いる柔軟な人材登用だったんですね。
独特な様式の建造物です。個人的には、フマユーン廟より、こちらの建物の方が好きかな。フマーユーン廟 史跡・遺跡
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地元の小学生の社会科見学。インド人は、かなり目鼻立ちがはっきりしていますね。
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観光警察のパトカー。かなり派手な塗装です。
上部のパトランプやPOLICEの文字がなければ、パトカーとは思わないだろうな。 -
木の周りでは、数匹のリスが走り回っていました。
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インドの街中で大量に見かけるオートリキシャ。
20年前は、見かけなかった気がする。 -
使えるスペースは、最大限利用している自転車。
この荷物載せて自転車漕ぐのは、正直自信がない。 -
車が埋もれるぐらいのオートリキシャの大群。
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昔に比べれば、随分と少なく感じたバイクへの多人数乗り。
バイクもスーパーカブから、スクーターやロードバイクに移り変わっていました。 -
インドらしい塗装のトラック。
連結部分が見当たらないので、荷台は固定式のようですね。 -
レッドフォートも外から見るだけ。これだけなら、正直行程に入れなくていいのではと思う。旅行会社的には、〇個の世界遺産という売りは大きいのだろうけど。
レッド フォート 史跡・遺跡
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車とか人とかオートリキシャが、自在に移動中。
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自転車タクシーとでも言うのかな。ぎっしり並んだタクシー乗り場です。
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それほど広くない道を色々な車が行きかっています。
見とれていて、轢かれないようにしないと。 -
植木鉢やジョウロなどを売っているので、菜園系メインの露店だと思いますが、謎の仮面なども商品として並んでいます。
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お昼のカレーセット。日本人用に辛さを抑えたらしいのだが、辛さどころか味がほとんどしない。香辛料外した結果、味も無くなったような感じの残念なカレーでした。
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世界屈指の高さを誇るミナレット、クトゥブ・ミナール。
それでも地震や落雷により、塔自体は低くなってしまったそうです。クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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神殿の様にも見えますが、屋根付きの通路兼スペースのようです。
クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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未完のミナレット:アライ・ミナール。
現在は基盤部分しか残っていませんが、クトゥブ・ミナールを越えるミナレットになる予定だった建築物。完成していたら、優に100Mを越える塔になっていたそうです。資金不足により、工事が中断しました。クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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柱の彫刻が、紐にぶら下がったベルのように見えます。ヒンズー教寺院の石材等を転用したり、建築に携わった人たちがヒンズー教徒だったりということで、イスラム様式とヒンズー様式が入り混じったモスクになったそうです。
クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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「アショカ・ピラー」「チャンドラヴァルマンの柱」「デリーの鉄柱」などと、複数の呼び名を持つ、約7Mの錆びない鉄柱。
紀元415年建造と云われており、約1,600年間錆びずに立ち続けている鉄柱です。クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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結構カラフルな彩色が残っている柱です。
クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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鳩のたまり場。
クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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アーチ型の門の中にクトゥブ・ミナールを入れるアングルポイントらしく、大勢の観光客で賑わっていました。
クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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前回インドに来た時は、飛行機が上部に衝突して高さが低くなったという説明を聞いた記憶があるのですが、どうやら都市伝説のようですね。
クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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昔は、ミナレット内部の階段を登って、塔の最上部まで行けたらしいのですが、ミナレット内部で将棋倒しになり、多くの女子生徒が死傷する事故が1981年に起こり、現在出入り口は封鎖されています。
今まで何度か、各国のミナレットに登った事がありますが、手すりや踊り場もなく、暗くて細い階段を登り降りするのは、かなり危険を伴うなとは感じていました。クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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現在は、クトゥブ・ミナールを中心とした観光地になっていますが、本来は、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属するミナレットです。
クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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このアングルだと、モスクとセットのミナレットだというのが、よく分かりますね。
クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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カフェ兼土産物屋でお茶した際に飾られていた、タージ・マハルのタペストリー。色合いも含めて、とても綺麗ですね。
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別バージョン。
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こちらはガネーシャですね。
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広々として過ごしやすいけど、酷い渋滞のせいで今日も到着は夜遅く。
ただ寝るだけの部屋です。
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