2019/10/22 - 2019/10/22
47位(同エリア54件中)
ちふゆさん
2019年10月22日(火)、今回の旅7日目、パナマシティ(Ciudad de Panama)の朝。この日は昼前のフライトで移動なので、朝8時過ぎにゆっくりと近所の店(下の写真1)でピザの朝食(下の写真2)。5バルボア(US$)ほど。
で、9時過ぎにUberを呼んで、ホテルをチェックアウト、空港に向かう。湾岸高速からは一昨日行ったパナマビエホ(Panama Viejo)の大聖堂(Catedral)の鐘楼(Torre)が見える(下の写真3)。30分ほどでトクメン国際空港(Aeropuerto Internacional de Tocumen)へ到着(下の写真4)。ただ、パナマに着いた時の話にも書いたが、30.69バルボア(US$)掛ったので、普通にホテルで定額(30バルボア(US$))のタクシーを頼んだのと変わらなかった。
この日は、パナマへ来た時と違ってオンタイムと云うことで、今日は問題なしと思ったのだが、甘かった。まずは、問題なくチェックイン終えて、セキュリティを抜ける時に、ライターはダメと取り上げられる。911の後くらいだったか、一時機内に一切ライター持ち込めない時期はあったが、最近は普通のいわゆる100円ライター1個なら、どこの空港も問題なかったのにアンビリーバブル! 実際にはジャマイカ土産タイプの500JM$(約400円)ライターで、100円より高いんだけど・・・
なんでやねんと思いながらゲートに進み、時間はたっぷりあるので、免税品売場をウロチョロ。日本に帰るのも近くなってきたし、パナマらしい土産物はないかと見ていたら、ゲイシャ(Geisha)コーヒーがお勧めだと云われる。知らなかったのだが、パナマ産のこのコーヒー、高級品として認められているそうで、それはなかなかいいんじゃないかと奮発して購入。確か200gのローストで、75ドル(約8500円)だったので、かなり高かったのだが…。これも実はこの旅の最終日に新たな問題を生むことになる。まあ、それはさておき、ゲイシャと云う名前だが、原産地のエチオピアの産地の地名に由来しており、日本語の「芸者」とは無関係。
残り時間は、この空港に着いた時には結果的に繋げず、出発ゲートでもなかなか繋がらなかった無料Wifiがやっと繋がったので、それで次の目的地の予習などしてるうちに時間は立ち、予定通り搭乗。ここまでは良かったのだが、最後にもう一つ。ほぼ定刻の11時40分にゲートを離れ、誘導路を進みだした頃、睡魔に襲われて眠りに入ったのだが、気付くと、なんとまだ飛んでない。あれ?、そんなに時間経ってないのかと思ったら、そんなことはない結構経ってる。結局何が原因だったのか分からなかったのだが、1時間ほど遅れて飛び立つ。いったい何だったんだ・・・
今回のフライトはコパ航空(Copa Airlines)(表紙写真)。正式にはパナマ航空会社(Compania Panamena de Aviacion, S.A.)で、COPAはその略称。1947年運行開始。1990年代に拡大路線を取り、トクメン国際空港(Aeropuerto Internacional de Tocumen)は中米のハブ空港となった。98年からはコンチネンタル航空(Continental Airlines)との関係性を強めたが、12年にコンチネンタル航空がユナイテッド航空(United Airlines)に買収され、現在はユナイテッド航空との関係が深い。スターアライアンス(Star Alliance)メンバーでもある。今回の便の機種はブラジルの航空機メーカー、エンブラエル社(Embraer)のE190。100席強の小型ジェットで、日本でもJALグループのジェイエア(J-AIR)で就航している。今回の航空運賃は2万7千円ほどで、今回のフライトで一番高かった。
向かっているのは今回の旅では最後、4ヶ国目になるベリーズ(Belize)。漢字表記では百里斯、伯利茲、伯里斯、巴利斯など。国名は国土の中央部を流れる主要河川のベリーズ川(Belize river)から来ており、ベリーズはマヤ語(Mayan languages)で「泥水」を意味する言葉から来ていると云うのが有力な説。なお、旧称はイギリス領ホンジュラス(British Honduras)で、独立前の1973年に改称された。
国土面積約2万3千平方㎞で四国より少し大きい。中米北東部、ユカタン半島(Yucatan Peninsula)の付け根の部分に位置し、首都はベルモパン(Belmopan)。以前はベリーズシティ(Belize City)だったが、1931年と61年にハリケーンで甚大な被害を受け、1972年に内陸部の原野を切り開いて建設された人工都市ベルモパンへ移転した。
北はメキシコと、西はグアテマラと国境を接し、南東にはホンジュラス湾(Gulf of Honduras)を挟んでホンジュラスがあり、東はカリブ海に面する。北部の湿地の多い低地、南部のマヤ山脈(Maya Mountains)からなり、沿岸には多数の小島や岩礁が散在し、「カリブ海の宝石(Caribbean Jewel)」と呼ばれ、1996年に「ベリーズ珊瑚礁保護区(Belize Barrier-Reef Reserve System)」として世界自然遺産に登録された。亜熱帯気候に属するが,海風が吹くので概してしのぎやすい。2~5月が乾季で、降水量は南に行くにつれて増加。しばしばハリケーンにより大きな被害を受ける。
人口は約38万人。住民は先住民と白人の混血のメスティーソ(Mestizo)が半数あまり、アフリカ系黒人がルーツのクレオール(Creole)が約1/4、先住民のマヤ(Maya)が11%余りなど。中米7か国のなかで唯一英語を公用語とするが、母語としている人は4%程度と低く、一般に第2言語として使われており、スペイン語を母語とする人が半数、英語を基盤にアフリカ諸語やスペイン語、先住民諸語が混ざったベリーズクレオール語(Belizean Creole)を母語とする人が約1/3いる、多民族・多文化国家。宗教はローマカトリック(Ecclesia Catholica)が約40%、プロテスタント(Protestantismo)が約30%で、無宗教も15%強と多い。
初期の歴史は明らかでないが、紀元前1200年くらいからマヤ文明が栄えた地と考えられる。1524年にペドロ・デ・アルバラード(Pedro de Alvarado y Contreras)率いるスペイン人が到来し、グアテマラ総督領(Capitania General de Guatemala)の一部としたが、移植民事業は進まなかった。17世紀にジャマイカから渡来したイギリス人が高級家具材用のマホガニー(Mahogany)や染料として取り引きされたロッグウッド(Logwood)を切り出し、植民活動を進め、スペインに開発権を認めさせ、1798年にイギリス入植者たちがスペイン軍を破って事実上のイギリス植民地となった。
1821年、スペインから独立したグアテマラがベリーズの所有権を主張したが、イギリスはこれを拒否し、1862年にジャマイカ総督管轄下のイギリス王室植民地として「英領ホンジュラス」を宣言した。その後1884年にジャマイカから分離してイギリス領ホンジュラスと名称を変えた。ベリーズの独立運動は第二次大戦後活発になり、1950年から本格化、1954年の憲法制定と1964年の自治権取得を経て1973年にイギリス領ホンジュラスからベリーズと名称を変え、1981年にイギリス連邦の一員として完全独立を達成した。しかしベリーズの領有権を主張するグアテマラとの対立はその後も続き、1986年になってグアテマラが領有権放棄と独立承認を発表、その後1991年に正式に国交が樹立された。
英連邦王国の一国たる立憲君主制国家で、現在の国王はイギリス女王エリザベス2世(Elizabeth II)で、その代理人として実権のない総督がいる。二院制の議院内閣制で、直接選挙により選ばれ、任期は5年。下院の第1党党首が総督により首相を任命される。現在(19年12月)の首相は2008年から務めているディーン・バロウ(Dean Oliver Barrow)氏。軍隊は志願制で、陸軍1,500人と予備軍700人。1994年末まではイギリス軍が駐留していた。
外交はイギリス、アメリカと緊密な関係を保持するほか、台湾と外交関係をもち、カリブ共同体(CARICOM)、中米統合機構(SICA)の加盟国として中米・カリブ海諸国との連携も強めている。2018年のGDP成長率は3.0%。主要産業は農林業、観光業、水産業などで、主要輸出品は2006年に油田が発見されたので、原油が輸出総額の40%前後を占めており、その他砂糖、バナナ、衣類、水産品、糖蜜、木材など。
通貨はベリーズドル(Belize dollar)で、補助単位はセント(Cent)で100セント=1ベリーズドル。通貨コードはBZDで通貨記号がBZ$。1US$=2BZ$の固定相場制となっている。国旗は独立に伴い1981年に制定されたものだが、原形は1950年に英領ホンジュラスが独立運動を開始した際に用いられたもので、制定時に上下の赤線が追加された。人間が描かれている唯一の国旗。ベースとなる青と赤はは独立前からベリーズ政治を主導してきた二大政党を表わし、中央に国章が描かれている。国章に描かれた2人の男性は、左がメスティーソ、右がクレオールで、ベリーズの主要民族集団が共同で国家建設に当たる決意を象徴している。そして二人が支えるのは、国の主要産業である林業(ノコギリや斧)と漁業(船)のシンボルが描かれた盾と、生い茂る熱帯雨林を示すマホガニーの木。盾の下のリボンには初期入植者の困難を表す「繁栄は木陰にあり(Sub Umbra Floreo)」という国の標語がラテン語で書かれ、これらの全ての意匠の周囲を独立運動が1950年より始まったことに由来する50枚の月桂樹の葉が囲んでいる。
一番人気のあるスポーツはサッカーだが、代表チームが弱く、ワールドカップもさほどは盛り上がらないそうだ。夏季オリンピックは68年のメキシコシティから代表団は送っているが、メダル獲得はない。16年リオには陸上競技に2人、柔道に1人を派遣している。00年のシドニーで100mの金メダルなど5つのメダルを取ったが、のちにドーピング疑惑で返還、記録も抹消されたアメリカのマリオン・ジョーンズ(Marion Jones)は両親がベリーズ出身でベリーズ国籍も持つ。
日本は81年の独立と同時にベリーズを承認。翌年外交関係開設。1984年には日本大使館を設置しているが、現在(19年12月)は在ジャマイカ大使館が兼轄している。ベリーズは2001年から日本に大使館を設置。日本はベリーズにとって最大の援助国であるが、両国間の貿易関係は規模が小さく、交流関係も限られている。在留邦人数は50名弱。JICAの同期隊員も2人派遣されているが、ベリーズシティからはバスで8時間の町と云うことで、残念ながら逢うことは出来なかった。日本より14時間遅れで、サマータイムは採用していない。飛んできたパナマからは1時間遅れ。
フライト時間は2時間半ほどだが、お昼時と云うことで機内食が出る(下の写真5)。マカロニを赤ワインで食べられてラッキー!
予定では現地時間の午後1時過ぎ到着だったが、1時間ほど遅れて2時過ぎにベリーズシティへ到着。正式には、フィリップ・S・W・ゴールドソン国際空港(Philip S. W. Goldson International Airport)。ベリーズシティの東16㎞のレディヴィル(Ladyville)にある。空港の名前は20世紀後半に活躍した政治家フィリップ・ゴールドソン(Philip Stanley Wilberforce Goldson)にちなんでいる。2100m滑走路1本を持ち、16年の利用客数は85万人強。安定した乗客の増加により、現在中米で7番目に混雑している空港。1945年開港。
ベリーズシティへ続く
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