2019/11/02 - 2019/11/02
13位(同エリア452件中)
旅猫さん
備後路の旅の二日目。
この日は、前日に立ち寄らなかった鞆の津の施設をまずは訪れる。
その後、路線バスに乗り阿伏兎岬へ。
そこには、海にせり出した絶景のお堂があった。
阿伏兎観音だ。
そして、この日の最後は、国宝の堂宇を擁する寺院を拝観する。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
鞆の津で迎えた朝。
天気も良く、今日も旅日和だ。
宿の一階で、パンが主役の朝食をいただく。
久しぶりに、おいしいパンを食べた。 -
食後、朝の散歩へと出かける。
宿のある道沿いには、洋風の建築物もあった。 -
とりあえず港のほうへと向かうと、大きく潮が引いている。
昨日は見えなかった雁木の下の部分が現れていた。
鞆の浦は、潮の満ち引きが大きい場所なのだそうだ。 -
常夜燈へと続く街並みも、昨日とは少し違った表情を見せていた。
白壁の土蔵に朝陽が当たり、とても美しい。 -
常夜燈のある場所にも光が満ちている。
土曜日とはいえ、まだ朝なので観光客の姿は無い。
静かな港の景色をしばらく楽しんだ。 -
近くには、坂本龍馬が関わったことで有名ないろは丸事件の展示館があったが、開館は10時から。
まだ9時を過ぎたばかりだったが、入り口が開いていたので声を掛けてみると、入っても構わないとのこと。
わざわざ照明も点けていただき、恐縮だった。
館内には、海底で発見されたいろは丸の実物大の模型や、再現された龍馬の隠れ部屋などが展示されていた。いろは丸展示館 美術館・博物館
-
続いて足を向けたのは、街の真ん中に聳える小高い丘のような場所。
登ってみると、鞆の街が見渡せた。
そこには、歴史民俗資料館が建っていたので立ち寄ってみたが、大したことはなかった。福山市鞆の浦歴史民俗資料館 美術館・博物館
-
資料館の立つこの丘は、中世に毛利氏により築かれた鞆要害があった場所。
織田信長に京の都を追われた足利義昭が居を構えたところでもあるらしい。
初代足利尊氏ゆかりの鞆で、義昭は再起を図ろうとしたのかもしれない。
鞆要害は、その後江戸時代に鞆城として整備されたようだが、すぐに廃城となり、その後は奉行所が置かれたそうだ。鞆城跡 名所・史跡
-
鞆城跡から港の反対側へと下りてみる。
その界隈は、観光客の姿もなく、静かな街並みが続いていた。
とは言え、やはり車の数は多く、そぞろ歩きには向かない。 -
車に気を付けながら歩いていると、道の脇に石垣のようなものを見つけた。
案内板には、鞆城三の丸の石垣の一部だとあり、発見された場所から移築されたものだそうだ。
この石垣の向かいに建つ地蔵院の石垣も、鞆城二の丸のものとあった。
当時は、この辺りまで海だったらしい。 -
鞆城跡の裾野を回り込み、次の訪れたのは鞆の津の商家。
江戸末期に建てられたもので、福山市の重要文化財に指定されている。
商家らしい造りの内部を見学。
居間らしき部屋には、障子を通して、仄かな光が差し込んでいた。鞆の津の商家 名所・史跡
-
母屋とつながった土蔵の前に、大きな馬の置物のようなものを見つけた。
『八朔の馬出し』と呼ばれる、鞆の津ならではの八朔の行事に使われたものだそうだ。
子供の健康な成長を願って町中を勇壮に練り回るもので、全国的にも珍しい行事とのこと。
現在でも続けられているのは、鞆だけらしい。 -
商家の建物の先に、立派な建物があった。
しまなみ信用金庫鞆支店の建物で、昭和初期に建てられたものらしいが、今も現役で使われているそうだ。 -
そこから少し歩くと、また趣のある建物が見えてきた。
桝屋清右衛門宅とあるが、一階は雑貨店が入っていた。
この桝屋には、かの坂本龍馬が潜んでいたという隠れ部屋があるとのことなので、立ち寄ってみることにする。龍馬の隠れ部屋桝屋清右衛門宅 名所・史跡
-
中へ入ると、隠れ部屋は建物の奥のほうにあった。
屋根裏部屋といった感じで、龍馬が利用したころは、こんな場所に部屋があるとはわからなかっただろう。
部屋は思ったよりも広く、6畳あった。
天井などはかなり新しいものだが、壁は江戸時代のままだそうだ。
実際に龍馬がここに居たかと思うと、不思議な感じがした。 -
桝屋を後にして、再び港のほうへと向かう。
鞆で最後に立ち寄ったのは、太田家住宅。
江戸中期に鞆に移り住んだ保命酒屋中村家の建物と土蔵群で、江戸中期から後期にかけて建てられたものだそうだ。
明治になり、太田家のものとなったらしい。太田家住宅 (鞆七卿落遺跡) 名所・史跡
-
中へ入ると、部屋がたくさんありかなりの広さだ。
日本家屋の温かみがあり、何とも言えない風情がある。
と言うより、美しさを感じる。 -
敷地の奥のほうには、大きな土蔵が三つばかり建っていた。
最近整備したばかりなのか、壁の白さがまぶしいくらいだ。
どの蔵も広く、往時の英華が偲ばれる。 -
11時が近づいてきたので、一端宿に戻り、荷物をまとめて部屋を出た。
予定では宿の前にあるバス停からバスに乗ることにしていたが、時間があるので、鞆の町外れにある淀媛神社まで歩くことにした。
海沿いの道を歩いていくと、浜辺のような場所が見えた。
地図を見ると焚場跡とあったが、調べてみると、焚場とは、木造船の底に付いたフジツボなどを焼き払い、船を長持ちさせるための施設だそうだ。
石垣などもあるそうだが、残念ながら、現在は海の底らしい。 -
その道沿いには、立派な虫籠窓を持った建物もあった。
この国の伝統的な建物が急速に失われる中、街並みの保存に力を入れる街もある。
とは言え、観光地化されてしまい、本来の姿と違ってしまった場所も多い。
日本の情緒を感じられる街を残すのは難しいのだ。
鞆も、微妙な装いを纏っていた。 -
歩き始めてから25分ほどで淀媛神社に辿り着いた。
社殿は、石段を上った先にある。
登ってみると、思いのほか新しい感じの社殿だった。
しかし、現在の社殿は大正3年(1914)に建てられたもので、平成13年(2001)に修復されたからそう見えたようだ。淀媛神社 寺・神社・教会
-
社殿の裏手からは、潮待ち湊として栄えた鞆の津が見渡せた。
淀媛神社は、鞆の津の入り口に突き出した岬の突端に鎮座していて、鞆の津を守護する神の社なのだ。
ここから見ると、天然の良港だということがよくわかる。 -
参拝後、近くの淀姫神社バス停でバスを待つ。
しばらくすると、海辺の道を小さなバスがやってきた。 -
11:30発のそのバスは、山間の細い道を辿っていく。
そして、阿伏兎隧道を潜り抜けると、目指す阿伏兎観音バス停は近い。
10分余りでバス停に着き、そこからは徒歩で阿伏兎岬にある磐台寺へ。
まずは、毛利輝元が再建したという客殿にて参拝を済ませる。阿伏兎観音 (磐台寺観音堂) 寺・神社・教会
-
客殿の前には、瀬戸内の海の景色が広がっていた。
これほど海を間近に望む寺もそうはないだろう。 -
客殿の先に、小さな社と池があり、その脇に大きな樹があった。
ウバメガシと言うその大樹の後ろに、朱色の階段廊下が観音堂へと続いている。
これを登った先に、絶景が待っているだ。 -
その石段を登りきると朱色の観音堂があり、入り口で靴を脱ぎ回廊へと踏み込む。
そして、回廊の先には、素晴らしい景色が広がっていた。
阿伏兎岬の断崖上に建つ観音堂は、まるで海の上に立っているかのようだった。 -
しかし、この回廊は、欄干が低い上に、床板が外側に傾斜しているので、眺めに気を取られると落ちそうで怖い。
それでも、この景色は魅力的だ。
観音堂の下のほうに石塔が見えたので、後で行ってみることにする。 -
その前に、観音堂で本尊の十一面観音を参拝。
堂内を見ると、壁一面に、奉納された『おっぱい絵馬』が飾られている。
安産や子宝を願う人たちが奉納したものだそうだ。 -
参拝後、石塔のところまで行ってみると、観音堂がよく見えた。
阿伏兎岬の断崖に建てられたおり、阿伏兎観音と言う別称に納得だ。
その観音堂は、かの歌川広重が描いた浮世絵では崖造りになっていたが、今は石積み上に建っていた。阿伏兎観音 (磐台寺観音堂) 寺・神社・教会
-
観音堂からの美しい眺めを存分に堪能した後、阿伏兎の集落へと向かう。
鞆へ戻るバスの時刻まで2時間近くあるので、昼食をと思ったのだが、磐台寺の周辺には何もなかったので、集落のほうへ出ることにしたのだ。
その途中で、今は失われた旧沼隈町のマンホールを見つけた。
描かれていたのは、町の花スミレだ。 -
30分ほどで阿伏兎の集落に着いたが、そこにも店は全くなかった。
まだバスが来るまで1時間ほどあるので、バス停近くの路肩に腰掛け、万が一のために鞆で買い込んできたパンを頬張る。
天気も良いし、景色も長閑。
静かでゆったりとした時間が流れていた。 -
13:56発のバスに乗り、鞆へと戻る。
降り立ったのは、鞆の浦バス停。
すぐ前に観光情報センターがあったので、乗り換え時間を利用して立ち寄ることにした。
そこで、鞆名物の手握りちくわがあったので購入し、食べてみる。
春に食べた日奈久のちくわも美味しかったが、ここのも悪くはなかった。 -
14:20発の福山駅行きのバスに乗り、鞆の街を離れる。
バスにしては珍しく、時間より早くやってきた。 -
20分ほど揺られた草戸大橋バス停で下車。
橋の上からは、この国らしい優し気な風景が望めた。
流れる川は芦田川だ。 -
草戸大橋から芦田川右岸に沿って歩き、20分余りで明王院に到着。
明王院には、鎌倉時代後期に建てられた本堂と、室町時代初期に建てられた五重塔のふたつの国宝があるので、福山駅へ戻る前に立ち寄ったのだ。
三連休の初日で、国宝建築物を有する寺院ということなので混んでいるかと思いきや、人影は全くなかった。明王院 寺・神社・教会
-
明王院の隣には、展望台のような社殿を持つ草戸稲荷神社が鎮座していた。
歩き疲れていたので、どうしようかと迷ったが、麗しい巫女さんにどうぞと声を掛けられてしまったので、参拝することにする。草戸稲荷神社 寺・神社・教会
-
朱印帳を社務所に預け、本殿を目指す。
重たい足を引き上げながらも、なんとか本殿に辿り着いた。
そして、参拝後に眺望を楽しむ。
芦田川の向こうに広がる街は、福山市の中心部だ。 -
バス停へと戻る途中、近くの法音寺橋から草戸千軒町遺跡を覗いてみる。
草戸千軒町は、中世に、芦田川の中州に栄えた集落だそうだが、今は河川改修で中州が削られてしまい、遺跡は消滅してしまったそうだ。
駅近くの博物館で発掘された遺物などが見られるそうだが、今回は時間が無いので、またの機会とする。草戸千軒町遺跡 名所・史跡
-
16:21発のバスに乗り、福山駅前へ。
今宵の宿は、駅前にあるというホテルだったが、地図を見ると駅の外れだった。
部屋は狭いシングルルームで、まさにビジネスホテル。
しかも、素泊まりで1万円以上と言うから驚きだ。
三連休の初日なので、多少は我慢するが、それにしても高い。食事はできません by 旅猫さんホテルリブマックス福山駅前 宿・ホテル
-
部屋に荷物を置き、早速、夕食がてらの晩酌へ。
しかし、足が疲れていたので、駅の高架下にあった居酒屋で済ますことにする。
お酒は、福山市内唯一の酒蔵と言う天寶一の『neki 純米』をいただく。
広島県産の山田錦を100%使い、低温発酵で醸したもので、備後地方での限定酒だそうだ。
きりりとした飲み口で、なかなか美味しかった。
ちなみに『ねき』とは、備後地方の方言で『近く』と言う意味とのこと。
あなたのそばにいつも寄り添うお酒と言うことらしい。居肴家 一楽 グルメ・レストラン
-
つまみには、熟成鶏の燻製をいただく。
これが癖になるほど美味しかった。 -
ほかにも、薔薇の街らしく、『福山ばら餃子』なるものも。
頼んでみると、焼売のようなものが出てきた。
よく見ると、薔薇の花の形をしているのだ。
食べてみれば、まさしく餃子の味だった。 -
2杯目に頼んだのは、同じ蔵元の看板銘柄『天寶一 純米酒』。
旨味もあるが飲みやすい味わいだ。
この店では、竹の酒器でお酒が供されるのがまた良い。 -
そして、関東ではほとんど見かけないトンテキを注文。
しかし、これは胃にもたれる感じでちょっと失敗。
これを潮に、晩酌は終わりとした。
明日は、備後の一宮を訪ねる予定だが、天気が崩れそうなのが心配だ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- 墨水さん 2019/12/22 23:00:36
- 弱。
- 旅猫さん、今晩は。
巫女さんに弱いとは、弱点を見る想い。(爆)
>あなたのそばにいつも寄り添うお酒と言うことらしい。
本来の解は、少し違うと思う。
御先祖様に献げるのが酒で、最も清らかな物を是としたので、清酒と言う言葉が生まれた。
「御先祖様に寄り添う事が出来る酒。」
御先祖様を介して、御利益を神様から戴くための清酒。(笑)
転じて、御利益の有る酒と言う事に為る。
墨水。
- 旅猫さん からの返信 2019/12/23 22:49:16
- RE: 弱。
- 墨水さん、こんばんは。
巫女さんに弱いわけではなく、麗しき人に弱いので(^^;
あのお酒は、本来の意味を巧く解釈したものでしょう。
しかし、本来の意味もよいですね。
日本酒は、やはり御神酒と言えますね。
旅猫
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
鞆の浦・鞆公園(広島) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 【備後国】
2
45