2019/11/29 - 2019/12/05
5638位(同エリア16385件中)
じゃんぽーる秀さん
- じゃんぽーる秀さんTOP
- 旅行記1冊
- クチコミ2件
- Q&A回答0件
- 3,806アクセス
- フォロワー5人
夏の終わりに行くパリ旅行の予定がちょうど3か月伸びて、航空会社もキャセイパシフィック航空からカタール航空に変更しました。
今までパリは春と夏しか行ったことがなく、初冬のパリは初めてでした。この旅行記は備忘録でもあるのですが、パリのリピーターの方の参考にもなるためにも書きました。
パリはそれぞれの季節で違う顔を見せてくれることを知りました。少しでも参考になってくれれば幸いです。
この旅行記をまとめかけていた2020年の冬。
世界中に新型コロナウィルスがひろがりました。旅行記なんかを投稿してどうする、といった気分になってしまい、投稿を控えたまま凍結してしまいました。
それから一年がたってしまい、今頃になって投稿する気持ちになりました。
理由はいくつかあります。
いずれにしても、
コロナが終息し、再びバリにツーリストが訪れる時まで、この旅行記が自分の足跡のみならず、パリを訪れたいと思っている人たちのほんの少しでも、希望のかけらになれば、と願っています。
コロナ禍の日本にいて、かつて旅行者として訪れたパリの日々は、ぼくにとってヘミングウェイの
【移動祝祭日】そのものです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 飛行機
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ブッキングドットコム
PR
-
満を持してカタール・ドーハトランジットのパリ旅行の始まり。今回は去年のようなエールフランス直行便ではなく、羽田を深夜に発つカタール航空の乗継便である。
旅行当日の仕事を終えロッカーに鞄をしまってキャリーバッグを引き羽田空港国際線ターミナルへ。会社帰りに海外へ行くのは初めてなので新鮮な気分。21時過ぎに空港到着。
カタール航空のチェックインにはかなりの行列が…。自分は昨夜のうちにWEBチェックインを済ませていたので、ボーディングパス受け取りと荷物預けの列でこちらはほとんど待たずに済ませることが出来た。
昨年の夏は昼間家族でここからエールフランス直行便に乗ったのである。
今年は一人、1日遅れで来る弟と現地で合流となる。預け荷物にオレンジ色の目立つベルトを十字にかける。ウキウキする気持ちを抑える。羽田空港 第3旅客ターミナル 空港
-
赤紫っぽい表示のカタール航空、出発時刻は23時40分と10分早め、遅延ではなく早まるのはありがたい、制限エリア内で一休み。
今回は普通カードのVISA1枚しか持ってきていないためカードラウンジには入れないが、保安検査場を通過した後くつろげるエリアには、シートが結構あって充電もでき、快適に搭乗アナウンスの時間まで過ごせた。羽田空港 第3旅客ターミナル 空港
-
機材は楽しみにしていた最新機のエアバスa350-1000。10月に日本航空が初めて導入したa350-900の先駆けとなった機材だ。無料の事前シート予約で窓際を確保していた。今回3人掛けで真ん中が空席で通路側の西洋人っぽいお兄さんとシェアしてゆったり使う。座席スペースも余裕ありなかなか快適。
飛行機は動き出したのに、予定通りだったはずがなかなか滑走路まで行かない。しばらくするとアラビア語、英語に続いて日本語のアナウンスが流れた。急病人の対応でいったん戻ったとのこと。病人の方には申し訳ないが、離陸した後でなかったことは助かった。皆静かに待っている。病人の方は降機となったのだろうか。
エアバスa350QTR813ドーハ行きは1時間遅れで離陸した。 -
約1時間後にようやく離陸。
帰国便の乗継ほどではないが、トランジットの時間がそんなにないのでできるだけ取り戻してもらいたい。フライトログのサイトでここ1ヶ月のカタールのサイトをチェックしていたのが、大きな遅延は一切なく、予定より早く着いたフライトもあった。挽回してもらうしかない。
口コミ評判通り機内エンタメ、日本映画やアニメ、吹替も結構ある。ひととおりチェック、英語のナレーションだけどイスラムの生活やカタールでの暮らしを紹介したものが面白かった。また次回のサッカーのワールドカップの開催国だけにそちらの宣伝も抜かりなくやっていた。
日本語で十分楽しめるだけの質と量はそろっていると思う。英語のナレーションだが意外と面白いと思ったのがTVの「イスラムライフ」である。カタール国の紹介も兼ねたプロモーションvideoだが、普段海外映像でもあまり接することがないだけに新鮮だった。
機内食等については「カタール航空の口コミ」に記載したのでそちらを参照していただければありがたい。
ドーハでの乗り換えも(ゆっくり免税店を見て回る時間はなかったが)順調で
エアバスa380の総2階ジャンボに乗り込む。 -
ドーハまでと違い、このエアバスジャンボは中国人の団体客が目立った。特に自分が座席指定したエコノミー後方に固まっていた。しかしありがたいことにギャレーの壁の前の3人掛けを事前予約した自分の座席は窓際の自分のみ、ここだけガラガラでゆったり使わせてもらった。すこぶる快適な約7時間のフライトだった。食事は朝食にスクランブルエッグをチョイス。今回フライトの全て食事の中でこれだけが残念、パサパサの状態だった。
マンゴジュースを飲み、ゴディバのミニチョコとともにコーヒーのお替わりをいただく。合間に運ばれてくるお水やジュース、スナック類もいただく。
ビジネスクラスには及ばないかもしれないがそ、ゆったりした気分でパリ到着を楽しみに過ごす。
ドーハからフライトはイラン上空、黒海北、アルプス北、ドイツ平原からフランスに入る。 -
ドゴール空港に向けて降下。パリ以外のフランスは偉大なる農業国でもあるのが分かる景色である。どこまでも平原が続く。
冬晴れの午後13時過ぎ、定刻通り着陸態勢へ。
やはりエアバスa380はでかい、ジャンボジェットのシルエットが畑に映っている。 -
シャルルドゴール空港ターミナル1に到着。入国審査が終わるまで、カタール航空はJALやキャセイパシフィックと同じターミナル2だと思っていた。カタール航空は上記2社と同じワンワールドのアライアンスだがスターアライアンスのANAと同じターミナル1。しかしターミナル1の方が移動時間が少なく、去年のエールフランス到着19時半の時間帯のターミナル2ようにごった返していなくて少し並んで無難に通過。荷物のピックアップについてはターンテーブルに10分ほど待っていたが同じ荷物の流れを4周ほど見ていたが、自分の荷物が流れて来ない。もしや初のロスロストバゲージか?と不安に駆られターンテーブルを1周する。
なんとちょうど裏側あたりに5、6個おろされている荷物があり、その中にオレンジの十字ベルトをかけた僕のバッグがたたずんでいた。
良かった、嬉しくなってまだ軽いバッグを手に提げていそいそとRERの乗り場に向かう。
去年の親子3人のエアフラにての到着はアジア系の他のエアライン到着とも重なったのかターミナル2がごった返し、21時頃になったため、夜の治安に不安があるRERを避け、ロワシーバスで市内中心部のオペラまで向かった。結局多少渋滞にも巻き込まれ1時間以上かかりホテルにチェックインしたのは10時半ころだった。
今回は昼間でもあるので迷わずパリ近郊電車RERに乗り込む。チケット販売機がカードのみで少し戸惑ったが無事に10.3ユーロで購入。何組かの旅行者と治安のよくない各駅に止まらずにパリ市内直通の快速電車に乗る。ガラガラだし安くて早い。
市内は、北駅(ガールデュノール)シャトレ・レアル、そしてサンミッシェル・ノートルダムに停車。
僕は左岸5区のホテルなので、馴染みのサンミッシェル・ノートルダムで下車する。
一緒に降りた外国人旅行者に続いて、胸の高鳴りを抑えて地上に出るエレベータに乗った。出たところはグザヴィエ・プリヴァ通り、懐かしいユシェット街エリアである。このままメトロに乗り換えずホテルまで10分余りバッグを引いて歩くことにした。パリに来ると必ず立ち寄るクスクスレストラン〔オー・ボン・クスクス〕の前もとりあえず通り過ぎ、サンジェルマン大通りを横断し、坂を登ってエコール(学校)通りに出る。初冬のパリ、うっすらと晴れた午後の陽射しの中、そのまま東に通りを歩く、通り沿い11番地が今回宿泊のファミリアホテル、去年家族3人で泊まったミネルヴホテルの隣、おそらく同族経営のはず。
-
ホテルチェックイン後、荷物をといてひと息つき、早速外出。冬の午後の弱い日射しの中、メトロのジュシゥー駅まで歩く。5区はパリ左岸、学生街でカルチェラタンと呼ばれるエリアであるがこの駅はカルチェラタンの東にあたり、パリ大学ジュシゥー校舎や植物園のある駅、ここからメトロでセーヌを超えて右岸、オペラまで行き、そこで乗り換え1駅、リシュリュー・ドゥルオー下車。
自分で両替通りと名付けているヴィヴィエンヌ通りにいく。まずは両替、特にこのエリアは安い両替店が多く、その中でもこのOr et Changeはパリイチレートの良いお店と言われている。本日土曜は17時までだったが何とか間に合って両替完了。最後の両替客だった。やはりお得なレートである。
このままパッサージュ(アーケード)の1つであるギャルリーヴィヴィエンヌを通り抜けてオペラ座エリアに向かう。ギャラリー ヴィヴィエンヌ ショッピングセンター
-
メトロ駅だとオペラ付近、ピラミッド駅付近が日本食レストランが多いエリアである。ラーメンのひぐまも健在。いつか入ってみようと思いつつ、いつも看板だけ見て通り過ぎていた。
ラーメン ひぐま アジア料理
-
早速スタバでひと息つきたかったのだが、オペラ座近くのこのスタバは豪華な内装で有名で、週末の夕暮れということもあってごった返していて諦めた。
スターバックスもパリの街ですっかり認知されたようである。スターバックス コーヒー (オペラ通り店) カフェ
-
日本食レストラン 「きんたろう」以前は日本人が目立ったお店も外から見た限り皆外国人ばかり、あ、違う、地元客ばかり、自分が外国人、もしくは観光客だった。
きんたろう 和食
-
日が暮れると寒い、明らかに東京と気温が違う。まだ18時前なのに夏のパリなら23時ぐらいの雰囲気だ。
日本食レストラン街を南下しルーブルに出た。ガラスのピラミッド広場はまだ大勢の人で賑わっている。確か土曜のルーブルは21時までだったはず。
夜のルーブルはやはり、映画ダヴィンチコードを思い出す。
去年は久しぶりに妻子と数時間かけてルーブルを見学したが、今年はパス、外から眺めるだけのつもり。
そのままセーヌ河岸に出た。やはり寒い、お腹もすいてきた、ちょうど焼きたてクレープを食べさせるスタンドを発見、2、3人並んでいる。僕も並んでシンプルなヌテラを注文、3ユーロ。紙に包んでくれてそれを頬張りながらセーヌに架かるカルーゼル橋を渡る。チョコレートとヘーゼルナッツの混ざったクリームの味がとろけて胃に染み込んでいく感じだ。日本で焼き芋を買って立ち食いする感じか。
クレープを食べながら右岸から左岸へ。
ルーヴル ピラミッド 現代・近代建築
-
左岸、そのまま南下して、サンジェルマン・デプレ地区に到着。左岸5区がカルチェラタン、サンミッシェル広場付近で6区はやはり、オデオン、マビヨンとサンジェルマン・デプレが賑わいの中心だろう。
新しくリニューアルされたサンジェルマン市場に行ってみると、おしゃれなイートインコーナーがあるスーパーなどに混じって、ユニクロがあった。こちらも外国人じゃなく、パリジャン、パリジェンヌで賑わっていた。日本人として少し誇らしい気分。ヒートテック売れていた。
寒いながらも、週末の賑わいのあるサンジェルマン界隈、やはり左岸の方が自分は落ち着ける。ユニクロ 専門店
-
今夜はひとりで晩飯、明日はキャセイパシフィックのビジネスクラスで香港経由で来るはずの弟と合流。
よっておひとりさまは今夜のみ。どこに入るかウロウロし、少し迷ったが、以前ひとりで入ったことのある
ムッシュー・ル・プランス通りにある、ポリドールPolidorに入る。ヘミングウェイも常連だった大衆食堂、映画ミッドナイトインパリでも使われた歴史あるレストランだ。
思い切ってドアを開ける、最初まだ開店前かと思って躊躇したのだが、中に先客が何組か入っている。ドア入ってすぐのカーテンは寒さ除けでもあるようだ。
黒人のウェイトレス(この店の給仕は全員女性である)フランス人親子三人につながったテーブル席に案内される。相席といえば相席。チェックのテーブルクロスが可愛い。
メニューを眺め前菜はパスしてブッフ・ブルギニョン(牛肉のブルゴーニュ風煮込み、ビーフシチュー)とタルトシトロン(レモンタルト)を注文。グラスワインは白にした。食事の前に手洗いに行ったがここは何年も前に来た時と変わらず、旧式のトルコ式トイレ、まだ健在だった。
席に戻ってほどなくしてメインが運ばれてきた。安くてうまい、付け合わせのマッシュポテトも食べやすく優しい味。バスケットに入ったパンも全て平らげ、デザートのレモンタルトを残った白ワインで味わう。しっかりレモンの酸味がきいて好きな味である。牛肉も柔らかくこれで総額23ユーロは良心的である。
すっかり満足して店を出る。「孤独のグルメ」の主人公的気分である。通りを反対にサンミッシェル大通りに出て、サンジェルマン大通りを横切りエコール通りへ。さすがに今夜はこれぐらいにしておこう、カフェにも立ち寄らず、ホテルフロントで鍵を受け取り、朝食をとる食堂においてある自販機で1ユーロの珈琲を買って自室に戻る。
去年のミネルヴホテルは三ツ星、同族経営のはずの隣接したファミリアは二つ星。今回バスタブはない。シャワー室のみ。やはり冬なのでバスタブ付きにすれば良かった、と少し後悔。ただ部屋はスチームで心地よい温かさである。号室は12号室、フランスでは日本の1階が地上階0階なので僕の部屋は2階である。壁紙のデザインが先ほど通り過ぎたルーブルのガラスのピラミッド広場だ。シャワーを浴びて爆睡する。
ポリドール フレンチ
-
小雨の日曜日、朝8時でもまだ暗い。なるほどこれがパリの冬か、朝がこんなに遅いとは…。
8時には弟との待ち合わせの場所、サンミッシェル広場、セーヌ河岸そばのカフェ「ル・デパール(出発)サンミッシェル」の防寒ビニールに覆われたテラス席にて朝食セットを取っているとほどなくして弟が薄明かりの中、キャリーバッグを引きながら登場した。無事合流できてほっとする。
デパールで少し休んで、キャセイの乗り換えやドゴール空港ターミナル2の混雑ぶりの話を聞く。その後ホテルに誘導し、部屋で休む弟と別れ午前中の散歩に出る。
こんな天気のパリは初めてである、小雨も降り寒い。エコール通りからパンテオン広場を通り過ぎる。
坂道のサンミッシェル大通りを横断して、大好きなリュククサンブール公園に入る。パンテオン 建造物
-
こんな人の少ないリュクサンブールは初めてである。日曜小雨の朝、公園名物の緑色の椅子も濡れて寂しげである。時折ジョギングの人が走り抜けていくだけ。
あの自分が知っているリュクサンブール公園の明るさとにぎわいと緑色の椅子でくつろぐ心地よさは今はない。これもパリの姿の1つなのか。秋が終わったパリ。冬の始まりのパリ。リュクサンブール公園 広場・公園
-
ダヴィンチコードでも有名になったサンシュルピス教会の前も人がいない。
雨は降ったりやんだりで日本のようにザーザー雨にならないので傘をさしていない人の方が多いくらいだ。僕もバッグに詰めた折り畳み傘を持ってくるのを忘れた。気にせずひたすら歩く。
妻に頼まれていたボンマルシェ百貨店そばの「奇跡のメダル教会」でお土産のメダルを購入。ここには埼玉出身の日本人のシスターもいるはず、今回は会わなかった。あれば買ってきてと頼まれていた純金のメダルは売っていなかった。教会でそんな高いものを売るのもいかがなものか、ここには0.4ユーロから5ユーロ程度のメダルのみ、免罪符ではないのだからそれでいいと思う。サン シュルピス教会 寺院・教会
-
12月1日の日曜日、日本との時差は8時間(前)毎月第1日曜はは美術館無料の日だがルーブルはそれが第一土曜の夜のみ一般無料になってしまった。残念。
弟とサンジェルマンでプレ教会前で待ち合わせ、裏手の小さな広場にひっそりとたたずむ「ドラクロア美術館」に初入館。ここはドラクロアの住まいでもありここから彼はサンシュルピス教会のフレスコ画を仕上げに毎日通ったとのこと。
ロマン派の巨匠ドラクロアはロマン派のピアノの詩人ショパンの親友でもあった。
小さな美術館なので1時間足らずで見終わり、メトロに乗る。
エッフェル塔観光客の利用する駅ビル・アケムで下車。去年もぞろぞろ歩いたブランリー河岸(通り)、右手にエッフェル塔を仰ぎ見つつ、その先にある「ケ・ブランリー・ジャックシラク美術館」に向かう。前から行きたいと思っていたユニークな評判の博物館である。
天気の良い別の日に取った外観写真だが、小雨はほぼやみ、入場無料とはいえ、去年のオルセー美術館ように並ぶことはなく入場できた。アラブ世界研究所のユニークな仕掛けで一躍有名になったジャン・ヌーヴェルの建築で、アジア、アフリカ、オセアニアの民族芸術にもスポットを当てるべきだ、ヨーロッパ主導の美術、芸術に一石を投じる、というジャック・シラクの目論見は成したといえる。ケ ブランリー博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
展示導入路からしてユニークである。流れる文字の川というタイトルで、次々に単語が流れてくる。
有名な作品というものはなく、全てが西欧と対局にあるかのような、美術、工芸品で、日本のアイヌの民族衣装も展示してあった。ケ ブランリー博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
ケ・ブランリー美術館、本来なら10ユーロする入場料が無料はありがたかった。
曇り空のエッフェル塔も寒々しい。こんな風景もパリなのか。
左手には2016年、当時のオランド大統領とプーチン大統領の合意によりロシアの巨額費用で建てられたロシア正教会のドームとのこと。何か違和感を感じる。 -
弟がお気に入りのオデオンのカフェダントン(あのフランス革命で活躍したダントンの銅像が広場にある) で遅めのステーキランチをとり、やはり入場無料のクリュニー中世美術館に行く。ここは小さな美術館ということもあって入場まで行列10分待ちだった。1時間弱で弟と別れ、まだ行ったことのなかったギュスターブ・モロー美術館にメトロで向かった。モンマルトルの南、サンジョルジュ地区の閑静な住宅街にある美術館だ。17時閉館の40分前16時20分頃着いたのだが、若い男の子2人立っていて「フェルメ(クローズ)」の一言、やはり1時間前に行っていなければだめなのかと諦める。そのまま上り坂を上がっていき、東西に延びるロシュシュアール大通りに出る。18区モンマルトル界隈である。移民に人気の格安店TATIがバルベス・ロシュシュアール駅のすぐそばにデカデカと店を出している。以前お気に入りの綿シャツを破格の値段で買って重宝していたが、久しぶりに入るとセキュリティが厳しくなり、品ぞろえも変わった感じになってしまっていた。テロ対策もあるのかも知れない。安物のヘアムースとガムと歯間ブラシだけ買ってバルべス通りを北上、途中で西に折れ、モンマルトルの丘へ向かう階段を上る。
サクレクール寺院のあるモンマルトルの丘への行き方は何通りもあるが、この東側から階段を上るパターンはきついけど、モンマルトルらしさが感じられる。
階段の中腹で他のルートと交差するところに、「レテ・アン・パント・ドゥース」がある、オードリーヘップバーンの映画のロケにも使われたカフェレストランである。お店の名前の意味は「ゆるやかな坂道の夏」なんともしゃれた名前でテラスには色とりどりの椅子が並んでいるのでわかりやすい。ここでランチを取ったのは10年以上も前の5月の終わりだった。それなりに賑わっていたが、やはりこの店は
春から夏にふさわしいお店だと思う。 -
モンマルトルの丘から寒々しい夕暮れのパリの街を見下ろした後は、お気に入りの丘の北側、ラマルクコーランクール界隈に下って行った。行きつけのカフェもテラスには誰一人いなく冷え冷えとした印象。そのまま西側を下っていきブランシュ広場へ。ここから北に上るルピック通りはあたりは大学時代のゼミの恩師でもあり、小説家だった辻邦生先生が一時暮らしていて「モンマルトル日記」を残したエリアだが、一般的には「アメリ」の働いていたカフェのある「レ.・ドゥー・ムーラン」が有名である。日本人観光客もよく訪れるカフェだが、僕は入ったことがない。モンマルトルに来るとどうしてもラマルクコーランクール駅近くの先ほど通り過ぎたカフェに行ってしまう。
モンマルトルの東のふもとから北側を回って西のふもとまでほぼ1周したことになる。クリシー大通り沿いには有名なムーラン・ルージュもある。入ったことはない。ライトアップされた赤い風車は確かに目立つ。ムーラン ルージュ ナイトライフ
-
メトロで、凱旋門(エトワール広場)に向かった。
初めてパリに着いた夜、ホテルのウェルカムディナーの後で、すぐに飛び出しドキドキしながらメトロに乗ってこの広場に上がった時の感激は忘れない。パリに来たら凱旋門からのシャンゼリゼ通りを散歩することは僕の定番行事の一つであるが、今回は冬。寒さがやはり東京とは違う。底冷えのする中、マフラーを巻き付け凱旋門に「また来たよ」とあいさつをして、シャンゼリゼ通りをゆっくりと下る。この世界中の人々に知られている大通りは凱旋門側から歩くほうが緩やかな下りになっていて楽である。凱旋門 建造物
-
クリスマスイルミネーションのシャンゼリゼ通り、初めての冬のパリの醍醐味を感じさせる華やかさ、さすがに寒い夜だが人通りは多い。チュイルリー公園には観覧車も出ている。
こんな賑わいの中1人出歩くのはちょっと寂しい気分である。
5月終わりのパリは10時過ぎにやっと日が暮れるのだが、この時期は東京と同じく5時前に日が落ちてしまう。初めて味わう冬のパリ、クリスマス前の華やかさ。やはりヨーロッパのクリスマスは特別な意味があるのだろうか。シャンゼリゼ通り 散歩・街歩き
-
エッフェル塔のライティング、光線発射。パリはやっぱり光の都か。
-
自分のなじみの界隈。ホテルのある左岸、カルチェラタンの玄関口ともいえるサンミッシェル広場、まだ19時なのに深夜の雰囲気。
この噴水前は待ち合わせでごった返すのに、今夜は人もまばらである。
弟と待ち合わせ、行きつけのクスクスレストランに向かう。
そう、初日に荷物を引いてエレベーターで地上に出たところ、セーヌからユシェット街を南北に貫く狭い通り、グザヴィエ・プリバ通りにある、Au bon couscous オーボンクスクスである。今回で4度目。店の前には相変わらず愛想のいいおじさんが立っている。去年の夏と同じく握手されながらニコニコ中に通される。
初めて夕食に1人で入ったのは10年ほど前になる。
クスクスロワイヤル、つまりひととおりの肉の盛り合わせを注文してしまい、ただひたすら食べまくった。
あの時から、安くてうまいクスクスはもちろんのこと、気さくで1人客でも気持ちよく迎えてくれる
この店のファンになり、以前勤めていた会社の社員旅行のときも数人を引き連れて訪れ、去年は妻子を連れて来た。今年は弟と2人。ワイン好きの彼はあまり強くない自分のことを考えハーフボトルを注文したが、愛想のいいおじさんはフルボトルを持ってきてドンとテーブルに置いた。ハーフの値段でいいので好きなだけ飲めと言う。2人で調子に乗って半分以上飲んでいるうちに結局1本空けてしまった。あとで会計を見るとハーフの値段より少し割増になっていたが
まあそれでも得した飲み方か。自分もパリに来ると日本よりは少しワインに強くなる、というか、酔っ払うことはないし、限度を意識してしているのか気持ち悪くなることもない。まあ、お酒以上に料理を味わいたいのでそんなに飲んではいないのだろう。
ともあれ、料理の方はそれぞれクスクスを頼み、肉は1品ずつ、僕はブッフ(牛肉)弟はメルゲーズ(アラブ風ソーセージ)を注文した。
ワインもクスクスもも平らげ大いに満足。
周りはフランス人グループが多い。本当に楽しそうに語り合い、笑い、大いに食べている。
愛想良く見送ってもらい店を出る。
心もお腹も暖かく満たされた。サンミッシェル広場 広場・公園
-
翌朝、なかなか日が昇らず、9時過ぎにようやく明けてくる。1年で一番日が短くなる時期とはいえ、日本の朝の時間よりもまだ遅い。サマータイムの頃と極端に違う。パリが緯度の高い位置にあることを改めて感じる。うっすらと日差しの出る中右岸のカフェで朝食をとるべくシテ島を抜け散策。パレ・ロワイヤルの中に入る。ダニエル・ビュランの円柱は健在であった。ここはいつも静かな雰囲気である。クリスマスツリーの飾りつけをし始めていた。
結局歩き疲れて、ギャルリー・ヴェロ・ドダ近くのカフェ・ブランという店で朝食セットをとる。パレ ロワイヤル庭園 自然・景勝地
-
早めにお土産を少し買っておこうと思い、オペラ座のすぐ北東に鎮座する2大百貨店、ギャルリー・ラファイエットとプランタンに立ち寄る。やはりいつでもこの界隈はごった返している上にクリスマス前、日本人観光客も多いが、今回は中国人の団体客が目立つ、ヴィトンの前では中国人御一行様が並んでいる。パリでも爆買いのパワーが充満か。買い物ならやっぱりラファイエットの方がわかりやすい気がする。こんなデパートの中にもいつのまにか、スタバが入っている。
ギャラリー ラファイエット百貨店 (パリ オスマン本店) 百貨店・デパート
-
ドームの空間に巨大クリスマスツリーが樹立している。さすが老舗の有名デパートである。商業エリア右岸にふさわしい飾りつけであろう。これもまたクリスマス前のパリの風物詩のようだ。
-
弟と7区のメトロの駅「ラ・トゥール・モーブール」で待ち合わせ。以前訪れ感激した「ラフリオレ」でランチを取るつもりが閉まっていた。日・月曜定休だったようで、このエリアに来たからには近くのお店に入ろうと思い、同じくミシュランのビブ・グルマンで評価されている「オー・ボン・アキュイーユ」にアポなしで行ってみる。かなりの賑わいだったが給仕長が何とか入れてくれる。日本人女性客が二人いて、この店の日本人シェフと話をしていた。そうだった、ここはに日本人シェフの店になったのだ。初めてだったが気さくなビストロというよりは星を取ってもいいようなレストランの雰囲気だった。結局二人で前菜・メイン・デザートのフルコースのランチメニューを注文。グラスワイン。僕のとったメインの魚料理はソースで食べさせるのではない天ぷらのような皿でかなりのボリュームだった。クロークに預けたコートにスマホを入れていて写真撮れず残念。デザートは軽く日本人シェフらしく、ほうじ茶を使ったものだった。
食後の街歩き。冬の日差しがまぶしい。昨日と違いきちんと晴れた冬の午後は散策も楽しくなってくる。
夜またもやサンミッシェル広場の噴水前で弟と合流する約束をして解散。
冬枯れの木立から見えるエッフェル塔もなかなか良いものである。Au Bon Accueil ホテル
-
エッフェル塔を背にしてイエナ橋からセーヌ河を望む。午後の日差しの中、春や夏の頃と違って観光客も少なめではある、とはいうもののお昼前から日差しが出てきたこともあり、やはり観光客とバスが行き交うエリアである。怪しい物売りもちらほら見かける。この界隈はこれでなくてはね、と思ってみたり。
イエナ橋 建造物
-
その後メトロ6番線に乗る。このラインは高架になっている区間が長く、バスと同じく地上の景色を楽しめる。そのまま左岸を横断し、右岸に入り東の端終点「ナシオン」駅まで乗っていた。今度はそこから9番線に乗り換えエッフェル塔の向こう岸、右岸16区のパッシー地区まで行ってみる。先ほどのエッフェル塔前から1周したことになる。暇な1都市滞在観光客だからできる大移動である。
パリで16区といえば、日本人の海外赴任族も多いお金持ちのエリアである。僕はアールヌーボーの建物や、無料で入れるバルザック美術館もあるこのパッシー地区も結構好きである。
パリは各20ある地区で特色がある、16区といえば東京でいうところの成城か田園調布のイメージであるが、丘になっているこの地区はエッフェル塔が建物の間から顔をのぞかせ面白い。
今回はかなりパッシー西の界隈(オートィユ地区)まで進出してみた。対岸(左岸)にはシトロエンの工場跡地にできたアンドレ・シトロエン公園があり、気球に乗れるので有名である。ちょうど夕方に近づいた時刻、気球が浮かんでいた。一度乗ってみたいものだ。パッシー プラザ ショッピングセンター
-
近くのバス停から72番線のバスに乗る。このルートは セーヌ右岸に沿って東西に走っている為観光にも使える穴場バスラインだ。さらに2019年から東の終点がオテルドヴィル(パリ市庁舎)からリヨン駅まで伸びてさらにゆっくりできる。
うまく右側の窓に座ることができた。ちょうどセーヌ河岸を眺めることができる。
チケット1枚で乗れるこのバスの中は、自分のような穴場でスリに狙われそうな観光客はだれもいない。
僕の隣にはフランス人マダムが座っていた。 -
ライトアップされ始めたばかりのエッフェル塔をバス停の窓から眺める。色んな乗客が乗り降りして、それを眺めるのも楽しいものである。観光客はほとんど見かけない、素顔のパリ市民の生活を垣間見ることができる。急がない移動にはバスはおすすめである。
この72番はセーヌ川沿いルートでメトロのチケット1枚分で東西を移動できるので、是非おすすめしたい。エッフェル塔 建造物
-
コンコルド広場やルーブルのあたりで渋滞にまきこまれ、終点リヨン駅に着いたのは約1時間後、歩いて疲れた脚休めにちょうど良かったバス移動とセーヌ河岸車窓観光。リヨン駅に着く前、左岸にグリーンに浮かび上がるチューブ状の変な建物がある。これは約7年前に出来たモード関係が入った、「レ・ドック」という建物とのこと。終点リヨン駅で景色。しばしリヨン駅お馴染みの時計台をぼおっと眺める。その後右岸に突き出た大蔵省のやたら横に長い建物を眺めつつ、遠回りしてベルシー橋を渡り左岸に統治。気になる「レ・ドック」に行ってみた。
チューブ自体は面白かったが、季節柄ウッドデッキのテラスレストランは閉店中で、モード、デザインのテナントのオフィスだけ稼働中だった。ここは春から夏が楽しいエリアだろう。
結局そのままオーステルリッツ駅を通り過ぎ、植物園の北側からモンジュ通りを南下し、丘の上にあるコントレスカルプ広場にたまでひたすら歩く。
トイレ休憩も兼ねて、パリに来たら必ず立ち寄るカフェ・コントレスカルプに入る。いつもはテラスに陣取るのだが、さすがに初冬のパリの寒さに耐えてテラスに座る勇気はない。春夏と違いトイレに行く回数も増える。とはいえ歩いて喉が渇いたので、以前テラスで必ず飲んでたパナシェを注文する。ビールのレモネード割りのカフェ定番ドリンクはアルコールに弱い自分にはほどほどでぴったりだと思う。
コントレスカルプ広場の写真を撮り忘れたのが残念。この界隈はヘミングウェイが住んでいたこともあり、アメリカ人観光客も多い。サントジュヌビエーヴの丘の上にこの広場があり、南に下れば市場通りで有名なムフタール街、北にデカルト通りを下ればセーヌ4に出る。このデカルト街は詩人ランボーとヴェルレーヌが暮らしていたアパートがあり、その隣のアパートは、モンマルトルにも一時暮らした小説家故、辻邦生先生が十数年借りていた部屋がある。恩師辻先生は、1980年代から亡くなる2000年までこの部屋をパリの拠点としていた。写真撮り忘れ、残念。壁にはランボー、ヴェルレーヌと並んで、日本の作家辻邦生のプレートがある。レ ドック シテ ド ラ モード エ デュ デザイン 現代・近代建築
-
サンミッシェル広場の噴水にて待ち合わせ。ホテルで一眠りしていた弟が珍しく遅刻してきた。それまで自分とパリジェンヌの2人きりしか待ち合わせをしてなかった。こんなに人の少ないサンミッシェル広場の夜は初めてである。
今夜も弟とかつて行ったことのあるユシェット・アルプ界隈の Rim Cafe リムカフェに行く。ワインと共に弟はスズキのムニエル、僕は大盛りサラダとミートソースパスタ。サラダはともかく、パスタは日本の方がレベル上だと思った。弟はコスパの良いスズキを堪能してしていた。ただこの店の雰囲気は好きだし、以前に弟や母親を連れて食事をした思い出の店でもある。
春夏に来た時のように、夜遅くまでウロウロする体力、気力がない。年齢の影響も認めるが、やはり季節の影響も大きいと思う。ホテルに戻り熱いシャワーを浴びてゆっくりしたいと思った。今回のファミリアホテルはバスタブのない部屋である。それを承知で予約したが、この季節はやはりバスタブ付きのにすべきであったと少し後悔。
ただ室内はスチームで温まっていて快適である。エアコンのように乾燥してないし、石油系ストーブのように臭くない。
我が家にもほしいと思う。
荷物を片付けシャワーを浴びるとするか。返す返すもバスタブなしは残念である。 -
予約時に通り側をリクエストしていた。今まで他のホテルに泊まった時は中庭側で全く眺め自体がない部屋に当たったこともあったので、今回のリクエストは(バスタブリクエスト忘れを除けば)正解だった。カルチェラタンのエリアを横断するエコール(学園)通りを眺めることができた。
僕はやはりカルチェラタンの5区が一番好きだし、宿もできれば5区でとりたいと思う。 -
翌日、未だ夜が明けきらない8時台、サンミッシェル大通り沿いのスターバックスの2階席に一人たたずむ。しばらく客は自分だけだった。日本のトールサイズがパリのスタバではプチサイズである。たっぷりと濃いめの珈琲を飲むときにはやはりスタバはありがたい。サマータイム実施の5月下旬は5時から明るいのに、緯度の高いパリが夏と冬でこんなに両極端に日の長さがちがうとは…知識としては知っていたが、やはり経験すると、パリジャンたちが春から夏にあれだけテラスにたたずむのもうなずける。
-
スタバのトイレはコード入力になっていた。レシートに記載されていたのかもしれないが通りかかった店員に尋ねると、早口の英語で4桁の数字を教えてくれた。
日本のトイレ事情のありがたさを痛感する。以前よりはパリのトイレも有料が減って街角の無料BOXトイレも設置が増えたようである。
それにしても朝って感じがしない。夜のスタバにきているようである。 -
どんよりした冬の朝のバス通り。
-
1枚ぐらい現地滞在証拠写真を。待ち合わせスポット、ご紹介済みのサンミッシェル広場の噴水前にて弟に撮ってもらう。
この日も待ち合わせ1人はいなかった。 -
パリに来たら必ず立ち寄るノートルダム寺院、火事のお見舞いに近づけるところまで行ってみる。
正面ファサードは一見いつものノートルダムである。エでッフェル塔やルーブル、サクレクールと、パリを象徴する建物は色々あるが、やはりパリといえばセーヌ川とノートルダム、パリっ子もそう思っているはず。ノートルダム大聖堂 寺院・教会
-
やはり工事中のバリケードで近寄れず。何年もかかるだろうが、またあの優美な後陣、フライングパットレスと尖塔の姿を取り戻して欲しい。パリジャンの思いも同じだろう。「頑張れ、ノートルダム!」
-
日の射さない冬のセーヌはやはり寒々しい。
これもパリの風景であろう。 -
ルイ・フィリップ橋を渡った右岸、サンジェルべ・サンプロテ教会に続く緩やかな石段のパール通りも知る人ぞ知る穴場ルートだ。角にはグリーンの庇で有名なカフェ・ルイ・フィリップがある。この日は改装工事中だった。以前ここでランチをとったことを思い出した。グラタンドーフィノワとニジマスのアーモンド添えのメニューだった。写真撮影にも使われるカフェと通りである。セーヌ河岸の右岸側なのに観光客の来ないモンマルトルの穴場スポットのようなのどかさがある。この通りを抜けるとマレ地区に出る。
-
パイプオルガンで有名なサンジェルべ・サンプロテ教会内を見学した後、マレ地区に迷い込み、ウィンドショッピングで歩き回る。パリは小売りの小さなお店が本当に個性的で眺めているだけで楽しい。東京の町や地方の観光地にもそんな個性的なお店が増えてきたが、パリも新しいものとずっと変わらないものが同居する都市だ。マレから、ポンピドゥーセンターの前を通り過ぎパリの「大手町」に来た。
修復しても変わってほしくないと自分だけでなくパリ市民が願っているのではないもののひとつがノートルダム大寺院で、新しく変わっていったエリアの一つが再開発となっていた、パリ市内、(東京なら大手町にあたる)交通の要のエリアでもある「レ・アール」だろう。このレ・アールが3年前に生まれ変わった。
6年間の工事の末に2016年に完成した新しい「フォロム・デ・アール(レ・アール)」は、観光客にとって単に移動の要に過ぎなかったシャトレ&レ・アール界隈を引き付けるショッピングスポットにもなった。特徴的なのが「カノペ」と呼ばれる、18000枚のガラス板でできた天蓋である。曲線状の屋根には自然光が地下3階まであるショッピングモールまで入り込み、階段状で開放的な広場もある。レ アル駅 駅
-
以前のレ・アールはまともに入ったことがなかったし、旅行ガイドでも、魅力を伝えるコメントは一切なかった。かつての地下のショッピングモールは閉鎖感があり、むしろ治安も悪いという評判もあった。今回のこの一大リニューアルは明るく、見通しも良くなり、地上と地下の隔てが取り払われた印象である。
駅の構内も表示がわかりやすくなっていた。特にシャトレとレ・アールはメトロ5線とRER(郊外高速線)3線が交差するエリアである。
150店舗あるというお店の中にはMUJI(無印良品)もあった。レ アル駅 駅
-
その後、ランチは7区のラフリオレに行ってみたが、またもや閉店である。人気店だったのだが店を閉めたか、移転したのだろうか、真っ暗なガラス越しにテーブルや椅子も片付けられている印象だ。変転した情報はつかめていない。またもやこの7区界隈を弟と歩き、クリスチャン・コンスタンが手がけたお店の一つ、カフェ・コンスタンに入る。予約なしだが2階席に案内された。ボリュームと評判通りの料理だったが、やはり写真を取り損ねる。それぐらい空腹だったということにしておこう。
メトロでカルチェラタンに戻り、パンテオンに向かう通りのカフェに初めて入りまたもや「パナシェ」を注文。うっすらと晴れた冬の午後。席は空いていてまったりぼーっとする。パリではただ歩き回ったり有名観光スポットに行くだけでなく、こういった地元の人が行くカフェでまったりを必ずお勧めしたい。もちろん財布やスマホ、手荷物には十分注意をして。 -
カフェ休憩の後、5区から6区のオデオン、サンジェルマンデプレまで散策、身内に頼まれたお土産選びもしなくては。今夜が最後の夜、あっという間だ。古レコード屋の前を通る。中学生のころ夢中になったミッシェル・ポルナレフのオランピア劇場のライブ盤を見つける。カセットテープに撮って良く聴いていた。今そのポルナレフの活動はフェイスブックで知ることが出来るし、いつの間にかファン登録にもなっていた。サルコジ大統領の許可がでて、エッフェル塔の南に広がるシャン・ド・マルス広場で野外コンサートが大々的に開かれたことをyoutubeで知った。
かつてアメリカ独立戦争とフランス革命の「両世界の英雄」となった
ラ・ファイエット将軍の失脚のきっかけとなった「シャン・ド・マルスの虐殺」の広場が今や野外コンサートの会場とは…関ケ原で往年の演歌歌手がコンサートをやるようなものか(ちょっと違うな) -
マルシェ・ド・サンジェルマン、サンジェルマン市場は初日の夜にも立ち寄った、ユニクロも入ったショッピングの常設建物で、メトロの駅はマピオンが近い。
リニューアルされたテナントはワインバーやスーパーも入っていて、以前よりもずっと洗練された印象だ。野菜や果物の陳列にはここのみならず、パリの小売店のセンスを感じる。マルシェ サン・ジェルマン 市場
-
サンジェルマンデプレ教会前の出店。以前からあったのだろうか、記憶にない。今回パリ到着の夜に見つけて、1件1件眺めて歩いた。クリスマスイルミネーションの中、小物、アクセサリー、革製品、クレープやスープに暖かい飲み物のスナックスタンド。眺めているだけで楽しいが、さすがに寒くて、綺麗な女性店員に勧められ、ヴァンショー(ホットワイン)を買った。少し甘目でシナモンが効いたほっこりとした味、初めて飲んだが確かに温まる。ついでに何かつまみたかったが、ボリュームある最後の夜の晩餐のために
我慢した。
サンシュルピス通りのブティックで頼まれた買い物を済ませ、弟と晩飯の打ち合わせをする。彼は明日から後3泊ゆっくり滞在するが、僕は明日の21時台に帰路の便に乗る。
どこかビストロでも予約しておけば良かったのだか、昼間にカフェコンスタンのコースランチをとったので、夜はカフェめしでいいか、という気になってきた。
ではどこへ行く?と話し合い、弟が最初に待ち合わせた、カフェ、ル・デパール・サンミッシェルを提案した。
「あそこでディナー?朝食やランチやドリンクでよく利用したカフェだが、晩飯は高くてイマイチなんじゃないのか。」
「いや、これがドゥマゴやフロールみたいに高くなくて意外といいんだ」とのたまうので、歴史あるカフェだし、思い切ってその提案にのった。
サン ジェルマン デ プレ教会 寺院・教会
-
観光客用のカフェの側面は確かにあるが、サンジェルマンデプレのカフェ・ドゥーマゴやカフェ・フロール、オペラ近くのカフェ・ド・ラペ、シャンゼリゼのフーケッツのように有名店で高級展ではなく、でも立地は抜群の歴史あるカフェ、ル・デパール・サンミッシェル。ヘミングウェイの『移動祝祭日』の冒頭の短編「サンミッシェルの気持ちの良いカフェ」のモデルといわれるカフェである。
パリに来たら必ず立ち寄るカフェのひとつであるが、ここでディナーは初めてだった。
結論、なかなか良かった。僕は前菜にオニオングラタンスープ、メインにブッフ・ブルギニオンを注文した。牛肉のブルゴーニュふう煮込み、要はビーフシチューで初日な夜、有名な安食堂ポリドールで頼んだメインと同じだが、こちらの方が見事なボリュームで、デザートまでたどり着けなかった。味も柔らかく煮込んだビーフとポテトがマッチしてうまかった。完食。
弟に付き合いワインもそれなりに飲んだ。パリで飲むワインは悪酔いしたことがない。セーブして飲んでるし、食べる方にチカラを入れてることもあるが、美味しく飲めて変に酔ったことがない。
デザートは残念だったが最後の夜のディナーとしては正解だった。
カフェめしも、なかなか侮れないと改めて思った。 -
愛想の良いギャルソンに見送られ、ほろ酔い気分で2人店を出る。クスクスを食べたグザヴィエプリバ街、ユシェット街、アルプ街をうろつき少し別腹の余地が生まれ、クレープスタンドでレモンクリーム入りを注文して食べ歩く、弟呆れる。今回クレープ立食いは2度目、初日の夜ルーブル前のセーヌ河岸の屋台でヌテラ入り3ユーロ、今夜は2.5ユーロだった。学生街でもあるから少し安いのかも知れない。甘酸っぱくてうまかった。
4泊めとなるファミリアホテルに帰還。フロントのマダムにも顔を覚えてもらった。下手なフランス語も何とか通じているようで嬉し。食堂の自販機で1ユーロのコーヒーを買って部屋で寛ぐ。その後ほとんど理解できない フランス語のテレビをつけ、今夜もシャワーを浴びて爆睡。 -
ホテルの前はエコール通り、向かいのパン屋で最終日の朝食をとる。2018年の夏に隣のミネルヴホテルに泊まったときもこのパン屋にきてテラスで朝食セットを取った。今回はさすがに寒いので室内でジュースとホットドリンク付きの安くてお得なセットをとる。
-
ホテルの外観。前の年に泊まったミネルヴホテルとファミリアホテル。姉妹ホテルのはず。
-
もう一度昼間のモンマルトルに行き、行きつけのカフェでランチをとることにした。
モンマルトルは観光トラムぐらいしか通らない北側のラマルク・コーランクールがおすすめだ。
行きつけのカフェとはコーランクール通りにある、ル・セパージュ・モンマルトロワで、かつてあのフジコ・ヘミングがこの界隈に住んでいる時に行きつけだったカフェだ。モンマルトルのプチトラン タクシー系
-
正面ファサードはこんな感じ。右手側のコーランクール通り側のテラスよりも、左側、スクエア側に面したテラス席がおすすめで、初夏の夕暮れにこのテラスで、パナシェ(ビールのレモネード割り)を飲んでいると、パリで暮らしてるいるような幸福感に包まれる。おすすめのカフェだが、今回はさすがに寒いので室内の席でランチをとることにした。
-
ちょうどランチタイム、地元民で賑わっている、カウンターは地元のおじさんたち。
-
弟とふたり、それぞれメインは肉と魚を注文。
-
共に満足のいく味とボリューム。
ワインも進み、僕はデザートにフォンダンオーショコラを注文。
このカフェで食事をしたのは初めてだが、満足。
気に入った。今度はまた春から初夏に来て
スクエアのテラスでランチかディナーをとろうと思う。 -
夕刻には空港に向かうことになる。いつも名残り惜しい、パリの街。こんな日本食レストランは日本人の経営ではなく、他のアジアの経営に間違いない。
-
2日目の朝弟と合流した、カフェ・ル・デパール・サン・ミッシェルでヴァンショー(ホットワイン)を飲んでパリを発つ。弟はあと3日パリに滞在。今夜からオデオンのホテルに移る。僕はまさにデパール(出発)となる。サンミッシェルの歴史あるこのカフェはやはり特別なカフェだ。クチコミでは批判もあるみたいだが、僕にとっては家族や友人と共に利用してきた思い出のカフェである。
しばしの別れ、来年は無理かもしれないけど、また3年以内にパリに来るゾと密かに誓い、サンミッシェル・ノートルダム駅からRERに乗り込む。 -
シャルルドゴール空港、ターミナル1からの出発。去年はエールフランスだったのでターミナル2だった。1はやはり古びた印象を拭いきれない、しかし2ほど混んでなくて割とスムーズにチェックインできた。
シャルルドゴール空港 (CDG) 空港
-
できた当初は画期的だったこのチューブのエスカレーターも見慣れた感じとなってしまった。それでもやはり、パリに初めて来た時はこのチューブに感激したものだった。
シャルルドゴール空港 (CDG) 空港
-
行きはエアバスa380の巨大ジャンボだったが、パリ-ドーハ間はボーイング777だった。
-
窓際の席で隣はインド人の女の子。通路側は白人の男の子。行きと違いほぼ満席。約6時間のフライト。
食事を取り寝てる間にドーハに近づいていた。 -
帰路、今回の旅程の最大の難関がこのトランジットである。乗り換え時間が55分しかない。ここでおくれるわけにはいかない。幸いドーハには予定時刻通りに到着した。
気合いを入れて歩き出そうとしていたら、カタールカラーのジャケットを着たおじさんが、ハネダ、ハネダと叫んでいた。そういえばクチコミにショートトランスファーの羽田便は係員が乗換便まで誘導してくれることを思い出した。ウィハネダ!と答えてそのおじさんの横に立っていると他に4人の日本人女性が集まって来た。OK、レッツゴーとおじさんが早足で歩きます出す。皆その後をひたすら着いていく。ハマド国際空港 (新ドーハ国際空港) 空港
-
途中、保安検査で僕がちょっと時間かかって、ベルトを外したりしていたが、エスカレーターを降りたところでおじさんと他の方々が待っててくれた。ありがたし。その後も早足で沖どめのタラップまで無事連れて行ってもらえた。
しかしこのベリーショートトランスファーはヒヤヒヤものである。
出来ればドーハに1泊するぐらいの日程を組みたいものである。ハマド国際空港 (新ドーハ国際空港) 空港
-
ドーハと羽田間は行きと同じくエアバスa350の1000
で、後方はガラガラだった。日本人CAさんが
お好きなところにお座りください、と言ってくれて、またもや3人掛けの座席を独り占め。
早速食事。食べ終わる頃に写真撮ってどうする。
コーヒーもなかなか飲めるが、マンゴージュースがうまい。 -
最後の食事。牛肉のカレーとピラフ。茶そばのサラダに抹茶ムース。白ワインで今回の旅の無事帰還を祈る。
-
モニターに映るエアバスa350 1000
後方からのアングル。
心踊る映像である。
この後予定時刻通り羽田空港に到着。
自宅に帰るモノレール、電車にも間に合い帰宅。
カタール航空で往復した2019年の初冬、クリスマス前のパリの旅は終わった。
初めての冬のパリだった。この季節ならではのパリの良さも味わえだけど、やはりサマータイム、夜22時まで明るい初夏のパリを訪れたいと思う。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
-
- tonさん 2021/02/23 19:16:00
- 初めまして。
- 旅行記楽しく拝見させて頂きました。
パリに行くときは相談させていただきたくなるくらいです。
コメント下手で中々できないのですが、これからも宜しくお願いします。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
Au Bon Accueil
評価なし
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
パリ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
1
71