2020/03/16 - 2020/03/17
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愛猫シロネコさん
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バスでナンプラから世界遺産のモザンビーク島に行きます。(3.5kmの橋で繋がれています。)島で魚介類の昼食を戴き、ダウ船でモザンビーク島を一周(海より聖パウロ宮殿 サン・アントニオ教会 ノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂等を見ます。)夕食前に伝統のトゥーフーダンスを見学します。
翌日早朝、恐れていた事が現実に。コロナ(武漢)ウィルスにより、南アフリカ共和国の陸路国境が閉鎖されました。我々は急遽、島よりナンプラに行き、空路ヨハネスブルク ドーハと緊急帰国の予定となり、朝食前に聖パウロ宮殿 サン・セバスチャン要塞 サン・アントニオ教会を簡単に陸より観光し、ナンプラに戻りました。
⑦3月16日(月)
12:10モザンビーク橋(3.5km)を渡り、墓地(SenhoraSauda) 世界遺産の碑
1)(昼食)R「Saquina」(12:40-13:35)魚介類のブェッフェ形式 13:45H着
2)(ダウ船のモザンビーク島観光)
H15:30発 15:35桟橋着ダウ船クルーズ(15:45-16:45)(海より聖パウロ宮殿 奴隷貿易の建物 モスク 橋 墓地 サン・ロレンソ要塞 サン・アントニオ教会 2つのビーチ 2つの島 サン・セバスチャン要塞 ノサ・セニョーラ・デ・バルアルテ教会 等を見学し、16:45Hに帰ります。
3)H周辺散策(17:20-17:45)(ヒンドゥー寺院 海岸 Bilalモスク JardimJosim公園 病院 IgrejDeSaude教会 メルカドと歩きます。)
4)伝統のトゥーフー・ダンス(18:30-19:00)見学し、
5)夕食(19:00-20:30)HのR(エビのサラダ ロブスター等)で戴きました。
部屋14 (泊)モザンビーク島H(FeitoriaBoutiqueH)(フェイトリア・ブティック)
⑧3月17日(火)
1)起床5:30 早朝、恐れていた事が現実に。コロナ(武漢)ウィルスにより、南アフリカ共和国の陸路国境が閉鎖され、我々は急遽、島よりナンプラに行き、空路ヨハネスブルク ドーハと緊急帰国の予定。
2)H周辺散策(6:00-7:00)(桟橋 ヴァスコ・ダ・ガマ像 聖パウロ宮殿・教会 ConventDeSaoDomingos 公園 海岸等を散策します。)
3)(モザンビーク島観光)(7:30-8:10) (モノモタパ王国の金とアラブの品々の中継地でポルトガルの奴隷売買等の島
サンパウロ宮殿(7:35-7:45)(ヴァスコ・ダ・ガマ像 17Cの赤い外壁 ポルトガル様式の街並みを見て、サン・セバスチャン要塞(7:52-7:58)(外観だけ見学) サン・アントニオ教会(8:05-8:10)マクティ・タウン地区を通り、Hに戻り、
4)(朝食)(8:15-8:30)急いで戴き、H発8:50 9:00モザンビーク橋を通過します。
(モザンビーク島)
長さ3km、幅は200-500m程の小さな島です。1498年、ヴァスコ・ダ・ガマが到達しましたが、それ以前はアラブ人の港でした。1507年、ポルトガルが支配して首都となりインド航路の拠点で黒人奴隷 香辛料 金等の交易をしていた。1586年、日本の天正遣使少年使節が帰る時に滞在しました。スエズ運河が出来、貿易が縮小し、1898年、首都はマプトに移された。1960年にアフリカ本土を結ぶ橋が出来た。
モザンビーク島は60%が漁業(小さな魚や海老が主)で、その他は先生や観光業で成り立ちます。人口は1.5万人と言われていますが、アフリカ本土も入れた統計で実際はこの島には8000人位です。住宅が少なく、世界遺産で改造もしにくい為、アフリカ本土に渡り、空き家が多いです。島の北側はポルトガル様式の家が多く、南側はマクティ・タウン地区で庶民的な家で灰色をしています。
教育は7-18歳まで義務教育で3つの小学校 1つの中学校 1つの専門学校があり、今は大学も作っています。島の人は綺麗なポルトガル語を話しますが、ポルトガル語、インドのゴア語 アラブの言葉の3つの言語が混ざった言葉を話す人もおり、現地の人同士で通じない事もあります。ガイドさんも3つの言葉が混じっているそうです。
外国人も来ます。(中国・オーストラリア人が多く)ポルトガル人は10人居住(Rのオーナーが多い。)イタリア人は6人 スペイン人は5人 日本人も4人(ボランティア)います。
{実際の旅程}(8日目にコロナ(武漢)ウィルスの為、モザンビークより緊急帰国。)
①3/10(火)羽田23:50(QR)6:10ドーハ8:05(QR)15:20キガリ(ルワンダ)(機中泊)
②3/11(水)15:20キガリ H ChezLando (泊)
③3/12(木)キガリ観光(ニャマタ教会 キガリ虐殺記念館 Hミリコリンズ キミロンコ市場)(泊)
④3/13(金)キガリ8:50(KG471)11:20ナイロビ15:45(KQ756ー3時間飛行機の遅れ)リロングウェ17:25(マラウィ)(バス)22:22マンゴチ(泊)
⑤3/14(土)午前(個別にチョンゴニの岩絵観光)午後(マラウィ湖のボートクルーズ)(泊)
⑥3/15(日)マンゴチ(バス)リロングウェ14:30(KQ756)ナンプラ15:45(モザンビーク)(泊)
★⑦3/16(月)ナンプラ観光(バス)モザンビーク島(ボートクルーズ)(泊)
★⑧3/17(火)モザンビーク島簡易観光(サン・セバスチャン要塞 サンパウロ宮殿 サン・アントニオ教会)(バス)ナンプラ14:10(SA8231)16:50ヨハネブルク空港H(泊)
⑨3/18(水)ヨハネスブルク13:10(QR1364)23:02ドーハ(機中泊)
⑩3/19(木)1:55ドーハ(QR806)17:45成田着
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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モザンビーク橋手前のアフリカ本土の町ルンボ
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モザンビーク橋(1960年にアフリカ本土とモザンビーク島を結ぶ橋として作られました。長さは3.5kmで一車線です。橋の途中に車がすれ違う為に数か所、広くなっています。)
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アフリカ本土の海岸線
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インド洋に入る人
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片側通行のモザンビーク橋(手前が退避所です。車は譲り合います。)
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モザンビーク島が見えます。
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我々の車は待避所に入り、外に出て写真を撮りました。
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待避所よりモザンビーク島を撮りました。
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待避所よりアフリカ本土を撮りました。
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待避所に車が詰まってしまいました。クラクションがうるさくなります。
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サン・ロレンソ要塞
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モザンビーク島に入ります。
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SenhoraSauda墓地
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狭い道ですが、やっと、着きます。
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モザンビーク島の入口に建つ世界遺産の碑
1991年、世界遺産に登録(キリスト教 アラブ文化 インド文化が混在しているという事で登録された。) -
モザンビーク島入口の公園
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ガジュマルの木
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モザンビーク島入口にある何らかの記念碑
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SenhoraSauda墓地入口
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SenhoraSauda墓地入口
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遠浅の海岸線
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マイアミ・ビーチ(島には2つのビーチがあります。)
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地元の人々が多く住んでいるマクティ・タウン地区
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海の家の雰囲気のR「SAQUINA」(雨が降ったら、大変です。)
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昼食を戴いたサン・セバスティアン要塞近くのR「SAQUINA」
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Rの会場(海の家の雰囲気です。)
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ビュッフェ形式です。(海ですので、魚貝類が中心で、美味でした。)
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ビュッフェ形式です。
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サラダ エビココナッツ煮 イカのフリット 魚料理 豆ごはん等
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バナナを煮た甘いデザート2種類
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R「SAQUINA」からの眺め
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R「SAQUINA」からの眺め
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Rより見た海
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R「SAQUINA」からの眺め(ゴア島 現役の灯台が見えます。)
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Rより見たサン・セバスティアン要塞
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宿泊したフェイトリア・ブティックH
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宿泊したHのフロント
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ウェルカムドリンクのココナッツ・ジュース
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Hのフロントに居た可愛いネコ(一番いい所の椅子に寝ていました。皆が来ても寝ていました。)
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Hのフロントに居た可愛いネコ(一番いい所の椅子に寝ていました。皆が来ても寝ていました。)
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Hよりバスで桟橋に来ました。(Hの前も船乗り場ですが、干潮の為、ここから、乗船します。
聖パウロ宮殿前の桟橋(ここから、ダウ船に乗ります。) -
地元の漁船
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桟橋より見た聖パウロ宮殿
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漁船と奥はサン・セバスティアン要塞です。
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ダウ船に乗り込みます。(聖パウロ宮殿です。昔はイエズス会の建物でした。)
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地元の漁船
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船に乗り込んだ桟橋(時代と共に先に伸びました。左の白い建物は18Cに作られ、その右は19C 建物の左は18C 根元部分は16Cに作られています。)
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ホテル
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マングローブの林
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マングローブの林
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奴隷貿易の建物
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我々が宿泊したフェイトリア・ブティックH(海に面したテラスで夕食を戴きました。)
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スウェーデン人所有のH
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Slave Memorial Garden
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左は18Cの貿易の為の建物
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昔、ここの建物より、奴隷が運び出されました。
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青い建物はインド人のオーナーですが、今は誰も住んでいません。
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島で一番大きいモスク(イスラム教徒は90% キリスト教徒(主としてカトリック)は10%
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帆掛け船
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地元の漁港(am4:00頃、漁に出てpm4:00頃に帰って来ます。)
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乗合の船
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昔の三角屋根の家ですが、雨漏りがします。(ココナッツツリーの葉を使って、屋根等を作ります。)島の水は浄化して使います。
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帰って来た漁船(漁具の手入れ)
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モザンビーク橋の島の起点
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モザンビーク橋をくぐります。
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モザンビーク橋の島の方向
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モザンビーク橋よりアフリカ本土を見ます。
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SenhoraSauda墓地の先端部(ここにはインド・ポルトガル・アラブ人の墓があります。)
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SenhoraSauda墓地の先端部(コンクリートの柱の所でポルトガル人はミサをします。)
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サン・ロレンソ要塞(1580年に作られました。サン・セバスチャン王はこの要請に住んでいました。上陸は出来ません。)(この辺りは浅瀬で船が座礁してしまします。)
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サン・ロレンソ要塞(1580年に作られました。サン・セバスチャン王はこの要請に住んでいました。上陸は出来ません。)
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サン・ロレンソ要塞(1580年に作られました。サン・セバスチャン王はこの要請に住んでいました。上陸は出来ません。)先端部を回り込みます。
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サン・ロレンソ要塞
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サン・アントニオ教会(16Cの建物)
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砂浜(以前は軍港でした。)
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島には2つのビーチがあります。名前はマイアミ・ビーチです。(日曜日になると、沢山の人出があり、ナイト・クラブで踊ります。)
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遠くに2つの島が見えます。右はスネイク(セナ)島(勿論、蛇がいます。人はいません。)
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もう1つはゴア島(インド人が最初に来た所で懐かしんでこの名前になりました。
この周辺に灯台は3基ありましたが、今はこの灯台のみが現役です。) -
サン・セバスティアン要塞を遠くより見ます。
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こちらもRとナイトクラブ「Piscina」でプールもあります。
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先程、昼食を戴いたR「SAQUINA」
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アフリカ本土(モザンビーク島はアフリカ本土にぐるりと囲まれたようになっています。島の北部は水深が深くなっています。)
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アフリカ本土と右に小さく灯台のある島が見えます。(この灯台は使用されていません。)
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モザンビーク島の最北にある1522年に出来たノサ・セニョラ・バルアルテ礼拝堂(入口には大砲があります。)(右はサン・セバスティアン要塞です。)
南半球の現存最古のヨーロッパ建築です。 -
モザンビーク島の最北にあるノサ・セニョラ・バルアルテ礼拝堂(右はサン・セバスティアン要塞です。)南半球の現存最古のヨーロッパ建築です。
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サン・セバスティアン要塞(1522年に出来、大砲が見えます。)
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サン・セバスティアン要塞の先端部(この要塞は奴隷を使って、アフリカ本土の石を持って来て作りました。)
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サン・セバスティアン要塞の入口
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もう1つのビーチのパラダイス・ビーチで地元では「ナンカラモ・ビーチ」と呼ばれ、「ライオン」の意味です。)
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もう1つのビーチのパラダイス・ビーチで地元では「ナンカラモ・ビーチ」と呼ばれ、「ライオン」の意味です。)そこで泳ぐ子供達
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油を作る建物(18-19Cに作られた。)
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油を作る建物(先端にライオン像が見えます。)
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ポルトガル人が持っている建物
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ベージュとピンクの綺麗な建物(元、ポルトガル人が住んでいましたが、今は中学校です。)
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今、我々が乗ったダウ船(タンザニアより持ってきました。)
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桟橋に戻ります。
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H近くのJardim Publicoに面した学校帰りの子供達
Hに戻ります。 -
Hの中庭(中央の先に海があり、Rとなっています。)
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HのR
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HのRより見た船とマングローブ林
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Hの屋上より中庭を見ます。
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Hの屋上より見た塔が聖パウロ宮殿です。
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部屋
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部屋
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H周辺を散策します。
ヒンディー寺院(Mandir) -
ヒンディー寺院(Mandir)内部
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海に面した公園
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Bilalモスク
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Bilalモスク
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綺麗な白いお花
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Jardim Publico
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Jardim Publicoに面した小学校(先程、子供達が下校していました。)
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llha 病院
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Igreja Da Saude(カトリック教会)
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マクティ・タウンのココナッツツリーの葉で作った三角屋根の家
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ボートより見えたモスク
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市場
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古い街並み
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HのRより見る夕日
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18:30よりモザンビーク伝統ダンスのトゥーフー・ダンスを見ます。
(歌いながら踊り、左には太鼓などを叩く人がいます。)
(結婚式やお祝い事で踊ります。) -
18:30よりモザンビーク伝統ダンスのトゥーフー・ダンスを見ます。
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18:30よりモザンビーク伝統ダンスのトゥーフー・ダンスを見ます。
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18:30よりモザンビーク伝統ダンスのトゥーフー・ダンスを見ます。
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18:30よりモザンビーク伝統ダンスのトゥーフー・ダンスを見ます。
(縄跳びをしたり等30分間連続で踊って頂き、後で、皆、疲れて座って休んで居ました。) -
インド洋の見えるテラスで夕食(エビのサラダ)
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メインはロブスター
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バニラ・アイス(ビールはマニカ・ビール2USD ソフト・ドリンクは1USDです。)
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早朝、添乗員さんより連絡があり、南アフリカ共和国の国境が閉鎖される可能性がある為、ナンプラからヨハネスブルク経由で日本に緊急帰国する事態となりました。
朝、H周辺を散策します。
H前の道 -
狭い島ですが、幾つかの公園があります。
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ポルトガル風の建物
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公園
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官庁の建物
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ポルトガル様式の建物
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中心部のポルトガル様式の建物
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聖パウロ宮殿前のヴァスコ・ダ・ガマ像
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昨日ダウ船に乗った桟橋
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聖パウロ宮殿前の広場の像
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聖パウロ宮殿
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聖パウロ宮殿の博物館
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聖パウロ宮殿横の何かしらの碑
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聖パウロ教会(聖パウロ宮殿の裏にあります。)
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昔の建物
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Convento De Sao Domingos
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ガジュマルの木のある公園
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ガジュマル
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公園の一角で朝よりサッカーをしています。
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公園にある記念碑
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公園にある記念碑
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昨日、見たセナ島(ヘビ島)
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灯台のあるゴア島
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サン・アントニオ教会
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日本の援助で建てられた小学校
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日本の援助で建てられた小学校(朝より、中で授業をしていました。)
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学校の壁に壁画を描いています。
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古いNina映画館
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サン・アントニオ教会とマイアミ・ビーチ
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ヴァスコ・ダ・ガマの銅像?
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Cafe Central
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ポルトガル様式の家
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綺麗な花と実
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アズレージョ様式(ポルトガル)のタイル
Hに戻り、バスでモザンビーク島の簡単な観光をします。 -
バスで先程、歩いた聖パウロ宮殿とヴァスコ・ダ・ガマの像の所に来ます。
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聖パウロ宮殿(中に博物館と教会があります。)元々はサン・パウロ教会で18Cにはイエズス会の学校となり、地元の人にアルファベットを教えていました。その後、ポルトガル高官が住んでいました。その後、モザンビークの大統領(サモラ大統領等)の別荘となり、今は内部は博物館となり、モザンビークの調度品や生活用具が展示されています。)
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波の模様の歩道(ポルトガルの影響です。)
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波の模様の歩道(ポルトガルの影響です。)
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19Cの電話会社
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ポルトガル様式の建物と道路(ストーン・タウン地区)
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白い建物は13Cのモスク
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サン・セバスティアン要塞入口(時間がない為、残念ながら入場はしません。)
周囲は750mで1545年に作り始め、ドイツの攻撃を2回受けましたが、撃退しました。1608年頃、大体、四方形の形になり、鉄砲や見張り所を置き監視しました。①サン・ガブリエル・ポイント(ポルトガルの司令官がいました。)②サン・ジョン・ポイント(この写真の所です。)③サン・バルバラ・ポイント
④アウラ・レディ・ポイント(「我々の貴婦人」の意味でここには鉄砲を置きませんでした。要塞の先に昨日、見たノサ・セニョラ・バルアルテ礼拝堂があり、教会を守る役割もありました。ここの海流は早く、深いです。 -
サン・セバスティアン要塞(サン・ガブリエル・ポイントでポルトガルの司令官が居た所です。)名前はポルトガル王ドン・セバステチャンの名を取って付けられ、オランダやオマーンの軍が侵攻する為、要塞として機能し、兵士は2000人もいました。
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島の南部のマクティ・タウン地区を通ります。
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サン・アントニオ教会(16Cに作られた教会で元々は要塞で突き出た島の先に作られた。ポルトガル人が教会として18Cに改修し、今も教会として日曜日にはミサが行われています。)
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サン・アントニオ教会(16Cに作られた教会で元々は要塞で突き出た島の先に作られた。ポルトガル人が教会として18Cに改修し、今も教会として日曜日にはミサが行われています。)
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サン・アントニオ教会よりマクティ・タウンの昔の三角屋根の家々を見ます。
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サン・アントニオ教会の十字架のモニュメント
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バスから見るマイアミ・ビーチ
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マクティ・タウンの昔の三角屋根の家々を見ます。
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マクティ・タウンの昔の三角屋根の家々を見ます。
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マクティ・タウンの家々を見ます。
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マクティ・タウンの家々を見ます。
バスでHに戻ります。 -
モザンビーク島の簡単な観光の後に朝食を戴きます。(アボガド・スープやオムレツ)その後、バスでHよりアフリカ本土のナンプラに帰ります。
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モザンビーク橋の料金表
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モザンビーク島より見たモザンビーク橋
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モザンビーク橋よりモザンビーク島を見ます。(これで今回の旅行が終了かと思うと寂しさが湧いてきました。)
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アフリカ本土
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アフリカ本土と船
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インド洋に浸かっている人
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