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2019年10月19日(土)、今回の旅4日目はサンホセ(San Jose)からの日帰りツアー。朝7時にホテルでピックアップしてくれると云う連絡が事前にあったので、7時前から1階のフロント前の食堂で待つ(下の写真1)。おばちゃんがなんか食べないかと聞いてくれるが、ツアーで朝食が出るはずなので遠慮するが、それでもこれでもお食べと出してくれる。親切やなあ~ あと、彼女はスペイン語で話し、私は英語で話すと云う変な会話。まあ、それでもお互い意味は通じてるしいいか。<br /><br />7時5分頃、ガイドのおっちゃん到着。ツアー参加者はアメリカ人の年配の男性、インド人の40代くらいの男性、ペルー人の40代くらいの多分ご夫婦と私で、ガイドさんと運転手加えてワンボックスカーに7人で出発。アメリカ人の方はオレゴン(Oregon)から来られてて、インド人の方もどこか忘れたがアメリカからで、ペルー人ご夫妻は今はプエルトリコ(Puerto Rico)に住んでおられるとこのこと。皆さん国(?)としてはアメリカからだ(プエルトリコはアメリカの自治連邦区)。ペルー人の奥様は英語が達者で、会話のメインは英語だった。ガイドさんの英語も分かり易い。皆さんのホテルを回って来てから、最後が私だったとのことで、遅れて申し訳ないと云うが全然問題じゃない時間だった。<br /><br />このツアー、朝食と昼食も含み、入園料なども込々で134US$(15000円弱)だったのだが、実は同じような内容でもっと安い旅行社(一番安かったものでは95US$)をネットで見つけていた。で、ここに決める前により安い3社にコンタクトしたのだが、結果的に1社しか返事が来ず、その1社の返事も最低催行人数に達してないので、実施されるかどうか分からんちゅうことだった。最終的に1週間ほど前にここにコンタクトしてOKとなったのだが、シーズンオフなんだよね、この季節は。よく5人集まったと同行メンバーに感謝!<br /><br />シーズンオフの主因は11月までは雨季だからと云うことだと思うが、幸いにこの日はとてもいい天気(下の写真2)。この時期、この辺りは大体午前中は天気良くて、午後になると雨が来るって説明がある(下の写真3)けど、私が住んでるジャマイカと同じなんや。カリブ海の島と一応細長いとは云え、大陸の一部なんだけど、気候は似たようなものなのか。ちょっと意外。コスタリカの方が緯度で8度くらい赤道に近いが、標高が高いせいか涼しくて、気持ちいい気候。Tシャツに長袖シャツを羽織るくらいでちょうどいい。<br /><br />車がまず向かうのはカルタゴ(Cartago)。サンホセの約25km東に位置し、人口は約22.5万人で、サンホセ、アラフェラ(Arafeja)に次ぐ国内第3の都市。標高は約1435mで、イラス火山(Volcan Irazu)の麓にあり、サンホセより300mくらい高い。周辺地区では農業が盛んで、また、工業団地では少数の自国籍・多国籍企業が操業している。市民の多くはサンホセ都市圏で働いている。過去何度も大地震の被害に遭っている。特に1841年と1910年には壊滅的な被害を受け、古い建物は残ってなく、今建っているコロニアル様式の建築物は再建されたもの。<br /><br />1563年に入植が始まったコスタリカ最古の街で、1824年にサンホセに遷都するまで、1574年から260年、コスタリカの首都だった。遷都の原因は、この当時コスタリカは4つの都市で構成されていたのだが、1821年にスペインから独立したメキシコ帝国(Imperio Mexicano)への合併を支持した帝国主義のカルタゴ・エレディア(Heredia)両都市と、共和制のサンホセ・アラフェラ両都市との間でコスタリカ最初の内戦が勃発、サンホセ・アラフェラ連合軍が勝利したことによる。この結果、コスタリカは他の中央アメリカ4国とともに中央アメリカ連邦共和国(Republica Federal de Centro America)を結成し、首都を共和制のサンホセに移した。ただ、この内戦、4月5日に20人が戦死したオチョモゴの会戦(Guerra de Ochomogo)で始まったのだが、その約半月前の3月19日にメキシコ帝国はすでに崩壊していたことを知らずに始められたもので、メキシコも後に共和制に移行したので、無意味な戦いだったとも云われる。<br /><br />7時40分過ぎにはカルタゴのマヨール広場(Plaza Mayor)に到着。カルタゴの町の中心にあるこの広場はスペイン人によって最初に造られた広場で450年以上の歴史を持つ。1821年にメイン広場(Plaza Principal)に変わりその後、中央公園(Parque Central)と呼ばれていた。1997年に緑が多い公園から現在の広場に大改装され、現在の名前に戻り、同時にオベリスクが建てられたが、このオベリスクに付いては撤去した方がいいと云う意見もあり、議論となっているらしい。なお、2007年に市の文化遺産に指定されている。<br /><br />そして、この広場の東側にあるのがカルタゴ遺跡(Ruinas de Cartago)。遺跡と云ってもそんなに古いものではなく、1910年の大地震で建設があきらめられた教会。ここには1575年にサンティアゴ使徒教区教会(La iglesia de Santiago Apostol)が建てられた場所。しかし、1630年の地震で被害を受け、1656年から再建が始まり1662年に完成した。しかし、この教会も何度も地震で被害を受け、遂に1841年の大地震で崩壊した。1870年、現在残っている建物が建てられ始めたが、資材不足で建設は中断し、1904年になってようやく再開された。そして、1910年、外壁が完成し、あとは建物全体を覆う鉄フレームの屋根を乗せるだけまで進んだ時、大地震が再びこの町を襲い、以後、工事が再開されることはなかった。<br /><br />ドイツの建築家フランシスコ・クルツェ(Francisco Kurtz)が設計したもので、コスタリカでロマネスク様式の影響を受けた唯一の建築物だった。現在内部は庭園となっており、無料で入場することが出来るのだが、8時オープンと云うことで、我々は入れなかった。もう少し時間を調整してくれてもいいのになあと今は思う。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3410963902306943&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />あと、行かなかったところの話なのだが、この町ではコスタリカの守護聖徒を奉るロスアンヘルス大聖堂(Basilica de Nuestra Senora de los Angeles)へ行くと思ってたのだが、寄らなかった。確かにツアーの日程を見るとカルタゴ遺跡としか書いてなかった。見落としてたと云うかそれ以前にチェックしたツアーは大聖堂に寄るって書いてあったので、勘違いしてた。この大聖堂は1926年に再建されたもので、1635年に出現した15㎝ほどの高さの「黒いマリア像(La Negrita de los Angeles)」が安置されており、それは見たかった。この出現の話は、2日前にメキシコシティ(Ciudad de Mexico)で行ったグアダルーペ寺院(Basilica de Guadalupe)の「グアダルーペの奇跡(Nuestra Senora de Guadalupe)」とほぼ同じ。「奇跡のマント(Tilma de nuestra senora de Guadalupe)」に当たるものがこのマリア像。<br /><br /><br />イラス火山に続く。

コスタリカ サンホセから日帰りツアー(Cartago, Costa Rica)

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2019/10/19 - 2019/10/19

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旅行記グループ コスタリカ

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ちふゆ

ちふゆさん

2019年10月19日(土)、今回の旅4日目はサンホセ(San Jose)からの日帰りツアー。朝7時にホテルでピックアップしてくれると云う連絡が事前にあったので、7時前から1階のフロント前の食堂で待つ(下の写真1)。おばちゃんがなんか食べないかと聞いてくれるが、ツアーで朝食が出るはずなので遠慮するが、それでもこれでもお食べと出してくれる。親切やなあ~ あと、彼女はスペイン語で話し、私は英語で話すと云う変な会話。まあ、それでもお互い意味は通じてるしいいか。

7時5分頃、ガイドのおっちゃん到着。ツアー参加者はアメリカ人の年配の男性、インド人の40代くらいの男性、ペルー人の40代くらいの多分ご夫婦と私で、ガイドさんと運転手加えてワンボックスカーに7人で出発。アメリカ人の方はオレゴン(Oregon)から来られてて、インド人の方もどこか忘れたがアメリカからで、ペルー人ご夫妻は今はプエルトリコ(Puerto Rico)に住んでおられるとこのこと。皆さん国(?)としてはアメリカからだ(プエルトリコはアメリカの自治連邦区)。ペルー人の奥様は英語が達者で、会話のメインは英語だった。ガイドさんの英語も分かり易い。皆さんのホテルを回って来てから、最後が私だったとのことで、遅れて申し訳ないと云うが全然問題じゃない時間だった。

このツアー、朝食と昼食も含み、入園料なども込々で134US$(15000円弱)だったのだが、実は同じような内容でもっと安い旅行社(一番安かったものでは95US$)をネットで見つけていた。で、ここに決める前により安い3社にコンタクトしたのだが、結果的に1社しか返事が来ず、その1社の返事も最低催行人数に達してないので、実施されるかどうか分からんちゅうことだった。最終的に1週間ほど前にここにコンタクトしてOKとなったのだが、シーズンオフなんだよね、この季節は。よく5人集まったと同行メンバーに感謝!

シーズンオフの主因は11月までは雨季だからと云うことだと思うが、幸いにこの日はとてもいい天気(下の写真2)。この時期、この辺りは大体午前中は天気良くて、午後になると雨が来るって説明がある(下の写真3)けど、私が住んでるジャマイカと同じなんや。カリブ海の島と一応細長いとは云え、大陸の一部なんだけど、気候は似たようなものなのか。ちょっと意外。コスタリカの方が緯度で8度くらい赤道に近いが、標高が高いせいか涼しくて、気持ちいい気候。Tシャツに長袖シャツを羽織るくらいでちょうどいい。

車がまず向かうのはカルタゴ(Cartago)。サンホセの約25km東に位置し、人口は約22.5万人で、サンホセ、アラフェラ(Arafeja)に次ぐ国内第3の都市。標高は約1435mで、イラス火山(Volcan Irazu)の麓にあり、サンホセより300mくらい高い。周辺地区では農業が盛んで、また、工業団地では少数の自国籍・多国籍企業が操業している。市民の多くはサンホセ都市圏で働いている。過去何度も大地震の被害に遭っている。特に1841年と1910年には壊滅的な被害を受け、古い建物は残ってなく、今建っているコロニアル様式の建築物は再建されたもの。

1563年に入植が始まったコスタリカ最古の街で、1824年にサンホセに遷都するまで、1574年から260年、コスタリカの首都だった。遷都の原因は、この当時コスタリカは4つの都市で構成されていたのだが、1821年にスペインから独立したメキシコ帝国(Imperio Mexicano)への合併を支持した帝国主義のカルタゴ・エレディア(Heredia)両都市と、共和制のサンホセ・アラフェラ両都市との間でコスタリカ最初の内戦が勃発、サンホセ・アラフェラ連合軍が勝利したことによる。この結果、コスタリカは他の中央アメリカ4国とともに中央アメリカ連邦共和国(Republica Federal de Centro America)を結成し、首都を共和制のサンホセに移した。ただ、この内戦、4月5日に20人が戦死したオチョモゴの会戦(Guerra de Ochomogo)で始まったのだが、その約半月前の3月19日にメキシコ帝国はすでに崩壊していたことを知らずに始められたもので、メキシコも後に共和制に移行したので、無意味な戦いだったとも云われる。

7時40分過ぎにはカルタゴのマヨール広場(Plaza Mayor)に到着。カルタゴの町の中心にあるこの広場はスペイン人によって最初に造られた広場で450年以上の歴史を持つ。1821年にメイン広場(Plaza Principal)に変わりその後、中央公園(Parque Central)と呼ばれていた。1997年に緑が多い公園から現在の広場に大改装され、現在の名前に戻り、同時にオベリスクが建てられたが、このオベリスクに付いては撤去した方がいいと云う意見もあり、議論となっているらしい。なお、2007年に市の文化遺産に指定されている。

そして、この広場の東側にあるのがカルタゴ遺跡(Ruinas de Cartago)。遺跡と云ってもそんなに古いものではなく、1910年の大地震で建設があきらめられた教会。ここには1575年にサンティアゴ使徒教区教会(La iglesia de Santiago Apostol)が建てられた場所。しかし、1630年の地震で被害を受け、1656年から再建が始まり1662年に完成した。しかし、この教会も何度も地震で被害を受け、遂に1841年の大地震で崩壊した。1870年、現在残っている建物が建てられ始めたが、資材不足で建設は中断し、1904年になってようやく再開された。そして、1910年、外壁が完成し、あとは建物全体を覆う鉄フレームの屋根を乗せるだけまで進んだ時、大地震が再びこの町を襲い、以後、工事が再開されることはなかった。

ドイツの建築家フランシスコ・クルツェ(Francisco Kurtz)が設計したもので、コスタリカでロマネスク様式の影響を受けた唯一の建築物だった。現在内部は庭園となっており、無料で入場することが出来るのだが、8時オープンと云うことで、我々は入れなかった。もう少し時間を調整してくれてもいいのになあと今は思う。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3410963902306943&type=1&l=223fe1adec

あと、行かなかったところの話なのだが、この町ではコスタリカの守護聖徒を奉るロスアンヘルス大聖堂(Basilica de Nuestra Senora de los Angeles)へ行くと思ってたのだが、寄らなかった。確かにツアーの日程を見るとカルタゴ遺跡としか書いてなかった。見落としてたと云うかそれ以前にチェックしたツアーは大聖堂に寄るって書いてあったので、勘違いしてた。この大聖堂は1926年に再建されたもので、1635年に出現した15㎝ほどの高さの「黒いマリア像(La Negrita de los Angeles)」が安置されており、それは見たかった。この出現の話は、2日前にメキシコシティ(Ciudad de Mexico)で行ったグアダルーペ寺院(Basilica de Guadalupe)の「グアダルーペの奇跡(Nuestra Senora de Guadalupe)」とほぼ同じ。「奇跡のマント(Tilma de nuestra senora de Guadalupe)」に当たるものがこのマリア像。


イラス火山に続く。

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  • 写真1 ホテルの食堂

    写真1 ホテルの食堂

  • 写真2 ホテルの前 青空

    写真2 ホテルの前 青空

  • 写真3 ガイドさんの説明

    写真3 ガイドさんの説明

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