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2019年10月18日(金)、中米旅行の3日目、メキシコシティ(Ciudad de Mexico)での朝。6時半過ぎにUberを呼んで、ホテルから空港に向かう。朝早くから渋滞しているメキシコシティの道だが、うまく渋滞を避けてくれて7時には空港に到着。119ペソほどだったので、700円弱。Uberが使えると本当に助かる。支払いもクレジットカード決済でお金のやり取りもないので手間もない。<br /><br />ただ、インテルジェット(Inteljet)の国際線って云ったのに、国内線のところで降ろしてくれて、いったんカウンターに行ったら、ここじゃないと云われた。時間は余裕を持って来ているが、混んでなくてよかった。結構国際線のチェックインカウンターは遠かった。ここでのチェックインは少し手間取る。結局よく訳が分からなかったのだが、最初乗ろうとしている便じゃなく、逆方向の便に予約が入ってると云われ、そんなはずはないとEチケットの控えを見せて主張し、結局何だったのかは分からなかったが、無事搭乗券ゲット。何だったんだろう。航空会社のサイトでの予約でなく、ネットのエージェンシー通しての予約だし、そこに何かミスがあったんだろうか? それとも、スタッフの勘違いだったのか? 時間掛かって朝から疲れたわ・・・<br /><br />出発ゲートが遠かったこともあり、ゲートに辿り着いたのは8時15分くらいで、空港に着いて1時間以上掛ったけど、それでも出発予定時刻までは1時間20分ほどある。今回は新たにメキシコペソへの両替はしなくて、2月に来た時に残った分で過ごしてたのだけど、結局ちょっと余ったので、土産物屋でTシャツを購入(263ペソ≒1500円)。まだ94ペソ残ってるし、何か食べるものはないか探して、80ペソ(450円くらい)のフルーツの詰め合わせ(下の写真1)を見つけ、朝食代わりに。<br /><br />バスで移動してタラップ搭乗だった(下の写真2)ためか、定刻(9:35)にはちょっと遅れてたが、無事飛行機はメキシコシティ、ベニート・フアレス国際空港(Aeropuerto Internacional Licenciado Benito Juarez)を出発。メキシコは今回で4回目だったが、もう来ることはないかな? メキシコシティ近辺はもう十分だけど、メキシコ国内にはまだまだ魅力的な観光地があるので、また来てもいいとは思うが、きっと来ないような気がする。<br /><br />このフライトはメキシコのLCCのインテルジェットで、前回の旅でもメキシコシティからパレンケ(Palenque)への移動で利用した。機種はエアバス(Airbus)社のA320neo。「neo」はNew Engine Optionの略。16年から運行開始されたA320ファミリーの最新シリーズ。新型エンジンを搭載した近・中距離向け商業旅客機で、基本型のA320neo、短胴型のA319neo、長胴型のA321neoがあり、A321neoには航続距離を増やしたLR(Long Range)型もある。日本でも全日空が国内線、近距離国際線で使用しているほか、ピーチでも採用されている。<br /><br />さて、この旅の目的地として2国目はコスタリカ(Costa Rica)。日本語の正式表記ではコスタリカ共和国(Republica de Costa Rica)。コスタリカが一綴りの単語ではないため、コスタ・リカや、コスタ・リーカと表記されることもある。漢字では哥斯徳里加、嵜斯徳里加、古西多利加など。1502年、コロンブス(Cristobal Colon)がこの地に上陸した時に、遭遇した先住民が金細工の装飾品を身につけていたことから「豊かな(Rica)海岸(Costa)」と命名したものが国名になった。当初はヌエバカルタゴ(Nueva Cartago)と呼ばれたが1540年頃からコスタリカと呼ばれるようになった。<br /><br />5万平方㎞余りの広さを持ち、九州と四国を合わせたくらいの広さ。中央アメリカ南東部に位置し、首都はサンホセ(San Jose)。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋、北はカリブ海に面している。太平洋から大西洋まで、最も狭いところで119km、最も広いところでも226kmしか距離がなく、細長い国土だが、国土の中央を山脈群が貫き、国土中央には標高2000mに達する中央高原と呼ばれる火山灰に厚くおおわれた肥沃な谷があり、ここに首都サンホセなどの主要都市が立地、人口の約3分の2が集中する。国内最高峰はチリポ山(Cerro Chirripo=3820m)。カリブ海岸の低地は熱帯性気候で雨が多い。太平洋岸は南北で異なるが、冬季に比較的長い乾季がある。山地や高原地帯は温帯性の気候を示す。地球上すべての生物種のうち5%が生息すると云われる。国立公園・自然保護区の総面積は全国土の1/4を超え、環境保護先進国として名高い。12月から4月の乾季が観光シーズン。<br /><br />人口は約5百万人で、一人当たりのGDPは中米地域では比較的高いが、都市部と農村部の貧困率の格差は非常に大きくなっている。住民のほとんどがスペイン系白人および先住民との混血で95%を占める。コスタリカ人は自らを男性はティコ(Tico)、女性はティカ(Tica)と呼ぶ。公用語はスペイン語で、19世紀にジャマイカから黒人が移民してきたカリブ海側には、ジャマイカクレオール語(Patwa)を話す人々もいる。観光地、中級以上のホテル、空港カウンター、旅行会社などでは英語も通用するが、それ以外の場所ではあまり通用しない。憲法第75条により、国の宗教はローマカトリック(Ecclesia Catholica)とされているが、信教の自由はあり、事実2009年のコスタリカ大学(Universidad de Costa Rica)の調査では、カトリックは69.7%で、プロテスタント(Protestantismo)17.0%、その他の宗教4.1%、無宗教9.1%となっている。しかし、未だにカトリック教会の政治力は強く、妊娠中絶の不可能や、家族制度の問題、性教育の拒否などコスタリカ社会に大きな影響を与えている。<br /><br />紀元前900年から紀元前300年頃の遺跡が確認されている。メソアメリカ(Mesoamerica)の一部であり、南のチブチャ族(Chibch)と北のナウトル(Nahuatl)文化の交錯する地帯であった。13世紀までには神官を中心とする階級制社会が築かれていたが、その後アステカ帝国(Azteca)に服属し、緩やかな支配を受ける形で中央アメリカと南アメリカの交易の仲介地点となった。また、カリブ人も定住しており、16世紀初め頃には約40万人の先住民が居住していたと推測されている。<br /><br />1502年コロンブスが最後となった航海で到達し、1563(4)年のカルタゴ(Cartago)の建設から本格的にスペインによる植民が始まった。1542年以来グアテマラ総督領(Capitania General de Guatemala)であった。新大陸のスペイン領のなかでも最も貧しい地域で、住民の大半は貧農であった。労働力や金銀等の鉱物資源が足りなかったためにスペイン人入植者の数は少なく、コスタリカはスペイン植民地の最辺境の地として孤立していた。<br /><br />1821年、グアテマラ総督領が独立したためその一部として独立、メキシコ帝国(Imperio Mexicano)に併合された。1823年同帝国の分裂に伴って他の中央アメリカ4国とともに中央アメリカ連邦共和国(Republica Federal de Centro America)を結成したが、内部紛争のため1838年に同連邦共和国から離脱した。この過程の中で、それまでコスタリカの中心だったカルタゴが内戦の末にサンホセ軍に敗れたため、以降サンホセがコスタリカの中心となった。完全な独立は1848年の独立宣言による。<br /><br />1856年から57年には、隣国ニカラグアとの国民戦争(Guerra Nacional de Nicaragua)があり、コスタリカ軍は、反ニカラグア派だったイギリス、アメリカの財閥などの支援を得て中米連合軍の中で主要な役割を果たした。1870年に自由主義者のトマス・グアルディア(Tomas Guardia Gutierrez)将軍がクーデターで政権を握り、1871年憲法が制定された。以降1948年までのコスタリカは基本的にこの路線に沿って発展することになり、ラテンアメリカ全体でも特異なコスタリカの民主的な社会が成立する素地となった。<br /><br />1870年代からコーヒープランテーションが拡大され、コーヒーを基盤に経済が発展し、1890年には輸出の80%がコーヒーとなった。この時期に、エリートによって首都サンホセはパリ風に改造され、カリブヴィクトリア朝を真似た邸宅が建ち並んだ。1871年にパナマ地峡からバナナが導入され、バナナはそれまでの主産業だったコーヒーを抜いて1905年頃には輸出の60%を占めるに至った。<br /><br />1921年にはアメリカの支持の下、隣国パナマとコト戦争(Guerra de Coto)を起こし、パナマから領土を得た。1948年の大統領選挙をめぐって隣国ニカラグアの軍部の介入を招き、内乱状態に陥ったが、軍隊不保持などを内容とする1949年の新憲法によって混乱から回復した。1955年にはニカラグアからの侵攻を受けたが、武装警察が中心となって撃退した。1978年からはニカラグア革命(Revolucion Sandinista)を支援し、その後、コスタリカはアメリカによる対ニカラグア作戦の基地となり、中立原則も一時揺らいだ。1986年にアリアス・サンチェス(Oscar Rafael de Jesus Arias Sanchez)大統領が就任、アメリカの対ニカラグア強硬政策に追随せず、中米紛争そのものの解決のためにも尽力した。1987年この努力を評価され、ノーベル平和賞を受賞している。<br /><br />大統領を元首とする共和制国家。大統領は任期4年で、連続の再選は禁止されている。議会は一院制ので、任期は4年。国会議員も連続再選禁止。現在の大統領は2018年5月に就任したカルロス・アンドレス・アルバラード・ケサダ(Carlos Andres Alvarado Quesada)大統領。ラテンアメリカで最も長い民主主義の伝統を持つ国であり、中米では例外的に政治的に安定が続き、かつ経済状態も良好な「中米の楽園」と呼ばれるほどの国家であったが、1990年代以降は麻薬の横行により治安の悪化と社会の不安定化が進行している。1949年に常備軍を廃止する憲法を成立させ常備軍を持たない国となったが、同じく憲法によって非常時徴兵を規定している。<br /><br />自由貿易協定をメキシコ、旧中米共同市場加盟国、中国などと結んでいる。また、太平洋同盟(Alianza del Pacifico)に加盟前提でオブザーバー参加している。2018年のGDP成長率は3.2%。農業が主要産業であったが、近年は政府の奨励により医療器具などの製造業も発展している。また、ソフトウェア開発やコールセンターなど,サービス業の成長も著しく,エコツーリズムを中心とする観光業と並んで外貨獲得の重要な手段となって来ている。主要輸出品は医療器具、コンピュータ部品、熱帯フルーツ、コーヒー、医薬品等。<br /><br />通貨はコロン(Colon)で、コロンブスに由来している。略称CRC、通貨記号は¢。為替レートは1US$が約580¢で、1円が約5.4¢(19年10月)。ホテル、レストラン、スーパーマーケットではUS$でも支払えるが、100ドル札は受け付けないところが多い。また、お釣りはコロンになることが多い。<br /><br />俗にフランス国旗を2つつなげたと云われているコスタリカ国旗は、1848年に当時の大統領夫人がアイデアを出したもので、使われているそれぞれの色は、赤は自由のために流された血を、白は平和を、青は空を表わす。中央左側には国章が描かれ、手前がカリブ海、背景が太平洋で中央にコスタリカ領土を表す三つの火山と大航海時代を意味するスクーナ船が描かれている。また太陽は独立を、7つの星はコスタリカの7県を表し、下には征服者を表す十字架も描かれている。<br /><br />コスタリカで最も盛んなスポーツはサッカー。19年9月のFIFAランキングでは43位。FIFAワールドカップ(FIFA World Cup)では1990年イタリア大会で初出場ながらベスト16進出。ブラジル大会ではベスト8となった。2018年ロシア大会ではグループリーグでスイスと引き分けたが、セルビア、ブラジルに敗れ決勝トーナメントに進めず。日本代表とはその後の18年9月に吹田スタジアムで対戦、佐々木、南野や伊東のゴールで日本が3-0と快勝した。通算対戦成績は日本の3勝1分。95年8月が初対戦だが、この試合は京都の西京極競技場で行われており、なんと私は見に行ってたわ。名波、福田、北澤のゴールで3-0の快勝だった。懐かしい~。その他、サーフィンも盛ん。<br /><br />日本とは1935年に外交関係成立。2017年の経済協力は他国を大きく抑えて日本がトップ。日本へも医療器具、電子部品、パイナップル、コーヒー等が輸出されている。在留邦人は400人弱。同期隊員も3人が派遣中。昨年(18年)の大統領就任式には武井俊輔衆議院議員が特派大使として派遣されている。<br /><br />日本より15時間遅れで、サマータイムは実施していない。ジャマイカと飛んできたメキシコシティよりは1時間遅い。<br /><br />約3時間のフライトを経て、現地時間の12時前、定刻(11:35)より20分ほど遅れて、コスタリカの首都サンホセの空港へ到着(表紙写真は着陸前の空港付近)。正式にはファン・サンタマリーア国際空港(Aeropuerto Internacional Juan Santamaria)。サンホセ中心部から18kmのアラフエラ県(Alajuela)内にある。アビアンカ(Avianca)グループのアビアンカコスタリカ(Avianca Costa Rica)のハブ空港となっている他、北米、中南米、ヨーロッパなど多方面の路線を有する。1923年開港。3000m滑走路1本を持ち、年間旅客数は425万人を越えている。空港の名前は国民戦争で戦死した国民的英雄の名前から名付けられた。<br /><br /><br />サンホセ市内へ向かうが続く。

コスタリカ サンホセへ(To San Jose, Costa Rica)

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2019/10/18 - 2019/10/18

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旅行記グループ コスタリカ

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ちふゆ

ちふゆさん

2019年10月18日(金)、中米旅行の3日目、メキシコシティ(Ciudad de Mexico)での朝。6時半過ぎにUberを呼んで、ホテルから空港に向かう。朝早くから渋滞しているメキシコシティの道だが、うまく渋滞を避けてくれて7時には空港に到着。119ペソほどだったので、700円弱。Uberが使えると本当に助かる。支払いもクレジットカード決済でお金のやり取りもないので手間もない。

ただ、インテルジェット(Inteljet)の国際線って云ったのに、国内線のところで降ろしてくれて、いったんカウンターに行ったら、ここじゃないと云われた。時間は余裕を持って来ているが、混んでなくてよかった。結構国際線のチェックインカウンターは遠かった。ここでのチェックインは少し手間取る。結局よく訳が分からなかったのだが、最初乗ろうとしている便じゃなく、逆方向の便に予約が入ってると云われ、そんなはずはないとEチケットの控えを見せて主張し、結局何だったのかは分からなかったが、無事搭乗券ゲット。何だったんだろう。航空会社のサイトでの予約でなく、ネットのエージェンシー通しての予約だし、そこに何かミスがあったんだろうか? それとも、スタッフの勘違いだったのか? 時間掛かって朝から疲れたわ・・・

出発ゲートが遠かったこともあり、ゲートに辿り着いたのは8時15分くらいで、空港に着いて1時間以上掛ったけど、それでも出発予定時刻までは1時間20分ほどある。今回は新たにメキシコペソへの両替はしなくて、2月に来た時に残った分で過ごしてたのだけど、結局ちょっと余ったので、土産物屋でTシャツを購入(263ペソ≒1500円)。まだ94ペソ残ってるし、何か食べるものはないか探して、80ペソ(450円くらい)のフルーツの詰め合わせ(下の写真1)を見つけ、朝食代わりに。

バスで移動してタラップ搭乗だった(下の写真2)ためか、定刻(9:35)にはちょっと遅れてたが、無事飛行機はメキシコシティ、ベニート・フアレス国際空港(Aeropuerto Internacional Licenciado Benito Juarez)を出発。メキシコは今回で4回目だったが、もう来ることはないかな? メキシコシティ近辺はもう十分だけど、メキシコ国内にはまだまだ魅力的な観光地があるので、また来てもいいとは思うが、きっと来ないような気がする。

このフライトはメキシコのLCCのインテルジェットで、前回の旅でもメキシコシティからパレンケ(Palenque)への移動で利用した。機種はエアバス(Airbus)社のA320neo。「neo」はNew Engine Optionの略。16年から運行開始されたA320ファミリーの最新シリーズ。新型エンジンを搭載した近・中距離向け商業旅客機で、基本型のA320neo、短胴型のA319neo、長胴型のA321neoがあり、A321neoには航続距離を増やしたLR(Long Range)型もある。日本でも全日空が国内線、近距離国際線で使用しているほか、ピーチでも採用されている。

さて、この旅の目的地として2国目はコスタリカ(Costa Rica)。日本語の正式表記ではコスタリカ共和国(Republica de Costa Rica)。コスタリカが一綴りの単語ではないため、コスタ・リカや、コスタ・リーカと表記されることもある。漢字では哥斯徳里加、嵜斯徳里加、古西多利加など。1502年、コロンブス(Cristobal Colon)がこの地に上陸した時に、遭遇した先住民が金細工の装飾品を身につけていたことから「豊かな(Rica)海岸(Costa)」と命名したものが国名になった。当初はヌエバカルタゴ(Nueva Cartago)と呼ばれたが1540年頃からコスタリカと呼ばれるようになった。

5万平方㎞余りの広さを持ち、九州と四国を合わせたくらいの広さ。中央アメリカ南東部に位置し、首都はサンホセ(San Jose)。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋、北はカリブ海に面している。太平洋から大西洋まで、最も狭いところで119km、最も広いところでも226kmしか距離がなく、細長い国土だが、国土の中央を山脈群が貫き、国土中央には標高2000mに達する中央高原と呼ばれる火山灰に厚くおおわれた肥沃な谷があり、ここに首都サンホセなどの主要都市が立地、人口の約3分の2が集中する。国内最高峰はチリポ山(Cerro Chirripo=3820m)。カリブ海岸の低地は熱帯性気候で雨が多い。太平洋岸は南北で異なるが、冬季に比較的長い乾季がある。山地や高原地帯は温帯性の気候を示す。地球上すべての生物種のうち5%が生息すると云われる。国立公園・自然保護区の総面積は全国土の1/4を超え、環境保護先進国として名高い。12月から4月の乾季が観光シーズン。

人口は約5百万人で、一人当たりのGDPは中米地域では比較的高いが、都市部と農村部の貧困率の格差は非常に大きくなっている。住民のほとんどがスペイン系白人および先住民との混血で95%を占める。コスタリカ人は自らを男性はティコ(Tico)、女性はティカ(Tica)と呼ぶ。公用語はスペイン語で、19世紀にジャマイカから黒人が移民してきたカリブ海側には、ジャマイカクレオール語(Patwa)を話す人々もいる。観光地、中級以上のホテル、空港カウンター、旅行会社などでは英語も通用するが、それ以外の場所ではあまり通用しない。憲法第75条により、国の宗教はローマカトリック(Ecclesia Catholica)とされているが、信教の自由はあり、事実2009年のコスタリカ大学(Universidad de Costa Rica)の調査では、カトリックは69.7%で、プロテスタント(Protestantismo)17.0%、その他の宗教4.1%、無宗教9.1%となっている。しかし、未だにカトリック教会の政治力は強く、妊娠中絶の不可能や、家族制度の問題、性教育の拒否などコスタリカ社会に大きな影響を与えている。

紀元前900年から紀元前300年頃の遺跡が確認されている。メソアメリカ(Mesoamerica)の一部であり、南のチブチャ族(Chibch)と北のナウトル(Nahuatl)文化の交錯する地帯であった。13世紀までには神官を中心とする階級制社会が築かれていたが、その後アステカ帝国(Azteca)に服属し、緩やかな支配を受ける形で中央アメリカと南アメリカの交易の仲介地点となった。また、カリブ人も定住しており、16世紀初め頃には約40万人の先住民が居住していたと推測されている。

1502年コロンブスが最後となった航海で到達し、1563(4)年のカルタゴ(Cartago)の建設から本格的にスペインによる植民が始まった。1542年以来グアテマラ総督領(Capitania General de Guatemala)であった。新大陸のスペイン領のなかでも最も貧しい地域で、住民の大半は貧農であった。労働力や金銀等の鉱物資源が足りなかったためにスペイン人入植者の数は少なく、コスタリカはスペイン植民地の最辺境の地として孤立していた。

1821年、グアテマラ総督領が独立したためその一部として独立、メキシコ帝国(Imperio Mexicano)に併合された。1823年同帝国の分裂に伴って他の中央アメリカ4国とともに中央アメリカ連邦共和国(Republica Federal de Centro America)を結成したが、内部紛争のため1838年に同連邦共和国から離脱した。この過程の中で、それまでコスタリカの中心だったカルタゴが内戦の末にサンホセ軍に敗れたため、以降サンホセがコスタリカの中心となった。完全な独立は1848年の独立宣言による。

1856年から57年には、隣国ニカラグアとの国民戦争(Guerra Nacional de Nicaragua)があり、コスタリカ軍は、反ニカラグア派だったイギリス、アメリカの財閥などの支援を得て中米連合軍の中で主要な役割を果たした。1870年に自由主義者のトマス・グアルディア(Tomas Guardia Gutierrez)将軍がクーデターで政権を握り、1871年憲法が制定された。以降1948年までのコスタリカは基本的にこの路線に沿って発展することになり、ラテンアメリカ全体でも特異なコスタリカの民主的な社会が成立する素地となった。

1870年代からコーヒープランテーションが拡大され、コーヒーを基盤に経済が発展し、1890年には輸出の80%がコーヒーとなった。この時期に、エリートによって首都サンホセはパリ風に改造され、カリブヴィクトリア朝を真似た邸宅が建ち並んだ。1871年にパナマ地峡からバナナが導入され、バナナはそれまでの主産業だったコーヒーを抜いて1905年頃には輸出の60%を占めるに至った。

1921年にはアメリカの支持の下、隣国パナマとコト戦争(Guerra de Coto)を起こし、パナマから領土を得た。1948年の大統領選挙をめぐって隣国ニカラグアの軍部の介入を招き、内乱状態に陥ったが、軍隊不保持などを内容とする1949年の新憲法によって混乱から回復した。1955年にはニカラグアからの侵攻を受けたが、武装警察が中心となって撃退した。1978年からはニカラグア革命(Revolucion Sandinista)を支援し、その後、コスタリカはアメリカによる対ニカラグア作戦の基地となり、中立原則も一時揺らいだ。1986年にアリアス・サンチェス(Oscar Rafael de Jesus Arias Sanchez)大統領が就任、アメリカの対ニカラグア強硬政策に追随せず、中米紛争そのものの解決のためにも尽力した。1987年この努力を評価され、ノーベル平和賞を受賞している。

大統領を元首とする共和制国家。大統領は任期4年で、連続の再選は禁止されている。議会は一院制ので、任期は4年。国会議員も連続再選禁止。現在の大統領は2018年5月に就任したカルロス・アンドレス・アルバラード・ケサダ(Carlos Andres Alvarado Quesada)大統領。ラテンアメリカで最も長い民主主義の伝統を持つ国であり、中米では例外的に政治的に安定が続き、かつ経済状態も良好な「中米の楽園」と呼ばれるほどの国家であったが、1990年代以降は麻薬の横行により治安の悪化と社会の不安定化が進行している。1949年に常備軍を廃止する憲法を成立させ常備軍を持たない国となったが、同じく憲法によって非常時徴兵を規定している。

自由貿易協定をメキシコ、旧中米共同市場加盟国、中国などと結んでいる。また、太平洋同盟(Alianza del Pacifico)に加盟前提でオブザーバー参加している。2018年のGDP成長率は3.2%。農業が主要産業であったが、近年は政府の奨励により医療器具などの製造業も発展している。また、ソフトウェア開発やコールセンターなど,サービス業の成長も著しく,エコツーリズムを中心とする観光業と並んで外貨獲得の重要な手段となって来ている。主要輸出品は医療器具、コンピュータ部品、熱帯フルーツ、コーヒー、医薬品等。

通貨はコロン(Colon)で、コロンブスに由来している。略称CRC、通貨記号は¢。為替レートは1US$が約580¢で、1円が約5.4¢(19年10月)。ホテル、レストラン、スーパーマーケットではUS$でも支払えるが、100ドル札は受け付けないところが多い。また、お釣りはコロンになることが多い。

俗にフランス国旗を2つつなげたと云われているコスタリカ国旗は、1848年に当時の大統領夫人がアイデアを出したもので、使われているそれぞれの色は、赤は自由のために流された血を、白は平和を、青は空を表わす。中央左側には国章が描かれ、手前がカリブ海、背景が太平洋で中央にコスタリカ領土を表す三つの火山と大航海時代を意味するスクーナ船が描かれている。また太陽は独立を、7つの星はコスタリカの7県を表し、下には征服者を表す十字架も描かれている。

コスタリカで最も盛んなスポーツはサッカー。19年9月のFIFAランキングでは43位。FIFAワールドカップ(FIFA World Cup)では1990年イタリア大会で初出場ながらベスト16進出。ブラジル大会ではベスト8となった。2018年ロシア大会ではグループリーグでスイスと引き分けたが、セルビア、ブラジルに敗れ決勝トーナメントに進めず。日本代表とはその後の18年9月に吹田スタジアムで対戦、佐々木、南野や伊東のゴールで日本が3-0と快勝した。通算対戦成績は日本の3勝1分。95年8月が初対戦だが、この試合は京都の西京極競技場で行われており、なんと私は見に行ってたわ。名波、福田、北澤のゴールで3-0の快勝だった。懐かしい~。その他、サーフィンも盛ん。

日本とは1935年に外交関係成立。2017年の経済協力は他国を大きく抑えて日本がトップ。日本へも医療器具、電子部品、パイナップル、コーヒー等が輸出されている。在留邦人は400人弱。同期隊員も3人が派遣中。昨年(18年)の大統領就任式には武井俊輔衆議院議員が特派大使として派遣されている。

日本より15時間遅れで、サマータイムは実施していない。ジャマイカと飛んできたメキシコシティよりは1時間遅い。

約3時間のフライトを経て、現地時間の12時前、定刻(11:35)より20分ほど遅れて、コスタリカの首都サンホセの空港へ到着(表紙写真は着陸前の空港付近)。正式にはファン・サンタマリーア国際空港(Aeropuerto Internacional Juan Santamaria)。サンホセ中心部から18kmのアラフエラ県(Alajuela)内にある。アビアンカ(Avianca)グループのアビアンカコスタリカ(Avianca Costa Rica)のハブ空港となっている他、北米、中南米、ヨーロッパなど多方面の路線を有する。1923年開港。3000m滑走路1本を持ち、年間旅客数は425万人を越えている。空港の名前は国民戦争で戦死した国民的英雄の名前から名付けられた。


サンホセ市内へ向かうが続く。

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