2019/10/22 - 2019/10/25
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ソウルの旅人さん
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今年は健康に支障があって旅行することが出来なかった。回復してきたので行ったことのない山形県に行って来た。4日間で2056Kmのドライブ旅行になった。
その4は最終日。山形県を少し外れて秋田県に入り、その後は日本海側の海岸線を新潟・富山・金沢・福井と南下し、帰った来た。
タイトル写真は象潟を前景にした鳥海山。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
鳥海ブルーラインの紅葉
羽黒山の石段を上っている時に宿から「ブルーラインは午後5時にゲートが閉まって、進入出来なくなる。くれぐれも5時までにゲート通過ください」と確認の電話があった。よって、4時30分までには通過する時間割を作った。 -
鳥海ブルーラインの紅葉
現在4時20分。余裕をもって通過した。5時以降は通行禁止になるような道路ではないように見える。月山道路の通行禁止も早過ぎるような気がした。見事な紅葉を見ながら鳥海山中腹まで行く。 -
擦れ違った車は3~4台だった。殆ど人の気配がない。鳥海山はもうシーズンオフにはいっているのだろうか。秋の行楽シーズン最盛期だと思っていたので、少し驚いた。
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ブルーラインからの日本海と海岸線
天気は下り坂。景色はくっきりとみえない。楽しみにしていた日本海に落ちる夕日も見えなかった。 -
庄内海岸
この海岸線は有名な砂丘である。酒田から象潟にかけては砂との闘いで、やっとまともに人間が生活ができる地域になったのはつい近年のことだそうである。
右端の桟橋がある港はさきほど見てきた吹浦である。 -
鳥海山からの大パノラマを期待したが、全体にモヤがかかりぼんやりしている。地名では遊佐町が写っている。
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ブルーラインから見ることが出来た頂上方向。中腹だけが紅葉しているのがよく判る。
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神社があった。
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大物忌神社中の宮
鳥海山も修験道の山で、月山と同じような信仰が成立していたようである。吹浦には本社があるそうだが、寄ってこなかった。中の宮とはいえ、コンクリートで即席に作りましたという構えで、羽黒神社・湯殿山神社と比べて、その違いが余りに大きい。 -
標高1000㍍の大平。[たいへい]ではなく[おおだいら]と読むことを知った。
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その標高1000㍍にある今夜の宿舎。
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大平山荘。[おおだいらさんそう]
宿を調べている時に、鳥海山の中腹に宿泊施設があることを知って、即電話で予約を入れた。高度1000㍍にあって日本海に直面している宿は願ってもない。ここに泊まれることを楽しみにしていた。そして、そこがどんな場所かも今夜は実感した。 -
夕食
大平山荘の方は大変親切で、夕食も宿の心遣いがわかる内容で美味しかった。風呂も広くて1人で独占するのが勿体ない。シーズン終了間際の為か、宿泊客は我々を入れて2組5人だけで、館内は少し淋しかった。
宿泊料は8000円。驚く低価格である。 -
明朝(25日)部屋の窓から
部屋も綺麗だし、布団も暖かかったし、宿には何の不満もない。しかし、眠れなかった。夜は一晩中強風が吹き荒れた。写真では写らないが、この時も外は恐ろしい風が吹いている。ゴーと鳴る風の音は恐怖。少し微睡んでもすぐ目が覚めて眠れない。同行者も風の音が恐ろしくて眠れなかった。 -
部屋の窓から見た庄内海岸
このようにまともに日本海と直面している。遮るものがなく、まともに風が当たる。夜中に眠れないので真っ暗な庄内海岸を見つめていると、海岸線にそってライトが規則正しい間隔で点滅を繰り返している。鬼火のように見えて、この世のものと思えず、それも恐怖感を増幅した。朝になって判ったが、海岸沿いに風力発電用の巨大な金属の羽が回る風車が多数設置されていたが、その灯だった。これだけ強風が吹けば十分発電能力があるだろう。
大平山荘も11月初旬には冬季閉鎖と聞いたが、納得である。 -
宿舎から見えた飛島
帰ってから調べたのだが、日本海の沖合に小さな「飛島」という島がある。これだけの距離が見渡せる立地であるが、同時に日本海からの風がまともに吹き上がってくるわけだ。厳しい環境を実感した。月山道路、鳥海ブルーラインの閉鎖が早過ぎるなどとかってな旅行者はほざいていたが、閉鎖せざるを得ない世界なのであろう。 -
朝食をいただき8時頃出発した。
ブルーラインを象潟方面に向って下りてゆくが、風は止まない。展望台に駐まっても、車のドアーを開けることが難しい程の強風である。風に飛ばされそうになって写真をとった。左のカーブしている海岸線が象潟である。1000㍍の上から綺麗に見渡せる。 -
風は写真に写らない。前後左右から強風が吹き付け柵を越えて転落しそうになった。北方の秋田方面を望む。
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風に飛ばされそうになって撮った写真。鳥海山は山形県と秋田県の境にある。もう、秋田県にはいった。
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見事な紅葉だった。見事だったが、記憶の中には綺麗だった事ではなく、風の恐ろしい事だけが残っている。
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鳥海山の紅葉
東北の自然の美しさより自然の恐ろしさを実感した鳥海山だった。 -
下界へ下りてきた。少し強い程度の風だった。
道の駅「象潟」にはいる。
この道の駅は象潟(九十九島)を展望できる絶好の場所と紹介されていた。 -
道の駅象潟の駐車場から見た鳥海山
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道の駅の裏側は日本海
この海を真っ直ぐ西に向えば韓国の東海岸の江陵に達する。三年前に行った江陵の透き通った青空が忘れられない。今日の象潟は今にも降り出しそうな曇り空だった。 -
突然現われた美女像。これは何?趣味の悪い飾り物か。
後程、再度登場することになる。 -
道の駅2階からの鳥海山
この道の駅の展望台から象潟の景色と鳥海が見えると紹介されていた。それは6階にあった。エレベーターで6階へあがる。 -
6階展望室からの眺め
確かに想定していた景観が現われた。 -
6階からの眺め
象潟は海の中に大小の小島を浮かべた風光明媚な湾岸だった。芭蕉はそこに舟を浮かべて遊覧している。現在は小島も海もまったく見られない。 -
6階からの眺め
芭蕉が訪問した115年後に象潟は鳥海山の爆発と地震によって隆起し、海は陸地と化し島は松林がのこる小さな丘陵に変わり果てた。これが現在の姿である。 -
6階からの眺め
海があった時代を想像できる景観である。鳥海山は存在感を発揮している。 -
旧象潟を歩いて回ってみる。最初は蚶満寺。
奥の細道の中で、象潟訪問記は白眉と言われている。少し読んでみよう。
『江山水陸の風光数を尽くして、今象潟に方寸を責む。・・・潮風真砂を吹き上げ、雨朦朧として鳥海の山隠る。』
芭蕉のころから潮風が強かったようである。 -
蚶満寺にある芭蕉像。蚶満寺は奥の細道に登場する。
奥の細道:寺を干満珠寺という。・・・・この寺の方丈に座して簾を捲けば風景一眼の中に尽きて、・・・・。
方丈に行って簾を捲こう。 -
蚶満寺の参道と山門
左側は海だった。 -
参道の左手に広がっている象潟の風景
海は田畑になり、島は松林が残る小丘になった。 -
蚶満寺の扁額
現在の寺名ではなく、奥の細道に記載されている干満珠寺に近い寺名が架かっている。 -
本堂の裏に回って方丈があっただろう場所から見た象潟
芭蕉の時と比べて、風景一眼のなかに尽きて・・・と云った風ではなかった。 -
舟を係留した石。
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舟つなぎ石から見た象潟。一面が海だったことを想像する。
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芭蕉句碑
宝暦13年(1763年)の日付がある。芭蕉が訪問した74年後に建立されている。
碑面の句: きさかたの雨や西施かねむの花
奥の細道に載っている句とは少し異なる。
奥の細道記載句: 象潟や雨に西施がねぶの花
当初、この句の意味がまったく判らなかった。西施とは何か? -
蚶満寺の西施像
道の駅にあった美女はこの人だった。
奥の細道:象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加えて、地勢魂を悩ますに似たり。
芭蕉は象潟の景色は「憾むがごとし。寂しさに悲しみを加えた・・・」景色だと見て、それを表象する姿を西施に託している。魂を悩ます美女として日本人ではなく、戦国時代の中国人を思い出す芭蕉の感覚は意外。奥の細道の読者は西施がどんな女性かを常識として知っていたのだろう。 -
蚶満寺を出て象潟(九十九島)を車でまわった。
田畑は海、小丘は島として十分に想像できる。 -
農業には支障になったであろう松林の小丘を残していることが素晴らしい。
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能因島などの有名島を探したが、車で走っていると判らなかった。
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象潟終了
あとはこの東北の日本海側から西宮まで900kmを車で帰る事である。
最初は国道7号線を走る。 -
途中の立ち寄り所を点描
道の駅「鳥海」
ここで買った地元産ほうれん草は安価だったが、子供の頃に食べたにがいほうれん草だった。これが本来のほうれん草なのだと思う。いんげん等の購入野菜類も全て美味。こんな道の駅もある。 -
今回の山形土産で圧倒的に評判がよかったのは乃し梅だった。山形の伝統菓子として最初に紹介されているが、垢抜けしない古風なデザインよりあまり期待しなかった。しかし、お土産にはうるさい連中も納得の菓子だった。こういう伝統に練り上げられた超一級品が山形にはあった。
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酒田
じっくり回りたい場所だが、雨が降り出して観光する予定変更。日和山公園だけに立ち寄り、昼食として海鮮市場にて海鮮丼(1000円)を食べた。味は標準。
日和山公園は見所満載。 -
多くの文人が訪れており、二十以上の石碑があった。
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芭蕉像と句碑
厚き日を海に入れたり最上川
ここの芭蕉像は品があった。 -
河村瑞賢像
北前航路を開発した人。 -
北前船
酒田は北前船の寄港地として栄えた。東北各地の米は酒田に集められ、そこから日本海を西回りで下関に行き、そして瀬戸内海を通って大阪へ。そこから江戸に搬送された。太平洋廻りや陸上輸送は殆ど発達していない。 -
最上川の河口
手前は酒田港。向こう側が最上川 -
最上川の河口付近
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最上川河口
発電風車が写っている。昨晩みた鬼火はこの風車ではなく、もっと鳥海に近い庄内海岸沿いの風車である。広範囲にこの風車が設置されていた。 -
国道112号線
酒田から海沿いにはしる道。浜中あたり。 -
安部公房「砂の女」の舞台
砂に埋まる部落をみたいと思っていたが、海側に曲がる道がない。下手に侵入すると車が砂に埋まるような気がして入れなかった。 -
左右が防砂林。徹底的に砂の害を克服した景色だった。
目視できる範囲には砂丘はまったく見えなかった。海もまったく見えなかった。昭和30年代は砂の女がリアルであったはずだが、現在では消滅している。 -
雨の日本海
本格的な雨になった。家まではまだ800kmもある。 -
庄内夕日街道と呼ばれている県道50号線。由良トンネル。海岸縁を通る道である。
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再度、国道7号線に入る。雨は本降りになった。日本海をずっと眺めながらのドライブであるが、この天気ではどうにもならない。
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道路の右は日本海、左はJR羽越本線の線路がずっと一緒に並行している。殆ど走っている列車を見なかったが、貨物列車が轟音をあげて通っていった。
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鼠ケ関を探したが見つからなかった。仕方なく駅によって鼠ケ関の写真を撮った。
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無人駅でホームに自由に出入り出来た。懐かしい国鉄の駅だった。
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雨の日本海
芭蕉もこの道を通っているが、奥の細道にはまったく記事がない。
奥の細道:北陸道の雲に望む。遥々の思い胸をいたましめて・・・
酒田にてこのように北陸路を不安に思って、体調もすぐれなかったようで、記事がない。 -
雨の日本海国道345号線
ずっと日本海の海岸沿いを走った。 -
笹川流れ
天気がよければ少し丁寧に見ていったであろうが、1分だけ停車して写真を撮る。 -
笹川流れ
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笹川流れ
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日本海
この海の向こうはウラジオストック。 -
国道345号線
期待していた道であったが、この雨ではい如何せん。 -
左側にずっと沿っていた羽越本線
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途中に現われる邑
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村上市
やっと高速道路に辿り着いた。村上瀬波温泉ICより日本海東北自動車に入る。
午後4時頃だった。ここから自宅まで約650Km。まだまだ遠い。 -
新潟西IC
夕方5時頃か。雨は止まず。安全運転するだけ。 -
くろさきパーキング
ざんざか降り。行く日も雨。帰る日も雨。 -
北陸道は日本海を離れ山側を走っている。トンネルばかり。
芭蕉はずっと海側を歩いている。出雲崎ではかの有名な句がある。
奥の細道:荒海や佐渡に横たふ天の河 -
夜になった。
撮影モードを間違ったみたいでこんな写真ばかりになった。
約8時間の高速道路の雨の中の運転はさすがに堪えた。 -
富山 有磯海パーキング
若い頃、富山転勤で3年間の生活経験あり。懐かしいが、途中下車をする元気なし。 -
北陸自動車道のどこか。
夜間になると運転が・・・。
こんな調子で8時間運転し続けた。 -
西宮帰還は日が変った26日0時30分だった。
総走行距離2056km。平均時速61km。燃費23.6km/L。
まだ、十分長距離ドライブ可能であると自信がついた。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ひらしまさん 2019/12/15 22:08:54
- 恐れ入りました!
- 山形は若い頃に山寺に寄ったことがあるだけなので、「山形への旅」を興味深く拝見しました。
「馬の尿する枕もと」があんな立派な屋敷だとは、ずっと芭蕉にだまされてました。
象潟が陸になっていることも知りませんでした。
山刀伐峠の注意書きを「入口に掲示してほしかった」のところは、そうだよなと共感しながら思わず笑っちゃいました。
10月中に道路が閉鎖されたり、眠れないほどの強風だったり、自然の厳しさが伝わってきます。
そして羽黒山の独自の世界、湯殿山で目撃された「日本の神の根源」。
これは、いつか自分で訪れるしかないかと思っています。
でも、2446段の石段を登りきるソウルの旅人さんご夫妻の体力はうらやましいばかりです。
さらに往復とも雨の中を2056km運転なさるとは、とても病み上がりの方とは思えません。
恐れ入りました!
- ソウルの旅人さん からの返信 2019/12/16 21:41:33
- Re: 恐れ入りました!
- コメントをありがとうございます。
韓国の代替の山形でしたが、湯殿山神社は極めて興味深い体験でした。芭蕉は本文では「他言禁止なので、筆をとどめる」としながら、俳句にてその神の姿を鋭く描写しています。あの姿を見ると、沈黙することは出来ず、芸術として表現したことになります。
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
一般的解釈では〈感激して涙で袂がぬれた〉とされていますが、これは明確に間違いです。《語るなかれ》ですから詳しく語る事は控えますが、『湯殿にぬらす袂』は芭蕉ではなく、神なのです。一度は見に行くことをお薦めします。否、一度はお詣りに行くことをお薦めします。
安東ハフェマウル旅行記を楽しみにしています。
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- 熟年ドラゴン(もう後期高齢だけど)さん 2019/11/30 13:00:40
- 長距離ドライブお疲れ様でした。
- 象潟での芭蕉の句「雨や西施が・・・」の句はよく理解できませんが、中国の故事好きの私には西施は馴染みがあります。
中国の歴史物語で最も面白いのは「三国志」の時代でしょうが、項羽と劉邦の時代やこの戦国時代も興味深いです。
范蠡が主君勾践を助けて呉を破る話には逸話も多く面白いです。
「臥薪嘗胆」、「会稽の恥を雪ぐ」、「呉越同舟」などことわざも多く残っていますね。
西施については「顰に倣う」という諺もあります。
中国の故事物語は日本の文学、教養の元になっているので元を知らないと何のことかわからない事態が出てきます。
清少納言の百人一首「夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀(はか)るとも よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ」という歌も孟嘗君の故事を知らなければ理解できません。
そういう意味で私が最も好きなのは児島高徳の「天勾践を 空しゅうする莫れ
時范蠡無きにしも非ず」です。勾践という人物を知らなければこの句の意味が解らない。
また、>>この寺の方丈に座して簾を捲けば風景一眼の中に尽きて、・・・><ですが、やはり清少納言と定子のやり取りで「香炉峰の雪は如何ならん?」と聞かれた少納言が白居易の古歌「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」に絡めた戯れと察して女官に簾を上げさせたというエピソードを下敷きに書かれたものではないかと推測します。
江戸時代の川柳にも中国の故事が多くの下敷きに使われています。
思わぬところで私の興味を引くものが出てきたので嬉しくなった次第です。
- ソウルの旅人さん からの返信 2019/11/30 21:29:43
- Re: 西施は知りませんでした
- フィリピンからは帰ってこられましたか?今度のフィリピンはどうでした。
熟年ドラゴンさんが百人一首他平安時代の知識豊富なのは承知していましたが、中国関係も教養の中に含まれている事を知りませんでした。西施の故事を知らないとこの俳句の意味はまったく解けません。芭蕉は奥の細道の読者層が常識として西施を知っているとして、俳句に詠み込んで居るんですネ。江戸時代の教養知識がどういう質のものであったかが判ります。
清少納言の逢坂の関、香炉峰くらいは知っていますが、児島高徳の言葉は知りません。また、いつか教えてください。
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