2019/10/22 - 2019/10/25
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ソウルの旅人さん
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今年は健康に支障があって、旅行することが出来ず、海外旅行も止められて韓国へも行けなかった。回復してきたので、国内旅行を計画した。唯一訪問したことがない都道府県である山形県に行って来た。4日間で2056Kmのドライブ旅行になった。
【全旅程】
1日目(22日 雨)
西宮市から山形市へ高速道路(名神・新名神・伊勢湾岸道・新東名・東名・圏央道・東北道・東北中央道)の旅
2日目(23日 晴)
山寺・尾花沢・山刀伐(なたぎり)峠・封人の家・最上川
3日目(24日 晴)
羽黒山・湯殿山・吹浦・鳥海山
4日目(25日 雨)
象潟・酒田・鼠ケ関・笹川流れ・村上市から西宮市へ高速道路(日本海東北道・北陸道・名神)の旅
その2は2日目の尾花沢から最上川を経て24日羽黒山麓の朝食まで。
タイトル写真は「モモカミの里高麗館」から見た最上川
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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山寺を出発して次の目標は尾花沢である。
通常は国道13号線を走るが、県道120号線を走った。この道は旧羽州街道であり、芭蕉が尾花沢ー山寺往復に歩いた道である。勿論、当時の面影などないが、何となく芭蕉の足跡を追っている気分になる。 -
羽州街道
ずっと真っ直ぐな道である。平行している国道13線もJR奥羽本線も同じく真っ直ぐにのびている。 -
この辺りは東根市と村上市。
ここが山形県のサクランボ産地である。
東西南北とも山に囲まれているが、山が遠いので開放感のある広い盆地のような感じである。全体に伸びやかで広々としている。
山ばかりと思っていた山形のイメージが変わった。 -
尾花沢
芭蕉清風歴史資料館。
奥の細道:尾花沢にて清風という者を尋ぬ。かれは富める者なれども、志卑しからず
印象的な尾花沢在住の清風像が描かれている。 -
本日は休館日。事前に承知していたが、日程上やむを得ず。
地図を見ていると尾花沢市の市街地にあると思っていたが、街の外れにあった。 -
資料館の前に立つ芭蕉
これからも繰返し同じような芭蕉像に出会うことになる。 -
山刀伐(なたぎり)峠への道標
芭蕉は鳴子温泉から尿前の関を越えて出羽の国に入る。その入口である堺田から山刀伐峠を越えて尾花沢に来る。本日はそれを逆行して、尾花沢→山刀伐峠→堺田と進む。 -
山刀伐(なたぎり)峠とは物騒な名前である。
奥の細道:高山森々として一鳥声聞かず、木の下闇茂り合ひて夜行くがごとし。雲端につちふる心地して・・・・
「細道」ではこのように山深い剣呑な峠として描写されている。そこに行って、実際の峠を見てみよう。この時はたいしたことは無いと思っていた。 -
県道28号線。前方の山中に山刀伐峠がある。
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県道28号線は峠下にトンネルを掘っており、僅か30秒で通過する。トンネルに入る前に峠に上がる道がある。
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車通行可能なはずであるが、入口が歩行者用に見えたのでトンネルを越えた道で行くことにする。
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山刀伐トンネルを通過してすぐにあった道標。
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その入口である。入口の雰囲気より何となく悪い予感はしたが・・・・。
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殆ど車幅一杯の道幅に急坂のヘアピンカーブが連続する。助手席の同乗者は「こっちは物凄い深い谷。落ちたらどうしよう」と悲鳴をあげる。少しでも踏み外すと転落する。出来るだけ山側に寄るが、樹木が迫り出していてその枝がバチバチあたる。極くゆっくりと慎重に運転するも本当に“危ないかも”と感じた。僅かな距離のはずだが、行けども行けどもカーブが続く。(十二曲がりとの標識あり)峠らしい箇所が見えてきた時は心底助かったと思った。
この写真は恐怖感が全然表現されていない。峠に到着してから車を降りて傾斜の緩い箇所を写しているから。実際の運転中は撮影するどころではなかった。 -
これが山刀伐峠。写っているのはトイレ。
奥の細道:篠の中踏み分け踏み分け・・・
芭蕉はこのように困難な道を表現しているが、私の車は“篠の中踏み分け踏み分け”進み、もう少しで谷底へ墜落しそうだった。山刀伐峠は恐ろしい峠だった。 -
峠にあった注意看板
この峠はマイクロバスでなくても「大変危険です」。
峠上ではなく入口に掲示してほしかった。 -
峠にあった粗末過ぎる芭蕉庵
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峠にあった洒落た英語表記の石柱
上ってきた以上下りないわけにはいかない。峠にいる間も下りの運転が超心配である。もし、ここで対向車があったらと想像すると、ゾットする。心配性の同行者に不安感を与えないように、何気ない振りをして、恐る恐る超スローで坂に入っていった。下りは想像していた以上にスムースに進行し、対向車もなく、どうにか無事に降りてこられた。 -
冷や汗をかいたあとは、県道28号、国道47号を経由して国境の堺田へ行った。そこには封人の家がある。
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封人の家
奥の細道:日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。
「細道」にそう記された封人の家がここである。封人とは国境を守る村人のことで、村の庄屋クラスが任されたそうである。旧有路家と名字まではっきりしている。この国境とは仙台藩と新庄藩のそれのことである。 -
入口
入場料は250円
ここは木彫りの芭蕉・曽良像だった。 -
入口を入ってすぐ右側に厩がある。住居の中にあるわけで、人馬が同居している。
奥の細道: 蚤虱馬の尿する枕もと
この俳句では寝ている枕もとで馬が尿をしているように解釈できるが、後にでてくる芭蕉が泊まった部屋の位置を考慮すると、馬が尿をする音が聞こえた程度であろう。馬が大事にされていたことがよく判る。 -
厩の前には竈があり、座敷に上がってすぐに囲炉裏がある。当日は火が熾っていた。
囲炉裏のある生活経験はないが、何となく懐かしい。 -
芭蕉が泊まったと思われる部屋。
芭蕉の俳句では粗末極まる百姓家を想像するが、立派な造りである。 -
奥の部屋はもっと立派。新庄藩の武士が国境見回り時に宿泊したと説明してあった。
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床の間
上等な家屋である。 -
奥の間から入口方向をみる。
奥の細道を読んだ印象とは大違いの佇まいである。 -
展示されていた立て替える前の封人の家の写真
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芭蕉句碑
奥の細道という一冊の本がこの封人の家を現在に残すことになったのであろう。文学の大きな力である。
ここを出発したのは3時頃だった。 -
封人の家からは今夜の宿がある羽黒山に向う。国道47号線は新庄市辺りはバイパスになっていて市内は走らない。絶好のドライブコースを快調にとばす。
国道47号線から見た景色。場所不明。 -
国道47号線を走っていると、突然異質な風景が飛び込んできた。
道の駅「高麗館」と小さな看板が目に入ったので、駐車場に入った。事前調査ではこの辺り(戸沢村か)に道の駅は無かった。明らかに韓国の景色である。高麗館 グルメ・レストラン
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高麗館
ここでは韓国のK-POPグッズ、キムチ、韓国化粧品、エゴマ、カクテキ等本格的韓国名産がならんでいた。 -
広大な敷地に贅沢に朝鮮の石像が配置してある。
この時は、このような施設がこんな田舎にあることが不思議であった。金持ちの在日韓国人が作ったのかと想像した。 -
一番上まであがってみると、韓国の田舎の村落入口に建てられている天下大将軍、地下女将軍の碑まであって、ますます驚いた。
後日、調べてみた。国際交流より戸沢村が1989年に作った。正式名称は「モモカミの里高麗館」であり、モモカミとはアイヌ語で崖の上、丘の上を意味すると書いてあった。これを作った戸沢村の村長名は知らないが、韓国とアイヌ語を組み合わせて命名するその高い知性と教養に敬意を表する。 -
「モモカミの里高麗館」は高台にあり最上川が見渡せる。しかも川が90度湾曲している場所にあって、絶好のポジションになっている。制作者が高麗館を建設するに際して、場所選定に最善の選択をしていることがはっきり判る。
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インターネットに「訳の分からない汚い施設」などと例の嫌韓投稿が多く掲載されていた。残念なことである。こんなに素晴らしい道の駅はそう沢山ない。
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道の駅なので地元の戸沢村農産品も販売している建屋があった。そこで買ったのは今年新発売された[雪若丸]と云う銘柄の山形県の新米である。生産者の名前も入っている。レシートにまで名前がはいっていた。
一粒一粒に艶があって、本当に美味しいお米だった。価格は写真の通り2Kg900円。同じ雪若丸が他の道の駅では1130円だった。雪若丸が安価なのではなく、ここが特別に安かったのである。 -
「モモカミの里高麗館」から少し西へ行くと最上川の船着き場である古口に着く。江戸時代の川の関所。最上川の遊覧船はここから乗船出来るが、今日は時間が無いのでみるだけ。
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船着き場
5艘の遊覧船が見える。 -
古口にあった子規の句碑。芭蕉の句碑も有るはずだが、探さなかった。
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ここからは地図に最上峡と記載される絶景のはずだった。
奥の細道:水みなぎって舟危ふし
芭蕉は最上川の船旅をこのように表現している。
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右側を最上川が流れているが、視野に入ってこない。川面は殆ど見えない。
超有名な俳句
五月雨をあつめて早し最上川
この俳句を実感することが出来なかった。 -
こんな感じの景色の連続である。
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最上川は舟に乗るべきだった。
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最上川に面している清川
地名である。関所があったらしい。
山形県出身者の日本史登場人物は少ない。清河八郎はその中に入るだろう。この八郎がここ清川の出身である。新撰組の前身である新徴組の組織者であって、江戸末期に活躍する。暗殺されることによってこの清川に神社もあるとのことである。 -
句碑
五月雨を集めて早し最上川 -
芭蕉の銅像
奥の細道に清川は登場しない。どうして句碑があり、芭蕉が立っている。 -
芭蕉はここで下船して羽黒山に向った。その下船したことを記念して作られた句碑と銅像である。芭蕉乗船の地にも記念碑が有るそうだ。
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清川からは県道45線を通って30分で羽黒山麓にある今夜の宿泊地である「国民休暇村羽黒」に到着した。午後4時40分頃だった。
休暇村 羽黒 宿・ホテル
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休暇村の夕食
宿泊費13,000円
休暇村は初めて泊まったが、旅館・ホテルと同じかそれ以上にサービスに配慮されていた。部屋も綺麗で、食事も十分。ゆっくりやすんだ。 -
24日(木)
天気予報は晴。今日も天候に恵まれそう。本日が旅の中核なので嬉しかった。 -
朝食前の朝の散歩
休暇村周辺は絶好の散歩道だった。爽やかな朝の空気が写真でもわかるか。 -
休暇村の裏に回ると、神銹びた石段があった。さすが羽黒山に近いから古社があるのかと思って通り過ぎた。
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暫く行くと鳥居とその沿革説明表示板があった。驚くべき内容だった。そして21世紀に古代の残滓が残っていることに感激した。
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修験道の発祥は7世紀であろう。その発祥において修験道が古代鉱山開発氏族と強い関係があることは吉野山の事例より間違いない。20世紀の鉱山である炭鉱と修験道である羽黒山とが関係を持っていることに衝撃を受けた。羽黒山と田川鉱業所に元々どんな関係があって分祀されたのか。また、還御することを受け入れたのか。修験道と鉱山の結びつきが20世紀においても成立していることの明らかな証拠と言えるだろう。
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散策路
山の神がすぐ側に居る精冷な空気の中を散歩する。 -
二見の池
先程の沿革に出てきた二見の池。 -
二見の池
神が降臨してくる池 -
二見の池
波一つ立たない鏡のような池。 -
二見の池を過ぎると現実に戻った。
今日の予定はこの道を通って月山八合目まで車で上る計画であった。それがなんと23日から冬季閉鎖で通行禁止になっている。昨日から閉鎖になったのである。実は昨晩フロントに問い合わせて知っていたが現実に道路標示を見るとショックである。こんなに早く冬季閉鎖になるとは知らなかった。
本日の予定再構成の要有り。 -
散歩から帰って朝のバイキング
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木曜日であるが、混雑している。
略、我々の年代に近い人々である。団塊の世代は膨大な人口があった。未だこの世代は十分に日本の中で消費活動しているといえる。 -
バイキングのコーヒーを部屋に持って行けるようになっている。これが当たり前になっているのかもしれないが、バイキング場の飲物を持ち出すことは少し前までルール違反だった。
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朝食
この内容を見て豊かになったと思うか、貧しいと思うか?
本日は計画を練り直して出発する。
その3 羽黒山、湯殿山、鳥海山に続く
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