2019/10/22 - 2019/10/25
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ソウルの旅人さん
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今年は健康に支障があって、旅行に行けなかった。回復してきたので国内旅行を計画し、行ったことのない山形県に行って来た。4日間で2056Kmのドライブ旅行になった。
その3は旅行の中心になった羽黒山・湯殿山である。「語るなかれ」の湯殿山は驚くべき神社だった。語ることの出来る範囲と限界を弁えて、詳しく語ったつもりである。
タイトル写真は湯殿山神社の大鳥居。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
羽黒山随神門
月山八合目まで車で上る計画であったが冬季閉鎖になった。やむを得ないので、当初は車でさっと上がって頂上の三神合祭殿だけ見てくる積もりだった羽黒山を歩いて上ることに変更した。昨日の山寺が案外容易に上れたので、ここもたいしたことはないと思っていた。
随神門はその入口。赤い古風な郵便ポストが門より目立っている。普通は赤いポストを門の側に設置しないだろう。入口から面白い面構えである。 -
随神門の扁額
月山・湯殿山・羽黒山が併記されている。これも異様。三神併記の扁額は見た記憶がない。他の神社と相当異なる相貌をしている。 -
入口に芭蕉来訪の表示板あり。
奥の細道:六月三日、羽黒山に登る。
芭蕉が羽黒山に入山したのは陰暦1689年の6月3日である。陽暦では7月19日になる。 -
継子坂
門を入った最初の坂は下り坂だった。軽快に下りて行く。 -
祓川・神橋・須賀の滝
継子坂を下って右折するとすぐに見えて来る。いきなり冴えた景色を用意している。
参拝者は歓声を上げる。宗教施設は驚嘆させることが必須である。ここの設計者はそれを十分心得ている。 -
この川で水垢離の禊ぎをして参拝したそうである。
-
須賀の滝 神社名は覚えていない。
入口近くに大地金神社と書かれていた末社があった。いかにも鉱山に関係する名称である。 -
滝から少し歩くと爺杉がある。
特に太い大きな杉にも見えなかったが、注連縄が張ってあると神々しい。次々と見るべきものが現われる。 -
爺杉のすぐ横に五重塔があった。
五重塔及び仏塔は仏舎利を納める為の建造物と云われている。神社に仏舎利は関係ない。私の記憶では五重塔が神社にあったことはない。五重塔がある理由説明は特別に記されていない。神仏習合であったのは承知しているが、在るのが当然といった雰囲気でそこに在った。 -
江戸時代までは神と仏は習合していたといった生やさしいものではなく、全く区別されていなかったというのが実態か。それにしても神社と五重塔が違和感なく併存している。
この雰囲気は本来なら極めて異様なはずである。 -
今年は三神合祭殿再建200年を奉祝して、五重塔の内部公開が行われていた。
「秘中の秘とされた扉を開く」と案内されていたので、大いに期待した。お祓いを受けて右側の護符をもらってから、五重塔内部に入った。 -
内部は撮影禁止
形だけでも仏舎利があると思っていたが無かった。 -
仏像が祀ってあるが、扉が閉じられているので見ることは出来ない。
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内部で見ることが出来たのは五重塔の中心である中央の太い柱とその木組みであった。古い五重塔内部を見ただけで満足とする。
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周囲の杉林に溶け込んで雰囲気のある景色である。
門から滝を経て、五重塔まで凝った意匠の演出であった。 -
五重塔から左折すると杉林の中を伸びている石段の坂となる。
一の坂 -
予想していた坂とかなり違う。山寺の石段とはスケールが違うようだ。
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このような石段が延々と続く。左右は杉の大木が林立している。この杉も宗教者が植林したものだそうである。そうならば、この石段だけではなく、杉林の景観も人工的に設計製作したものと云うことになる。何百年に亘りこれだけの宗教施設を創造して運営してきた人々はどんな宗教家なのだろう。
この辺りから東北の片田舎の神社(寺院)という今迄の先入観は変更されだした。 -
一の坂を上りきったところに湯殿山遥拝所があった。
細い道を入ってみたが、木々が繁茂していて湯殿山らしき山は見えなかった。このような表示がある事は湯殿山を遥拝することが重要な礼拝なのであろう。湯殿山に行って、それは痛感することになる。 -
二の坂
一の坂だけで十分堪能した。しかし、本当の坂はこれからが本番だった。
当初はこの石坂を上る計画が無かったので、詳しい下調べをしてこなかった。それが失敗である。 -
二の坂
苦しかった。こんな厳しい坂だとは思わなかった。
10年位前になるが、那智神社の大門坂を一番下から登ったことがある。その時もきつかったが、羽黒山はそれ以上だ。そう言えば神仏混合、石段、杉林、滝と那智との共通点が多い。 -
永久に続くかに見える石段。
一段一段の高さは低い。那智は一段の高さが高かった。羽黒山の方が登りやすいが、段数はこちらが圧倒的に多い。
こんなことなら車で上がるべきだった。10分で神社に着くのにと思ったが、貴重な経験を逃すことになったであろう。今はこの坂を上ったことを喜んでいる。 -
やっとのおもいで二の坂を上がりきった。
芭蕉塚 解説板がある。
18世紀中頃に芭蕉の羽黒山参拝を記念して作られている。芭蕉の奥の細道は1689年夏である。50年後には芭蕉訪問地に記念碑を作っている。各地に奥の細道記念碑があったが、江戸時代中期からそれらが始っていることに驚いた。 -
二の坂を上がりきると少しだけ平坦な石畳の道だった。
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南谷への分岐道があった。
奥の細道:南谷の別院に宿して・・・
ありがたや雪をかをらす南谷
芭蕉は清川に上陸して、羽黒山麓まで歩き、その足でここまで上り、この奥にある南谷別院に宿泊している。すごい健脚である。芭蕉の行程を曽良日記で追っていくと、彼らが恐ろしいほどの速度(1日40Km以上)で歩いていることがわかる。そして、その歩行速度に対して疲れた、しんどいなどの愚痴は一切ない。 -
南谷の説明板
ここから15分位で別院跡へ行けるが、疲労困憊の為、往復30分も歩くことが出来ない。芭蕉の跡を辿る旅とすれば残念であるが、南谷に行くことは断念する。芭蕉に比べてなんと情けないことか。
無理してでも行っておけばよかったと後悔している。 -
三の坂
ここからは三の坂となっている。どこまで続くのだろう。もう終点に近いはずであるが・・・・。 -
すこしは上りやすい坂に見える。
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そんなに甘い山ではなかった。同じように石段が延々と続く。
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どれだけ上ったか分からないが、左側に齋館とした建屋が見えてきた。本格的な建造物だからどうやら神社に近付いたらしい。後で調べたら、一般参拝客用の宿泊施設だった。
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神社の鳥居
遂に到達した。正確に計っていないが、五重塔から1時間10分程度か。後で調べたら石段総数は2,446段だった。 -
鳥居をくぐって神社に向う道。
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三神合祭殿
京都、奈良あたりの神社とは異なる。神社建築について知識はないので様式はわからないが、予想をはるかに超える立派な建屋である。 -
三神とは月山神社、湯殿山神社、出羽神社の三神。
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月山、湯殿山は冬季参拝不可なので、冬もお詣りできる羽黒山に合祭しているとのことらしい。月山が昨日から冬季閉鎖になったことを知ったので、非常に納得出来る理屈であると思った。
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扁額
西宮の六甲山にある神呪寺には四国八十八箇所を周囲の山中に作ってある。1時間30分で八十八箇所を回りきれる。全国各所の寺院に同じような施設がある。日本の神様は融通が利く。三神合同などましな方で、祭神の変更、途中から追加される神々・分祀・還御・摂社・末社などなんでもありである。 -
御神体は何か。この神社の前にある鏡池から出土した銅鏡か。神社はどうして御神体を参拝者に見せないのだろうか。お寺ならご本尊を拝するのに。
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梵鐘
ここは神社である。一般常識では神社に梵鐘はない。五重塔と同じく神殿と鐘は異なる世界であるはずだが、ここではなんの違和感もなしに併存している。梵鐘を誇らしく展示すると云うことは、羽黒山は神社と寺院が区分けされていない世界であると同時に、ここの運営者はそのことを何ら異様だと考えていないことの証しである。 -
名称は知らないが山上にあった建屋。寺院にみえるか、神社にみえるか?微妙である。
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平和の塔
内容は横の解説板参照。どうでもいいけれど、周囲の環境との余りの不均一に絶句。 -
三代句碑
中央(父);高濱虚子 右(子);高濱年尾 左(孫);稲畑汀子
同行者は俳句をやっている。親、子、孫と揃って建っている句碑を三代句碑と云うそうである。熊野の何とか王子にも同じ三代句碑があった。そう言えば、山寺には虚子と年尾の句碑が並んでいた。これは親子句碑と呼ぶそうである。同行者は何よりもこの句碑を見つけたことを喜んでいた。
奥の細道の旅を追っていくと著名俳人の大部分が歌枕(句枕)として訪れている。 -
芭蕉像
先に三代句碑を見つけたので、申し訳ないことに芭蕉様が後になってしまった。羽黒山の芭蕉像が今回の旅行中にみた最も立派な像だった。 -
芭蕉の句碑
涼しさやほの三日月の羽黒山
最上川・南谷・羽黒山など地名が入った句が多い。 -
鏡池を挟んで正面から見た三神合祭殿
銅鏡を沢山発掘したこの鏡池を期待していたが、神秘的でもなく、普通の池だった。 -
山上の諸施設(神社か寺院かはたまたそれ以外か不明なので)を見てまわって下山である。下り坂の石段。
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上ってきた人は金髪に白装束だった。白人がこの坂を上ってくることは珍しいことではないのだろう。何組もの白人観光客と擦れ違った。中国語と韓国語を聞かなかったのはどうしてだろう。
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木の間より見えた庄内平野
上りは景色に目を遣る余裕がなかった。下りは楽ではないが、そう疲れるわけではない。眼下の景色も見ることができた。 -
下り坂
膝はこたえるが、上りの苦しさよりずっと楽だった。 -
二の坂と三の坂の短い平坦部には展望台のような場所もあった。
茶店もあった。 -
木曜日の午前中であるが、そこそこ坂を上ってくる参拝客があった。土日は混雑するのだろう。
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五重塔まで下りてきた。
羽黒山は予想と大きく異なり、長年に亘って積み上げた独自の世界を誇っているように見える場所だった。 -
羽黒山を終えて湯殿山に向う。
芭蕉は羽黒山から月山に登り、頂上の山小屋に1泊し、翌る日に湯殿山を参拝し、同じ道を引き返して南谷に帰っている。曽良日記には珍しく甚だ疲れたと記録されている。きつい行程である。私は車で大きく西方に迂回して湯殿山に行く。庄内こばえちゃラインと道名が書いてあるが、普通の田舎道だった。 -
月山の全貌を眺めることが出来る箇所を見つけられなかった。庄内こばえちゃライン上にあると思っていたが、発見できず。
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庄内あさひインターから山形自動車道に入り、湯殿山インターで下りる。国道112号線である。一般道ではあるが、車専用道のようだった。月山道路と名前がついている。一気に山の中腹まできたようで、周囲は紅葉していた。
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山形市から庄内平野に向う道であるが、六十里越街道と名前がついているように江戸時代は難路だったようである。
私は快適なドライブを楽しめた。 -
国道112号線の途中より左折して湯殿山道路に入る道があった。
でこぼこ道で擦れ違いも難しい箇所がある有料道路。往復400円。 -
10分程で湯殿山仙人澤に到着。
有名な大鳥居 -
見事な紅葉に目を瞠った。
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赤い大鳥居
周囲の自然に抗して存在感を発揮していた。 -
仙人澤の紅葉
お昼から曇りだした。青空でないのは残念だけど、山形に来て初めて見る美しい紅葉だった。 -
仙人澤の紅葉
11月初旬には冬季閉鎖になるとのことで、ラストシーズンに来たことになる。参拝者の数は多くなかった。 -
湯殿山神社は仙人澤にあるのではない。ここは自家用車が進入出来る最深部で、その先は進入禁止である。ここからバスで神社の手前まで行く。或いは歩いても行くことが出来る。
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5分程度バスに乗って着いたのが湯殿山本宮。
湯殿山で見た事は「語るなかれ、聞くなかれ」と云われている。ここから先がその語ることの出来ない神域になる。 -
本宮の入口に立っている撮影禁止の立札
この撮影禁止立札だけがあり、神社側から「語るなかれ、聞くなかれ」等の注意はなかった。
奥の細道:総じてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆をとどめて記さず。
芭蕉はこのように湯殿山のしきたりに従うとして、筆をとどめている。しかし、本宮の御神体を見て何も感じないことはありえない。芭蕉はそれを文章にはしなかったが、俳句で表現した。
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
神秘に浴して感激のあまり涙で袂をぬらしたといった解釈は全く不当。芭蕉はここで湯殿山の神に出会った神秘の一端を芸術的に表現しているのである。御神体を拝することで、この句の意味がわかる。 -
左の護符を湯殿山神社でもらった
「語るなかれ、聞くなかれ」のしきたりは厳密に守って、感想だけを記すのは許されるだろう。
日本人の神観念は時代とともに大きく変っている。その最古層の神の姿を求めて三輪山山頂に登り、吉野熊野を巡り、香春・宇佐・英彦山へ旅し、天照大神高座神社まで訪ねたが、今ひとつその姿を捉えられなかった。予想だにしなかったが、湯殿山神社にてその姿がはっきりした。この形姿が日本の神の根源なのだと了解した。
月山から湯殿山を巡る死と再生の物語も神話風であったのが、お詣りした後はリアルに納得できた。これが我々の祖先が作った神の話であることを素直に理解した。
今迄の多数の護符は直ぐに無くしたが、これは大事に保存しておく。 -
本宮入口にあった湯殿山信仰碑
恐らく雪の重さで傾いたものであろう。今日は11月18日である。最早、湯殿山神社は冬季閉鎖に入っている。この雪深い山奥にこの御神体を見つけ、その信仰を守り広めた人々に想いを致す。恐らく、畿内の神社は洗練されすぎて、古層は残っていない。それに反し、この山奥には古代の神がそのままの姿で生きていた。 -
御神体を拝してバスで仙人澤にかえってきた。
インターネット上では御神体の写真も公開されている。一部の口コミでは「語るなかれ」部分を赤裸々に語られている。しかし、大部分の口コミでは「語るなかれ」のしきたりを守り、口をとざしている。
語ることによっては伝える事が出来ないものがある。湯殿山の神官たちはそれを十分に解っていて、語ることを禁じたのであろう。私が御神体を余りにじっと長時間眺めているので、神職から作法に従ってお詣り下さいと注意された。湯殿山に詣って、御神体を拝すること以外、この神を感じる事は出来ないであろう。 -
仙人澤からみた六十里越方面
梵字川と呼ばれる川の谷筋である。湯殿山神社はこの川の上流にある。これだけ深い山中にあの御神体を発見し、それを語り継いできたことは今更ながら驚嘆すべきことである。 -
帰るために車の運転席に座った時、何となく罪悪感のようなものが浮かんだ。車でやってきて、あまりに安易な気持ちでお詣りしたことが、悪事を為しているように感じたのである。
私は今日神の姿を見たのだ。 -
湯殿山からは山形自動車道を通って、酒田みなとICから国道7号線を北上し、鳥海山中腹まで行く。
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庄内平野を走る山形自動車道
遠方に見えるのは鳥海山である。ここから国道7号線を北行して、鳥海山5合目の宿泊所に行く。 -
吹浦の十六羅漢
奥の細道: あつみ山や吹浦かけて夕涼み
芭蕉が酒田で詠んだ句である。吹浦は酒田から相当離れているが、当時は著名な地名だったのであろう。 -
十六羅漢の説明文
芭蕉が訪問したときはまだ作られていない。 -
海岸の巌に彫っている。石仏と言って良いのだろう。
山中の石仏は近畿・九州でかなり見たし、慶州の南山の磨崖仏も少しだけみてきた。東北の海岸にあるのは知らなかった。 -
吹浦の海岸から見た日本海に落ちる夕日
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表情はかなり印象的。石仏としてはレベルが高い。
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十六羅漢は海とよく似合っていた。
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日本海は今日は静かだった。
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吹浦から見る鳥海山
ここから鳥海山に上る鳥海ブルーラインがある。中腹にある大平山荘に向う。
その4 鳥海山、象潟、酒田、鼠ケ関に続く
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この旅行記へのコメント (4)
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- 熟年ドラゴンさん 2019/11/30 13:31:52
- 奥様の句は?
- 奥の細道を辿る旅らしいと気づき、密かに奥様の句を楽しみにしていたのですが遂にありませんでした。
何句も読まれたと思いますがちょっと紹介して欲しかったです。
実は密かに奥様のファンです。
- ソウルの旅人さん からの返信 2019/11/30 21:39:25
- Re: 奥の細道がテーマです
- 芭蕉の俳句を引用しています。家内の俳句をその横に併記するなど出来るわけがありません。畏れ多いことです。
- 熟年ドラゴンさん からの返信 2019/12/01 00:40:46
- Re: 奥様の句は?
- 名人の句がすべて傑作という訳ではないでしょう。素人の句が素晴らしいこともあり得ます。
プレパトでも過去の作品を並べてどちらが「才能あり」でどちらが「凡人」かを当てる趣向がありました。
芸能人格付けチェックを見ていると殆どの人が「一流」と言われるものと「三流」との区別がつきません。
俳句はたった17音の作品ですから、無季語、季重なり、字余り、三段切れ、説明的、散文的などの基本的な避けるべき要素はあると思いますが結局は読み手の感性に依るところが大きいと思います。
過去の旅行記で拝見した奥様の句はみな素晴らしかったです。
ぜひどこかでご紹介ください。
- ソウルの旅人さん からの返信 2019/12/02 20:55:28
- Re: 芭蕉の芸術性
- プレパトの素人に毛の生えた程度の司会者の判定や、芸能人の味覚判断を芭蕉の俳句と比べるのはいくらなんでも芭蕉に失礼な気がします。350年に亘って日本文化の中核をなした芭蕉です。「結局は読み手の感性」だと勝手な解釈は出来ないと思います。勿論、芭蕉の俳句と家内のそれには超えることが出来ない厳然たる格差があります。
来年には〈お遊び〉で家内の俳句入りの旅行記を計画してみます。
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