2019/11/10 - 2019/11/10
127位(同エリア836件中)
カッチさん
秋晴れの休日。
ちょっと早いかもと思いつつ秋を感じに偕楽園へ行ってきました。
- 交通手段
- 自家用車
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偕楽園の西にある桜山に作られました護国神社に参拝します。
意外と急勾配の階段です^^;護国神社 寺・神社・教会
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誰もいない参道は気持ちが良いです。
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護国神社に隣接する「もみじ谷」です。
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やはり少し早かったようです^^;
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紅葉とすすきに風が吹いて秋を感じます^^
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紅葉を堪能して偕楽園にやってきました。
偕楽園 名所・史跡
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表門からのコースがお勧めとの事でもみじ谷から少し歩いて表門にやって来ました。
斉昭が意図した「陰と陽の世界」が堪能できます。(説明文より) -
一の木戸。
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孟宗竹林。
誰もいなくて本当にいい場所です。 -
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吐玉泉。
ここは昔から湧き水の多かった所で眼病に効く水と言われいました。偕楽園造成にあたりその湧き水を茶室何陋庵(かろうあん)の茶の湯に用いると共に造園上の景観を考慮し白色の井筒(いづつ)を据えた。
夏なお冷たく、玉のような澄んだ水をたゆまなく吐くので吐玉泉と名づけられました。(HPより)吐玉泉 名所・史跡
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吐玉泉の隣には太郎杉。
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人がいなくて気持ちいい杉並路。
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中門をくぐります。
ここから陽の世界になるのかな。 -
好文亭は、木造2層3階建ての好文亭本体と木造平屋造りの奥御殿から成り、その位置から建築意匠まで斉昭が自ら定めたといわれています。各所に創意工夫と洒脱さを感じさせ、斉昭は、ここに文人墨客や家臣、領地の人々を集めて、詩歌や養老の会などを催しました。奥御殿は、城中に出火があった時の避難場所として備えられ、藩主婦人などが使用しました。「好文」とは梅の異名で、晋の武帝の「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」という故事に基づいて名付けられました。
好文亭は昭和20年(1945年)8月2日未明の空襲で全焼しましたが、昭和30年(1955年)から3年をかけて復元されました。(HPより)好文亭 名所・史跡
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裏庭です。
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表側に来ました。
手入れが行き届いてます。 -
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上階に出ると素晴らしい眺めです。
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奥には千波湖が見えます。
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好文亭を後にして芝前門を抜けます。
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目の前に梅林が広がります。
満開の時はさぞやきれいでしょう -
見晴広場からの好文亭。
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見晴らし広場の南端の突き出た所を仙奕台といい琴石、石の碁盤、将棋盤等が据えられています。(HPより)
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見晴広場からの千波湖。
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最後に好文亭を^^
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東門から偕楽園を後にし常盤神社へ。
七五三で大変混雑してました。常磐神社 寺・神社・教会
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御朱印が出来上がるのを待っている間、隣の義烈館前にあった銀杏です。
まだ色付いてはいませんでした。 -
護国神社と常盤神社の御朱印です。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
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