2019/09/22 - 2019/09/22
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ミズ旅撮る人さん
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1043点もの収蔵品がある「大塚国際美術館」は、旅行記1回分で、
ようやく1フロア回っただけ。
第3回の今回は、まだ地下1階になる所です。
「近代」と言われても、具体的にどの時代なのかわかりにくいと思います。
おおよそ展示作品の年代は、1750年頃から1800年代末迄です。
画家は、ゴッホ、ターナー、アングル、ドラクロワ、コロー、クールベ、ミレー、マネ、ルノワール、モネ、ドガ、モロー、クリムト、セザンヌ、ゴーギャン、ムンク・・・
有名どころだけでも、この面々です。たぶん1回では終わらないかも・・・
地下2階から、はみ出した最後のバロック作品、ゴヤから始まります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
第58展示室
フランシスコ・デ・ゴヤ作 「カルロス4世の家族」
マドリッドのプラド美術館蔵。
ゴヤの大作で有名な「1808年5月2日:エジプト人親衛隊との戦闘」と「1808年5月3日:プリンシペ・ピオの丘での銃殺」もあります。
「ゴヤは王家の姿をリアルに描こうとして彼らの真実を暴いてしまった。
ベラスケスのような、尊厳な王室は過去のものとなった。」
ゴヤは1799年に首席宮廷画家となりました。
そして描いた作品がこれです。
一発でいや、一枚でクビになったんじゃないだろうか。
心配になるほど、ひどい絵です。
これまでの華麗で美々しい王家の肖像画とは似ても似つかない
「理想」の入り込む余地のない絵です。 -
「裸のマハ」 プラド美術館蔵。
「これはもはや神話上の裸婦ではあり得ない。
ゴヤはルネサンス以来初めて、神話や聖書のヴェールを剥いだ、
女性そのものの提示に挑戦したのである。」
ニンフや女神ではない、実在の女性の裸体画。
今ではそちらの方が当たり前だけれども、
この時代にようやく描かれるようになったんですね。 -
「着衣のマハ」 プラド美術館蔵。
「裸のマハ」と連作若しくは、同時進行で描かれたものと
思っていましたが、
「裸のマハ」は1796~1800年頃、
「着衣のマハ」は1800~1805年に描かれたようです。
かつて聞いた話では、依頼したご主人の前では「着衣」を描き、
留守には「裸」を描いていたのだとか。
両方の作品に重なる1800年が製作年だとしたら、それもありかも。 -
第59展示室。地下1階に造られた「ゴヤの家」。
実際にゴヤが晩年に住んだ家の壁に描かれていた絵を額装したもので、
現在はプラド美術館に収められています。
あまりに気味の悪い絵ばかりなので、
ほとんど鑑賞する人がいないスペースです。
色々な画家のアトリエを復元することが出来ただろうに、
何故ゴヤだったのか。 -
1819年にゴヤは、マドリッドの郊外に別荘を購入しました。
1階の食堂及び2階のサロンの漆喰壁に、そのムードから「黒い絵」と
呼ばれることになる14点の油絵が描かれました。
1824年にはフランスに亡命します。「黒い絵」14点は、
この亡命を目前にしたゴヤが祖国スペインに残そうとした
最後の絵画的メッセージです。
ここまでがバロック時代の絵画で、約120点が展示されています。 -
第60展示室
「7つのヒマワリ」展示コーナーです。
人気があって、人がいっぱい。 -
右はフィンセント・ファン・ゴッホ作「ヒマワリ」1888年製作。
ゴッホは南フランスのアルルで、花瓶に入ったヒマワリを
全部で7点描きました。
このヒマワリは2番目に描かれたとされています。
兵庫県芦屋市の実業家山本顧弥太郎が1920(大正9)年に購入し、
武者小路実篤が計画していた白樺派の美術館に寄贈する予定でした。
しかし、1945年の阪神大空襲で焼失しました。
この幻のヒマワリを武者小路実篤記念館の協力で
原寸大に復元することが出来ました。
オリジナルがなくても転写が出来るんですね。
左が第1作目のヒマワリです。個人所蔵。
緑色の花瓶は1作目だけに使われています。
この絵の3輪のヒマワリは、2作目の幻のヒマワリと同じ構図です。 -
ミュンヘン「アルテ・ピナコテーク」蔵。
「7つのヒマワリ」は製作年代順に展示されています。 -
ロンドン「ナショナル・ギャラリー」蔵。
読売新聞社とロンドン・ナショナル・ギャラリーは、
2020年3月より上野の国立西洋美術館で、
2020年7月より大阪・中之島の国立国際美術館で、
世界初となる「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」を
開催すると発表しました。同館所蔵の約60点が来日します。
作品貸出に関しては極めて厳しく、これまで館外で所蔵作品展が
開催されることは一度もなかったといいます。
この絵は、ヒマワリの4点目にあたり、共同生活を送る予定だった
ゴーギャンの寝室を飾る目的で描かれたものだそうです。 -
新宿「損保ジャパン日本興亜美術館」蔵。
1987年に翌年の創業100周年のために約58億円で入手。
すごい話題となりました。
1888年11月の終わりから12月初め頃に描かれたものです。
ロンドンの作品と同じ構図、花、葉、花びら、花瓶の配置等が
同じとなっており、絵具がとても厚塗りで立体的に、
また花をブラシで流すように強く表現しています。
ゴーギャンはゴッホの招きを受けて、
1888年10月の終わりにアルルに到着。
そのすぐ後に、20mの粗目のジュートをキャンバス用に調達し、
それをゴッホと半分ずつ分け合ってキャンバスとしました。
その半分ずつ分け合ったキャンバスに、描かれた二つの作品が
並んで展示されています。
ゴーギャンの作品は
「アリスカンの並木路、アルル」
(アリスカンとはアルルの南東にある古代ローマの遺跡のこと)です。
ゴッホもアリスカンを描いており、
二人の短い蜜月期の作品となっています。
「損保ジャパン日本興亜美術館」は、移転準備のため
2019年9月30日~2020年2月14日は休館中です。
開館当初は「東郷青児美術館」であり、東郷青児からの寄贈品を主体に、
初期から晩年の油彩70点を含む、素描・版画・彫刻・タピストリーなど
約230点の東郷作品を収蔵しています。
現正式名称は「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」です。 -
フィラデルフィア美術館蔵。
ヒマワリ6作目であり、これまでのヒマワリとは微妙に異なる点が
多くあります。
青あるいはトルコ石の青緑色の背景です。
そしてひまわりを重ね、個々のひまわりの花に個性を持たせています。
ここのひまわりは14輪。
ヒマワリの花は色調がやや強く、強い個性を与えられています。
花瓶が黄色でヒマワリと並列的に一体を成しているように
表現されています。 -
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館蔵。1889年1月製作。
ロンドンとアムステルダムのヒマワリはとくによく似ています。
後に描かれた作品(アムステルダム)は、
模写ではないのかと議論が続いていました。。
ゴッホは、アルルでゴーギャンと共同生活をしようとしましたが、
破綻し、自身は精神病院に入院しました。
この時に見た「ヒマワリ」をパリに戻ったゴーギャンが欲しがったため、ゴッホは新たにもう1枚を描いたものの、
ゴーギャンに渡すことはなかったそうです。
3年にわたるハイテク調査で「模写ではない」との結論が出ました。
その成果は、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館で
2019年6月21日「ゴッホと『ひまわり』展」で公開されました。
「色そのものは片方にしかないものがあり、
絵の具の質感も、筆遣いも異なっていた」ということです。
2019年から門外不出となりました。
ゴッホのヒマワリは、ほとんどの作品は、
もう移動には十分に耐えられないほど破損しやすくなっているそうで、
「『ひまわり』の作品すべてを一堂に集めることはもうできない」と
言われています。
そのため、5つの美術館が協力して、自館所有のヒマワリに並べて、
他館のヒマワリの映像を展示するという展示会が行われました。
「大塚国際美術館」では、この貴重な7つのヒマワリが常設展示で
いつでも見ることが出来ます。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ作 「タラスコンへの道を行く画家」
1945年消失。
ドイツのマグデブルクの「カイザー・フリードリヒ美術館
(現:マグデブルク文化歴史博物館)所蔵
でしたが、1939年に第二次世界大戦が勃発し、
岩塩坑に疎開したものの1945年に行方が分からなくなりました。
焼失したのか確定できず、行方不明の作品となりました。
ゴッホは自画像の多い画家で、パリ時代は約30点も描いていますが、
アルルでは少なくなり、晩年はまったく描いていません。
他の自画像が胸から上の絵であるため、全身像が描かれたこの作品は
そうした意味でも貴重だったのです。 -
第61展示室
ゴッホから始まった「近代」の絵画は展示数が約330点です。
バロックの120点でもたいへんだったのに、
ここはもう見たことのある作品ばかりで、先に進めません。
入場者の人気も、うなぎ上りで人口密度が一気に上がります。
ウィリアム・ターナー作 「解体されるために最後の停泊地に曳かれて
ゆく 戦艦テメレール」ロンドンの ナショナル・ギャラリー蔵。
テメレールは大英帝国海軍の戦艦です。
イギリスの画家と言って最初に頭に浮かぶのが、このターナーです。
上野の国立西洋美術館でターナー展が開かれ、
初めて見たのがこの作品でした。
ターナーは、26歳の時にアカデミーの正会員になり、
作品が高く売れて、人気も高かった画家です。
人付き合いは悪かったけれど、その作品故に貴族に引っ張りだこで、
生活に不自由は無かったようです。
ターナーは1851年に亡くなり、遺言書によってナショナル・
ギャラリーにターナー専門の展示室を作ることを指示しました。
油彩と素描を合わせると2万点以上を寄贈しています。
しかし、専門の展示室はなかなか実現できず、100年以上たった
1980年にようやくテート・ギャラリーに常設展が開設しました。 -
ターナー作「雨、蒸気、速力:グレート・ウェスタン鉄道」
ナショナル・ギャラリー蔵。
ターナーというと、帆船と海だったり、古代遺跡の風景画という
イメージがありますが、ここでの主題は蒸気機関車です。
産業革命で発展していく大英帝国を描きたかったのでしょう。
初めてこの絵を見た時は、正直、ぼんやりした画面の中に
黒い塊があって、これで蒸気機関車なの?といった感想でした。
それでも、他の絵画にはない、空気を絵に描いたような
珍しい絵だと思ったものです。
「大塚国際美術館」には、ターナーの作品が5点展示されています。 -
ターナー作 「カルタゴ帝国の滅亡」
ロンドンのテート・ギャラリー蔵。1917年作。
1817年、ターナーはオランダとベルギーを旅行して、
この絵を描きました。
伝説上の女王ティドが建国したカルタゴは、
ローマとの争いに敗れて滅亡します。
ターナーは滅びゆくカルタゴを描くことで、
栄華を極めたナポレオンの帝国が崩壊したことを暗に伝えているのです。
カルタゴを描いた作品には、
1815年に描かれた『カルタゴを建設するディド』もあります。
「一点遠近法の使用や陽光が反射する海上の情景は、
フランス古典主義の巨匠クロード・ロランの
『上陸するシバの女王のいる風景』の影響が見られる。
ターナーの死後、遺言によって『カルタゴを建設するディド』は
『上陸するシバの女王のいる風景』の隣に展示されることになった。」
ということです。 -
フランソワ・ブーシェ作「 ポンパドゥール夫人の肖像」
ロンドンの ウォーレス・コレクション蔵。
フランス王ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人に気に入られ、
重用されました。
この辺りの肖像画は、この人の代表的な肖像となっているので、
どこかで見たことがある筈。
ブーシェの作品は4点展示されています。 -
モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール作
「ポンパドゥール夫人の肖像」
ルーブル美術館蔵。1755年作。
「ポンパドゥールは多くの肖像画に描かれたが、
この見事なパステル画はその中で最もよく知られたものの一つ。
書斎で楽譜を眺める夫人はふと顔を上げている。
椅子の上の楽譜や楽器、卓上の「百科全書」、足元の画帳は、
夫人の音楽や美術、文学に対する造詣の深さを示している。」
ルイ15世の寵姫であったポンパドゥール夫人は、
宮廷に芸術への深耕を深めようと試みた女性でもありました。
ルイ15世の孫であるルイ16世の妃マリー・アントワネットが
彼女のような女性だったら、フランスの歴史は違ったのでしょうか。 -
第62展示室
マリー・エリザベート・ルイーズ ・ヴィジェ・ルブラン作
「画家と娘」 ルーヴル美術館蔵。1786年製作。
1755年パリに生まれ、マリー・アントワネットに重用され、
肖像画を多く残しています。
ルブランは生涯で700点にものぼる作品を制作したと言われています。
「大塚国際美術館」には、この1点しか展示されていませんが、
『マリーアントワネットの肖像』は誰もが知っている有名な絵なので、
是非とも並べて展示して欲しいものです。 -
第63展示室
トマス・ゲインズバラ作「 犬を抱き壺を下げる少女」
ダブリンのアイルランド国立美術館蔵。
「ゲインズバラの人気を高めているのが、
晩年になってから手掛けたファンシー・ピクチャーで、
これは田園や農村を舞台とする一種の風俗画である。」
ゲインズバラは肖像画よりも風景画を好み、
リチャード・ウィルソンと共に
18世紀のイギリス風景画の創始者とみなされています。
また、ロイヤル・アカデミーの創設メンバーの一人でもありました。 -
ジョシュア ・レノルズ作「コクバーン夫人と三人の子供たち」
ロンドンのナショナル・ギャラリー蔵。
自然の忠実な再現ではなく、先人に倣った堂々たる構図・高貴な主題を
特色としています。
18世紀ロココ期の英国を代表する肖像画家。
ロイヤル・アカデミーの初代会長に就任しています。
イギリスの画家の作品には、あまり触れることがなかったので、
勉強になります。 -
第65展示室
ジャック=ルイ・ダヴィッド作「 レカミエ夫人の肖像」
ルーヴル美術館蔵。
「新古典主義の肖像画で最高傑作の一つに数えられている。
モデルは、裕福な銀行家の妻で、パリ社交界の花と謳われた
ジュリエット・レカミエ夫人。
当時上流階級の女性の間で流行した古代風の簡素な衣装を身にまとい、
古代人の習慣に従って長椅子に横たわる姿勢で描かれている。」
ルーブルで有名な絵画ですね。
この辺りからどんどん知名度が上がって行きます。 -
ドミニック・アングル作「 泉」パリの オルセー美術館蔵。
アングルはよく知られた作品が多いので、説明は要らないでしょう。
アングルという単語は、写真を撮る人にとっては
「被写体に対するカメラの撮影角度。また、その構図」を連想するので、
この名前は「名は体を表す」を地で行っているなと思ってしまうのです。 -
アングル作「 グランド・オダリスク」 ルーヴル美術館蔵。
「泉」を所蔵するオルセー美術館とは、セーヌ川を挟んで
斜(はす)向かいにあるルーブル美術館。
アングルを代表する2枚を分けっこしているんですね。
アングル・ファンはたいへんです。
背中が異様に長い女性となっていますが、
なぜかこれでいいように見えます。
「デッサンの名手だったアングルは、
より美しく理想的な形態を描くためには、
解剖学的な正しさなど意に介さなかったのである。」 -
アングル作「 トルコ風呂」 ルーヴル美術館蔵。
「アングルの裸体画の集大成ともいうべき最晩年の作品である。
骨も筋肉も欠いた生き物が身をくねらせているような裸体の大集合には、一種異様な迫力がある。」
芸術と言えば、そうなんだろうけど、
イスラム文化の人々はこれを見てどう思うんだろう?
風俗のトルコ風呂の方がある意味健全な気がするほど、
肉感的で不気味な画面です。 -
イチオシ
ジョゼフ=マリー・ヴィアン作「アモルを売る女」
フォンテーヌブロー宮殿美術館蔵。
もっと大きな作品の一部をクローズアップしました。
18世紀中頃になると、ロココから新古典主義へと変化して行きます。
ポンペイの発掘で発見された壁画をモデルに描かれました。
天使の羽根をつまんで売りつけるという行為がすごくおもしろいです。
天使の世話は、手がかかりそうだなあ。 -
第65展示室。
左上:カナレット作 「突堤:サン・マルコ港からの眺め」
ルーヴル美術館蔵。
左下:カナレット作 「カナル・グランデのレガッタ」
ロンドンのナショナル・ギャラリー蔵。
右上:カナレット作 「列柱廊のあるカプリッチョ」
ヴェネツィアのアカデミア美術館蔵。
右下:フランチェスコ・グァルディ作 「サン・マルコ広場」
ナショナル・ギャラリー
いずれもイタリアを題材とした風景画です。
カナレットは本名ジョヴァンニ・アントニオ・カナル
(Giovanni Antonio Canal)というヴェネツィア生まれの
イタリア人画家です。
ヴェネツィアのヴェドゥータ(都市景観画)を描いたことにより、
世界中にイタリアの観光ポスターを提供することになりました。 -
第66展示室
ウジェーヌ・ドラクロワ作「アルジェの女たち」 ルーヴル美術館蔵。
モロッコからの帰りに見たハレムをイメージして描かれた作品です。
アルジェはモロッコの東にあるアルジェリアの首都です。
モロッコからの帰路は、直接地中海を渡ってスペイン経由で
帰るのではなく、地中海に沿って東の陸路で帰ったのでしょうか。 -
ドラクロワ作 「民衆を導く自由の女神」 ルーヴル美術館蔵。
ルーブルに、これ無くして、どうしてルーブルたり得ようか
と言える作品です。
「大塚国際美術館」にはコスプレもありました。
「中央のたくましい女性像は日本では習慣的に「自由の女神」と
呼んでいるが、本来は「自由」の擬人像である。
とはいえ、この擬人像は、血の通った人間の存在感を具えてもいる」
ドラクロワ作品は5点展示されています。 -
第67展示室。
ヨハン・ヴィルヘルム・ティッシュバイン作 「カンパーニャのゲーテ」
フランクフルトのシュテーデル美術研究所蔵。1786~87年作。
「作者ティッシュバインの言葉によれば、「廃墟に座し、
人間が創り出したものの運命について思索する」ゲーテの姿である。」
ゲーテ(1749~1832年)フランクフルト生まれの詩人・
小説家。「若きウェルテルの悩み」の作者。
イタリア滞在中、「イタリア紀行」の旅行で訪れた
ゲーテと共に過ごし、描いた作品です。
この作品は、ちょっと変なことで有名だそうです。
右足が履いている靴が左用なのです。
これは近年の修復作業の際に間違ったものなのだとか。
そんなことってあるんですかねえ?
そもそもこの絵って、なんとなく左右の足の長さ・太さが
違うような気がするんですけど・・・ -
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ作 「無原罪の御宿り」
マドリッドのプラド美術館蔵。1767~69年作。
「無原罪の御宿り」とはなんぞや?キリスト教徒でないと
意味の分からない言葉です。
聖母マリアもまた処女懐胎で生まれたとする、理解不能なお話です。
なぜ、そんなに男女の交わりを否定しなければならないんでしょうね。
自分もそうして生まれ、結婚したのだろうに。
「足下には原罪の象徴であるリンゴをくわえた蛇が踏みつけられ、
キューピッドは、聖母の純潔を象徴する白い百合の花を持っている。
聖母の威厳に満ちた表情は、原罪から人類を解き放つ者としての
毅然たるマリア像である。」 -
第68展示室
カミーユ・コロー作 「モルトフォンテーヌの思い出」
ルーヴル美術館蔵。
60代頃から抒情性豊かな詩的絵画を描くようになり、
実景と空想の、ない交ぜになった風景画で人気となりました。 -
カミーユ・コロー作 「真珠の女」 ルーヴル美術館蔵。
ルーブルのHPには以下のように書かれています。
「この絵は、《モナ・リザ》を画家独自の世界に移し換えたものである。
かつては、若い娘の額に浮き出て見える小さな葉が
真珠だと思われていた。
モデルのベルト・ゴルトシュミットは、
コローがイタリア旅行から持ち帰ったドレスを身に纏っている。
コローの絵における真珠は、おそらく若い女性の頭部の上を覆っている
透明なヴェールに付いていて、
額にかかっている黒っぽい飾りのことを指しているのかもしれない。」
コローの作品も5点展示されています。 -
第68展示室は、細長い通路なので作品数が多いです。
コンスタン・トロワイヨン作 「耕地へ向かう牛」
パリのオルセー美術館蔵。
セーヴル焼の磁器職人の子に生まれたトロワイヨンは、
絵付職人から画家を志し、1840年代のはじめ、
パリ近郊フォンテーヌブローの森で制作していました。
やがてバルビゾンでテオドール・ルソーやポール・ユエらと交流し、
バルビゾン派の絵画観に共鳴します。
1847年、オランダに1年間にわたって滞在し、
風景の中に家畜、特に牛の群れや牛のいる風景を主に描いて、
バルビゾン派の動物画家として確立します。
バルビゾン派が描く自然は農村にあります。
これに対し印象派の描く自然は、背後に都市の存在を感じます。
パリに住む市民が休日訪れるパリ近郊の自然を描く。
そうした感覚があり、バルビゾン派とは価値観が全然違っています。
東京富士美術館(東京都八王子市)には「家畜の群れ」と言う作品が
収蔵されています。
山梨県立美術館には「近づく嵐」「市日」「サン・クルー公園の入り口」が収蔵されています。 -
ギュスターヴ・クールベ作 「エトルタの断崖、嵐の後」
オルセー美術館蔵。
クールベは、19世紀フランス写実主義の代表画家です。
「1869年の夏にノルマンディの海岸を訪れたことにより
新生面を開いたクールベは、海の画家、波の画家としても
広く知られるようになる。」
上野の国立西洋美術館の松方コレクションには「波」が
常設展示されています。 -
ギュスターヴ・クールベ作 「画家のアトリエ」
オルセー美術館蔵。(中央部分だけを写しています)
「画家の使命は、同時代の風俗、思考、習慣を描き、
生きた芸術を生み出すことである、というクールベの言葉は、
リアリズムの宣言として大きな意味を持っている」
クールベは、非常に頑固な性格で、1855年のパリ万博に出品した
14点のうち3点が落選したことに立腹し、
万博の向かいの建物で、自分の作品だけの展示会を開催します。
これが初めての「個展」と言われています。
「大塚国際美術館」には4点の作品が展示されています。
フランス・モンペリエのファーブル美術館蔵
『出会い(こんにちは、クールベさん)』などは
クールベを代表する絵なので、並べて欲しいな。 -
第69展示室。
エドゥアール・マネ作「 笛を吹く少年」 オルセー美術館蔵。
こちらもコスプレがありました。
コスプレは女性の参加が大勢を占めますが
(モナリザの彼は貴重な存在)、
この作品は題材が少年だけあって、
若い男性が並んで順番待ちをしていました。 -
第69展示室は、なだらかな坂の通路になっていて、
隣の第70展示室に行くのにショートカットの階段もあります。
名だたる有名絵画がずらっと並んでいるのに、
こんな通路状態でいいのか?と言いたくなります。 -
エドゥアール・マネ作 「フォリー=ベルジェールのバー」
ロンドンのコートールド美術研究所
「正面を向いたバーの女給とともに、
この絵のもう一つの主役ともいうべきは後ろの大きな鏡である。
虚実が交錯する空間とイメージの中、矛盾する実像と鏡像の位置関係に
(鏡の中の男女に注目)、芸術とは事実の再現、模倣ではなく、
あくまでも虚構・虚像であることを
改めて表明しているかのようである。」
これを読むまで、背景が鏡だとは思っていませんでした。
そうか、そうすると絵に奥行きが出て来るなあ。 -
マネ作 「バルコニー」 オルセー美術館蔵。
「1868年の夏、マネは港町ブーローニュを訪れたが、
そこでの散歩の途上で目にした光景を基に描いたとされる」
「最前列で扇を手にして座っているのは、
マネの弟ウジェーヌと結婚した女流画家のベルト・モリゾである。
きりっとした顔立ちと鋭い視線は、右の女性ヴァイオリニストの
ファニー・クラウスとは対照的な近代性を感じさせる。
二人の女性の白い衣の微妙な調和が美しく、暗い背景(後ろの給仕は
マネの息子のレオン)と鮮やかな明暗のコントラストを成している。」
ネクタイの紳士は風景画家のアントワーヌ・ギュメで、
レオンはその後ろの暗がりにひっそりと佇んでいます。
フランシスコ・デ・ゴヤの『バルコニーのマハたち』と
構図が似ていると言われています。 -
右はオーギュスト・ルノワール作 「団扇をもつ少女」
アメリカ・ウィリアムズタウンの クラーク美術研究所蔵、
左はルノワール作「読書する女」 オルセー美術館蔵。
ルノワール展なら、もったいぶってど~んと置かれるような絵が、
通路の壁にぎっしり並べられているのが
「大塚国際美術館」の贅沢なところ。
狭い所に人が集まってしまうので、撮るのはちょっとたいへん。
むしろ、第70展示室に上がってしまって、上から見ると見やすいです。 -
左上、ルノワール「桟敷席」ロンドンの コートールド美術研究所蔵。
左下、ルノワール 「アルジェリア風の衣裳を着たフルーリ嬢」
アメリカ・クラーク美術研究所蔵。
右上、ルノワール 「コンサートにて」 クラーク美術研究所蔵。
右下、ルノワール 「セーヌ川の舟遊び」
ロンドンの ナショナル・ギャラリー蔵。 -
ルノワール作 「ブージヴァルのダンス」 ボストン美術館蔵。
女性モデルは、シュザンヌ・ヴァラドンといい、
ユトリロの母なんだそうです。
ブージヴァルは、パリ近郊のセーヌ河畔の行楽地です。 -
「都会のダンス」 オルセー美術館蔵。
隣に展示されている「田舎のダンス」と対になる作品です。
「田舎」は、背中を向ける男性と、手に扇を持ち赤い帽子に
白いドレスが目を引くふっくらとした愛らしい女性が描かれています。
のちにルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴです。
「都会」の方の女性は、「プージヴァル」のモデルと同じ、
シュザンヌ・ヴァラドンです。
「都会」の方は、「田舎」に比べて大人しすぎて、
印象に残らない気がします。
「対」だからおもしろいんでしょうね。 -
ルノワール作 「マルゴの肖像」 オルセー美術館蔵。1878年作。
「1870年代の後半に、しばしばルノワールのモデルとなった
マルグリット・ルグランがモデルで、マルゴというのは愛称である。
この絵が描かれた翌年には彼女はもうこの世の人ではなかったが、
貧しい彼女の治療費から葬式の費用まで面倒を見てやったという。」
この絵が未完成なのは、マルゴが病床に在ったからなのかもしれません。
でも、未完成故(ゆえ)の余韻のようなものが感じられて、
完成品よりも個人的には好きです。
「大塚国際美術館」のルノワールは14点ありました。
日本人は好きだからね~。
かつて銀行でカレンダーを配っていた時代、
ルノワールの絵のカレンダーをよく見掛けました。 -
第70展示室。
クロード・モネ作 「キャピュシーヌ大通り」
アメリカ・カンザス・シティの ネルソン=アトキンズ美術館蔵。
「キャピュシーヌ大通り」と言う作品は、
この他に横型の作品もあります。
こちらは、夕日が当たっているのか建物が金色で明るく、
モスクワのプーシキン美術館で所蔵されています。
モスクワじゃ複写は無理かもしれないけれど、
是非2枚を並べて見たいなあ。 -
クロード・モネ作 「日傘の女」 オルセー美術館蔵。
オルセー美術館には、同名の絵が対になって飾られています。
本作品は左向きですが、もう一方は右向きです。
「右向きは日差しが上からで、陰もなく風も弱い。
左向きは時間が経って影が左に伸び、
風が出てスカーフは左方に舞い、ドレスも草も揺れる。」
女性の向きだけでなく、日差しや風、時刻の移り変わりを表しています。
こちらも是非、両方の展示をして欲しいです。 -
モネ「ルーアン大聖堂」 オルセー美術館蔵。
「ルーアン大聖堂」は、モネの連作でよく知られた作品です。
ルーアンのセーヌ河右岸の旧市街に建つノートル=ダム大聖堂は、
フランス・ゴシック建築の見事な建物です。
この大聖堂のファサードを、モネは夜明け直後から日没直後の
さまざまな時間で、また異なる天候のもとで描き出し、
総計33点となりました。
箱根のポーラ美術館にもそのうちの1枚が展示されています。
出来ることなら、「7つのヒマワリ」のように、
「33の大聖堂」・・いやその半分でも並べられないかな・・・ -
モネ作 「睡蓮:緑のハーモニー」 オルセー美術館蔵。
1900年に画廊で展示した連作「睡蓮の池」の1点。
この橋は、「大塚国際美術館」の地下2階に再現されています。 -
モネ作 「ゴディベール夫人の肖像」 オルセー美術館蔵。
「この絵が描かれたころのモネは経済的に困窮の極みにあり、
自殺を図ったほどであるが、
その時救いの手を差し伸べたのが、ルイ・ゴディベールであった。
彼は自分と妻の肖像を注文し、モネは窮地を脱した。
夫人は斜め後方から描かれているため、
その顔はほとんどわからない。
むしろ衣装の光沢や豪華なショールなど、
いわゆる衣装画の伝統に連なる作品である。
注文によった作品だけに、細部に至るまで丹念に、
丁寧に描いた跡が見える。」 -
第71展示室。
エドガー・ドガが固まって展示されています。
「ダンス教室」 オルセー美術館蔵。
「花束を持つ踊り子」 オルセー美術館蔵。
「舞台の踊り子(エトワール)」 オルセー美術館蔵。
ドガは10点、展示されています。 -
カミーユ・ピサロ作 「モンマルトル大通り」 エルミタージュ美術館蔵。
ロシアの美術館での複写があったことに驚きました。
デンマーク系フランス人。印象派の最も中心的存在でした。
風景画が中心だったせいか日本での知名度はちょっと低め?
「大塚国際美術館」の展示数はたったの2点です。
ファンとしては大いに不満です。 -
アルフレッド・シスレー作 「ポール=マルリの洪水」
オルセー美術館蔵。
1876年、雪解けの水により起こった川の氾濫を連作で描いた
6点の作品の中の1点です。
画面中央には洗濯小屋を、画面左部に2階が「ア・サン・ニコラ」という宿屋になっているワイン商の家屋を、そして画面右部には
岸に沿って垂直に生える栗の並木が描かれています。
同じオルセー美術館に「ポール=マルリの洪水と小舟」も
収蔵されています。 -
シャルル・アングラン作 「夜明けのセーヌ」
ジュネーヴのプティ・パレ美術館蔵。
「スーラに影響を受け点描と色彩分割という新印象主義の手法で描いた」
こっちの点描画の方が繊細で好きだなあ。 -
第72展示室。
ジョルジュ・スーラ作 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
シカゴ美術研究所蔵。
点描画というものを初めて見たのが、この作品でした。
全体的に動きがなくて、面白みがないなと思うのですが、
意外に有名ですね。 -
第68展示室に戻りました。
ジャン・フランソワ・ミレー作「晩鐘」オルセー美術館蔵。
「晩鐘(アンジェラス)とは夕べの祈り、
あるいはこれを告げる鐘の音をいう」
教会の鐘の音で祈りを捧げる農民の姿は、
1857~59年に描かれた時点でも
「古き良き時代」の懐かしい風景だったのでしょう。
私がこの絵を知ったのは、ジグソーパズルでした。
ほとんど同じ色調だから難しかったです。 -
クロード・モネ作「ラ・ジャポネーズ」
ボストン美術館蔵。1876年作。
誰もが見たことのある赤い着物が印象的な一枚です。
「着物に縫い取りされた髭面の男と、
画家の妻カミーユの愛らしい表情とが好対照をなし、
後ろの壁に飾られている団扇の中の花魁(おいらん)が、
着物を着たブロンド娘を驚いたように振り返っている
(かのように見える)のは、モネの巧まざるユーモアであろうか。
幸せいっぱいのカミーユであるが、
この3年後わずか32歳の若さで世を去ることになる。」
カミーユの持つ扇の色は、フランス国旗のトリコロール。
それを考えると、団扇の花魁はモネが配置したものと思われます。 -
「大塚国際美術館」では、この絵のコスプレもありました。
背景が高すぎて、件(くだん)の花魁とは
全然目線が合わないのが残念でした。 -
ジェイムズ・アボット・マクニール・ホイッスラー作
「バラ色と銀色:陶磁器の国の姫君」
ワシントンのフリーア美術館蔵。1863~4年作。
ホイッスラーは、アメリカ人画家で、
ロンドンとパリを中心に活躍したジャポニスムの巨匠です。
彼のジャポニスムの代表的な作品
「ノクターン:青と金色-オールド・パターン・ブリッジ」では、
歌川広重の「名所江戸百景:京橋竹がし」からの影響が見られます。
第72展示室に展示されています。
「陶磁器の国の姫君」は、注文者の気に入らず、
受け取りを拒否された後、ホイッスラーの後援者である
フレデリック・レイランドが購入しました。
彼はこの絵のために食堂を改装し、
「孔雀の間」と呼ばれることになります。
レイランドの死後は何人かのコレクターに所有された後、
孔雀の間と共にチャールズ・ラング・フリーアが買い取り、
スミソニアン博物館群の一つであり彼の名を冠した
フリーア美術館に所蔵されることになりました。 -
ジョン・シンガー・サージェント作
「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」
ロンドンのテート・ギャラリー蔵。
アメリカ生まれの画家で、英仏の上流階級の肖像画家として
人気がありました。
タイトルは、当時のポピュラーソングの一節を
取り入れたものになっています。
子供たちが手に持った提灯が、ハロウィンのようで
不可思議な情景を醸し出しています。 -
イヴァン・クラムスコイ作 「見知らぬ女」
モスクワの トレチャコフ美術館蔵。
「この絵は、クラムスコイの最大傑作の一つとして
ロシアにおけるモナ・リザ的な地位を占めている。
金持の愛人、高級娼婦、あるいは小説の女主人公など、
その正体を巡っては諸説あるが、いずれも決め手を欠いている。
表情は冷たく気位が高いようにも見えるが、
淋しく思い深げな哀愁をたたえているようでもある。
こうしたある種の心理的、内面的な曖昧さ、多面性が
「見知らぬ女」の魅力となっていることは疑いない。」
一見、鼻持ちならない女に見えるのに、
その背後に垣間見える哀愁が目を引く作品です。
今回は、ここまで、次回から第74展示室に行き、
ゴッホやロセッティ、そして女性に人気の高い
ギュスターヴ・モローへと進んで行きます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- tomomoさん 2020/09/18 00:17:38
- はじめまして!
- こんばんは。初めて拝見させていただきました!
こんな情報量を無料で読ませてもらっていいんでしょうか??(;O;)
分かりやすく解説してくださってありがたいです!
前に行ったときは知識もないままで行ったのでミズさんのブログでお勉強してからまた行きたいと思いました!
ちなみに私はシスレーが好きです(*^^*)
- ミズ旅撮る人さん からの返信 2020/09/26 03:59:23
- RE: はじめまして!
- tomomoさん、初めまして。
返信がたいへん遅くなりまして、申し訳ありません。
シルバーウィークはずっと旅行をしていて、今、1週間ぶりにパソコンを開いて、掲示板の書き込みに気づきました。
> こんな情報量を無料で読ませてもらっていいんでしょうか??(;O;)
> 分かりやすく解説してくださってありがたいです!
ただ、撮って来た写真を載せるだけでは、つまらないので、いろいろ調べているうちに、なんだかやたらと重たい内容になってしまいます。
特に大塚国際美術館は、4回に亘って、長々と書き連ねていて、こちらこそ、よくぞご覧くださいましたと、お礼を言いたいです。
> 前に行ったときは知識もないままで行ったのでミズさんのブログでお勉強してからまた行きたいと思いました!
お役に立てて、嬉しいです。照れ照れ (^^ゞ
自分が楽しむだけでなく、この情報が誰かの役に立てばいいなと思いつつ、旅行記を書いています。
> ちなみに私はシスレーが好きです(*^^*)
私もシスレーの落ち着いた色彩が好きです。
大塚国際美術館は、非常に多岐に亘る展示品があるので、誰もが好みの絵を見つけることが出来るのがいいですね。
そろそろ「芸術の秋」になって来ました。
すてきな秋になりますように。
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