2019/10/19 - 2019/10/20
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swalさん
コロナ、コロナで
自粛で参る毎日
海は入るな、近づくなの何故かバッシングも浴びて
軟禁状態??
ちょっと昨年の旅記
全く関心などない方がほとんどの場所、福岡県の筑豊(ちくほう)地区
UPするつもりなかったけど、こういう時期、過去旅を見つけ
もしや関心ある方がいれば、まあ見てくださいの旅行記
いつか必ず・・・
この街へ
学生時代、余りにも思い入れが強かったこの筑豊
あれは高校のとき、夢を見たんだ
いまでも覚えている・・
筑豊、炭鉱に暮らす子供達が、炭住(炭鉱に勤める方々の社宅)の横の公園でブランコに乗り楽しいそうに遊んでいる・・
潜在的な、どこで知ったのだろう
不思議な夢だった
筑豊・・・
高校時代、ちょっと社会的な出来事に関心を持ち、「人」を対象に写真ばかりを撮り歩いていた
8月6日広島
都電沿線界隈の下町暮しにかなり追った
当時新宿地下街は浮浪者の溜まり場、撮りまくった
追っかけられたな
東口あのアルタ前はパンパン(ビニール袋にシンナーを入れ吸っている不良)やってる目がすわってしまう不良達
やつらにも追っかけられた、若い連中は手ごわい
だから自慢じゃないけど、走るのと、さっと逸れて巻くことは速い(笑)
そんな時に見た夢が筑豊だった
撮ろう
行こう
「筑豊のこどもたち(写真家土門拳)」に憧れて
次の休み、16時30分東京発寝台特急ブルートレイン一番列車のさくら
三段寝台に乗り筑豊へ
何回通ったんだろう
40年ぶりの筑豊だった
様変わりしていた
ほとんど記憶と合致しない中
新しい出会いもあった
再訪しよう
そしてあの頃の筑豊を
地元で写真展・・・若い頃からいつか出来ればなとずっと思ってた
そんな夢が実現出来るかも?のきっかけの筑豊の旅だった
-
まだコロナなんど全くの韓国帰り
ソウルから北九州へ3,000円ちょいで飛ぶ
大好きな小倉に泊まり
今日、鹿児島本線折尾に鹿児島本線、駅弁かしわめしの折尾駅 by swalさん折尾駅 駅
-
懐かしい駅だ
東京から夜行寝台で北九州折尾に着く
左カーブのホームでね
珍しい立体交差のホームが
最近改装されてしまった
眼下は川沿いの飲み屋街がある -
かなりニッチは話なので
折尾はここで、これから下の直方(のおがた)に -
筑豊本線に乗り換える
かつての石炭積み出し港、若松へ行く幹線だった
新エネルギー政策で石油へ
そのあと寂れる一途の路線が
凄いことになっていた
こんな車両が -
DENCHA
充電式の電車のようで
まさか筑豊で・・
ビックリ -
最近導入されたらしい
今や、このあたりも博多・福岡圏なんだ -
懐かしい駅が続く
鞍手
このあたりから小規模な炭鉱があった鞍手駅 駅
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昼前に懐かしい直方へ着く
様変わりして全くあの頃の印象と違い過ぎる駅直方駅 駅
-
これからかつて沢山の炭鉱があったこのあたりのお話です
筑豊三大都市
①がここ直方
②が飯塚、あの麻生副総理の地元
③が田川、「月が~出た出た、月が~出たっ♪」の炭坑節の故郷
これから明日の今頃までの丸1日をここで歩きました -
整備されがらんとした駅前
全く記憶と違い過ぎて
それはそうでしょう、そんな昔と・・・
商店街を歩き石炭記念館を訪ねる -
駅前食堂が
古くからの食堂のよう -
商店街
石炭最盛期は人が溢れ華やかなだったんだろう
直方市人口は5.6万人 -
質屋さんかな
もう何十年変わっていなだろう看板 -
閉店したシャツター
こういうところでよく見かけるピースボートのポスター
今、コロナで大変なことになってるよう・・・ -
立派な建物が
旧福岡銀行南支店跡に当時のままを立て替えたという直方市美術館別館直方谷尾美術館別館 (アートスペース谷尾) 美術館・博物館
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ふるまち通りという商店街を抜け
-
懐かしい・・
グリコポッキー、森永チョコボール、オロナミンC
市外局番が一桁のころ -
多賀神社の階段を上り、橋を歩き筑豊本線を渡る
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筑豊の歴史を残す拠りどころ的な石炭記念館
駅のすぐ裏だった記憶があるんだけど、ここまで15分ぐらいかかる
記憶なんていい加減なものだ、と思った
昔は右の展示館だけだったけど、立派な新館が建てられていた
良かった、良かった筑豊炭田の歴史を知ろう、直方市石炭記念館 by swalさん直方市石炭記念館 美術館・博物館
-
旧館から
多分2回目の訪問
受付でなかなか話の面白い館長がいるので、今他の団体さんの案内をしてるから一緒に聞いてくださいね、と
この建物は明治43年、筑豊石炭鉱業組合直方会議所として建てられ、現在石炭関連でもっとも由緒ありの建物 -
その後筑豊石炭鉱業組合救護訓練所になり、今は記念館として引き継がれている
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中央に伊藤博文
その後ろに筑豊炭田を築いたひとりの石炭王麻生太吉(麻生副総理のひいおじい様)の写真 -
筑豊一帯は凄い数の小さな炭鉱があった
それを組合をつくり組織化していった
貝島太助、麻生太吉、安川敬一郎、堀三太郎、伊藤伝右衛門の5人で組織化していったそうだ
そして炭鉱経営で強大な富を得て、その後議員になったり
炭鉱は一攫千金を狙う沢山の衆が全国から集まった
過酷な重労働だけに抗夫を含め気性荒く「やくざな世界」だったと聞く
そして石炭積み出しの川、遠賀川(おんががわ)から川筋気質と言われていた
お前達ボンボンとは違う
筋を通す
熱く生きる
なるほどね -
麻生太吉、小さな炭鉱経営経営から、今の筑豊本線前身、筑豊興業鉄道設立に尽力、以後炭鉱経営から、病院、電気、セメントなどの多角経営を行い各業界へ与えた功績は大きいと
副総理もその代々を継いで来たわけだな
川筋気質そのもの、ズバッと言っちゃうけど、でも恨めない人だなぁ・・というのが個人的感想
嫌いじゃない -
当時の炭鉱立体模型
忠隈、小竹、鯰田、漆生、上山田、懐かしい名前が続く
自分の若い時はすでにひとつのヤマ以外は全て閉山していた
閉山後この界隈で暮らす人たちを撮り歩いた -
今晩いく田川市
香春岳と炭坑節に煙突が -
後に財閥系が入り主要炭鉱も再編近代化されていった
-
最後に残った貝島炭鉱の露天掘り
裸になった石炭層を外から削るような露天掘り -
貝島炭鉱鉄道が国鉄旧筑前宮田駅まで石炭を運んでいた路線
あのころ操業していた唯一の炭鉱だった
このネガも実家に残っているかもしれない -
そうそうこんな機関車だったな
炭鉱そばの踏み切りで撮った記憶が -
記念館前に綺麗に保存されてる貝島炭鉱鉄道の機関車が残る
-
記念館から駅方面
筑豊本線の核となる直方機関区があったね
筑豊の石炭のほとんどは、この筑豊本線の終着駅若松まで貨物で運ばれ
港から積み出された
若松も昔はかなり物騒な町で
北九州はK会とか恐い人たちの抗争も -
直方機関区跡
あそこの車庫に扇形の機関庫があった
もうSLは卒業していたな
(SL旅は小・中学校で卒業・・笑) -
先の見える橋が前の写真を撮った橋
-
飯塚の筑豊富士と呼ばれたボタ山、旧忠隅炭鉱
ボタ山は地下から石炭を採掘したときに混ざる捨石等を積み上げた山のこと
ここは麻生太吉のヤマ
この旅行記に表紙写真です -
館長の八尋さん
貴重はお話をたくさん頂いた
ありがとうございました
また、その後ご丁寧にお手紙まで頂きました
ちょっとお話頂いた写真展、やれればな
旅から戻り実家の押入れから、筑豊の当時の暮らしのネガ約50本ぐらいが残っていた
多分撮った半分ぐらい
あとは無かったけど、この自粛期間にデータ化させよう
八尋さん、今度はとりあえず写真を持って伺いますね -
隣りの多賀神社へお参りして
筑豊直方のシンボル多賀神社へ by swalさん多賀神社 寺・神社・教会
-
直方駅前へ戻る
元気な店が数店、頑張れっ!!と -
ワンコインのカフェが
-
カレーピラフを頂きましょ
ボリュームあり冷凍でないのでよし
こういうローカルが好きだな -
お洒落な直方駅から
-
またまた洒落たこんな車両に乗る
あの炭鉱路線が今やお洒落な「福北ゆたか線」という
タマゲタ -
鯰田
遠賀川の東、鯰田抗の跡地で荒廃した一角だった駅鯰田駅 駅
-
ああ、飯塚だ・・
忠隅のボタ山が
筑豊富士、木が立ち綺麗な山に
姿はあの頃のままボタ山(筑豊富士) 名所・史跡
-
飯塚に着く
飯塚駅 駅
-
みどりの窓口
これ、あまり見ない昔からの看板だね
JR九州だからあえて残しているのかもね -
隣りの新飯塚が中心で、飯塚駅周辺は何もない
ここいい飯塚市は人口13万弱の筑豊最大の街
新飯塚まで歩こう
約4kmぐらい -
石炭全盛期だったころの店跡も
土手の先は遠賀川 -
川を渡り
あの上流が新飯塚遠賀川 自然・景勝地
-
筑豊のシンボルだな
-
ちょっと名の知れた歌舞伎の嘉穂劇場
-
ヤマの最盛期時期は凄い盛り上がりだったのだろう
なんたって日本の資源産地ど真ん中の筑豊
青森の小坂の康楽館も似ている嘉穂劇場(飯塚市) 名所・史跡
-
見学は出来ます
今や来る人も限られているだろう -
飯塚のメイン本町通り
-
賑やかだった戦前、昭和12年か
-
うんうん
こんなだった忠隈のボタ山
昔を懐かしむ典型的なジジイに
ヤバイ・・・ -
パチンコ屋かい(笑)
-
新富町、しょっちゅう喧嘩があったに違いない飲み屋街跡
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もう、ほとんどやっていない
飯塚、今度泊まりで来たいな
場末のバー?で、あの頃の話を聞きたい -
遠賀川をまた渡り
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おお、ありましたよ
麻生太郎事務所
あまりにも質素すぎビックリ
地元ではこんなものなの??と
帰るのは年1回ぐらいなのかな -
おっ、美味そうな中華
五龍かい -
新飯塚へ
新飯塚駅 駅
-
今日は炭坑節の発祥の町、田川に泊まる
後藤寺線というローカル線に乗る
福北ゆたか線とは全く違う2両編成のローカル車両 -
直方、飯塚と今日は歩いた
また次がこの町にはあるような・・・ -
灯りも暗い
さらに昔へ行くような線?? -
読めない駅看板
下鴨生駅
あれ??
このそばの旅館に泊まり地元の方と飲んでベンロンベロンの二日酔いした駅??
思い出せない
けど、ホームの形が似ている -
田川後藤寺に
ここ田川市は、後藤寺町と伊田町が合併して出来た市(かなり前)
人口は4.6万人、最盛期は10万都市
ここは旧後藤寺地区
明日伊田に行く田川後藤寺駅 駅
-
もう知る人も少ないかも、炭坑節
-
ここは取り残されたような駅だった
直方、飯塚とはまったくの別世界だ・・ -
駅は平成筑豊鉄道という3セクと同じ駅で
-
合同同窓会の建て看板
おお西田川高校かい!
あの頃は恐いものが無かった
当時筑豊の炭鉱の歴史を熱心に研究されていた高校が西田川高校
いきなり訪ねて先生にいいお話聞かせていただいた思い出の高校だ
高三か大学一年頃だったな -
田川の銀天街
昔そのまま
この横断歩道が悲しい -
まったく人はいない
寂れ過ぎて・・ -
今日の宿はここ
志津香旅館
もしや・・あの時田川に泊まったのはと
思い出せない微かな記憶
今や、田川には旅館、ホテルなどほとんどない
いつも飯塚の先八木山のユースホステルの泊まり筑豊に来ていた
あの日は、ボクシングの世界タイトルがあって絶対見たいと泊まった田川の旅館だった -
ああ、ヤッパリここだ
強烈に赤のカーペットとクネクネした回廊
間違いないわ
まさか、再訪するとは・・・
予約電話
女将の応対が余りにも丁寧で感じ良すぎた
館内はかつての賑わいを髣髴されるような手入れされていた
1泊2食7,500円込
あの時は忘れない5,000円だったな -
おっと・・・
これ豪華過ぎない!!
割烹旅館とはいうものの、あのお値段は普通民宿価格 -
部屋食で
テレビを見ながら
ああ、田川にいるんだ・・・
しみじみの40年の夜かな -
いやいや、ふぐの薄造りだよ
-
鰻の蒲焼、厚いし
蝦の2種の刺身も -
サーモン
綺麗に盛り付け
これ、目で美味しいさ -
メロンまでね
これで7,500円かい -
館内は大広間も
炭鉱最盛期は、毎晩宴会が続いて・・と女将が話してくれた
今は全くですと
でも凄い凄い
妥協せず、広い旅館の隅々まで整然とされている
素晴らしい筑豊の宿だ -
おはよう
ちょっと小雨模様の朝 -
またまた美味しい朝食を
御馳走さまでした田川後藤寺駅 駅
-
それほど宿泊する人はいないだろう
でも館内に寂れ感が全くない
陶器や絵画がきっちり飾り、館内は綺麗な真っ赤なカーペット
女将は川筋気質の旦那衆を切りまわしてきたハズ
ずっとこの筑豊の繁栄から今を見てきたに違いない
帰り際、玄関で正座され、床に手と頭をつけ、深々と挨拶をされたのにはビックリした
最後に残る一軒はそう言うことなんだな、一時が万事
筑豊を生きてきた女将のオーラに敬服
素晴らしい宿だった
コロナ終わり、いろいろあの頃のデータ整理できたらまた伺います
お元気にしてくださいね!! -
余りに時がたち記憶が少ない
伊田へ -
この上は後藤寺機関区だったな
-
このあたり歩いているハズ
-
あんまりこんなのばかり撮ってもな、と思いながらも
-
田川のもうひとつの町、伊田へ
きっとこのあたりも歩いてる -
人口減半端の跡
-
田川市の石炭記念館へ
-
ここも立派な施設だ
-
時間がないので見学はパス
受付前モニターで懐かしい映像が
炭住がかしこにあった
そしてこういう写真を取りまくった -
高台にありいい眺め
-
正面がシンボルの香春岳
手前右側の小山は、田川市に唯一残るボタ山の跡 -
記念館は公園の中に
炭坑節の三井田川坑の煙突が保存されている
立抗のやぐら、イギリス製だったらしい -
裏の駐車場では田川市福祉祭りが
時間があればな・・
また来る町だから -
伊田駅
JR日田彦山線と平成筑豊鉄道が乗り入れている
昔ながらの駅が残る -
駅前の伊田商店街
-
時間もあるだろうが、こんな感じだった
-
駅は町活性化で新しく立て替えられ、駅舎上はちょっとお洒落なホテルに
しかし、仕事以外にはあまり来る目的は少ないだろう田川伊田駅 駅
-
JR側ホーム、シンボルの煙突
どこからみてもいい -
旧国鉄伊田線を引き継ぎ第3セクター平成筑豊鉄道伊田線に
昨日行った直方まで乗る -
九州発のアメリカ型大型ディスカウントストアMrMax、スポンサーかな??
-
ホームはJRもどちらもまったく当時のまま
-
昭和の駅、そのものが残る
-
石炭貨物や行きかう旅客で賑やかだったころの路線が
-
糒(ほしい)へ
-
懐かしい駅
何も無い駅に降りたな
駅の横には旧糒炭鉱のボタ山とその暮らしがあった
それを撮りに降りた
筑豊に初めて来た時だったな -
うう、もうわかない
あの右の小山がボタ山跡なんだろうか
当時の写真が残っていれば持っていずれ訪ねようと思う -
こんな景色が続く
-
車内はそれなりに乗車あり
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金田駅
比較的賑やかな金田町だった金田駅 駅
-
中泉、国鉄時代そのもの駅
ホームに床屋があったのかな -
直方に到着
最近流行のイベント列車が -
フレンチコースを楽しみながら筑豊を走る旅
約4時間で1万8千円とか、いやいや
ご褒美旅にはいいかもしれない -
いいね、いい1日を!!
-
せわしない昨日の昼からの筑豊だった
昼前だけど、これから、今日どうしても行きたいところがある
日本の近代化に大きな役割を果たした筑豊
最盛期の頃石炭産業の遠い将来を見越し
石油の時代が必ず来ると
北九州出身の出光創業の出光左三は決意した
こんな旅していると、点が線に、繋がっていくような気がするな
近いうち(2020年)再訪、あの頃の写真を持ち、今の筑豊を歩いてみよう
海賊と呼ばれた男を訪ねて・・台風最中に来てしまった門司、そして宗像大社へ
https://4travel.jp/travelogue/11555002
1泊2日北九州市若松レトロ&昭和の小倉街歩き&北九州の離島「藍島」の爺ちゃんいつまでもお元気でツアー
https://4travel.jp/travelogue/11132768
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