2019/08/15 - 2019/08/21
597位(同エリア1078件中)
あるさん
イスタンブール経由でポーランド一人旅してきました。ターキッシュエアラインズ利用での、東欧旅の備忘録です。
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8時に朝ごはん。いよいよポーランド旅のスタートです。よくあるビュッフェ形式の朝食でしたが…ポーランドは蜂蜜が有名ということで、蜂蜜食べ放題でした!!左上のがそれです。朝から幸せです。
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まずは文化化学宮殿にきました。ホテルから徒歩3分です。日中見るのと、昨夜のライトアップとでは全然印象が違います。ワルシャワを一望できるという展望フロアを目指します。
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展望フロアのオープンは10時で、その10分前には来たのですが…既にエレベーター待ちの行列ができてました。結局自分は20分ほど待ちましたが、最後尾は30~40分は待つことになっていたと思います。やはり土曜の朝一は混むのでしょうか?
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展望台からの眺めです!天気も良くて最高でしたー。見渡す限りの平地で、国名通り、本当に山のない平原の土地なんだなーと実感します。
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展望フロアはこんな感じです。10人ほどしか乗れないエレベーター2台でピストンしているので、下の行列の割に展望フロアは空いています。これで料金20PLNなので、一見の価値ありのスポットだと思います。
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文化化学宮殿を後にし、歩くこと20分。ワルシャワ蜂起博物館に到着しました。大人1人で25PLN。入場券を買い列に並ぶのですが、これがまた大行列でした…。結果、入場するのに40分ほどかかりました。
この施設は第二次大戦末期のワルシャワ蜂起にフォーカスした博物館です。第二次大戦中の苦難の時期から始まり、8月の蜂起、そして蜂起が鎮圧されるまでの状況をわかりやすく展示しています。 -
博物館内にはこのような日めくりカレンダーがいたるところに設置されています。これはワルシャワ蜂起中のある1日の記録(天気や気温、その日の戦闘など)で、これを66枚全て集めると、ワルシャワ蜂起の全日の記録を辿ることができる、というものです。
正直博物館内の動線はめちゃくちゃなので、この日めくりカレンダーの数字を頼りに進んでいかないと上手く館を回れません笑 -
博物館自体が新しく、体験型のミュージアムという印象を受けました。例えばこの写真は地下道を再現したもので、当時の蜂起もこういうところに隠れていたりしたのかな、と体感できました。その他映像やジオラマも多くあり、約20万人のワルシャワ市民が死亡するという重いテーマがソフトに、わかりやすく展示されています。
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一旦ホテルに戻るべく地下鉄を利用します。地下鉄の入口はこんな感じでとても目立ちます。
ワルシャワの地下鉄は南北に通る1号線と東西に通る2号線があるようです。 -
ワルシャワ蜂起博物館最寄りは地下鉄2号線のRONDODASZYŃSKIGO駅です。が、まさかの入口には駅工事中につき閉鎖の看板が…。8月10日から18日までという事なのでめちゃくちゃな長期的なものではないようで、不運だったと諦めます…。
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centrum駅までの地上の道中には、ビルの壁とかに描かれたアートな絵がところどころにありました。例えばこちらはビル一面の兵隊のマリオネット。
可愛さと気持ち悪さが同居しててcoolです!笑 -
ホテルに一旦戻り、centrum駅から地下鉄にリベンジします笑 今度は地下鉄1号線でRatusz Arsenał駅(アーセナル市庁舎駅)に向かいます。
初のワルシャワ地下鉄でしたが、なかなか駅も車内もお洒落ですし、危ない雰囲気もありませんでした。またワルシャワはメトロもトラムもバスも同一切符で、自分は市内の移動は全て3.4PLNで20分乗り放題の券を使用しました。 -
Ratusz Arsenał駅から歩くこと15分。旧市街の王宮広場に到着しました。中央駅周辺の雰囲気とは全然違い、観光客もたくさんいます!
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第二次大戦で破壊された街を、戦後社会主義の苦難の中、ワルシャワ市民は戦前と全く同じ姿に復元しました。市民の復興への熱意とその取り組みが評価され、この場所はワルシャワ歴史地区として世界遺産に登録されています。
昔のものがそのまま残っていることも素晴らしいですが、昔の物を残そうとした成果が遺産となるということにも、感動しました。 -
少し旧市街を探検します。雰囲気はプラハとかに似てます。
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旧市街広場に出ました。見える建物すべて復興したものとは、驚きです。
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旧市街広場の中央には、人魚像が。ワルシャワには人魚伝説があり、人魚はワルシャワのシンボルだそうです。
めちゃくちゃ強そうです笑 -
気づけば15時…ということで遅めのランチです。入った店は「Zapiecek(ザピエチェク)」。何となしに入ったお店ですが、雰囲気はとてもいい感じです。
後から知ったのですが、同名のチェーン店がワルシャワ内に多数あるようで、そことはまったく違うお店のようです。 -
まず頼んだのはレモネード(19PLN)とジュレック(24PLN)。ジュレックはパンをくり抜いた中に酸味のきいたスープが入ってて、ボリューム満点。美味しいです。
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そしてやはり王道ピエロギは外せません!ほうれん草とチーズのピエロギ(25PLN)を頼みました。
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デザートは「季節のケーキ(15PLN)」を注文しました。出てきたのはラズベリーケーキ。横についている赤い実は「レッドカラント」というそうです。甘酸っぱうまい系です。
昼から贅沢をしてしまいましたが、味も量も大満足のお店でした! -
腹ごしらえも終え、王宮広場に戻ってきました。一際目立つこのオレンジの建物が旧王宮です。
1611年にジグムント3世によりクラクフからワルシャワへ遷都が行われると、この王宮がポーランドリトアニア共和国の政治・文化の中心地となりました。王宮の前には、ジグムント3世の銅像が建っています。 -
旧王宮ももちろん復元したものなのですが、中の調度品などは戦中は持ち出して戦災を免れ、戦後戻されたオリジナルの品も多数あるようです。
こちらは王冠の間と呼ばれる部屋です。館内はすべて写真OKでした。 -
鷲はポーランドの国章にもなっており、ポーランドの象徴的な動物です。ドアノブも鷲をイメージしたこんな形になっていました。
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こちらは1791年に「5月3日憲法」が採択された様子を描いた絵です。画家はポーランド出身のヤン・マティコで、1891年の憲法100周年を記念して描かれたそうです。ヤン・マティコの生きた時代は19世紀のポーランド分割只中にあり、かつてのポーランドの歴史的場面を愛国的なテーマで描いた絵を数多く残しました。
こちらの絵では、当時としては非常に民主的で先駆的であった5月3日憲法を、画面左の赤マントのスタニスワフ2世が強行採択しています。一方画面中央右下で倒れ込んでいる赤い服の男は、憲法に反対し、後に保守派(親ロシア派)であるタルゴヴィツァ連盟に加入するスコールゼフスキー議員です。強すぎるシュラフタ(貴族)の権利を狭め、王権を強め、市民の政治参画の門戸を広げることで、諸外国からの外圧に負けない政治体制を作ろうとする、歴史的瞬間を描いています。
ただしこの憲法は、後にタルゴヴィツァ連盟の要請で進軍したロシア軍により破棄されます。またスタニスワフ2世は、自身がタルゴヴィツァ連盟に入りロシアとの協調を図ろうとしますが失敗。国王は退位に追い込まれ、ポーランドは消滅してしまいます。 -
王宮の地下にはレンブラントの絵画がありました。少女の手が額縁から出ているという、トリックアートのような絵でした笑
スタニスワフ2世は、文化振興にも積極的であったようで、こうした絵画がワルシャワにあるのも、そうした活動の名残だと思われます。 -
こちらはユゼフ・ポニャトフスキの肖像画です。この方はスタニスワフ2世の甥にあたる軍人で、ポーランド分割後はナポレオンに協力し、祖国再興に向けて尽くしました。
しかしフランスがロシアに敗北したことで、彼のポーランド再興の夢も潰えてしまいます…。「天の涯まで」という漫画がありますが、その主人公こそ、この絵のひとです。(顔全然違うっ!!笑) -
ヴィスワ川側から見た旧王宮です。こうして見ると、台地に立った王宮であることがわかります。
ワルシャワ遷都の要因は色々とあるようですが、ジグムント3世の治世にはスウェーデンとロシアとの長い戦争があり、内陸奥深くのクラクフより、ワルシャワの方が地理的利便性があったことに加えて、ちょうどその頃クラクフヴァヴェルの王宮で火災が起きたことで、遷都を決意したそうです。 -
王宮からヴィスワ川を眺めます。王宮前の広場は子供連れファミリーの遊び場となっていました笑
のどかで、ゆったりとした時間が流れていて、いい感じです。 -
旧王宮の近くに「The Wishing Bell」なるものがありました。ツアーの人に混じり話をきくと、このベルを触りながら一周すると、良いことがあるとのこと。
この視線の中、チャレンジする勇気はありませんでした笑 -
次に来たのは洗礼者ヨハネ大聖堂です。ワルシャワで最も古い教会で、前述の5月3日憲法の宣言式が行われたのもここだそうです。入場は無料でした。
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ステンドグラスがとても綺麗でした。絵柄をよく見てみると、ヴワディスワフ・シコルスキと読める人物が…(後画面中央下部)。この人は第二次大戦の際に、亡命政府の首相を務めた方です。
ポーランドの復興を目指し、その道半ばで亡くなった彼は、ポーランドでは聖人としての扱いを受けているのかもしれません。 -
大聖堂を後にし、ワルシャワ旧市街の壁の外回りを進むと、「少年蜂起兵」の像があります。これはワルシャワ蜂起に参加した少年兵をモチーフにした像で、1983年に設置されました。特定の人物を題材にした訳ではないようですが、蜂起参加の最年少は9歳の者もいたという話をきくと、可愛らしさの中につらく悲しい現実を感じざるを得ません。
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少年兵の像の向かいには、ヤン・キリンスキーの銅像があります。彼は第2次ポーランド分割後の1794年に起きた、コシチュシュコの蜂起に参加した人物です。
正直この人物を自分は知らなかったのですが、興味深かったのが彼の服です。長いローブは足丈まであり、上着はマントのように背中に投げられ、一見トルコ風とも言える変わった服装をしています。これはポーランドリトアニア地域の貴族独特の服「コントゥシュ」であると思われます。
ポーランド貴族のアイデンティティに「サルマティズム」というものがあります。ポーランド人のルーツはイラン系遊牧民であったサルマタイ人である、という考え方で、この思想が周辺諸国と自己とを人種的・文化的に区別化する思想を支えていました。この銅像のキリンスキーに、軍服ではなくコントゥシュを着せたのは、そういった背景があるのかもしれません。 -
17時30分頃、旧市街の北端にあるバルバカンに到着しました。馬蹄型煉瓦造りの建物で、16世紀中頃に造られた重厚な砦です。建造当時はワルシャワ遷都前ですから、当時からワルシャワが重要都市としての位置づけを得ていたことがわかります。
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バルバカンと旧市街の城壁です。城壁の周りは遊歩道になっており、ベンチや城壁に座り、くつろぐ人も多くいました。これは旧市街の内側からの写真ですか、旧市街全体が、外側より少し高い位置にあることがわかります。
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バルバカンから徒歩5分。キュリー夫人博物館に到着しました。ノーベル賞を2度受賞したキュリーさんの生家が、現在博物館として公開されています。入館料は11PLNでした。
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小さな博物館で、普通のアパートの1階と2階を展示場所にした、という感じでした。解説文のようなものもあまりなく、当時を再現した部屋などをまわっていく展示で、まあ生家だしそんなものか、と思っていました…
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が、まさかの日本語の展示スペースが!笑 日本語で書かれたキュリー夫人に関する漫画や本の展示が展示ケース2つにわたって、並べられていました。
自分は面白いですが、そもそもここにはそんなに日本人がたくさんくるのでしょうか?笑 当然、自分以外の観光客はここはほぼ素通りでした笑 -
そしてこちらはキュリーさんのレゴの展示笑 こんなニッチなレゴが世の中にはあるんですね!
机にはキュリーさんが発見したラジウムとポロニウムの原子記号が書かれたレゴが…。日本の子供達が忍者のお城のレゴで遊ぶように、ポーランドの子供たちは、ラジウムとポロニウムのレゴを使って遊んでいるのでしょうか?笑 -
キュリー夫人博物館を後にし、そのまま旧市街とは反対の方向に進んでいくと、新市街広場に出ました。観光用の広場、というよりは地元の人のための広場、という感じです。この辺りより北のエリアは、新市街と呼ばれる地域となりますが、今回の旅ではここから宿へと引き返します。
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旧市街から徒歩5分の西側に、ワルシャワ蜂起の記念碑がありました。ワルシャワ蜂起の悲惨な点は、その歴史的事実だけではなく、戦後のワルシャワ蜂起に対する評価・顕彰の活動が、共産主義体制にあって許されなかったことにもあります。
ワルシャワ蜂起を主導したワルシャワ亡命政府政府は、戦後の共産主義体制(ポーランド人民共和国)と敵対していたため、このような蜂起を顕彰するモニュメントの建造も禁止されていたのです。この記念碑が完成したのは、東欧諸国の民主化が進んだ1989年になってからのことでした。 -
旧市街からクラクフ郊外通りを南下すると、大統領官邸が見えてきました。官邸の横にはアダム・ミツキエヴィッチの像がありました。19世紀に活躍したポーランドの国民的詩人で、一時は当時のロシア帝国からの独立を目指す地下組織に所属し逮捕されたこともあるそうです。
最早今日で何人目の独立活動家の方かわかりません笑 -
大統領官邸前には前述のユゼフ・ポニャトフスキの銅像が。やはり国民的英雄というとこの人なのかもしれませんね。
官邸の前にあるのでもちろん近づけはせず、柵の外から見学。記念撮影スポットとなっていました。 -
官邸から徒歩5分、サスキ公園にある無名戦士の墓にきました。これまで亡くなった兵士達の慰霊の場所となっています。
ちなみにこのサスキ公園はアウグスト2世の頃に王室用の庭園として整備されました。このアウグスト2世はポーランドをスウェーデン対ロシアで起きた北方戦争に介入させ、いらぬ火の粉をかぶったことで人気がない人ですが、文化面では異なる評価を得ています。バロック全盛期の影響を受けた彼は、ドレスデンを中心に多くの宮殿や庭園を整備しました。ここサスキ公園もその影響を受け、後世に残る美しい庭園を作り上げました。確かにきれいでのんびりとした公園で、イメージは人の少ない代々木公園、といった感じでした。 -
時間は19時。毎時ちょうどに墓を守る衛兵の交代が行われるとのことで、期せず見学することができました。官邸の方からまっすぐ歩いてくる3人組が衛兵です。
衛兵交代式は人だかりができていましたが、結構サクサク交代するので、このために行く、というほどのものでもないかもしれません笑 -
サスキ公園からクラクフ郊外通りに戻ると、ワルシャワ大学があります。キュリーさんが教鞭をとっていたこともあるそうです(キュリー夫人博物館で学習笑)。
そしてこの学校では日本韓国学科なるものがあるそうで、日本フリークな方を排出してくれる、我々にも大変ありがたい学校です。 -
遠景でぼやぼやしてますが、こちらはコペルニクスの銅像です。地動説を唱えたコペルニクスさんもポーランド出身なんですね。
というか銅像多いですね、ワルシャワ!笑 この他にも街にはちらほら銅像があったのですが、もうのせません笑 -
さらに通りを南下すると、新世界通りというところに出ます。おしゃれなお店がたくさん並び、今夜の夕ご飯選びも選択肢が多くて迷います…。
ところで、この写真を撮ったのが19時30分すぎなのですが、とても明るいですよね?ポーランドは緯度が高い国であることを、実感した1日でした。 -
今日の夕ご飯は…まさかのまた日本食にしてしまいました!!笑 「Uki Uki」といううどん屋さんで、お店の雰囲気も完全に「和」でした。
味は…ゆ◯太郎のうどんみたいな感じでした笑 値段を忘れてしまったのですが、そこそこよいお金を出した割に…というのがあります笑 日本食なら俄然自分は昨日の「MUGI」を推します!!
というところで旅の2日目は終わりです。明日は午前ワルシャワ観光、午後からクラクフに移動します!
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旅行記グループ
2019ポーランドの旅〜ワルシャワ、クラクフ〜
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