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消費税が8%のうちにちょっと遠くまで行ってみようと思い、JR東海の「休日乗り放題きっぷ」を使って浜名湖まで行ってきました。<br />早朝に出発したのに、浜松に到着したら11時。とりあえずお昼ご飯に浜松ぎょうざ!<br />その後、弁天島から舞阪まで旧東海道を歩き、まだ時間があったので旧雄踏町の宇布見まで足を延ばして24,103歩のお散歩です。<br /><br />舞阪(舞坂)宿は江戸時代は東海道の宿場町。今切の渡しの渡船場があり、現在も脇本陣など江戸時代の遺構が残る町。舞阪との間には松並木が続いています。<br />宇布見の中村家では徳川家康の次男・結城秀康が誕生し、中村家の子孫は、秀康の子孫の越前松平家などから士分格を与えられた由緒ある家で,浜名湖の鰻養殖は服部倉治郎と共に明治の当主・中村正輔が始めたのが端緒だそう。正輔の父・中村東海の生家金山天神社(当時・金山彦神社)もすぐそばにあり、東海の弟賀茂水穂は靖国神社の2代目宮司を務めました。かつのすけの親族(6親等内の血族)に賀茂家の姻戚だった方がおり、今回はそんなこともあって立ち寄ってみました。<br /><br />【表紙の写真】浜松ぎょうざ<br /><br />

浜松ぎょうざの後で、東海道WALKING 弁天島~舞坂 宿場町の名残があちこちに残っていました

79いいね!

2019/09/28 - 2019/09/28

9位(同エリア99件中)

0

89

かつのすけさん

この旅行記スケジュールを元に

消費税が8%のうちにちょっと遠くまで行ってみようと思い、JR東海の「休日乗り放題きっぷ」を使って浜名湖まで行ってきました。
早朝に出発したのに、浜松に到着したら11時。とりあえずお昼ご飯に浜松ぎょうざ!
その後、弁天島から舞阪まで旧東海道を歩き、まだ時間があったので旧雄踏町の宇布見まで足を延ばして24,103歩のお散歩です。

舞阪(舞坂)宿は江戸時代は東海道の宿場町。今切の渡しの渡船場があり、現在も脇本陣など江戸時代の遺構が残る町。舞阪との間には松並木が続いています。
宇布見の中村家では徳川家康の次男・結城秀康が誕生し、中村家の子孫は、秀康の子孫の越前松平家などから士分格を与えられた由緒ある家で,浜名湖の鰻養殖は服部倉治郎と共に明治の当主・中村正輔が始めたのが端緒だそう。正輔の父・中村東海の生家金山天神社(当時・金山彦神社)もすぐそばにあり、東海の弟賀茂水穂は靖国神社の2代目宮司を務めました。かつのすけの親族(6親等内の血族)に賀茂家の姻戚だった方がおり、今回はそんなこともあって立ち寄ってみました。

【表紙の写真】浜松ぎょうざ

旅行の満足度
3.5
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 05:45新宿発の小田急線急行小田原行 何とか間に合いました

    05:45新宿発の小田急線急行小田原行 何とか間に合いました

    小田急小田原線 乗り物

  • 07:04 新松田に到着して、御殿場線に乗り換え

    07:04 新松田に到着して、御殿場線に乗り換え

    松田駅

  • 本日はJR東海の「休日乗り放題きっぷ」を利用しました<br />このきっぷは2,670円(この日はまだ消費税8%デス)で東海道線(熱海・豊橋間)・御殿場線(全線)・身延線(全線)1日乗り降り自由のフリー切符(ちなみに松田から浜松まで片道で3,236円なので、片道利用だけでも元取れます)<br />利用区間などによってはかなりお得になります

    本日はJR東海の「休日乗り放題きっぷ」を利用しました
    このきっぷは2,670円(この日はまだ消費税8%デス)で東海道線(熱海・豊橋間)・御殿場線(全線)・身延線(全線)1日乗り降り自由のフリー切符(ちなみに松田から浜松まで片道で3,236円なので、片道利用だけでも元取れます)
    利用区間などによってはかなりお得になります

  • 07:23 沼津行の電車で松田を出発します<br />昨年御殿場へ行った時<br />https://4travel.jp/travelogue/11391323<br />と同じ電車<br />あの時は05:27新宿を出発したけど、結局は15分以上後のこの電車でも間に合ったみたいですね

    07:23 沼津行の電車で松田を出発します
    昨年御殿場へ行った時
    https://4travel.jp/travelogue/11391323
    と同じ電車
    あの時は05:27新宿を出発したけど、結局は15分以上後のこの電車でも間に合ったみたいですね

    JR御殿場線 乗り物

  • 今日も大きな富士山を拝むことができました

    今日も大きな富士山を拝むことができました

    富士山 自然・景勝地

  • 08:36 沼津に到着して

    08:36 沼津に到着して

    沼津駅

  • 08:44 豊橋行のこの電車に乗り換えです

    08:44 豊橋行のこの電車に乗り換えです

  • 沼津に着くまで電車の中は意外と人が多かったので、乗り換えの合間に急いで朝食(途中コンビニで買ってきたおにぎり)をいただきます

    沼津に着くまで電車の中は意外と人が多かったので、乗り換えの合間に急いで朝食(途中コンビニで買ってきたおにぎり)をいただきます

  • 「本日はこの電車の行先は豊橋行となっていますが、イベント開催のためこの電車は浜松までとなります。浜松より先にお越のお客様は浜松でお乗り換えください」という車内放送がたびたび。そのイベントというのがこちら!<br />この日はエコパスタジアムでラグビーワールドカップ 日本 VS アイルランド戦が行われるための特別ダイヤのようです<br />

    「本日はこの電車の行先は豊橋行となっていますが、イベント開催のためこの電車は浜松までとなります。浜松より先にお越のお客様は浜松でお乗り換えください」という車内放送がたびたび。そのイベントというのがこちら!
    この日はエコパスタジアムでラグビーワールドカップ 日本 VS アイルランド戦が行われるための特別ダイヤのようです

  • 10:53 浜松に到着<br />乗ってきた電車は11:02出発と10分以上浜松に停車する電車だったようだったので、すぐには出発しない<br />ということで、ここで一旦改札を出てごはんを食べに行こう!<br />あんなに早く出てきたのに、もう11時なので

    10:53 浜松に到着
    乗ってきた電車は11:02出発と10分以上浜松に停車する電車だったようだったので、すぐには出発しない
    ということで、ここで一旦改札を出てごはんを食べに行こう!
    あんなに早く出てきたのに、もう11時なので

    浜松駅

  • 駅の外に出てしまいましたが、駅ビルメイワンの中へと戻り

    駅の外に出てしまいましたが、駅ビルメイワンの中へと戻り

    メイワン (エキマチウエスト / エキマチイースト) ショッピングモール

  • 1階にある『元祖浜松ぎょうざ 石松』さん<br />スタバの裏にあってちょっと見つけにくかった~

    1階にある『元祖浜松ぎょうざ 石松』さん
    スタバの裏にあってちょっと見つけにくかった~

    石松餃子 JR浜松駅店 グルメ・レストラン

  • オープンは11:00で、現在11:10前ですが、既に行列がこんなにできていました(*_*)<br />ゆっくりトイレを探していたこと、後悔です<br /><br />ここにもラグビーユニフォーム着ている人多かった~<br />これから応援に行くんでしょうね

    オープンは11:00で、現在11:10前ですが、既に行列がこんなにできていました(*_*)
    ゆっくりトイレを探していたこと、後悔です

    ここにもラグビーユニフォーム着ている人多かった~
    これから応援に行くんでしょうね

  • 並んでいる間にメニュー見て注文(なので、席に着いたらすぐに出てくるかと思ったらそうでもなかった)

    並んでいる間にメニュー見て注文(なので、席に着いたらすぐに出てくるかと思ったらそうでもなかった)

  • 餃子の車盛り

    餃子の車盛り

  • にしてみたかったけど、石松餃子定食(車盛りの写真はメニューより拝借しちゃいました!)<br />キャベツの甘味がすごく出ていて美味しくいただきました

    にしてみたかったけど、石松餃子定食(車盛りの写真はメニューより拝借しちゃいました!)
    キャベツの甘味がすごく出ていて美味しくいただきました

  • ホームに着いたらすぐに電車が出発<br />1時間の浜松滞在でした<br />東海道線で12:02浜松駅を出発し、弁天島へ<br />この弁天島駅、何か変…と思ったら、高架駅のホームに改札がありました

    ホームに着いたらすぐに電車が出発
    1時間の浜松滞在でした
    東海道線で12:02浜松駅を出発し、弁天島へ
    この弁天島駅、何か変…と思ったら、高架駅のホームに改札がありました

    弁天島駅

  • 駅前には一応観光案内所もあったので、歩くのに地図貰います

    駅前には一応観光案内所もあったので、歩くのに地図貰います

  • 駅前の海浜公園に行ってみた

    駅前の海浜公園に行ってみた

    弁天島海浜公園 自然・景勝地

  • そこから見える沖にある島には赤い鳥居<br />実は神社の鳥居ではなく観光シンボルタワーらしい<br />

    そこから見える沖にある島には赤い鳥居
    実は神社の鳥居ではなく観光シンボルタワーらしい

    舞阪町観光シンボルタワー 名所・史跡

  • 『ガヴリールドロップアウト』は浜松が舞台のアニメ<br />赤鳥居のある島は「天使の島」としてアニメにも登場しているそうです

    『ガヴリールドロップアウト』は浜松が舞台のアニメ
    赤鳥居のある島は「天使の島」としてアニメにも登場しているそうです

  • 辨天神社に来ました<br />宝永6年にこの辨天神社が勧請されたことにより、「西之野」「狐島」などと呼ばれていたこの地が「弁天島」と言われるようになったそう<br />言ってみれば、「弁天島」の地名の由来となった神社です

    辨天神社に来ました
    宝永6年にこの辨天神社が勧請されたことにより、「西之野」「狐島」などと呼ばれていたこの地が「弁天島」と言われるようになったそう
    言ってみれば、「弁天島」の地名の由来となった神社です

    弁天神社 寺・神社・教会

  • こちら、境内に建つ茅原華山詩碑<br />「移棹休揺湖底天 芙蓉如夢?擴華巓 不関咫尺海濤壮 白鳥白帆相伴眠」

    こちら、境内に建つ茅原華山詩碑
    「移棹休揺湖底天 芙蓉如夢?擴華巓 不関咫尺海濤壮 白鳥白帆相伴眠」

  • 「弁天島」の由来にもなった神社の割には小ちゃな拝殿<br />ご由緒(辨天神社と天女)<br />昔、弁天島のこの辺りは砂洲が新居の橋本辺りまで続き、白砂青松「天の橋立」のような風景が広がっていました。そんな弁天島の美しさに誘われてか、ある日天女が舞い降りました。村人は大変喜び、社を立てるからここに留まってほしいとお願いしました。ところがどういうわけか、天女は駿河の三保の松原へ立ち去って行きました。<br />それから長い年月がたち、この辺り一帯は大きな災害にみまわれ、洲崎の一部であった弁天は湖にとり残されて島となりました。その後、舞阪と新居の間は渡船で行き来するようになりましたが、江戸時代の宝永六年今切渡海安全のため、この島に辨天神社が建てられました。人々は天女伝説のこともあり、この神社を大切にお守りしてきました。御祭神は「市杵島姫命」といい、海上・交通・家内安全、商売繁盛など諸願成就の神として多くの人々に信仰されています。

    「弁天島」の由来にもなった神社の割には小ちゃな拝殿
    ご由緒(辨天神社と天女)
    昔、弁天島のこの辺りは砂洲が新居の橋本辺りまで続き、白砂青松「天の橋立」のような風景が広がっていました。そんな弁天島の美しさに誘われてか、ある日天女が舞い降りました。村人は大変喜び、社を立てるからここに留まってほしいとお願いしました。ところがどういうわけか、天女は駿河の三保の松原へ立ち去って行きました。
    それから長い年月がたち、この辺り一帯は大きな災害にみまわれ、洲崎の一部であった弁天は湖にとり残されて島となりました。その後、舞阪と新居の間は渡船で行き来するようになりましたが、江戸時代の宝永六年今切渡海安全のため、この島に辨天神社が建てられました。人々は天女伝説のこともあり、この神社を大切にお守りしてきました。御祭神は「市杵島姫命」といい、海上・交通・家内安全、商売繁盛など諸願成就の神として多くの人々に信仰されています。

  • 辨天大橋の手前で奥の方へと進んで行く歩道があったのでちょっと行ってみます<br />進んで行くと浜名湖見っけ!

    辨天大橋の手前で奥の方へと進んで行く歩道があったのでちょっと行ってみます
    進んで行くと浜名湖見っけ!

    浜名湖 自然・景勝地

  • その辨天大橋を渡って舞阪方面へ

    その辨天大橋を渡って舞阪方面へ

  • 海側には浜名バイパスの浜名大橋

    海側には浜名バイパスの浜名大橋

  • 湖側には新幹線が走ってる!

    湖側には新幹線が走ってる!

  • 橋を渡ると東海道は舞坂宿に入ります<br />舞坂宿は日本橋から数えて30番目の宿場町(浜松宿と新居宿の間)

    橋を渡ると東海道は舞坂宿に入ります
    舞坂宿は日本橋から数えて30番目の宿場町(浜松宿と新居宿の間)

  • 進んで行くと「北雁木」<br />江戸時代には新居との間にあった今切の渡しの渡船場だった<br />

    進んで行くと「北雁木」
    江戸時代には新居との間にあった今切の渡しの渡船場だった

    北雁木 名所・史跡

  • 雁木とは船着場でこの北雁木が大名用、中(本)雁木が武家用、南雁木が庶民・荷物用だったそう

    雁木とは船着場でこの北雁木が大名用、中(本)雁木が武家用、南雁木が庶民・荷物用だったそう

  • 西町の常夜灯<br />東海道はここから左に折れる

    西町の常夜灯
    東海道はここから左に折れる

  • 左に曲がってすぐの場所にあったのが舞坂宿脇本陣(天保年間に設置された、屋号「茗荷屋」)は、旧東海道では唯一の脇本陣の遺構とのこと<br />江戸時代、周囲は旅籠屋がズラリと並んでいたようです<br />

    左に曲がってすぐの場所にあったのが舞坂宿脇本陣(天保年間に設置された、屋号「茗荷屋」)は、旧東海道では唯一の脇本陣の遺構とのこと
    江戸時代、周囲は旅籠屋がズラリと並んでいたようです

    舞坂宿脇本陣 名所・史跡

  • 立派な玄関<br />大名の参勤交代等の際に利用される本陣・脇本陣ですが、大名などの宿泊がないときは旅籠屋として営業していたそう

    立派な玄関
    大名の参勤交代等の際に利用される本陣・脇本陣ですが、大名などの宿泊がないときは旅籠屋として営業していたそう

  • で、庶民はこちらから

    で、庶民はこちらから

  • 台所 飯焚場と言った方が江戸時代っぽいかな?

    台所 飯焚場と言った方が江戸時代っぽいかな?

  • 長い廊下<br />左側(←)には狭い部屋がいくつも並んでいる<br />右側(→)は手前から下段二の間、下段一の間、一番奥が上段の間になっています

    長い廊下
    左側(←)には狭い部屋がいくつも並んでいる
    右側(→)は手前から下段二の間、下段一の間、一番奥が上段の間になっています

  • 上湯殿 お風呂です

    上湯殿 お風呂です

  • 廊下の突き当りからはお庭が見える

    廊下の突き当りからはお庭が見える

  • 厠<br />周りが畳だとお掃除大変そうですね


    周りが畳だとお掃除大変そうですね

  • 書院棟の上段の間から

    書院棟の上段の間から

  • 脇本陣の模型もありました

    脇本陣の模型もありました

  • 2階へと上ると籠が展示されていました

    2階へと上ると籠が展示されていました

  • 本陣は脇本陣の前に<br />当時は伝左衛門本陣と徳右衛門本陣の2軒があったそうですが、現在は石碑が建つだけです

    本陣は脇本陣の前に
    当時は伝左衛門本陣と徳右衛門本陣の2軒があったそうですが、現在は石碑が建つだけです

  • 宿場町を進んで行きます

    宿場町を進んで行きます

  • 新町常夜灯<br />ここには一里塚もあったそう<br />お江戸日本橋から68里(約267Km)地点です

    新町常夜灯
    ここには一里塚もあったそう
    お江戸日本橋から68里(約267Km)地点です

  • しばらく進んで行ったところに見付石垣<br />舞坂宿の東のはずれに位置していて見張所にあたり、大名が通行の時などは、ここに六尺棒を持った番人が立ち、人馬の出入を監視するとともに、治安の維持にあったった所だそう

    しばらく進んで行ったところに見付石垣
    舞坂宿の東のはずれに位置していて見張所にあたり、大名が通行の時などは、ここに六尺棒を持った番人が立ち、人馬の出入を監視するとともに、治安の維持にあったった所だそう

    見付石垣 名所・史跡

  • 国道1号線を渡ったところにあった公園には浪小僧<br />昔遠州灘で地引網漁をしていたが、魚が採れないときにかかった海の底に住む波小僧 「風雨が強くなる時に海の底で太鼓をたたいて知らせるから」と命乞いをし、海に戻してあげてからは、天気が変化するときには波の音がするようになったとか

    国道1号線を渡ったところにあった公園には浪小僧
    昔遠州灘で地引網漁をしていたが、魚が採れないときにかかった海の底に住む波小僧 「風雨が強くなる時に海の底で太鼓をたたいて知らせるから」と命乞いをし、海に戻してあげてからは、天気が変化するときには波の音がするようになったとか

  • その前からは松並木が続いています

    その前からは松並木が続いています

    旧東海道松並木 名所・史跡

  • 舞坂宿唯一の橋だった舞坂橋の跡<br />現在も下には水路が流れていました

    舞坂宿唯一の橋だった舞坂橋の跡
    現在も下には水路が流れていました

  • 笠松模様のマンホール蓋

    笠松模様のマンホール蓋

  • 舞阪駅に着きましたが、このまま北上して旧雄踏町宇布見地区へ進んで行きます

    舞阪駅に着きましたが、このまま北上して旧雄踏町宇布見地区へ進んで行きます

    舞阪駅

  • 宇布見大橋を渡ると、旧雄踏町宇布見地区になります

    宇布見大橋を渡ると、旧雄踏町宇布見地区になります

  • しばらく進み、町の中心辺りにある雄踏図書館でしばらく郷土資料を調べる<br />詳細は「旅行記の概要」を…<br />

    しばらく進み、町の中心辺りにある雄踏図書館でしばらく郷土資料を調べる
    詳細は「旅行記の概要」を…

  • 小一時間ほど調べた後で、図書館の裏にある金山天神社に<br />この金山天神社の前身である金山彦神社が賀茂家が歴代宮司をしていた神社<br />賀茂水穂は遠州報国隊を組織して有栖川宮熾仁親王のもとで官軍として戊辰戦争に参加、後に海軍に出仕し、靖国神社2代目宮司。靖国神社にある大村益次郎像を建立 (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%B0%B4%E7%A9%82<br />賀茂水穂の長兄は山本金木(山本大隅)で、戊辰戦争では遠州報国隊長。後に井伊谷宮権宮司 (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E9%87%91%E6%9C%A8<br />次兄は中村東海(内藤山城)で、遠州報国隊に属し、後に女神浦八幡宮祀官、若狭彦権宮司、中講義、砥鹿神社権宮司、浜松高等小学校雄踏分校場学事係等を歴任。内藤家から中村家へ婿養子に入る<br />長男は海軍中将賀茂巌雄(妻は伯爵万里小路通房三女東美子、長女文子は五島慶太妻、三女勝子は伯爵万里小路芳房妻、五男正章の妻は子爵五島盛光娘福子)<br />次男は大阪工業大学学長堤正義(妻は貴族院議員加太邦憲二女なほ、二男は久原房之助婿養子久原正安)(参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A4%E6%AD%A3%E7%BE%A9<br />長女は若枝(検事関義幹の妻)、二女は玉枝(医学博士・国立伝染病研究所(現・東大医科研究所)長守屋伍造の妻)、三女は静枝(海軍中将・神戸製鋼所社長伊藤乙次郎(参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E4%B9%99%E6%AC%A1%E9%83%8E の妻)

    小一時間ほど調べた後で、図書館の裏にある金山天神社に
    この金山天神社の前身である金山彦神社が賀茂家が歴代宮司をしていた神社
    賀茂水穂は遠州報国隊を組織して有栖川宮熾仁親王のもとで官軍として戊辰戦争に参加、後に海軍に出仕し、靖国神社2代目宮司。靖国神社にある大村益次郎像を建立 (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%B0%B4%E7%A9%82
    賀茂水穂の長兄は山本金木(山本大隅)で、戊辰戦争では遠州報国隊長。後に井伊谷宮権宮司 (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E9%87%91%E6%9C%A8
    次兄は中村東海(内藤山城)で、遠州報国隊に属し、後に女神浦八幡宮祀官、若狭彦権宮司、中講義、砥鹿神社権宮司、浜松高等小学校雄踏分校場学事係等を歴任。内藤家から中村家へ婿養子に入る
    長男は海軍中将賀茂巌雄(妻は伯爵万里小路通房三女東美子、長女文子は五島慶太妻、三女勝子は伯爵万里小路芳房妻、五男正章の妻は子爵五島盛光娘福子)
    次男は大阪工業大学学長堤正義(妻は貴族院議員加太邦憲二女なほ、二男は久原房之助婿養子久原正安)(参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A4%E6%AD%A3%E7%BE%A9
    長女は若枝(検事関義幹の妻)、二女は玉枝(医学博士・国立伝染病研究所(現・東大医科研究所)長守屋伍造の妻)、三女は静枝(海軍中将・神戸製鋼所社長伊藤乙次郎(参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E4%B9%99%E6%AC%A1%E9%83%8E の妻)

  • 思っていたよりもこじんまりとした神社でした

    思っていたよりもこじんまりとした神社でした

  • 御祭神:金山毘古神、金山毘売神、火之加具土神、天御柱神、国御柱神、日本武尊、天穂日命、菅原道真公<br />由緒:社伝によれば、日本武尊東征の砌、この浦に泊りて、当金山に登り、雄々しく踏み固めたことにより、この里を雄踏と称するようになった。当社の創立年歴は不詳である。再建は文明五年で社号を金山大明神と称したが、明治元年に金山神社と改称し、明治六年村社となった。昭和三十六年町立中央公民館建設により北側に新築し、別地にあった天神社を合祀し、金山天神社となった。

    御祭神:金山毘古神、金山毘売神、火之加具土神、天御柱神、国御柱神、日本武尊、天穂日命、菅原道真公
    由緒:社伝によれば、日本武尊東征の砌、この浦に泊りて、当金山に登り、雄々しく踏み固めたことにより、この里を雄踏と称するようになった。当社の創立年歴は不詳である。再建は文明五年で社号を金山大明神と称したが、明治元年に金山神社と改称し、明治六年村社となった。昭和三十六年町立中央公民館建設により北側に新築し、別地にあった天神社を合祀し、金山天神社となった。

  • 社殿の脇に鎮座する境内社の金山稲荷大明神

    社殿の脇に鎮座する境内社の金山稲荷大明神

  • 歩いて数分のところには息神社<br />こちらの境内はかなり広いけど、こちらの神社も金山天神社もお賽銭箱すら見当たらない<br />(御由緒)文武天皇慶雲2年の勧請 延喜式神名帳所載式内社。<br />仁寿2年従五位下を受け官社に列す 山城国稲荷山の三神を迎え米大明神と称す<br />明治6年郷社に列す 明治28年5月内大臣より許可を得て「息神社」に復帰す<br /><br />今川氏に仕えた中村家の当主16代正継、17代光貞は米大明神の神主を務めたそう

    歩いて数分のところには息神社
    こちらの境内はかなり広いけど、こちらの神社も金山天神社もお賽銭箱すら見当たらない
    (御由緒)文武天皇慶雲2年の勧請 延喜式神名帳所載式内社。
    仁寿2年従五位下を受け官社に列す 山城国稲荷山の三神を迎え米大明神と称す
    明治6年郷社に列す 明治28年5月内大臣より許可を得て「息神社」に復帰す

    今川氏に仕えた中村家の当主16代正継、17代光貞は米大明神の神主を務めたそう

  • 天神社<br />元々はこの後行く中村家の敷地内にあったそう

    天神社
    元々はこの後行く中村家の敷地内にあったそう

  • 天神社のすぐ前には立派な塀に囲まれたお屋敷が

    天神社のすぐ前には立派な塀に囲まれたお屋敷が

  • こちらが中村家住宅(重要文化財)の長屋門<br />中村家は江戸時代には徳川家康の次男・結城秀康がここで生まれたことにより、越前藩や津山藩から士分格を与えられ、また、一般の庄屋とは違い独礼庄屋(藩主に単独で拝謁できる庄屋)でもあった

    こちらが中村家住宅(重要文化財)の長屋門
    中村家は江戸時代には徳川家康の次男・結城秀康がここで生まれたことにより、越前藩や津山藩から士分格を与えられ、また、一般の庄屋とは違い独礼庄屋(藩主に単独で拝謁できる庄屋)でもあった

    重要文化財中村家住宅 名所・史跡

  • 主屋に入ってすぐの場所にある土間<br />今まで訪れた日本家屋には必ずと言っていいほど、入ったところに土間がありますね

    主屋に入ってすぐの場所にある土間
    今まで訪れた日本家屋には必ずと言っていいほど、入ったところに土間がありますね

  • ヒロマ

    ヒロマ

  • 納戸

    納戸

  • 納戸入側に置かれた箪笥

    納戸入側に置かれた箪笥

  • ヒロマの格子戸はなぜか雨戸の外に障子があった

    ヒロマの格子戸はなぜか雨戸の外に障子があった

  • 庭も広い

    庭も広い

  • 土間の竈

    土間の竈

  • 土間隅部屋に展示されていたもの<br />靖国神社賀茂水穂(弟)から東海道遠州敷智郡舞坂在雄踏村中村東海(兄)へ

    土間隅部屋に展示されていたもの
    靖国神社賀茂水穂(弟)から東海道遠州敷智郡舞坂在雄踏村中村東海(兄)へ

  • 庭に出て主屋の周りを一周<br />こちらは井戸

    庭に出て主屋の周りを一周
    こちらは井戸

  • 土蔵にも歴史を感じます

    土蔵にも歴史を感じます

  • 茶室もあった

    茶室もあった

  • 茶室の内部

    茶室の内部

  • こちらも主屋の裏にあった胞衣塚(えなづか)<br />結城秀康(徳川家康二男)はここ中村家で誕生し、その胞衣を埋めた塚で、上に植えられている梅の木は家康お手植えと伝えられています

    こちらも主屋の裏にあった胞衣塚(えなづか)
    結城秀康(徳川家康二男)はここ中村家で誕生し、その胞衣を埋めた塚で、上に植えられている梅の木は家康お手植えと伝えられています

  • 門扉に付いているのは三つ葉葵の御紋

    門扉に付いているのは三つ葉葵の御紋

  • 石灯篭(五重塔)

    石灯篭(五重塔)

  • 最後に主屋全体を

    最後に主屋全体を

  • 東京まで凡そ6時間かかるのでそろそろ帰らなくては…ということで、16:00頃舞阪駅に着き、次の電車は16:05だったので、ちょうど良いタイミングだった

    東京まで凡そ6時間かかるのでそろそろ帰らなくては…ということで、16:00頃舞阪駅に着き、次の電車は16:05だったので、ちょうど良いタイミングだった

    舞阪駅

  • はずなのに、ワールドカップと興津・由比間の人身事故のため16:05発の電車は運休って・・・<br />結局30分近く待って16:26発の浜松行の電車

    はずなのに、ワールドカップと興津・由比間の人身事故のため16:05発の電車は運休って・・・
    結局30分近く待って16:26発の浜松行の電車

  • 浜松に到着

    浜松に到着

    浜松駅

  • 16:39発熱海行の電車に乗り換えてすぐに出発

    16:39発熱海行の電車に乗り換えてすぐに出発

  • 17:53 静岡<br />お昼に「浜松ぎょうざ」を食べたので、夜は途中下車して「しぞーかおでん」を食べようと思ったけど、電車が遅れていたので断念 そのまま沼津まで行きました<br />沼津からの御殿場線、御殿場から先に行く電車は1時間に1本しかないので、沼津に到着して乗り換えの電車の時間を確認するまでちょっと心配です

    17:53 静岡
    お昼に「浜松ぎょうざ」を食べたので、夜は途中下車して「しぞーかおでん」を食べようと思ったけど、電車が遅れていたので断念 そのまま沼津まで行きました
    沼津からの御殿場線、御殿場から先に行く電車は1時間に1本しかないので、沼津に到着して乗り換えの電車の時間を確認するまでちょっと心配です

    静岡駅

  • で、18:53 ようやく沼津に着いた<br />国府津行の電車までは少し時間があったので、改札を出て駅前のしずてつストアさんでちょっとお買い物して

    で、18:53 ようやく沼津に着いた
    国府津行の電車までは少し時間があったので、改札を出て駅前のしずてつストアさんでちょっとお買い物して

    沼津駅

  • 19:16 沼津を出発して

    19:16 沼津を出発して

    JR御殿場線 乗り物

  • 20:36 松田に到着<br />あそこまで走るぞっ!

    20:36 松田に到着
    あそこまで走るぞっ!

    新松田駅

  • 20:45 新松田からは快速急行で新宿へ<br />新宿には22:09に到着 家には23時頃にようやく到着しました

    20:45 新松田からは快速急行で新宿へ
    新宿には22:09に到着 家には23時頃にようやく到着しました

    小田急小田原線 乗り物

  • 「しぞーかおでん」は食べられなかったので、「静岡麦酒」と「みしまコロッケ」でご当地グルメ?

    「しぞーかおでん」は食べられなかったので、「静岡麦酒」と「みしまコロッケ」でご当地グルメ?

  • 浜松のお土産と言ったらやっぱり「うなぎパイ」!<br />でもこれ、沼津のしずてつストアの「静岡のお土産」コーナーで買ったんですけどねっ

    浜松のお土産と言ったらやっぱり「うなぎパイ」!
    でもこれ、沼津のしずてつストアの「静岡のお土産」コーナーで買ったんですけどねっ

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