2019/09/20 - 2019/09/20
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ベームさん
この春、太平記を読み直し(勿論抜粋です)、鎌倉が舞台となることが多く、一度その跡を訪ねたいと思いました。梅雨、酷暑が過ぎようやく叶えることができました。
太平記は南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、後醍醐天皇による建武の新政と失敗、南北朝の分裂、足利尊氏の室町幕府開府など1318年から1367年までのおよそ50年間の動乱を描いた軍記物語。
全40巻。作者は不詳だが、京都、法勝寺の恵(慧)鎮上人と伝えられ、長年にわたり幾人かの手が加えられ1370年ころ成立したようです。ウイキなどから。
武士に奪われた権力を取り返そうとする執念に取りつかれた後醍醐天皇に忠誠を尽くす楠木正成や新田義貞、だが建武の新政にみられるように、後醍醐天皇が目指したのは天皇を中心とする公家・貴族政権の樹立で、楠木、新田などはそのために使い捨てられた存在だったと私は思います。
史蹟が行儀よく年代順に並んでくれていればよいのですが、そうはいかないので話は前後します。その1から3までに分けました。
山下宏明氏の「太平記」新潮社版を参照させていただいています。
写真は源氏山公園の源頼朝像。
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スタートはJR鎌倉駅。9時20分ころ。
天気は予報では秋日和、気温も30度には届かないようです。 -
今日のコース。
真ん中の鎌倉駅から左上がその1、右がその2、左下がその3です。 -
その1とその2.
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東口駅前。
台風15号の被害もあったせいか、思ったより観光客は少ないです。 -
小町通りの入り口です。
今までニュースなどで鎌倉の人出の凄まじさに恐れをなしていたので意外な感じです。時間も早いのか。 -
西口に回り、まずタクシーで一番遠い葛原岡神社へ。そこから歩きます。
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葛原岡(くずはらおか)神社。タクシー代730円。
駅から歩くとのぼりが続き私の足では30分以上かかるでしょう。 -
後醍醐天皇の側近で、志を果たせなかったものの鎌倉北条執権政権打倒に奔命した公家日野俊基(ひのとしもと)を祀るため明治20(1887)年設立。
社務所。 -
石鳥居。
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かわらけを1枚100円で売っています。
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魔が去るように願いを込めてこの石にぶち当てると魔が去るそうです。
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賽銭集めのため色々知恵を絞るもんです。
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蓮池。
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手水鉢。
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縁結び石の男石と女石。もちろん右が男石。
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縁結び絵馬に恋みくじ、なかなか商魂たくましいですね。
ここは縁結びの神様でもあります。 -
ここの絵馬はハート型。
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はやりのパワースポットとして人気上昇中のようです。
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恋みくじも一杯。
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本殿はずっと奥にあります。
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参道わきの末社。
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合鎚(あいずち)稲荷社。
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本殿。
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小さな本殿です。
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案内板。
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本殿と昇運の神龍。
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昇運の神龍。
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神様のお使いとして願い事を早く届けてくれます。
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本殿の横に日野俊基最後の場所がありました。
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俊基卿終焉之地。
公家。後醍醐天皇の信任厚く鎌倉幕府打倒の謀議に参加。1324年(正中元年)事前に計画が幕府の六波羅探題の知るところとなり日野は捕らえられ鎌倉に移されるが、この時は後醍醐天皇の奔走で許され京都に戻る。 -
1331年(元弘元年)再び幕府打倒を図り、護良親王、楠木正成らも挙兵するが敗れ、日野は捕らえられ鎌倉へ。計画の中心人物でしかも2度目とあって許されず、ついに断罪される。楠木正成は河内の赤坂城にこもって奇策を用い幕府軍を悩ませた。
後醍醐天皇も隠岐に流される。元弘の変という。
太平記には、俊基が東海道を鎌倉へ護送されていく道中、どこで斬られるだろう、道中か鎌倉でかと思い嘆くさまが書かれています。
「年久しくも住み馴れし、九重の都をば、今を限りと顧みて、思はぬ旅に出でたまふ、心のうちぞ哀れなる。」 -
明治維新後南朝が正統とされ、明治天皇は日野俊基の天皇に対する忠義・功績を大とし、従三位を追贈するとともに俊基を祀る神社を創設せしめたのです。
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神社を後にします。
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神社のすぐ手前を左に入ったところに日野俊基の墓がありました。
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日野俊基墓。
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国指定史跡。
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日野俊基墓。
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同。
辞世の句:秋を待たで 葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや 世に残るらむ
この辞世の句と遺髪は従ってきた家来により京都に残る妻の手に届けられました。 -
そこから少し下ったところにある銭洗弁財天に寄って行きます。
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あそこが入り口です。
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銭洗弁財天。
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入り口です。
正式には「銭洗弁財天宇賀福神社」。 -
このトンネルを抜けた先です。
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隧道の先。
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手水舎。
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境内。
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売店が並んでいます。
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本宮。左が奥宮、銭を洗うところ。
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奥宮。
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岩壁をくりぬいた洞窟。
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宇賀神と弁財天が祀られています。
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小学生か、熱心にお金を洗っていました。紙幣はどうするのかと思ったらビニール袋に入れるようです。どうぞ増えますように。
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洗ったお金はすぐ使えとか、すぐ使わずにここぞといった大切な時に使えとか。
まあ増えてからのお楽しみとしましょう。 -
湧き出る水は「銭洗水」と呼ばれ、鎌倉五名水の一つだそうです。
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お金を増やしたい人の名前が書かれています。
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奥には末社があります。
七福神社。 -
下之水神宮。
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上之水神宮。
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上之水神宮。
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源氏山公園に行きます。
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少し戻って。
左葛原岡神社方面、右に入ると源氏山公園。 -
源氏山公園のほうに行きました。
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すぐに化粧坂(けわいざか、けしょうざか)切通しがあります。15号台風の被害を受け、立ち入り禁止でした。復旧工事中です。
名前の由来は、ここで平家の武将の首を洗い化粧をして首実検を行ったからといいますがどうですか。
鎌倉七口(切り通し)の一つ。 -
1333年、新田義貞の鎌倉攻めの激戦地でした。
鎌倉は南が海、他を山に囲まれた要害の地です。鎌倉に攻め入るには狭い切り通しを進まざるを得ず、幕府側の頑強な抵抗にあい新田軍はどうしても突破することが出来ません。ここで新田義貞は奇策を考えるのです。 -
源氏山公園の広っぱに出ました。標高93m。
八幡太郎義家が後三年の役(1083~1087年)の際、この山上に源氏の白旗を立て戦勝を祈ったことからこの名がついたそうです。 -
広場の真ん中に源頼朝の像があります。
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子供の一団が像の前で記念写真。
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1980年、源頼朝の鎌倉入り800年を記念して建てられました。
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寿福寺方向(のつもりで)へ歩きました。
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不安でしたが、標識があり一安心。
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こんな道がずっと下って続いています。所々倒木があり、足を滑らさないよう気を付けて歩きました。
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こんな道端に太田道灌の墓というのがありました。
道灌は関東管領上杉家の一族、扇谷上杉家の家臣の子に生まれ、この辺りが生地ともいわれます。 -
道灌の墓といわれるものはいくつかあり、これもその一つでしょう。
しかし鎌倉裏山の岨道でとんだ発見をしました。 -
これも台風の被害。倒木を跨ぎ潜り。
タクシーの運転手に訊くと鎌倉もかなりの被害があったそうです。 -
寿福寺墓域。
高浜虚子の墓。
道をかなり下ると寿福寺の墓地に出ました。墓地には高浜虚子、大佛次郎、陸奥宗光、北条政子・実朝親子の墓があります。
いずれも崖の裾をくりぬいた所にありました。 -
高浜虚子。
俳人。明治7年~昭和34年。正岡子規に師事。 -
大佛次郎。
小説家、戯曲家、翻訳家。明治30年~昭和48年。 -
代表作に:鞍馬天狗シリーズ、霧笛、帰郷、宗方姉妹、パリ燃ゆ。
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裏山の崖の裾にはこういった”やぐら”と称する横穴墳墓が続いています。
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そういった所に北条政子の墓と伝えられるやぐらがあります。墓地の一番奥で分かりにくい場所でした。
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伝北条政子の墓。
北条時政の娘で、源頼朝の正室。1157~1225年。
息子頼家、実朝亡き後京都から迎えた傀儡将軍の後見として幕政を取り仕切り、尼将軍と呼ばれる。太平記より前の時代です。 -
五輪塔。
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伝源実朝の墓。
鎌倉幕府3代将軍。源頼朝の次男。非業の死を遂げた兄、2代将軍源頼家の息子源公暁に鶴岡八幡宮で暗殺される。1192~1219年。
武人としてよりも歌人として優れ「金槐和歌集」がある。 -
実朝の墓も五輪塔です。
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政子と実朝の墓は並んでいます。
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寿福寺に墓地のほうから入りましたが、中門から先は関係者以外立ち入り禁止でした。
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長い参道の先に山門が見えます。
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参道には静寂さが漂っていました。
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寿福寺。
頼朝死の翌年1200年、北条政子の開基、栄西禅師の開山。鎌倉五山の第三位。
頼朝の父、源義家の館があった跡といいます。 -
寿福金剛禅寺。
総門。 -
寿福寺の少し先にある英勝寺。
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太田道灌の屋敷跡。道灌の子孫で徳川家康に仕えたお梶方(英勝院)が建てた尼寺。
お梶の方と水戸家の関係から、代々水戸家の姫君が住職を務めた。 -
本日はお休みでした。
寿福寺といい英勝寺といい、中を見られなかったのは心残りです。 -
太田道灌邸旧跡。
ここは太田道灌、江戸城築城前の住居だった。 -
そばをJR横須賀線が走っています。
線路沿いを鎌倉駅まで歩いて戻りました。
ここまでがその1です。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 万歩計さん 2021/05/30 11:32:30
- 太平記
- ベームさん、おはようございます。度々ご訪問いただ「いいね」、きありがとうございます。
太平記、私も巣ごもりを利用して吉川英治の「私本太平記」8巻を読み直しました。最初に読んだのは35年ほど前、通勤時間に少しづつ読んで半年近くかかったと思います。二度目になるとストーリーがある程度わかっているので、深読みが出来ます。今は引き続き「新・平家物語」16巻を読んでます。平家→源氏→北条→南北朝→足利と移り行く栄枯盛衰の歴史、吉川英治の作品は読みやすいです。
鎌倉は太平記での新田義貞の鎌倉攻め、新・平家物語での頼朝の雌伏と旗揚げ、歴史の舞台ですね。鎌倉といえばすぐに頭に浮かぶメロディーが2曲あります。
唱歌 鎌倉:https://www.youtube.com/watch?v=Kw6Em3oeDEk
グレープ 縁切寺:https://www.youtube.com/watch?v=qzMHUab8Omg
ところでハンドルネームの「ベームさん」の由来は?私はすぐにドイツの大指揮者カール・ベームを連想しました。
万歩計
- ベームさん からの返信 2021/05/30 19:15:09
- Re: 太平記
- 万歩計さん、
書き込み有難うございます。こちらこそ度々のご訪問有難うございます。
万歩計さんも日本の中世の歴史、物語に興味おありなのですね。私もそうですが、軍記物の抜粋を読むだけで、万歩計さんのような深読みはしていません。吉川英治さんの著は格好のものですね。
ここ数年日本の歴史に俄然関心が湧き高校の教科書を初め手当たり次第に読んでいます。最近読んでいるのは今年亡くなられた半藤一利さんの昭和史ものです。
ベーム、仰る通り指揮者ベームの名を頂きました。学生時代からずっとベームフアンです。初めてレコードを買ったのがベーム指揮、ウイーンフィルのベートーヴェン「交響曲第7番」でしたのでそれ以来です。
ではさらなるご活躍を期待しております。
バーム
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