2018/03/25 - 2018/03/27
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旅人のくまさんさん
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四国の日本百名城、松山城の紹介です。松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える平山城です。日本三大平山城に数えられ、日本三大連立式平山城にも数えられています。日本の12箇所に現存する天守の一つを有します。
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
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麓から山頂までは、往きはロープウェイを利用し、帰りはリフトを利用しました。往きのリフトが麓駅に到着する直前の光景です。ロープウェイの公式HPには、『乗車定員47名、10分間隔で運行しております。所要時間は約3分です』と紹介されていました。
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間もなく麓駅への到着です。リフトの方は、随時運航していて、所要時間は約6分と紹介されていました。松山城本丸は標高132mの山頂にあるため、歩いて登るのはなかなか大変です。
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ロープウェイの中から眺めた麓方面の光景です。左側にリフトが見えていますが、リフトも、上り下りともに満員でした。ロープウェイ、リフトともに、周?y苦役は、8合目とされる『長者ヶ平』です。
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イチオシ
令和元年の安全報告書(平成30年度の事故等の発生状況)の紹介です。
(1)索道運転事故
*ロープウェイ:発生なし。
*リフト:発生なし。
(2)インシデント(事故の兆候)
*発生なし。(以下に続く) -
(3)災害(地震や暴風雨、豪雨など)による運休など
*ロープウェイ:台風による強風のため、1日間延2時間20分、運行を停止。
*リフト:雨天等のため、73日間延356時間30分、運行を停止。
(4)行政指導等:四国運輸局の行政指導はありません。 -
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松山城の山頂近くの『長者ヶ平』に到着しました。これから先は、歩いての見学です。『長者ヶ平』から天守入口までは、徒歩10分ほどです。前方に見えている建物が、今乗って来たロープウェイの山頂駅です。その建物の前に、記念撮影用の顔出しセットが置かれていました。
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松山城の城郭の姿が見えてきました。高石垣の上に建つこの櫓は、下見板張りの二層の櫓でした。あまり自信はありませんが、『太鼓櫓』当たりになるようです。
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『石垣』のタイトルがあった説明パネルの光景です。石垣は、松山城の特徴の一つとされ、日本最大級の登り石垣が紹介されていました。石材は、主に花崗岩で、隅部は、ほとんど算木積が使われ、本丸を囲む高石垣は、10メートルを超える高さと紹介してありました。築城当時のいしがきものこり、見所が平面図上に記されていました。
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高石垣の光景です。右上当たりが布積の切込み接ぎ、左下部分が乱積の切込み接ぎになります。その高石垣の上に、満開の染井吉野が顔を出していました。先程の『石垣』の説明図の中に、『はばき石垣』が本丸南側に記されていましたが、『ハバキ石垣』は『サヤ石垣』とも呼ばれます。石垣が膨らんだ箇所を崩れないように外側から押さえて保護する役割があります。熊本城等にも例があります。
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はっきりとは読み取れませんでしたが、ネット検索も併用しながら、中央奥に見える案内看板は『二の丸史跡庭園・黒門口登城道・案内図』であることが分かりました。往復の所要時間は、約1時間とも記してあるようです。
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イチオシ
中央奥に小さく見えているのが、『本壇』の建物群の一部になるようです。推測ですが、『本壇』の西南角に位置する『南隅櫓』になるようです。その右手に微かに見えているのは小天守かも知れません。そして、右手前が『太鼓櫓』当たりになるようです。
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『重要文化財・戸無門』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左側に『中ノ門跡』が、右側に『戸無門』が紹介されていました。戸無門は、本丸の大手登城道に設けられ、創建当時から、戸がなかったらしいことが紹介されていました。『中ノ門』は、太鼓櫓の石垣の下に設けられていましたが、明治時代に取り壊されたと紹介されていました。迷路の一つでした。
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本丸の南側方面から眺めた、北側方面の光景です。下見板張りの二層の櫓の姿がありました。『太鼓櫓』でしょうか。
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満開の染井吉野と松山城の光景です。染井吉野に隠れてしまいましたが、その背後に見る建物は、『巽櫓』当たりになるようです。巽櫓は二重櫓で、一重目南面に千鳥破風が付けられています。本丸大手の正門と位置づけられている太鼓門と一体となって防衛線を構築しています。戦災で焼失し、巽櫓西塀とともに昭和61年(1986年)の再建です。
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『太鼓門』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『本丸大手の正門』とされる門です。松山城の大手側登城ルートで本丸の筒井門を潜った先に位置し、この先が天守の建つ本壇となります。巽櫓、太鼓櫓とともに、松山城の第二の防衛線を構築している紋と紹介されていました。
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『筒井門』の入口上部のズームアップ光景です。この門は築城の際、正木城から移建されたと伝えられる松山城最大の門です。三之丸・二之丸から本丸へ向かう、大手(正面)の固めを構成する重要な櫓門で、城中で最も重要かつ堅固な所となっています。
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振り返って眺めた、南側方面の光景です。左手に見える建物が、『券売所』になるようです。北側の本丸方面に向かって、緩やかな登り勾配になっていました。
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イチオシ
正面奥が松山城の天守です。現在の大天守は、黒船来航の前年である1852年に、石垣普請とともに再建工事が完了し、安政元年(1854年)に落成した3代目の天守です。連立式3重3階地下1階構造の層塔型天守です。手前の右手方面が本壇への入口の『一ノ門』です。
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『重要文化財・一ノ門』のタイトルがあった説明立札の光景です。『脇戸付の高麗門で、本壇の入口門』と紹介してありました。天明4年(1784年)の雷火で消失し、安政元年(1854年)に再建された門です。
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外側から眺めた、『一ノ門』の光景です。『一ノ門』の南側(右手の石垣)が、『一ノ門南櫓』、北側(正面奥)が『三ノ門南櫓』になります。高麗門形式の門です。
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『一ノ門』の下から眺めた、東側方面の光景です。庭木に半ば隠れましたが、中央奥に見えるのが『二ノ門南櫓』、右側の塀が、『一ノ門東塀』です。左手の石垣と板塀が『三ノ門南櫓』になります。
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『重要文化財・二ノ門』のタイトルがあった説明立札の光景です。『本壇における二番目の門で、薬医門形式』と紹介されていました。天守と三の丸東塀の狭間が防御施設になるようです。天明4年(1784年)の雷火で消失し、安政元年(1854年)に再建された門です。
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『重要文化財・三ノ門』のタイトルがあった説明立札の光景です。『本壇における三番目の門で、高麗門形式』と粗油買いされていました。南北に通じるこの門は、北側は天守により、南側は三の丸櫓により防御される構造となっています。
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『重要文化財・三ノ門南櫓』のタイトルがあった説明立札の光景です。『一ノ門、二ノ門、三ノ門を防衛する役目を持つ一重櫓』と紹介されていました。天明4年(1784年)の雷火で消失し、安政元年(1854年)に再建された櫓です。
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多重に通路が折れ曲がり、迷路のようになった、『三ノ門南櫓』付近の防御構造です。『三ノ門南櫓』の南側に『一ノ門』、東に『二ノ門』、北に『三ノ門』が位置します。次に紹介する『本壇配置図』で確認できます。
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『松山城・本壇・配置図』のタイトルがあった説明パネルの光景です。松山城は本丸の内、連格式の天守がある部分を『本壇』と呼んでいます。本壇の中心の建物が大天守、本壇への入口が『一ノ門』になります。
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『仕切門』が見える場所の光景です。一の門から二の門を過ぎて、天守穴蔵石垣下を北に進み、さらに西折れすると、この門がある場所に達します。『玄関多門櫓』が『仕切門』の守りの役目を持っています。
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重要文化財の『仕切門』のズームアップ光景です。仕切門は、一間一戸脇戸付高麗門(こうらいもん)で、本瓦葺です。南(左側)は天守穴蔵石垣に寄掛柱を託し、北の脇戸柱には仕切門内塀が取り合います。
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『重要文化財・仕切門』のタイトルがあった説明立札の光景です。天守の北側に位置する、脇戸付きの高麗門です。内門徒の間が枡形になっています。天明4年(1784年)の雷火で消失し、安政元年(1854年)に再建された門です。
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