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四国の日本百名城巡り、愛媛県の今治城の紹介です。別名は吹揚城です。今治は瀬戸内海の海運の要衝として栄えた街で、今治城も海を活かし堀に直接海水を引き入れる構造となっていました。今治城は、城造りの名人・藤堂高虎により1602年に築城が始まり、2年後に完成しました。

2018春、四国の日本百名城(28/42):3月27日(1):今治城(1):今治のホテル、三大水城

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2018/03/25 - 2018/03/27

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旅人のくまさん

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四国の日本百名城巡り、愛媛県の今治城の紹介です。別名は吹揚城です。今治は瀬戸内海の海運の要衝として栄えた街で、今治城も海を活かし堀に直接海水を引き入れる構造となっていました。今治城は、城造りの名人・藤堂高虎により1602年に築城が始まり、2年後に完成しました。

交通手段
観光バス 新幹線
  • 今治で泊まった、『今治国際ホテル』の居室光景です。2泊3日の四国お城巡りの最終日の朝になりました。カーテン越しに差し込んだ、朝の光です。3日間で9カ所の日本百名城巡りですが、最終日に4箇所が組み込まれたツアーでした。

    今治で泊まった、『今治国際ホテル』の居室光景です。2泊3日の四国お城巡りの最終日の朝になりました。カーテン越しに差し込んだ、朝の光です。3日間で9カ所の日本百名城巡りですが、最終日に4箇所が組み込まれたツアーでした。

  • 今治で泊まった、『今治国際ホテル』の居室の紹介が続きます。旅行社に注文していたのは、シングルルームでしたが、ツインの部屋が用意されていました。宿泊でのお城巡りツアでのホテルは、自摸期待していませんが、今回は、2泊ともちゃんとしたホテルが用意されていました。

    今治で泊まった、『今治国際ホテル』の居室の紹介が続きます。旅行社に注文していたのは、シングルルームでしたが、ツインの部屋が用意されていました。宿泊でのお城巡りツアでのホテルは、自摸期待していませんが、今回は、2泊ともちゃんとしたホテルが用意されていました。

  • ぼんやりとした光景になったのは、ガラス戸越しに眺めた、洗面室の光景のためです。あるいは、こちら側の施設が写り込んだためかもしれません。

    ぼんやりとした光景になったのは、ガラス戸越しに眺めた、洗面室の光景のためです。あるいは、こちら側の施設が写り込んだためかもしれません。

  • 今治で泊まったホテルでのバイキング方式の朝食です。今日はご飯をやめて、麺類だけにしました。これ以外の品は、飲み物だけです。公式HPによれば、館内には、和・洋・中華の7店舗が入居しているようです。

    今治で泊まったホテルでのバイキング方式の朝食です。今日はご飯をやめて、麺類だけにしました。これ以外の品は、飲み物だけです。公式HPによれば、館内には、和・洋・中華の7店舗が入居しているようです。

  • 泊まった部屋から眺めた、早朝の今治市内の光景です。今治市は、愛媛県北東部に位置する、人口約16万人の中都市です。海路・陸路の便に優れ、今治市と広島県の道市を結ぶしまなみ海道があり、大島、伯方島、大三島などの島々を結んでいます。

    泊まった部屋から眺めた、早朝の今治市内の光景です。今治市は、愛媛県北東部に位置する、人口約16万人の中都市です。海路・陸路の便に優れ、今治市と広島県の道市を結ぶしまなみ海道があり、大島、伯方島、大三島などの島々を結んでいます。

  • 同じく、泊まった部屋から眺めた、早朝の今治市内の光景です。

    同じく、泊まった部屋から眺めた、早朝の今治市内の光景です。

  • 泊まった部屋から眺めた、早朝の今治市内の光景です。

    泊まった部屋から眺めた、早朝の今治市内の光景です。

  • ホテルのロビーに置いてあった飾り物です。黒漆を塗った豪華な台の中心には、ミニサイズの甲冑が飾ってありました。平安・武久作の『京甲冑」の表示に、細かい仕上げが記してありました。

    ホテルのロビーに置いてあった飾り物です。黒漆を塗った豪華な台の中心には、ミニサイズの甲冑が飾ってありました。平安・武久作の『京甲冑」の表示に、細かい仕上げが記してありました。

  • 正面から眺めた、『今治国際ホテル』の建物光景です。玄関付近には、出発予定の観光バスが難題もスタンバイしていました。公式HPには、1000名まで収容可能な「クリスタルホール」をはじめ、大中小合わせて13の宴会場が用意されていることが紹介されていました。

    正面から眺めた、『今治国際ホテル』の建物光景です。玄関付近には、出発予定の観光バスが難題もスタンバイしていました。公式HPには、1000名まで収容可能な「クリスタルホール」をはじめ、大中小合わせて13の宴会場が用意されていることが紹介されていました。

  • 正面下部の『今治国際ホテル』の建物光景です。

    正面下部の『今治国際ホテル』の建物光景です。

  • 正面より右側の『今治国際ホテル』の建物光景です。

    正面より右側の『今治国際ホテル』の建物光景です。

  • ホテルの前のモニュメントの光景です。ギリシャ神話を題材にしたモニュメントのようですが、詳細は分かりませんでした。二頭立ての馬車に乗った女神像のようです。

    ホテルの前のモニュメントの光景です。ギリシャ神話を題材にしたモニュメントのようですが、詳細は分かりませんでした。二頭立ての馬車に乗った女神像のようです。

  • 振り返って眺めた、『今治国際ホテル』の建物光景です。今日の最初の見学地、『今治城址』までは、歩いて10分の距離のホテルです。JR今治駅からも徒歩10分と紹介されていました。

    振り返って眺めた、『今治国際ホテル』の建物光景です。今日の最初の見学地、『今治城址』までは、歩いて10分の距離のホテルです。JR今治駅からも徒歩10分と紹介されていました。

  • 朝の今治市街光景です。

    朝の今治市街光景です。

  • 『指定史跡・今治城跡』の文字が刻まれた大きな石標の光景です。現在は愛媛県の指定の史跡ですが、将来の国指定を期待してのものでしょうか、敢て県指定とは記されていませんでした。

    『指定史跡・今治城跡』の文字が刻まれた大きな石標の光景です。現在は愛媛県の指定の史跡ですが、将来の国指定を期待してのものでしょうか、敢て県指定とは記されていませんでした。

  • 銅像の脇から眺めた、今治城址の天守の光景です。今治城は江戸時代を通してその城郭を維持し続けましたが、明治初期の廃城令により、ほとんどの建物が破壊され、江戸時代の姿を残しているのは石垣と内堀のみです。<br />

    銅像の脇から眺めた、今治城址の天守の光景です。今治城は江戸時代を通してその城郭を維持し続けましたが、明治初期の廃城令により、ほとんどの建物が破壊され、江戸時代の姿を残しているのは石垣と内堀のみです。

  • 銅像のズームアップ光景です。『桧垣俊幸翁』の名前が記されていました。造船シェアで国内首位、世界でも4位の今治造船会長です。非上場企業ですから、企業の素顔は知られていないようです。2012年に週刊誌が発表した長者番付では、総資産が3千億ほどで、全国第3位にランクされていた人です。

    銅像のズームアップ光景です。『桧垣俊幸翁』の名前が記されていました。造船シェアで国内首位、世界でも4位の今治造船会長です。非上場企業ですから、企業の素顔は知られていないようです。2012年に週刊誌が発表した長者番付では、総資産が3千億ほどで、全国第3位にランクされていた人です。

  • 今治城のお堀と城郭光景です。

    今治城のお堀と城郭光景です。

  • 今治城のお堀と城郭光景です。

    今治城のお堀と城郭光景です。

  • 今治城のお堀と城郭光景です。

    今治城のお堀と城郭光景です。

  • 『ユキヤナギ(雪柳)』<br />バラ科シモツケ属の落葉低木<br />花期:春<br />分布:自生種は石川県で絶滅危惧I類に指定。中国原産説もあります。<br />その他:コゴメバナ、コゴメヤナギなどの別名を持ちます。

    『ユキヤナギ(雪柳)』
    バラ科シモツケ属の落葉低木
    花期:春
    分布:自生種は石川県で絶滅危惧I類に指定。中国原産説もあります。
    その他:コゴメバナ、コゴメヤナギなどの別名を持ちます。

  • 『ユキヤナギ(雪柳)』<br />バラ科シモツケ属の落葉低木<br />花期:春<br />分布:自生種は石川県で絶滅危惧I類に指定。中国原産説もあります。<br />その他:小さく、白い花のズームアップ光景です。

    『ユキヤナギ(雪柳)』
    バラ科シモツケ属の落葉低木
    花期:春
    分布:自生種は石川県で絶滅危惧I類に指定。中国原産説もあります。
    その他:小さく、白い花のズームアップ光景です。

  • 『ユキヤナギ(雪柳)』<br />バラ科シモツケ属の落葉低木<br />花期:春<br />分布:自生種は石川県で絶滅危惧I類に指定。中国原産説もあります。<br />その他:更にズームアップした白い花の光景です。

    『ユキヤナギ(雪柳)』
    バラ科シモツケ属の落葉低木
    花期:春
    分布:自生種は石川県で絶滅危惧I類に指定。中国原産説もあります。
    その他:更にズームアップした白い花の光景です。

  • 『ユキヤナギ(雪柳)』<br />バラ科シモツケ属の落葉低木<br />花期:春<br />分布:自生種は石川県で絶滅危惧I類に指定。中国原産説もあります。<br />その他:赤いオカメナンテンの葉との頃簿です。

    『ユキヤナギ(雪柳)』
    バラ科シモツケ属の落葉低木
    花期:春
    分布:自生種は石川県で絶滅危惧I類に指定。中国原産説もあります。
    その他:赤いオカメナンテンの葉との頃簿です。

  • 『日本三大水城』のイメージを今に残す、広々としたお堀の光景です。江戸時代に城の分類が行われ、平地にある城は『平城』、その中でも、海や川などに隣接し、その水を防御のための濠として利用しているものを『水城』と呼び、海や川などに隣接した山に造られた城も水城と呼ばれます。『日本三大水城』の跡の二つは、同じ四国の高松城と、九州の『中津城』です。

    『日本三大水城』のイメージを今に残す、広々としたお堀の光景です。江戸時代に城の分類が行われ、平地にある城は『平城』、その中でも、海や川などに隣接し、その水を防御のための濠として利用しているものを『水城』と呼び、海や川などに隣接した山に造られた城も水城と呼ばれます。『日本三大水城』の跡の二つは、同じ四国の高松城と、九州の『中津城』です。

  • 日本遺産の一つとして選ばれた、『よみがえる村上海賊の記憶』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左側が、『今治城跡』の中身出しがあった写真と、村上水軍の跡の解説文、右が『構成文化財』の中身出しがあった地図と船のイラストです。村上水軍は、は芸予諸島を中心としてr活動し、大まかに能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家に分かれました。

    日本遺産の一つとして選ばれた、『よみがえる村上海賊の記憶』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左側が、『今治城跡』の中身出しがあった写真と、村上水軍の跡の解説文、右が『構成文化財』の中身出しがあった地図と船のイラストです。村上水軍は、は芸予諸島を中心としてr活動し、大まかに能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家に分かれました。

  • 江戸時代前後の『村上水軍』について、少し紹介しておきます。戦国期には因島(いんのしま)村上氏が毛利氏に臣従しました。来島(くるしま)村上氏は毛利氏の支援する河野氏に臣従し、村上通康は越智姓を名乗ることを許されました。能島(のしま)村上氏は河野氏と友好関係を持っていましたが、臣従はしませんでした。

    江戸時代前後の『村上水軍』について、少し紹介しておきます。戦国期には因島(いんのしま)村上氏が毛利氏に臣従しました。来島(くるしま)村上氏は毛利氏の支援する河野氏に臣従し、村上通康は越智姓を名乗ることを許されました。能島(のしま)村上氏は河野氏と友好関係を持っていましたが、臣従はしませんでした。

  • 能島村上氏は、その後は中国地方に勢力を張る毛利水軍の一翼を担いました。元就が大内氏の陶晴賢と戦った1555年(弘治元年)の厳島の戦い、大友氏と争った五次に亘る『門司城の戦いの四次になる1561年(永禄4年)の豊前簑島合戦、1567年(永禄10年)からの毛利氏の伊予出兵、織田氏と争った1576年(天正4年)の第一次木津川口の戦いなどが知られています。

    能島村上氏は、その後は中国地方に勢力を張る毛利水軍の一翼を担いました。元就が大内氏の陶晴賢と戦った1555年(弘治元年)の厳島の戦い、大友氏と争った五次に亘る『門司城の戦いの四次になる1561年(永禄4年)の豊前簑島合戦、1567年(永禄10年)からの毛利氏の伊予出兵、織田氏と争った1576年(天正4年)の第一次木津川口の戦いなどが知られています。

  • 来島村上氏は早くから豊臣秀吉についたため独立大名とされ、他の二家は能島村上氏が小早川氏、因島村上氏は毛利氏の家臣となりました。1588年(天正16年)に豊臣秀吉が海賊停止令を出したことで、村上水軍は従来のような活動が不可能となり、海賊衆としての活動から撤退を余儀なくされました。

    来島村上氏は早くから豊臣秀吉についたため独立大名とされ、他の二家は能島村上氏が小早川氏、因島村上氏は毛利氏の家臣となりました。1588年(天正16年)に豊臣秀吉が海賊停止令を出したことで、村上水軍は従来のような活動が不可能となり、海賊衆としての活動から撤退を余儀なくされました。

  • 海賊停止令により、因島村上氏はそのまま毛利家の家臣となり、江戸期には長州藩の船手組となって周防国三田尻を根拠地としました。能島村上氏は毛利家から屋代島(周防大島)を与えられて臣従し、江戸期には因島村上氏とともに長州藩船手組となりました。来島村上氏は関ヶ原の戦いの結果、豊後国の内陸部にある玖珠郡に転封され(森藩)、海から遠ざけられました。

    海賊停止令により、因島村上氏はそのまま毛利家の家臣となり、江戸期には長州藩の船手組となって周防国三田尻を根拠地としました。能島村上氏は毛利家から屋代島(周防大島)を与えられて臣従し、江戸期には因島村上氏とともに長州藩船手組となりました。来島村上氏は関ヶ原の戦いの結果、豊後国の内陸部にある玖珠郡に転封され(森藩)、海から遠ざけられました。

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