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2019年夏休みのポーランド旅行記3日目後半。<br /><br />夕方ながら、雨が上がった後のグダンスクの観光を続けます。<br /><br />旧モトワヴァ運河など、旧市街の散策を一通り終えた後は、市の北側に位置する“ヨーロッパ連帯センター”へ。<br /><br />1980年代にポーランドの民主化を推し進めた“独立自主管理労働組合「連帯」”を記念するやや政治的な観光施設だから観光客は少ないと思っていたところ、若者から年配の方まで、実にたくさんの入場者が。<br /><br />改めて東欧共産主義崩壊の記録をたどることができ、東アジアではいまだ跋扈している共産主義国家のありかたについて、考えるきっかけとなった訪問となりました。<br /><br /><旅程表><br /> 2019年<br /> 7月 6日(土) 羽田→ミュンヘン→ワルシャワ<br /> 7月 7日(日) ワルシャワ<br />〇7月 8日(月) ワルシャワ→グダンスク<br /> 7月 9日(火) グダンスク→マルボルク城→グダンスク<br />          →トルン<br /> 7月10日(水) トルン→ウッチ→クラクフ<br /> 7月11日(木) クラクフ<br /> 7月12日(金) クラクフ→ヴィエリチカ岩塩坑→クラクフ<br /> 7月13日(土) クラクフ→アウシュヴィッツ・ビルケナウ<br />          強制絶滅収容所→クラクフ<br /> 7月14日(日) クラクフ→ミュンヘン→<br /> 7月15日(月) →羽田

雨多き初夏のポーランド(4) グダンスクのヨーロッパ連帯センター~東欧共産主義崩壊の記録

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2019/07/08 - 2019/07/08

12位(同エリア182件中)

8

34

エンリケ

エンリケさん

この旅行記スケジュールを元に

2019年夏休みのポーランド旅行記3日目後半。

夕方ながら、雨が上がった後のグダンスクの観光を続けます。

旧モトワヴァ運河など、旧市街の散策を一通り終えた後は、市の北側に位置する“ヨーロッパ連帯センター”へ。

1980年代にポーランドの民主化を推し進めた“独立自主管理労働組合「連帯」”を記念するやや政治的な観光施設だから観光客は少ないと思っていたところ、若者から年配の方まで、実にたくさんの入場者が。

改めて東欧共産主義崩壊の記録をたどることができ、東アジアではいまだ跋扈している共産主義国家のありかたについて、考えるきっかけとなった訪問となりました。

<旅程表>
 2019年
 7月 6日(土) 羽田→ミュンヘン→ワルシャワ
 7月 7日(日) ワルシャワ
〇7月 8日(月) ワルシャワ→グダンスク
 7月 9日(火) グダンスク→マルボルク城→グダンスク
          →トルン
 7月10日(水) トルン→ウッチ→クラクフ
 7月11日(木) クラクフ
 7月12日(金) クラクフ→ヴィエリチカ岩塩坑→クラクフ
 7月13日(土) クラクフ→アウシュヴィッツ・ビルケナウ
          強制絶滅収容所→クラクフ
 7月14日(日) クラクフ→ミュンヘン→
 7月15日(月) →羽田

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
3.0
グルメ
4.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
徒歩
航空会社
ルフトハンザドイツ航空
旅行の手配内容
個別手配
  • 7月8日(月)<br />夕方ながら、グダンスクの観光を続けます。<br /><br />“地球の歩き方”を見ていたところ、市の北側に位置する“ヨーロッパ連帯センター”という施設がまだ開館していて興味が湧いたので、行ってみることに。<br /><br />旧市街からてくてくと北上を続け、17時、遊園地と見まがうような入口に到着。

    7月8日(月)
    夕方ながら、グダンスクの観光を続けます。

    “地球の歩き方”を見ていたところ、市の北側に位置する“ヨーロッパ連帯センター”という施設がまだ開館していて興味が湧いたので、行ってみることに。

    旧市街からてくてくと北上を続け、17時、遊園地と見まがうような入口に到着。

  • その入口の隣には、空に向かって伸びる3本の柱の記念碑が。

    その入口の隣には、空に向かって伸びる3本の柱の記念碑が。

    連帯記念碑 モニュメント・記念碑

  • その柱には、“SOLIDARNOSC”(ソリダルノスチ)という文字と、労働者をイメージしたレリーフが刻まれています。<br /><br />“SOLIDARNOSC”とは、“独立自主管理労働組合「連帯」”のこと。<br /><br />1980年にここグダンスクで結成され、1980年代を通じて、当時共産主義の名の下に市民の自由が束縛されていたポーランドの民主化を推し進める原動力となった労働者の組織です。<br /><br />この記念碑は、ポーランドの民主化運動で政府に弾圧され犠牲となった、労働者をはじめとする人々を追悼しているもの・・・。

    その柱には、“SOLIDARNOSC”(ソリダルノスチ)という文字と、労働者をイメージしたレリーフが刻まれています。

    “SOLIDARNOSC”とは、“独立自主管理労働組合「連帯」”のこと。

    1980年にここグダンスクで結成され、1980年代を通じて、当時共産主義の名の下に市民の自由が束縛されていたポーランドの民主化を推し進める原動力となった労働者の組織です。

    この記念碑は、ポーランドの民主化運動で政府に弾圧され犠牲となった、労働者をはじめとする人々を追悼しているもの・・・。

  • 連帯記念碑の前には、5か国語で書かれた案内板が。<br /><br />英語では、“MEMORIAL OF THE FALLEN SHIPYARD WORKERS 1970”(1970年に命を落とした造船所労働者の記念碑)と題され、次の文章が刻まれています。<br /><br />“A token everlasting remembrance of the slaughter victims.”<br />(虐殺された犠牲者の永遠の記憶)<br /><br />“A worning to rulers that no social conflict in our country can be resolved by force.”<br />(我が国の社会的対立は力で解決できないという支配者への警告)<br /><br />“A sign of hope for fellew-citizens that evil need not prevail.”<br />(悪が勝つことはないという、市民同胞に対する希望のしるし)

    連帯記念碑の前には、5か国語で書かれた案内板が。

    英語では、“MEMORIAL OF THE FALLEN SHIPYARD WORKERS 1970”(1970年に命を落とした造船所労働者の記念碑)と題され、次の文章が刻まれています。

    “A token everlasting remembrance of the slaughter victims.”
    (虐殺された犠牲者の永遠の記憶)

    “A worning to rulers that no social conflict in our country can be resolved by force.”
    (我が国の社会的対立は力で解決できないという支配者への警告)

    “A sign of hope for fellew-citizens that evil need not prevail.”
    (悪が勝つことはないという、市民同胞に対する希望のしるし)

  • そんな記念碑を見ながら、“ヨーロッパ連帯センター”(Europejskie Centrum Solidarnosci)本体の建物へ。<br /><br />この“ヨーロッパ連帯センター”、“連帯”の足跡を展示する博物館部分のほかに、図書館や会議室、レストランなどもあるようで、全体としてけっこう大きな建物となっています。<br /><br />【ヨーロッパ連帯センターHP(英語版)】<br />https://ecs.gda.pl/

    そんな記念碑を見ながら、“ヨーロッパ連帯センター”(Europejskie Centrum Solidarnosci)本体の建物へ。

    この“ヨーロッパ連帯センター”、“連帯”の足跡を展示する博物館部分のほかに、図書館や会議室、レストランなどもあるようで、全体としてけっこう大きな建物となっています。

    【ヨーロッパ連帯センターHP(英語版)】
    https://ecs.gda.pl/

    連帯博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 受付で入館料20ズウォティ(約580円)を払い、見学開始。<br /><br />入館者にはもれなく各国語の無料音声ガイドがついてくるのですが、貸出カウンターのハンディキャップを持っていると思しき若者に日本語ガイドはあるか尋ねたところ、残念ながらないとのこと・・・当たり前か。<br /><br />そんなこんなで英語のガイド機を受け取り、2階に上がって最初の部屋、“連帯”の中心人物で後のポーランド大統領、レフ・ワレサが所属していた“レーニン造船所”(レーニン記念グダンスク造船所)の展示から。<br /><br />展示内容からして、それほど入館者はいないのかなと思っていたら、子どもから高齢者まで非常にたくさんの入館者が、音声ガイドに耳を傾けながら、ひとつひとつの展示物に見入っていたのに驚き。

    受付で入館料20ズウォティ(約580円)を払い、見学開始。

    入館者にはもれなく各国語の無料音声ガイドがついてくるのですが、貸出カウンターのハンディキャップを持っていると思しき若者に日本語ガイドはあるか尋ねたところ、残念ながらないとのこと・・・当たり前か。

    そんなこんなで英語のガイド機を受け取り、2階に上がって最初の部屋、“連帯”の中心人物で後のポーランド大統領、レフ・ワレサが所属していた“レーニン造船所”(レーニン記念グダンスク造船所)の展示から。

    展示内容からして、それほど入館者はいないのかなと思っていたら、子どもから高齢者まで非常にたくさんの入館者が、音声ガイドに耳を傾けながら、ひとつひとつの展示物に見入っていたのに驚き。

  • 続いては1970年に共産主義政権に対して起こった労働者の暴動の記録。<br /><br />1970年12月、ポーランド政府は食糧等の生活物資の大幅値上げを発表。<br /><br />14日にそれに反対するグダンスク、シュチェチンなどバルト海沿岸の労働者が暴動を起こし、党支部への放火や略奪等を行います。<br /><br />政府は軍を出動させて暴動を鎮圧しますが、公式発表では死者は45人、西側筋の観測では数百人に達したとのこと。<br /><br />そのときの逮捕者の写真や、犠牲になった人々の写真(ここにはアップできないようなものです。)が生々しく展示されていました・・・。

    続いては1970年に共産主義政権に対して起こった労働者の暴動の記録。

    1970年12月、ポーランド政府は食糧等の生活物資の大幅値上げを発表。

    14日にそれに反対するグダンスク、シュチェチンなどバルト海沿岸の労働者が暴動を起こし、党支部への放火や略奪等を行います。

    政府は軍を出動させて暴動を鎮圧しますが、公式発表では死者は45人、西側筋の観測では数百人に達したとのこと。

    そのときの逮捕者の写真や、犠牲になった人々の写真(ここにはアップできないようなものです。)が生々しく展示されていました・・・。

  • こちらは言わずと知れたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(在位:1978-2005年)。<br /><br />クラクフ近郊の街ヴァドヴィツェで生まれ、クラクフの大司教も務めた彼は、1978年、第264代ローマ教皇に選出。<br /><br />その翌年の1979年には教皇として初めてポーランドを訪問。<br /><br />ポーランド人教皇の誕生は、ポーランドにおけるナショナリズムの高揚と、共産主義国としてソビエト連邦の衛星国であることへの抵抗心を一層大きくすることになり、ヨハネ・パウロ2世はポーランドにおける民主化運動の精神的支柱となっていきます。

    こちらは言わずと知れたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(在位:1978-2005年)。

    クラクフ近郊の街ヴァドヴィツェで生まれ、クラクフの大司教も務めた彼は、1978年、第264代ローマ教皇に選出。

    その翌年の1979年には教皇として初めてポーランドを訪問。

    ポーランド人教皇の誕生は、ポーランドにおけるナショナリズムの高揚と、共産主義国としてソビエト連邦の衛星国であることへの抵抗心を一層大きくすることになり、ヨハネ・パウロ2世はポーランドにおける民主化運動の精神的支柱となっていきます。

  • こちらは1980年の“連帯”結成時の写真。<br /><br />1980年8月、グダンスクのレーニン造船所で、レフ・ワレサ(“ワレサ”は日本語の誤読。正しくは“ヴァウェンサ”)率いる労働者たちがストライキに突入。<br /><br />翌9月、グダンスクで自由労働組合の全国代表者会議が開催され、独立自主管理労働組織「連帯」を結成。<br /><br />ワレサはその中心人物となり、時の共産主義政権に対し、自由と民主化を求めていくこととなります。

    こちらは1980年の“連帯”結成時の写真。

    1980年8月、グダンスクのレーニン造船所で、レフ・ワレサ(“ワレサ”は日本語の誤読。正しくは“ヴァウェンサ”)率いる労働者たちがストライキに突入。

    翌9月、グダンスクで自由労働組合の全国代表者会議が開催され、独立自主管理労働組織「連帯」を結成。

    ワレサはその中心人物となり、時の共産主義政権に対し、自由と民主化を求めていくこととなります。

  • こちらは1982年の憲法記念日(日本と同じ5月3日)に全国で政府への抗議集会が開催され、多数の参加者が拘束されたときの様子を再現したもの。<br /><br />トラックは拘束された人々を運ぶために使われたもののようです・・・。

    こちらは1982年の憲法記念日(日本と同じ5月3日)に全国で政府への抗議集会が開催され、多数の参加者が拘束されたときの様子を再現したもの。

    トラックは拘束された人々を運ぶために使われたもののようです・・・。

  • そしてこちらはポーランドにおいて共産主義が崩壊し、他の東欧諸国にも波及していくきっかけとなった、歴史に名高い“円卓会議”のセット。<br /><br />長期にわたる経済停滞と民衆の民主化運動などで行き詰まっていた時のポーランド政府は、“連帯”を中心とする民主化勢力との対話を開始することで合意。<br /><br />1989年2月6日から4月5日にかけて、ワルシャワの閣僚評議会本部においてその“円卓会議”が開催され、歴史的な自由選挙の実施が決定されることに。<br /><br />再現された部屋は、どの場所に誰が座ったかも明記されていて、現代に生きるポーランド人(そして他のヨーロッパ諸国の人々も)にとっては非常に意義深い部屋のためか、ワレサの席に座って記念写真を撮る人の姿が多く見受けられました。

    そしてこちらはポーランドにおいて共産主義が崩壊し、他の東欧諸国にも波及していくきっかけとなった、歴史に名高い“円卓会議”のセット。

    長期にわたる経済停滞と民衆の民主化運動などで行き詰まっていた時のポーランド政府は、“連帯”を中心とする民主化勢力との対話を開始することで合意。

    1989年2月6日から4月5日にかけて、ワルシャワの閣僚評議会本部においてその“円卓会議”が開催され、歴史的な自由選挙の実施が決定されることに。

    再現された部屋は、どの場所に誰が座ったかも明記されていて、現代に生きるポーランド人(そして他のヨーロッパ諸国の人々も)にとっては非常に意義深い部屋のためか、ワレサの席に座って記念写真を撮る人の姿が多く見受けられました。

  • こちらが円卓会議に臨むワレサ議長。<br /><br />もうすっかり過去の人になったのかなと思っていたら、70歳を超えた最近も、母国の右傾化に警鐘を鳴らし続けているようです。<br /><br />【激動ヨーロッパ】「連帯」ワレサ氏は憲法Tシャツ ポーランド民主化30年(2019年6月27日産経新聞)<br />https://www.sankei.com/premium/news/190627/prm1906270004-n1.html

    こちらが円卓会議に臨むワレサ議長。

    もうすっかり過去の人になったのかなと思っていたら、70歳を超えた最近も、母国の右傾化に警鐘を鳴らし続けているようです。

    【激動ヨーロッパ】「連帯」ワレサ氏は憲法Tシャツ ポーランド民主化30年(2019年6月27日産経新聞)
    https://www.sankei.com/premium/news/190627/prm1906270004-n1.html

  • そしてこちらが待ちに待った、東欧では初となる1989年6月4日の自由選挙の写真。<br /><br />投票箱がポーランドの国旗カラー(白と赤)になっているところが、国民の喜びを表現しているようで、今から見ると何とも憎い演出です。<br /><br />結果は、ワレサ率いる「連帯」が、下院議席の自由選挙枠35%の全てと、上院議席の99%を獲得するという“圧勝”に終わり、新政権は共産主義に基づいた憲法を改正。<br /><br />国民の直接選挙による大統領制も導入され、翌1990年、この大統領選挙によりワレサが当選。<br /><br />ポーランドの共産主義は完全に崩壊することになります。

    そしてこちらが待ちに待った、東欧では初となる1989年6月4日の自由選挙の写真。

    投票箱がポーランドの国旗カラー(白と赤)になっているところが、国民の喜びを表現しているようで、今から見ると何とも憎い演出です。

    結果は、ワレサ率いる「連帯」が、下院議席の自由選挙枠35%の全てと、上院議席の99%を獲得するという“圧勝”に終わり、新政権は共産主義に基づいた憲法を改正。

    国民の直接選挙による大統領制も導入され、翌1990年、この大統領選挙によりワレサが当選。

    ポーランドの共産主義は完全に崩壊することになります。

  • こちらは米国を訪れたワレサ大統領の写真。<br /><br />両手でVサインをしている様子がお茶目ですね(笑)。<br /><br />「連帯」の民主化運動が偉大なのは、徹底した話し合いにより“無血で”共産主義打倒を成し遂げたところですが、その秘訣は、ワレサその人の人格によるところが大きいのでしょうかね・・・。

    こちらは米国を訪れたワレサ大統領の写真。

    両手でVサインをしている様子がお茶目ですね(笑)。

    「連帯」の民主化運動が偉大なのは、徹底した話し合いにより“無血で”共産主義打倒を成し遂げたところですが、その秘訣は、ワレサその人の人格によるところが大きいのでしょうかね・・・。

  • 最後の展示室へ向かう壁には、“すべての人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する”という世界人権宣言第18条の各国語版の文章が。<br /><br />そういえば世界人権宣言が国連で1948年に採択された時、ソ連をはじめとする東欧共産主義諸国は棄権をしていたのですよね。

    最後の展示室へ向かう壁には、“すべての人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する”という世界人権宣言第18条の各国語版の文章が。

    そういえば世界人権宣言が国連で1948年に採択された時、ソ連をはじめとする東欧共産主義諸国は棄権をしていたのですよね。

  • そして最後の展示は東欧共産主義国家の変遷のスライド。<br /><br />1989年のポーランドを皮切りに、東欧の共産主義国家は、地球上から姿を消すことになります。<br /><br />一方でアジアは・・・。

    そして最後の展示は東欧共産主義国家の変遷のスライド。

    1989年のポーランドを皮切りに、東欧の共産主義国家は、地球上から姿を消すことになります。

    一方でアジアは・・・。

  • 最後に来館者の感想の札掛けが。<br /><br />ポーランドの民主化の軌跡を誇りに思う意見が多い中に・・・。

    最後に来館者の感想の札掛けが。

    ポーランドの民主化の軌跡を誇りに思う意見が多い中に・・・。

  • 香港で現在も続いている民主化運動(雨傘運動)を応援する意見(白札)と、それに反対する本土系の意見(赤札)が。<br /><br />簡体字を使っているところを見ると、“やらせ”ではなく本当の来館者の意見なのか・・・。

    香港で現在も続いている民主化運動(雨傘運動)を応援する意見(白札)と、それに反対する本土系の意見(赤札)が。

    簡体字を使っているところを見ると、“やらせ”ではなく本当の来館者の意見なのか・・・。

  • 以上で2階のポーランド民主化に関する展示の見学を終了。<br /><br />その2階の通路から、館内の様子をパチリ。<br /><br />共有部分は吹き抜けになっていて、緑豊かな木々も生えている、なかなかオシャレな建物です。

    以上で2階のポーランド民主化に関する展示の見学を終了。

    その2階の通路から、館内の様子をパチリ。

    共有部分は吹き抜けになっていて、緑豊かな木々も生えている、なかなかオシャレな建物です。

  • 1階に降りてきて、特別展らしき展示室へ(入場無料)。<br /><br />何が展示されているかというと・・・。

    1階に降りてきて、特別展らしき展示室へ(入場無料)。

    何が展示されているかというと・・・。

  • ポーランドにおいて民主化が進んでいた、1989年の世界情勢の写真。<br /><br />こちらはウクライナ、キエフのスーパーの様子。<br /><br />当時テレビでよく見た、行列をなして物を買い求める東欧諸国の人々の風景ですね。<br /><br />計画経済の下、生産活動が停滞していた共産主義の行き詰まりを象徴する写真です。

    ポーランドにおいて民主化が進んでいた、1989年の世界情勢の写真。

    こちらはウクライナ、キエフのスーパーの様子。

    当時テレビでよく見た、行列をなして物を買い求める東欧諸国の人々の風景ですね。

    計画経済の下、生産活動が停滞していた共産主義の行き詰まりを象徴する写真です。

  • こちらはポーランドの民主化運動に刺激され、政治改革を求める学生たちが天安門広場に集結していた1989年5月の中国の様子。<br /><br />あの“六四天安門事件”(上記のポーランドにおける東欧初の自由選挙と奇しくも同日!)のひと月前の様子ですね。

    こちらはポーランドの民主化運動に刺激され、政治改革を求める学生たちが天安門広場に集結していた1989年5月の中国の様子。

    あの“六四天安門事件”(上記のポーランドにおける東欧初の自由選挙と奇しくも同日!)のひと月前の様子ですね。

  • 左は1989年5月29日のTIME誌。<br /><br />北京の天安門において民主化を求める学生が表紙を飾っています。<br /><br />中央は同5月、中国を公式訪問したソ連のゴルバチョフ書記長。<br /><br />予定していた天安門広場での歓迎式典が中止され、万里の長城での記念撮影となっています。<br /><br />そして右下は天安門広場に集まった学生たち。<br /><br />この1か月後に“あの事件”を迎えることになろうとは・・・。

    左は1989年5月29日のTIME誌。

    北京の天安門において民主化を求める学生が表紙を飾っています。

    中央は同5月、中国を公式訪問したソ連のゴルバチョフ書記長。

    予定していた天安門広場での歓迎式典が中止され、万里の長城での記念撮影となっています。

    そして右下は天安門広場に集まった学生たち。

    この1か月後に“あの事件”を迎えることになろうとは・・・。

  • 最後は1989年6月8日、天安門事件の犠牲者に哀悼の意を表し、中国大使館に抗議を示すワルシャワの学生たち。<br /><br />政府と民主化運動者たちとの徹底した話し合いにより“無血で”民主化を成功させたポーランドと、民主化運動を武力で鎮圧した中国。<br /><br />その後も現在に至るまで中国の共産主義が続いているのを見ると、歴史には“必然の流れ”というものはなく、その時その時の支配者の対応で、未来が作られていくのだということを考えさせられます・・・。<br /><br />当時の共産主義陣営にとっては、この“1989年”が未来への大きな分かれ目だったのでしょうね。<br /><br />以上、19時30分の閉館時間となり、約2時間でヨーロッパ連帯センターの見学を終了。

    最後は1989年6月8日、天安門事件の犠牲者に哀悼の意を表し、中国大使館に抗議を示すワルシャワの学生たち。

    政府と民主化運動者たちとの徹底した話し合いにより“無血で”民主化を成功させたポーランドと、民主化運動を武力で鎮圧した中国。

    その後も現在に至るまで中国の共産主義が続いているのを見ると、歴史には“必然の流れ”というものはなく、その時その時の支配者の対応で、未来が作られていくのだということを考えさせられます・・・。

    当時の共産主義陣営にとっては、この“1989年”が未来への大きな分かれ目だったのでしょうね。

    以上、19時30分の閉館時間となり、約2時間でヨーロッパ連帯センターの見学を終了。

  • 19時50分、宿へ戻る途中のグダンスク本駅周辺の風景。<br /><br />影がすっかり長くなって、グダンスクも夕暮れの時間帯ですね。

    19時50分、宿へ戻る途中のグダンスク本駅周辺の風景。

    影がすっかり長くなって、グダンスクも夕暮れの時間帯ですね。

    グダンスク本駅

  • 21時、宿で少し休憩した後、夜景を見に再び旧市街へ。<br /><br />・・・と、その前に夕食を。<br /><br />ドゥーガ通りの1本北の通りにある、観光客で賑わっているお店へ入り、まずはポーランドのビール、LECHを注文。<br /><br />うーむ、歩き疲れた体にはたまりませんな・・・。

    21時、宿で少し休憩した後、夜景を見に再び旧市街へ。

    ・・・と、その前に夕食を。

    ドゥーガ通りの1本北の通りにある、観光客で賑わっているお店へ入り、まずはポーランドのビール、LECHを注文。

    うーむ、歩き疲れた体にはたまりませんな・・・。

  • そしてポーランドの水餃子、“ピエロギ”(24ズウォティ=約700円)。<br /><br />中身はお肉からマッシュルーム、チーズまで様々なバリエーションがあるのですが、ここで注文したのは伝統的なお肉ベースのもの。<br /><br />庶民的な味でグッドです。

    そしてポーランドの水餃子、“ピエロギ”(24ズウォティ=約700円)。

    中身はお肉からマッシュルーム、チーズまで様々なバリエーションがあるのですが、ここで注文したのは伝統的なお肉ベースのもの。

    庶民的な味でグッドです。

  • 食事を終えたのは22時近く。<br /><br />ここから旧市街のメインストリートであるドゥーギ通りに繰り出してみると、通りには日中と変わらないくらい多くの人々が。<br /><br />グダンスクの夜はこれからのようです。

    食事を終えたのは22時近く。

    ここから旧市街のメインストリートであるドゥーギ通りに繰り出してみると、通りには日中と変わらないくらい多くの人々が。

    グダンスクの夜はこれからのようです。

    ドゥーガ通り 散歩・街歩き

  • ドゥーギ広場では、市庁舎をバックにネプチューンの噴水をパチリ。

    ドゥーギ広場では、市庁舎をバックにネプチューンの噴水をパチリ。

    ネプチューンの噴水 建造物

  • ライトアップされた緑の門も美しいですね。

    ライトアップされた緑の門も美しいですね。

    緑の門 建造物

  • 運河沿いの街並みのライトアップは、派手さはないですが落ち着いた感じでいいですね。

    運河沿いの街並みのライトアップは、派手さはないですが落ち着いた感じでいいですね。

    旧モトワヴァ運河 散歩・街歩き

  • 緑の門の通路では、若者たちによる演奏会が。<br /><br />観光客も立ち止まって熱心に耳を傾けています。

    緑の門の通路では、若者たちによる演奏会が。

    観光客も立ち止まって熱心に耳を傾けています。

  • ドゥーギ広場の両脇にはオープンカフェの店が連なって、ますます賑やかに。<br /><br />いかにもヨーロッパといった雰囲気ですね。<br /><br />広場を歩いている人々は観光客が中心で、皆穏やかな顔をしていて、22時過ぎにもかかわらず、危険を感じるようなことはありませんでした。

    ドゥーギ広場の両脇にはオープンカフェの店が連なって、ますます賑やかに。

    いかにもヨーロッパといった雰囲気ですね。

    広場を歩いている人々は観光客が中心で、皆穏やかな顔をしていて、22時過ぎにもかかわらず、危険を感じるようなことはありませんでした。

    ドゥーギ広場 広場・公園

  • 22時15分、まだまだ賑やかな旧市街が名残惜しいですが、歩き回って寒くなってきたので、このあたりで宿へ戻ります。<br /><br />・・・そういえばグダンスクでは中国人のグループをひとつ見かけたくらいで、ほかにアジア人の姿を見かけませんでした。<br /><br />グダンスクには東欧共産主義崩壊の記録を綴るヨーロッパ連帯センターがあるし、中国の旅行社は避けるようにしているのでしょうか。<br /><br />本当は中国の人々にこそ、真実の歴史を見てほしいのですけれどもね・・・。<br /><br />さて、翌日はこのグダンスクから少し離れ、近郊にあるかつてのドイツ騎士団の城、世界遺産のマルボルク城に向かいます!<br /><br />(ポーランド旅行4日目~マルボルク観光に続く。)

    22時15分、まだまだ賑やかな旧市街が名残惜しいですが、歩き回って寒くなってきたので、このあたりで宿へ戻ります。

    ・・・そういえばグダンスクでは中国人のグループをひとつ見かけたくらいで、ほかにアジア人の姿を見かけませんでした。

    グダンスクには東欧共産主義崩壊の記録を綴るヨーロッパ連帯センターがあるし、中国の旅行社は避けるようにしているのでしょうか。

    本当は中国の人々にこそ、真実の歴史を見てほしいのですけれどもね・・・。

    さて、翌日はこのグダンスクから少し離れ、近郊にあるかつてのドイツ騎士団の城、世界遺産のマルボルク城に向かいます!

    (ポーランド旅行4日目~マルボルク観光に続く。)

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この旅行記へのコメント (8)

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  • Decoさん 2020/12/30 14:57:53
    勉強になりました
    こちらの旅行記を拝見して、楽しいというよりも勉強になりました。
    私もワレサさんと連帯のリアルな時代は知っています。テレビは興味深く見ていましたが、当時の資料を拝見して、また今のポーランドの状況を見て、あの頃のことを振り返り、再検証するということは大変重要だと思いました。
    あれから世界も日本もいろんなことがありましたが、できるだけ多くの人が幸福に暮らせるということ、差別や偏見や敵意を持たずに互いに理解することがいかに難しいかと思います。
    ここに書かれた皆さんのコメントも、いろいろ考えさせられるもので、感銘を受けました。ありがとうございました。

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2021/01/03 17:50:51
    ポーランド旅行いちばんの思い出
    Decoさん

    こんばんは。
    グダンスクのヨーロッパ連帯センターの旅行記にご訪問ありがとうございます。

    わたしもこの時のポーランド旅行では、よく知られていない分、アウシュヴィッツよりも印象に残った場所でした。

    東欧の共産主義崩壊の様子については、子どもの頃テレビを見たり新聞を読んだりして知りましたが、その後自分が社会に出て、世界の様々な戦争や紛争を知った上で振り返ると、改めて、それまでの国家や人権という意識を転換させる歴史的な出来事だったのだなと理解しました。

    やはり国というのは一部の人を守るものではなく、できるだけ多くの人を守るものですよね。

    このヨーロッパ連帯センターを訪れたこと、そして、当時同時並行で起こっていた香港の民主化運動と照らしてみたことで、自分の中でも、何か大きな気付きを得たような気がします。

    > ここに書かれた皆さんのコメントも、いろいろ考えさせられるもので、感銘を受けました。ありがとうございました。

    他の方のコメントもご覧になっていただいたようでありがとうございます。

    コメントも本文と一体となって旅行記をつくるものですよね。

    これからも、良いコメントをいただけるよう、がんばって旅行記を作成していきたいと思います。
  • yunさん 2020/05/27 20:05:30
    国とは…
    エンリケさん

    ポーランド記 少しずつ拝見してます。
    私も数年前の年末にポーランド訪問したのですが、グダンスクへは未訪です。
    再訪できれば、必ずや訪れてみたい街です。
    緑の門、美しい姿ですね。前に立ってみたいです。

    連帯、ワレサ書記長、共産主義崩壊…
    加齢で年々怪しくなる記憶ですが、当時のニュース映像はかなり印象に強い事柄です。
    近年、耳にする「ポーランド右傾化」は気になるところです。

    地球上で大勢が暮らす現代、「国」の存在は必然。
    でも、資本主義でも、社会主義でもなかなかうまくはまわらない。
    やさしく暮らすのはなんと難しいのでしょう。

    折しも香港がさらなる局面を迎えている。
    大国が、傍目には愚かと明白な自説を押し通そうとするのか、理解できません。
    国とはなんだろう…と考えてしまいます。
    でも、どんな時も
    人間は何とかやり過ごしていく強さがあると思ってます。

    ポーランド、同性でも見惚れてしまうほど女性が美しい国でした。
    yun

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2020/05/30 22:19:56
    グダンスクで考えさせられました。
    yunさん

    こんばんは。ポーランド旅行記にご訪問、ありがとうございます。

    ポーランド、わたしの中では、どうしても第二次世界大戦とユダヤ人、ドイツとの関係のことを思い出してしまう、そんな印象が強い国でした。

    そんな思いを持って今回ポーランドを訪れたところ、いちばん印象に残ったのが、yunさんも指摘しておられる、グダンスクのヨーロッパ連帯センターでした。

    ワレサ率いる「連帯」と、当時の共産主義政権との徹底した話し合い、その末の自由選挙での、無血による共産主義崩壊・・・。

    その裏側で同時並行で起こっていた、北京の天安門での学生運動と政府による武力弾圧。

    それぞれの政府の守るべきものが違っていたのか・・・。

    yunさんのおっしゃるとおり、国とはいったい何なのか、国民を守るものなのか、一部の特権階級のみを守るものなのかと考えてしまいますね。

    まさに現代の中国にもあてはまる課題、このヨーロッパ連帯センターを多くの中国人に訪れてもらいたいと思いますが、それもかなわないことなのでしょうか・・・。

    yunさんのポーランド旅行記も拝見させていただきました。

    ポーランド、本当に、絵画の中から出てきたかと思うほど、女性が美しい国でしたね。
  • 川岸 町子さん 2019/09/30 21:50:44
    未来への分かれ目の1989年
    エンリケさん、おばんでした☆

    知らない事を沢山教えて頂いた旅行記です。
    1989年は
    東欧初の自由選挙
    中国の天安門事件
    が起こった年。
    (お写真でご覧になった)キエフのスーパーマーケットで買い物の行列の人々の様子も偶然1989年なのですね。

    「政府と民主化運動者たちとの徹底した話し合いにより“無血で”民主化を成功させたポーランドと、民主化運動を武力で鎮圧した中国。」

    まさに正反対の事が行われていたのですね!
    東欧を旅した時に感じた事の一つが、「この街は理不尽な体験をしてきた先人たちの思いが込められている」でした。

    そして今香港で問題になっている雨傘運動に関連したメッセージと、それに対する意見を、まさかポーランドでリアルタイムでご覧になるとはビックリなさいましたね。

    「ポーランド人教皇の誕生は、ポーランドにおけるナショナリズムの高揚と、共産主義国としてソビエト連邦の衛星国であることへの抵抗心を一層大きくすることになり、ヨハネ・パウロ2世はポーランドにおける民主化運動の精神的支柱となっていきます。」

    さすがエンリケさん!様々な方向からの視点を元に、訪れる国の歴史だけではなく、他の国々との比較などを取り入れながら、ご説明下さり、わかりやすかったです。
    ありがとうございました(*^▽^*)

    またポーランドの夜、ほのかな明かりが灯る様子、やっぱり美しいですね~(^^♪
    次回も楽しみにしております!
                             町子

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2019/10/06 22:56:22
    転換点を見失った中国
    川岸 町子さん

    こんばんは。グダンスク旅行記にご訪問ありがとうございます。

    ヨーロッパ連帯センター、地味な博物館かと思っていたら、ヨーロッパ中からたくさんの観光客が訪れる、東欧共産主義崩壊の足跡が学べる非常に意義深い観光スポットでした。

    ここを訪れた後だと、まさに今起こっている香港の民主化運動と、1989年の天安門事件とが、ダブってなりませんね。

    > 東欧を旅した時に感じた事の一つが、「この街は理不尽な体験をしてきた先人たちの思いが込められている」でした。

    まさにそのような歴史があったからこそ、1989年当時のポーランド政府は、自らの国民を傷つけずに、ワレサら「連帯」との話し合いの道を選んだのでしょう。

    1989年の“あの時”、学生たちを武力で弾圧してしまった中国・・・。

    その路線が今も続くウイグル族やチベット族などへの弾圧につながっているところを見ると、中国はその後の経済成長に驕って、転換点を見失ったままでいるのかもしれません・・・。

    現在起こっている香港や台湾の動きを経て、中国がどのようになっていくのか、これから非常に興味深いですね。
  • ねもさん 2019/09/30 10:34:06
    勉強になります
    エンリケさん ご投票ありがとうございます。
    同時代の世界史の出来事をこうやって現地で振り返ってみるのは貴重なことと思います。とても勉強になりました。ありがとうございます。
    2年前にプラハに行ったとき、共産主義博物館を訪ねました。まあ良かったですが、こちらのほうが充実しているように感じます。
    些末なことですが、入場料が安いのも驚き。共産主義博物館は1,500円くらい払ったように記憶しています。
    私もグダンスクとここを訪ねてみたいと思いました。

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2019/10/06 21:59:06
    たいへん有意義なスポットでした。
    ねもさん

    こんばんは。グダンスク旅行記にご訪問ありがごうございます。

    ヨーロッパ連帯センター、日本ではあまり知られていませんが、意外に観光客が多く、東欧共産主義崩壊の歴史について学ぶことができる、たいへん有意義なスポットでした。

    いざ、自国の国民が改革を求めて立ちあがったら、政府は武力で鎮圧するか、それとも、自国の国民なのだから、傷つけずに話し合いの道を選ぶか・・・。

    まさに今、香港などで起こっていることにもあてはまる、施政者の普遍的な課題なのかなと考えさせられました。

    このポーランドの無血の革命を経て、ヨーロッパ人は優しくなったのかなと、まさに歴史の転換点となる出来事だったのかなと思います。

    いつしか東アジアの国々も、これから起こるであろう試練を乗り越えて、優しい国々になってくれればいいですね・・・。

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