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トルコ旅行の7日目、8日目(帰国旅程)。イスタンブール新市街の散策、トプカプ宮殿観光などとイスタンブールからの帰国の旅程。

トルコ旅行記(7日目、8日目)

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2013/09/06 - 2013/09/13

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60

パンダ番長

パンダ番長さん

トルコ旅行の7日目、8日目(帰国旅程)。イスタンブール新市街の散策、トプカプ宮殿観光などとイスタンブールからの帰国の旅程。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
5.0
グルメ
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

PR

  • <イスタンブール観光2日目の朝><br />朝、5時30分頃に目が覚める。早々にシャワーを浴び、顔を洗う。<br />部屋の窓から朝のボスボラス海峡を眺めるが、まだ夜明け前で暗い。<br />暫らく、ソファで寛ぎ、昨晩考えた今日の自由散策についてガイドブックで再度確認を行う。<br />その後、旅行カバンへ荷物を詰め込む。<br />昨晩に荷物の整理が出来なかったので、この時間を利用して整理を行う。<br />今晩は既に帰りの飛行機に乗るので、大きな荷物は全て旅行カバンに詰め込んでおかなければならない。<br />6時を過ぎた頃から徐々に外が明るくなる。そして、6時15分頃には朝焼けが見え始めた。<br />丁度、ボスポラス海峡側から太陽が出た。窓ガラス越しなので、上手く写真が撮れたものは少ないが、それでも何枚かは写真が撮れた。<br />

    <イスタンブール観光2日目の朝>
    朝、5時30分頃に目が覚める。早々にシャワーを浴び、顔を洗う。
    部屋の窓から朝のボスボラス海峡を眺めるが、まだ夜明け前で暗い。
    暫らく、ソファで寛ぎ、昨晩考えた今日の自由散策についてガイドブックで再度確認を行う。
    その後、旅行カバンへ荷物を詰め込む。
    昨晩に荷物の整理が出来なかったので、この時間を利用して整理を行う。
    今晩は既に帰りの飛行機に乗るので、大きな荷物は全て旅行カバンに詰め込んでおかなければならない。
    6時を過ぎた頃から徐々に外が明るくなる。そして、6時15分頃には朝焼けが見え始めた。
    丁度、ボスポラス海峡側から太陽が出た。窓ガラス越しなので、上手く写真が撮れたものは少ないが、それでも何枚かは写真が撮れた。

  • 6時40分を過ぎ、部屋を出て朝食を食べに1階のレストランに行く。<br />レストランは1階のフロント奥にあると聞いている。しかし、レストランにはまだ人が少ない。<br />窓際の席に着くとウエイトレスが、“珈琲か紅茶か”を尋ねに来た。私は珈琲をお願いする。<br />それを注文後、バイキング方式なので料理を取りに席を立つ。<br />さすがにホテル リッツであるバイキング方式と言っても品数も多く、料理類を見ているだけで満足してしまいそうである。それでもお決まりのものしか取らない。<br />オムレツなども焼いてくれるので、まずはオムレツを注文に行く。具も色々あり、その中から、ハム、しめじ、玉葱、チーズを入れて貰う。その後、以下の料理を取り、席に戻る。<br /><br /><9月12日 ザ リッツカールトン・イスタンブールホテルでの朝食><br /> ①オムレツ(ハム/しめじ/玉葱/チーズ入り)<br /> ②ハム(2種類)<br /> ③チーズ/ポテトフライ<br /> ④菓子パン(チョコチップ入りパン/クロワッサン)<br /> ⑤ライ麦パン<br /> ⑥杏ユーグルト<br /> ⑦フルーツ(オレンジ/メロン/すいか)<br /> ⑧ミックスジュース/グレープフルーツジュース/珈琲<br />始めて、飛行機以外でパンが美味しいと感じた。ここのパンは非常に美味しい。<br />ライ麦パンとクロワッサンが美味しい。<br />その他でもオリーブ類の料理などもあったが、それを食べる事なく、ごく普通の朝食となった。<br />珈琲もトルコ珈琲ではなく、トルコで“ネスカフェ”と呼ばれるもので、日本のアメリカン珈琲の様な珈琲である。<br />

    6時40分を過ぎ、部屋を出て朝食を食べに1階のレストランに行く。
    レストランは1階のフロント奥にあると聞いている。しかし、レストランにはまだ人が少ない。
    窓際の席に着くとウエイトレスが、“珈琲か紅茶か”を尋ねに来た。私は珈琲をお願いする。
    それを注文後、バイキング方式なので料理を取りに席を立つ。
    さすがにホテル リッツであるバイキング方式と言っても品数も多く、料理類を見ているだけで満足してしまいそうである。それでもお決まりのものしか取らない。
    オムレツなども焼いてくれるので、まずはオムレツを注文に行く。具も色々あり、その中から、ハム、しめじ、玉葱、チーズを入れて貰う。その後、以下の料理を取り、席に戻る。

    <9月12日 ザ リッツカールトン・イスタンブールホテルでの朝食>
     ①オムレツ(ハム/しめじ/玉葱/チーズ入り)
     ②ハム(2種類)
     ③チーズ/ポテトフライ
     ④菓子パン(チョコチップ入りパン/クロワッサン)
     ⑤ライ麦パン
     ⑥杏ユーグルト
     ⑦フルーツ(オレンジ/メロン/すいか)
     ⑧ミックスジュース/グレープフルーツジュース/珈琲
    始めて、飛行機以外でパンが美味しいと感じた。ここのパンは非常に美味しい。
    ライ麦パンとクロワッサンが美味しい。
    その他でもオリーブ類の料理などもあったが、それを食べる事なく、ごく普通の朝食となった。
    珈琲もトルコ珈琲ではなく、トルコで“ネスカフェ”と呼ばれるもので、日本のアメリカン珈琲の様な珈琲である。

  • 私が食事を始めると、ツアーの人達も何人かが食事に来た。<br />年配の夫婦の人達に朝の挨拶を行うと、席に着く前に、「今日の午前中はどうするの?」と聞かれた。<br />私が、「歩いてタクスィム広場から市街地を散策しようと考えています。」と答えると、「タクスィム広場は近いの?」と聞かれたので、「そんなにこのホテルから遠くはありませんよ?」と答える。<br />どうも年配の夫婦の人達は、今日の午前の予定を立てていない様である。<br />その後、おばさん2人組も来られ、朝の挨拶の後、同じ様な会話を行う。おばさん2人組は私と同じ様にこのホテル周辺を散策するつもりの様だ。<br />丁度、わたしが食事を終え様とすると、元気な母娘が現れた。<br />朝の挨拶を行い、また同じ様に午前ち中の行動の話となる。<br />その母娘はホテルのプールに行く事を私にも勧めたが、私が街の散策を行う事を言うと機嫌が悪そうである。どうも一緒に行く仲間を探している様である。<br />

    私が食事を始めると、ツアーの人達も何人かが食事に来た。
    年配の夫婦の人達に朝の挨拶を行うと、席に着く前に、「今日の午前中はどうするの?」と聞かれた。
    私が、「歩いてタクスィム広場から市街地を散策しようと考えています。」と答えると、「タクスィム広場は近いの?」と聞かれたので、「そんなにこのホテルから遠くはありませんよ?」と答える。
    どうも年配の夫婦の人達は、今日の午前の予定を立てていない様である。
    その後、おばさん2人組も来られ、朝の挨拶の後、同じ様な会話を行う。おばさん2人組は私と同じ様にこのホテル周辺を散策するつもりの様だ。
    丁度、わたしが食事を終え様とすると、元気な母娘が現れた。
    朝の挨拶を行い、また同じ様に午前ち中の行動の話となる。
    その母娘はホテルのプールに行く事を私にも勧めたが、私が街の散策を行う事を言うと機嫌が悪そうである。どうも一緒に行く仲間を探している様である。

  • それでも折角、イスタンブールの街に来ているのであるから、街を楽しまない方が損である。<br />ホテルのプールであったら、日本のホテルでも経験出来る事である。<br />  <br />わざわざ、イスタンブールまで来て、行くところでもない様に思うが?その後、食事を終え、一旦部屋に戻る。<br />窓から見える景色はもうすっかり日が上り、ホテル下の大きな道路にも多くの車が行き来している。<br />カメラと簡単な荷物をリュックに詰め、部屋を直ぐに出る。時刻は7時30分前である。<br />少し時間が早いが、朝の涼しい内に出来るだけ廻りたい。<br />

    それでも折角、イスタンブールの街に来ているのであるから、街を楽しまない方が損である。
    ホテルのプールであったら、日本のホテルでも経験出来る事である。

    わざわざ、イスタンブールまで来て、行くところでもない様に思うが?その後、食事を終え、一旦部屋に戻る。
    窓から見える景色はもうすっかり日が上り、ホテル下の大きな道路にも多くの車が行き来している。
    カメラと簡単な荷物をリュックに詰め、部屋を直ぐに出る。時刻は7時30分前である。
    少し時間が早いが、朝の涼しい内に出来るだけ廻りたい。

  • <イスタンブール新市街地散策><br />ホテルを出て、ホテルが建つ丘の頂上に向い、歩き始める。<br />丁度、ホテルの斜め前の丘の上には歴史を感じさせる建物が建っている。地図で確認するとその建物はイスタンブール工科大学建築学部と書かれている。<br /> <br />更に交差点を越え、2つ目の大きな交差点を曲がるとタクスィム広場に通じる道である。<br />その交差点まで行くが、横断歩道がないので、どの様に道を渡れば良いかが判らない。<br />また、右折可の交差点で、右折する車が多い。見ていると車が途切れた間にみんなが道を渡っている。<br />それを真似し、私も何とか道を渡り、その交差点を左折する。<br />この通りは今、工事を行っている。道路中央を掘り起こしている。<br />

    <イスタンブール新市街地散策>
    ホテルを出て、ホテルが建つ丘の頂上に向い、歩き始める。
    丁度、ホテルの斜め前の丘の上には歴史を感じさせる建物が建っている。地図で確認するとその建物はイスタンブール工科大学建築学部と書かれている。

    更に交差点を越え、2つ目の大きな交差点を曲がるとタクスィム広場に通じる道である。
    その交差点まで行くが、横断歩道がないので、どの様に道を渡れば良いかが判らない。
    また、右折可の交差点で、右折する車が多い。見ていると車が途切れた間にみんなが道を渡っている。
    それを真似し、私も何とか道を渡り、その交差点を左折する。
    この通りは今、工事を行っている。道路中央を掘り起こしている。

  • この辺りには地下鉄の駅もある様で、駅の入口が歩道脇に見える。<br />この通りの左側には大きな公園の様なものが拡がる。この辺りまで来ると、既に前方には大きな広場が見えている。<br />これがタクスィム広場である。<br /> <br />5分程で、そのタクスィム広場の端に到着した。<br />広場迂回する様に路面電車の線路が見える。<br />この円形の広場の中心には、記念碑が建っている。これが共和国記念碑である。<br />

    この辺りには地下鉄の駅もある様で、駅の入口が歩道脇に見える。
    この通りの左側には大きな公園の様なものが拡がる。この辺りまで来ると、既に前方には大きな広場が見えている。
    これがタクスィム広場である。

    5分程で、そのタクスィム広場の端に到着した。
    広場迂回する様に路面電車の線路が見える。
    この円形の広場の中心には、記念碑が建っている。これが共和国記念碑である。

  • 朝の散歩で、地元の人達が集まっている。<br /> <br />ここから新市街地の中心通りであるイスティクラール通りが始まる。<br />  <br />丁度、その北端にこのタムスィム広場がある。ここから教会の屋根が前方に見えている。<br />イスティクラール通りから外れ、その教会の近くまで行くが教会前まではどの様に行けば良いかが判らず、再びタクスィム広場まで戻り、今度はイスティクラール通りを下がる。<br />

    朝の散歩で、地元の人達が集まっている。

    ここから新市街地の中心通りであるイスティクラール通りが始まる。

    丁度、その北端にこのタムスィム広場がある。ここから教会の屋根が前方に見えている。
    イスティクラール通りから外れ、その教会の近くまで行くが教会前まではどの様に行けば良いかが判らず、再びタクスィム広場まで戻り、今度はイスティクラール通りを下がる。

  • このタムスィム広場が丘の頂上付近にあたる。<br />因みに“タクスィム”とはアラビア語で、“分割、分配”の意味でオスマントルコ時代に、ここに水源から来た水を市街の中心地に分配する施設があった場所から、この名前がついている。<br />今は新市街地の都市交通(地下鉄や路面電車など)の拠点となっている。<br />イスティクラール通りの中央には路面電車が走っている。<br />今の時間は丁度、通勤時間なのか、多くのサラリーマン風の人達が行き来をしている。歩いている人や自転車で通勤している人が多い。路面電車には乗らないのであろうか?<br />通りには朝の清掃車やゴミを収集する人達がいる。<br /> <br />まだ、店も殆どが開いていない。このイスティクラール通りには多くのレストランや洒落た店が並ぶ、イスタンブール一番の繁華街だと言う。<br />  <br />しかし、今開いているのは朝の食事を行える様な喫茶店風の店くらいである。<br />暫らく、イスティクラール通りを下ると、右手に見慣れたマークの店を見つける。スターバックスである。中を覗くと、店は一杯である。更にその先の左手にも見慣れたマークがある。マクドナルドである。この2つの店は日本と造りなども同じである。しかし、マクドナルドは然程、混雑していない。<br />

    このタムスィム広場が丘の頂上付近にあたる。
    因みに“タクスィム”とはアラビア語で、“分割、分配”の意味でオスマントルコ時代に、ここに水源から来た水を市街の中心地に分配する施設があった場所から、この名前がついている。
    今は新市街地の都市交通(地下鉄や路面電車など)の拠点となっている。
    イスティクラール通りの中央には路面電車が走っている。
    今の時間は丁度、通勤時間なのか、多くのサラリーマン風の人達が行き来をしている。歩いている人や自転車で通勤している人が多い。路面電車には乗らないのであろうか?
    通りには朝の清掃車やゴミを収集する人達がいる。

    まだ、店も殆どが開いていない。このイスティクラール通りには多くのレストランや洒落た店が並ぶ、イスタンブール一番の繁華街だと言う。

    しかし、今開いているのは朝の食事を行える様な喫茶店風の店くらいである。
    暫らく、イスティクラール通りを下ると、右手に見慣れたマークの店を見つける。スターバックスである。中を覗くと、店は一杯である。更にその先の左手にも見慣れたマークがある。マクドナルドである。この2つの店は日本と造りなども同じである。しかし、マクドナルドは然程、混雑していない。

  • トルコではスタバの方が、人気がある様だ。<br />この辺りに来て、やっと前方より路面電車が走って来た。見れば、やはり然程人が乗っていない。<br />更に通りを下ると、右手にモスクが見える。<br />通りは石畳の道路で、その両側には同じ様な造りの建物が並ぶ。西洋風の石を用いた建物が多く、今は点いていないが、通りの上には電飾の飾りが施されている。<br />通りは少しずつ人が増えて来た。それでも買物をする人ではなく、通勤の人達である。<br /> <br />この通りの先には地図では魚市場や大きな高校がある。<br /> <br />

    トルコではスタバの方が、人気がある様だ。
    この辺りに来て、やっと前方より路面電車が走って来た。見れば、やはり然程人が乗っていない。
    更に通りを下ると、右手にモスクが見える。
    通りは石畳の道路で、その両側には同じ様な造りの建物が並ぶ。西洋風の石を用いた建物が多く、今は点いていないが、通りの上には電飾の飾りが施されている。
    通りは少しずつ人が増えて来た。それでも買物をする人ではなく、通勤の人達である。

    この通りの先には地図では魚市場や大きな高校がある。

  • 高校の前まで行くと、大きな門が見える。ここがガラダサライ高校である。<br />この辺りの地名がガラダサライと言う。この高校の反対側が地図では魚市場になっているが、通りからは良く判らない。<br />この先で通りは少し左手に折れている。その通りに沿い、再び歩き始める。<br />時刻は既にホテルから歩き始めて1時間程が経った。更に通りを下がる。<br />この辺りは各国の領事館が並ぶ。<br />そして、路面電車の終着駅まで来た。ここまでがイスティクラール通りである。<br />ここから先の通りは幾つかの小さな小路に別れている。しかし、どれがメインの通りなのかは判らない。<br />

    高校の前まで行くと、大きな門が見える。ここがガラダサライ高校である。
    この辺りの地名がガラダサライと言う。この高校の反対側が地図では魚市場になっているが、通りからは良く判らない。
    この先で通りは少し左手に折れている。その通りに沿い、再び歩き始める。
    時刻は既にホテルから歩き始めて1時間程が経った。更に通りを下がる。
    この辺りは各国の領事館が並ぶ。
    そして、路面電車の終着駅まで来た。ここまでがイスティクラール通りである。
    ここから先の通りは幾つかの小さな小路に別れている。しかし、どれがメインの通りなのかは判らない。

  • 少し入り、幾つかの小路を確かめ、地図上のメインの通りにはガラタ・メヴラーナ博物館があるので、その博物館を探す。<br /> <br />これがメイン通りと思われる一つに小路に入ると、その博物館を見つけた。<br />しかし、まだ時間が早く、開いていない。その博物館の前を過ぎると、下り坂になる。この辺りは小さな店が多い。日本のコンビニの様な様々なものを扱う店もある。<br /> <br />また、シャッターが下りた店のシャッターには日本と同じ様にスプレーでの落書きが多い。<br />

    少し入り、幾つかの小路を確かめ、地図上のメインの通りにはガラタ・メヴラーナ博物館があるので、その博物館を探す。

    これがメイン通りと思われる一つに小路に入ると、その博物館を見つけた。
    しかし、まだ時間が早く、開いていない。その博物館の前を過ぎると、下り坂になる。この辺りは小さな店が多い。日本のコンビニの様な様々なものを扱う店もある。

    また、シャッターが下りた店のシャッターには日本と同じ様にスプレーでの落書きが多い。

  • ガラダ塔に行くたく、通りからガラタ塔を探しながら、坂道を歩く。<br />  <br />暫らく、歩くとやっと右手にガラタ塔が見えて来た。<br />時間があまりないので、上る事は断念し、記念にその広場に面した土産物店で土産物を探す。<br />店の入口にマグネットが幾つか並んでいたので、それを見る。<br />気に入った銅製のものと陶器のものなどを3点購入し、9.5トルコリラを支払う。<br />ガラタ塔の写真を何枚か撮った後、その前の階段を降りる。<br />ここから更に急激な坂になっている。<br />その方向に路地を入ると、通りが開け、ガラタ塔の下の広場に出る。<br />ガラタ塔は、石造りの9階立ての塔で、高さは66.9mで、最上階に上れば、イスタンブールの街が一望出来る人気の観光名所となっている。<br />ガラタ塔の下まで来ると、その大きさを実感出来る。<br />遠くから見ていたので、大きさがあまり判らなかったが、かなり高い。<br />

    ガラダ塔に行くたく、通りからガラタ塔を探しながら、坂道を歩く。

    暫らく、歩くとやっと右手にガラタ塔が見えて来た。
    時間があまりないので、上る事は断念し、記念にその広場に面した土産物店で土産物を探す。
    店の入口にマグネットが幾つか並んでいたので、それを見る。
    気に入った銅製のものと陶器のものなどを3点購入し、9.5トルコリラを支払う。
    ガラタ塔の写真を何枚か撮った後、その前の階段を降りる。
    ここから更に急激な坂になっている。
    その方向に路地を入ると、通りが開け、ガラタ塔の下の広場に出る。
    ガラタ塔は、石造りの9階立ての塔で、高さは66.9mで、最上階に上れば、イスタンブールの街が一望出来る人気の観光名所となっている。
    ガラタ塔の下まで来ると、その大きさを実感出来る。
    遠くから見ていたので、大きさがあまり判らなかったが、かなり高い。

  • その坂を下ると、トラムの走る大きな通りが前に見えて来た。その先にはガラタ橋が見えている。<br />ここまで来たところで少し休憩する。<br />既に汗抱くである。<br />時刻も9時を廻り、気温もかなり上がって来た。<br />歩いているだけで汗が噴き出す。<br />

    その坂を下ると、トラムの走る大きな通りが前に見えて来た。その先にはガラタ橋が見えている。
    ここまで来たところで少し休憩する。
    既に汗抱くである。
    時刻も9時を廻り、気温もかなり上がって来た。
    歩いているだけで汗が噴き出す。

  • 少し休憩した後、トラムの通りをホテルの方向に歩き始まる。<br />すると、通りの反対側に大きな古めかしい教会が見えて来る。<br />地図で見れば、スルプ・ルサヴォリッチ教会である。その教会の前を過ぎ、更に進む。<br /> <br />すると一つ目のトラムの駅が見えて来た。トプハーネ駅である。<br />

    少し休憩した後、トラムの通りをホテルの方向に歩き始まる。
    すると、通りの反対側に大きな古めかしい教会が見えて来る。
    地図で見れば、スルプ・ルサヴォリッチ教会である。その教会の前を過ぎ、更に進む。

    すると一つ目のトラムの駅が見えて来た。トプハーネ駅である。

  • この駅の近くには幾つかのモスクが見える。<br />この辺りには大きな建物が続く、中には最近建てたと思われる近代的なビルもある。<br />このトラムの駅から当初はトラムに乗り、ホテル近くまで帰るつもりであったが、時間もまだあるので歩く事にした。更にトラムの走る通りに沿う様に歩く。<br />左手には丘の中腹付近に大きなモスクの尖塔が見える。<br />そして、大きな建物が並ぶ一画が前方に見えて来た。ここは地図で見れば、大学である。<br />その先にまたトラムの駅が見えて来た。ここがトラムの終着駅かと思ったが、終着駅の一つ手前の駅のフンドゥクル駅であった。その駅を過ぎると、歩道にも人が増えてきた。<br />

    この駅の近くには幾つかのモスクが見える。
    この辺りには大きな建物が続く、中には最近建てたと思われる近代的なビルもある。
    このトラムの駅から当初はトラムに乗り、ホテル近くまで帰るつもりであったが、時間もまだあるので歩く事にした。更にトラムの走る通りに沿う様に歩く。
    左手には丘の中腹付近に大きなモスクの尖塔が見える。
    そして、大きな建物が並ぶ一画が前方に見えて来た。ここは地図で見れば、大学である。
    その先にまたトラムの駅が見えて来た。ここがトラムの終着駅かと思ったが、終着駅の一つ手前の駅のフンドゥクル駅であった。その駅を過ぎると、歩道にも人が増えてきた。

  • そして、直ぐにトラムの最終駅であるカパタシュ駅が見えて来た。この辺りは大きな桟橋で、豪華客船なども停泊している。<br />トラムの駅の先の桟橋付近はボスポラス海峡の遊覧船用桟橋となっており、この辺りは多くの観光客が屯している。その間を抜け、やっとカパタシュ桟橋の端にある小さな公園に出た。<br />ここから桟橋に出る事が出来る。<br />

    そして、直ぐにトラムの最終駅であるカパタシュ駅が見えて来た。この辺りは大きな桟橋で、豪華客船なども停泊している。
    トラムの駅の先の桟橋付近はボスポラス海峡の遊覧船用桟橋となっており、この辺りは多くの観光客が屯している。その間を抜け、やっとカパタシュ桟橋の端にある小さな公園に出た。
    ここから桟橋に出る事が出来る。

  • その公園に入ると、何やら見かけない色合いの鳥がたくさんいる。<br /> <br />地面を跳ねる様に歩き、日本のカラスとハトの中間くらいの大きさの鳥である。<br />  <br />見た目はカラスに似ているが、頭は黒で、胸辺りが灰色で、また尻尾付近が黒で日本にはこの様な色合いの鳥はいない。人が近づいても中々逃げようとしない。比較的近づく事が出来る。<br />また、猫も多く、途中で小さな猫2匹が喧嘩(じゃれあっている?)しているところを見た。<br />その公園を抜け、ボスポラス海峡沿いの桟橋に出る。今は風が強く、波が非常に高く、桟橋には水しぶきが上がる程、波が打ちつけられている。<br />桟橋の横にはドルマバフチェ・ジャーミーが見え、その奥にはドルマバフチェ宮殿が見える。<br />暫らく、ここで休憩をしなから、ボスポラス海峡を行きあう船を見ていたが、見ていると船は同じ方向からしか、来ない。左手の黒海方面から船が来る。<br />後で判ったが、ボスポラス海峡は時間帯で一方通行になるそうだ。<br />

    その公園に入ると、何やら見かけない色合いの鳥がたくさんいる。

    地面を跳ねる様に歩き、日本のカラスとハトの中間くらいの大きさの鳥である。

    見た目はカラスに似ているが、頭は黒で、胸辺りが灰色で、また尻尾付近が黒で日本にはこの様な色合いの鳥はいない。人が近づいても中々逃げようとしない。比較的近づく事が出来る。
    また、猫も多く、途中で小さな猫2匹が喧嘩(じゃれあっている?)しているところを見た。
    その公園を抜け、ボスポラス海峡沿いの桟橋に出る。今は風が強く、波が非常に高く、桟橋には水しぶきが上がる程、波が打ちつけられている。
    桟橋の横にはドルマバフチェ・ジャーミーが見え、その奥にはドルマバフチェ宮殿が見える。
    暫らく、ここで休憩をしなから、ボスポラス海峡を行きあう船を見ていたが、見ていると船は同じ方向からしか、来ない。左手の黒海方面から船が来る。
    後で判ったが、ボスポラス海峡は時間帯で一方通行になるそうだ。

  • 休憩後、再び歩き始め、ドルマバフチェ・ジャーミーの前を過ぎ、ドルマバフチェ宮殿前に辿り着いた。<br />ここはザ・リッツカールトン・イスタンブールホテルが建つ丘の下である。<br />ドルマバフチェ宮殿前の大きな時計台の前を抜け、門の方向に行くが、途中に検問の様なところがあり、ここを抜けなければ、門にも行けない様である。門は更に100m程先である。<br /> <br />しかし、今日は休日で、その検問所に人はいるが、その手前にバリケードが置かれている。<br />ここで見学は出来なかった、このドルマバフチェ宮殿について少し説明を加える。<br />ドルマバフチェ宮殿は、新市街の北東郊外ベシクタシュ地区のボスポラス海峡に面した埋立地にある宮殿で、“ドルマバフチェ”とは“埋め立てられた庭”と言う意味である。<br />オスマントルコ帝国のメフメト2世によって造成された庭園に、1843年にアブデュルメジト1世の命によって宮廷に仕えるアルメニア人建築家が設計、従来あった木造宮殿を取り壊して建てられた。<br />1843年に着工し、1856年に完成した。以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿に代わってオスマントルコ帝国の王宮として利用された。<br />バロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した豪華な宮殿で、外観や装飾は近代西洋風であるが、建物の内部は男性向けの空間と女性のみの空間(ハーレム)に二分割され、ハーレムには多くの侍女や宦官も勤務していた。<br />

    休憩後、再び歩き始め、ドルマバフチェ・ジャーミーの前を過ぎ、ドルマバフチェ宮殿前に辿り着いた。
    ここはザ・リッツカールトン・イスタンブールホテルが建つ丘の下である。
    ドルマバフチェ宮殿前の大きな時計台の前を抜け、門の方向に行くが、途中に検問の様なところがあり、ここを抜けなければ、門にも行けない様である。門は更に100m程先である。

    しかし、今日は休日で、その検問所に人はいるが、その手前にバリケードが置かれている。
    ここで見学は出来なかった、このドルマバフチェ宮殿について少し説明を加える。
    ドルマバフチェ宮殿は、新市街の北東郊外ベシクタシュ地区のボスポラス海峡に面した埋立地にある宮殿で、“ドルマバフチェ”とは“埋め立てられた庭”と言う意味である。
    オスマントルコ帝国のメフメト2世によって造成された庭園に、1843年にアブデュルメジト1世の命によって宮廷に仕えるアルメニア人建築家が設計、従来あった木造宮殿を取り壊して建てられた。
    1843年に着工し、1856年に完成した。以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿に代わってオスマントルコ帝国の王宮として利用された。
    バロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した豪華な宮殿で、外観や装飾は近代西洋風であるが、建物の内部は男性向けの空間と女性のみの空間(ハーレム)に二分割され、ハーレムには多くの侍女や宦官も勤務していた。

  • ボスポラス海峡に面した海側に門と桟橋を備え、宮殿から公道に出ずに船でイスタンブール市内を自由に行き来できるようになっている。<br />宮殿の面積は45,000m2で、285の部屋、46のホール、6の浴場(ハマム)、68のトイレがあるそうだ。<br />宮殿が休館日なので、仕方なく、ここから坂を上り、ホテルに戻る事にした。<br />手前に競技場があり、その競技場横の道を上がる。現在競技場は取り壊し中で、簡易の塀に覆われている。その塀沿いの歩道をホテルに向かい上がる。<br />気温がかなり上がっているのか、汗抱くである。<br />ザ・リッツカールトン・イスタンブールホテルは丘の中腹の斜面に建っているので、斜面側の下からホテルビルに入るが、入った所はホテルではなく企業のショールームなどが並ぶフロアであった。<br />ホテルのフロント階が一階とすると、この裏の入口付近は地下3階部分に当たる。<br />企業のショールームが並ぶフロアを抜け、ホテルのフロント階に上がるエレベーター等を探すが、企業フロアの廊下が迷路に様になっており、どこにエレベーターがあり、上がれるのか判らない。<br />途中でエレベーターを見つけるが、このエレベーターではホテルには行けない。<br />困っていると、中国人らしき青年が、「リッツカールトン?」と聞いて来たので、「イエス!」と答えると、ある廊下の先を指さす。「サンキュー!」と言い、その廊下を進む。<br />すると、その廊下も迷路の様になっているが、矢印でリッツカールトンホテルの方向を示している。<br />その矢印に沿い、歩くと突き当りに一つのエレベーターがあった。これがホテル専用のエレベーターの様である。乗り込み、ボタンを確認すると、フロント階の表示がある。<br />ここから直接、部屋の階には行けない。エレベーターに乗り、やっとフロント階に到着した。<br />時刻は10時15分過ぎである。<br />

    ボスポラス海峡に面した海側に門と桟橋を備え、宮殿から公道に出ずに船でイスタンブール市内を自由に行き来できるようになっている。
    宮殿の面積は45,000m2で、285の部屋、46のホール、6の浴場(ハマム)、68のトイレがあるそうだ。
    宮殿が休館日なので、仕方なく、ここから坂を上り、ホテルに戻る事にした。
    手前に競技場があり、その競技場横の道を上がる。現在競技場は取り壊し中で、簡易の塀に覆われている。その塀沿いの歩道をホテルに向かい上がる。
    気温がかなり上がっているのか、汗抱くである。
    ザ・リッツカールトン・イスタンブールホテルは丘の中腹の斜面に建っているので、斜面側の下からホテルビルに入るが、入った所はホテルではなく企業のショールームなどが並ぶフロアであった。
    ホテルのフロント階が一階とすると、この裏の入口付近は地下3階部分に当たる。
    企業のショールームが並ぶフロアを抜け、ホテルのフロント階に上がるエレベーター等を探すが、企業フロアの廊下が迷路に様になっており、どこにエレベーターがあり、上がれるのか判らない。
    途中でエレベーターを見つけるが、このエレベーターではホテルには行けない。
    困っていると、中国人らしき青年が、「リッツカールトン?」と聞いて来たので、「イエス!」と答えると、ある廊下の先を指さす。「サンキュー!」と言い、その廊下を進む。
    すると、その廊下も迷路の様になっているが、矢印でリッツカールトンホテルの方向を示している。
    その矢印に沿い、歩くと突き当りに一つのエレベーターがあった。これがホテル専用のエレベーターの様である。乗り込み、ボタンを確認すると、フロント階の表示がある。
    ここから直接、部屋の階には行けない。エレベーターに乗り、やっとフロント階に到着した。
    時刻は10時15分過ぎである。

  • ほぼ3時間近く、散策していた事になる。かなり足が疲れているし、汗もかなり掻いた。<br />別のエレベーターで宿泊階に上り、部屋に戻る。<br />部屋は既にベッドメイキングが済み、各種アメニティ関連が入れ変えられている。<br />もう部屋の使用が出来ないのかと思い、電話で溝田さんに確認を入れると、「使用しても構いませんよ!」と言うので、シャワーを浴び、汗を流す。<br />そして、整理済みの旅行カバンを扉の内側に置き、少し部屋で休憩する。<br />3時間近く歩いたので、眠くなる。眠らない様に何とか時間を潰し、だいぶ早いが11時25分頃には部屋を出て、フロント前の集合場所に移動する。そして、その場所の椅子で待つ事にした。<br />すると、暫らくすると溝田さんが降りて来た。また、4歳の子供連れの家族もまた、見送りの為におじいさんが来ている。溝田さんはそのおじいさんと話をしている。<br />その後、私のところに来て、「どこへ行きましたか?」と聞く。<br />私が、「タクスィム広場からイスティクラール通りを下り、ガラタ塔を抜け、ガラタ橋手前からトラム通りをホテル下まで戻りました。」と答える。<br />「歩いたのですか?」と聞かれ、「3時間掛けて歩きました。」と答えると、少し驚いた様子であった。<br />それから続々とツアーの人達が集まり始まる。<br />まずはおばさん2人組が私に寄って来て、「どこに行きました?」と聞く。<br />私が、「タクスィム広場からガラダ橋まで歩きました。」と言うと、また驚かれた。<br />おばさん達はタクスィム広場まで行き、帰って来たそうだ。聞くと、溝田さんと途中で会い、一緒にホテルに帰って来たと言う。<br />そして、尾道の3人組は私とは逆にホテルから下り、ドルマバフチェ宮殿前からカパタシュ桟橋付近まで行き、帰って来た様だ。<br />また、元気な母娘は朝話していた様にホテルのプールで遊んでいた様であるが、ツアーの人が誰も来なかった為に、母が盛んにみんなに損をしている様な発言をしていた。<br />それを聞くと、負け惜しみに聞こえてしまう。<br />11時45分を過ぎた頃にはほぼ全ての人が揃い、溝田さんがみんなの部屋のキーを回収し始まる。<br />随時バスに乗り込む。最後に4歳の子供連れの家族がおじいさんとの別れを惜しむ様にバスの前で話をしている。溝田さんがホテルのチェックアウトも終了し、全員がバスに乗り込む。<br />するとホテル内から10人以上の従業員がバスの横に並び、バスが出発する際に手を振って見送ってくれた。これもザ・リッツカールトン・イスタンブールホテル系列の一つのサービスなのかも知れない。<br />一緒に子供連れ家族のおじいさんもここでみんなに手を振り、見送ってくれた。<br />

    ほぼ3時間近く、散策していた事になる。かなり足が疲れているし、汗もかなり掻いた。
    別のエレベーターで宿泊階に上り、部屋に戻る。
    部屋は既にベッドメイキングが済み、各種アメニティ関連が入れ変えられている。
    もう部屋の使用が出来ないのかと思い、電話で溝田さんに確認を入れると、「使用しても構いませんよ!」と言うので、シャワーを浴び、汗を流す。
    そして、整理済みの旅行カバンを扉の内側に置き、少し部屋で休憩する。
    3時間近く歩いたので、眠くなる。眠らない様に何とか時間を潰し、だいぶ早いが11時25分頃には部屋を出て、フロント前の集合場所に移動する。そして、その場所の椅子で待つ事にした。
    すると、暫らくすると溝田さんが降りて来た。また、4歳の子供連れの家族もまた、見送りの為におじいさんが来ている。溝田さんはそのおじいさんと話をしている。
    その後、私のところに来て、「どこへ行きましたか?」と聞く。
    私が、「タクスィム広場からイスティクラール通りを下り、ガラタ塔を抜け、ガラタ橋手前からトラム通りをホテル下まで戻りました。」と答える。
    「歩いたのですか?」と聞かれ、「3時間掛けて歩きました。」と答えると、少し驚いた様子であった。
    それから続々とツアーの人達が集まり始まる。
    まずはおばさん2人組が私に寄って来て、「どこに行きました?」と聞く。
    私が、「タクスィム広場からガラダ橋まで歩きました。」と言うと、また驚かれた。
    おばさん達はタクスィム広場まで行き、帰って来たそうだ。聞くと、溝田さんと途中で会い、一緒にホテルに帰って来たと言う。
    そして、尾道の3人組は私とは逆にホテルから下り、ドルマバフチェ宮殿前からカパタシュ桟橋付近まで行き、帰って来た様だ。
    また、元気な母娘は朝話していた様にホテルのプールで遊んでいた様であるが、ツアーの人が誰も来なかった為に、母が盛んにみんなに損をしている様な発言をしていた。
    それを聞くと、負け惜しみに聞こえてしまう。
    11時45分を過ぎた頃にはほぼ全ての人が揃い、溝田さんがみんなの部屋のキーを回収し始まる。
    随時バスに乗り込む。最後に4歳の子供連れの家族がおじいさんとの別れを惜しむ様にバスの前で話をしている。溝田さんがホテルのチェックアウトも終了し、全員がバスに乗り込む。
    するとホテル内から10人以上の従業員がバスの横に並び、バスが出発する際に手を振って見送ってくれた。これもザ・リッツカールトン・イスタンブールホテル系列の一つのサービスなのかも知れない。
    一緒に子供連れ家族のおじいさんもここでみんなに手を振り、見送ってくれた。

  • <イスタンブール新市街地での日本食の昼食><br />時刻は12時前である。これからこの近くのレストランで昼食を摂り、最後の観光を行う。<br />今日の昼食は日本食である。<br />バスは丘を上り、タクスィム広場に向かう大通りを横切った先で止まる。<br />ホテルから歩いても行ける距離でバスを降りる事になった。その先にある“POINT HOTEL”と書かれたホテルの玄関を入る。<br />そのホテルのフロント奥に、中2階フロアがあり、そこにレストランがある。入口付近のガラスの仕切りには漢字で“優雲也”と書かれ、その下にローマ字で“Udonya”と書かれている。<br />我々はレストラン奥の窓際の4人掛けのテーブルに分かれて座る。私はいつもの様に尾道の3人組と一緒である。<br />まずは飲物の注文が始まる。ここでは最後に緑茶が出て来る事を溝田さんが教えてくれる。<br />少し高いが日本銘柄の麦酒もあり、お酒もある様だ。私は烏龍茶をお願いした。<br />注文を取りに来た女性は日本人である。大学生か?20代前半くらいに見える少しぽっちゃりとした女性である。<br />日本語が通じるのでみんなも自分で飲物を注文出来た。<br />日本人スタッフが多いのかと思い、女性に聞くと、日本人はその女性だけで、料理をする板前はインドネシア人だと言う。<br />

    <イスタンブール新市街地での日本食の昼食>
    時刻は12時前である。これからこの近くのレストランで昼食を摂り、最後の観光を行う。
    今日の昼食は日本食である。
    バスは丘を上り、タクスィム広場に向かう大通りを横切った先で止まる。
    ホテルから歩いても行ける距離でバスを降りる事になった。その先にある“POINT HOTEL”と書かれたホテルの玄関を入る。
    そのホテルのフロント奥に、中2階フロアがあり、そこにレストランがある。入口付近のガラスの仕切りには漢字で“優雲也”と書かれ、その下にローマ字で“Udonya”と書かれている。
    我々はレストラン奥の窓際の4人掛けのテーブルに分かれて座る。私はいつもの様に尾道の3人組と一緒である。
    まずは飲物の注文が始まる。ここでは最後に緑茶が出て来る事を溝田さんが教えてくれる。
    少し高いが日本銘柄の麦酒もあり、お酒もある様だ。私は烏龍茶をお願いした。
    注文を取りに来た女性は日本人である。大学生か?20代前半くらいに見える少しぽっちゃりとした女性である。
    日本語が通じるのでみんなも自分で飲物を注文出来た。
    日本人スタッフが多いのかと思い、女性に聞くと、日本人はその女性だけで、料理をする板前はインドネシア人だと言う。

  • 暫らくすると大きなお膳に乗った定食風料理が運ばれて来た。そのお膳が各々の前に出される。<br />本当に日本の定番の和定食で、さしみ、天ぷら、ごはん、味噌汁、漬け物などがお膳に並ぶ。<br />お膳に乗る料理は以下の通りである。<br /><br /><POINT HOTEL内の“優雲也”での昼食><br /> ①お刺身(トロ/サーモン/たこ)<br /> ②天ぷら(海老/茄子/瓜)<br /> ③茄子の煮物<br /> ④野菜サラダ<br /> ⑤ご飯/味噌汁/漬け物(きゅうりの浅漬け)<br /> ⑥フルーツ(メロン)<br /> ⑦飲物(烏龍茶)/緑茶<br />ご飯はこれ程美味しいものかと感じる程美味しかった。<br />これ程お米が美味しいを感じたのは久しぶりである。お刺身は甘みの強い大トロで非常に美味しい。<br />たこが出て来たのは意外であった。海外では、たこは敬遠されていると思っていたので、流通していないのかと思っていたからである。トルコでは、たこも食べるのか?<br />天ぷらも日本で食べるものと遜色ない。非常に美味しい!茄子の煮物も同様である。<br />インドネシアの板前と聞いていたが、なかなかのものである。<br />ご飯をおかわりしたいのを我慢し、あっと言う間に食事を終えてしまう。美味しいものは食べるのも早い。<br />みんなも同様で、早々に食事を終えている人が多い。<br /> <br />そして、緑茶が出され、それを飲みながら、互いに美味しかった旨の感想を話し始める。<br />残念だったのは、緑茶は美味しく無かった事である。注文した烏龍茶の方が遥かに美味しい。<br />それでも殆どの人が満足した様子で、食事を終えた。<br />溝田さんに聞くと出発まで、まだ少し時間があると言うので、この時間にトイレに行く人が席を立つ。<br />私もこの時間にトイレに行く事にした。<br />丁度、このレストランの中央付近にある調理場を見ると、少し肌が浅黒い板前が包丁を振るっていた。<br />トイレは、中2階から2階下の地下1階にあるとの事で階段を降り、その階に行く。<br />この地下1階にも数軒のレストランが入っている。その奥にトイレがある。<br />トイレを済ませ、再び中2階のレストランに戻ると既にツアーの人達はテーブルにはいない。<br />フロント前のロビーに移動していた。そこで、トイレから帰る人を待ち、集合をした後、ホテルを出る。<br />再び、バスを下りたタクスィム広場に繋がる大通りに出て、その通りを強引に渡り、その先でバスを待つ。時刻は13時10分頃である。暫らくするとバスは到着し、急いでバスに乗り込む。<br />バスはホテル方面に戻り、丘を下る。そして、ホテル前を通過し、更に丘を下り、ドルマバフチェ宮殿前の交差点を右折し、トラムの走る通りに入る。<br />更に少し走り、トラムのカパタシュ駅の辺りでバスが停車する。<br />ここで再びバスを降りる。トラムの通り沿いに少し歩き、信号機のある横断歩道を渡り、カパタシュ桟橋に向かう。<br />朝にこの辺りを訪れた時よりも更に観光客が増えている。<br />その観光客の合間を縫う様にナムックさんを先頭に桟橋に向かう。一般の観光船の受付建屋には行かず、その左手の桟橋に移動する。<br />既に観光船の予約が済んでいる様で、観光船が並ぶところに行き、停泊している観光船の一つの前に集合する。そして、ナムックさんが、その観光船に乗り込む様に促す。<br />

    暫らくすると大きなお膳に乗った定食風料理が運ばれて来た。そのお膳が各々の前に出される。
    本当に日本の定番の和定食で、さしみ、天ぷら、ごはん、味噌汁、漬け物などがお膳に並ぶ。
    お膳に乗る料理は以下の通りである。

    <POINT HOTEL内の“優雲也”での昼食>
     ①お刺身(トロ/サーモン/たこ)
     ②天ぷら(海老/茄子/瓜)
     ③茄子の煮物
     ④野菜サラダ
     ⑤ご飯/味噌汁/漬け物(きゅうりの浅漬け)
     ⑥フルーツ(メロン)
     ⑦飲物(烏龍茶)/緑茶
    ご飯はこれ程美味しいものかと感じる程美味しかった。
    これ程お米が美味しいを感じたのは久しぶりである。お刺身は甘みの強い大トロで非常に美味しい。
    たこが出て来たのは意外であった。海外では、たこは敬遠されていると思っていたので、流通していないのかと思っていたからである。トルコでは、たこも食べるのか?
    天ぷらも日本で食べるものと遜色ない。非常に美味しい!茄子の煮物も同様である。
    インドネシアの板前と聞いていたが、なかなかのものである。
    ご飯をおかわりしたいのを我慢し、あっと言う間に食事を終えてしまう。美味しいものは食べるのも早い。
    みんなも同様で、早々に食事を終えている人が多い。

    そして、緑茶が出され、それを飲みながら、互いに美味しかった旨の感想を話し始める。
    残念だったのは、緑茶は美味しく無かった事である。注文した烏龍茶の方が遥かに美味しい。
    それでも殆どの人が満足した様子で、食事を終えた。
    溝田さんに聞くと出発まで、まだ少し時間があると言うので、この時間にトイレに行く人が席を立つ。
    私もこの時間にトイレに行く事にした。
    丁度、このレストランの中央付近にある調理場を見ると、少し肌が浅黒い板前が包丁を振るっていた。
    トイレは、中2階から2階下の地下1階にあるとの事で階段を降り、その階に行く。
    この地下1階にも数軒のレストランが入っている。その奥にトイレがある。
    トイレを済ませ、再び中2階のレストランに戻ると既にツアーの人達はテーブルにはいない。
    フロント前のロビーに移動していた。そこで、トイレから帰る人を待ち、集合をした後、ホテルを出る。
    再び、バスを下りたタクスィム広場に繋がる大通りに出て、その通りを強引に渡り、その先でバスを待つ。時刻は13時10分頃である。暫らくするとバスは到着し、急いでバスに乗り込む。
    バスはホテル方面に戻り、丘を下る。そして、ホテル前を通過し、更に丘を下り、ドルマバフチェ宮殿前の交差点を右折し、トラムの走る通りに入る。
    更に少し走り、トラムのカパタシュ駅の辺りでバスが停車する。
    ここで再びバスを降りる。トラムの通り沿いに少し歩き、信号機のある横断歩道を渡り、カパタシュ桟橋に向かう。
    朝にこの辺りを訪れた時よりも更に観光客が増えている。
    その観光客の合間を縫う様にナムックさんを先頭に桟橋に向かう。一般の観光船の受付建屋には行かず、その左手の桟橋に移動する。
    既に観光船の予約が済んでいる様で、観光船が並ぶところに行き、停泊している観光船の一つの前に集合する。そして、ナムックさんが、その観光船に乗り込む様に促す。

  • <ボスポラス海峡クルーズ><br />この観光船は貸し切りの様である。まずは乗り込むと船内で溝田さんから観光船の説明が始める。<br />「この観光船は貸し切りですので、この中では自由に行動しても結構です。また、船内ではチャイのサービスがありますので、それも自由にお飲み下さい。それでは好きなところに座って下さい。」と言い、船内で自由行動になる。<br />私と尾道の3人組、老夫婦の人は観光船の2階デッキに出て、船の前方の席に座る。<br />ここからなら船の進行方向の景色が良く見える。天気も良く、船外でも心地よい。<br />観光船が桟橋から離れ、ボスポラス海峡にゆっくりと出る。<br />ボスポラス海峡を航行し始まると、直ぐに前方右手にドルマバフチェ宮殿が見える。<br />海上から見るとこの宮殿の大きさが良く判る。その前を早々に過ぎ、更にボスポラス海峡を黒海側に航行する。<br />

    <ボスポラス海峡クルーズ>
    この観光船は貸し切りの様である。まずは乗り込むと船内で溝田さんから観光船の説明が始める。
    「この観光船は貸し切りですので、この中では自由に行動しても結構です。また、船内ではチャイのサービスがありますので、それも自由にお飲み下さい。それでは好きなところに座って下さい。」と言い、船内で自由行動になる。
    私と尾道の3人組、老夫婦の人は観光船の2階デッキに出て、船の前方の席に座る。
    ここからなら船の進行方向の景色が良く見える。天気も良く、船外でも心地よい。
    観光船が桟橋から離れ、ボスポラス海峡にゆっくりと出る。
    ボスポラス海峡を航行し始まると、直ぐに前方右手にドルマバフチェ宮殿が見える。
    海上から見るとこの宮殿の大きさが良く判る。その前を早々に過ぎ、更にボスポラス海峡を黒海側に航行する。

  • それにしても海の色が違う。透明度も高く、真っ青な海である。<br />陸地に近い海の色とは思えない色である。海水の透明度も高い。<br />徐々に観光船は海峡の中央付近に出て行く。<br />また、左手の陸地には歴史を感じさせる建物が見えて来る。<br /> <br />丁度、溝田さんが来たので、聞くと、「あれはフォーシーズンズ・ホテルです。<br />イスタンブールでも最も高級なホテルの一つです。このホテルは20世紀初頭に刑務所として建てられた建物を利用しています。」と教えてくれる。<br />見れば、たくさんの人が海峡沿いに造られたプールで泳いでいるのが見える。<br />更にその先の海峡沿いにも古い建物が見える。これも溝田さんに聞くと、「あれも宮殿のひとつです。」と教えてくれる。後で調べるとチューラン宮殿と言う宮殿である。そして、前方には海峡に架かる大きな橋の下に差し掛かる。<br />

    それにしても海の色が違う。透明度も高く、真っ青な海である。
    陸地に近い海の色とは思えない色である。海水の透明度も高い。
    徐々に観光船は海峡の中央付近に出て行く。
    また、左手の陸地には歴史を感じさせる建物が見えて来る。

    丁度、溝田さんが来たので、聞くと、「あれはフォーシーズンズ・ホテルです。
    イスタンブールでも最も高級なホテルの一つです。このホテルは20世紀初頭に刑務所として建てられた建物を利用しています。」と教えてくれる。
    見れば、たくさんの人が海峡沿いに造られたプールで泳いでいるのが見える。
    更にその先の海峡沿いにも古い建物が見える。これも溝田さんに聞くと、「あれも宮殿のひとつです。」と教えてくれる。後で調べるとチューラン宮殿と言う宮殿である。そして、前方には海峡に架かる大きな橋の下に差し掛かる。

  • この海峡に架かる大橋が、“第一ボスポラス大橋”である。<br />この海峡の下を潜り、更に観光船は黒海側に航行する。<br />ここで、老夫婦が私に写真を撮って欲しいと言うので、船の前方をバックに写真を撮ってあげる。<br />すると私が撮った写真が大変気に入ったのか、「写真の構図の撮り方はどうすれば、良い写真が撮れるの?そのコツの様なものがあるの?」と聞いて来る。<br />私が、心掛けている点を幾つか教え、それを実践して何枚か写真を撮って見せる。<br />それを真似て、自分達でも写真を撮っている。非常に気に入った写真が撮れた様子で満足気であった。ボスポラス大橋を越えた先の左手に海峡沿いに公園が見える。<br />そこには現地の人達であろうか、水着で岸壁からそのまま海峡に入り、海水浴を楽しんでいる。<br />ここで船内の放送を利用してナムックさんがボスポラス海峡の説明を始める。<br />要約すると以下の様な内容です。<br />ボスポラス海峡は、トルコのヨーロッパ部分とアジア部分を隔てる海峡です。ボスポラスとは「牝牛の渡渉」という意味で、ギリシャ神話の中で、ゼウスが妻ヘラを欺くため、不倫相手のイオを牝牛の姿へ変えるのですが、ヘラはそれを見破り、恐ろしいアブ(虻)を放った。<br />そのためイオは世界中を逃げ回ることになり、牛の姿のままこの海峡を泳いで渡ったとされています。<br />トルコ語では「海峡の内」を意味する“ボアジチ”という名で呼ばれています。<br />別名は“イスタンブール海峡”です。南北に細長く、北は黒海、南はマルマラ海で、マルマラ海とエーゲ海を繋ぐダーダネルス海峡とあわせて黒海と地中海を結ぶ海上交通の要衝です。<br />長さは南北約30km、幅は最も広い地点で3700m、最も狭い地点でわずか800m程です。水深は36m~124mです。<br />先程の大橋は、第一ボスポラス大橋と呼ばれ、別名ボアジチ大橋、全長1074mです。 <br />もう一つの大橋が、この先にあるファーティフ・スルタン・メフメト橋で、通称第二ボスポラス橋と言われ、全長1090mです。<br />共にイスタンブールのアジア側とヨーロッパ側を結ぶ二つの自動車用橋です。<br />

    この海峡に架かる大橋が、“第一ボスポラス大橋”である。
    この海峡の下を潜り、更に観光船は黒海側に航行する。
    ここで、老夫婦が私に写真を撮って欲しいと言うので、船の前方をバックに写真を撮ってあげる。
    すると私が撮った写真が大変気に入ったのか、「写真の構図の撮り方はどうすれば、良い写真が撮れるの?そのコツの様なものがあるの?」と聞いて来る。
    私が、心掛けている点を幾つか教え、それを実践して何枚か写真を撮って見せる。
    それを真似て、自分達でも写真を撮っている。非常に気に入った写真が撮れた様子で満足気であった。ボスポラス大橋を越えた先の左手に海峡沿いに公園が見える。
    そこには現地の人達であろうか、水着で岸壁からそのまま海峡に入り、海水浴を楽しんでいる。
    ここで船内の放送を利用してナムックさんがボスポラス海峡の説明を始める。
    要約すると以下の様な内容です。
    ボスポラス海峡は、トルコのヨーロッパ部分とアジア部分を隔てる海峡です。ボスポラスとは「牝牛の渡渉」という意味で、ギリシャ神話の中で、ゼウスが妻ヘラを欺くため、不倫相手のイオを牝牛の姿へ変えるのですが、ヘラはそれを見破り、恐ろしいアブ(虻)を放った。
    そのためイオは世界中を逃げ回ることになり、牛の姿のままこの海峡を泳いで渡ったとされています。
    トルコ語では「海峡の内」を意味する“ボアジチ”という名で呼ばれています。
    別名は“イスタンブール海峡”です。南北に細長く、北は黒海、南はマルマラ海で、マルマラ海とエーゲ海を繋ぐダーダネルス海峡とあわせて黒海と地中海を結ぶ海上交通の要衝です。
    長さは南北約30km、幅は最も広い地点で3700m、最も狭い地点でわずか800m程です。水深は36m~124mです。
    先程の大橋は、第一ボスポラス大橋と呼ばれ、別名ボアジチ大橋、全長1074mです。
    もう一つの大橋が、この先にあるファーティフ・スルタン・メフメト橋で、通称第二ボスポラス橋と言われ、全長1090mです。
    共にイスタンブールのアジア側とヨーロッパ側を結ぶ二つの自動車用橋です。

  • すると左手の丘に砦が見えて来る。この砦が“ルメリ・ヒサル”である。<br />ルメリ・ヒサルは、オスマントルコ帝国のメフメト2世がコンスタンティノープル郊外に造営した城塞で、“ローマの城”という意味である。メフメト2世が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略中の1452年に、わずか4か月程の短期間で造営し、攻略の拠点とした。<br />当時のコンスタンティノープルは、マルマラ海と金角湾に挟まれた半島の一帯を中心部としていた。<br />また、海と古代ローマ帝国来の堅固な城壁に守られた難攻不落の城塞都市となっていた。<br />このルメリ・ヒサルは南北約250mの長さの城塞である。<br />対岸のアジア側にも同様の城塞、“アナドル・ヒサル”がある。<br />当時金角湾の入り口には、東ローマ帝国によって鉄製の太い鎖が張られ、オスマントルコ艦隊の進入を阻止していたが、メフメト2世は艦隊を陸上から丘越えで金角湾に移動させるという奇策に出てコンスタンティノープルを陥落させたのである。<br />近年ではロシア、ウクライナなど黒海に港を持つ国にとっては、地中海を通じて大西洋に船を出す為には必ず通航しなくてはならない海峡の為に、海峡の航行権を確保したいロシアと、それを阻止しようとするオスマントルコ帝国や諸列強の間で長く駆け引きが続けられて来た。<br />

    すると左手の丘に砦が見えて来る。この砦が“ルメリ・ヒサル”である。
    ルメリ・ヒサルは、オスマントルコ帝国のメフメト2世がコンスタンティノープル郊外に造営した城塞で、“ローマの城”という意味である。メフメト2世が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略中の1452年に、わずか4か月程の短期間で造営し、攻略の拠点とした。
    当時のコンスタンティノープルは、マルマラ海と金角湾に挟まれた半島の一帯を中心部としていた。
    また、海と古代ローマ帝国来の堅固な城壁に守られた難攻不落の城塞都市となっていた。
    このルメリ・ヒサルは南北約250mの長さの城塞である。
    対岸のアジア側にも同様の城塞、“アナドル・ヒサル”がある。
    当時金角湾の入り口には、東ローマ帝国によって鉄製の太い鎖が張られ、オスマントルコ艦隊の進入を阻止していたが、メフメト2世は艦隊を陸上から丘越えで金角湾に移動させるという奇策に出てコンスタンティノープルを陥落させたのである。
    近年ではロシア、ウクライナなど黒海に港を持つ国にとっては、地中海を通じて大西洋に船を出す為には必ず通航しなくてはならない海峡の為に、海峡の航行権を確保したいロシアと、それを阻止しようとするオスマントルコ帝国や諸列強の間で長く駆け引きが続けられて来た。

  • 現在は1936年に締結されたモントルー条約により、商船の自由航行と軍艦の航行の制限が定められている。<br />このルメリ・ヒサルの先に見えて来た大橋がボスポラス海峡に架かるもう一つの大橋であるファーティフ・スルタン・メフメト橋である。<br />

    現在は1936年に締結されたモントルー条約により、商船の自由航行と軍艦の航行の制限が定められている。
    このルメリ・ヒサルの先に見えて来た大橋がボスポラス海峡に架かるもう一つの大橋であるファーティフ・スルタン・メフメト橋である。

  • この大橋の下を過ぎ、少し黒海側に航行したところで、観光船はボスポラス海峡内でターンを始まる。ここから、少し対岸側に近づき、マルマラ海方面に戻る。<br />再び、ファーティフ・スルタン・メフメト橋の下を通るとアジア側の陸地にもう一つの砦であるアナドル・ヒサルが見えて来る。現在は塔が一つと残っているだけである。<br />アナドル・ヒサルは1391年にメフメット2世の曾祖父バヤジット1世が築いた。両岸の要塞により、ビザンツ帝国の援護に駆けつけた西欧の艦隊を足止めさせたのである。<br />ここで少し風が強くなって来たので、外にいた人達と共に船内に移動する。<br />船内に入ると、入口横に設けられた喫茶カウンターのところでチャイのサービスを受け、席に着く。<br />ここでチャイを飲みながら、船内からボスポラス海峡の両岸の景色を眺める。<br />チャイを飲み終えると、再び船外に出て、デッキに戻る。<br />丁度、同じ様な観光船が並走していた。こちらの観光船の方が少し大きい。<br />並走する観光船から手を振る人もいた。<br />

    この大橋の下を過ぎ、少し黒海側に航行したところで、観光船はボスポラス海峡内でターンを始まる。ここから、少し対岸側に近づき、マルマラ海方面に戻る。
    再び、ファーティフ・スルタン・メフメト橋の下を通るとアジア側の陸地にもう一つの砦であるアナドル・ヒサルが見えて来る。現在は塔が一つと残っているだけである。
    アナドル・ヒサルは1391年にメフメット2世の曾祖父バヤジット1世が築いた。両岸の要塞により、ビザンツ帝国の援護に駆けつけた西欧の艦隊を足止めさせたのである。
    ここで少し風が強くなって来たので、外にいた人達と共に船内に移動する。
    船内に入ると、入口横に設けられた喫茶カウンターのところでチャイのサービスを受け、席に着く。
    ここでチャイを飲みながら、船内からボスポラス海峡の両岸の景色を眺める。
    チャイを飲み終えると、再び船外に出て、デッキに戻る。
    丁度、同じ様な観光船が並走していた。こちらの観光船の方が少し大きい。
    並走する観光船から手を振る人もいた。

  • その後、軍艦の様な船が並走する。軍艦と思っていたが、どうもトロール船の様である。<br />もう大分戻って来た。<br />

    その後、軍艦の様な船が並走する。軍艦と思っていたが、どうもトロール船の様である。
    もう大分戻って来た。

  • 第一ボスポラス大橋の手前にまた、宮殿らしきものが見えて来た。これがベイレルベイ宮殿である。<br />この宮殿は夏の離宮として建設されたもので、アルメニア人建築家バルヤンの設計で、1865年に完成した。<br />ドルマバフチェ宮殿と同様にバロック様式とオスマントルコ朝の様式が折衷した様式の堅剛な石造りの宮殿である。<br />その後、第一ボスポラス大橋を潜ると、ドルマバフチェ宮殿やその奥には我々が宿泊していたザ・リッツカールトン・イスタンブールホテルの高いビルが見えて来る。<br /> <br />また、前方の海峡内には塔が見えて来る。これがクズ塔である。<br />元々はボスポラス海峡のアジア側に造られた灯台であったが、現在は灯台としては使用されておらず、レストランとして使用されているそうだ。<br />

    第一ボスポラス大橋の手前にまた、宮殿らしきものが見えて来た。これがベイレルベイ宮殿である。
    この宮殿は夏の離宮として建設されたもので、アルメニア人建築家バルヤンの設計で、1865年に完成した。
    ドルマバフチェ宮殿と同様にバロック様式とオスマントルコ朝の様式が折衷した様式の堅剛な石造りの宮殿である。
    その後、第一ボスポラス大橋を潜ると、ドルマバフチェ宮殿やその奥には我々が宿泊していたザ・リッツカールトン・イスタンブールホテルの高いビルが見えて来る。

    また、前方の海峡内には塔が見えて来る。これがクズ塔である。
    元々はボスポラス海峡のアジア側に造られた灯台であったが、現在は灯台としては使用されておらず、レストランとして使用されているそうだ。

  • その後、フォーシーズンズ・ホテルやドルマバフチェ宮殿の近くを航行し、出発したカパタシュ桟橋に戻った。ほぼ1時間のクルーズであった。<br />観光船から桟橋に降り、そこで溝田さんにお願いし、乗った観光船をバックに記念写真を撮って貰う。<br /> <br />そして、カパタシュ桟橋のトラム駅付近まで再び戻り、横断歩道を渡った先でバスを待つ。<br />程なく、バスが我々の前に来て、急ぎみんなバスに乗り込む。<br />時刻は15時前である。この時間帯になるとトラムの走る通りは渋滞をしている。<br />

    その後、フォーシーズンズ・ホテルやドルマバフチェ宮殿の近くを航行し、出発したカパタシュ桟橋に戻った。ほぼ1時間のクルーズであった。
    観光船から桟橋に降り、そこで溝田さんにお願いし、乗った観光船をバックに記念写真を撮って貰う。

    そして、カパタシュ桟橋のトラム駅付近まで再び戻り、横断歩道を渡った先でバスを待つ。
    程なく、バスが我々の前に来て、急ぎみんなバスに乗り込む。
    時刻は15時前である。この時間帯になるとトラムの走る通りは渋滞をしている。

  • <イスタンブール観光の最後~トプカプ宮殿~><br />バスは渋滞に巻き込まれ、中々進まない。<br />それでも何とかガラタ橋まで到着し、橋を渡り、新市街地から旧市街地へ入る。これからこの旅行の最後の観光地となるトプカプ宮殿に向かう。<br />トプカプ宮殿は昨日訪れたアヤソフィア博物館の裏に位置する。<br />カパタシュ桟橋から30分程掛かり、やっとトプカプ宮殿近くに到着した様で、細い路地道でバスを降りる様に言われる。これ以上は近くにバスでは行けない様で、ここから入口まで歩くのである。<br />バスを降り、ナムックさんを先頭に路地道を歩き始め、路地道に並行する様に城壁が見える。すると路地道の先に広場が見えて来た。その広場横の城壁沿いに門が見えている。<br />その城壁内がトプカプ宮殿である。その門の前にも泉亭がある。地図で確認すると、この泉亭は“アフメット3世の泉”と言われているところである。<br />また、門の左手奥にはアヤソフィア博物館の建物が見えている。<br />

    <イスタンブール観光の最後~トプカプ宮殿~>
    バスは渋滞に巻き込まれ、中々進まない。
    それでも何とかガラタ橋まで到着し、橋を渡り、新市街地から旧市街地へ入る。これからこの旅行の最後の観光地となるトプカプ宮殿に向かう。
    トプカプ宮殿は昨日訪れたアヤソフィア博物館の裏に位置する。
    カパタシュ桟橋から30分程掛かり、やっとトプカプ宮殿近くに到着した様で、細い路地道でバスを降りる様に言われる。これ以上は近くにバスでは行けない様で、ここから入口まで歩くのである。
    バスを降り、ナムックさんを先頭に路地道を歩き始め、路地道に並行する様に城壁が見える。すると路地道の先に広場が見えて来た。その広場横の城壁沿いに門が見えている。
    その城壁内がトプカプ宮殿である。その門の前にも泉亭がある。地図で確認すると、この泉亭は“アフメット3世の泉”と言われているところである。
    また、門の左手奥にはアヤソフィア博物館の建物が見えている。

  • この門は“皇帝の門”と呼ばれる門である。<br />  <br />この門を潜ると、中には大きな庭園が拡がる。建物は然程なく、門を抜けた左手に教会らしき建物が見えている。ナムックさんに聞くと、やはり教会で、アヤ・イリニ教会と言うそうだ。<br />現在は使われていないため、立入禁止なのだと言う。<br />ナムックさんによると、オスマントルコ時代は一時兵器庫にも使用された場所だそうだ。<br />

    この門は“皇帝の門”と呼ばれる門である。

    この門を潜ると、中には大きな庭園が拡がる。建物は然程なく、門を抜けた左手に教会らしき建物が見えている。ナムックさんに聞くと、やはり教会で、アヤ・イリニ教会と言うそうだ。
    現在は使われていないため、立入禁止なのだと言う。
    ナムックさんによると、オスマントルコ時代は一時兵器庫にも使用された場所だそうだ。

  • また、更に歩くと今度は右手に小さなモスク(ジャーミー)が見えて来た。そして、正面には先程の門よりも更に装飾が施された大きな門が見えている。<br />

    また、更に歩くと今度は右手に小さなモスク(ジャーミー)が見えて来た。そして、正面には先程の門よりも更に装飾が施された大きな門が見えている。

  • ここが、このトプカプ宮殿の送迎門(または挨拶の門と言われる門)である。<br />左右に尖塔が施された荘厳な門である。この前で少しナムックさんの入場手続きを待つ事になった。<br />先程の皇帝の門からここまでは入場自由の様である。<br />直ぐにナムックさんの入場手続きも終わり、一人一人にチケットが渡される。<br />それを持って、送迎門を潜る。この送迎門には多くのアラビア文字の額が掛かっている。良く見ると同じ文字と日本の戦国武将が使用していた“花押”の様なものが描かれている。<br />

    ここが、このトプカプ宮殿の送迎門(または挨拶の門と言われる門)である。
    左右に尖塔が施された荘厳な門である。この前で少しナムックさんの入場手続きを待つ事になった。
    先程の皇帝の門からここまでは入場自由の様である。
    直ぐにナムックさんの入場手続きも終わり、一人一人にチケットが渡される。
    それを持って、送迎門を潜る。この送迎門には多くのアラビア文字の額が掛かっている。良く見ると同じ文字と日本の戦国武将が使用していた“花押”の様なものが描かれている。

  • ナムックさんに聞くと、“トゥグラ”と言うオスマントルコ帝国のスルタン(皇帝)が使用したアラビア文字の署名である。このトプカプ宮殿の至るところにあるそうだ。<br />因みに、この送迎門にある“トゥグラ”はスレイマン1世のもので、このスレイマン1世はオスマントルコ帝国の最盛期を築いた皇帝である。<br /> <br />門の抜けた内の壁側には大きな地図が掲示されている。<br />オスマントルコ帝国時代の支配地を記したもので、最盛期には地中海の出口に当たるシブラルタル海峡付近までの海上とその北アフリカ沿岸部からペルシャ湾岸地域までの広大な領域を支配していた事がこれからも判る。また、大きなトルコ国旗が見える。<br />ここで蘊蓄(うんちく)をひとつ、クロワッサンというパンは17世紀にオスマントルコ軍のウィーンの包囲を破った記念に、トルコ国旗の三日月に似せて、造られたとされているが、それは事実とは違うそうだ。<br />正式にクロワッサンの形状をしたパンが出来上がったのは20世紀に入ってからなので、時代が大きく異なるためである。<br />この送迎門内にも大きな庭園が拡がる。こちらの方が庭園と言うにふさわしい造りで大きな木々も配された庭である。<br />その庭園の中央の路を更に奥に進むと、左手に尖塔を持った建物が見え、正面には再び門が見えて来た。左手の尖塔の持った建物は、“ハーレム”の入口に当たる建物なのだと言う。<br />ここは現在博物館になっているが、別管理の博物館となり、更にチケットの購入が必要になるそうだ。我々はそこには行かず、真っ直ぐに見えている門に進む。

    ナムックさんに聞くと、“トゥグラ”と言うオスマントルコ帝国のスルタン(皇帝)が使用したアラビア文字の署名である。このトプカプ宮殿の至るところにあるそうだ。
    因みに、この送迎門にある“トゥグラ”はスレイマン1世のもので、このスレイマン1世はオスマントルコ帝国の最盛期を築いた皇帝である。

    門の抜けた内の壁側には大きな地図が掲示されている。
    オスマントルコ帝国時代の支配地を記したもので、最盛期には地中海の出口に当たるシブラルタル海峡付近までの海上とその北アフリカ沿岸部からペルシャ湾岸地域までの広大な領域を支配していた事がこれからも判る。また、大きなトルコ国旗が見える。
    ここで蘊蓄(うんちく)をひとつ、クロワッサンというパンは17世紀にオスマントルコ軍のウィーンの包囲を破った記念に、トルコ国旗の三日月に似せて、造られたとされているが、それは事実とは違うそうだ。
    正式にクロワッサンの形状をしたパンが出来上がったのは20世紀に入ってからなので、時代が大きく異なるためである。
    この送迎門内にも大きな庭園が拡がる。こちらの方が庭園と言うにふさわしい造りで大きな木々も配された庭である。
    その庭園の中央の路を更に奥に進むと、左手に尖塔を持った建物が見え、正面には再び門が見えて来た。左手の尖塔の持った建物は、“ハーレム”の入口に当たる建物なのだと言う。
    ここは現在博物館になっているが、別管理の博物館となり、更にチケットの購入が必要になるそうだ。我々はそこには行かず、真っ直ぐに見えている門に進む。

  • この門が、“幸福の門”と言われる門である。<br />この幸福の門の入口前の天井からはチューリップの蕾を模した装飾品がぶら下っている。<br />門の大理石の壁にはトゥグラの描かれた額がはめ込まれている。<br />また、この門の前の石畳の一画が仕切られている。その中央には石の出っ張りがある。<br />ここには、旗を立てていた台座があったと言う。<br />

    この門が、“幸福の門”と言われる門である。
    この幸福の門の入口前の天井からはチューリップの蕾を模した装飾品がぶら下っている。
    門の大理石の壁にはトゥグラの描かれた額がはめ込まれている。
    また、この門の前の石畳の一画が仕切られている。その中央には石の出っ張りがある。
    ここには、旗を立てていた台座があったと言う。

  • ここからが宮殿の内邸(スルタンの私的な空間)に当たる。<br />幸福の門を入ると、その門に併設する様に謁見の間がある。ここは綺麗なタイルで幾何学模様の装飾が施されている。<br />その謁見の間の脇を抜け、奥に続く庭園内で一旦集合をする。<br />ここで、ナムックさんが、「これから自由行動とします。その前にトプカプ宮殿の見所を説明致します。ここは博物館として宮殿を造り変えられています。この横の回廊には宝物館などがあります。また、奥には庭園などもあり、ボスポラス海峡や市街地を一望出来る展望台もあります。」と言い、簡単にトプカプ宮殿の説明を始める。その内容は大体以下の内容である。<br />トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマントルコ帝国の皇帝(スルタン)が居住した宮殿である。イスタンブール旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置している。<br />宮殿はよく保存修復され、現在は博物館として公開されている。メフメト2世が、1460年代頃造営を開始し、1478年頃までに完成した宮殿である。<br />現在使われているトプカプ宮殿の名前は、19世紀にこの宮殿から皇帝が去った後、トプカプ宮殿の丘がある岬の先端にある「大砲の門」(トルコ語で“トプ”が大砲、“カプ”が門を表す)に因んで呼ばれるようになったものである。 <br />宮殿は君主の住居であると同時に、オスマントルコ帝国の行政の中心地として機能した。<br />ハーレムが1853年に宮廷が西洋風のドルマバフチェ宮殿に移ってからは放置され、荒廃したが、トルコ共和国は1924年にトプカプ宮殿を博物館として修復を行い、一般に開放を始めたそうだ。<br />この様な内容説明を終え、ナムックさんが、「集合時間は17時とします。それではここで解散します。」と言う。<br />それを合図にみんなが解散する。私はまず、回廊の宝物館を見学する事にした。<br />

    ここからが宮殿の内邸(スルタンの私的な空間)に当たる。
    幸福の門を入ると、その門に併設する様に謁見の間がある。ここは綺麗なタイルで幾何学模様の装飾が施されている。
    その謁見の間の脇を抜け、奥に続く庭園内で一旦集合をする。
    ここで、ナムックさんが、「これから自由行動とします。その前にトプカプ宮殿の見所を説明致します。ここは博物館として宮殿を造り変えられています。この横の回廊には宝物館などがあります。また、奥には庭園などもあり、ボスポラス海峡や市街地を一望出来る展望台もあります。」と言い、簡単にトプカプ宮殿の説明を始める。その内容は大体以下の内容である。
    トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマントルコ帝国の皇帝(スルタン)が居住した宮殿である。イスタンブール旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置している。
    宮殿はよく保存修復され、現在は博物館として公開されている。メフメト2世が、1460年代頃造営を開始し、1478年頃までに完成した宮殿である。
    現在使われているトプカプ宮殿の名前は、19世紀にこの宮殿から皇帝が去った後、トプカプ宮殿の丘がある岬の先端にある「大砲の門」(トルコ語で“トプ”が大砲、“カプ”が門を表す)に因んで呼ばれるようになったものである。
    宮殿は君主の住居であると同時に、オスマントルコ帝国の行政の中心地として機能した。
    ハーレムが1853年に宮廷が西洋風のドルマバフチェ宮殿に移ってからは放置され、荒廃したが、トルコ共和国は1924年にトプカプ宮殿を博物館として修復を行い、一般に開放を始めたそうだ。
    この様な内容説明を終え、ナムックさんが、「集合時間は17時とします。それではここで解散します。」と言う。
    それを合図にみんなが解散する。私はまず、回廊の宝物館を見学する事にした。

  • 宝物館の入口は幾つかに分かれている。部屋が4つに分かれている。<br />入口には写真撮影禁止の看板が立っている。最初の部屋は、陶器類など、当時の生活用品類が展示されている部屋である。そして、その隣の部屋にはスルタンの衣装などが展示されていた。<br />その後も数々の凝った装飾を施された生活用品類が展示された部屋を見て廻る。<br />そして、最もメインの宝物が展示されているのが、最も奥の部屋である第4の部屋である。<br />ここには、このトプカプ宮殿の秘宝で世界有数の大きさを誇るダイヤモンドである”スプーン屋のダイヤモンド”と呼ばれるダイヤモンドが展示されている。中央にティアドロップ型の86カラットのダイヤモンドがあり、その周りを49個のダイヤモンドで取り囲んだ宝物である。<br />この中央のダイヤモンドには数々の伝説が伝わっている。<br />

    宝物館の入口は幾つかに分かれている。部屋が4つに分かれている。
    入口には写真撮影禁止の看板が立っている。最初の部屋は、陶器類など、当時の生活用品類が展示されている部屋である。そして、その隣の部屋にはスルタンの衣装などが展示されていた。
    その後も数々の凝った装飾を施された生活用品類が展示された部屋を見て廻る。
    そして、最もメインの宝物が展示されているのが、最も奥の部屋である第4の部屋である。
    ここには、このトプカプ宮殿の秘宝で世界有数の大きさを誇るダイヤモンドである”スプーン屋のダイヤモンド”と呼ばれるダイヤモンドが展示されている。中央にティアドロップ型の86カラットのダイヤモンドがあり、その周りを49個のダイヤモンドで取り囲んだ宝物である。
    この中央のダイヤモンドには数々の伝説が伝わっている。

  • このダイヤモンドの原石は漁師が拾い、市場のスプーン屋とスプーン3本で交換した事から”スプーン屋のダイヤモンド”と呼ばれている。<br />そして、この部屋でもう一つ有名な宝物は、”トプカプの短剣”である。3つの大きなエメラルドが短剣にはめ込まれ、時計も付いた黄金色の短剣である。<br />このトプカプ宮殿の宝物館にはとにかくエメラルドを使った宝物類が多い。<br />大きなエメラルドとルビーを配した王冠などもある。<br />

    このダイヤモンドの原石は漁師が拾い、市場のスプーン屋とスプーン3本で交換した事から”スプーン屋のダイヤモンド”と呼ばれている。
    そして、この部屋でもう一つ有名な宝物は、”トプカプの短剣”である。3つの大きなエメラルドが短剣にはめ込まれ、時計も付いた黄金色の短剣である。
    このトプカプ宮殿の宝物館にはとにかくエメラルドを使った宝物類が多い。
    大きなエメラルドとルビーを配した王冠などもある。

  • この様に大量のエメラルドが使用されているのも、イスラム世界ではエメラルドの緑は”聖なる色”とされている為である。特に緑はオアシスの象徴でもある。イスラムの国家の国旗に緑色が多く使用されるのも、この理由による。<br />更に、この宝物館には展示されてはいないが、このトプカプ宮殿からは宝物として興味深いものが見つけられている。それは、“ピリ・レイスの地図”と呼ばれるものである。<br />これは1956年に米国海軍のアーリントン・マレリー少佐が、このトプカプ宮殿の図書館で資料を探していると、ある巻物に目が留まった。何気なく、その巻物を開いて見ると、それはカモシカの皮に記された1枚の地図であった。<br />元はもっと大きな地図であった様であるが、右半分がない不完全なもので、地図に記載された記録によると、古代の地図のコピーと言う事で大したものではないだろうと、そのまま巻物を戻そうとした際に彼の目に留まった部分があった。<br />地図の下部分は南アメリカ大陸を表しているものの様で、その南アメリカ大陸の海岸線を表す先の更に南に海岸線が延びていた。“これは現在のウェッデル海からクィーンモードランドにかけての南極大陸の海岸線ではないか?しかし、この時代には南極大陸の存在など確認もされていなかった。”と彼が思ったのである。<br />そこで更にこの地図を詳しく調べると、地図の隅に何か書かれていたので、専門家に見せると、それはトルコ語とラテン語で、『余、すなわちトルコ海軍総督ピリ・イブン・ハジ・メフメッドは、ギリシャのアレクサンドロス大王の時代から伝わる20枚の地図を参考にこれを描いた。回教歴934年6月4日』と言う内容の記載であった。<br />

    この様に大量のエメラルドが使用されているのも、イスラム世界ではエメラルドの緑は”聖なる色”とされている為である。特に緑はオアシスの象徴でもある。イスラムの国家の国旗に緑色が多く使用されるのも、この理由による。
    更に、この宝物館には展示されてはいないが、このトプカプ宮殿からは宝物として興味深いものが見つけられている。それは、“ピリ・レイスの地図”と呼ばれるものである。
    これは1956年に米国海軍のアーリントン・マレリー少佐が、このトプカプ宮殿の図書館で資料を探していると、ある巻物に目が留まった。何気なく、その巻物を開いて見ると、それはカモシカの皮に記された1枚の地図であった。
    元はもっと大きな地図であった様であるが、右半分がない不完全なもので、地図に記載された記録によると、古代の地図のコピーと言う事で大したものではないだろうと、そのまま巻物を戻そうとした際に彼の目に留まった部分があった。
    地図の下部分は南アメリカ大陸を表しているものの様で、その南アメリカ大陸の海岸線を表す先の更に南に海岸線が延びていた。“これは現在のウェッデル海からクィーンモードランドにかけての南極大陸の海岸線ではないか?しかし、この時代には南極大陸の存在など確認もされていなかった。”と彼が思ったのである。
    そこで更にこの地図を詳しく調べると、地図の隅に何か書かれていたので、専門家に見せると、それはトルコ語とラテン語で、『余、すなわちトルコ海軍総督ピリ・イブン・ハジ・メフメッドは、ギリシャのアレクサンドロス大王の時代から伝わる20枚の地図を参考にこれを描いた。回教歴934年6月4日』と言う内容の記載であった。

  • このピリ・イブン・ハジ・メフメッドは地図製作者として有名な人物で、通称“ピリ・レイス(トルコ語で”レイス“は総督を意味する)と呼ばれた人物である。<br />また、記載の回教歴934年とは西暦の1513年に当たる。<br />このピリ・レイスが模写したと思われる地図の原図は、コンスタンティノープルの帝国図書館に所蔵されていたものと思われる。ピリ・レイスは当時この図書館に自由に出入りをしていたと思われる。<br />しかし、その原図と思われる地図は現在存在しない。少なくとも現在は発見されていないそうだ。<br />南極大陸の存在が確認されたと歴史的に記載されているのは、1818年で、1513年当時はその存在を記したものは存在しなかった。それなのになぜ300年以上も前にピリ・レイスは南極大陸を地図に描き込めたのであろうか?<br />そして、1920年になって漸く、南極大陸の全貌が把握され、その海岸線もだんだんと明らかになった。しかし、何とピリ・レイスの地図に描かれた海岸線は実際に判明した海岸線と細部まで一致していたのである。<br />更に地図にはクィーンモードランドを主とする群島まで記されていた。<br />ところが、この群島は現在、南極大陸の厚い氷の下なのである。<br />なぜ現在氷の下の島々まで正確に描き込まれているのか?これもこの地図の不思議な点でもある。<br />また、アメリカ大陸の記載についても不思議な点が多い。<br />この地図にはバイアブランカ(現在のアルゼンチン)からホーン岬(現在のチリ)まで詳細に描かれていたが、この地図が描かれた1513年は、アメリカ大陸発見のわずか20年後で、この様な詳細な探索は行われていなかった。<br />また、地図の記載を信じると、この地図の原図はアレクサンドロス大王時代のものとなると紀元前4世紀の地図という事になる。ここからも更に大きな謎が浮かび上がる。<br />その後、米国海軍は地図の研究を進め、ある推定に達したと言う。<br />この地図の原図となった地図“アレクサンドロスの地図”自体も更に昔の古地図の写しではないかと言う結論である。その根拠は南極大陸がこの様な様相をしていたのは、1万5千年くらい前で、温暖な気候の時期で、現在の厚い氷で覆われていなかった。<br />しかし、またここで疑問が生じるのである。その当時の文明(文明と言うものの存在が確認されていない時期である)にこの様な高度な測量技術があったのかという謎である。<br />

    このピリ・イブン・ハジ・メフメッドは地図製作者として有名な人物で、通称“ピリ・レイス(トルコ語で”レイス“は総督を意味する)と呼ばれた人物である。
    また、記載の回教歴934年とは西暦の1513年に当たる。
    このピリ・レイスが模写したと思われる地図の原図は、コンスタンティノープルの帝国図書館に所蔵されていたものと思われる。ピリ・レイスは当時この図書館に自由に出入りをしていたと思われる。
    しかし、その原図と思われる地図は現在存在しない。少なくとも現在は発見されていないそうだ。
    南極大陸の存在が確認されたと歴史的に記載されているのは、1818年で、1513年当時はその存在を記したものは存在しなかった。それなのになぜ300年以上も前にピリ・レイスは南極大陸を地図に描き込めたのであろうか?
    そして、1920年になって漸く、南極大陸の全貌が把握され、その海岸線もだんだんと明らかになった。しかし、何とピリ・レイスの地図に描かれた海岸線は実際に判明した海岸線と細部まで一致していたのである。
    更に地図にはクィーンモードランドを主とする群島まで記されていた。
    ところが、この群島は現在、南極大陸の厚い氷の下なのである。
    なぜ現在氷の下の島々まで正確に描き込まれているのか?これもこの地図の不思議な点でもある。
    また、アメリカ大陸の記載についても不思議な点が多い。
    この地図にはバイアブランカ(現在のアルゼンチン)からホーン岬(現在のチリ)まで詳細に描かれていたが、この地図が描かれた1513年は、アメリカ大陸発見のわずか20年後で、この様な詳細な探索は行われていなかった。
    また、地図の記載を信じると、この地図の原図はアレクサンドロス大王時代のものとなると紀元前4世紀の地図という事になる。ここからも更に大きな謎が浮かび上がる。
    その後、米国海軍は地図の研究を進め、ある推定に達したと言う。
    この地図の原図となった地図“アレクサンドロスの地図”自体も更に昔の古地図の写しではないかと言う結論である。その根拠は南極大陸がこの様な様相をしていたのは、1万5千年くらい前で、温暖な気候の時期で、現在の厚い氷で覆われていなかった。
    しかし、またここで疑問が生じるのである。その当時の文明(文明と言うものの存在が確認されていない時期である)にこの様な高度な測量技術があったのかという謎である。

  • 有名な歴史学者の一人は、これはアトランティス人により描かれた古地図を原図としたものではないかと考えている。本当に謎が多い、宝物である。この様な宝物を見学後、その奥にあるテラスに出る。<br />ここには中央に噴水であろうか?大きな大理石の花弁型のものが二重に重なり置かれている。<br /> <br />当時は中央から噴水が出ていたのであろう。また、その先のテラスからは丁度、ボスポラス海峡が望める。そのテラスの下には近代的な屋根形状のレストランの様な建物が見えている。<br />ここからの眺望を暫らく楽しんだ後、更に宮殿の奥の庭園に進む。<br />その先には宮殿の最奥に位置する“バーダット・キョシュキュ”と呼ばれるテラスを有する建物がある。この辺りの建物の壁は、色とりどりのタイルで装飾されている。見学出来る部屋の内部も同様に綺麗に装飾されている。<br />また、この辺りに使用されているタイルには青を基調としたものが多い。<br />ここのテラスからは眺めが、また最高である。ここからは金角湾を挟み、新市街地が見えている。<br />

    有名な歴史学者の一人は、これはアトランティス人により描かれた古地図を原図としたものではないかと考えている。本当に謎が多い、宝物である。この様な宝物を見学後、その奥にあるテラスに出る。
    ここには中央に噴水であろうか?大きな大理石の花弁型のものが二重に重なり置かれている。

    当時は中央から噴水が出ていたのであろう。また、その先のテラスからは丁度、ボスポラス海峡が望める。そのテラスの下には近代的な屋根形状のレストランの様な建物が見えている。
    ここからの眺望を暫らく楽しんだ後、更に宮殿の奥の庭園に進む。
    その先には宮殿の最奥に位置する“バーダット・キョシュキュ”と呼ばれるテラスを有する建物がある。この辺りの建物の壁は、色とりどりのタイルで装飾されている。見学出来る部屋の内部も同様に綺麗に装飾されている。
    また、この辺りに使用されているタイルには青を基調としたものが多い。
    ここのテラスからは眺めが、また最高である。ここからは金角湾を挟み、新市街地が見えている。

  • このバーダット・キョシュキュの見学後、再び宝物館の前に戻る。<br />まだ、集合時間までに時間があるので、皇帝(スルタン)の肖像画が並ぶ建物も見学する事にした。<br />この建物内はあまり人がいない。<br />この肖像画も素晴らしいものが多い。当時の有名な肖像画家が手掛けたものが多いのであろう。<br />この肖像館を見学後、謁見の間の前まで戻る。<br />そして、まだ集合時間にはかなり早いが、幸福の門を抜け、集合場所に行く。<br />溝田さん、ナムックさんと共に数人の人が既に集まっている。<br />まだ時間もあるので、ここで溝田さんにこの幸福の門の前で記念写真を撮って貰う。<br />この幸福の門の前で少し時間を潰す。<br />

    このバーダット・キョシュキュの見学後、再び宝物館の前に戻る。
    まだ、集合時間までに時間があるので、皇帝(スルタン)の肖像画が並ぶ建物も見学する事にした。
    この建物内はあまり人がいない。
    この肖像画も素晴らしいものが多い。当時の有名な肖像画家が手掛けたものが多いのであろう。
    この肖像館を見学後、謁見の間の前まで戻る。
    そして、まだ集合時間にはかなり早いが、幸福の門を抜け、集合場所に行く。
    溝田さん、ナムックさんと共に数人の人が既に集まっている。
    まだ時間もあるので、ここで溝田さんにこの幸福の門の前で記念写真を撮って貰う。
    この幸福の門の前で少し時間を潰す。

  • この脇にはスルタンの厨房所がある。その屋根には多くの煙突が並んでいる。<br />その後、17時前には全員が集合し、この幸福の門から宮殿を後にする。<br />帰りは、行きと同じ経路でトプカプ宮殿を進む。もう時間も遅い為か、宮殿内に入場する人はいない。<br />聞くと、この宮殿の入場時間は17時までだそうだ。<br />帰りは比較的ゆっくりと歩き、送迎門を抜け、皇帝の門まで行くと、その前にあるアフメット3世の泉の前で再度集合した後、城壁沿いに歩き、トラムの通りまで出て、ここでバスを待つ。<br />時刻はもう17時30分過ぎである。<br />

    この脇にはスルタンの厨房所がある。その屋根には多くの煙突が並んでいる。
    その後、17時前には全員が集合し、この幸福の門から宮殿を後にする。
    帰りは、行きと同じ経路でトプカプ宮殿を進む。もう時間も遅い為か、宮殿内に入場する人はいない。
    聞くと、この宮殿の入場時間は17時までだそうだ。
    帰りは比較的ゆっくりと歩き、送迎門を抜け、皇帝の門まで行くと、その前にあるアフメット3世の泉の前で再度集合した後、城壁沿いに歩き、トラムの通りまで出て、ここでバスを待つ。
    時刻はもう17時30分過ぎである。

  • バスが来るまでに少し時間を要したが、5分程でバスが我々の前に到着し、急ぎ乗り込む。<br />夕方のトラムの走る通りは観光客や車で一杯である。その為に少し渋滞をしている。<br />また、トラムが停車していると更にその渋滞が酷くなる。このトラムの通りは土産物店などが非常に多い。<br />トラムの走る通りを更に進み、スィルケシ駅の横を抜け、金角湾前に出る。<br />

    バスが来るまでに少し時間を要したが、5分程でバスが我々の前に到着し、急ぎ乗り込む。
    夕方のトラムの走る通りは観光客や車で一杯である。その為に少し渋滞をしている。
    また、トラムが停車していると更にその渋滞が酷くなる。このトラムの通りは土産物店などが非常に多い。
    トラムの走る通りを更に進み、スィルケシ駅の横を抜け、金角湾前に出る。

  • ここからガラタ橋を通るが、その橋の真ん中辺りでバスが停車する。ここでバスを降りる。<br />夕方のガラタ橋は車と人で一杯である。<br />また、橋の欄干には多くの釣竿が並び、金角湾に糸を垂らしている。<br />このガラタ橋上の歩道にある階段を使い、ガラタ橋の下に降りる。ガラタ橋は2階建ての構造の橋である。時刻は18時頃である。<br />ガラタ橋の下には多くのレストランが並ぶ。<br />看板などを見れば、シーフード関連の料理を出す店が殆どである。<br /> <br />夕方近いがまだまだ、金角湾からボスポラス海峡に向かう観光船が多い。また、このガラタ橋から旧市街地を向くと、丁度正面にはイェニ・ジャーミーが綺麗に見える。<br />

    ここからガラタ橋を通るが、その橋の真ん中辺りでバスが停車する。ここでバスを降りる。
    夕方のガラタ橋は車と人で一杯である。
    また、橋の欄干には多くの釣竿が並び、金角湾に糸を垂らしている。
    このガラタ橋上の歩道にある階段を使い、ガラタ橋の下に降りる。ガラタ橋は2階建ての構造の橋である。時刻は18時頃である。
    ガラタ橋の下には多くのレストランが並ぶ。
    看板などを見れば、シーフード関連の料理を出す店が殆どである。

    夕方近いがまだまだ、金角湾からボスポラス海峡に向かう観光船が多い。また、このガラタ橋から旧市街地を向くと、丁度正面にはイェニ・ジャーミーが綺麗に見える。

  • <イスタンブールでの最後の夕食~NEW GALATA~><br />この並ぶレストランの通りを少し進んだところで、ナムックさんと溝田さんがあるレストランの前で立ち止まり、そのレストランの店員と話を始まる。ここが今日の夕食場所だ。<br />レストランの看板を見ると、”NEW GALATA”と書かれ、また”FISH&WINE”の文字も見える。<br />  <br />このレストラン前で少し待ち、店員に促され、みんながレストラン内に移動する。<br />中は意外に広く、その広いレストラン内の一番奥のテーブルに案内される。<br />レストラン内には長いテーブルが並んでおり、全員が対面で座る様に席を占める。<br />

    <イスタンブールでの最後の夕食~NEW GALATA~>
    この並ぶレストランの通りを少し進んだところで、ナムックさんと溝田さんがあるレストランの前で立ち止まり、そのレストランの店員と話を始まる。ここが今日の夕食場所だ。
    レストランの看板を見ると、”NEW GALATA”と書かれ、また”FISH&WINE”の文字も見える。

    このレストラン前で少し待ち、店員に促され、みんながレストラン内に移動する。
    中は意外に広く、その広いレストラン内の一番奥のテーブルに案内される。
    レストラン内には長いテーブルが並んでおり、全員が対面で座る様に席を占める。

  • 店内には色褪せた幾つもの写真や絵画が並ぶ。<br />その写真や絵画を見ていると、このガラタ橋の昔の写真や絵画である。どのくらい前の写真かは判らないが、ガラタ塔以外は、まだ建物が少ない新市街地の様子やガラタ橋上の写真や絵画が並ぶ。<br />その写真類を指さしながら、話をしていると店員が近づいて来て、説明をしてくれる。<br />ナムックさんに通訳をして貰うと、私が指さした写真などは50年以上前の当時のこのガラダ橋周辺のものだと言う事であった。<br />まずはお決まりの飲物の注文から始まる。<br />ここは店先に“FISH&WINE”と書かれていたので、ワインがお勧めと言う事で、ワインを頼む人が多い。私はコーラをお願いする。<br />まずは最初の料理として、野菜サラダが出て来た。その後、以下の料理が出て来た。<br /><br /><“NEW GALATA”での夕食><br /> ①野菜サラダ(サニーレタス/きゅうり/トマト 他)<br /> ②スズキの包み焼き *温野菜:人参、香草 他<br /> ③チーズピザ<br /> ④パン<br /> ⑤フルーツ類(メロン/すいか/プラム/黄桃)<br /> ⑥飲物(コーラ)<br /> <br />メイン料理のスズキは、このボスポラス海峡やマルマラ海では良く獲れる魚なのだと言う。<br />トルコでもサバや鱒、アジなどと共に一般的に食べられる魚だと言う。味は日本のものと同じである。<br />これがトルコでの最後の料理である。<br />

    店内には色褪せた幾つもの写真や絵画が並ぶ。
    その写真や絵画を見ていると、このガラタ橋の昔の写真や絵画である。どのくらい前の写真かは判らないが、ガラタ塔以外は、まだ建物が少ない新市街地の様子やガラタ橋上の写真や絵画が並ぶ。
    その写真類を指さしながら、話をしていると店員が近づいて来て、説明をしてくれる。
    ナムックさんに通訳をして貰うと、私が指さした写真などは50年以上前の当時のこのガラダ橋周辺のものだと言う事であった。
    まずはお決まりの飲物の注文から始まる。
    ここは店先に“FISH&WINE”と書かれていたので、ワインがお勧めと言う事で、ワインを頼む人が多い。私はコーラをお願いする。
    まずは最初の料理として、野菜サラダが出て来た。その後、以下の料理が出て来た。

    <“NEW GALATA”での夕食>
     ①野菜サラダ(サニーレタス/きゅうり/トマト 他)
     ②スズキの包み焼き *温野菜:人参、香草 他
     ③チーズピザ
     ④パン
     ⑤フルーツ類(メロン/すいか/プラム/黄桃)
     ⑥飲物(コーラ)

    メイン料理のスズキは、このボスポラス海峡やマルマラ海では良く獲れる魚なのだと言う。
    トルコでもサバや鱒、アジなどと共に一般的に食べられる魚だと言う。味は日本のものと同じである。
    これがトルコでの最後の料理である。

  • 世界3大料理と言われているトルコ料理ではあるが全般的には期待した様な料理は少なかった。<br />その中でも魚料理は比較的美味しいものが多かった。<br />肉料理は宗教上の問題等もあり、牛肉を食べ慣れている日本人にはあまり美味しいと感じるものは少ないと思う。また、フルーツ類は非常に豊富で、美味しいものが多い。<br /> <br />今回の旅行では丁度、収穫期であったザクロやオレンジなどが美味しかった。ザクロはそのまま果実として食べるのではなく、ジュースであるが?<br />トルコでの最後の食事ではあったが、特別な事もなく、早々に食事を終える事になった。<br />食事を終え、私もコーラの代金の7トルコリラを支払う。<br />

    世界3大料理と言われているトルコ料理ではあるが全般的には期待した様な料理は少なかった。
    その中でも魚料理は比較的美味しいものが多かった。
    肉料理は宗教上の問題等もあり、牛肉を食べ慣れている日本人にはあまり美味しいと感じるものは少ないと思う。また、フルーツ類は非常に豊富で、美味しいものが多い。

    今回の旅行では丁度、収穫期であったザクロやオレンジなどが美味しかった。ザクロはそのまま果実として食べるのではなく、ジュースであるが?
    トルコでの最後の食事ではあったが、特別な事もなく、早々に食事を終える事になった。
    食事を終え、私もコーラの代金の7トルコリラを支払う。

  • 食事を終えた人から飲物の代金を支払い、店の前でイスタンブールの最後の景色を楽しんでいる。<br />私も支払いを終え、席を立ち、多くの釣り人が並ぶ店前で写真を撮る。<br />丁度、ガラタ橋は金角湾の出口で観光船以外にも多くの船舶が行き来している。また、ボスポラス海峡には豪華客船が航行しているのが見える。<br /> <br />時刻は19時前でもう直ぐ日が沈む時間である。<br />

    食事を終えた人から飲物の代金を支払い、店の前でイスタンブールの最後の景色を楽しんでいる。
    私も支払いを終え、席を立ち、多くの釣り人が並ぶ店前で写真を撮る。
    丁度、ガラタ橋は金角湾の出口で観光船以外にも多くの船舶が行き来している。また、ボスポラス海峡には豪華客船が航行しているのが見える。

    時刻は19時前でもう直ぐ日が沈む時間である。

  • 暫らくすると全員が店前に揃った様で、ナムックさんが先頭となり、店を離れ、ガラタ橋を移動する。<br />ガラタ橋は二階建ての構造になっており、上がトラムや自動車などが走る道路で、1階部分はレストランなどが並ぶ場所になっている。そのレストランも片側に集中している。<br />我々はレストランなどが並ぶ側から通路を抜け、反対側に移動する<br />  <br />ここからは金角湾が一望出来、丁度、沈みかけた夕日が綺麗に見える。その様子を写真に収め、階段で上階の道路に出る。<br />ガラタ橋は可動橋(跳ね橋)であると言うが、確かに中央部には1階部分がない。<br />ここが可動するのであろうか?全長は490mである。<br />1階の道路に上がると更に日が沈む寸前である。また、ここでみんなが金角湾に沈む夕日を撮る為にカメラを構える。<br />尾道の藤本おじさんも写真を撮るのに必死である。絶好のシャッターチャンスだからだ。<br />私もここで何枚かの写真を撮る。中にはなかなか良く撮れたものもある。<br />その後、橋上の道路脇でバスを待つ。待つ間にもこのガラタ橋から見える風景を写真に収める。<br />

    暫らくすると全員が店前に揃った様で、ナムックさんが先頭となり、店を離れ、ガラタ橋を移動する。
    ガラタ橋は二階建ての構造になっており、上がトラムや自動車などが走る道路で、1階部分はレストランなどが並ぶ場所になっている。そのレストランも片側に集中している。
    我々はレストランなどが並ぶ側から通路を抜け、反対側に移動する

    ここからは金角湾が一望出来、丁度、沈みかけた夕日が綺麗に見える。その様子を写真に収め、階段で上階の道路に出る。
    ガラタ橋は可動橋(跳ね橋)であると言うが、確かに中央部には1階部分がない。
    ここが可動するのであろうか?全長は490mである。
    1階の道路に上がると更に日が沈む寸前である。また、ここでみんなが金角湾に沈む夕日を撮る為にカメラを構える。
    尾道の藤本おじさんも写真を撮るのに必死である。絶好のシャッターチャンスだからだ。
    私もここで何枚かの写真を撮る。中にはなかなか良く撮れたものもある。
    その後、橋上の道路脇でバスを待つ。待つ間にもこのガラタ橋から見える風景を写真に収める。

  • 橋を走るトラムや橋から見える、スュレイマニエ・ジャーミーなどを写真に収める。<br />やっとバスが到着し、みんながバスに乗り込む。<br />尾道の藤本おじさんがまだ橋の上から写真を撮るのに夢中になっている。溝田さんに促され、やっとバスに乗り込む。時刻は19時15分頃である。<br />これでトルコでの観光や食事が全て終了である。これから空港に向かう事になる。<br />

    橋を走るトラムや橋から見える、スュレイマニエ・ジャーミーなどを写真に収める。
    やっとバスが到着し、みんながバスに乗り込む。
    尾道の藤本おじさんがまだ橋の上から写真を撮るのに夢中になっている。溝田さんに促され、やっとバスに乗り込む。時刻は19時15分頃である。
    これでトルコでの観光や食事が全て終了である。これから空港に向かう事になる。

  • <アタテュルク国際空港での時間><br />バスはガラタ橋から旧市街地の金角湾沿いの道を進み、トプカプ宮殿の城壁に沿う様に走る。<br />道路脇にはオリエント急行の終着駅からの線路が続く。<br />その後、マルマラ海沿いの道路を進む。辺りは既に暗くなり、周りの景色は良く判らない。<br />しかし、夕方の時間帯の為か、ガラダ橋から道は渋滞が続いている。この辺りに来るまでに既に20分程要している。その後も暫らく渋滞した道を進む。<br />みんな疲れているのか、寝ている人が多い。<br />それから30分程掛かり、やっとアタテュルク国際空港が見えて来た。<br />時刻は20時20分前である。搭乗便の出発予定時間は0時50分なので時間はまだ充分ある。<br />バスが出発フロア階に到着し、バスを降りる。<br />ここで、イスタンブール観光で世話になった運転手さんとはお別れである。旅行カバンを各自受け取り、ナムックさんに付いて空港ターミナル内に移動する。<br />まず入口で大きな荷物の手荷物検査がある。旅行カバンなどをその検査機に通し、ターミナル内に入る。そして、そのままトルコ航空のカウンターに向かう。時刻は20時30分過ぎである。<br />トルコ航空のカウンターは比較的混雑している。そのまま、旅行カバンを持ち、カウンター前に並ぶ。<br />それでも順調にチェックインが進み、旅行カバンを預け、チケットを受け取る。チケットは31Fである。<br />

    <アタテュルク国際空港での時間>
    バスはガラタ橋から旧市街地の金角湾沿いの道を進み、トプカプ宮殿の城壁に沿う様に走る。
    道路脇にはオリエント急行の終着駅からの線路が続く。
    その後、マルマラ海沿いの道路を進む。辺りは既に暗くなり、周りの景色は良く判らない。
    しかし、夕方の時間帯の為か、ガラダ橋から道は渋滞が続いている。この辺りに来るまでに既に20分程要している。その後も暫らく渋滞した道を進む。
    みんな疲れているのか、寝ている人が多い。
    それから30分程掛かり、やっとアタテュルク国際空港が見えて来た。
    時刻は20時20分前である。搭乗便の出発予定時間は0時50分なので時間はまだ充分ある。
    バスが出発フロア階に到着し、バスを降りる。
    ここで、イスタンブール観光で世話になった運転手さんとはお別れである。旅行カバンを各自受け取り、ナムックさんに付いて空港ターミナル内に移動する。
    まず入口で大きな荷物の手荷物検査がある。旅行カバンなどをその検査機に通し、ターミナル内に入る。そして、そのままトルコ航空のカウンターに向かう。時刻は20時30分過ぎである。
    トルコ航空のカウンターは比較的混雑している。そのまま、旅行カバンを持ち、カウンター前に並ぶ。
    それでも順調にチェックインが進み、旅行カバンを預け、チケットを受け取る。チケットは31Fである。

  • まだ、搭乗ゲートは未定の様で記載がない。<br />全員のチェックインが終了し、早々に出国口に向かう。<br />出発口に到着し、ここでナムックさんとはお別れである。この旅の間大変世話になった。硬く握手を行い、お礼を言い、各自が出発口に入る。<br />私もお礼を言い、硬く握手を行い、出発口に移動する。<br />出国審査場所はかなり混雑している。殆どの審査所には長い列が出来ている。<br />少し順番までに時間を要したが、それでも出国審査を無事に終え、出発ロビーに出る。<br />ここで一旦集合し、溝田さんが、「先程受け取ったチケットにはまだ搭乗ゲートの記載がありません。この上のモニターなどに搭乗ゲートが決まり次第表示されると思いますので、各自確認し、搭乗ゲートに移動して下さい。搭乗開始予定時間は23時50分ですので、30分前には搭乗ゲート前に来て下さい。それでは一旦解散しますが出来れば、このモニター近くで待機して下さい。」と言う。<br />丁度、出国審査を行った場所に一番近い搭乗ゲートの215ゲート付近の椅子に空き席があるので、そこで暫らく待機する事にした。<br />尾道からの3人組と一緒に椅子を確保し、そこで搭乗ゲートが確定するまで待つ。<br />丁度、確保した椅子の前には自販機があり、その自販機で飲物を購入する事にした。<br />結局、両替を行ったトルコリラはまだ充分残っている。<br />尾道からの3人組も何か飲物が欲しい様で全員の小銭をかき集めている。<br />しかし、空港までに殆どトルコリラを使い切っていた様で、全員の小銭を集めても3人分の飲物を購入出来ない様である。<br />そこで、私が全て購入してあげる事にした。この旅行では何度か奢って頂いたので、これくらいはお返ししないといけない。各自の希望の飲物を聞き、それを購入し、渡す。最後に自分の飲物としてスプライトを購入する。全部で価格は12トルコリラである。<br />それを飲みながら、椅子で時間を潰す。時刻は21時15分過ぎである。<br />まだ、時間もあり、近くに免税店もあるので、残ったトルコリラを使う為に尾道からの3人組に荷物を見て貰い、免税店を見に行く事にした。土産物などを売る免税店で土産物を見るが、今迄に購入したものが多く、特に買いたいと思うものもない。暫らく土産物を見ていたが、諦めて席に戻る。<br />空港内は多くの利用客で混雑をしている。<br />近くにいた溝田さんに聞くと、丁度イスラムのメッカ巡礼の時期で、トルコからメッカに行く人が多いのだと言う。<br />そう言われて見ていると、同じ服装をした集団が何十人かの単位で空港内を移動している。<br />

    まだ、搭乗ゲートは未定の様で記載がない。
    全員のチェックインが終了し、早々に出国口に向かう。
    出発口に到着し、ここでナムックさんとはお別れである。この旅の間大変世話になった。硬く握手を行い、お礼を言い、各自が出発口に入る。
    私もお礼を言い、硬く握手を行い、出発口に移動する。
    出国審査場所はかなり混雑している。殆どの審査所には長い列が出来ている。
    少し順番までに時間を要したが、それでも出国審査を無事に終え、出発ロビーに出る。
    ここで一旦集合し、溝田さんが、「先程受け取ったチケットにはまだ搭乗ゲートの記載がありません。この上のモニターなどに搭乗ゲートが決まり次第表示されると思いますので、各自確認し、搭乗ゲートに移動して下さい。搭乗開始予定時間は23時50分ですので、30分前には搭乗ゲート前に来て下さい。それでは一旦解散しますが出来れば、このモニター近くで待機して下さい。」と言う。
    丁度、出国審査を行った場所に一番近い搭乗ゲートの215ゲート付近の椅子に空き席があるので、そこで暫らく待機する事にした。
    尾道からの3人組と一緒に椅子を確保し、そこで搭乗ゲートが確定するまで待つ。
    丁度、確保した椅子の前には自販機があり、その自販機で飲物を購入する事にした。
    結局、両替を行ったトルコリラはまだ充分残っている。
    尾道からの3人組も何か飲物が欲しい様で全員の小銭をかき集めている。
    しかし、空港までに殆どトルコリラを使い切っていた様で、全員の小銭を集めても3人分の飲物を購入出来ない様である。
    そこで、私が全て購入してあげる事にした。この旅行では何度か奢って頂いたので、これくらいはお返ししないといけない。各自の希望の飲物を聞き、それを購入し、渡す。最後に自分の飲物としてスプライトを購入する。全部で価格は12トルコリラである。
    それを飲みながら、椅子で時間を潰す。時刻は21時15分過ぎである。
    まだ、時間もあり、近くに免税店もあるので、残ったトルコリラを使う為に尾道からの3人組に荷物を見て貰い、免税店を見に行く事にした。土産物などを売る免税店で土産物を見るが、今迄に購入したものが多く、特に買いたいと思うものもない。暫らく土産物を見ていたが、諦めて席に戻る。
    空港内は多くの利用客で混雑をしている。
    近くにいた溝田さんに聞くと、丁度イスラムのメッカ巡礼の時期で、トルコからメッカに行く人が多いのだと言う。
    そう言われて見ていると、同じ服装をした集団が何十人かの単位で空港内を移動している。

  • 例えば、全身黒の服装で顔も隠し、目の部分だけが開いた服の集団や同じ形の帽子を被った集団など、イスラムの細かな宗派により、服装が違うのが良く判る。<br />特にテレビでしか見た事が無かったが、顔を覆い、目の部分だけが開いた服を着た女性を近くで見ても、あれで本当に前が見えているのか判らない程隠している。<br />その様な光景を見ながら、時間を潰し、時折モニターを見に行くが、未だ搭乗ゲートの表示は出ていない。時刻は既に22時を過ぎている。<br />更に尾道からの3人組と話をしながら時間を潰す。<br />特に藤本おじさんとは各々がこの旅行中に撮影した写真を見せ合う。<br />最後のガラタ橋での夕日などの写真を互いに見せ合う。<br />藤本おじさんもかなり気合を入れて、バスが来ても写真を撮り続けていたので、さぞかし気にいった写真が撮れたのではないかと思っていたが、納得行く写真は取れなかった様だ。<br />寧ろ、私が撮った写真を褒めて貰った。<br /> <br />やっと表示されたのか、溝田さんがみんなに搭乗ゲートが311ゲートである事を告げに来てくれた。<br />再度、溝田さんの報告を確認の為にモニターを見て、確認する。<br />そして、尾道からの3人組と一緒に311ゲート前に移動する。<br />311ゲートは1階にあり、途中から階段を使い、2階から1階に降りる。311ゲート前の方が、先程の215ゲート前よりも人が少ない。椅子もそこそこ空いている。<br />時刻は22時40分過ぎである。<br />

    例えば、全身黒の服装で顔も隠し、目の部分だけが開いた服の集団や同じ形の帽子を被った集団など、イスラムの細かな宗派により、服装が違うのが良く判る。
    特にテレビでしか見た事が無かったが、顔を覆い、目の部分だけが開いた服を着た女性を近くで見ても、あれで本当に前が見えているのか判らない程隠している。
    その様な光景を見ながら、時間を潰し、時折モニターを見に行くが、未だ搭乗ゲートの表示は出ていない。時刻は既に22時を過ぎている。
    更に尾道からの3人組と話をしながら時間を潰す。
    特に藤本おじさんとは各々がこの旅行中に撮影した写真を見せ合う。
    最後のガラタ橋での夕日などの写真を互いに見せ合う。
    藤本おじさんもかなり気合を入れて、バスが来ても写真を撮り続けていたので、さぞかし気にいった写真が撮れたのではないかと思っていたが、納得行く写真は取れなかった様だ。
    寧ろ、私が撮った写真を褒めて貰った。

    やっと表示されたのか、溝田さんがみんなに搭乗ゲートが311ゲートである事を告げに来てくれた。
    再度、溝田さんの報告を確認の為にモニターを見て、確認する。
    そして、尾道からの3人組と一緒に311ゲート前に移動する。
    311ゲートは1階にあり、途中から階段を使い、2階から1階に降りる。311ゲート前の方が、先程の215ゲート前よりも人が少ない。椅子もそこそこ空いている。
    時刻は22時40分過ぎである。

  • 席を確保し、またここで暫らく時間を潰す事になる。このゲート付近には売店もなく、何もする事がない。30分程経ち、このゲート付近の椅子も一杯になった。<br />同じツアーの人達で一部席がない人もいたので、その人達に席を譲り、荷物だけを見て貰い、その辺りを暫らく離れ、再び土産物店に戻る。<br />しかし、先程よりも念入りに土産物を探し、買おうかと思うものが幾つかあったが、レジが非常に混雑しているので、購入を諦めて、席に戻る事にした。<br />時刻は既に23時30分を過ぎている。<br />暫らくすると、ゲート前に列が出来始めた。23時50分過ぎになり、搭乗のアナウンスが流れる。<br />ほぼ予定通りの搭乗開始である。我々も溝田さんに促され、列に並ぶ。<br />列に並び、5分程でゲートを抜け、ゲートの先の扉の前に停車しているシャトルバスに乗り込もうとするが、1台目のシャトルバスは既に満員で、我々の直前でシャトルバスが出発し、次のシャトルバスを待つ事になった。<br />

    席を確保し、またここで暫らく時間を潰す事になる。このゲート付近には売店もなく、何もする事がない。30分程経ち、このゲート付近の椅子も一杯になった。
    同じツアーの人達で一部席がない人もいたので、その人達に席を譲り、荷物だけを見て貰い、その辺りを暫らく離れ、再び土産物店に戻る。
    しかし、先程よりも念入りに土産物を探し、買おうかと思うものが幾つかあったが、レジが非常に混雑しているので、購入を諦めて、席に戻る事にした。
    時刻は既に23時30分を過ぎている。
    暫らくすると、ゲート前に列が出来始めた。23時50分過ぎになり、搭乗のアナウンスが流れる。
    ほぼ予定通りの搭乗開始である。我々も溝田さんに促され、列に並ぶ。
    列に並び、5分程でゲートを抜け、ゲートの先の扉の前に停車しているシャトルバスに乗り込もうとするが、1台目のシャトルバスは既に満員で、我々の直前でシャトルバスが出発し、次のシャトルバスを待つ事になった。

  • 直ぐに2台目のシャトルバスが来て、乗り込む。しかし、満員になるまでに待つ。<br />5分程で我々の乗ったシャトルバスも出発した。バスは空港内を移動し、程なく機体脇に到着し、シャトルバスを降りる。シャトルバスを降りた先で空港係員が搭乗券をチェックし、前からの搭乗と後からの搭乗の振り分けを行っている。我々は後から搭乗する様に指示され、後のタラップを上る。<br />

    直ぐに2台目のシャトルバスが来て、乗り込む。しかし、満員になるまでに待つ。
    5分程で我々の乗ったシャトルバスも出発した。バスは空港内を移動し、程なく機体脇に到着し、シャトルバスを降りる。シャトルバスを降りた先で空港係員が搭乗券をチェックし、前からの搭乗と後からの搭乗の振り分けを行っている。我々は後から搭乗する様に指示され、後のタラップを上る。

  • <帰りのTK046便><br />機内に入り、席を探す。席は31Fで、後から数列目の真ん中の4列席の端席である。<br />ツアーの人達も殆どが近くに座っている。尾道の藤本おじさんは私の後の席である。<br />席に着き、暫らくすると後の尾道の藤本おじさんがメモを渡してくれる。そのメモには電話番号が書かれていた。<br />「近くに来た時は連絡して!」と言われる。私もメモを貰い、それに携帯電話の番号を記し、「奈良に観光に来られる時は連絡して下さい。案内します。」と伝える。<br />私の左隣の席は誰も来ないので、空席の様だ。0時15分頃には全員の乗り込みが終了する。<br />CAが慌ただしく動いているが、なかなか機体が動き出す気配がない。<br />そして、0時30分過ぎになり、やっと機体が動き始める。ゆっくりと機体が移動を続け、何回か停止するが、要約滑走路脇まで到着した。ここで数分、離陸の順番を待った後、滑走路に出た。<br />0時50分前にイスタンブールのアタテュルク国際空港を無事に離陸した。<br />順調に上昇を続け、20分くらいでシートベルト着用ランプが消える。<br />既に夜中の1時10分を過ぎ、少し眠くなって来た。しかし、機内食が出ると聞いているので、それまでは寝る事も出来ない。<br />少し我慢をしていたが、何時の間にか寝てしまっていた。<br />熟睡していた訳でもなく、30分程で再び目が覚める。<br />そして、2時を過ぎた頃にCAが機内食を配り始める。<br />我々のところに来るまでに少し時間を要する。10分程掛かり、我々にも機内食が配られる。<br />機内食のメニューは以下の様な内容である。<br /><br /><アタテュルク空港(イスタンブール)→関西国際空港:TK046便の機内食①><br /> ①トルコ風ハンバーグ<br /> ②温野菜(茄子 他)/ポテトグラタン<br /> ③きゅうりとヨーグルトのサラダ<br /> ④ハーブ入りホワイトソース/なすのサラダ<br /> ⑤ハーブバター/クラッカー <br /> ⑥パン<br /> ⑦チーズケーキ<br /> ⑧オレンジジュース<br />トルコ風ハンバーグは“キョフテ”と言われ、香辛料が効いた肉料理である。<br />風味は少しカレー風味ではあるが、苦味と辛味が効いた日本のハンバークと味が大分違う。<br /> <br />夜中の食事なので、余りお腹も空いていない。<br />やはり、パンは非常に美味しい。トルコ航空のパンが一番お気に入りである。<br />夜中の食事でもあるので、完食せず、各々の料理を少しずつ食べて、食事を終える。<br />時刻は2時25分過ぎである。<br />先程少し寝たせいか、目が冴えた。そこでモニターで映画のメニューを確認する。<br />すると、何と現在日本で上映中の“スタートレック・イントゥダークネス”が入っている。それも日本語吹き替え版である。これは是非見なければならない。少し眠くなっても見よう!<br />席の前のボックスからヘッドフォンを取り出し、映画を見始める。時刻は2時30分過ぎである。<br />映画を見始めた頃に機内食のトレイが下げられ、その際に追加で珈琲を貰う。<br />そして、映画を見始めて30分程経つと機内が消灯される。機内が暗い中、映画を見続ける。<br />映画は非常に面白く、目が離せないスピードで進むので眠気も襲わない。<br />廻りの人はアイマスクなどを使用し、寝ている人が多い。その中で映画を見る。<br />結局、最後まで映画を見終える。時刻はもう5時前である。<br />それでも余り眠たくならないが、周りは寝ている人が多いので、私も寝る事にする。<br />

    <帰りのTK046便>
    機内に入り、席を探す。席は31Fで、後から数列目の真ん中の4列席の端席である。
    ツアーの人達も殆どが近くに座っている。尾道の藤本おじさんは私の後の席である。
    席に着き、暫らくすると後の尾道の藤本おじさんがメモを渡してくれる。そのメモには電話番号が書かれていた。
    「近くに来た時は連絡して!」と言われる。私もメモを貰い、それに携帯電話の番号を記し、「奈良に観光に来られる時は連絡して下さい。案内します。」と伝える。
    私の左隣の席は誰も来ないので、空席の様だ。0時15分頃には全員の乗り込みが終了する。
    CAが慌ただしく動いているが、なかなか機体が動き出す気配がない。
    そして、0時30分過ぎになり、やっと機体が動き始める。ゆっくりと機体が移動を続け、何回か停止するが、要約滑走路脇まで到着した。ここで数分、離陸の順番を待った後、滑走路に出た。
    0時50分前にイスタンブールのアタテュルク国際空港を無事に離陸した。
    順調に上昇を続け、20分くらいでシートベルト着用ランプが消える。
    既に夜中の1時10分を過ぎ、少し眠くなって来た。しかし、機内食が出ると聞いているので、それまでは寝る事も出来ない。
    少し我慢をしていたが、何時の間にか寝てしまっていた。
    熟睡していた訳でもなく、30分程で再び目が覚める。
    そして、2時を過ぎた頃にCAが機内食を配り始める。
    我々のところに来るまでに少し時間を要する。10分程掛かり、我々にも機内食が配られる。
    機内食のメニューは以下の様な内容である。

    <アタテュルク空港(イスタンブール)→関西国際空港:TK046便の機内食①>
     ①トルコ風ハンバーグ
     ②温野菜(茄子 他)/ポテトグラタン
     ③きゅうりとヨーグルトのサラダ
     ④ハーブ入りホワイトソース/なすのサラダ
     ⑤ハーブバター/クラッカー 
     ⑥パン
     ⑦チーズケーキ
     ⑧オレンジジュース
    トルコ風ハンバーグは“キョフテ”と言われ、香辛料が効いた肉料理である。
    風味は少しカレー風味ではあるが、苦味と辛味が効いた日本のハンバークと味が大分違う。

    夜中の食事なので、余りお腹も空いていない。
    やはり、パンは非常に美味しい。トルコ航空のパンが一番お気に入りである。
    夜中の食事でもあるので、完食せず、各々の料理を少しずつ食べて、食事を終える。
    時刻は2時25分過ぎである。
    先程少し寝たせいか、目が冴えた。そこでモニターで映画のメニューを確認する。
    すると、何と現在日本で上映中の“スタートレック・イントゥダークネス”が入っている。それも日本語吹き替え版である。これは是非見なければならない。少し眠くなっても見よう!
    席の前のボックスからヘッドフォンを取り出し、映画を見始める。時刻は2時30分過ぎである。
    映画を見始めた頃に機内食のトレイが下げられ、その際に追加で珈琲を貰う。
    そして、映画を見始めて30分程経つと機内が消灯される。機内が暗い中、映画を見続ける。
    映画は非常に面白く、目が離せないスピードで進むので眠気も襲わない。
    廻りの人はアイマスクなどを使用し、寝ている人が多い。その中で映画を見る。
    結局、最後まで映画を見終える。時刻はもう5時前である。
    それでも余り眠たくならないが、周りは寝ている人が多いので、私も寝る事にする。

  • 目を瞑り、暫らくするとやはり疲れていたのか、自然に寝ていた。3時間程寝ていた様で起きたのが、9時前である。この時間になると機内を歩く人が多くなり、殆どの人は起きている。<br />窓際の何人かの人が、窓のブラインドを上げると外は既に明るい。<br />何もする事がないので、またモニターで何か見るものがないかを確かめるが、他に見たい映画もない。モニターで遊んでいるとCAが慌ただしく準備を始めている。<br />到着予定時間まであと2時間を切っている。このタイミングで機内食を出すのか?もう余り時間がない。すると、10時前にCAが機内食を配り始めた。2回目の機内食である。<br />機内食のメニューは以下の様な内容である。<br /><br /><アタテュルク空港(イスタンブール)→関西国際空港:TK046便の機内食②><br /> ①鶏胸肉のグリル(デミグラスソースかけ)<br /> ②温野菜(茄子/パプリカ/人参 他)/パルメザンポレンタ<br /> ③フムス(ひよこ豆のディップ)/スパイシートマトペースト<br /> ④チーズ盛合せ/トマト/きゅうり<br /> ⑤ハーブバター/クラッカー<br /> ⑥パン<br /> ⑦ヌガームース(生クリームのせ)<br /> ⑧オレンジジュース<br /> <br />鶏胸肉のグリルはデミグラスソースがかかり、美味しい。<br />夜中の食事を余り食べなかったので、少しお腹も空いている。<br />パンも焼き立てで非常に美味しい。これは全て完食する。<br />食べ終わると時刻は10時25分頃である。CAに珈琲を進められて、珈琲を貰う。<br />その後、CAが税関申告書を配り始まる。税関申告書は機内で書かなくても手荷物が出て来る間に書ける。機内では書かなくても良い。<br />私の席は窓際ではないので眼下の状況は判らないが、あと1時間半程で関西国際空港に到着予定であるので、もう既に日本近くの上空を飛行しているはずだ。<br />その後、また少しうとうとしていたが、機内アナウンスに起こされる。<br />機内アナウンスが流れるという事はもう30分程で関西国際空港に到着するのである。時刻を確認すると10時50分過ぎである。<br />予定よりもかなり早く到着する様だ。おおきな揺れもなく、徐々に機体が降下を始める。<br />そして、11時20分頃に無事に関西国際空港に着陸した。<br /><br />今回の旅行はここまで!<br />

    目を瞑り、暫らくするとやはり疲れていたのか、自然に寝ていた。3時間程寝ていた様で起きたのが、9時前である。この時間になると機内を歩く人が多くなり、殆どの人は起きている。
    窓際の何人かの人が、窓のブラインドを上げると外は既に明るい。
    何もする事がないので、またモニターで何か見るものがないかを確かめるが、他に見たい映画もない。モニターで遊んでいるとCAが慌ただしく準備を始めている。
    到着予定時間まであと2時間を切っている。このタイミングで機内食を出すのか?もう余り時間がない。すると、10時前にCAが機内食を配り始めた。2回目の機内食である。
    機内食のメニューは以下の様な内容である。

    <アタテュルク空港(イスタンブール)→関西国際空港:TK046便の機内食②>
     ①鶏胸肉のグリル(デミグラスソースかけ)
     ②温野菜(茄子/パプリカ/人参 他)/パルメザンポレンタ
     ③フムス(ひよこ豆のディップ)/スパイシートマトペースト
     ④チーズ盛合せ/トマト/きゅうり
     ⑤ハーブバター/クラッカー
     ⑥パン
     ⑦ヌガームース(生クリームのせ)
     ⑧オレンジジュース

    鶏胸肉のグリルはデミグラスソースがかかり、美味しい。
    夜中の食事を余り食べなかったので、少しお腹も空いている。
    パンも焼き立てで非常に美味しい。これは全て完食する。
    食べ終わると時刻は10時25分頃である。CAに珈琲を進められて、珈琲を貰う。
    その後、CAが税関申告書を配り始まる。税関申告書は機内で書かなくても手荷物が出て来る間に書ける。機内では書かなくても良い。
    私の席は窓際ではないので眼下の状況は判らないが、あと1時間半程で関西国際空港に到着予定であるので、もう既に日本近くの上空を飛行しているはずだ。
    その後、また少しうとうとしていたが、機内アナウンスに起こされる。
    機内アナウンスが流れるという事はもう30分程で関西国際空港に到着するのである。時刻を確認すると10時50分過ぎである。
    予定よりもかなり早く到着する様だ。おおきな揺れもなく、徐々に機体が降下を始める。
    そして、11時20分頃に無事に関西国際空港に着陸した。

    今回の旅行はここまで!

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