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トルコ旅行の1日目と2日目。1日目の夜の便で関西国際空港からトルコのアタテュルク国際空港へ移動。そして、ダーダネルス海峡を経由してトルコ一つ目の世界遺産トロイ遺跡を観光。

トルコ旅行記(1日目、2日目)

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2013/09/06 - 2013/09/13

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パンダ番長

パンダ番長さん

トルコ旅行の1日目と2日目。1日目の夜の便で関西国際空港からトルコのアタテュルク国際空港へ移動。そして、ダーダネルス海峡を経由してトルコ一つ目の世界遺産トロイ遺跡を観光。

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
ホテル
4.5
グルメ
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • <関西国際空港での時間><br />まだ、集合時間まで1時間以上あるので、まずは一旦2階に下り、店などをぶらぶらする事にした。<br />何か買い忘れたものがないかを考えていると昨日添乗員の溝田さんからの電話の会話を思い出した。カッパドキアの朝晩は気温が急激に下がる為に羽織る上着を用意しておいた方が良いと言われた。丁度、新しくユニクロが出来ていたので、そこで羽織るものを探す事にする。<br />ユニクロでは秋物を売り始めているので、薄手のカーディガンを購入した。<br />添乗員の溝田さんから、もうひとつ言われていた事は外貨についてである。<br />トルコは自国通貨としてはトルコリラがあるが、ドルかユーロの使用も多く、特にユーロを少額持っていると便利であるとの事であったので、関西国際空港で少し両替を行う事にした。再び、3階に上がり、銀行の両替所に向かう。<br />数か所の両替所があるが、なぜか一か所に人が集中している。ここが最も両替率が良いのか?<br />私もそこで両替を行う事にした。必要用紙に記載をしようとしていると両替所の案内役の人に、どこの通貨に両替を行うのかと聞かれ、ユーロである事を告げ、額は日本円で5千円程度と言うと、ここでは端数は発行出来ない旨で、最少単位が10ユーロと言われ、30ユーロを両替する事にした。<br />30ユーロで、手数料込で約4050円である。両替を済ませると時刻は20時前である。まだ少し集合時間まで時間がある。そこで、丁度両替所近くのテレビで阪神戦の中継を行っていたので、暫くその試合を観戦していた。そして、少し早いが20時10分頃にJTBカウンターに向かう。<br />カウンターには一人の女性がいたので、その人に旅行の日程表を見せると、その人が今回の旅行の添乗員の溝田さんであった。溝田さんにパスポートを見せ、これからの予定の簡単な説明を受ける。<br />既に搭乗券は入手済で、その搭乗券と簡単なトルコの情報をまとめた冊子を渡され、これから航空会社であるトルコ航空のカウンターに行き、旅行カバンを預ける。<br />その際にイスタンブールが最終目的地である事を必ず告げる事を忘れない様に言われる。<br />そして、カバンを預けた後は21時40分が搭乗予定時間であるので、その30分前にはゲート前には来る様に言われた。それまでは自由との事。<br />特に出発ロビーでの手続きは混んでいる様子がないが、何も予定がなければ早めにゲート前に来て欲しいとの事であった。また、トルコ航空のカウンターはCエリアにあるとの事。そこの団体受付でカバンを預ける様言われる。<br />何か質問事項があればとの事であったので、機内食が出るのかと聞くと、離陸後1時間程で出る予定との事である。到着までに2回の食事が出ると言う。<br />特に他に聞く事もなく、言われたトルコ航空のカウンターに向かう。<br />この時間になるともう少し人が少なくなるのかと思っていたが、思いのほか空港内には人が多い。<br />トルコ航空のカウンターにはもう多くの人が列を作っている。しかし、団体受付は誰もいないので、直ぐに手続きが出来た。最終地がイスタンブールである事とチケット及びマイレージカードを渡し、処理を行って貰う。トルコ航空はスターアライアンスグループに属する。<br />手続きが済み、これで身軽になった。しかし、特に用事もないので、その足で北エリアの出発口に向かう。北エリアの出発口は少し混雑している。その列に並び、まずは手荷物検査を受け、その後、階下に降り、出国審査を受ける。特にいつもの様に何事もなく、20時30分過ぎには出発ロビー内に出る。<br />今回の旅行の搭乗便は22時30分発のTK047便であるが、モニターの表示では出発時刻は少し早まり、22時15分発に変更になっていた。トルコ航空は今回が初めてである。<br />搭乗ゲートは北ウイングの2番ゲートである。早々にシャトルに乗り込み、中間駅に移動する。一旦、2ゲート前に行くが、まだ時間も早く、誰もゲート前には殆ど人がいない。<br />

    <関西国際空港での時間>
    まだ、集合時間まで1時間以上あるので、まずは一旦2階に下り、店などをぶらぶらする事にした。
    何か買い忘れたものがないかを考えていると昨日添乗員の溝田さんからの電話の会話を思い出した。カッパドキアの朝晩は気温が急激に下がる為に羽織る上着を用意しておいた方が良いと言われた。丁度、新しくユニクロが出来ていたので、そこで羽織るものを探す事にする。
    ユニクロでは秋物を売り始めているので、薄手のカーディガンを購入した。
    添乗員の溝田さんから、もうひとつ言われていた事は外貨についてである。
    トルコは自国通貨としてはトルコリラがあるが、ドルかユーロの使用も多く、特にユーロを少額持っていると便利であるとの事であったので、関西国際空港で少し両替を行う事にした。再び、3階に上がり、銀行の両替所に向かう。
    数か所の両替所があるが、なぜか一か所に人が集中している。ここが最も両替率が良いのか?
    私もそこで両替を行う事にした。必要用紙に記載をしようとしていると両替所の案内役の人に、どこの通貨に両替を行うのかと聞かれ、ユーロである事を告げ、額は日本円で5千円程度と言うと、ここでは端数は発行出来ない旨で、最少単位が10ユーロと言われ、30ユーロを両替する事にした。
    30ユーロで、手数料込で約4050円である。両替を済ませると時刻は20時前である。まだ少し集合時間まで時間がある。そこで、丁度両替所近くのテレビで阪神戦の中継を行っていたので、暫くその試合を観戦していた。そして、少し早いが20時10分頃にJTBカウンターに向かう。
    カウンターには一人の女性がいたので、その人に旅行の日程表を見せると、その人が今回の旅行の添乗員の溝田さんであった。溝田さんにパスポートを見せ、これからの予定の簡単な説明を受ける。
    既に搭乗券は入手済で、その搭乗券と簡単なトルコの情報をまとめた冊子を渡され、これから航空会社であるトルコ航空のカウンターに行き、旅行カバンを預ける。
    その際にイスタンブールが最終目的地である事を必ず告げる事を忘れない様に言われる。
    そして、カバンを預けた後は21時40分が搭乗予定時間であるので、その30分前にはゲート前には来る様に言われた。それまでは自由との事。
    特に出発ロビーでの手続きは混んでいる様子がないが、何も予定がなければ早めにゲート前に来て欲しいとの事であった。また、トルコ航空のカウンターはCエリアにあるとの事。そこの団体受付でカバンを預ける様言われる。
    何か質問事項があればとの事であったので、機内食が出るのかと聞くと、離陸後1時間程で出る予定との事である。到着までに2回の食事が出ると言う。
    特に他に聞く事もなく、言われたトルコ航空のカウンターに向かう。
    この時間になるともう少し人が少なくなるのかと思っていたが、思いのほか空港内には人が多い。
    トルコ航空のカウンターにはもう多くの人が列を作っている。しかし、団体受付は誰もいないので、直ぐに手続きが出来た。最終地がイスタンブールである事とチケット及びマイレージカードを渡し、処理を行って貰う。トルコ航空はスターアライアンスグループに属する。
    手続きが済み、これで身軽になった。しかし、特に用事もないので、その足で北エリアの出発口に向かう。北エリアの出発口は少し混雑している。その列に並び、まずは手荷物検査を受け、その後、階下に降り、出国審査を受ける。特にいつもの様に何事もなく、20時30分過ぎには出発ロビー内に出る。
    今回の旅行の搭乗便は22時30分発のTK047便であるが、モニターの表示では出発時刻は少し早まり、22時15分発に変更になっていた。トルコ航空は今回が初めてである。
    搭乗ゲートは北ウイングの2番ゲートである。早々にシャトルに乗り込み、中間駅に移動する。一旦、2ゲート前に行くが、まだ時間も早く、誰もゲート前には殆ど人がいない。

  • そこで一旦テレビのあるエリアで時間を潰す。また、売店に行き、お茶を購入する。トルコに到着した日はそのままバスに乗り込み、移動となる為に何か飲物を持っておきたい。<br />テレビ前の開いている椅子に陣取り、ここで少し時間を潰す。時刻は21時前である。テレビでは阪神-巨人戦の中継をやっているが、もう中継が終了する様である。<br />21時になり、阪神-巨人戦の中継も終了し、このテレビ前の椅子を離れ、2ゲート近くの椅子に移動する。先程より然程時間は経っていないが、既にかなりの人が待っていた。<br />空いている椅子に座る前に先程購入したお茶を残し、更に近くの自販機でコーラを購入し、椅子に座り、飲みながら搭乗までの時間を待つ事にする。<br />既にゲートの外には搭乗する機体が待機し、荷物の搬入を行っている。その写真を撮るが、既に暗く、ターミナル内の照明が反射して、ガラス越しでは上手く機体も写真に収める事が出来ない。<br />それでも何とか写真を撮り、椅子で搭乗案内があるまで待つ。<br /> <br />その間に先程添乗員の溝田さんから貰った冊子を見る事にした。<br />冊子は手作りで、トルコの現在の情報や訪れる観光地、食べ物などの情報が記載されている。それと持っているガイドブックで明日訪れるトロイ遺跡などの情報を確認する。<br />既にゲート前の椅子はほぼ満席近くまで、搭乗客が集まって来た。<br />そうこうしていると、21時35分頃にアナウンスがあり、予定通り搭乗が始まる様である。<br />アナウンスの内容では後方の席からの搭乗開始との事で、座席番号の22番から35番までが先に搭乗する様だ。私の席は34Jで後から2列目の席の様だ。<br />既に列が出来始めているが、まだ搭乗予定時間までには5分以上ある。<br />21時45分過ぎにほぼ予定通り、搭乗が開始される。それを確認し、私も列に並び、程なくゲートを抜け、機内へ移動する。<br />

    そこで一旦テレビのあるエリアで時間を潰す。また、売店に行き、お茶を購入する。トルコに到着した日はそのままバスに乗り込み、移動となる為に何か飲物を持っておきたい。
    テレビ前の開いている椅子に陣取り、ここで少し時間を潰す。時刻は21時前である。テレビでは阪神-巨人戦の中継をやっているが、もう中継が終了する様である。
    21時になり、阪神-巨人戦の中継も終了し、このテレビ前の椅子を離れ、2ゲート近くの椅子に移動する。先程より然程時間は経っていないが、既にかなりの人が待っていた。
    空いている椅子に座る前に先程購入したお茶を残し、更に近くの自販機でコーラを購入し、椅子に座り、飲みながら搭乗までの時間を待つ事にする。
    既にゲートの外には搭乗する機体が待機し、荷物の搬入を行っている。その写真を撮るが、既に暗く、ターミナル内の照明が反射して、ガラス越しでは上手く機体も写真に収める事が出来ない。
    それでも何とか写真を撮り、椅子で搭乗案内があるまで待つ。

    その間に先程添乗員の溝田さんから貰った冊子を見る事にした。
    冊子は手作りで、トルコの現在の情報や訪れる観光地、食べ物などの情報が記載されている。それと持っているガイドブックで明日訪れるトロイ遺跡などの情報を確認する。
    既にゲート前の椅子はほぼ満席近くまで、搭乗客が集まって来た。
    そうこうしていると、21時35分頃にアナウンスがあり、予定通り搭乗が始まる様である。
    アナウンスの内容では後方の席からの搭乗開始との事で、座席番号の22番から35番までが先に搭乗する様だ。私の席は34Jで後から2列目の席の様だ。
    既に列が出来始めているが、まだ搭乗予定時間までには5分以上ある。
    21時45分過ぎにほぼ予定通り、搭乗が開始される。それを確認し、私も列に並び、程なくゲートを抜け、機内へ移動する。

  • <TK047便内で><br />機内入口で少し列が出来ているが、然程時間を要する事なく、席に着けた。<br />やはり、一番後の席から2列目である。最後列は2人席で、通路から2席のみである。<br />その前の私の座る席は機体右手の2人席で、真ん中に3人席があり、左手にまた2人席がある。<br />しかし、真ん中の3人席は後方から3~4列で、その前の席は4人席である。機体はA320-200型である。私の席は通路側である。<br />時刻は21時50分過ぎである。順調に席が埋まって行くが、まだ私の横の窓側の席には誰も来ない。<br />もう殆どの乗客が搭乗を終了した様であるが、まだ私の横の席は埋まらない。<br />すると、溝田さんが席に来た。ツアーの人達の搭乗を確認している様だ。<br />その際に隣の席の事を聞くが、ツアーの人ではない様だ。しかし、ほぼ満席である旨で多分誰か来られる可能性が高いとの事であった。<br />既に22時10分頃である。もう殆ど機内に乗客の動きはない。すると前方より一人の乗客が荷物を持ち、通路をこちらに来るのが見える。もしやと思っていると、やはり私の横に来て、「奥宜しいでしょうか?」と言う。<br />大きなビジネスカバン風の黒いカバンを持った男の人が乗り込んで来た。<br />その人が席に着くと程なく機体が後進を開始する。時刻は22時15分過ぎである。北ウイングの2番ゲート付近は離陸位置に最も遠い場所である。その為に離陸までの移動に少し時間が掛かる。<br />後進を終え、前進を始めた機体はターミナル沿いに進み、滑走路のあるエリアに出る。<br />そこから、離陸位置までターミナル沿いを更に進む。十数分を掛け、やっと離陸位置まで移動し、そこで離陸順番を待つ。<br />程なく、滑走路に出た機体は加速を開始し、22時30分頃に無事関西国際空港を離陸した。<br />定刻よりも早い出発予定であったが結局、定刻の離陸となった。<br />殆ど揺れる事もなく、機体は順調に上昇を続け、離陸から10分程で水平飛行に入ったのか、シートベルト着用ランプが一旦消える。ただ、エンジンの後なのか、エンジン音が非常にうるさい。<br />22時50分頃に熱いおしぼりが配られる。席前の袋部分内を確認すると、お泊りセットがあり、また機内食のメニューまで入っていた。通常のイヤホンも勿論ある。<br />機内食のメニューを見ると、機内食が2回出る様だ。<br />席には小さな枕と毛布も置かれていた。席前にはモニターが付いている。席横にあるリモコンでメニューを確認する。<br />最初操作が少し判らなかったが、画面もタッチパネルになっている様で、リモコンとタッチパネルを駆使し、何とか操作を行う。映画、音楽、ゲームなどのメニューがある。<br />その様な画面確認を行っているともう機内食が配り始めた。時刻は23時過ぎである。<br />一番後から2列目であるので、最も早く配られる。<br />機内食のメニューは先程見た内容で、以下の様なものである。<br /><関西国際空港→アタテュルク空港(イスタンブール):TK047便の機内食①><br /> ①鱈のグリル<br /> ②温野菜(ブロッコリー)/サフランリゾット<br /> ③アイスバーグサラダとモッツァレラ<br /> ④ズッキーニのオリーブオイルマリネ<br /> ⑤クリームチーズ/ハーブバター/クラッカー <br /> ⑥パン<br /> ⑦チーズケーキ<br /> ⑧オレンジジュース<br /> <br />まず気になったのは隣の席に座る男の人が食べる前にお祈りを始めた事である。<br />信心深いキリスト教徒なのか?1分程度何か小声で喋りながらお祈りをしている。<br />軽い夕食からかなり時間も経っており、お腹も少し空いていた為、ほぼ完食する。<br />鱈のグリルは非常に美味しかった。ズッキーニなどの野菜をマリネで食べるのは初めてで新鮮であった。パンは温かいものを別にCAが持って来てくれた。非常に美味しいパンであった。<br />トルコのパンは世界で最も美味しいとの話もあるが、この機内食で出て来るパンでさえ、これ程美味しいとトルコで食べるパンは期待が膨らむ。<br />比較的ゆっくりと食事を取る。食べ終えたのは23時45分頃であった。食事を終えると、直ぐにトレーが下げられ、またお茶などのサービスがある。私は珈琲をお願いし、砂糖、ミルクを貰う。<br />そして、先程見ていたモニターのメニューから映画を見る事にした。J1ジョーがあったので、この見ていない映画を見る事にした。およそ2時間くらいであろう?<br />隣の席の男の人も食事を終え、既に寝る体制に入っている。<br />

    <TK047便内で>
    機内入口で少し列が出来ているが、然程時間を要する事なく、席に着けた。
    やはり、一番後の席から2列目である。最後列は2人席で、通路から2席のみである。
    その前の私の座る席は機体右手の2人席で、真ん中に3人席があり、左手にまた2人席がある。
    しかし、真ん中の3人席は後方から3~4列で、その前の席は4人席である。機体はA320-200型である。私の席は通路側である。
    時刻は21時50分過ぎである。順調に席が埋まって行くが、まだ私の横の窓側の席には誰も来ない。
    もう殆どの乗客が搭乗を終了した様であるが、まだ私の横の席は埋まらない。
    すると、溝田さんが席に来た。ツアーの人達の搭乗を確認している様だ。
    その際に隣の席の事を聞くが、ツアーの人ではない様だ。しかし、ほぼ満席である旨で多分誰か来られる可能性が高いとの事であった。
    既に22時10分頃である。もう殆ど機内に乗客の動きはない。すると前方より一人の乗客が荷物を持ち、通路をこちらに来るのが見える。もしやと思っていると、やはり私の横に来て、「奥宜しいでしょうか?」と言う。
    大きなビジネスカバン風の黒いカバンを持った男の人が乗り込んで来た。
    その人が席に着くと程なく機体が後進を開始する。時刻は22時15分過ぎである。北ウイングの2番ゲート付近は離陸位置に最も遠い場所である。その為に離陸までの移動に少し時間が掛かる。
    後進を終え、前進を始めた機体はターミナル沿いに進み、滑走路のあるエリアに出る。
    そこから、離陸位置までターミナル沿いを更に進む。十数分を掛け、やっと離陸位置まで移動し、そこで離陸順番を待つ。
    程なく、滑走路に出た機体は加速を開始し、22時30分頃に無事関西国際空港を離陸した。
    定刻よりも早い出発予定であったが結局、定刻の離陸となった。
    殆ど揺れる事もなく、機体は順調に上昇を続け、離陸から10分程で水平飛行に入ったのか、シートベルト着用ランプが一旦消える。ただ、エンジンの後なのか、エンジン音が非常にうるさい。
    22時50分頃に熱いおしぼりが配られる。席前の袋部分内を確認すると、お泊りセットがあり、また機内食のメニューまで入っていた。通常のイヤホンも勿論ある。
    機内食のメニューを見ると、機内食が2回出る様だ。
    席には小さな枕と毛布も置かれていた。席前にはモニターが付いている。席横にあるリモコンでメニューを確認する。
    最初操作が少し判らなかったが、画面もタッチパネルになっている様で、リモコンとタッチパネルを駆使し、何とか操作を行う。映画、音楽、ゲームなどのメニューがある。
    その様な画面確認を行っているともう機内食が配り始めた。時刻は23時過ぎである。
    一番後から2列目であるので、最も早く配られる。
    機内食のメニューは先程見た内容で、以下の様なものである。
    <関西国際空港→アタテュルク空港(イスタンブール):TK047便の機内食①>
     ①鱈のグリル
     ②温野菜(ブロッコリー)/サフランリゾット
     ③アイスバーグサラダとモッツァレラ
     ④ズッキーニのオリーブオイルマリネ
     ⑤クリームチーズ/ハーブバター/クラッカー 
     ⑥パン
     ⑦チーズケーキ
     ⑧オレンジジュース

    まず気になったのは隣の席に座る男の人が食べる前にお祈りを始めた事である。
    信心深いキリスト教徒なのか?1分程度何か小声で喋りながらお祈りをしている。
    軽い夕食からかなり時間も経っており、お腹も少し空いていた為、ほぼ完食する。
    鱈のグリルは非常に美味しかった。ズッキーニなどの野菜をマリネで食べるのは初めてで新鮮であった。パンは温かいものを別にCAが持って来てくれた。非常に美味しいパンであった。
    トルコのパンは世界で最も美味しいとの話もあるが、この機内食で出て来るパンでさえ、これ程美味しいとトルコで食べるパンは期待が膨らむ。
    比較的ゆっくりと食事を取る。食べ終えたのは23時45分頃であった。食事を終えると、直ぐにトレーが下げられ、またお茶などのサービスがある。私は珈琲をお願いし、砂糖、ミルクを貰う。
    そして、先程見ていたモニターのメニューから映画を見る事にした。J1ジョーがあったので、この見ていない映画を見る事にした。およそ2時間くらいであろう?
    隣の席の男の人も食事を終え、既に寝る体制に入っている。

  • 珈琲を飲みながら、映画を見始めて暫らくすると、今度はCAがドライフルーツとナッツを配り始めた。まだ、寝る時間ではない様である。既に日本時間では0時30分を過ぎている。<br />もう先程の機内食でお腹は一杯である。配られたドライフルーツとナッツは取って置く事にした。<br />映画を見ている間も機内が消灯される様子がない。結局、1時20分頃に映画を見終わった。<br />そして、1時30分頃になり、やっと機内が消灯される。機内も暗くなったので、寝る事にしたがこの時間になり、少し機体の揺れが酷くなる。また、丁度トイレ用のランプが頭上にあり、それが着いたり消えたりする事も気になり、なかなか寝つけない。<br />結局、目が覚めたり、寝たりを繰り返す事になり、寝ているのか起きているのか判らない状態が続いた。<br />時刻は日本時間で7時頃である。この時間になると機内で動き回る人が多くなる。乗客の殆どの人がまだ日本時間で行動をしている。その為にこの時間にはみんな起きた様だ。<br />私ももう寝る事が出来ず、殆ど起きたままで時間を過ごす。<br />隣の男の人も度々窓のブラインドを上げ、外を確認しているが夜を追いかける様に機体が飛んでいるので、まだ外は暗いままである。機内もまだ消灯されたままである。<br />その中で寝る事も出来ず、モニターでゲームを始める。ブラックジャックを行い、時間を潰す。<br />9時を過ぎた頃にやっと機内が明るくなる。しかし、まだ外は暗い。<br />あと3時間弱で到着の予定である。そして、9時30分頃に2回目の機内食(朝食)をCAが配り始めた。2回目の機内食のメニューは以下の様な内容である。<br /><関西国際空港→アタテュルク空港(イスタンブール):TK047便の機内食②><br /> ①ホウレン草のオムレツ<br /> ②ズッキーニのグリル(温野菜)/チーズトースト<br /> ③チーズ盛合せ(チーズ2種/きゅうり/トマト)<br /> ④パン(ロールパン風)/バター/イチゴジャム<br /> ⑤フレッシュフルーツ(キウイ/パイナップル/グレープフルーツ/ぶどう)<br /> ⑥グリーンティー(温)<br />朝食としては充分な量である。<br /> <br />野菜としてはズッキーニが今回も出て来た。オムレツは非常にあっさりとした味付けで、ホウレン草もあまり多く入っておらず、塩とコショーを掛けないと味が薄い。クリームチーズなどもあり、普段あまり食べる事がない朝食であった。それでも殆ど完食する。<br />食事は15分程で終える。先程から隣の席の男の人が再び外を何度も確認をしている。<br />しかし、少し明るくなっては来ているが、まだ暗いままである。<br />食事を終えたトレイを下げて貰い、飲物を勧められるが、それを断る。少し飲物を飲み過ぎである。<br />トイレに行き、席に戻ると、既に隣の男の人も食事を終え、珈琲を飲んでいた。<br />まだ、少し時間があるので、隣の男の人に話かける。<br />聞くと、愛媛の松山から広島経由で関西国際空港まで来て、この便に乗ったと言う。目的地はアイルランドのダブリンだそうだ。<br />若くに見えたが、40歳を過ぎた人で、会社員ではなく、牧師さんだと言う。<br />アイルランドにも半分仕事、半分プライベートで行き、3週間程の滞在を予定していると言う。<br />イスタンブールはトランジットだけで2時間程で乗り継ぎを行う予定との事であった。旅慣れているのかと思い、聞いたが今回が十数年ぶりの海外旅行であると言う。<br />その後、暫らくこの牧師さんと話をしていると、10時40分頃になり、機内に機長からのアナウンスが流れる。内容は英語で半分程しか聞きとれなかったが、後40分程でイスタンブールに到着する旨の内容と、イスタンブールの天気は晴れで、気温が18℃との事である。外は少し白み始めている。<br />引き続き牧師さんと話をしながら、時間を潰す。<br />11時過ぎになり、眼下の景色が見え始める。今は陸地を上を飛んでいるが、ここで機体は大きく方向を変え、海上に移動を始める。海から空港に侵入する為であろうか?<br />その後、海上を飛び始める。<br />眼下には明け方の海の中、漁に出ている漁船の漁火がポツポツと見える。<br />その船もはっきりと肉眼で確認出来るくらいに高度が下がって来た。港が確認出来る。その後、陸地に入るとそこはもう空港である。程なく、無事にイスタンブールのアタテュルク国際空港に着陸した。<br />時刻は日本時間で11時20分過ぎである。<br />暫らく空港内を機体が移動し、停止する。そして、11時30分頃に機内から乗客が降り始まる。<br />

    珈琲を飲みながら、映画を見始めて暫らくすると、今度はCAがドライフルーツとナッツを配り始めた。まだ、寝る時間ではない様である。既に日本時間では0時30分を過ぎている。
    もう先程の機内食でお腹は一杯である。配られたドライフルーツとナッツは取って置く事にした。
    映画を見ている間も機内が消灯される様子がない。結局、1時20分頃に映画を見終わった。
    そして、1時30分頃になり、やっと機内が消灯される。機内も暗くなったので、寝る事にしたがこの時間になり、少し機体の揺れが酷くなる。また、丁度トイレ用のランプが頭上にあり、それが着いたり消えたりする事も気になり、なかなか寝つけない。
    結局、目が覚めたり、寝たりを繰り返す事になり、寝ているのか起きているのか判らない状態が続いた。
    時刻は日本時間で7時頃である。この時間になると機内で動き回る人が多くなる。乗客の殆どの人がまだ日本時間で行動をしている。その為にこの時間にはみんな起きた様だ。
    私ももう寝る事が出来ず、殆ど起きたままで時間を過ごす。
    隣の男の人も度々窓のブラインドを上げ、外を確認しているが夜を追いかける様に機体が飛んでいるので、まだ外は暗いままである。機内もまだ消灯されたままである。
    その中で寝る事も出来ず、モニターでゲームを始める。ブラックジャックを行い、時間を潰す。
    9時を過ぎた頃にやっと機内が明るくなる。しかし、まだ外は暗い。
    あと3時間弱で到着の予定である。そして、9時30分頃に2回目の機内食(朝食)をCAが配り始めた。2回目の機内食のメニューは以下の様な内容である。
    <関西国際空港→アタテュルク空港(イスタンブール):TK047便の機内食②>
     ①ホウレン草のオムレツ
     ②ズッキーニのグリル(温野菜)/チーズトースト
     ③チーズ盛合せ(チーズ2種/きゅうり/トマト)
     ④パン(ロールパン風)/バター/イチゴジャム
     ⑤フレッシュフルーツ(キウイ/パイナップル/グレープフルーツ/ぶどう)
     ⑥グリーンティー(温)
    朝食としては充分な量である。

    野菜としてはズッキーニが今回も出て来た。オムレツは非常にあっさりとした味付けで、ホウレン草もあまり多く入っておらず、塩とコショーを掛けないと味が薄い。クリームチーズなどもあり、普段あまり食べる事がない朝食であった。それでも殆ど完食する。
    食事は15分程で終える。先程から隣の席の男の人が再び外を何度も確認をしている。
    しかし、少し明るくなっては来ているが、まだ暗いままである。
    食事を終えたトレイを下げて貰い、飲物を勧められるが、それを断る。少し飲物を飲み過ぎである。
    トイレに行き、席に戻ると、既に隣の男の人も食事を終え、珈琲を飲んでいた。
    まだ、少し時間があるので、隣の男の人に話かける。
    聞くと、愛媛の松山から広島経由で関西国際空港まで来て、この便に乗ったと言う。目的地はアイルランドのダブリンだそうだ。
    若くに見えたが、40歳を過ぎた人で、会社員ではなく、牧師さんだと言う。
    アイルランドにも半分仕事、半分プライベートで行き、3週間程の滞在を予定していると言う。
    イスタンブールはトランジットだけで2時間程で乗り継ぎを行う予定との事であった。旅慣れているのかと思い、聞いたが今回が十数年ぶりの海外旅行であると言う。
    その後、暫らくこの牧師さんと話をしていると、10時40分頃になり、機内に機長からのアナウンスが流れる。内容は英語で半分程しか聞きとれなかったが、後40分程でイスタンブールに到着する旨の内容と、イスタンブールの天気は晴れで、気温が18℃との事である。外は少し白み始めている。
    引き続き牧師さんと話をしながら、時間を潰す。
    11時過ぎになり、眼下の景色が見え始める。今は陸地を上を飛んでいるが、ここで機体は大きく方向を変え、海上に移動を始める。海から空港に侵入する為であろうか?
    その後、海上を飛び始める。
    眼下には明け方の海の中、漁に出ている漁船の漁火がポツポツと見える。
    その船もはっきりと肉眼で確認出来るくらいに高度が下がって来た。港が確認出来る。その後、陸地に入るとそこはもう空港である。程なく、無事にイスタンブールのアタテュルク国際空港に着陸した。
    時刻は日本時間で11時20分過ぎである。
    暫らく空港内を機体が移動し、停止する。そして、11時30分頃に機内から乗客が降り始まる。

  • <イスタンブールのアタテュルク国際空港><br />降りる前に窓から外を見ると、近くにターミナルは見えるがターミナル脇に到着した訳ではない。<br />ここからシャトルバスでターミナルまで移動する様である。<br />機内から出てタラップを降りたところに2台のシャトルバスが待機している。そのシャトルバスに乗客が分乗する。全員が乗り込むとシャトルバスが出発する。<br />シャトルバスは空港敷地内を暫らく走り、数分でターミナル入口前に到着する。<br />そこで、ここからトランジットする人とイスタンブールで入国を行う人に分かれる事になる。<br />機内で隣になった牧師さんに別れを告げ、この入口付近で別れる。<br />すると入口脇に溝田さんが待っている。私を見つけ、「少しその先で待っていて下さい。全員で移動しますので!」と言い、再び他のツアー客を探し始まる。<br />言われた様に入口脇で少し待つ事になった。時刻は11時40分前である。<br />このアタテュルク国際空港は、トルコ・イスタンブルにある国際空港であり、同国最大の空港である。旧称は地名から採られたイェシルキョイ国際空港で、現在の名前はトルコ建国の父であるムスタファ・ケマル・アタテュルクから名付けられている。<br />イスタンブールのヨーロッパ側(トラキア)にあり、市街地中心部から南西に約15km離れている。そして、乗って来たトルコ航空の本拠地でもある。<br />既に殆どの乗客がシャトルバスから降りて、トランジットへの入口とイスタンブール入国への入口に別れている。10分が過ぎたが溝田さんが戻って来ない。<br />まだ、ツアー客が全員確認出来ない様である。<br />それから更に5分程してやっと溝田さんが現れたが結局、1家族が確認出来ないと言う。<br />もう既に我々が乗った便の乗客は全てトランジットか、入国かに分かれて移動を終えている。<br />仕方なく、11時50分過ぎに添乗員の溝田さんの先導で入国審査に向かう事になった。<br />先にそのはぐれた1家族が入国審査に向かっている可能性が高い為である。ツアー客は意外に多く、二十名近くの人がいる様だ。<br />空港ターミナル内を移動し、入国審査所に向かう。その間も溝田さんははぐれた1家族を探している。<br />しかし、入国審査所まで来たが結局、はぐれた1家族は見つからず、その入国審査にも並んでいない様である。本当にどこに行ってしまったのか?初っ端からトラブル発生である。<br />先に入国審査を済ませている事を祈り、我々も入国審査の列に並ぶ事にした。入国審査には多くの人が長い列を作っている。かなり時間が掛かりそうだ。<br />そして、10分程が経過した時にやっと逸れた1家族が入国審査所に現れた。<br />それを溝田さんが確認し、ほっとした様である。聞けば、トランジットの入口に入り、そちらに行ってしまっていた様だ。<br />トランジットの受付まで行き、搭乗券を持っていない為に追い返された様である。<br />家族の人は30代と思われる夫婦とその4歳くらいの男の子と夫婦のどちらかの両親のおばあさんの4人である。夫の人は海外旅行に慣れていないのか、非常に簡単なところで迷子になっていた様だ。<br />その後、溝田さんが、「入国審査を終えたら、その出口先でまた集合して下さい!」と伝えに廻っている。入国審査の窓口数か所に別れ、入国審査を行う。<br />私が並んだ列はなぜか審査官が慎重なのか1人に掛ける時間が長く、他の列に並んだ同じツアーの人達と大きく遅れる事になった。<br />結局、入国審査所を最後に出る事になった。私の到着を確認し、溝田さんが、「時間が掛かってしまいましたね!」と声を掛けられた。<br />そして、ここでこれからの説明を始める。「これから手荷物受取所に移動しますが、自分で手荷物をコンベアから取り上げる必要はありません。ポーターにお願いしてありますので、荷物があるかを確認だけして下さい。時間がありますので、この時間にトイレを済ませて下さい。また、両替をしたい方はここでお願いします。次に両替が出来るのは少し先になる可能性がありますので?」と言い、みんなを先導し、手荷物受取所に移動する様に言う。その手前に両替所が2か所ある。<br />

    <イスタンブールのアタテュルク国際空港>
    降りる前に窓から外を見ると、近くにターミナルは見えるがターミナル脇に到着した訳ではない。
    ここからシャトルバスでターミナルまで移動する様である。
    機内から出てタラップを降りたところに2台のシャトルバスが待機している。そのシャトルバスに乗客が分乗する。全員が乗り込むとシャトルバスが出発する。
    シャトルバスは空港敷地内を暫らく走り、数分でターミナル入口前に到着する。
    そこで、ここからトランジットする人とイスタンブールで入国を行う人に分かれる事になる。
    機内で隣になった牧師さんに別れを告げ、この入口付近で別れる。
    すると入口脇に溝田さんが待っている。私を見つけ、「少しその先で待っていて下さい。全員で移動しますので!」と言い、再び他のツアー客を探し始まる。
    言われた様に入口脇で少し待つ事になった。時刻は11時40分前である。
    このアタテュルク国際空港は、トルコ・イスタンブルにある国際空港であり、同国最大の空港である。旧称は地名から採られたイェシルキョイ国際空港で、現在の名前はトルコ建国の父であるムスタファ・ケマル・アタテュルクから名付けられている。
    イスタンブールのヨーロッパ側(トラキア)にあり、市街地中心部から南西に約15km離れている。そして、乗って来たトルコ航空の本拠地でもある。
    既に殆どの乗客がシャトルバスから降りて、トランジットへの入口とイスタンブール入国への入口に別れている。10分が過ぎたが溝田さんが戻って来ない。
    まだ、ツアー客が全員確認出来ない様である。
    それから更に5分程してやっと溝田さんが現れたが結局、1家族が確認出来ないと言う。
    もう既に我々が乗った便の乗客は全てトランジットか、入国かに分かれて移動を終えている。
    仕方なく、11時50分過ぎに添乗員の溝田さんの先導で入国審査に向かう事になった。
    先にそのはぐれた1家族が入国審査に向かっている可能性が高い為である。ツアー客は意外に多く、二十名近くの人がいる様だ。
    空港ターミナル内を移動し、入国審査所に向かう。その間も溝田さんははぐれた1家族を探している。
    しかし、入国審査所まで来たが結局、はぐれた1家族は見つからず、その入国審査にも並んでいない様である。本当にどこに行ってしまったのか?初っ端からトラブル発生である。
    先に入国審査を済ませている事を祈り、我々も入国審査の列に並ぶ事にした。入国審査には多くの人が長い列を作っている。かなり時間が掛かりそうだ。
    そして、10分程が経過した時にやっと逸れた1家族が入国審査所に現れた。
    それを溝田さんが確認し、ほっとした様である。聞けば、トランジットの入口に入り、そちらに行ってしまっていた様だ。
    トランジットの受付まで行き、搭乗券を持っていない為に追い返された様である。
    家族の人は30代と思われる夫婦とその4歳くらいの男の子と夫婦のどちらかの両親のおばあさんの4人である。夫の人は海外旅行に慣れていないのか、非常に簡単なところで迷子になっていた様だ。
    その後、溝田さんが、「入国審査を終えたら、その出口先でまた集合して下さい!」と伝えに廻っている。入国審査の窓口数か所に別れ、入国審査を行う。
    私が並んだ列はなぜか審査官が慎重なのか1人に掛ける時間が長く、他の列に並んだ同じツアーの人達と大きく遅れる事になった。
    結局、入国審査所を最後に出る事になった。私の到着を確認し、溝田さんが、「時間が掛かってしまいましたね!」と声を掛けられた。
    そして、ここでこれからの説明を始める。「これから手荷物受取所に移動しますが、自分で手荷物をコンベアから取り上げる必要はありません。ポーターにお願いしてありますので、荷物があるかを確認だけして下さい。時間がありますので、この時間にトイレを済ませて下さい。また、両替をしたい方はここでお願いします。次に両替が出来るのは少し先になる可能性がありますので?」と言い、みんなを先導し、手荷物受取所に移動する様に言う。その手前に両替所が2か所ある。

  • そこで、私もツアー客に交じり、両替所に並ぶ。両替前に溝田さんにどのくらい両替を行えばよいのかを聞くと、「土産物などを除いて、食事や休憩所での飲み物代程度でしたら日本円で5千円も両替すれば足りると思います。あとは土産代にどこくらい使用するかをプラス頂ければ良いと思います。大きな観光所では日本円も使えるところも多いですから」と教えてくれる。<br />そこで、合わせて3万円分を両替する事にした。<br />窓口で3万円を提出、係員が3万円を受け取り、何やら電卓で計算を行い、機械に打ち込んでいる。そして、紙幣を取り出し、枚数を確認している。トルコの通貨は、トルコリラである。<br />貰った紙幣はトルコリラの紙幣で、100トルコリラ紙幣が3枚、50トルコリラが4枚、20トルコリラが3枚、10トルコリラが3枚の合計590トルコリラである。小銭はない様だ。<br />明細書を一緒に渡されたので、それを確認すると両替のレートは3万円で590.1トルコリラで端数の0.1トルコリラは貰えない様だ。<br />これで両替レートを計算すると、1トルコリラ=約50.8円である。<br />トルコリラはトルコ共和国の通貨で、トルコ語ではテュルク・リラスという。略称はTL。トルコ共和国中央銀行が発行し、補助通貨単位としてクルシュがある。1トルコリラ=100クルシュ。<br />紙幣の表面には、この国際空港の名前にも使用されているトルコ共和国初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクの肖像がすべての紙幣に採用されているが、裏面には紙幣毎に別々のアタテュルク以外の人物の肖像が採用されている。<br />これで両替もこの旅行中必要はないと思う。この範囲内で土産物も考えよう。<br />両替を済ませ、手荷物受取所に移動する。両替所の直ぐ先に手荷物受取所のコンベアが見えている。既に荷物は出て来ている様でコンベアの周りには人集りが出来ている。<br />その脇に山積み旅行カバンを載せた2台のカートがある。そのカート前で溝田さんが、「みなさんの旅行カバンがカートに載っているかを確認下さい。無い人は私に言って下さい。」と告げる。<br /> <br />私も自分の旅行カバンを確認する。既に私が着けたタグとは別に赤いリボンが着いており、判り易くなっている。ここで現地のガイドらしい大柄の体格の良い男性が溝田さんと一緒にいる。サングラスを掛けているので、顔の表情は判らない。<br />

    そこで、私もツアー客に交じり、両替所に並ぶ。両替前に溝田さんにどのくらい両替を行えばよいのかを聞くと、「土産物などを除いて、食事や休憩所での飲み物代程度でしたら日本円で5千円も両替すれば足りると思います。あとは土産代にどこくらい使用するかをプラス頂ければ良いと思います。大きな観光所では日本円も使えるところも多いですから」と教えてくれる。
    そこで、合わせて3万円分を両替する事にした。
    窓口で3万円を提出、係員が3万円を受け取り、何やら電卓で計算を行い、機械に打ち込んでいる。そして、紙幣を取り出し、枚数を確認している。トルコの通貨は、トルコリラである。
    貰った紙幣はトルコリラの紙幣で、100トルコリラ紙幣が3枚、50トルコリラが4枚、20トルコリラが3枚、10トルコリラが3枚の合計590トルコリラである。小銭はない様だ。
    明細書を一緒に渡されたので、それを確認すると両替のレートは3万円で590.1トルコリラで端数の0.1トルコリラは貰えない様だ。
    これで両替レートを計算すると、1トルコリラ=約50.8円である。
    トルコリラはトルコ共和国の通貨で、トルコ語ではテュルク・リラスという。略称はTL。トルコ共和国中央銀行が発行し、補助通貨単位としてクルシュがある。1トルコリラ=100クルシュ。
    紙幣の表面には、この国際空港の名前にも使用されているトルコ共和国初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクの肖像がすべての紙幣に採用されているが、裏面には紙幣毎に別々のアタテュルク以外の人物の肖像が採用されている。
    これで両替もこの旅行中必要はないと思う。この範囲内で土産物も考えよう。
    両替を済ませ、手荷物受取所に移動する。両替所の直ぐ先に手荷物受取所のコンベアが見えている。既に荷物は出て来ている様でコンベアの周りには人集りが出来ている。
    その脇に山積み旅行カバンを載せた2台のカートがある。そのカート前で溝田さんが、「みなさんの旅行カバンがカートに載っているかを確認下さい。無い人は私に言って下さい。」と告げる。

    私も自分の旅行カバンを確認する。既に私が着けたタグとは別に赤いリボンが着いており、判り易くなっている。ここで現地のガイドらしい大柄の体格の良い男性が溝田さんと一緒にいる。サングラスを掛けているので、顔の表情は判らない。

  • 暫らくすると、再び溝田さんが、「みなさん荷物の確認が出来ましたか?無い人はいませんね?それではバスに移動しますので、荷物のカートに付いて来て下さい」と言う。<br />そして、カートが移動を始める。空港の到着出口を出る。そこで、先程空港内で逸れた家族が出迎えの人混みの中、人を探している。すると1人の日本人男性が合図をしている。<br />その人のところにみんなで駆け寄っている。このイスタンブールに親戚がいる様である。<br /> <br />その後、その男性も我々に付いて来ている。空港のターミナルを出ると早朝の為か、少し肌寒い感じの気温である。気温は21℃くらいと言う。日本でも初秋の感じである。溝田さんに聞くと、トルコでも今は初秋に当たる。イスタンブール近郊では日本と同じく四季があり、同じ様な気候の様だ。<br />

    暫らくすると、再び溝田さんが、「みなさん荷物の確認が出来ましたか?無い人はいませんね?それではバスに移動しますので、荷物のカートに付いて来て下さい」と言う。
    そして、カートが移動を始める。空港の到着出口を出る。そこで、先程空港内で逸れた家族が出迎えの人混みの中、人を探している。すると1人の日本人男性が合図をしている。
    その人のところにみんなで駆け寄っている。このイスタンブールに親戚がいる様である。

    その後、その男性も我々に付いて来ている。空港のターミナルを出ると早朝の為か、少し肌寒い感じの気温である。気温は21℃くらいと言う。日本でも初秋の感じである。溝田さんに聞くと、トルコでも今は初秋に当たる。イスタンブール近郊では日本と同じく四季があり、同じ様な気候の様だ。

  • ターミナル出口からターミナルの脇にある駐車場に移動する。そこには数台の大きな観光バスが止まっている。非常に豪華な観光バスである。早速、その観光バスに乗り込む。車内に入ると、座席は2席と片側が1席の1列3席のゆったりとした座席配置になっている。<br />適当にみんなが座っているので、私も真ん中よりも少し後方の1席に座る。<br />全員が乗り込んでもまだ席には充分余裕がある様だ。<br />全員が乗り込み、バスの腹部分に旅行カバンが積み込まれるのを待つ。先程の逸れた家族を迎えた男性はバスの脇で乗り込んだ家族に手を振っている。<br /> <br />

    ターミナル出口からターミナルの脇にある駐車場に移動する。そこには数台の大きな観光バスが止まっている。非常に豪華な観光バスである。早速、その観光バスに乗り込む。車内に入ると、座席は2席と片側が1席の1列3席のゆったりとした座席配置になっている。
    適当にみんなが座っているので、私も真ん中よりも少し後方の1席に座る。
    全員が乗り込んでもまだ席には充分余裕がある様だ。
    全員が乗り込み、バスの腹部分に旅行カバンが積み込まれるのを待つ。先程の逸れた家族を迎えた男性はバスの脇で乗り込んだ家族に手を振っている。

  • <イスタンブール郊外の移動><br />そして、日本時間の12時50分過ぎにバスが動き始める。<br />バスが動き始めると溝田さんがマイクで、「はい、お疲れ様です。昨晩は機内で寝られましたか?ここでまず時計を合わせて下さい。日本時間では12時52分ですが、トルコは日本と6時間の時差がありますので、6時間時計を戻して下さい。現在のトルコ時間は6時52分です。このバス時計で合わせて貰えれば結構です。また、ここでトルコ現地のガイドさんと運転手さんをご紹介します。ガイドはナムックさんで旅行の全日程でスルーのガイドさんです。そして現在運転手をしてくれている運転手さんがナフィスさんで、同乗しているもう一人の運転手がムラシットさんです。」と紹介される。<br />そして、今度は現地ガイドのナムックさんがマイクを取り、「こんにちは?メルハバ?トルコの言葉で“こんにちは”は“メルハバ”と言います。覚えて下さい。これからイスタンブールの郊外を抜け、ダーダネルス海峡のフェリー乗り場に行き、そこからヨーロッパ側からアジア側に渡ります。そして、トロイの遺跡を見学後、今日はエーゲ海沿いのエドレミットと言う町のホテルに泊まります。」と説明を続ける。<br />また、続けてイスタンブールの簡単な説明を始める。要約すると以下の様な内容である。<br />イスタンブールはトルコ語での呼び名で、ラテン語では、コンスタンティノポリス、英語やギリシャ語では、コンスタンディヌーポリと言う。トルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地である。日本では一般に“イスタンブール”と呼ばれることが多いと言う。<br />人口は1,350万人で、バルカン半島では最大、ヨーロッパでも最大規模の都市圏を持つ都市の一つである。イスタンブールはトルコにある16の大都市自治体の1つである。<br />イスタンブールはトルコ北西部に位置し、マルマラ海と黒海を結ぶ世界でも最も混雑する航路の一つであるボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ大陸とアジア大陸間に股がった都市である。<br />市域はボスポラス海峡を挟んで東のアジア(アナトリア半島)側と西のヨーロッパ(トラキア地方)側両方に拡がり、西側のヨーロッパ市域は金角湾で南北に分かれている。<br />大陸にまたがる大都市であり、アジアの最も西にある都市でもある。<br />その歴史は古くサライブルヌの岬にBC660年にビュザンティオンとして創建され、現在では歴史上最も重要な都市の一つとなった。330年にコンスタンティノープルとして再建されて以降およそ16世紀の間、ローマ帝国(330-395)、ビザンティン(395-1204、1261-1453)、ラテン帝国 (1204-1261)、オスマン帝国(1453-1922)と4つの帝国の首都であった。<br />1453年にオスマン帝国により都市が征服され、コンスタンティノープルの陥落が起こる以前のローマやビザンティンの時代はキリスト教発展の要であったが、征服後はイスラムの中心やオスマンのカリフの中心に変わった。<br />トルコ共和国がアンカラを新しい首都に制定したが、宮殿や帝国のモスクは今でもイスタンブールの丘に見ることが出来、この様な建物群はイスタンブールが中心的な役割を果たしていた事を想起させる遺産となっている。<br />また、イスタンブールはシルクロードに沿った戦略的に重要な場所に位置し、ヨーロッパと中東への鉄道網と黒海と地中海を結ぶ唯一の航路は1923年のトルコ共和国の設立を差し引いても、幅広い人々を育むのに役立っている。 <br />

    <イスタンブール郊外の移動>
    そして、日本時間の12時50分過ぎにバスが動き始める。
    バスが動き始めると溝田さんがマイクで、「はい、お疲れ様です。昨晩は機内で寝られましたか?ここでまず時計を合わせて下さい。日本時間では12時52分ですが、トルコは日本と6時間の時差がありますので、6時間時計を戻して下さい。現在のトルコ時間は6時52分です。このバス時計で合わせて貰えれば結構です。また、ここでトルコ現地のガイドさんと運転手さんをご紹介します。ガイドはナムックさんで旅行の全日程でスルーのガイドさんです。そして現在運転手をしてくれている運転手さんがナフィスさんで、同乗しているもう一人の運転手がムラシットさんです。」と紹介される。
    そして、今度は現地ガイドのナムックさんがマイクを取り、「こんにちは?メルハバ?トルコの言葉で“こんにちは”は“メルハバ”と言います。覚えて下さい。これからイスタンブールの郊外を抜け、ダーダネルス海峡のフェリー乗り場に行き、そこからヨーロッパ側からアジア側に渡ります。そして、トロイの遺跡を見学後、今日はエーゲ海沿いのエドレミットと言う町のホテルに泊まります。」と説明を続ける。
    また、続けてイスタンブールの簡単な説明を始める。要約すると以下の様な内容である。
    イスタンブールはトルコ語での呼び名で、ラテン語では、コンスタンティノポリス、英語やギリシャ語では、コンスタンディヌーポリと言う。トルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地である。日本では一般に“イスタンブール”と呼ばれることが多いと言う。
    人口は1,350万人で、バルカン半島では最大、ヨーロッパでも最大規模の都市圏を持つ都市の一つである。イスタンブールはトルコにある16の大都市自治体の1つである。
    イスタンブールはトルコ北西部に位置し、マルマラ海と黒海を結ぶ世界でも最も混雑する航路の一つであるボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ大陸とアジア大陸間に股がった都市である。
    市域はボスポラス海峡を挟んで東のアジア(アナトリア半島)側と西のヨーロッパ(トラキア地方)側両方に拡がり、西側のヨーロッパ市域は金角湾で南北に分かれている。
    大陸にまたがる大都市であり、アジアの最も西にある都市でもある。
    その歴史は古くサライブルヌの岬にBC660年にビュザンティオンとして創建され、現在では歴史上最も重要な都市の一つとなった。330年にコンスタンティノープルとして再建されて以降およそ16世紀の間、ローマ帝国(330-395)、ビザンティン(395-1204、1261-1453)、ラテン帝国 (1204-1261)、オスマン帝国(1453-1922)と4つの帝国の首都であった。
    1453年にオスマン帝国により都市が征服され、コンスタンティノープルの陥落が起こる以前のローマやビザンティンの時代はキリスト教発展の要であったが、征服後はイスラムの中心やオスマンのカリフの中心に変わった。
    トルコ共和国がアンカラを新しい首都に制定したが、宮殿や帝国のモスクは今でもイスタンブールの丘に見ることが出来、この様な建物群はイスタンブールが中心的な役割を果たしていた事を想起させる遺産となっている。
    また、イスタンブールはシルクロードに沿った戦略的に重要な場所に位置し、ヨーロッパと中東への鉄道網と黒海と地中海を結ぶ唯一の航路は1923年のトルコ共和国の設立を差し引いても、幅広い人々を育むのに役立っている。

  • 最近は郊外に多くのマンション群が出来、その人口も増えてきているそうだ。<br /> <br />この様な説明をしてくれた。<br /> <br />その間にバスは高速道路に入る。その脇にはナムックさんが言う様に建築中の大型マンション群が見える。また、日本で言う郊外型のショッピングモールの様な建物も見受けられる。<br />本当に空港周辺地域はマンションの建設ラッシュである。<br />また、町の至るところに小さなモスクが見える。トルコでは、このモスクは、“ジャーミィー”と言う。<br />幾つかの村を過ぎて気がついたのが尖塔(ミナレット)が1本のものや2本のものがある。何かその数に理由があるのであろうか?<br />しかし、見ているとやはり2本の尖塔を持つモスクが多い様に思う。<br />その理由を溝田さんに問うと、現地ガイドのナムックさんに聞いてくれた。<br />そして、「特に尖塔の1本と2本に理由はなく、その時の流行りだそうです。また、建物はドーム状になったものや四角いものなどがあるそうです。」と答えてくれる。<br />

    最近は郊外に多くのマンション群が出来、その人口も増えてきているそうだ。

    この様な説明をしてくれた。

    その間にバスは高速道路に入る。その脇にはナムックさんが言う様に建築中の大型マンション群が見える。また、日本で言う郊外型のショッピングモールの様な建物も見受けられる。
    本当に空港周辺地域はマンションの建設ラッシュである。
    また、町の至るところに小さなモスクが見える。トルコでは、このモスクは、“ジャーミィー”と言う。
    幾つかの村を過ぎて気がついたのが尖塔(ミナレット)が1本のものや2本のものがある。何かその数に理由があるのであろうか?
    しかし、見ているとやはり2本の尖塔を持つモスクが多い様に思う。
    その理由を溝田さんに問うと、現地ガイドのナムックさんに聞いてくれた。
    そして、「特に尖塔の1本と2本に理由はなく、その時の流行りだそうです。また、建物はドーム状になったものや四角いものなどがあるそうです。」と答えてくれる。

  • その様な話をしている間もバスは高速道路を進む。<br />道路沿いの景色は、空港から20分程走るとマンションなどの建物も少なくなり、周りは小麦畑が拡がる丘陵地帯が続く。この辺りには木々も少なく、畑だけの景色である。<br /> <br />偶に家の様なものが見えるが、場所によっては見える範囲が全て小麦畑と言う景色になる。<br />この様な広大な小麦畑をどの様に耕作しているのであろうか?後でナムックさんに聞くと、種を蒔くだけで、あとの手入れなどは殆ど行わないと言う。<br />小麦畑の中にはポプラの木であろうか、背の高い木がぽつぽつと見える。<br />

    その様な話をしている間もバスは高速道路を進む。
    道路沿いの景色は、空港から20分程走るとマンションなどの建物も少なくなり、周りは小麦畑が拡がる丘陵地帯が続く。この辺りには木々も少なく、畑だけの景色である。

    偶に家の様なものが見えるが、場所によっては見える範囲が全て小麦畑と言う景色になる。
    この様な広大な小麦畑をどの様に耕作しているのであろうか?後でナムックさんに聞くと、種を蒔くだけで、あとの手入れなどは殆ど行わないと言う。
    小麦畑の中にはポプラの木であろうか、背の高い木がぽつぽつと見える。

  • 今迄に見た木々はこのポプラの木だけである。その内に、進行方向の左手に海が見えて来た。これがマルマラ海である。<br /> <br />このマルマラ海はトルコのヨーロッパ側とアジア側に囲まれた海で、このマルマラ海は2つの有名な海峡で挟まれた海である。ひとつはボスポラス海峡で北の黒海と、もうひとつがダーダネルス海峡で南のエーゲ海と繋がっている。今、バスはこのダーダネルス海峡に向けて、トルコのヨーロッパ側を南下している。<br />マルマラとはトルコ語で“大理石”の意味である。この海の周辺では昔から大理石の産地が多かった事から付けられた名前である。<br />東西280km、南北80kmの大きさで、最大水深は1370mである。<br />塩分濃度は2.2%で黒海より少し濃い。一方、海底近くでは3.8%あり、地中海と同程度なのは、表層水が黒海から地中海方向へ、底層水は逆に流れているためである。<br />更に少し走ると右手に小さく風力発電の風車が見えて来た。その風車が見えて来ると、ナムックさんがその風車について説明を始める。「この辺りはマルマラ海からの強い風が吹く為に風力発電の施設が非常に多いです。」と説明をする。<br />丁度、バスはその風車の方向に向かい進んでいる。先程まで左手に見えていたマルマラ海も一旦見えなくなった。<br />そして、その見えていた風車が近づくと、道路が左手にカーブし、風車の建つ丘陵地帯を避ける様に高速道路が続いている。車線も先程までは3車線であったが、2車線に減った。<br />すると、道路脇に日本の高速道路のサービスエリアに当たる様な場所が現れるが、殆ど停車しているのはトラックのみである。トラックのたまり場の様な場所になっている。<br />

    今迄に見た木々はこのポプラの木だけである。その内に、進行方向の左手に海が見えて来た。これがマルマラ海である。

    このマルマラ海はトルコのヨーロッパ側とアジア側に囲まれた海で、このマルマラ海は2つの有名な海峡で挟まれた海である。ひとつはボスポラス海峡で北の黒海と、もうひとつがダーダネルス海峡で南のエーゲ海と繋がっている。今、バスはこのダーダネルス海峡に向けて、トルコのヨーロッパ側を南下している。
    マルマラとはトルコ語で“大理石”の意味である。この海の周辺では昔から大理石の産地が多かった事から付けられた名前である。
    東西280km、南北80kmの大きさで、最大水深は1370mである。
    塩分濃度は2.2%で黒海より少し濃い。一方、海底近くでは3.8%あり、地中海と同程度なのは、表層水が黒海から地中海方向へ、底層水は逆に流れているためである。
    更に少し走ると右手に小さく風力発電の風車が見えて来た。その風車が見えて来ると、ナムックさんがその風車について説明を始める。「この辺りはマルマラ海からの強い風が吹く為に風力発電の施設が非常に多いです。」と説明をする。
    丁度、バスはその風車の方向に向かい進んでいる。先程まで左手に見えていたマルマラ海も一旦見えなくなった。
    そして、その見えていた風車が近づくと、道路が左手にカーブし、風車の建つ丘陵地帯を避ける様に高速道路が続いている。車線も先程までは3車線であったが、2車線に減った。
    すると、道路脇に日本の高速道路のサービスエリアに当たる様な場所が現れるが、殆ど停車しているのはトラックのみである。トラックのたまり場の様な場所になっている。

  • 久々に、道路脇に木々が見えて来る。見るとモミの木である。まだ、苗木に近いがモミの木である。<br /> <br />すると周辺に木々が増えて来た。松の木も見える。しかし、日本の松とは少し違う。日本の松は枝が拡がり、塊の様な葉が幾つもある形であるが、ここに見える松は全体が丸い形である。<br />その様な松の並木が続きと、高速道路が交差するインターチェンジが現れる。<br />そのインターチェンジで別の高速道路に入る。少し走ると料金所が前方に見えて来た。この辺りになると再び木々が減り、周りは小麦畑のみになって来た。<br />そして、再び右手に風車が見えて来た。先程の丘陵地帯に見えていた風車とは別の風車である。その風車の脇を抜ける。時刻は空港を出て、約1時間が過ぎ、7時45分になった。<br />周りの畑の様子が少し変わって来た。ひまわり畑が時々見える様になる。既に花が枯れ、そのままで置かれている。種を収穫するのであろうか?<br />この事も現地ガイドのナムックさんに聞くと、「種を食べるんです。」と答えてくれた。ひまわりの種から油でも取るのかと思っていたが、そのまま食べると言う。<br /> <br />その様な話をしていると前方に料金所が見えて来た。ここで高速道路は終了の様である。<br />その料金所を過ぎるとやっと家々がポツポツ見えて来た。そして、その先には町らしきものが見える。<br />この辺はマンションよりも戸建の家が多い。多くの家が3階建てである。<br />左手には、マルマラ海がずっと見えている。一般道に下りた為に信号が出て来た。今までは高速道路を走っていたので、信号を見る事が無かったが、ここで初めて信号で停車する。<br />トルコは日本とは逆の右側通行で、車のハンドルも左ハンドルである。信号も縦型で、一番上が赤色、真ん中が黄色、下が青色である。<br />時刻は8時を過ぎた。左手のマルマラ海の海岸沿いに海水浴場らしき砂浜が見えて来た。<br />今はまだ泳げる季節なのだろうか、少ないが人が泳いでいる。その砂浜が見えなくなると道路はマルマラ海から離れる。少し走ると再びマルマラ海が見えて来るが、少し海から離れた様である。<br />

    久々に、道路脇に木々が見えて来る。見るとモミの木である。まだ、苗木に近いがモミの木である。

    すると周辺に木々が増えて来た。松の木も見える。しかし、日本の松とは少し違う。日本の松は枝が拡がり、塊の様な葉が幾つもある形であるが、ここに見える松は全体が丸い形である。
    その様な松の並木が続きと、高速道路が交差するインターチェンジが現れる。
    そのインターチェンジで別の高速道路に入る。少し走ると料金所が前方に見えて来た。この辺りになると再び木々が減り、周りは小麦畑のみになって来た。
    そして、再び右手に風車が見えて来た。先程の丘陵地帯に見えていた風車とは別の風車である。その風車の脇を抜ける。時刻は空港を出て、約1時間が過ぎ、7時45分になった。
    周りの畑の様子が少し変わって来た。ひまわり畑が時々見える様になる。既に花が枯れ、そのままで置かれている。種を収穫するのであろうか?
    この事も現地ガイドのナムックさんに聞くと、「種を食べるんです。」と答えてくれた。ひまわりの種から油でも取るのかと思っていたが、そのまま食べると言う。

    その様な話をしていると前方に料金所が見えて来た。ここで高速道路は終了の様である。
    その料金所を過ぎるとやっと家々がポツポツ見えて来た。そして、その先には町らしきものが見える。
    この辺はマンションよりも戸建の家が多い。多くの家が3階建てである。
    左手には、マルマラ海がずっと見えている。一般道に下りた為に信号が出て来た。今までは高速道路を走っていたので、信号を見る事が無かったが、ここで初めて信号で停車する。
    トルコは日本とは逆の右側通行で、車のハンドルも左ハンドルである。信号も縦型で、一番上が赤色、真ん中が黄色、下が青色である。
    時刻は8時を過ぎた。左手のマルマラ海の海岸沿いに海水浴場らしき砂浜が見えて来た。
    今はまだ泳げる季節なのだろうか、少ないが人が泳いでいる。その砂浜が見えなくなると道路はマルマラ海から離れる。少し走ると再びマルマラ海が見えて来るが、少し海から離れた様である。

  • 一般道路を走り始めると、信号に捕まる事が多くなった。道路脇に建つ家の様子が良く判る様になる。見ると、建築途中の家も中にあり、それを見ると骨格はコンクリート造りであるが、壁にはレンガが積まれている。それをモルタルで化粧した家が多い様だ。トルコは火山の多い国で日本と似ている。<br />当然の様に地震も多い国だと聞いていたが、意外に簡単な造りの家が多い。これで耐震性は大丈夫なのであろうか?<br />町が過ぎると再び、畑が拡がり、小麦畑とひまわり畑などが多くなる。時刻は8時15分頃である。<br />空港を出てから1時間半近くになる。もうそろそろ休憩時間か?<br />道路の脇には松の並木が多くなり、その合間には同じ様な大きさのマンション風の建物が見える。<br />その家々の間に拡がる畑には、トウモロコシ畑も見える様になる。そして、始めて線路が出て来た。<br />道路が高架になり、その上を越える。見ると単線である。既に先程からマルマラ海はいつの間にか見えなくなっている。<br />すると、ナムックさんが、「もう少しで休憩所に着きます。みなさん寝ていませんか?」と急に話し出す。<br />時刻は8時30分を過ぎている。確かに道路脇にレストラン風の店がちらほら見える。<br />

    一般道路を走り始めると、信号に捕まる事が多くなった。道路脇に建つ家の様子が良く判る様になる。見ると、建築途中の家も中にあり、それを見ると骨格はコンクリート造りであるが、壁にはレンガが積まれている。それをモルタルで化粧した家が多い様だ。トルコは火山の多い国で日本と似ている。
    当然の様に地震も多い国だと聞いていたが、意外に簡単な造りの家が多い。これで耐震性は大丈夫なのであろうか?
    町が過ぎると再び、畑が拡がり、小麦畑とひまわり畑などが多くなる。時刻は8時15分頃である。
    空港を出てから1時間半近くになる。もうそろそろ休憩時間か?
    道路の脇には松の並木が多くなり、その合間には同じ様な大きさのマンション風の建物が見える。
    その家々の間に拡がる畑には、トウモロコシ畑も見える様になる。そして、始めて線路が出て来た。
    道路が高架になり、その上を越える。見ると単線である。既に先程からマルマラ海はいつの間にか見えなくなっている。
    すると、ナムックさんが、「もう少しで休憩所に着きます。みなさん寝ていませんか?」と急に話し出す。
    時刻は8時30分を過ぎている。確かに道路脇にレストラン風の店がちらほら見える。

  • <有料トイレ体験の休憩所><br />程なく、バスが道から外れ、その脇に建つレストラン風の1軒の前に停車する。<br />ここが休憩場所の様だ。<br /> <br />バスが停車し、降りる前に溝田さんが、「ここにはトイレはありますが、有料です。利用される時に1トルコリラを支払って下さい。大きなお金でもお釣りを貰えます。それでは8時55分までここで休憩する事にします。」と言い、先にバスを降りる。<br />我々もその後に続きバスを降りる。<br />レストランの前には“AYDIK”と書かれている。店の名前であろうか?<br />まずは有料トイレを体験する事にする。入口を入ったところに受付の様な所があり、そこにおじさんがいる。そのおじさんに20トルコリラ札を渡すと、19トルコリラのお釣りを貰えた。<br />トルコではこの有料トイレは珍しくない様である。大きなホテルやレストランを除いて殆どのトイレが有料なのである。トルコには日本の公衆トイレの様なものはないそうだ。<br />

    <有料トイレ体験の休憩所>
    程なく、バスが道から外れ、その脇に建つレストラン風の1軒の前に停車する。
    ここが休憩場所の様だ。

    バスが停車し、降りる前に溝田さんが、「ここにはトイレはありますが、有料です。利用される時に1トルコリラを支払って下さい。大きなお金でもお釣りを貰えます。それでは8時55分までここで休憩する事にします。」と言い、先にバスを降りる。
    我々もその後に続きバスを降りる。
    レストランの前には“AYDIK”と書かれている。店の名前であろうか?
    まずは有料トイレを体験する事にする。入口を入ったところに受付の様な所があり、そこにおじさんがいる。そのおじさんに20トルコリラ札を渡すと、19トルコリラのお釣りを貰えた。
    トルコではこの有料トイレは珍しくない様である。大きなホテルやレストランを除いて殆どのトイレが有料なのである。トルコには日本の公衆トイレの様なものはないそうだ。

  • そして、その受付前から左右に別れ、左手が男性トイレである。<br /> <br />トイレに入ると、中は意外に清潔な感じのトイレである。<br /> <br />小便器はなぜか高さが非常に高い位置にあり、足の短い日本人には非常に用を足し難い。<br />用を足し、手洗い場で手を洗うと、日本と同じく紙手拭きが備え付けられている。その後、併設する土産物屋で少し土産物を見るが、まだ旅行は始まったばかりなので、ここで土産物を買う事は止める。<br />お菓子類も興味があるが、少し日差しも強くなってきたので、冷たいものが欲しい。<br />アイスクリームを見つけ、溝田さんにバスの中で食べても問題ないかを聞くと、バスではダメとの事であった。飲物は良いがアイスクリームなどは汚す可能性が高いのでダメだと言う。意外に厳しい!<br />飲物は関西国際空港で購入したお茶がまだ残っているので、買う必要はない。<br />見れば現地ガイドのナムックさんは、小さなガラスのカップで紅茶らしきものを飲んでいる。<br />結局、何も買う事なく、休憩終了時間になるので、バスに戻る。そして、全員が揃った事を確認し、バスが休憩場所のレストランから出発する。時刻は予定通りの8時55分である。<br />

    そして、その受付前から左右に別れ、左手が男性トイレである。

    トイレに入ると、中は意外に清潔な感じのトイレである。

    小便器はなぜか高さが非常に高い位置にあり、足の短い日本人には非常に用を足し難い。
    用を足し、手洗い場で手を洗うと、日本と同じく紙手拭きが備え付けられている。その後、併設する土産物屋で少し土産物を見るが、まだ旅行は始まったばかりなので、ここで土産物を買う事は止める。
    お菓子類も興味があるが、少し日差しも強くなってきたので、冷たいものが欲しい。
    アイスクリームを見つけ、溝田さんにバスの中で食べても問題ないかを聞くと、バスではダメとの事であった。飲物は良いがアイスクリームなどは汚す可能性が高いのでダメだと言う。意外に厳しい!
    飲物は関西国際空港で購入したお茶がまだ残っているので、買う必要はない。
    見れば現地ガイドのナムックさんは、小さなガラスのカップで紅茶らしきものを飲んでいる。
    結局、何も買う事なく、休憩終了時間になるので、バスに戻る。そして、全員が揃った事を確認し、バスが休憩場所のレストランから出発する。時刻は予定通りの8時55分である。

  • <再び、ダーダネルス海峡を目指す><br />休憩場所を出たバスは再び一般道を走る。すると、今までは片側2車線であったが、道路が工事中の為に対面通行に変わる。道路は渋滞していないので、対面通行に変わっても然程変わらない。<br />少し周りの景色が変わって来た。今までは低い木々が多かったが、大きな木々が増えて来た。<br />また、この辺りはひまわり畑が非常に多い。まだ、花が枯れていない畑も中にはある。<br /> <br />先程からバスの中が暑くなって来た。天気が非常に良く、気温がぐんぐん上昇している。<br />車内に設置されているデジタル温度計の表示は既に25℃を越えている。<br />もう少し車内の冷房を効かせて欲しいと思い、その事をいうと調整をしてくれ、丁度座席の横、窓の下から出る冷たい風が強くなる。これで少しは暑さが凌げるか?<br />9時半を過ぎ、再び町らしきところに入る。日本で言うアパート風の同じ様な家々が並ぶ。その家々が非常にカラフルである。日本ではあまり見られない様な淡い水色やグリーン色の壁の家が多い。<br />更に道の両脇には多くの店が軒を連ねている。<br />再び、畑が拡がる中を暫らく走り、その後10時前に前方に料金所が現れる。再び、高速道路に乗るのである。この辺りから周辺に木々が増える。今迄の丘陵地帯では木々が生い茂る山の様なものは見えなかったが、この辺りの丘陵地帯は木々に覆われている。すると、峠の様なところに差し掛かる。<br />ここから尾根伝いに道路が延びている。<br />

    <再び、ダーダネルス海峡を目指す>
    休憩場所を出たバスは再び一般道を走る。すると、今までは片側2車線であったが、道路が工事中の為に対面通行に変わる。道路は渋滞していないので、対面通行に変わっても然程変わらない。
    少し周りの景色が変わって来た。今までは低い木々が多かったが、大きな木々が増えて来た。
    また、この辺りはひまわり畑が非常に多い。まだ、花が枯れていない畑も中にはある。

    先程からバスの中が暑くなって来た。天気が非常に良く、気温がぐんぐん上昇している。
    車内に設置されているデジタル温度計の表示は既に25℃を越えている。
    もう少し車内の冷房を効かせて欲しいと思い、その事をいうと調整をしてくれ、丁度座席の横、窓の下から出る冷たい風が強くなる。これで少しは暑さが凌げるか?
    9時半を過ぎ、再び町らしきところに入る。日本で言うアパート風の同じ様な家々が並ぶ。その家々が非常にカラフルである。日本ではあまり見られない様な淡い水色やグリーン色の壁の家が多い。
    更に道の両脇には多くの店が軒を連ねている。
    再び、畑が拡がる中を暫らく走り、その後10時前に前方に料金所が現れる。再び、高速道路に乗るのである。この辺りから周辺に木々が増える。今迄の丘陵地帯では木々が生い茂る山の様なものは見えなかったが、この辺りの丘陵地帯は木々に覆われている。すると、峠の様なところに差し掛かる。
    ここから尾根伝いに道路が延びている。

  • その峠の頂上付近を抜けると右手の奥に久しぶりに海が見えて来た。<br />ここでナムックさんが、「みなさん!右手を見て下さい。海が見えますが、あれはエーゲ海です。暫らく、ここからエーゲ海が見えます。」と言う。見えて来た海はエーゲ海なのである。<br /> <br />もうヨーロッパ側から延びるゲリボル半島の入口付近に到達した様である。<br />ここから峠を下るとその途中で再び木々が無くなり、今度は右側に大きな草原地帯が現れる。<br />見ると、その草原地帯には山羊や牛が放牧されている。この草原の中に道路が造られている。道を遮る様に河が流れ、それを避ける様に道が曲がる。<br />ここでナムックさんが、「今からトルコの観光地図を配ります。」と言い、前から順番に手渡しで地図をくれる。それを配り終え、再びバスの一番前の座席に戻り、マイクで説明を始める。<br />「皆さん、それでは渡した地図を開いて下さい。今はどの辺りに来ているか?判りますか?」と聞く。<br />誰も答えないと、「今はマルマラ海とエーゲ海との間にあるダーダネルス海峡の入口部分に近づいています。エーゲ海に付き出す様な半島があるのが判りますか?それがゲリボル半島で、丁度その一番狭い場所を今、走っています。この半島の港町であるゲリボルで昼食を取り、その後そこからフェリーでアジア側のラプセキに渡ります。もう後30分くらいでゲリボルに到着します。」と教えてくれる。<br />そして続けて、「ここで少しトルコについて勉強しましょう!トルコで最もポピュラーな飲物はチャイです。その中もエルマチャイが最も良く飲まれます。“エルマ”とはトルコ語で“りんご”の事で、所謂アップルティーです。それに砂糖をたっぷりと入れて飲みます。これを1日に10杯近く飲みます。その為にトルコ人は30歳を過ぎるとみんな太ります。私もそれで太っています。」と半分冗談っぽく説明をする。<br />「また、トルコでも珈琲を飲みますが、普通の珈琲はトルコでは“ネスカフェ”と言います。それとは別にエスプレッソ風の珈琲の“トルコ珈琲”があります。このトルコ珈琲は砂糖を少なめで飲むのがお勧めです。また、この珈琲を飲んだ後に占いを行います。カップの中に残った珈琲の沈殿物で占いを行うのです。もし、この旅行期間に飲む機会がありましたら、私に言って下さい。私が占います。」とこれも冗談まじりに話しを続ける。<br />また、「トルコ人はひまわりの種が大好きです。チャイと一緒に皮を剥いて食べます。ひまわりは多くの場合、小麦の収穫の間に栽培されます。ここで問題です。チャイの葉の生産量No.1の国はどこか知っていますか?」と質問が出る。みんなが各々可能性のある国を口々に答える。<br />インド、スリランカ、トルコなどの答えが出ると、「正解は中国です。トルコは第5位です。」と話す。<br />この様な話をしていると、左手にマルマラ海が見えて来た。先程、右手にエーゲ海が見えていたので、今まさに、ゲリボル半島の一番狭い入口付近を走っている様だ。<br />ナムックさんの話は続く。<br />今度は、「トルコのソフトドリンクでポピュラーなものは杏とぶとうのジュースです。今日の昼食時もそれが用意されていると思います。飲みたい人は注文して下さい。また、トルコ独自の飲物としてはヨーグルトのジュースがあります。皆さんヨーグルトは最初、どこで造られたか知っていますか?」と再び問題が出る。ここでもブルガリアなど各国の名前が出るが、「ヨーグルトはトルコが発祥地です。覚えておいて下さい。」と言う。<br />「トルコの国名は何から来ているか知っていますか?」と聞くが、間髪をいれずに回答を行う。<br />また、「これはチューリップから来ています。チューリップとは“トルコの花”と言う意味で、原産地はトルコです。これから土産物などで、このチューリップ柄のものを沢山見る事になると思います。」と教えてくれる。<br />更に続いて、「トルコ人は99%がイスラム教徒ですが、多くの人はお酒を飲みます。地元の麦酒もあります。有名な地元の麦酒としてはエフェス麦酒があります。これはこの旅行でも観光するエフェソス遺跡から名前を取っています。エフェソスをトルコ語で言うと“エフェス”になるのです。また、ライオンのミルクと言われる強いお酒もあります。“ラック”と言い、アルコール度が40%以上のものです。お酒の好きな方にはお勧めです。この様にトルコでは日本で言う地麦酒もありますし、お酒もあります。多くのトルコ人がこれを飲みます。」と言う。<br />すると誰かが、「イスラム教ではお酒はダメなのではないの!」と質問が飛ぶ。<br />すると、「確かにアラブの国々でのイスラム教徒はお酒も禁止され、口にしませんがトルコ人はそこまで信心深いイスラム教徒ではない人が多いのです。外国の方からは、“ソフトイスラム教徒”と言われています。現に私もその一人で、ガイドの仕事以外でモスクに行く事がありません。また、麦酒も飲みます。但し、豚肉などは口にしません。」と言う。<br />食に関しては、トルコではイスラム教の国ではあるが、あまり厳格ではない様だ。<br />「しかし、現在の首相はイスラムの戒律に厳しく、最近報道で海外の方も知っておられるデモなどは、それに反発する若者が集まり行っているものです。特に観光では大きなモスクなどを見学する際に女性の方の服装が前より厳しくなりました。また、その様な機会が来ましたら説明をします。」と続ける。<br />その様な話をしているとバスは町に入った。昼食場所であるゲリボルの町に到着した様である。<br />

    その峠の頂上付近を抜けると右手の奥に久しぶりに海が見えて来た。
    ここでナムックさんが、「みなさん!右手を見て下さい。海が見えますが、あれはエーゲ海です。暫らく、ここからエーゲ海が見えます。」と言う。見えて来た海はエーゲ海なのである。

    もうヨーロッパ側から延びるゲリボル半島の入口付近に到達した様である。
    ここから峠を下るとその途中で再び木々が無くなり、今度は右側に大きな草原地帯が現れる。
    見ると、その草原地帯には山羊や牛が放牧されている。この草原の中に道路が造られている。道を遮る様に河が流れ、それを避ける様に道が曲がる。
    ここでナムックさんが、「今からトルコの観光地図を配ります。」と言い、前から順番に手渡しで地図をくれる。それを配り終え、再びバスの一番前の座席に戻り、マイクで説明を始める。
    「皆さん、それでは渡した地図を開いて下さい。今はどの辺りに来ているか?判りますか?」と聞く。
    誰も答えないと、「今はマルマラ海とエーゲ海との間にあるダーダネルス海峡の入口部分に近づいています。エーゲ海に付き出す様な半島があるのが判りますか?それがゲリボル半島で、丁度その一番狭い場所を今、走っています。この半島の港町であるゲリボルで昼食を取り、その後そこからフェリーでアジア側のラプセキに渡ります。もう後30分くらいでゲリボルに到着します。」と教えてくれる。
    そして続けて、「ここで少しトルコについて勉強しましょう!トルコで最もポピュラーな飲物はチャイです。その中もエルマチャイが最も良く飲まれます。“エルマ”とはトルコ語で“りんご”の事で、所謂アップルティーです。それに砂糖をたっぷりと入れて飲みます。これを1日に10杯近く飲みます。その為にトルコ人は30歳を過ぎるとみんな太ります。私もそれで太っています。」と半分冗談っぽく説明をする。
    「また、トルコでも珈琲を飲みますが、普通の珈琲はトルコでは“ネスカフェ”と言います。それとは別にエスプレッソ風の珈琲の“トルコ珈琲”があります。このトルコ珈琲は砂糖を少なめで飲むのがお勧めです。また、この珈琲を飲んだ後に占いを行います。カップの中に残った珈琲の沈殿物で占いを行うのです。もし、この旅行期間に飲む機会がありましたら、私に言って下さい。私が占います。」とこれも冗談まじりに話しを続ける。
    また、「トルコ人はひまわりの種が大好きです。チャイと一緒に皮を剥いて食べます。ひまわりは多くの場合、小麦の収穫の間に栽培されます。ここで問題です。チャイの葉の生産量No.1の国はどこか知っていますか?」と質問が出る。みんなが各々可能性のある国を口々に答える。
    インド、スリランカ、トルコなどの答えが出ると、「正解は中国です。トルコは第5位です。」と話す。
    この様な話をしていると、左手にマルマラ海が見えて来た。先程、右手にエーゲ海が見えていたので、今まさに、ゲリボル半島の一番狭い入口付近を走っている様だ。
    ナムックさんの話は続く。
    今度は、「トルコのソフトドリンクでポピュラーなものは杏とぶとうのジュースです。今日の昼食時もそれが用意されていると思います。飲みたい人は注文して下さい。また、トルコ独自の飲物としてはヨーグルトのジュースがあります。皆さんヨーグルトは最初、どこで造られたか知っていますか?」と再び問題が出る。ここでもブルガリアなど各国の名前が出るが、「ヨーグルトはトルコが発祥地です。覚えておいて下さい。」と言う。
    「トルコの国名は何から来ているか知っていますか?」と聞くが、間髪をいれずに回答を行う。
    また、「これはチューリップから来ています。チューリップとは“トルコの花”と言う意味で、原産地はトルコです。これから土産物などで、このチューリップ柄のものを沢山見る事になると思います。」と教えてくれる。
    更に続いて、「トルコ人は99%がイスラム教徒ですが、多くの人はお酒を飲みます。地元の麦酒もあります。有名な地元の麦酒としてはエフェス麦酒があります。これはこの旅行でも観光するエフェソス遺跡から名前を取っています。エフェソスをトルコ語で言うと“エフェス”になるのです。また、ライオンのミルクと言われる強いお酒もあります。“ラック”と言い、アルコール度が40%以上のものです。お酒の好きな方にはお勧めです。この様にトルコでは日本で言う地麦酒もありますし、お酒もあります。多くのトルコ人がこれを飲みます。」と言う。
    すると誰かが、「イスラム教ではお酒はダメなのではないの!」と質問が飛ぶ。
    すると、「確かにアラブの国々でのイスラム教徒はお酒も禁止され、口にしませんがトルコ人はそこまで信心深いイスラム教徒ではない人が多いのです。外国の方からは、“ソフトイスラム教徒”と言われています。現に私もその一人で、ガイドの仕事以外でモスクに行く事がありません。また、麦酒も飲みます。但し、豚肉などは口にしません。」と言う。
    食に関しては、トルコではイスラム教の国ではあるが、あまり厳格ではない様だ。
    「しかし、現在の首相はイスラムの戒律に厳しく、最近報道で海外の方も知っておられるデモなどは、それに反発する若者が集まり行っているものです。特に観光では大きなモスクなどを見学する際に女性の方の服装が前より厳しくなりました。また、その様な機会が来ましたら説明をします。」と続ける。
    その様な話をしているとバスは町に入った。昼食場所であるゲリボルの町に到着した様である。

  • 「それでは皆さん、もう少しでフェリー埠頭に到着します。ここでバスを降りて頂き、バスはそのままフェリーに乗ります。我々は昼食を済ませた後にフェリーに乗り込みます。」と言い、説明を終える。<br />バスはフェリー埠頭前の広場に到着した。その広場の脇でバスが停車し、みんなでバスを降りる。<br />時刻は10時55分頃である。昼食時間には少し早い時間であるが、機内食を食べたのが6時前であるので、少しお腹が空いている。<br /> <br />バスを降り、フェリー埠頭前の広場を横切る。広場には屋台の店、屋台と言っても荷車の様なものが幾つか出ている。目に付くのはパンなどを売っている屋台である。<br />丁度、フェリー埠頭には今まさにフェリーが到着し、フェリーから車やバス、トラックなどが降りて来ている。

    「それでは皆さん、もう少しでフェリー埠頭に到着します。ここでバスを降りて頂き、バスはそのままフェリーに乗ります。我々は昼食を済ませた後にフェリーに乗り込みます。」と言い、説明を終える。
    バスはフェリー埠頭前の広場に到着した。その広場の脇でバスが停車し、みんなでバスを降りる。
    時刻は10時55分頃である。昼食時間には少し早い時間であるが、機内食を食べたのが6時前であるので、少しお腹が空いている。

    バスを降り、フェリー埠頭前の広場を横切る。広場には屋台の店、屋台と言っても荷車の様なものが幾つか出ている。目に付くのはパンなどを売っている屋台である。
    丁度、フェリー埠頭には今まさにフェリーが到着し、フェリーから車やバス、トラックなどが降りて来ている。

  • その車に注意しながら、その広場を横切り、フェリー埠頭の横に建つ建物に入る。<br />ここが、今日の昼食場所である。入口上の看板には“GELIBOLU BALIK RESTAURANT”と書かれている。<br />その店の奥の海上に付き出す形で造られたテラス席に案内される。<br /> <br />ここで、私は一人なので、このツアーに3人で参加されている人達と一緒に座る様に溝田さんから言われ、席に着く。<br />ここで初めて、この3人組のツアーの人と一緒になったが、この後、この3人組の人達とは殆ど食事を共にする事になる。<br />この方達は広島県尾道市の百島から来られた人達で、親戚でもなく、気の合う仲間との事であった。<br />

    その車に注意しながら、その広場を横切り、フェリー埠頭の横に建つ建物に入る。
    ここが、今日の昼食場所である。入口上の看板には“GELIBOLU BALIK RESTAURANT”と書かれている。
    その店の奥の海上に付き出す形で造られたテラス席に案内される。

    ここで、私は一人なので、このツアーに3人で参加されている人達と一緒に座る様に溝田さんから言われ、席に着く。
    ここで初めて、この3人組のツアーの人と一緒になったが、この後、この3人組の人達とは殆ど食事を共にする事になる。
    この方達は広島県尾道市の百島から来られた人達で、親戚でもなく、気の合う仲間との事であった。

  • 海に付き出すテラス席であるので、少し涼しい感じがする。<br />先程までのバスの中が少し暑かったので、心地良い。<br />テラス近くの海面には海鳥がかなりの数飛んでいる。良く見るとカモメに見えるが、日本のカモメに比べると大型である。本当にカモメなのかは判らない。<br />

    海に付き出すテラス席であるので、少し涼しい感じがする。
    先程までのバスの中が少し暑かったので、心地良い。
    テラス近くの海面には海鳥がかなりの数飛んでいる。良く見るとカモメに見えるが、日本のカモメに比べると大型である。本当にカモメなのかは判らない。

  • ここで、旅行でお決まりの食事前の飲物の注文聴取が行われる。<br />先程のバスの中でも紹介があった飲物、エフェス麦酒やラック、杏およびぶどうジュース、それに加え、チェリージュースなどもあると言う。それに水(ミネラル水)である。<br /> <br />それぞれの価格を溝田さんが説明した後、個々に注文を聞いて回る。それに合わせ、店の人がワゴンから注文された飲物を取り出し、テーブルに置く。私は杏ジュースを注文する。<br />そして、一つ目の料理とパンがテーブルに並べられる。<br />以下出て来た料理は次の様な内容である。<br /><ゲリボル港(GELIBOLU BALIK RESTAURANT)の昼食><br /> ①レンズ豆のスープ<br /> ②トルコ風ハンバーグ(ウズガラ・キョフテ)<br /> ③ポテトフライ/松の実入りライス(サーデ・ピラウ)/野菜サラダ<br /> ④トゥルンバ(ドーナツ風のものを蜜に漬けたもの)<br /> ⑤パン<br /> ⑥杏ジュース<br />  <br /> <br />最初のレンズ豆のスープはトルコでは定番のスープなのだそうだ。すり潰されているのか、豆の形状は判らない。少し甘みのあるあっさりとしたスープである。<br />また、頼んだ杏ジュースがまた濃厚なジュースで日本の不二家の一昔前のネクターの様な飲物である。美味しいが、喉に絡みつく様な甘さがある。<br />

    ここで、旅行でお決まりの食事前の飲物の注文聴取が行われる。
    先程のバスの中でも紹介があった飲物、エフェス麦酒やラック、杏およびぶどうジュース、それに加え、チェリージュースなどもあると言う。それに水(ミネラル水)である。

    それぞれの価格を溝田さんが説明した後、個々に注文を聞いて回る。それに合わせ、店の人がワゴンから注文された飲物を取り出し、テーブルに置く。私は杏ジュースを注文する。
    そして、一つ目の料理とパンがテーブルに並べられる。
    以下出て来た料理は次の様な内容である。
    <ゲリボル港(GELIBOLU BALIK RESTAURANT)の昼食>
     ①レンズ豆のスープ
     ②トルコ風ハンバーグ(ウズガラ・キョフテ)
     ③ポテトフライ/松の実入りライス(サーデ・ピラウ)/野菜サラダ
     ④トゥルンバ(ドーナツ風のものを蜜に漬けたもの)
     ⑤パン
     ⑥杏ジュース


    最初のレンズ豆のスープはトルコでは定番のスープなのだそうだ。すり潰されているのか、豆の形状は判らない。少し甘みのあるあっさりとしたスープである。
    また、頼んだ杏ジュースがまた濃厚なジュースで日本の不二家の一昔前のネクターの様な飲物である。美味しいが、喉に絡みつく様な甘さがある。

  • トルコ風ハンバーグは挽肉を独特の香辛料で味付けされたもので、少しパサパサした食感である。<br />味はお世辞にも美味しいと言うものでは無かった。その付け合わせに少しタイ米風のお米と何やら小さな木の実の様なものが一緒に混ぜられている。ナムックさんに聞くと、松の実だと言う。サーデ・ピラウと言い、これもトルコでは定番のものである。<br />それに同じく付け合わせでポテトフライと野菜サラダ(生野菜とトマト)が皿に盛られ、出された。<br />その料理と一緒に食べるのがパンである。<br />イスタンブールまでのトルコ航空機内で食べたパンが非常に美味しかったので、ここでのパンの味にも期待したが、ここのパンは然程美味しいパンでは無かった。<br />また、バターなどもなく、非常に味気ない。おかわり自由とは聞いていたが、結局、誰も追加でパンを要求する人はいなかった。<br />トルコ料理は世界三大料理に挙げられる程の料理と聞いていたので少し期待外れである。<br />そして、最後にデザートとして、“トゥルンバ”と言うお菓子が出て来た。<br />これも比較的トルコでは定番のお菓子の様である。見た目はドーナツの一部を切り、蜂を浸み込ませた感じのお菓子である。見た目も非常に甘そうだが、食べると、予想以上に甘く、それを食べた後に先程まで非常に甘いと感じていた杏ジュースを飲むとその甘さが判らない程である。<br />あまりの甘さに半分くらいで食べるのを止める。<br />甘い物は非常に好きであるが、甘過ぎる。<br />あとは個々にテーブルで話をしたり、食事を終えた人がテラスから海を眺めたりしている。<br />

    トルコ風ハンバーグは挽肉を独特の香辛料で味付けされたもので、少しパサパサした食感である。
    味はお世辞にも美味しいと言うものでは無かった。その付け合わせに少しタイ米風のお米と何やら小さな木の実の様なものが一緒に混ぜられている。ナムックさんに聞くと、松の実だと言う。サーデ・ピラウと言い、これもトルコでは定番のものである。
    それに同じく付け合わせでポテトフライと野菜サラダ(生野菜とトマト)が皿に盛られ、出された。
    その料理と一緒に食べるのがパンである。
    イスタンブールまでのトルコ航空機内で食べたパンが非常に美味しかったので、ここでのパンの味にも期待したが、ここのパンは然程美味しいパンでは無かった。
    また、バターなどもなく、非常に味気ない。おかわり自由とは聞いていたが、結局、誰も追加でパンを要求する人はいなかった。
    トルコ料理は世界三大料理に挙げられる程の料理と聞いていたので少し期待外れである。
    そして、最後にデザートとして、“トゥルンバ”と言うお菓子が出て来た。
    これも比較的トルコでは定番のお菓子の様である。見た目はドーナツの一部を切り、蜂を浸み込ませた感じのお菓子である。見た目も非常に甘そうだが、食べると、予想以上に甘く、それを食べた後に先程まで非常に甘いと感じていた杏ジュースを飲むとその甘さが判らない程である。
    あまりの甘さに半分くらいで食べるのを止める。
    甘い物は非常に好きであるが、甘過ぎる。
    あとは個々にテーブルで話をしたり、食事を終えた人がテラスから海を眺めたりしている。

  • そこに溝田さんが現れ、「11時50分前にフェリー乗り場の入口に集合して下さい。それまでは自由行動とします。」と言う。時刻は11時40分前である。<br />私も早々に食事を終え、テラスなどからダーダネルス海峡方面の写真やゲリボルの町の写真を撮る。気になったのは、ゲリボルの港付近に大きな砦の様な石組の建造物が建っている事である。<br /> <br />ここで、ゲリボルの町について少し記載する。<br />ゲリボルは、トルコのマルマラ地方のチャナッカレ県に位置する町であり、西からエーゲ海、東からダーダネルス海峡に挟まれたゲリボル半島上にある。<br />ゲリボルの名前の由来はギリシャ語の“カリポリス”であり、“美しい町”という意味である。<br />オスマントルコ帝国は、ドイツの援助でこのゲリボル半島に要塞を連ねたと言う。その一部が今も残っているのである。後でナムックさんに聞くと、町自体が城壁で囲まれているそうだ。<br />写真を撮り終え、トイレを済ませ、レストランを出る。ここのトイレは有料ではない。<br />

    そこに溝田さんが現れ、「11時50分前にフェリー乗り場の入口に集合して下さい。それまでは自由行動とします。」と言う。時刻は11時40分前である。
    私も早々に食事を終え、テラスなどからダーダネルス海峡方面の写真やゲリボルの町の写真を撮る。気になったのは、ゲリボルの港付近に大きな砦の様な石組の建造物が建っている事である。

    ここで、ゲリボルの町について少し記載する。
    ゲリボルは、トルコのマルマラ地方のチャナッカレ県に位置する町であり、西からエーゲ海、東からダーダネルス海峡に挟まれたゲリボル半島上にある。
    ゲリボルの名前の由来はギリシャ語の“カリポリス”であり、“美しい町”という意味である。
    オスマントルコ帝国は、ドイツの援助でこのゲリボル半島に要塞を連ねたと言う。その一部が今も残っているのである。後でナムックさんに聞くと、町自体が城壁で囲まれているそうだ。
    写真を撮り終え、トイレを済ませ、レストランを出る。ここのトイレは有料ではない。

  • 丁度、レストラン前で同じツアー客の数人が屋台のおじさんに捕まっている。<br />何を売っているのかと見れば、ピスタチオである。荷車の様な屋台の上に山に様にピスタチオが積まれている。それを売っているのである。量り売りなのか?<br />先程食事を一緒に行った尾道から来られたおばさんが買おうとしている。<br />紙袋の様なものに一杯入ったものを受け取っている。幾らなのであろうか?聞くと、6トルコリラであると言う。約300円である。<br />日本で買うと300円程度ならどのくらいあるのかは判らないが、安いのであろうか?<br />そのおばさんが少し分けてくれた。食べると美味しさは日本で食べるものと同じである。美味しい!<br />

    丁度、レストラン前で同じツアー客の数人が屋台のおじさんに捕まっている。
    何を売っているのかと見れば、ピスタチオである。荷車の様な屋台の上に山に様にピスタチオが積まれている。それを売っているのである。量り売りなのか?
    先程食事を一緒に行った尾道から来られたおばさんが買おうとしている。
    紙袋の様なものに一杯入ったものを受け取っている。幾らなのであろうか?聞くと、6トルコリラであると言う。約300円である。
    日本で買うと300円程度ならどのくらいあるのかは判らないが、安いのであろうか?
    そのおばさんが少し分けてくれた。食べると美味しさは日本で食べるものと同じである。美味しい!

  • <ダーダネルス海峡横断フェリー内で><br />その後、このレストラン前で添乗員の溝田さんとナムックさんの写真を撮らせて貰い、フェリーに乗り込む。既に我々のバスはフェリーの先頭部分に乗っている。<br />フェリーの1階部分は車収納階、2階は屋外デッキのみ、3階部分が屋外デッキと屋内客席がある。<br />ツアー客全員が乗り込んだ事を確認し、溝田さんとナムックさんが乗り込んで来た。時刻は11時50分である。予定通りである。我々が乗り込むと程なく、フェリーは桟橋から離れ始める。<br /> <br />離れる直前まで3階部分のデッキから桟橋方面を見ていると丁度、眼下の桟橋で2人の少年が大きな釣竿を持ち、桟橋から釣りをしている。<br /> <br />何が釣れるのかと暫らく見ているとその内の一人の釣竿に当たりがあった様で必死にリールを巻いている。そして、何やらハゼの様な魚がその先にぶら下がっていた。<br />その様子を見ていると、フェリーが動き出したのである。<br />暫らくデッキからダーダネルス海峡の対岸側を見ていた。この海峡の最も狭いところでどのくらいの距離があるのであろうか?ナムックさんによると、この海峡にも橋を架ける計画はあると言う。<br />

    <ダーダネルス海峡横断フェリー内で>
    その後、このレストラン前で添乗員の溝田さんとナムックさんの写真を撮らせて貰い、フェリーに乗り込む。既に我々のバスはフェリーの先頭部分に乗っている。
    フェリーの1階部分は車収納階、2階は屋外デッキのみ、3階部分が屋外デッキと屋内客席がある。
    ツアー客全員が乗り込んだ事を確認し、溝田さんとナムックさんが乗り込んで来た。時刻は11時50分である。予定通りである。我々が乗り込むと程なく、フェリーは桟橋から離れ始める。

    離れる直前まで3階部分のデッキから桟橋方面を見ていると丁度、眼下の桟橋で2人の少年が大きな釣竿を持ち、桟橋から釣りをしている。

    何が釣れるのかと暫らく見ているとその内の一人の釣竿に当たりがあった様で必死にリールを巻いている。そして、何やらハゼの様な魚がその先にぶら下がっていた。
    その様子を見ていると、フェリーが動き出したのである。
    暫らくデッキからダーダネルス海峡の対岸側を見ていた。この海峡の最も狭いところでどのくらいの距離があるのであろうか?ナムックさんによると、この海峡にも橋を架ける計画はあると言う。

  • 先程貰った地図で確認するとここからまだかなり南の部分で半島とアジア側の大陸との間が狭くなっている。その辺りに橋を架ける計画があるのであろうか?<br />フェリーは、順調にダーダネルス海峡を横断している。対岸に直接向かうのではなく、斜めに航行している。アジア側の港であるラプセキがゲリボルの南東に位置する為である。<br />

    先程貰った地図で確認するとここからまだかなり南の部分で半島とアジア側の大陸との間が狭くなっている。その辺りに橋を架ける計画があるのであろうか?
    フェリーは、順調にダーダネルス海峡を横断している。対岸に直接向かうのではなく、斜めに航行している。アジア側の港であるラプセキがゲリボルの南東に位置する為である。

  • 10分程して屋内に入る。すると先程の尾道からの人達が席でチャイを飲んでいる。<br />聞くと、席の近くにある売店で購入出来るそうだ。価格は0.75トルコリラであると言う。私も購入し、飲む事にした。<br />早速売店に向かい、注文する。<br />すると独特の形状のグラスに給湯器の様な機械から紅茶が出、グラスに半分程入れ、別の口からお湯を注ぎ薄めている。それをそのグラス専用の小さな皿に乗せ、渡される。お金を支払い、カウンターにある角砂糖を取り、尾道の3人組の座る席に合流し、一緒にチャイを楽しんだ。<br /> <br />そのチャイを飲みながら、今回の旅行について話をしていると、土産物を売るおじさんが我々に席に来て、金属製のキーホルダーを盛んに勧める。<br />特に3人組の一人のおばさんをターゲットにして、土産物を勧めている。<br />そのおばさんも買うつもりはあまり無い様子であるが、それでもその売り込みに付き合い、幾らなのかを聞いている。すると5個で10トルコリラだと言う。1個100円程度である。高くもないので、私も手に取り、そのキーホルダーを見ていると、私に対しても売り込みを始めた。<br />尾道のおばさんも物を見て、まんざらでもない様で、購入する事を考えている様で、幾つか種類のあるキーホルダーを見始めている。<br />そして、幾つかの種類を合わせて5個選び、10トルコリラを出した。私もこれから訪れるトロイ遺跡のものと思われる木馬をモチーフにし、トルコ石色の目玉の様なものが付いたものと、トルコ国旗のマークの付いたものを合わせて5個購入する事にし、10トルコリラを支払う。<br />更に調子に乗った物売りのおじさんは他の物も勧めるがそれは買わない旨を身振り手振りで示すと諦めて席から離れた。<br />改めて商品を見ると、決して悪いものではない。寧ろ、観光地で買うよりも安く買えたのではないかと思った。<br />

    10分程して屋内に入る。すると先程の尾道からの人達が席でチャイを飲んでいる。
    聞くと、席の近くにある売店で購入出来るそうだ。価格は0.75トルコリラであると言う。私も購入し、飲む事にした。
    早速売店に向かい、注文する。
    すると独特の形状のグラスに給湯器の様な機械から紅茶が出、グラスに半分程入れ、別の口からお湯を注ぎ薄めている。それをそのグラス専用の小さな皿に乗せ、渡される。お金を支払い、カウンターにある角砂糖を取り、尾道の3人組の座る席に合流し、一緒にチャイを楽しんだ。

    そのチャイを飲みながら、今回の旅行について話をしていると、土産物を売るおじさんが我々に席に来て、金属製のキーホルダーを盛んに勧める。
    特に3人組の一人のおばさんをターゲットにして、土産物を勧めている。
    そのおばさんも買うつもりはあまり無い様子であるが、それでもその売り込みに付き合い、幾らなのかを聞いている。すると5個で10トルコリラだと言う。1個100円程度である。高くもないので、私も手に取り、そのキーホルダーを見ていると、私に対しても売り込みを始めた。
    尾道のおばさんも物を見て、まんざらでもない様で、購入する事を考えている様で、幾つか種類のあるキーホルダーを見始めている。
    そして、幾つかの種類を合わせて5個選び、10トルコリラを出した。私もこれから訪れるトロイ遺跡のものと思われる木馬をモチーフにし、トルコ石色の目玉の様なものが付いたものと、トルコ国旗のマークの付いたものを合わせて5個購入する事にし、10トルコリラを支払う。
    更に調子に乗った物売りのおじさんは他の物も勧めるがそれは買わない旨を身振り手振りで示すと諦めて席から離れた。
    改めて商品を見ると、決して悪いものではない。寧ろ、観光地で買うよりも安く買えたのではないかと思った。

  • 席でチャイを飲み終えた頃に溝田さんが現れ、もう直ぐラプセキの港に到着するので、バスに乗り込む様に言われる。<br /> <br />そこでデッキに出ると、前方に港が見え、その港に着岸しようとフェリーが減速し、ゆっくりと進んでいる。我々も急いで、1階におり、フェリーの先頭に停車されたバスに乗り込む。<br />時刻は12時30分前である。ほぼ30分で対岸の港町であるラプセキに到着した。<br />

    席でチャイを飲み終えた頃に溝田さんが現れ、もう直ぐラプセキの港に到着するので、バスに乗り込む様に言われる。

    そこでデッキに出ると、前方に港が見え、その港に着岸しようとフェリーが減速し、ゆっくりと進んでいる。我々も急いで、1階におり、フェリーの先頭に停車されたバスに乗り込む。
    時刻は12時30分前である。ほぼ30分で対岸の港町であるラプセキに到着した。

  • <トロイ遺跡への道程><br />フェリーの先端部が桟橋に着くと、バスは我々を乗せたままフェリーを降り、ラプセキの町を走る。<br />ここで再びナムックさんが話始まる。<br />「はい、トルコのアジア側に入りました。先程渡って来た海峡がダーダネルス海峡です。トルコではチャナッカレ海峡と言われています。マルマラ海とエーゲ海を結ぶ海峡で、ボスポラス海峡と共にヨーロッパとアジアの境界となっています。<br />ダーダネルスの語源は古代ギリシャ神話の伝説の王ダルダノスと言われ、海峡のアジア沿岸地帯がダルダニアと呼ばれた事によると言われています。<br />ビザンツ時代のギリシャ語でダルダネリスと転じ、更にそれを英語に訳されて、“ダーダネルス”となりました。また、それ以前はヘレスポントゥスと呼ばれ、古代ギリシャ語で、ギリシャ自身の名称“ヘラス”と海の“ポントゥス”から”ヘラスの海”が語源です。海峡の長さは約65kmです。<br />この海峡は昔から軍事的な要衝でもありました。特にこの海峡で起こった有名な戦争が3つあります。<br />その一つがこれから向かう遺跡のあるトロイ戦争、そしてもうひとつがチャナッカレ戦争(第一次世界大戦)です。チャナッカレ戦争は当時のオスマントルコ帝国とハンガリー公国(連合軍)との戦争です。<br />そして最後がトルコ独立戦争です。」と長々とした説明を行ってくれる。<br />その説明の間に既にラプセキの町を抜け、バスは再び変化のない小麦畑やひまわり畑などが拡がる場所に出る。所々で木々の畑が見える。<br />聞くと、イチジクやザクロの畑だと言う。<br />確かに畑の木々には赤い実がなっている。また、オリーブの木々も見え始めた。既にフェリーを降りてから20分以上が経過している。<br />

    <トロイ遺跡への道程>
    フェリーの先端部が桟橋に着くと、バスは我々を乗せたままフェリーを降り、ラプセキの町を走る。
    ここで再びナムックさんが話始まる。
    「はい、トルコのアジア側に入りました。先程渡って来た海峡がダーダネルス海峡です。トルコではチャナッカレ海峡と言われています。マルマラ海とエーゲ海を結ぶ海峡で、ボスポラス海峡と共にヨーロッパとアジアの境界となっています。
    ダーダネルスの語源は古代ギリシャ神話の伝説の王ダルダノスと言われ、海峡のアジア沿岸地帯がダルダニアと呼ばれた事によると言われています。
    ビザンツ時代のギリシャ語でダルダネリスと転じ、更にそれを英語に訳されて、“ダーダネルス”となりました。また、それ以前はヘレスポントゥスと呼ばれ、古代ギリシャ語で、ギリシャ自身の名称“ヘラス”と海の“ポントゥス”から”ヘラスの海”が語源です。海峡の長さは約65kmです。
    この海峡は昔から軍事的な要衝でもありました。特にこの海峡で起こった有名な戦争が3つあります。
    その一つがこれから向かう遺跡のあるトロイ戦争、そしてもうひとつがチャナッカレ戦争(第一次世界大戦)です。チャナッカレ戦争は当時のオスマントルコ帝国とハンガリー公国(連合軍)との戦争です。
    そして最後がトルコ独立戦争です。」と長々とした説明を行ってくれる。
    その説明の間に既にラプセキの町を抜け、バスは再び変化のない小麦畑やひまわり畑などが拡がる場所に出る。所々で木々の畑が見える。
    聞くと、イチジクやザクロの畑だと言う。
    確かに畑の木々には赤い実がなっている。また、オリーブの木々も見え始めた。既にフェリーを降りてから20分以上が経過している。

  • フェリーを降りてから丘陵の上を走っているので、ずっと右手にはダーダネルス海峡が見えている。<br />ナムックさんが、「皆さん、先程のフェリー内でチャイを飲んでいた方もいましたが、トルコではチャイ(紅茶)だけではなく、勿論、珈琲もあります。」と話し始まる。<br />更に、「皆さん、トルコ珈琲を知っていますか?先程も少し説明しましたが、トルコでは日本の様な珈琲は“ネスカフェ”と言い、トルコ珈琲とは区別しています。トルコ珈琲とは珈琲の入れ方の一つで、水から煮立てて、入れた珈琲の上澄みだけを飲みます。ジェズヴェと言う柄杓型の珈琲用の鍋で煮立て、カップに注ぎます。そして、珈琲の粉が沈むのを待って、その上澄みだけを飲みます。ここからがトルコ珈琲のお楽しみで、飲み終えたカップの底に残った粉を皿にひっくり返し、その後カップの底に残った粉の状態で飲んだ人の運勢を占うのです。私は簡単な占いしか判りませんが、その専門家もトルコにはいます」と教えてくれる。<br /> <br />ここで溝田さんがナムックさんからマイクを奪い、「ここでこれからの観光で使用する音声ガイドを配り、テストをします。」と言い、一人一人に小さなイヤホン付きの箱型のものを配る。<br />そして、「皆さん、それでは用意下さい。用意出来た方からイヤホンを付け、上のボタンを5秒程押し続けて下さい。私の声が聞こえますか?聞こえる人は問題ありません。聞こえない人は言って下さい。」と言う。みんな問題ない様で誰も聞こえないと言う人はいない。<br />この間にバスは、町に入った。チャナッカレの町の様だ。<br />そして、その町を過ぎると、今度は前方に風車群が見えて来た。この辺りも風力発電が多い様である。もうトロイ遺跡は近い様である。時刻が13時を過ぎた。<br />周辺にはオリーブ畑が増えて来た。すると大きな道路から外れ、小路に入る。<br />もうトロイ遺跡の入口付近である。道は野原の中の一本道で、先程に比べかなり道幅が狭く、対向車が来ると交すのにバスが減速する。<br />

    フェリーを降りてから丘陵の上を走っているので、ずっと右手にはダーダネルス海峡が見えている。
    ナムックさんが、「皆さん、先程のフェリー内でチャイを飲んでいた方もいましたが、トルコではチャイ(紅茶)だけではなく、勿論、珈琲もあります。」と話し始まる。
    更に、「皆さん、トルコ珈琲を知っていますか?先程も少し説明しましたが、トルコでは日本の様な珈琲は“ネスカフェ”と言い、トルコ珈琲とは区別しています。トルコ珈琲とは珈琲の入れ方の一つで、水から煮立てて、入れた珈琲の上澄みだけを飲みます。ジェズヴェと言う柄杓型の珈琲用の鍋で煮立て、カップに注ぎます。そして、珈琲の粉が沈むのを待って、その上澄みだけを飲みます。ここからがトルコ珈琲のお楽しみで、飲み終えたカップの底に残った粉を皿にひっくり返し、その後カップの底に残った粉の状態で飲んだ人の運勢を占うのです。私は簡単な占いしか判りませんが、その専門家もトルコにはいます」と教えてくれる。

    ここで溝田さんがナムックさんからマイクを奪い、「ここでこれからの観光で使用する音声ガイドを配り、テストをします。」と言い、一人一人に小さなイヤホン付きの箱型のものを配る。
    そして、「皆さん、それでは用意下さい。用意出来た方からイヤホンを付け、上のボタンを5秒程押し続けて下さい。私の声が聞こえますか?聞こえる人は問題ありません。聞こえない人は言って下さい。」と言う。みんな問題ない様で誰も聞こえないと言う人はいない。
    この間にバスは、町に入った。チャナッカレの町の様だ。
    そして、その町を過ぎると、今度は前方に風車群が見えて来た。この辺りも風力発電が多い様である。もうトロイ遺跡は近い様である。時刻が13時を過ぎた。
    周辺にはオリーブ畑が増えて来た。すると大きな道路から外れ、小路に入る。
    もうトロイ遺跡の入口付近である。道は野原の中の一本道で、先程に比べかなり道幅が狭く、対向車が来ると交すのにバスが減速する。

  • そして、この道を20分程走るとトロイ遺跡の入口に到着した。そこにはゲートがあり、その脇に事務所が建っている。そのゲート前でバスが停車し、ナムックさんが降りて、手続きをする様である。<br />暫らくするとナムックさんと一緒に事務所の人がバスに乗り込んで来て、バスに乗っている人数を確認している。<br /> <br />確認を終えると、バスから降り、バスはゲートを抜け、駐車場に到着した。<br />溝田さんが、「それではこれからトロイ遺跡の見学を行います。皆さん、ここで先程テストを行った音声ガイドを使用しますので、携帯下さい。そして、先にトイレに行きたい方はバスの正面に見える奥の建屋にトイレがありますので済ませ、木馬の手前の木々の木陰に集合下さい。」と言う。そしてみんなでバスを降り、トロイの木馬のある手前にある木陰前に進む。<br />

    そして、この道を20分程走るとトロイ遺跡の入口に到着した。そこにはゲートがあり、その脇に事務所が建っている。そのゲート前でバスが停車し、ナムックさんが降りて、手続きをする様である。
    暫らくするとナムックさんと一緒に事務所の人がバスに乗り込んで来て、バスに乗っている人数を確認している。

    確認を終えると、バスから降り、バスはゲートを抜け、駐車場に到着した。
    溝田さんが、「それではこれからトロイ遺跡の見学を行います。皆さん、ここで先程テストを行った音声ガイドを使用しますので、携帯下さい。そして、先にトイレに行きたい方はバスの正面に見える奥の建屋にトイレがありますので済ませ、木馬の手前の木々の木陰に集合下さい。」と言う。そしてみんなでバスを降り、トロイの木馬のある手前にある木陰前に進む。

  • <トロイ遺跡見学><br />私を含め、殆どの人がトイレには行かずにナムックさんに付いて木陰に移動する。そこで暫らく全員が揃うのを待つ。そして、全員が揃うとナムックさんが話始める。<br />「このトロイ遺跡について、これから説明をします。まず、このトロイは誰が発見したか皆さん知っていますか?」と質問される。誰も答えないので、私が、「ハインリッヒ・シュリーマン!」と答えると私の方を向き、「良く勉強されていますね?そうです。シュリーマンです。シュリーマンは晩年トロイ遺跡を探す為に各地の発掘を行い、最終的にこの地を発掘し、現在の遺跡を発見しました。その際に多くの発掘品が出てきました。その中には黄金製品も多くあり、この発掘品は“プリアモスの財宝”と呼ばれました。しかし、その発掘された財宝はシュリーマンが私物化した為に現在はトルコにはありません。それでは今、このトロイ遺跡で発掘された“プリアモスの財宝”はどこにあるかご存じですか?」と質問を続ける。<br />これも誰も答えないので、「ロシアです。」とまた私が答えるとナムックさんは驚いた様な顔をして、「良く勉強されている様なので、あなたは最後に答えて下さい。」と怒られる。<br />そして、「そうです。ロシアのプーシキン記念美術館に所蔵されています。シュリーマンが持ち去った発掘品はドイツ人であった為にトルコから違法にドイツに持ち帰られ、第二次世界大戦時にナチスに没収保管されていましたが、終戦時に行方不明になっていましたが、ロシアがプーシキン記念美術館に所蔵している事を発表しました。その為に現在トルコが買い戻す事をがんばってやっていますが、発掘品の一部は、まだロシアにあります。」と話す。<br />そして、「このトロイ遺跡はシュリーマンの発掘後も多くの考古学者により発掘が継続され、現在は紀元前3000年頃の初期の町から全部で9層の都市遺跡が確認されています。それではトロイ遺跡を見ながら、続きの説明をします。」と言い、歩き始める。<br />私がシュリーマンやトロイについて良く知っているのは旅行の為に事前に勉強をした訳ではなく、高校の時にシュリーマンの自叙伝「古代への情熱」と言う本を読んだ為である。<br />その際のシュリーマンの生き様が鮮明に頭に残っているのだ。<br />シュリーマンは非常に努力家で、また語学に長けた人である。特に語学については18カ国語が話せたと言う。1つの言語を約6週間の勉強でマスターをしたとの事で、特に当時商人であったシュリーマンには必要不可欠な事であったのかも知れない。<br />しかし、この様に何事にも集中して取り組み事がこのトロイ遺跡の発掘に繋がったのである。遺跡発掘はシュリーマンの幼少時からの夢で、その発掘は商人として大富豪になった晩年に行われている。<br />これを見ると、シュリーマンはトロイ遺跡発掘の為に巨万の富を稼いだのである。<br />トロイの大きな木馬のある広場を右手に見ながら、メイン通りを進む。<br />すると、その両側に既に無造作に古代都市の遺跡類が煩雑に横たわる。一部は発掘が行われている様で柵が設けられている。<br />

    <トロイ遺跡見学>
    私を含め、殆どの人がトイレには行かずにナムックさんに付いて木陰に移動する。そこで暫らく全員が揃うのを待つ。そして、全員が揃うとナムックさんが話始める。
    「このトロイ遺跡について、これから説明をします。まず、このトロイは誰が発見したか皆さん知っていますか?」と質問される。誰も答えないので、私が、「ハインリッヒ・シュリーマン!」と答えると私の方を向き、「良く勉強されていますね?そうです。シュリーマンです。シュリーマンは晩年トロイ遺跡を探す為に各地の発掘を行い、最終的にこの地を発掘し、現在の遺跡を発見しました。その際に多くの発掘品が出てきました。その中には黄金製品も多くあり、この発掘品は“プリアモスの財宝”と呼ばれました。しかし、その発掘された財宝はシュリーマンが私物化した為に現在はトルコにはありません。それでは今、このトロイ遺跡で発掘された“プリアモスの財宝”はどこにあるかご存じですか?」と質問を続ける。
    これも誰も答えないので、「ロシアです。」とまた私が答えるとナムックさんは驚いた様な顔をして、「良く勉強されている様なので、あなたは最後に答えて下さい。」と怒られる。
    そして、「そうです。ロシアのプーシキン記念美術館に所蔵されています。シュリーマンが持ち去った発掘品はドイツ人であった為にトルコから違法にドイツに持ち帰られ、第二次世界大戦時にナチスに没収保管されていましたが、終戦時に行方不明になっていましたが、ロシアがプーシキン記念美術館に所蔵している事を発表しました。その為に現在トルコが買い戻す事をがんばってやっていますが、発掘品の一部は、まだロシアにあります。」と話す。
    そして、「このトロイ遺跡はシュリーマンの発掘後も多くの考古学者により発掘が継続され、現在は紀元前3000年頃の初期の町から全部で9層の都市遺跡が確認されています。それではトロイ遺跡を見ながら、続きの説明をします。」と言い、歩き始める。
    私がシュリーマンやトロイについて良く知っているのは旅行の為に事前に勉強をした訳ではなく、高校の時にシュリーマンの自叙伝「古代への情熱」と言う本を読んだ為である。
    その際のシュリーマンの生き様が鮮明に頭に残っているのだ。
    シュリーマンは非常に努力家で、また語学に長けた人である。特に語学については18カ国語が話せたと言う。1つの言語を約6週間の勉強でマスターをしたとの事で、特に当時商人であったシュリーマンには必要不可欠な事であったのかも知れない。
    しかし、この様に何事にも集中して取り組み事がこのトロイ遺跡の発掘に繋がったのである。遺跡発掘はシュリーマンの幼少時からの夢で、その発掘は商人として大富豪になった晩年に行われている。
    これを見ると、シュリーマンはトロイ遺跡発掘の為に巨万の富を稼いだのである。
    トロイの大きな木馬のある広場を右手に見ながら、メイン通りを進む。
    すると、その両側に既に無造作に古代都市の遺跡類が煩雑に横たわる。一部は発掘が行われている様で柵が設けられている。

  • その脇を抜け、進むと、前方に遺跡群が見えて来た。その入口付近でまたナムックさんが立ち止り、説明を始める。<br />「シュリーマンはこのチャナッカレの郊外にある、このヒッサリクの丘に目を付け、発掘を始めました。この発掘の発端になったのは、ギリシャのホメロスの書いたイリアスが元になっています。その中の都市“イリオス”と言われている都市がこの遺跡です。このイリアスとはどの様なものかご存じですか?」とまた質問をみんなにする。こんなマニアックな事は勉強しないと判らない事である。誰も答えないのを確認して、ナムックさんが私の方を見て、「それでは良く勉強されている人、どうですか?」と言う。<br />私が、「ギリシャ神話の叙事詩です。」と答えると、「そうです。神話のお話です。それを元にシュリーマンはここを発掘しました。しかし、シュリーマンは専門の考古学者では無かったので、やみくもに発掘を行った為に一部遺跡を破壊しています。現在の遺跡はその後、ドイツなどの考古学者が専門的発掘を行い、保存したものが原型になっています。現在もまだ全般的発掘は終了していませんが、その保存にトルコも注力しています。」と話す。そして、前方に見えている遺跡の説明を始める。「この前に見えているのは東の塔とそれに続く城壁、城門跡です。これは第6都市の遺跡です。現在、イリアスに描かれたトロイ戦争の都市は第7都市と考えられていますので、そのひとつ前の時代の遺跡ですが、第7都市の遺跡は殆ど残っていませんので、当時の城壁、城門はこの様なものであったと考えられています。」と話し、その城壁沿いの見学路を歩き始める。この東の城壁、城門跡の石垣などは保存状態も良く、近づくとかなりの高さを有する。<br />

    その脇を抜け、進むと、前方に遺跡群が見えて来た。その入口付近でまたナムックさんが立ち止り、説明を始める。
    「シュリーマンはこのチャナッカレの郊外にある、このヒッサリクの丘に目を付け、発掘を始めました。この発掘の発端になったのは、ギリシャのホメロスの書いたイリアスが元になっています。その中の都市“イリオス”と言われている都市がこの遺跡です。このイリアスとはどの様なものかご存じですか?」とまた質問をみんなにする。こんなマニアックな事は勉強しないと判らない事である。誰も答えないのを確認して、ナムックさんが私の方を見て、「それでは良く勉強されている人、どうですか?」と言う。
    私が、「ギリシャ神話の叙事詩です。」と答えると、「そうです。神話のお話です。それを元にシュリーマンはここを発掘しました。しかし、シュリーマンは専門の考古学者では無かったので、やみくもに発掘を行った為に一部遺跡を破壊しています。現在の遺跡はその後、ドイツなどの考古学者が専門的発掘を行い、保存したものが原型になっています。現在もまだ全般的発掘は終了していませんが、その保存にトルコも注力しています。」と話す。そして、前方に見えている遺跡の説明を始める。「この前に見えているのは東の塔とそれに続く城壁、城門跡です。これは第6都市の遺跡です。現在、イリアスに描かれたトロイ戦争の都市は第7都市と考えられていますので、そのひとつ前の時代の遺跡ですが、第7都市の遺跡は殆ど残っていませんので、当時の城壁、城門はこの様なものであったと考えられています。」と話し、その城壁沿いの見学路を歩き始める。この東の城壁、城門跡の石垣などは保存状態も良く、近づくとかなりの高さを有する。

  • この様な城壁に囲まれた都市が難攻不落であったのも頷ける。<br />  <br />その城壁沿いの見学路を進み、城壁上まで上ると、この遺跡で最も高いところに上がる。<br />その手前にはギリシャ時代のアテナ神殿があったとされる遺跡などが見学路脇に見える。<br />その高台から海の方向を見ると、急に崖の様になっており、その先は海までほぼ平原である。<br />ナムックさんが、「ここはヒッサリクの丘と言われていますが、ここに都市があった頃はこの崖下が海でした。現在はここからも見える様に海が後退し、3km程先になっています。元々は海の近くにあった都市だったのです。」と説明をする。<br />

    この様な城壁に囲まれた都市が難攻不落であったのも頷ける。

    その城壁沿いの見学路を進み、城壁上まで上ると、この遺跡で最も高いところに上がる。
    その手前にはギリシャ時代のアテナ神殿があったとされる遺跡などが見学路脇に見える。
    その高台から海の方向を見ると、急に崖の様になっており、その先は海までほぼ平原である。
    ナムックさんが、「ここはヒッサリクの丘と言われていますが、ここに都市があった頃はこの崖下が海でした。現在はここからも見える様に海が後退し、3km程先になっています。元々は海の近くにあった都市だったのです。」と説明をする。

  • ここからは非常に見晴らしが良い。天気も良いので、遠くの海まで良く見える。眼下の木々が生い茂る中に発掘で使用したと思われるトロッコなどが見える。

    ここからは非常に見晴らしが良い。天気も良いので、遠くの海まで良く見える。眼下の木々が生い茂る中に発掘で使用したと思われるトロッコなどが見える。

  • その高台から階段を降りると、その先にギリシャの古代遺跡で良く見かける様式の柱などが横たわっている。この辺りにも神殿があったのであろうか?<br />その先で、今度は見学路を曲がり、遺跡の中央部分に入る。ここには、日干しレンガで造られた都市の遺跡がある。色も濃い茶色(赤土)のレンガである。遺跡全体が屋根で覆われている。<br />メガロン(集合住宅)と言われる第2都市の遺跡群である。この第2都市はシュリーマンがトロイであると考えた都市遺跡で、この層から“プリアモスの財宝”が見つかったとされている。<br />この遺跡の前で再び、ナムックさんが説明を始める。<br />「トロイ戦争について少し話をします。神話によるとこの都市イリオスは、プリアモス王の時にギリシャ勢に攻め込まれ、滅亡しますが、この戦争の発端はゼウスの思慮によるもので、人口調節の為とも神の名声を高めるためとも伝えられています。<br />プリアモス王の后ヘカベーは、息子パリス(アレクサンドロス)を生む時に、“自分が燃える木を生み、それが燃え広がってイリオスが焼け落ちる”という夢を見ます。この夢の通り、パリスはイリオスにとって災厄の種となります。<br />

    その高台から階段を降りると、その先にギリシャの古代遺跡で良く見かける様式の柱などが横たわっている。この辺りにも神殿があったのであろうか?
    その先で、今度は見学路を曲がり、遺跡の中央部分に入る。ここには、日干しレンガで造られた都市の遺跡がある。色も濃い茶色(赤土)のレンガである。遺跡全体が屋根で覆われている。
    メガロン(集合住宅)と言われる第2都市の遺跡群である。この第2都市はシュリーマンがトロイであると考えた都市遺跡で、この層から“プリアモスの財宝”が見つかったとされている。
    この遺跡の前で再び、ナムックさんが説明を始める。
    「トロイ戦争について少し話をします。神話によるとこの都市イリオスは、プリアモス王の時にギリシャ勢に攻め込まれ、滅亡しますが、この戦争の発端はゼウスの思慮によるもので、人口調節の為とも神の名声を高めるためとも伝えられています。
    プリアモス王の后ヘカベーは、息子パリス(アレクサンドロス)を生む時に、“自分が燃える木を生み、それが燃え広がってイリオスが焼け落ちる”という夢を見ます。この夢の通り、パリスはイリオスにとって災厄の種となります。

  • 女神テティスと英雄ペレウスの結婚式が行われましたが、“不和”の女神は招待状が届かなかった事に酷く立腹し、その宴席に“最も美しい人へ”と書かれた黄金のリンゴを投げ込みます。<br />それで宴会は大騒動になり、“我こそは世界一の美女である”と名乗りでたのが、ヘラ、アテナ、アフロディーテの3人の美女でした。<br />そこで大神ゼウスはパリスにヘラ、アテナ、アフロディーテの三女神の美の競合の審判を委ねます。これは“パリスの審判”と呼ばれ、ここでパリスはアフロディーテを選び、その結果として、アフロディーテからスパルタ王メネラオスの妻ヘレネを奪って妻とすることを約されます。<br />彼はスパルタからヘレナを奪った為、メネラオスは直ちにトロイにヘレナを帰すよう求めます。しかし交渉は決裂、メネラオスは兄アガメムノンとともにトロイ攻略を画策しました。<br />アガメムノンを総大将としたアカイア軍(ギリシア勢)はイリオスに上陸、プリアモス王の王子ヘクトルを事実上の総大将としたイリオス軍と衝突した。多大な犠牲を出しながら戦争は10年間続き、アカイア軍の間には次第に厭戦気分が蔓延しはじめる。<br />しかし、アカイア軍の将オデュッセウスは一計を案じ、エペイオスに木馬を造らせた。<br />イリオスの人達はこの木馬はアカイヤ軍が敗戦を認めた貢物であると思い、それを城内に引き入れた。しかし、この木馬の中にアカイヤ軍の兵士が隠れていて、夜になり、この木馬から出て、イリオスを攻めた。この、トロアの木馬の詭計によってイリオスは一夜のうちに陥落した。陥落したイリオスから逃げ出すことができたのは、アイネイアースなど少数の者達だけだったと言われています。」とかなり長い説明を行う。<br />そして、このメガロンの前から移動する。<br />

    女神テティスと英雄ペレウスの結婚式が行われましたが、“不和”の女神は招待状が届かなかった事に酷く立腹し、その宴席に“最も美しい人へ”と書かれた黄金のリンゴを投げ込みます。
    それで宴会は大騒動になり、“我こそは世界一の美女である”と名乗りでたのが、ヘラ、アテナ、アフロディーテの3人の美女でした。
    そこで大神ゼウスはパリスにヘラ、アテナ、アフロディーテの三女神の美の競合の審判を委ねます。これは“パリスの審判”と呼ばれ、ここでパリスはアフロディーテを選び、その結果として、アフロディーテからスパルタ王メネラオスの妻ヘレネを奪って妻とすることを約されます。
    彼はスパルタからヘレナを奪った為、メネラオスは直ちにトロイにヘレナを帰すよう求めます。しかし交渉は決裂、メネラオスは兄アガメムノンとともにトロイ攻略を画策しました。
    アガメムノンを総大将としたアカイア軍(ギリシア勢)はイリオスに上陸、プリアモス王の王子ヘクトルを事実上の総大将としたイリオス軍と衝突した。多大な犠牲を出しながら戦争は10年間続き、アカイア軍の間には次第に厭戦気分が蔓延しはじめる。
    しかし、アカイア軍の将オデュッセウスは一計を案じ、エペイオスに木馬を造らせた。
    イリオスの人達はこの木馬はアカイヤ軍が敗戦を認めた貢物であると思い、それを城内に引き入れた。しかし、この木馬の中にアカイヤ軍の兵士が隠れていて、夜になり、この木馬から出て、イリオスを攻めた。この、トロアの木馬の詭計によってイリオスは一夜のうちに陥落した。陥落したイリオスから逃げ出すことができたのは、アイネイアースなど少数の者達だけだったと言われています。」とかなり長い説明を行う。
    そして、このメガロンの前から移動する。

  • 更に見学路を進むと、今度は少し粗い造りの城壁が見えて来る。この辺りは第一都市の遺構である。さすがに古く、その為か城壁を形成している石も疎らである。<br />  <br />その次に現れたのは、シュリーマントレンチと呼ばれる遺構であるが、ここの遺構がシュリーマンの悪名の原因となった遺構である。<br />この遺構の上にあった遺跡をシュリーマンは財宝探索の為にすべて破壊しているのである。現在見える遺構は最下層の第一都市の遺構である。<br />

    更に見学路を進むと、今度は少し粗い造りの城壁が見えて来る。この辺りは第一都市の遺構である。さすがに古く、その為か城壁を形成している石も疎らである。

    その次に現れたのは、シュリーマントレンチと呼ばれる遺構であるが、ここの遺構がシュリーマンの悪名の原因となった遺構である。
    この遺構の上にあった遺跡をシュリーマンは財宝探索の為にすべて破壊しているのである。現在見える遺構は最下層の第一都市の遺構である。

  • そのシュリーマントレンチの先の左手に大きく発掘された遺構がある。その遺構壁面にはそれぞれの都市層が表記され、これを見ると古い都市の上に新しい都市を造った事が良く判る。<br />そして、更に遺跡の奥に進むと、今度は綺麗に残った大きな石畳の傾斜路が見える。<br />  <br />ここは、城塞へのメイン通りと考えられ、この道も南西にある正門からの道と考えられている。<br />この石畳の傾斜路の先の正門への見学路には階段が造られ、その階段から続く高い位置に造られた見学路の突き当りにナムックさんが集まる様に促す。<br />

    そのシュリーマントレンチの先の左手に大きく発掘された遺構がある。その遺構壁面にはそれぞれの都市層が表記され、これを見ると古い都市の上に新しい都市を造った事が良く判る。
    そして、更に遺跡の奥に進むと、今度は綺麗に残った大きな石畳の傾斜路が見える。

    ここは、城塞へのメイン通りと考えられ、この道も南西にある正門からの道と考えられている。
    この石畳の傾斜路の先の正門への見学路には階段が造られ、その階段から続く高い位置に造られた見学路の突き当りにナムックさんが集まる様に促す。

  • そこから見える建物の遺構らしき石積みの一画を指さし、「あの辺りの茂みでシュリーマンが“プリアモスの財宝”と言われるものを発掘しました。」と説明をしてくれる。<br />その場所は何かの建物の壁か、石積みの壁に沿う様に木々が生い茂る場所である。<br />シュリーマンはこの辺りに宮殿があったと考えたそうだが、遺構の配置などからは少し無理がある様に思える。<br />

    そこから見える建物の遺構らしき石積みの一画を指さし、「あの辺りの茂みでシュリーマンが“プリアモスの財宝”と言われるものを発掘しました。」と説明をしてくれる。
    その場所は何かの建物の壁か、石積みの壁に沿う様に木々が生い茂る場所である。
    シュリーマンはこの辺りに宮殿があったと考えたそうだが、遺構の配置などからは少し無理がある様に思える。

  • その後、この高い場所から階段を今度は下る。するとそこには井戸などが中央にあるが、綺麗に石積みが残る遺構が並ぶ場所に出る。<br />  <br />ナムックさんが、「この辺りは神への神聖な儀式を行った場所と考えられています。丁度、中央付近に見える台座に生贄を供えたと考えられています。」と説明してくれる。<br />この辺りの遺構は第8都市や第9都市の遺構で比較的新しい時代のもので、その為に綺麗に残っているのである。<br />この先でまた階段が上りになり、それを上り切ると平坦なところに出る。ここから入口に向かい、方向を変える。この辺りは何もなく、見学路に石畳があるだけである。<br />

    その後、この高い場所から階段を今度は下る。するとそこには井戸などが中央にあるが、綺麗に石積みが残る遺構が並ぶ場所に出る。

    ナムックさんが、「この辺りは神への神聖な儀式を行った場所と考えられています。丁度、中央付近に見える台座に生贄を供えたと考えられています。」と説明してくれる。
    この辺りの遺構は第8都市や第9都市の遺構で比較的新しい時代のもので、その為に綺麗に残っているのである。
    この先でまた階段が上りになり、それを上り切ると平坦なところに出る。ここから入口に向かい、方向を変える。この辺りは何もなく、見学路に石畳があるだけである。

  • その先の拓けた場所の左手に大きな遺構が見える。<br />これがオデオンと呼ばれる音楽堂である。ここは音楽会や演劇を行った場所である。<br />また、その反対側には、泉水殿がある。共に第9都市の遺構と考えられている。<br />このオデオンの前でツアー客の多くの人が記念撮影を行う。私も溝田さんにお願いし、このオデオンをバックに写真を撮って貰う。<br />既にナムックさんはかなり先に進んでいる。音声ガイドも途切れ途切れにしか聞こえない。<br />もうナムックさんは南門遺構の辺りまで進んでいる。急ぎ追いかける。<br /> <br />南門の遺構は比較的綺麗な石積みの遺構であるが損傷が激しい様に見える。トロイ戦争で激戦が繰り広げられた場所なのかも知れない。<br />これでざっとトロイ遺跡を一周した様で、最初の通った道に出る。そこからトロイの木馬の模型のある広場に戻る。時刻は14時15分過ぎである。<br />

    その先の拓けた場所の左手に大きな遺構が見える。
    これがオデオンと呼ばれる音楽堂である。ここは音楽会や演劇を行った場所である。
    また、その反対側には、泉水殿がある。共に第9都市の遺構と考えられている。
    このオデオンの前でツアー客の多くの人が記念撮影を行う。私も溝田さんにお願いし、このオデオンをバックに写真を撮って貰う。
    既にナムックさんはかなり先に進んでいる。音声ガイドも途切れ途切れにしか聞こえない。
    もうナムックさんは南門遺構の辺りまで進んでいる。急ぎ追いかける。

    南門の遺構は比較的綺麗な石積みの遺構であるが損傷が激しい様に見える。トロイ戦争で激戦が繰り広げられた場所なのかも知れない。
    これでざっとトロイ遺跡を一周した様で、最初の通った道に出る。そこからトロイの木馬の模型のある広場に戻る。時刻は14時15分過ぎである。

  • ここで、少し自由行動になる。集合はバスで、集合時間は14時30分となる。<br />この間にツアー客の多くの人が、この木馬前で記念撮影を行ったり、木馬内部に上がったりし、観光を行う。<br />私も溝田さんに再度お願いし、この木馬をバックに、また木馬内部に上って、記念撮影をして貰う。ここでは溝田さんがツアー客の多くの人のカメラを預かり、写真を撮っていた。<br /> <br />溝田さんによると、この木馬は最近修復が終わり、やっと公開されたところであると言う。今回の旅行は非常にタイミングが良かったと言われた。<br />木馬の中は大した事はなく、上から展望出来る窓が幾つかあるだけである。中は2階に分かれている。その後、その木馬の広場前にある売店で土産物を見る。<br />ここでもフレッシュジュースやアイスクリームなどを売っている。<br />土産物店内に入り、土産物を物色するが、トロイでしか買えないものは然程ない。<br />先程フェリー内でキーホルダーを購入したので、ここではマグネットを購入した。マグネット一つが、5トルコリラで少し高いとは思ったが、購入した。<br />そして、土産物店を出ると、尾道のおばさん達が美味しそうにアイスクリームを食べている。<br />私も欲しくなり、店先の冷蔵庫から適当にアイスクリームを取り、購入した。このアイスクリームが6トルコリラである。日本円で300円なので、少し高い。食べると、チョコでコーティングされたアイスクリームで中にジャム(イチゴ)が入っているものであった。それを食べ終わり、バス方向に向かう。<br />14時30分前にバスに乗り込み座席に着く。暑い中を1時間程歩いたので汗を掻いた。早く冷房を効かせて欲しい。気温は35℃近くまで上がっている。<br />続々とみんながバスに戻り、14時35分前にはバスが出発する。<br />

    ここで、少し自由行動になる。集合はバスで、集合時間は14時30分となる。
    この間にツアー客の多くの人が、この木馬前で記念撮影を行ったり、木馬内部に上がったりし、観光を行う。
    私も溝田さんに再度お願いし、この木馬をバックに、また木馬内部に上って、記念撮影をして貰う。ここでは溝田さんがツアー客の多くの人のカメラを預かり、写真を撮っていた。

    溝田さんによると、この木馬は最近修復が終わり、やっと公開されたところであると言う。今回の旅行は非常にタイミングが良かったと言われた。
    木馬の中は大した事はなく、上から展望出来る窓が幾つかあるだけである。中は2階に分かれている。その後、その木馬の広場前にある売店で土産物を見る。
    ここでもフレッシュジュースやアイスクリームなどを売っている。
    土産物店内に入り、土産物を物色するが、トロイでしか買えないものは然程ない。
    先程フェリー内でキーホルダーを購入したので、ここではマグネットを購入した。マグネット一つが、5トルコリラで少し高いとは思ったが、購入した。
    そして、土産物店を出ると、尾道のおばさん達が美味しそうにアイスクリームを食べている。
    私も欲しくなり、店先の冷蔵庫から適当にアイスクリームを取り、購入した。このアイスクリームが6トルコリラである。日本円で300円なので、少し高い。食べると、チョコでコーティングされたアイスクリームで中にジャム(イチゴ)が入っているものであった。それを食べ終わり、バス方向に向かう。
    14時30分前にバスに乗り込み座席に着く。暑い中を1時間程歩いたので汗を掻いた。早く冷房を効かせて欲しい。気温は35℃近くまで上がっている。
    続々とみんながバスに戻り、14時35分前にはバスが出発する。

  • <エドレミットのホテルまでの道程><br />バスは再び、先程来た細い道を戻り、大きな道に出る。そして、単純な景色の中を進む。<br />この辺りは道の両脇にオリーブの木々の畑が続く。<br />ここから道は小さな山の峠に差し掛かる。この辺りは小さな山々が連なる地形になっている。<br />暫らくは山の中を走るが、周りの木々はオリーブの小さな木々が殆どである。所々に実を付けた木々が見える。これらの木はザクロの木である。<br />トロイ遺跡を出てから、30分程が経過した。山々の地形を抜けると町が前方に見えて来た。町の入口付近には中規模マンションが並ぶ。天気が非常に良く、空には夏の大きな入道雲が見える。<br />町を抜けると、また山の中に入る。するとエドレミットと書かれた道路標識が出て来た。<br />もう、今晩の宿の町が近い様だ。今晩はエドレミットのホテルに宿泊するのである。<br /><br />峠部分に差し掛かるとカーブの多い道となり、前に遅い車が走ると追い越す事もままならない。そうなるとバスの速度は極端に遅くなる。この峠付近の山々はオリーブの木々で満たされている。<br />そして、峠の下り坂になると、前方の正面にエーゲ海が見えて来た。<br />

    <エドレミットのホテルまでの道程>
    バスは再び、先程来た細い道を戻り、大きな道に出る。そして、単純な景色の中を進む。
    この辺りは道の両脇にオリーブの木々の畑が続く。
    ここから道は小さな山の峠に差し掛かる。この辺りは小さな山々が連なる地形になっている。
    暫らくは山の中を走るが、周りの木々はオリーブの小さな木々が殆どである。所々に実を付けた木々が見える。これらの木はザクロの木である。
    トロイ遺跡を出てから、30分程が経過した。山々の地形を抜けると町が前方に見えて来た。町の入口付近には中規模マンションが並ぶ。天気が非常に良く、空には夏の大きな入道雲が見える。
    町を抜けると、また山の中に入る。するとエドレミットと書かれた道路標識が出て来た。
    もう、今晩の宿の町が近い様だ。今晩はエドレミットのホテルに宿泊するのである。

    峠部分に差し掛かるとカーブの多い道となり、前に遅い車が走ると追い越す事もままならない。そうなるとバスの速度は極端に遅くなる。この峠付近の山々はオリーブの木々で満たされている。
    そして、峠の下り坂になると、前方の正面にエーゲ海が見えて来た。

  • 下り坂の周りは、見渡す限りすべてオリーブ畑である。この様な景色は日本では見られない。木々は然程大きくないが、同じ様な大きさの木々で山が埋め尽くされている。<br />この峠を下り切ると、再び町が現れる。久々に信号に引っ掛かり、バスが停車する。この町はエーゲ海に面した町である。道はほぼ海岸沿いにあり、右手に海外線を見ながらバスは進む。<br />

    下り坂の周りは、見渡す限りすべてオリーブ畑である。この様な景色は日本では見られない。木々は然程大きくないが、同じ様な大きさの木々で山が埋め尽くされている。
    この峠を下り切ると、再び町が現れる。久々に信号に引っ掛かり、バスが停車する。この町はエーゲ海に面した町である。道はほぼ海岸沿いにあり、右手に海外線を見ながらバスは進む。

  • 暫らくすると、海水浴場が幾つか見えて来た。これらの海水浴場には、まだ多くの人が海水浴を楽しんでいる。トルコでは、まだバカンスのシーズンとの事で、トルコ国内やヨーロッパからバカンスに来ている人が多いと言う。時刻は15時40分過ぎである。<br />ここで、溝田さんがマイクを取り、話始める。<br />「はい、皆さん!もう直ぐホテルに到着します。簡単にホテルについて、先に説明を行います。今日のホテルには温水プールやハマムと言われる蒸し風呂などもあります。温水プールなどは無料で利用が出来ます。今日は時間もありますので、プールなどを利用する時間も充分にあります。」と言う。<br />

    暫らくすると、海水浴場が幾つか見えて来た。これらの海水浴場には、まだ多くの人が海水浴を楽しんでいる。トルコでは、まだバカンスのシーズンとの事で、トルコ国内やヨーロッパからバカンスに来ている人が多いと言う。時刻は15時40分過ぎである。
    ここで、溝田さんがマイクを取り、話始める。
    「はい、皆さん!もう直ぐホテルに到着します。簡単にホテルについて、先に説明を行います。今日のホテルには温水プールやハマムと言われる蒸し風呂などもあります。温水プールなどは無料で利用が出来ます。今日は時間もありますので、プールなどを利用する時間も充分にあります。」と言う。

  • そうすると、バスは道路から離れ、ある敷地内に入る。ここがホテルの様である。入口にはゲートがあり、その前でバスが停車する。そして、ゲートが開くのを待つ。ゲートを抜け、ホテルの玄関に到着する。<br /><br />今日の宿泊ホテルはアドレナデラックスホテルである。時刻は丁度16時頃である。

    そうすると、バスは道路から離れ、ある敷地内に入る。ここがホテルの様である。入口にはゲートがあり、その前でバスが停車する。そして、ゲートが開くのを待つ。ゲートを抜け、ホテルの玄関に到着する。

    今日の宿泊ホテルはアドレナデラックスホテルである。時刻は丁度16時頃である。

  • <エドレミットのホテル~アドレナデラックスホテル~><br />バスから降り、ホテルロビー内に移動する。<br />溝田さんに、ロビー奥のソファで待つ様に言われる。暫らくの間、ツアーの全員でこのソファのあるロビーで待つ。<br />ロビーからホテルの中庭を見ると、ロビーを出た外にプールがある。この時間でもまだ多くの宿泊客がプールで遊んでいる。見れば、子供連れが多い。<br />また、更に海岸線方面を見ると、ホテルのプライベートビーチがある。そのビーチまではホテルの中庭から更に50m程ある。<br />ナムックさんが言っていたが、まだトルコではバカンス中なので、学校もまだ始まっていないと言う。<br />トルコでは小学校が最も早く、来週から学校が始まるそうだ。<br /> <br />暫らくすると、チェックインを終えた溝田さんが、みんなの集まっているソファのところにやって来た。そして、各自に部屋の鍵と1枚のメモを渡す。<br />そして、このメモを基にホテルの情報と、今後の予定及び明日の予定を話し始める。<br />今日の夕食はこのホテル内の1階のレストランで、夕食の集合時間はこの場所に19時半である。<br />明日のモーニングコールは5時半。これは全員一緒である。明日の朝食は6時半からである。<br />

    <エドレミットのホテル~アドレナデラックスホテル~>
    バスから降り、ホテルロビー内に移動する。
    溝田さんに、ロビー奥のソファで待つ様に言われる。暫らくの間、ツアーの全員でこのソファのあるロビーで待つ。
    ロビーからホテルの中庭を見ると、ロビーを出た外にプールがある。この時間でもまだ多くの宿泊客がプールで遊んでいる。見れば、子供連れが多い。
    また、更に海岸線方面を見ると、ホテルのプライベートビーチがある。そのビーチまではホテルの中庭から更に50m程ある。
    ナムックさんが言っていたが、まだトルコではバカンス中なので、学校もまだ始まっていないと言う。
    トルコでは小学校が最も早く、来週から学校が始まるそうだ。

    暫らくすると、チェックインを終えた溝田さんが、みんなの集まっているソファのところにやって来た。そして、各自に部屋の鍵と1枚のメモを渡す。
    そして、このメモを基にホテルの情報と、今後の予定及び明日の予定を話し始める。
    今日の夕食はこのホテル内の1階のレストランで、夕食の集合時間はこの場所に19時半である。
    明日のモーニングコールは5時半。これは全員一緒である。明日の朝食は6時半からである。

  • また、旅行カバンは7時までに部屋前の廊下に出して置く様に言われる。ボーイがバスまで運んでくれると言う。出発の集合時間はこのロビーで7時25分である。また、このホテルの情報も話し始める。<br />部屋に入ったら、まずお湯が出る事、トイレが流れる事を確かめる様に言われる。10分後くらいに部屋に溝田さんから電話を入れると言う。その際に問題があれば言う様に言われる。<br />また、このホテルには屋外プールの他に屋内にも温水プールがあり、サウナもあると言う。この利用は無料だそうだ。水着着用で、スイミングキャップも必要であるが、スイミングキャップとタオルは無料で借りる事が出来ると言う。時刻は16時20分過ぎである。<br />食事までにはまだかなり時間があるので、是非水着も持って来たので是非、屋内又は屋外プールには行ってみたい。この説明が終わり、各自部屋に向かう。部屋はみんな1階である。私の部屋は、4008号室である。<br />部屋に入り、確認する様に言われたお湯が出るかとトイレが流れるかを確認する。問題ない様である。<br /> <br />部屋は非常に広く、また広いバルコニーまである。とりあえず、旅行カバンを開け、軽装に着替える。<br />着替え終えたところで、電話が鳴る。溝田さんからの電話である。<br />電話を取り、部屋の設備は問題ない事を告げる。<br />また、ここでホテルの屋内プールについて質問を行う。屋内プールは我々の部屋とロビーを挟み、反対側の1階にあると言う。あとで行く事にしよう!<br />特に何もする事もなく、水着を着て、屋外プールか、温水プールへ行く為に、サンダルを履いて部屋を出る。<br />

    また、旅行カバンは7時までに部屋前の廊下に出して置く様に言われる。ボーイがバスまで運んでくれると言う。出発の集合時間はこのロビーで7時25分である。また、このホテルの情報も話し始める。
    部屋に入ったら、まずお湯が出る事、トイレが流れる事を確かめる様に言われる。10分後くらいに部屋に溝田さんから電話を入れると言う。その際に問題があれば言う様に言われる。
    また、このホテルには屋外プールの他に屋内にも温水プールがあり、サウナもあると言う。この利用は無料だそうだ。水着着用で、スイミングキャップも必要であるが、スイミングキャップとタオルは無料で借りる事が出来ると言う。時刻は16時20分過ぎである。
    食事までにはまだかなり時間があるので、是非水着も持って来たので是非、屋内又は屋外プールには行ってみたい。この説明が終わり、各自部屋に向かう。部屋はみんな1階である。私の部屋は、4008号室である。
    部屋に入り、確認する様に言われたお湯が出るかとトイレが流れるかを確認する。問題ない様である。

    部屋は非常に広く、また広いバルコニーまである。とりあえず、旅行カバンを開け、軽装に着替える。
    着替え終えたところで、電話が鳴る。溝田さんからの電話である。
    電話を取り、部屋の設備は問題ない事を告げる。
    また、ここでホテルの屋内プールについて質問を行う。屋内プールは我々の部屋とロビーを挟み、反対側の1階にあると言う。あとで行く事にしよう!
    特に何もする事もなく、水着を着て、屋外プールか、温水プールへ行く為に、サンダルを履いて部屋を出る。

  • <ホテルの温水プールで><br />まずは屋外プールに行って見る事にした。ロビーから外に出るとその前がプールである。<br />もう夕方であるが、まだ多くの人が泳いでいる。見ると子供が多い。ナムックさんが言っていた様にバカンスで宿泊している人が多い様である。<br />しかし、夕方近くになると少し気温も下がって来た。それでも25℃くらいはあるか?<br />プールサイドで空いているリクライニングシートを探すがない。また、ここではタオルを借りる事が出来ないのか、貸出をしている様な場所も見当たらない。<br />そこで、再びロビーに戻ると同じツアーの若い夫婦の人と出会った。どこかに行くつもりの様なので、話しかけてみると屋内プールに行くと言う。<br />私も屋内プールに行くつもりである事を告げ、一緒に行く事にした。この若い夫婦は新婚さんで、京都の桂から来たと言う。ロビーからレストランの前を通り、1階奥に進む。そして、その奥に扉で仕切られた廊下がある。この奥に屋内プールがある様だ。<br />その廊下の途中に受付がある。受付にいた男性にスパに行きたい旨を簡単な英語で言うと、ロッカーキーを出され、そしてバスタオルと簡易のスイミングキャップを出してくれた。<br />それを受け取る前に再び英語で無料である事を確認し、受け取る。<br />若い夫婦も同じ様にロッカーキーとバスタオル、スイミングキャップを受け取る。そして、その男性に受付横にある部屋に入る様に促される。<br />その部屋に入ると、直ぐ奥にロッカーの並ぶ一画があるが、男女の区分けはない。私は下に水着を着て来たが、若い夫婦は水着を持って来た様で着替える必要がある。<br />どこかに着替える場所があるのではと思い、更に奥に行くと、そこに椅子が置かれた簡単な個室が3つ程ある。<br />若い夫婦にその事を告げ、ここで着替えてはどうかと勧める。私は水着の上に着て来た軽装を脱ぎ、<br />貰ったキーのロッカーに入れ、ロッカーキーを腕に巻き付け、若い夫婦の旦那さんに先に入る事を告げ、着替え場所の奥にある屋内プールの入口に向かう。<br />屋内プールは、中央に直径十数m程の円形のプールがある。プール内は総大理石である。<br />また、その左手奥にジャクジーバスの様なところとその手前部分に方形のプール?(風呂?)があるが、そこには誰も入っていない。<br />屋内プールにも多くの人がいるがこちらには子供は少なく、寧ろ年配の人が多い。プール内の床も大理石で、濡れている為に滑る。<br />プール脇に置かれた、空いているリクライニングシートを探し、そこに借りたバスタオルと履いて来たサンダルを置き、プールに入る。温水プールであるが、ひと肌くらいの温度である。<br />丁度、プール内の四方にシンメトリックに柱が立ち、その柱の下部、水面より50cmくらいのところから滝の様にお湯が落ちている。丁度、打たせ湯の様である。<br />温水プールに入ると意外に深い。深いところは丁度、私の身長で頭が出るくらいの深さで、120cmくらいありそうだ。そのまま、プール内に立つ柱のひとつで落ちるお湯で肩をほぐす。本当に日本の温泉やスーパー銭湯などにある、うたせ湯の様である。<br />そうしていると若い夫婦が入って来た。空いているリクライニングシートを探していたので、私が置いているシートを教え、そこにバスタオルなどを一緒に置く様に勧める。<br />しばらく、この柱付近でうたせ湯に打たれていると、若い夫婦が近づいて来た。私と同じ様に柱から出るお湯でうたせ湯をしている。他の外国人は私達の様な事はしていない。<br />その後、ジャクジーなどにも入るが、どうもスーパー銭湯の感覚なので、水着で入っていると日本人としては違和感がある。何度か、中央の円形プールとジャクジーを行き来し、出る事にした。<br />しかし、出る際にその入口の左手に更に部屋がある事に気付く。その中に入ると、部屋の右手に低温と高温のサウナ室がある。あまり大きな部屋ではないが、それぞれ5人くらいは入れるサウナである。<br />また、左手に更に部屋があるが、その入口下の床には赤い線が引かれている。<br />その中に入ると、その最奥には大理石で出来た部屋があり、中央に台座がある。また、その手前の部屋にはベッドが数台置かれている。ここはトルコのハマムと言う施設である。<br />ここは有料なので、先程の赤い線が引かれていたのだ。先程の受付でお願いすれば、あかすりなども含め、体を洗ってくれるサウナである。若い夫婦も興味があるのか、私と共に中を確認しに来た。<br />その後、若い夫婦は再び円形プールに戻り、私は高温サウナを利用する事にした。<br />ここは無料の様である。中には数人が既に入っている。中に入り、席を空けて貰い、そこに座る。<br />高温といっても日本のサウナ程の高温でもない。温度計がないので何度くらいかは判らないが、体感的には80℃もない感じである。そこで汗が噴き出すまで、入った。<br />意外だったのは海外の人はあまり長く入っていない事である。私が入っていた間にも数人が数分で出て行った。サウナを出たが、水風呂はないので、そのまま再び円形プールに一度入る。<br />若い夫婦は既に出たのか、もうプール内にはいない。<br />私もロッカー室に戻ると若い夫婦がいた。借りたバスタオルで頭や体を簡単に拭き、水着の上から服を着る。そして、借りたバスタオルを持ち、若い夫婦より先にロッカー室を出る。<br />受付でバスタオルとロッカーキーを返すが、バスタオルは別に使用済タオルを入れる場所があった様で受付の男性にその方向を指さされ、その場所にある籠にバスタオルを入れる。<br />そのまま、部屋に戻る。時刻は17時40分過ぎである。<br />まだ、夕食の集合時間まで1時間以上あるので、先に風呂に入る事にした。<br />丁度、プールにも入ったので、体もしっかり洗いたい。<br />部屋の浴槽内で体を洗い、シャワーを浴びる。浴槽から出て、からだを拭き、軽装の服に再び着替え、水着などをバルコニーにある干場に干す。風も少し出てきたので、今晩中に充分渇くであろう。<br />その後、髪などが自然乾燥するのを待つ。テレビを付けても言葉が判らないので、つまらない。<br />

    <ホテルの温水プールで>
    まずは屋外プールに行って見る事にした。ロビーから外に出るとその前がプールである。
    もう夕方であるが、まだ多くの人が泳いでいる。見ると子供が多い。ナムックさんが言っていた様にバカンスで宿泊している人が多い様である。
    しかし、夕方近くになると少し気温も下がって来た。それでも25℃くらいはあるか?
    プールサイドで空いているリクライニングシートを探すがない。また、ここではタオルを借りる事が出来ないのか、貸出をしている様な場所も見当たらない。
    そこで、再びロビーに戻ると同じツアーの若い夫婦の人と出会った。どこかに行くつもりの様なので、話しかけてみると屋内プールに行くと言う。
    私も屋内プールに行くつもりである事を告げ、一緒に行く事にした。この若い夫婦は新婚さんで、京都の桂から来たと言う。ロビーからレストランの前を通り、1階奥に進む。そして、その奥に扉で仕切られた廊下がある。この奥に屋内プールがある様だ。
    その廊下の途中に受付がある。受付にいた男性にスパに行きたい旨を簡単な英語で言うと、ロッカーキーを出され、そしてバスタオルと簡易のスイミングキャップを出してくれた。
    それを受け取る前に再び英語で無料である事を確認し、受け取る。
    若い夫婦も同じ様にロッカーキーとバスタオル、スイミングキャップを受け取る。そして、その男性に受付横にある部屋に入る様に促される。
    その部屋に入ると、直ぐ奥にロッカーの並ぶ一画があるが、男女の区分けはない。私は下に水着を着て来たが、若い夫婦は水着を持って来た様で着替える必要がある。
    どこかに着替える場所があるのではと思い、更に奥に行くと、そこに椅子が置かれた簡単な個室が3つ程ある。
    若い夫婦にその事を告げ、ここで着替えてはどうかと勧める。私は水着の上に着て来た軽装を脱ぎ、
    貰ったキーのロッカーに入れ、ロッカーキーを腕に巻き付け、若い夫婦の旦那さんに先に入る事を告げ、着替え場所の奥にある屋内プールの入口に向かう。
    屋内プールは、中央に直径十数m程の円形のプールがある。プール内は総大理石である。
    また、その左手奥にジャクジーバスの様なところとその手前部分に方形のプール?(風呂?)があるが、そこには誰も入っていない。
    屋内プールにも多くの人がいるがこちらには子供は少なく、寧ろ年配の人が多い。プール内の床も大理石で、濡れている為に滑る。
    プール脇に置かれた、空いているリクライニングシートを探し、そこに借りたバスタオルと履いて来たサンダルを置き、プールに入る。温水プールであるが、ひと肌くらいの温度である。
    丁度、プール内の四方にシンメトリックに柱が立ち、その柱の下部、水面より50cmくらいのところから滝の様にお湯が落ちている。丁度、打たせ湯の様である。
    温水プールに入ると意外に深い。深いところは丁度、私の身長で頭が出るくらいの深さで、120cmくらいありそうだ。そのまま、プール内に立つ柱のひとつで落ちるお湯で肩をほぐす。本当に日本の温泉やスーパー銭湯などにある、うたせ湯の様である。
    そうしていると若い夫婦が入って来た。空いているリクライニングシートを探していたので、私が置いているシートを教え、そこにバスタオルなどを一緒に置く様に勧める。
    しばらく、この柱付近でうたせ湯に打たれていると、若い夫婦が近づいて来た。私と同じ様に柱から出るお湯でうたせ湯をしている。他の外国人は私達の様な事はしていない。
    その後、ジャクジーなどにも入るが、どうもスーパー銭湯の感覚なので、水着で入っていると日本人としては違和感がある。何度か、中央の円形プールとジャクジーを行き来し、出る事にした。
    しかし、出る際にその入口の左手に更に部屋がある事に気付く。その中に入ると、部屋の右手に低温と高温のサウナ室がある。あまり大きな部屋ではないが、それぞれ5人くらいは入れるサウナである。
    また、左手に更に部屋があるが、その入口下の床には赤い線が引かれている。
    その中に入ると、その最奥には大理石で出来た部屋があり、中央に台座がある。また、その手前の部屋にはベッドが数台置かれている。ここはトルコのハマムと言う施設である。
    ここは有料なので、先程の赤い線が引かれていたのだ。先程の受付でお願いすれば、あかすりなども含め、体を洗ってくれるサウナである。若い夫婦も興味があるのか、私と共に中を確認しに来た。
    その後、若い夫婦は再び円形プールに戻り、私は高温サウナを利用する事にした。
    ここは無料の様である。中には数人が既に入っている。中に入り、席を空けて貰い、そこに座る。
    高温といっても日本のサウナ程の高温でもない。温度計がないので何度くらいかは判らないが、体感的には80℃もない感じである。そこで汗が噴き出すまで、入った。
    意外だったのは海外の人はあまり長く入っていない事である。私が入っていた間にも数人が数分で出て行った。サウナを出たが、水風呂はないので、そのまま再び円形プールに一度入る。
    若い夫婦は既に出たのか、もうプール内にはいない。
    私もロッカー室に戻ると若い夫婦がいた。借りたバスタオルで頭や体を簡単に拭き、水着の上から服を着る。そして、借りたバスタオルを持ち、若い夫婦より先にロッカー室を出る。
    受付でバスタオルとロッカーキーを返すが、バスタオルは別に使用済タオルを入れる場所があった様で受付の男性にその方向を指さされ、その場所にある籠にバスタオルを入れる。
    そのまま、部屋に戻る。時刻は17時40分過ぎである。
    まだ、夕食の集合時間まで1時間以上あるので、先に風呂に入る事にした。
    丁度、プールにも入ったので、体もしっかり洗いたい。
    部屋の浴槽内で体を洗い、シャワーを浴びる。浴槽から出て、からだを拭き、軽装の服に再び着替え、水着などをバルコニーにある干場に干す。風も少し出てきたので、今晩中に充分渇くであろう。
    その後、髪などが自然乾燥するのを待つ。テレビを付けても言葉が判らないので、つまらない。

  • そこで、スマホに入っているゲームアプリで時間を潰す事にした。充電も行っている最中であるが、そのスマホで時間を潰す。メールなども確認するが、どうも設定が上手く出来ていない様である。<br /> <br />時間もあるので日本の問い合わせサービスに電話を掛けて、設定を確認する事にした。<br />24時間対応なので、便利である。電話をかけると直ぐに繋がり、今のスマホの状態を説明し、どうすれば良いのかを教えて貰う。一通りの操作を教えて貰い、電話を切る。<br />そして言われた操作を行うとやっと正式な設定が出来た様だ。メールが数件入って来た。<br />このホテルでもWiHiが利用可能なのである。溝田さんに聞いていたが、トルコではWiHiが大きなホテルでは利用可能だと言う。結構進んでいる。<br />その後もスマホのゲームアプリで時間を潰し、少し早いが19時20分頃に部屋を出て、集合場所のロビーに向かう。ロビーのソファには既に同ツアーの半数近くの人達が集合していた。<br /> <br />今日は昼食が早かったのでみんな、お腹が空いているのであろう。<br />

    そこで、スマホに入っているゲームアプリで時間を潰す事にした。充電も行っている最中であるが、そのスマホで時間を潰す。メールなども確認するが、どうも設定が上手く出来ていない様である。

    時間もあるので日本の問い合わせサービスに電話を掛けて、設定を確認する事にした。
    24時間対応なので、便利である。電話をかけると直ぐに繋がり、今のスマホの状態を説明し、どうすれば良いのかを教えて貰う。一通りの操作を教えて貰い、電話を切る。
    そして言われた操作を行うとやっと正式な設定が出来た様だ。メールが数件入って来た。
    このホテルでもWiHiが利用可能なのである。溝田さんに聞いていたが、トルコではWiHiが大きなホテルでは利用可能だと言う。結構進んでいる。
    その後もスマホのゲームアプリで時間を潰し、少し早いが19時20分頃に部屋を出て、集合場所のロビーに向かう。ロビーのソファには既に同ツアーの半数近くの人達が集合していた。

    今日は昼食が早かったのでみんな、お腹が空いているのであろう。

  • <アドリナデラックスホテルでの夕食><br />集合時間の19時半を待たずに全員が揃い、溝田さんについて1階のロビー奥にあるレストランに移動する。既に多くの宿泊客がレストランで食事をしている。<br />席は自由との事である。ここでも尾道から来た3人組の人達が席に誘ってくれたので、同席する事にした。<br />料理はバイキング方式である。<br />まずは全員が席についたところで溝田さんがみんなに飲物を聞いて廻る。私はコーラをお願いした。<br />飲物が来る前にみんな思い思いに料理などを取りに行く。<br />料理は非常に豊富である。スープ、肉料理、魚料理などが、またパスタなどの料理なども多い。意外に揚げもの類などは少ない。<br />野菜類は既に数種の野菜が混ざったものが大きなボールの器に盛られている。<br />また、デザート類、果物類も非常に豊富である。トルコの人は甘い物が好きな様である。<br />パン類も豊富であるトルコのパンは世界一美味しいと聞いているので期待が膨らむ。<br />少し見慣れないものとしてはオリーブの実であろうか、漬け物の様なものが並んでいる。<br />この様な料理類を一通り見て後、大きな皿に料理を取る。<br />

    <アドリナデラックスホテルでの夕食>
    集合時間の19時半を待たずに全員が揃い、溝田さんについて1階のロビー奥にあるレストランに移動する。既に多くの宿泊客がレストランで食事をしている。
    席は自由との事である。ここでも尾道から来た3人組の人達が席に誘ってくれたので、同席する事にした。
    料理はバイキング方式である。
    まずは全員が席についたところで溝田さんがみんなに飲物を聞いて廻る。私はコーラをお願いした。
    飲物が来る前にみんな思い思いに料理などを取りに行く。
    料理は非常に豊富である。スープ、肉料理、魚料理などが、またパスタなどの料理なども多い。意外に揚げもの類などは少ない。
    野菜類は既に数種の野菜が混ざったものが大きなボールの器に盛られている。
    また、デザート類、果物類も非常に豊富である。トルコの人は甘い物が好きな様である。
    パン類も豊富であるトルコのパンは世界一美味しいと聞いているので期待が膨らむ。
    少し見慣れないものとしてはオリーブの実であろうか、漬け物の様なものが並んでいる。
    この様な料理類を一通り見て後、大きな皿に料理を取る。

  • 大体取った料理は以下の様な内容のものである。<br /><br /><アドリナデラックスホテルでの夕食><br /> ①牛タンのデミグラスソース煮<br /> ②チキンのトマトソース煮<br /> ③白身魚のソテーオリーブオイル漬け<br /> ④蟹身肉団子風揚げ物<br /> ⑤パスタのトマトソース煮<br /> ⑥野菜サラダ(レタス/紫キャベツ/人参/コーン/香菜など)<br /> ⑦ペンネのサラダ<br /> ⑧ポテトフライ<br /> ⑨パン類(何種類か)<br />  <br />イスラム教の国なのでさすがに豚肉料理はない。主にチキンと思われる肉料理が多い。単純な鶏のから揚げ風のものもあった。また、牛肉料理なのか、羊肉料理なのかが判らないものもあった。<br />味付けは多少濃いめで、非常に美味しいと感じた肉料理は無かった。<br />しかし、白身魚のソテーは非常に美味しかった。<br />トルコでは寧ろ魚料理の方が美味しいのではないか?魚の種類は定かではないが、味的には鰆か鱈などに似た感じがする。<br />オリーブオリルに漬けてあるが、オリーブオイルがまたアクセントになっていて美味しい。<br />

    大体取った料理は以下の様な内容のものである。

    <アドリナデラックスホテルでの夕食>
     ①牛タンのデミグラスソース煮
     ②チキンのトマトソース煮
     ③白身魚のソテーオリーブオイル漬け
     ④蟹身肉団子風揚げ物
     ⑤パスタのトマトソース煮
     ⑥野菜サラダ(レタス/紫キャベツ/人参/コーン/香菜など)
     ⑦ペンネのサラダ
     ⑧ポテトフライ
     ⑨パン類(何種類か)

    イスラム教の国なのでさすがに豚肉料理はない。主にチキンと思われる肉料理が多い。単純な鶏のから揚げ風のものもあった。また、牛肉料理なのか、羊肉料理なのかが判らないものもあった。
    味付けは多少濃いめで、非常に美味しいと感じた肉料理は無かった。
    しかし、白身魚のソテーは非常に美味しかった。
    トルコでは寧ろ魚料理の方が美味しいのではないか?魚の種類は定かではないが、味的には鰆か鱈などに似た感じがする。
    オリーブオリルに漬けてあるが、オリーブオイルがまたアクセントになっていて美味しい。

  • パンには期待したが、期待外れであった。特に黒パン風のものは硬く、日本人にはあまり向かない。<br />白パン類もパンそのものにはあまり味もなく、バターなどを塗らないと味気ないが、そのバターがないので料理などのソースを付けて食べるしかない。<br />また、野菜にかけるドレッシングの様なものは置いておらず、その代わりにオリーブオイルとヨーグルトが置いてある。これを野菜にかけて食べる様だ。<br />料理を食べている途中で、同席させて貰った尾道の3人組のおじさんがレストランのバルコニーでも屋台で料理を作っている事を教えてくれる。聞くと、ケバブを焼いているそうだ。<br /> <br />これは是非行ってみないといけないと思い、席を立ち、レストランのバルコニーに出る。<br />その場所はバルコニーと言うよりも中と同じくらいの広さの場所で、同じ様にテーブル並んでおり、寧ろ中よりも人が多い。特にヨーロッパの国々から来たと思われる人達でテーブルは満席である。<br />また、言われていた屋台の前には長蛇の列が出来ている。これは料理を貰うのにかなりの時間を要する様だ。その列に少し並ぶが、いっこうに前進しないので諦め、屋台の脇まで行き、何を作っているのかだけでも見る。やはり教えて貰った様にケバブである。所謂、串焼きの焼き肉である。<br />

    パンには期待したが、期待外れであった。特に黒パン風のものは硬く、日本人にはあまり向かない。
    白パン類もパンそのものにはあまり味もなく、バターなどを塗らないと味気ないが、そのバターがないので料理などのソースを付けて食べるしかない。
    また、野菜にかけるドレッシングの様なものは置いておらず、その代わりにオリーブオイルとヨーグルトが置いてある。これを野菜にかけて食べる様だ。
    料理を食べている途中で、同席させて貰った尾道の3人組のおじさんがレストランのバルコニーでも屋台で料理を作っている事を教えてくれる。聞くと、ケバブを焼いているそうだ。

    これは是非行ってみないといけないと思い、席を立ち、レストランのバルコニーに出る。
    その場所はバルコニーと言うよりも中と同じくらいの広さの場所で、同じ様にテーブル並んでおり、寧ろ中よりも人が多い。特にヨーロッパの国々から来たと思われる人達でテーブルは満席である。
    また、言われていた屋台の前には長蛇の列が出来ている。これは料理を貰うのにかなりの時間を要する様だ。その列に少し並ぶが、いっこうに前進しないので諦め、屋台の脇まで行き、何を作っているのかだけでも見る。やはり教えて貰った様にケバブである。所謂、串焼きの焼き肉である。

  • 少し大き目の串に肉を刺し、焼き鳥風に炭火で焼いているのである。<br />また、もう一軒屋台がバルコニーの端に出ている。その場所の後には大きな竈らしきものが見える。<br />近づくと、ここではピザ風のものをこの竈で焼いている様である。<br /> <br />屋台ではその焼く前の生地を作っている。しかし、日本のピザよりもかなり小さく、見ていると焼く前に生地には少量の具を乗せるだけで焼いている、ピザというよりもインドのチャパティの様なパンかわりのものかも知れない。<br />ここでも焼くのに時間が掛かる様で、先程のケバブほどではないが、列が出来ている。<br />仕方なく、諦めて席に戻る。席に戻ると、既に尾道の3人組は食事を終え、デザートに果物類を食べている。私も早々に料理を食べ終え、デザートを取りに行く。<br />

    少し大き目の串に肉を刺し、焼き鳥風に炭火で焼いているのである。
    また、もう一軒屋台がバルコニーの端に出ている。その場所の後には大きな竈らしきものが見える。
    近づくと、ここではピザ風のものをこの竈で焼いている様である。

    屋台ではその焼く前の生地を作っている。しかし、日本のピザよりもかなり小さく、見ていると焼く前に生地には少量の具を乗せるだけで焼いている、ピザというよりもインドのチャパティの様なパンかわりのものかも知れない。
    ここでも焼くのに時間が掛かる様で、先程のケバブほどではないが、列が出来ている。
    仕方なく、諦めて席に戻る。席に戻ると、既に尾道の3人組は食事を終え、デザートに果物類を食べている。私も早々に料理を食べ終え、デザートを取りに行く。

  • まずはケーキ類を物色する。数種のケーキが並ぶがどれも甘そうで、特にトルコの名物デザートである<br />パイの蜂蜜漬けの“パクラワ”が目立つ。何種類か少し違う“パクラワ”風のものがある。それとケーキ類である。日本のショートケーキ風のものではないが、美味しそうに見える。<br />まずはパクラワとチョコレートケーキを取り、席に戻る。そして食べて見る。<br />パクラワは思った通りの甘さである。後で食べたチョコレートケーキの甘さが判らなくなるくらい甘い!<br />その後、口直しで果物を食べる。目に付いたのはスイカである。勿論、メロンやオレンジなどもある。<br /> <br />スイカを大量に取り、少しメロンを取る。メロンは良く熟れている感じである。<br />メロンが甘すぎるとスイカの味が判らないと思い、先にスイカを食べる。スイカは日本のスイカ程甘くはないか、非常に瑞々しい。メロンはやはり非常に熟し、甘く、美味しい。こちらの方が当たりである。<br />これで一通り食事を終え、飲物を飲みながら、尾道の3人組の人達と話を行う。<br />聞くと、この3人組の人達は親戚関係でもないと言う。気の合う仲間と言ったところの様だ。百島と言う小さな離島で、1人の女性は島の人達の殆どを把握されている様である。<br />名字は二人の方(男性と女性)が藤本、もう一人の女性が岡崎と言う。百島には藤本姓が多いそうだ。赤松姓も多いと言う。<br />その様な話をしながら、少し時間を潰していると同ツアーの人達は既に殆ど食事を終え、レストランを後にしている。我々もレストランを出る事にした。<br />その際に食事前に行った屋内プールの事を私が紹介した。レストランを出る時に場所なども教え、水着があればあとは貸出してくれる事も教えた。<br />部屋に戻る途中で、ロビー横にある小さな売店に立寄った。<br />店に入ると同ツアー客の数人が店で品物を見ている。店には石鹸類やアロマ製品類などが多く、一般的な土産物はない様である。私は興味がないので、早々に店を出て部屋に戻る事にした。<br />さすがに、この時間帯にはロビー外の屋外プールにはもう人がいない。<br />部屋に戻ると時刻は丁度、21時である。意外に長く食事をしていた。明日は出発も早いので、荷物の整理なども出来る限り今晩中に行っておく事にする。<br />明日必要なものだけを旅行カバンから出し、リュックに入れる。デジカメの電池を交換し、充電を開始する。スマホも同様に充電を行う。<br />先程から干している水着などの乾き具合を確認する為にバルコニーに出る。水着は既に乾いていた。<br />夜空には星が多く見える。日本と同じ北半球なので見える星座は同じである。それでも気の性かも知れないが、日本よりも星が近くに見える感じがする。<br />昼間は思いの外、暑いので、丁度、今の気温が心地よい!暫らく、このバルコニーで涼んでいた。<br />再び部屋の中に戻り、荷物の整理を行う。そして、少し早いが22時過ぎにはベッドに潜り込み、早々に寝る事にした。時差もあり、日本では既に真夜中である。<br />今日の朝にイスタンブールに到着してから移動などで非常に疲れている。直ぐに寝入ってしまった。<br /><br />今回はここまで! 次回はイズミル、セルチュクを経由し、エフェソス遺跡、ヒエラポリス・パムッカレなどの世界遺産巡り。

    まずはケーキ類を物色する。数種のケーキが並ぶがどれも甘そうで、特にトルコの名物デザートである
    パイの蜂蜜漬けの“パクラワ”が目立つ。何種類か少し違う“パクラワ”風のものがある。それとケーキ類である。日本のショートケーキ風のものではないが、美味しそうに見える。
    まずはパクラワとチョコレートケーキを取り、席に戻る。そして食べて見る。
    パクラワは思った通りの甘さである。後で食べたチョコレートケーキの甘さが判らなくなるくらい甘い!
    その後、口直しで果物を食べる。目に付いたのはスイカである。勿論、メロンやオレンジなどもある。

    スイカを大量に取り、少しメロンを取る。メロンは良く熟れている感じである。
    メロンが甘すぎるとスイカの味が判らないと思い、先にスイカを食べる。スイカは日本のスイカ程甘くはないか、非常に瑞々しい。メロンはやはり非常に熟し、甘く、美味しい。こちらの方が当たりである。
    これで一通り食事を終え、飲物を飲みながら、尾道の3人組の人達と話を行う。
    聞くと、この3人組の人達は親戚関係でもないと言う。気の合う仲間と言ったところの様だ。百島と言う小さな離島で、1人の女性は島の人達の殆どを把握されている様である。
    名字は二人の方(男性と女性)が藤本、もう一人の女性が岡崎と言う。百島には藤本姓が多いそうだ。赤松姓も多いと言う。
    その様な話をしながら、少し時間を潰していると同ツアーの人達は既に殆ど食事を終え、レストランを後にしている。我々もレストランを出る事にした。
    その際に食事前に行った屋内プールの事を私が紹介した。レストランを出る時に場所なども教え、水着があればあとは貸出してくれる事も教えた。
    部屋に戻る途中で、ロビー横にある小さな売店に立寄った。
    店に入ると同ツアー客の数人が店で品物を見ている。店には石鹸類やアロマ製品類などが多く、一般的な土産物はない様である。私は興味がないので、早々に店を出て部屋に戻る事にした。
    さすがに、この時間帯にはロビー外の屋外プールにはもう人がいない。
    部屋に戻ると時刻は丁度、21時である。意外に長く食事をしていた。明日は出発も早いので、荷物の整理なども出来る限り今晩中に行っておく事にする。
    明日必要なものだけを旅行カバンから出し、リュックに入れる。デジカメの電池を交換し、充電を開始する。スマホも同様に充電を行う。
    先程から干している水着などの乾き具合を確認する為にバルコニーに出る。水着は既に乾いていた。
    夜空には星が多く見える。日本と同じ北半球なので見える星座は同じである。それでも気の性かも知れないが、日本よりも星が近くに見える感じがする。
    昼間は思いの外、暑いので、丁度、今の気温が心地よい!暫らく、このバルコニーで涼んでいた。
    再び部屋の中に戻り、荷物の整理を行う。そして、少し早いが22時過ぎにはベッドに潜り込み、早々に寝る事にした。時差もあり、日本では既に真夜中である。
    今日の朝にイスタンブールに到着してから移動などで非常に疲れている。直ぐに寝入ってしまった。

    今回はここまで! 次回はイズミル、セルチュクを経由し、エフェソス遺跡、ヒエラポリス・パムッカレなどの世界遺産巡り。

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