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トルコ旅行の3日目。イズミル、セルチュクを経由して、世界遺産のエフェソス遺跡、パムッカレ・ヒエラポリスの観光からパムッカレ近くの温泉ホテルまでの旅程。

トルコ旅行記(3日目)

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2013/09/06 - 2013/09/13

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パンダ番長

パンダ番長さん

トルコ旅行の3日目。イズミル、セルチュクを経由して、世界遺産のエフェソス遺跡、パムッカレ・ヒエラポリスの観光からパムッカレ近くの温泉ホテルまでの旅程。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • <トルコ2日目の朝><br />朝5時前に起床した。少し寝過ぎたのか、頭が重い感じがする。<br />早々に顔を洗い、スマホをチェックする。ホテルのWiHiに接続されているので、メールなどは入って来る。<br />昨晩から充電を行っていた電池などをしまい、忘れ物がないか、最終の荷物確認を行う。<br />そうしているとモーニングコールの電話がなる。受話器を取るが、ベルが鳴るだけのモーニングコールである。荷物の確認を終え、もう何もする事がない。<br />暫らく、トルコのガイドブックで今日の観光スポットの確認を行う。<br />今日はこのエドレミットのホテルからまずはエフェソス遺跡を目指し移動し、その後パムッカレに向かう。私の中ではトルコの世界遺産で最も見てみたいと思っていたのが、今日行く、パムッカレである。<br />期待が膨らむ。<br />ガイドブックなどでエフェソス遺跡やパムッカレ、ヒエラポリス遺跡などを確認し、簡単な内容を頭に入れる。それでもまだ朝食時間まで時間があるので、スマホのアプリゲームで時間を潰す。<br />今日の朝食は6時半頃から可能と聞いている。<br />スマホのゲームに夢中になり、気が付くと6時半を過ぎていた。<br />まずは旅行カバンを部屋前の廊下に出し、再度部屋内に忘れ物がないかを確認し、部屋を出る。<br />そして、昨晩夕食を取ったレストランに向かう。昨晩と違い、レストランは閑散としている。<br />レストラン内にいるのは、我々のツアーメンバーだけである。<br />丁度、溝田さんが食事をしているのが目に入り、朝の挨拶をし、同席させて貰う。<br />朝食も勿論バイキングであるので、席の背にリュックを架け、デジカメを置き、料理を取りに行く。<br />昨晩の夕食時にあったテラスの屋台は、今朝は出ていない。<br />まずは野菜類を取りに行くが、昨晩と同じ様にボールに盛られたものだけである。<br />その他にはユーグルトが2種類置いてある。また、今朝はパン類が豊富である。昨晩は菓子パンの様なものは無かったが、今朝は菓子パン類が並んでいる。<br />料理は朝食という事もあり、あまり多くない。その代わり、ハム類や卵料理などが並んでいる。<br />また、ハッシュドポテトなどもある。デザートは昨晩と同様に豊富で、フルーツ類も昨晩見なかったものもある。<br />飲物は溝田さんの食事を見て、チャイなどがある事が判った。<br />昨晩もあったのかも知れないが、気が付かなかった。また、ジュース類も揃っている様だ。<br /><br /><アドリナデラックスホテルでの朝食><br /> ①野菜サラダ(レタス/紫キャベツ/人参/コーンなど)<br /> ②ハム(ロースハム/サラミ風ハム)<br /> ③ゆで卵<br /> ④ポテトフライ/ハッシュドポテト<br /> ⑤パン(胡麻付きパン/菓子パン類)<br /> ⑥ヨーグルト<br /> ⑦デザート(杏/洋なし)<br /> ⑧オレンジジュース/チャイ<br />  <br />溝田さんと話をしながら、食事を始める。<br />昨晩に屋内プールに行った事などを話し、今日の予定などを聞く。溝田さんは少食の様で然程料理も取らず、パンも2つ程であとはヨーグルトのみ。飲物はオレンジジュースとチャイを飲んでいた。<br />溝田さんは先に食事を終え、席を立った。出発の準備などがあるのだろう?<br />私はゆっくりと食事を行い、最後に私もチャイを飲む。<br />

    <トルコ2日目の朝>
    朝5時前に起床した。少し寝過ぎたのか、頭が重い感じがする。
    早々に顔を洗い、スマホをチェックする。ホテルのWiHiに接続されているので、メールなどは入って来る。
    昨晩から充電を行っていた電池などをしまい、忘れ物がないか、最終の荷物確認を行う。
    そうしているとモーニングコールの電話がなる。受話器を取るが、ベルが鳴るだけのモーニングコールである。荷物の確認を終え、もう何もする事がない。
    暫らく、トルコのガイドブックで今日の観光スポットの確認を行う。
    今日はこのエドレミットのホテルからまずはエフェソス遺跡を目指し移動し、その後パムッカレに向かう。私の中ではトルコの世界遺産で最も見てみたいと思っていたのが、今日行く、パムッカレである。
    期待が膨らむ。
    ガイドブックなどでエフェソス遺跡やパムッカレ、ヒエラポリス遺跡などを確認し、簡単な内容を頭に入れる。それでもまだ朝食時間まで時間があるので、スマホのアプリゲームで時間を潰す。
    今日の朝食は6時半頃から可能と聞いている。
    スマホのゲームに夢中になり、気が付くと6時半を過ぎていた。
    まずは旅行カバンを部屋前の廊下に出し、再度部屋内に忘れ物がないかを確認し、部屋を出る。
    そして、昨晩夕食を取ったレストランに向かう。昨晩と違い、レストランは閑散としている。
    レストラン内にいるのは、我々のツアーメンバーだけである。
    丁度、溝田さんが食事をしているのが目に入り、朝の挨拶をし、同席させて貰う。
    朝食も勿論バイキングであるので、席の背にリュックを架け、デジカメを置き、料理を取りに行く。
    昨晩の夕食時にあったテラスの屋台は、今朝は出ていない。
    まずは野菜類を取りに行くが、昨晩と同じ様にボールに盛られたものだけである。
    その他にはユーグルトが2種類置いてある。また、今朝はパン類が豊富である。昨晩は菓子パンの様なものは無かったが、今朝は菓子パン類が並んでいる。
    料理は朝食という事もあり、あまり多くない。その代わり、ハム類や卵料理などが並んでいる。
    また、ハッシュドポテトなどもある。デザートは昨晩と同様に豊富で、フルーツ類も昨晩見なかったものもある。
    飲物は溝田さんの食事を見て、チャイなどがある事が判った。
    昨晩もあったのかも知れないが、気が付かなかった。また、ジュース類も揃っている様だ。

    <アドリナデラックスホテルでの朝食>
     ①野菜サラダ(レタス/紫キャベツ/人参/コーンなど)
     ②ハム(ロースハム/サラミ風ハム)
     ③ゆで卵
     ④ポテトフライ/ハッシュドポテト
     ⑤パン(胡麻付きパン/菓子パン類)
     ⑥ヨーグルト
     ⑦デザート(杏/洋なし)
     ⑧オレンジジュース/チャイ

    溝田さんと話をしながら、食事を始める。
    昨晩に屋内プールに行った事などを話し、今日の予定などを聞く。溝田さんは少食の様で然程料理も取らず、パンも2つ程であとはヨーグルトのみ。飲物はオレンジジュースとチャイを飲んでいた。
    溝田さんは先に食事を終え、席を立った。出発の準備などがあるのだろう?
    私はゆっくりと食事を行い、最後に私もチャイを飲む。

  • そして、朝のホテル周辺の様子をデジカメに収めるべく、ホテルの周辺を歩き廻る。<br /> <br />その後、集合場所のロビーに戻る。時刻は7時20分頃である。<br />ここで、ナムックさんが、「誰かレストランに大事なものを忘れていませんか?」と言い、リュックを掲げ示す。私のリュックである。写真を撮る事に集中していたのか、レストランで席を立った時に背に掛けていたリュックをすっかり忘れていたのである。<br />

    そして、朝のホテル周辺の様子をデジカメに収めるべく、ホテルの周辺を歩き廻る。

    その後、集合場所のロビーに戻る。時刻は7時20分頃である。
    ここで、ナムックさんが、「誰かレストランに大事なものを忘れていませんか?」と言い、リュックを掲げ示す。私のリュックである。写真を撮る事に集中していたのか、レストランで席を立った時に背に掛けていたリュックをすっかり忘れていたのである。

  • ナムックさんが言うまで全然気が付かなかった。みんなに笑われながら、ナムックさんからリュックを受け取る。<br /> <br />もう既に全員がロビーに集合している。各自部屋の鍵を溝田さんに渡し、ホテルでの手続きが済むと、みんなに、「それでは皆さんバスに乗り込んで下さい!」と言う。<br />その合図で、全員がロビーから玄関に出る。<br />その前には既にバスが止まり、我々の旅行カバンを積み込んでいる。我々も乗り込み、座席に着く。<br />

    ナムックさんが言うまで全然気が付かなかった。みんなに笑われながら、ナムックさんからリュックを受け取る。

    もう既に全員がロビーに集合している。各自部屋の鍵を溝田さんに渡し、ホテルでの手続きが済むと、みんなに、「それでは皆さんバスに乗り込んで下さい!」と言う。
    その合図で、全員がロビーから玄関に出る。
    その前には既にバスが止まり、我々の旅行カバンを積み込んでいる。我々も乗り込み、座席に着く。

  • <エドレミットからの移動と最初の休憩所><br />予定通り、7時30分にバスはホテルを出発する。バスは昨日通って来た道を更に進む。<br />丁度、東を向かい走っているのか、正面に昇る朝日が眩しい。<br />今日も海岸線に近い道を走る。山側にはオリーブ畑が拡がる。この辺の畑は殆どがオリーブ畑である。ここでナムックさんが、「はい!皆さん。ギュナイドゥン!おはようございます。トルコ語は覚えましたか?」と朝の挨拶を行う。“ギュナイドゥン”とはトルコ語で“おはよう!”である。<br />そして、「今日は、これからエーゲ海沿いを暫らく進み、その後エフェソス、トルコ語で“エフェス”の遺跡を見て、昼食を取り、その後パムッカレまで移動します。今日も移動時間が長いので、途中に何回か休憩を取りますので安心して下さい。」と今日のおおまかな日程の説明を行う。<br />更に「今、左手に見えているのはオリーブ畑です。皆さん、オリーブの木はどれくらいの寿命があるかご存じですか?」と質問を始める。今日も質問攻めの様だ。<br />誰も答えない様なので、「寿命は約750年~1,000年と言われています。また、トルコはオリーブの生産では世界第3位で、国内で約100万人の人がオリーブで生計を立てています。トルコの人は非常にオリーブ好きで、毎朝必ずオリーブを食べます。同様にチーズも良く食べます。」と教えてくれる。<br />また、「オリーブオイルも非常に多くの料理に使用されます。ホテルの朝食でもありましたが、野菜などにもオリーブオイルを掛けて食べます。皆さん、1kgのオリーブオイルを獲るのにどれくらいのオリーブの実が必要だと思いますか?」と再び問題である。<br />これには前の座席に数人のおばさんが答えていたが、ナムックさんが、「5kgのオリーブの実で1kgのオリーブオイルが出来ます。」と答える。<br />ここで少し、私が調べたオリーブの情報について記す。<br />オリーブは、モクセイ科の常緑高木で、その実はオイルやピクルスを作るのに利用される。<br />地中海地方が原産とされ、葉が小さくて硬く、比較的乾燥に強いことからスペインやイタリアなどの地中海地域で広く栽培されている。多くの品種では自家受粉できない(1本の木では受粉できない)。<br />その為にオリーブは2本以上隣接して植えた方が良いとされている。<br />日本でも栽培されており、有名なのは香川県小豆島である。<br />日本語では「橄欖(かんらん)」と呼ばれる事もあるが、橄欖は本来オリーブとは全く異なるカンラン科の常緑高木で、これは、オリーブに似た緑色の鉱石オリビンを和訳する際に、まったく違う樹木である橄欖の文字を誤って当てて「橄欖石(かんらんせき)」と名づけてしまい、植物のほうも同様に誤字が流布してしまった結果であるという説がある。<br />オリーブの実は生食には適さず、一口噛んだだけでも数時間、口の中が渋みでしびれた状態が続き、味覚も低下する。殆どがピクルスなどの漬け物で食べられる。<br />ナムックさんの話の間に、既にエドレミットの町を抜け、郊外に出た。道路の左右はオリーブ畑が一面に広がる。<br />近くに見える山々の斜面も殆どがオリーブ畑で、オリーブ畑以外のところには別荘が建っている。<br />丁度、正面の右手に見える山の中腹付近にも特徴的な若草色の外観の別荘が見える。<br />その別荘を右手に見、峠の坂に差し掛かる。<br />その峠を越えると正面に再びエーゲ海が綺麗に見え、その前には別荘がひしめき合う様に密集して建っている。時刻は8時を過ぎた。<br />エーゲ海沿いに見えた別荘地帯を過ぎると再び小麦畑の拡がる地域となる。<br />その場所が見え始めると、ナムックさんが、「皆さん、トルコのNo.1の産業は何かご存知ですか?」とまた質問が始まる。<br />誰も答えないと、「トルコのNo.1の産業はテキスタイルです。テキスタイル、織物です。代表的なものが絨毯です。」と答える。<br />「また、その他にも多くのものを輸出されています。皆さんご存知ですか?一番有名なのはヘーゼルナッツです。これは世界の70%の生産量を誇ります。それ以外にもイチジク、松茸などもあります。そして、最もみなさんに馴染みのあるものはパスタです。日本にも輸出されています。」と説明する。<br />そして引き続き、「左手を見て下さい。もう直ぐすると塩田湖が見えます。この塩田湖はフラミンゴが見る事が出来る場所としても有名です。運が良ければ、フラミンゴが見る事が出来るかも知れませんよ!」と教えてくれる。<br />暫らくすると、左手に塩田湖が見えて来た。その塩田湖には多くのピンク色の鳥が見える。これがフラミンゴである。しかし、羽を休めているのか、どの鳥も塩田湖内に立っているだけである。<br />この塩田湖は非常に大きなもので、道路沿いにかなり間、湖が続く。<br />それを過ぎると、再び小麦畑が拡がる単調な景色になる。<br />左手の丘陵地帯にはここにも風車群が見える。この様な単調な景色を見ていると眠たくなって来た。<br />暫らく寝てしまっていた様で、休憩所に到着したところで目が覚めた。時刻は9時20分前である。<br />休憩所はドライブインの様なところである。道路沿いに大きな看板が立っている。それには、“SEBAT TESISLERI”と書かれている。<br />バスを降り、外の空気を吸うと目が覚めた。<br />とりあえず、トイレに行く事にした。ここのトイレは有料ではない。入口には誰もいない。<br />トイレを済ませ、店のバルコニーに移動すると、そこにはテーブルが並び、ナムックさん達がチャイを飲んでいる。<br />

    <エドレミットからの移動と最初の休憩所>
    予定通り、7時30分にバスはホテルを出発する。バスは昨日通って来た道を更に進む。
    丁度、東を向かい走っているのか、正面に昇る朝日が眩しい。
    今日も海岸線に近い道を走る。山側にはオリーブ畑が拡がる。この辺の畑は殆どがオリーブ畑である。ここでナムックさんが、「はい!皆さん。ギュナイドゥン!おはようございます。トルコ語は覚えましたか?」と朝の挨拶を行う。“ギュナイドゥン”とはトルコ語で“おはよう!”である。
    そして、「今日は、これからエーゲ海沿いを暫らく進み、その後エフェソス、トルコ語で“エフェス”の遺跡を見て、昼食を取り、その後パムッカレまで移動します。今日も移動時間が長いので、途中に何回か休憩を取りますので安心して下さい。」と今日のおおまかな日程の説明を行う。
    更に「今、左手に見えているのはオリーブ畑です。皆さん、オリーブの木はどれくらいの寿命があるかご存じですか?」と質問を始める。今日も質問攻めの様だ。
    誰も答えない様なので、「寿命は約750年~1,000年と言われています。また、トルコはオリーブの生産では世界第3位で、国内で約100万人の人がオリーブで生計を立てています。トルコの人は非常にオリーブ好きで、毎朝必ずオリーブを食べます。同様にチーズも良く食べます。」と教えてくれる。
    また、「オリーブオイルも非常に多くの料理に使用されます。ホテルの朝食でもありましたが、野菜などにもオリーブオイルを掛けて食べます。皆さん、1kgのオリーブオイルを獲るのにどれくらいのオリーブの実が必要だと思いますか?」と再び問題である。
    これには前の座席に数人のおばさんが答えていたが、ナムックさんが、「5kgのオリーブの実で1kgのオリーブオイルが出来ます。」と答える。
    ここで少し、私が調べたオリーブの情報について記す。
    オリーブは、モクセイ科の常緑高木で、その実はオイルやピクルスを作るのに利用される。
    地中海地方が原産とされ、葉が小さくて硬く、比較的乾燥に強いことからスペインやイタリアなどの地中海地域で広く栽培されている。多くの品種では自家受粉できない(1本の木では受粉できない)。
    その為にオリーブは2本以上隣接して植えた方が良いとされている。
    日本でも栽培されており、有名なのは香川県小豆島である。
    日本語では「橄欖(かんらん)」と呼ばれる事もあるが、橄欖は本来オリーブとは全く異なるカンラン科の常緑高木で、これは、オリーブに似た緑色の鉱石オリビンを和訳する際に、まったく違う樹木である橄欖の文字を誤って当てて「橄欖石(かんらんせき)」と名づけてしまい、植物のほうも同様に誤字が流布してしまった結果であるという説がある。
    オリーブの実は生食には適さず、一口噛んだだけでも数時間、口の中が渋みでしびれた状態が続き、味覚も低下する。殆どがピクルスなどの漬け物で食べられる。
    ナムックさんの話の間に、既にエドレミットの町を抜け、郊外に出た。道路の左右はオリーブ畑が一面に広がる。
    近くに見える山々の斜面も殆どがオリーブ畑で、オリーブ畑以外のところには別荘が建っている。
    丁度、正面の右手に見える山の中腹付近にも特徴的な若草色の外観の別荘が見える。
    その別荘を右手に見、峠の坂に差し掛かる。
    その峠を越えると正面に再びエーゲ海が綺麗に見え、その前には別荘がひしめき合う様に密集して建っている。時刻は8時を過ぎた。
    エーゲ海沿いに見えた別荘地帯を過ぎると再び小麦畑の拡がる地域となる。
    その場所が見え始めると、ナムックさんが、「皆さん、トルコのNo.1の産業は何かご存知ですか?」とまた質問が始まる。
    誰も答えないと、「トルコのNo.1の産業はテキスタイルです。テキスタイル、織物です。代表的なものが絨毯です。」と答える。
    「また、その他にも多くのものを輸出されています。皆さんご存知ですか?一番有名なのはヘーゼルナッツです。これは世界の70%の生産量を誇ります。それ以外にもイチジク、松茸などもあります。そして、最もみなさんに馴染みのあるものはパスタです。日本にも輸出されています。」と説明する。
    そして引き続き、「左手を見て下さい。もう直ぐすると塩田湖が見えます。この塩田湖はフラミンゴが見る事が出来る場所としても有名です。運が良ければ、フラミンゴが見る事が出来るかも知れませんよ!」と教えてくれる。
    暫らくすると、左手に塩田湖が見えて来た。その塩田湖には多くのピンク色の鳥が見える。これがフラミンゴである。しかし、羽を休めているのか、どの鳥も塩田湖内に立っているだけである。
    この塩田湖は非常に大きなもので、道路沿いにかなり間、湖が続く。
    それを過ぎると、再び小麦畑が拡がる単調な景色になる。
    左手の丘陵地帯にはここにも風車群が見える。この様な単調な景色を見ていると眠たくなって来た。
    暫らく寝てしまっていた様で、休憩所に到着したところで目が覚めた。時刻は9時20分前である。
    休憩所はドライブインの様なところである。道路沿いに大きな看板が立っている。それには、“SEBAT TESISLERI”と書かれている。
    バスを降り、外の空気を吸うと目が覚めた。
    とりあえず、トイレに行く事にした。ここのトイレは有料ではない。入口には誰もいない。
    トイレを済ませ、店のバルコニーに移動すると、そこにはテーブルが並び、ナムックさん達がチャイを飲んでいる。

  • 本当にチャイが好きなのか、昨日から休憩する度にチャイを飲んでいる様に思う。<br />他のツアー客の人も数人は同じ様にバルコニーのテーブルでチャイを飲んでいる。<br />私はバルコニーの端に設けられた土産物屋を除く。<br />特に興味を引く様なものはなかったが、少し面白かったのは、男性器を勃起させた人形が容器になったものが並んでいた事である。何なのかと容器を見れば、どうも精力剤の様である。<br />丁度、その店に入って来たナムックさんに聞くと、「その通り、これは男性用の精力剤です。女性用もありますよ!」と教えてくれる。この店には女性用は置いていない様である。<br />この様なものなど何なのか判らない土産物が多い。<br />面白かったのは、イスラム教徒の人が良く被っている天辺の平らな帽子も売られていた。<br />店にはチャイを飲み終えた他のツアー客も何人か見に来ている。<br />尾道の3人組のおじさんもいた。バスの中では気が付かなかったが、今日は昨日購入したのか、トルコの大きな国旗がプリントされたTシャツを中に着ている。<br />それを指摘すると自慢げに見せられた。先程の帽子を冗談で被せ、「非常に似合っていますよ!」と言うとまんざらでもないのか、そのままで店内をうろついていた。<br />そのまま、店を出てしまいそうなので、帽子を回収し、店に棚に戻す。<br />もう休憩時間は終了なのか、みんながバスに戻り始める。私もその人達に同行し、バスに乗り込む。<br />もう殆どの人が座席に着いていた。9時35分過ぎにはバスが再び出発する。<br />

    本当にチャイが好きなのか、昨日から休憩する度にチャイを飲んでいる様に思う。
    他のツアー客の人も数人は同じ様にバルコニーのテーブルでチャイを飲んでいる。
    私はバルコニーの端に設けられた土産物屋を除く。
    特に興味を引く様なものはなかったが、少し面白かったのは、男性器を勃起させた人形が容器になったものが並んでいた事である。何なのかと容器を見れば、どうも精力剤の様である。
    丁度、その店に入って来たナムックさんに聞くと、「その通り、これは男性用の精力剤です。女性用もありますよ!」と教えてくれる。この店には女性用は置いていない様である。
    この様なものなど何なのか判らない土産物が多い。
    面白かったのは、イスラム教徒の人が良く被っている天辺の平らな帽子も売られていた。
    店にはチャイを飲み終えた他のツアー客も何人か見に来ている。
    尾道の3人組のおじさんもいた。バスの中では気が付かなかったが、今日は昨日購入したのか、トルコの大きな国旗がプリントされたTシャツを中に着ている。
    それを指摘すると自慢げに見せられた。先程の帽子を冗談で被せ、「非常に似合っていますよ!」と言うとまんざらでもないのか、そのままで店内をうろついていた。
    そのまま、店を出てしまいそうなので、帽子を回収し、店に棚に戻す。
    もう休憩時間は終了なのか、みんながバスに戻り始める。私もその人達に同行し、バスに乗り込む。
    もう殆どの人が座席に着いていた。9時35分過ぎにはバスが再び出発する。

  • <再びバスでの移動とセルチュックの町><br />バスが走り始めると直ぐに町が見えて来た。エーゲ海の入り江沿いに町が拡がっている。<br />ナムックさんによると、アリアと言う町との事であるが、地図では確認出来ない。<br />また、ナムックさんの説明では、この町は石油精製所があると言う。トルコには2つしかない石油精製所の一つなのだと言う。また、この石油を利用した大きな火力発電所もあると言う。<br />ここの精製所でガソリンなども造られていると言う。<br />ここでナムックさんが、「トルコは世界一ガソリンが高い国なのをご存じですか?ガソリンがどのくらいするか判りますか?」とまた質問が出る。<br />みんなが思い思いに価格を言うがナムックさんが首を振る。そして、「トルコでガソリンは約250円/Lします。」と言う。日本のほぼ倍である。なぜ、そんなにガソリンが高いのか?<br />トルコでは石油が産出されないにしても、隣国で石油産出国が多いのに?パイプラインで供給されているのであれば、もっと安くなってもおかしくない。<br />更に少し走ると、右手に火力発電所が見えて来た。煙突が3本見えて来た。<br />面白い事にその火力発電所に隣接する様に風力発電施設が見える事である。<br /> <br />発電所の先にはまた、大きな石炭置き場が見えて来た。石炭と石油の併用する施設の様である。<br />その施設を過ぎると、丘陵地帯に差し掛かる。<br />

    <再びバスでの移動とセルチュックの町>
    バスが走り始めると直ぐに町が見えて来た。エーゲ海の入り江沿いに町が拡がっている。
    ナムックさんによると、アリアと言う町との事であるが、地図では確認出来ない。
    また、ナムックさんの説明では、この町は石油精製所があると言う。トルコには2つしかない石油精製所の一つなのだと言う。また、この石油を利用した大きな火力発電所もあると言う。
    ここの精製所でガソリンなども造られていると言う。
    ここでナムックさんが、「トルコは世界一ガソリンが高い国なのをご存じですか?ガソリンがどのくらいするか判りますか?」とまた質問が出る。
    みんなが思い思いに価格を言うがナムックさんが首を振る。そして、「トルコでガソリンは約250円/Lします。」と言う。日本のほぼ倍である。なぜ、そんなにガソリンが高いのか?
    トルコでは石油が産出されないにしても、隣国で石油産出国が多いのに?パイプラインで供給されているのであれば、もっと安くなってもおかしくない。
    更に少し走ると、右手に火力発電所が見えて来た。煙突が3本見えて来た。
    面白い事にその火力発電所に隣接する様に風力発電施設が見える事である。

    発電所の先にはまた、大きな石炭置き場が見えて来た。石炭と石油の併用する施設の様である。
    その施設を過ぎると、丘陵地帯に差し掛かる。

  • ここで、ナムックさんがトルコの自動車事情について説明を始める。<br />トルコでの自動車の人気ランキングは、第一位がフォード、第二位がルノー、第三位がフィアットだと言う。日本車もそこそこ人気があるが、トルコでは日本車が高価でカローラでも約350~400万円すると言う。<br />ナムックさんの話が終わる頃には再び単調な景色が続いた。<br />そして、前方右手のエーゲ海沿いに大きな町が見えて来た。これがイズミルの町である。<br />ここで再び、ナムックさんが話し始まる。「イズミルは非常に綺麗な町ですが、美しい女性が多い事でも有名です。ミストルコの人も多くはこのイズミルの町から出ています。」と教えてくれる。<br />このイズミルは古くは、スミュルナと呼ばれていた。<br /> <br />イスタンブールに次ぐトルコ第2の規模の港湾施設を持つ港湾都市で、人口ではイスタンブール、アンカラに次ぐトルコ第3の都市で、イズミル県の県都である。<br />あまり知られていないが、北大西洋条約機構(NATO)の司令部が置かれている場所である。<br />その町の美しさは「エーゲ海の真珠」と称えられる。<br />このイズミルの郊外から今日始めて高速道路に乗る。時刻は10時20分頃である。<br />高速道路を暫らく走ると、「もう少しで休憩所に到着します。」とナムックさんが言う。<br />10時40分過ぎに、高速道路脇の店に入る。店には看板もなく、何という店なのかは不明である。<br />10時を過ぎて少し暑くなって来た。<br />

    ここで、ナムックさんがトルコの自動車事情について説明を始める。
    トルコでの自動車の人気ランキングは、第一位がフォード、第二位がルノー、第三位がフィアットだと言う。日本車もそこそこ人気があるが、トルコでは日本車が高価でカローラでも約350~400万円すると言う。
    ナムックさんの話が終わる頃には再び単調な景色が続いた。
    そして、前方右手のエーゲ海沿いに大きな町が見えて来た。これがイズミルの町である。
    ここで再び、ナムックさんが話し始まる。「イズミルは非常に綺麗な町ですが、美しい女性が多い事でも有名です。ミストルコの人も多くはこのイズミルの町から出ています。」と教えてくれる。
    このイズミルは古くは、スミュルナと呼ばれていた。

    イスタンブールに次ぐトルコ第2の規模の港湾施設を持つ港湾都市で、人口ではイスタンブール、アンカラに次ぐトルコ第3の都市で、イズミル県の県都である。
    あまり知られていないが、北大西洋条約機構(NATO)の司令部が置かれている場所である。
    その町の美しさは「エーゲ海の真珠」と称えられる。
    このイズミルの郊外から今日始めて高速道路に乗る。時刻は10時20分頃である。
    高速道路を暫らく走ると、「もう少しで休憩所に到着します。」とナムックさんが言う。
    10時40分過ぎに、高速道路脇の店に入る。店には看板もなく、何という店なのかは不明である。
    10時を過ぎて少し暑くなって来た。

  • この休憩所では何か冷たい物を食べたいと考えていたが、丁度アイスクリームを売っている。<br />同じ様に考えている人が多い様で、何人かがアイスクリームを物色している。<br />バス内では食べる事が出来ないので、早く購入し、この休憩所で食べなくてはならない。<br />早々にカップのアイスクリームを購入する。<br />店の人がスプーンをくれなかったので、どうして食べるのかと思っていたが、蓋を開けるとその蓋の裏に小さなスプーンが付いていた。書かれている文字が読めず、何のアイスかと思っていたが、ヘーゼルナッツ風味の美味しいアイスであった。<br />しかし、休憩時間中に食べ終わる事が出来ず、そのままバスにこっそり持つ込み、食べる。<br />時刻は10時50分過ぎである。<br />バスが出発すると直ぐに左右にとうもろこし畑が拡がる。今度はとうもろこし畑が続く。<br />またまた単調な景色に変わる。それからエーゲ海も見えなくなった。<br />

    この休憩所では何か冷たい物を食べたいと考えていたが、丁度アイスクリームを売っている。
    同じ様に考えている人が多い様で、何人かがアイスクリームを物色している。
    バス内では食べる事が出来ないので、早く購入し、この休憩所で食べなくてはならない。
    早々にカップのアイスクリームを購入する。
    店の人がスプーンをくれなかったので、どうして食べるのかと思っていたが、蓋を開けるとその蓋の裏に小さなスプーンが付いていた。書かれている文字が読めず、何のアイスかと思っていたが、ヘーゼルナッツ風味の美味しいアイスであった。
    しかし、休憩時間中に食べ終わる事が出来ず、そのままバスにこっそり持つ込み、食べる。
    時刻は10時50分過ぎである。
    バスが出発すると直ぐに左右にとうもろこし畑が拡がる。今度はとうもろこし畑が続く。
    またまた単調な景色に変わる。それからエーゲ海も見えなくなった。

  • すると前方に線路が見えて来た。また、右手から来る列車が見える。<br />トルコで見る始めての列車である。その線路の上を高速道が走る。見れば線路は単線である。<br /> <br />景色は相変らす単調で、とうもろこし畑と小麦畑が拡がり、所々に木々の畑が見える。<br />この木々はイチジクやザクロである。<br />

    すると前方に線路が見えて来た。また、右手から来る列車が見える。
    トルコで見る始めての列車である。その線路の上を高速道が走る。見れば線路は単線である。

    景色は相変らす単調で、とうもろこし畑と小麦畑が拡がり、所々に木々の畑が見える。
    この木々はイチジクやザクロである。

  • 今迄、あまり山々が見える地形は無かったが、この当たりは道路の左右にこんもりとした日本の山に似た山々が見える。すると、前方右手の山の頂上付近に遺跡の様なものが見える。<br />山城の様なものであろうか?ナムックさんからは何の説明もない。<br /> <br />その山が右手に来た時に高速道路のインターチェンジに差し掛かり、ここで方向を変える。<br />丁度、右折した様にインターチェンジを進む。<br />山頂の遺跡もまた違う方向から見る形でバスは進む。かなり大きな遺跡の様である。<br />この当たりの山間にはイチジクやザクロの木々の畑が多い。<br />今が収穫期で木々には多くの果実が実っている。<br />その様な山間の道路を抜けると、前方に料金所が出て来た。ここで高速道路は終了である。<br />一般道に入り、少し走ると町に出た。ここがセルチュクの町である。<br />セルチュクはイズミル県の町である。<br />

    今迄、あまり山々が見える地形は無かったが、この当たりは道路の左右にこんもりとした日本の山に似た山々が見える。すると、前方右手の山の頂上付近に遺跡の様なものが見える。
    山城の様なものであろうか?ナムックさんからは何の説明もない。

    その山が右手に来た時に高速道路のインターチェンジに差し掛かり、ここで方向を変える。
    丁度、右折した様にインターチェンジを進む。
    山頂の遺跡もまた違う方向から見る形でバスは進む。かなり大きな遺跡の様である。
    この当たりの山間にはイチジクやザクロの木々の畑が多い。
    今が収穫期で木々には多くの果実が実っている。
    その様な山間の道路を抜けると、前方に料金所が出て来た。ここで高速道路は終了である。
    一般道に入り、少し走ると町に出た。ここがセルチュクの町である。
    セルチュクはイズミル県の町である。

  • エフェソス遺跡や聖母マリアの家の観光拠点となっている町である。嘗てはギリシャ語で「神学者ヨハネ」を表す、アギオス・セオロゴスと呼ばれていた。<br />12世紀に、この地を支配していたセルジューク・トルコに因んで、現在のセルチュクと改名された。 セルチュクの町の歴史地区は、聖ヨハネ教会やビザンツ時代の城塞などが残っている。<br /> <br />町に入ると、この城塞が前方に見えて来た。非常に保存状態が良い城塞遺跡である。<br />バスはその城塞方面に進む。町に入ると少し渋滞している様でバスが止まる回数が増えて来た。<br />そして、丁度この城塞前で一時停車する。<br />バスの窓から城塞の写真を撮ろうとするが、城塞前に大きなトルコ国旗が旗めき、それが邪魔で撮り難い。苦戦しているとバスが動き出す。<br />その隣には聖ヨハネ教会の跡がある。その前はバスが止まる事なく、抜けた。<br />この時にナムックさんが、思い出した様に教会跡である事を話す。<br />町を抜けると、また単調な景色となる。この辺りも果実の木々が多い。<br />その畑の間の道を山に向かい、進むと遺跡の一部であろうか、右手にローマ時代の建物跡が見えて来た。<br />もうこの辺りからエフェソス遺跡の様である。すると、山間を上る道の両脇に駐車場が現れた。<br />その前を過ぎ、少し道が狭くなったところでバスが止まる。<br />溝田さんが、「それではエフェソス遺跡の見学に向かいます。貴重品と音声ガイドを忘れずに持って行って下さい。」と言い、先にバスを降りる。<br /><br />

    エフェソス遺跡や聖母マリアの家の観光拠点となっている町である。嘗てはギリシャ語で「神学者ヨハネ」を表す、アギオス・セオロゴスと呼ばれていた。
    12世紀に、この地を支配していたセルジューク・トルコに因んで、現在のセルチュクと改名された。 セルチュクの町の歴史地区は、聖ヨハネ教会やビザンツ時代の城塞などが残っている。

    町に入ると、この城塞が前方に見えて来た。非常に保存状態が良い城塞遺跡である。
    バスはその城塞方面に進む。町に入ると少し渋滞している様でバスが止まる回数が増えて来た。
    そして、丁度この城塞前で一時停車する。
    バスの窓から城塞の写真を撮ろうとするが、城塞前に大きなトルコ国旗が旗めき、それが邪魔で撮り難い。苦戦しているとバスが動き出す。
    その隣には聖ヨハネ教会の跡がある。その前はバスが止まる事なく、抜けた。
    この時にナムックさんが、思い出した様に教会跡である事を話す。
    町を抜けると、また単調な景色となる。この辺りも果実の木々が多い。
    その畑の間の道を山に向かい、進むと遺跡の一部であろうか、右手にローマ時代の建物跡が見えて来た。
    もうこの辺りからエフェソス遺跡の様である。すると、山間を上る道の両脇に駐車場が現れた。
    その前を過ぎ、少し道が狭くなったところでバスが止まる。
    溝田さんが、「それではエフェソス遺跡の見学に向かいます。貴重品と音声ガイドを忘れずに持って行って下さい。」と言い、先にバスを降りる。

  • <ローマ帝国の大規模遺跡“エフェソス遺跡”見学><br />我々もそれに続き、バスを降りる。降りるとそこは土産物屋などが並ぶ一画である。その土産物屋の前を抜け、ナムックさんに付いてエフェソス遺跡の入口に向かう。<br />途中の土産物では熱心に帽子を売っている。確かに日差しが強くなって来たので、帽子がないと熱中症になりそうだ。慌てて、リュックから帽子を出す。暫らく、帽子を被る事にした。<br />この前の道も細く、歩道も狭く、非常に人も多い。<br />バスは入口付近に止まった様で然程歩く事なく、エフェソス遺跡の入口に到着した。<br />その入口前の広場でナムックさんが行う入場手続きを待つ。<br />溝田さんによると、このエフェソス遺跡は世界遺産ではないが、トルコ国内でも人気の高い遺跡で観光客も非常に多いと言う。ナムックさんが我々の待つところに戻り、音声ガイドを通じ、「それでは今からエフェソス遺跡に入ります。チケットは私が持っていますので、私と一緒に来て下さい。」と言う。<br />そして、ナムックさんについて入口に向かう。<br />入口前で一人一人にまずナムックさんが機械にチケットをかざし、チケットを渡し、ゲートを抜ける。<br />そのゲートを抜けた先でみんながゲートを抜けるのを待つ。<br />こちらはエフェソス遺跡の南側の入口である。<br />

    <ローマ帝国の大規模遺跡“エフェソス遺跡”見学>
    我々もそれに続き、バスを降りる。降りるとそこは土産物屋などが並ぶ一画である。その土産物屋の前を抜け、ナムックさんに付いてエフェソス遺跡の入口に向かう。
    途中の土産物では熱心に帽子を売っている。確かに日差しが強くなって来たので、帽子がないと熱中症になりそうだ。慌てて、リュックから帽子を出す。暫らく、帽子を被る事にした。
    この前の道も細く、歩道も狭く、非常に人も多い。
    バスは入口付近に止まった様で然程歩く事なく、エフェソス遺跡の入口に到着した。
    その入口前の広場でナムックさんが行う入場手続きを待つ。
    溝田さんによると、このエフェソス遺跡は世界遺産ではないが、トルコ国内でも人気の高い遺跡で観光客も非常に多いと言う。ナムックさんが我々の待つところに戻り、音声ガイドを通じ、「それでは今からエフェソス遺跡に入ります。チケットは私が持っていますので、私と一緒に来て下さい。」と言う。
    そして、ナムックさんについて入口に向かう。
    入口前で一人一人にまずナムックさんが機械にチケットをかざし、チケットを渡し、ゲートを抜ける。
    そのゲートを抜けた先でみんながゲートを抜けるのを待つ。
    こちらはエフェソス遺跡の南側の入口である。

  • みんながゲートを抜け、最後にナムックさんがゲートを抜け、我々のところに来て、音声ガイドで、「このエフェソス遺跡の説明を先に少し行いますので、左手に見える木の木陰に集まって下さい。」と言う。みんながその木陰に集まった事を確認し、音声ガイドで説明を始める。<br />「エフェソスは、トルコ西部に位置する古代都市で、トルコ語ではエフェス、古典ギリシャ語読みではエフェソとも呼ばれています。アルテミス崇拝で知られたギリシャ人都市でありましたが、のちにキリスト教を受教した事が旧約聖書にも記載されています。元々この遺跡の場所は、港湾都市でしたが、土砂の堆積により現在は海岸から離れています。丁度、この後に見えている山の向こう側は海だったところです。また、この都市の最初の住民はギリシャ人ではなく、リュディア人だったと考えられています。<br />ヒッタイト人の文献に登場するアルザワ王国の首都アパサが、このエフェソスと同一の都市であると多くの歴史学者が考えています。発掘からもミュケナイ文化に属する陶器が見つかっています。<br />  <br />古典期のエフェソスはアルテミス崇拝で、エフェソスでは比較的遅くまで王政が敷かれたと考えられています。哲学者ヘラクレイトスはこの町の出身でした。<br />エフェソスはヘレニズム都市として栄えましたが、紀元前2世紀に共和制ローマの支配下に入り、小アジアの西半分を占めるアシア属州の首府とされました。共和制ローマ最末期にマルクス・アントニウスが、プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ7世と共に滞在した場所でもあります。<br />古代ローマ帝国時代には東地中海交易の中心として栄えました。現在の遺跡にはアルテミス神殿や巨大な図書館、劇場などの遺構が残っています。大劇場は当時最大のものでした。エフェソスの繁栄は港湾によるところが大きかったのですが、土砂の沈降により2世紀頃から港湾の規模は縮小されて行きました。エフェソスには比較的早くキリスト教が入り、使徒ヨハネはパトモス島の流刑から解放された後、エフェソスの教会の主教(司教)を務めたと言われています。<br />イエスの母マリアも使徒ヨハネとともにエフェソスで余生を送ったと伝えられおり、先程バスを降りた道を更に上るとマリアが住んだと言われている場所に”聖母マリアの家”と言う礼拝堂が建てられています。<br />東ローマ帝国下でも、エフェソスは引き続きアシア属州の首都として繁栄し、政治と経済の中心でありました。7世紀に入ると、ペルシャやアラブの勢力拡大を受け、7世紀半ばに城壁が設けられました。先程バスから見えていた遺跡がその一部です。それではこれからエフェソス遺跡を見て廻ります。非常に広大な遺跡ですので、遅れずについて来て下さい。」と言い、歩き始める。<br />

    みんながゲートを抜け、最後にナムックさんがゲートを抜け、我々のところに来て、音声ガイドで、「このエフェソス遺跡の説明を先に少し行いますので、左手に見える木の木陰に集まって下さい。」と言う。みんながその木陰に集まった事を確認し、音声ガイドで説明を始める。
    「エフェソスは、トルコ西部に位置する古代都市で、トルコ語ではエフェス、古典ギリシャ語読みではエフェソとも呼ばれています。アルテミス崇拝で知られたギリシャ人都市でありましたが、のちにキリスト教を受教した事が旧約聖書にも記載されています。元々この遺跡の場所は、港湾都市でしたが、土砂の堆積により現在は海岸から離れています。丁度、この後に見えている山の向こう側は海だったところです。また、この都市の最初の住民はギリシャ人ではなく、リュディア人だったと考えられています。
    ヒッタイト人の文献に登場するアルザワ王国の首都アパサが、このエフェソスと同一の都市であると多くの歴史学者が考えています。発掘からもミュケナイ文化に属する陶器が見つかっています。

    古典期のエフェソスはアルテミス崇拝で、エフェソスでは比較的遅くまで王政が敷かれたと考えられています。哲学者ヘラクレイトスはこの町の出身でした。
    エフェソスはヘレニズム都市として栄えましたが、紀元前2世紀に共和制ローマの支配下に入り、小アジアの西半分を占めるアシア属州の首府とされました。共和制ローマ最末期にマルクス・アントニウスが、プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ7世と共に滞在した場所でもあります。
    古代ローマ帝国時代には東地中海交易の中心として栄えました。現在の遺跡にはアルテミス神殿や巨大な図書館、劇場などの遺構が残っています。大劇場は当時最大のものでした。エフェソスの繁栄は港湾によるところが大きかったのですが、土砂の沈降により2世紀頃から港湾の規模は縮小されて行きました。エフェソスには比較的早くキリスト教が入り、使徒ヨハネはパトモス島の流刑から解放された後、エフェソスの教会の主教(司教)を務めたと言われています。
    イエスの母マリアも使徒ヨハネとともにエフェソスで余生を送ったと伝えられおり、先程バスを降りた道を更に上るとマリアが住んだと言われている場所に”聖母マリアの家”と言う礼拝堂が建てられています。
    東ローマ帝国下でも、エフェソスは引き続きアシア属州の首都として繁栄し、政治と経済の中心でありました。7世紀に入ると、ペルシャやアラブの勢力拡大を受け、7世紀半ばに城壁が設けられました。先程バスから見えていた遺跡がその一部です。それではこれからエフェソス遺跡を見て廻ります。非常に広大な遺跡ですので、遅れずについて来て下さい。」と言い、歩き始める。

  • ますは正面に見えている山肌に立つ遺跡に向かう。その遺跡の前まで行き、再び説明を始める。<br />「この遺跡はローマ様式の浴場の遺跡です。この遺跡にはたくさんの浴場遺跡がありますが、その一つです。”ヴァリウスの浴場”と呼ばれています。」と説明される。<br />そして、その前当たりにあるひとつの地面に埋もれた大理石の周りに集まる様に言われる。<br />「この大理石にはあるゲームの原型となった古代の遊びが彫られています。何か判りますか?」と質問が出る。見ると微かに白い大理石の面に彫られたものが見える。<br />丸いものが幾つか並んだ様な図柄に見える。もしやバックギャモンではと思い、答え様とすると、ナムックさんが、「バックギャモンというゲームを御存じですか?その原型となった遊びが描かれています。」と先に答えを言われてしまった。<br />しかし、見た目は丸い形が左右に数個ずつ並んだ様なものしか見えない。<br />

    ますは正面に見えている山肌に立つ遺跡に向かう。その遺跡の前まで行き、再び説明を始める。
    「この遺跡はローマ様式の浴場の遺跡です。この遺跡にはたくさんの浴場遺跡がありますが、その一つです。”ヴァリウスの浴場”と呼ばれています。」と説明される。
    そして、その前当たりにあるひとつの地面に埋もれた大理石の周りに集まる様に言われる。
    「この大理石にはあるゲームの原型となった古代の遊びが彫られています。何か判りますか?」と質問が出る。見ると微かに白い大理石の面に彫られたものが見える。
    丸いものが幾つか並んだ様な図柄に見える。もしやバックギャモンではと思い、答え様とすると、ナムックさんが、「バックギャモンというゲームを御存じですか?その原型となった遊びが描かれています。」と先に答えを言われてしまった。
    しかし、見た目は丸い形が左右に数個ずつ並んだ様なものしか見えない。

  • 更に先程通って来た方向を指さし、「あの辺りではまだ発掘が続いていますが、上下水道の配管も見つかっています。」と話す。指差す先には、陶器の遺物が山積みになっている。これが上下水道の陶器配管の一部である。

    更に先程通って来た方向を指さし、「あの辺りではまだ発掘が続いていますが、上下水道の配管も見つかっています。」と話す。指差す先には、陶器の遺物が山積みになっている。これが上下水道の陶器配管の一部である。

  • そこから、石組みのゲートの様なところを潜り、遺跡内を進む。その入口上の石には十字模様が見える。<br />キリスト教に関する表記なのか?<br /> <br />ゲートを潜り抜け、石積みの通路に沿い進むと、拓けたところに出る。<br /> <br />その右手にはオデオンと呼ばれる古代の音楽堂が見える。<br />この通りは“バシリカ”と呼ばれているそうで、オデオンの反対側の広場は、”上のアゴラ”と呼ばれている場所だと歩きながら、ナムックさんが音声ガイドを通じ説明をしてくれる。<br />”上のアゴラ”はいわゆる集会場の様なところだと言う。当時は集会や商取引などが行われていた場所だと言う。<br />

    そこから、石組みのゲートの様なところを潜り、遺跡内を進む。その入口上の石には十字模様が見える。
    キリスト教に関する表記なのか?

    ゲートを潜り抜け、石積みの通路に沿い進むと、拓けたところに出る。

    その右手にはオデオンと呼ばれる古代の音楽堂が見える。
    この通りは“バシリカ”と呼ばれているそうで、オデオンの反対側の広場は、”上のアゴラ”と呼ばれている場所だと歩きながら、ナムックさんが音声ガイドを通じ説明をしてくれる。
    ”上のアゴラ”はいわゆる集会場の様なところだと言う。当時は集会や商取引などが行われていた場所だと言う。

  • また、オデオンは音楽堂で、このオデオンの収容人数は1,400人程で、ここでは代表者会議などが主に行われた場所と考えられていると言う。<br />オデオンも比較的保存の状態も良く、長椅子の端に設けられた彫刻などもまだはっきりと残っている。<br />ここで溝田さんにお願いし、記念写真を、オデオンをバックに1枚撮って貰った。<br />更にバシリカを進むと、アーチ状の門を抜ける。バシリカの右手には何本もの石柱が今も残り、当時の様子が窺える。また、その柱の奥の大理石には十字架が刻まれたものもある。<br /> <br />その先に大きな2本の石柱が見えて来た。この辺りには市公会堂が建っていた場所だと言う。<br />

    また、オデオンは音楽堂で、このオデオンの収容人数は1,400人程で、ここでは代表者会議などが主に行われた場所と考えられていると言う。
    オデオンも比較的保存の状態も良く、長椅子の端に設けられた彫刻などもまだはっきりと残っている。
    ここで溝田さんにお願いし、記念写真を、オデオンをバックに1枚撮って貰った。
    更にバシリカを進むと、アーチ状の門を抜ける。バシリカの右手には何本もの石柱が今も残り、当時の様子が窺える。また、その柱の奥の大理石には十字架が刻まれたものもある。

    その先に大きな2本の石柱が見えて来た。この辺りには市公会堂が建っていた場所だと言う。

  • 嘗てはここに聖火が灯され、その火は消える事が無かったと言われているそうだ。<br />聖火は市民から選ばれた人が守っていたと言う。<br />その市公会堂跡の前を過ぎると、少し下り坂になり、その先でバシリカの通りは終了である。<br />そこからはこのエフェソス遺跡のメイン通りであるクレテス通りに繋がっている。丁度、その通りまで出たところで、またナムックさんが音声ガイドで、石板の前に集合する様に言う。<br />  <br />クレテス通りに入るところの左手に大きな石板の様なものが幾つか並んでいる。この辺りには古代ギリシャの神々のレリーフが置かれていたそうだ。その一つが今集まっている前にある。<br />ナムックさんの説明によると、これは商売の神である“エルメス”のレリーフで、この神は羊飼いの神様でもある為に、そのレリーフには羊と一緒に描かれている。<br />また、そのレリーフの側面には復活(再生)のシンボルである杖に蛇が巻き付く様に描かれている。<br />

    嘗てはここに聖火が灯され、その火は消える事が無かったと言われているそうだ。
    聖火は市民から選ばれた人が守っていたと言う。
    その市公会堂跡の前を過ぎると、少し下り坂になり、その先でバシリカの通りは終了である。
    そこからはこのエフェソス遺跡のメイン通りであるクレテス通りに繋がっている。丁度、その通りまで出たところで、またナムックさんが音声ガイドで、石板の前に集合する様に言う。

    クレテス通りに入るところの左手に大きな石板の様なものが幾つか並んでいる。この辺りには古代ギリシャの神々のレリーフが置かれていたそうだ。その一つが今集まっている前にある。
    ナムックさんの説明によると、これは商売の神である“エルメス”のレリーフで、この神は羊飼いの神様でもある為に、そのレリーフには羊と一緒に描かれている。
    また、そのレリーフの側面には復活(再生)のシンボルである杖に蛇が巻き付く様に描かれている。

  • た、通りを挟んだ、先に多くの観光客が記念撮影を行っているレリーフがある。<br />このレリーフが勝利の女神として有名な“ニケ”のレリーフである。右下部分が欠けているが、背中に翼を持つ姿がはっきりと見て取れる。我々もこの前で思い思いに記念撮影を行う。<br />私も溝田さんにお願いし、この前で記念写真を撮って貰う。<br />ナムックさんによると、この“ニケ”のレリーフはもともと、この場所にあったヘラクレスの門のアーチ上部に飾られていたレリーフなのだと言う。<br />

    た、通りを挟んだ、先に多くの観光客が記念撮影を行っているレリーフがある。
    このレリーフが勝利の女神として有名な“ニケ”のレリーフである。右下部分が欠けているが、背中に翼を持つ姿がはっきりと見て取れる。我々もこの前で思い思いに記念撮影を行う。
    私も溝田さんにお願いし、この前で記念写真を撮って貰う。
    ナムックさんによると、この“ニケ”のレリーフはもともと、この場所にあったヘラクレスの門のアーチ上部に飾られていたレリーフなのだと言う。

  • その門の大きな柱が丁度、クレテス通りの入口部分に見える。<br />  <br />ここからクレテス通りは更に下り坂になっているが、その反対側の上のアゴラの端の部分には、大きなアーチを持つ泉があったそうだ。この泉は“ポリオの泉”と言う。<br />また、その反対側にはドミティアヌス神殿があったそうだ。今は2階建ての大きな柱が残る。<br />そのドミティアヌス神殿の方向には行かず、そのままヘラクレス門の大きな柱の間を抜け、クレテス通りを下る。この辺りで記念写真を撮っている間に、ナムックさんはどんどん通りを下っている様である。<br />それに追い付くために、歩を速める。<br />

    その門の大きな柱が丁度、クレテス通りの入口部分に見える。

    ここからクレテス通りは更に下り坂になっているが、その反対側の上のアゴラの端の部分には、大きなアーチを持つ泉があったそうだ。この泉は“ポリオの泉”と言う。
    また、その反対側にはドミティアヌス神殿があったそうだ。今は2階建ての大きな柱が残る。
    そのドミティアヌス神殿の方向には行かず、そのままヘラクレス門の大きな柱の間を抜け、クレテス通りを下る。この辺りで記念写真を撮っている間に、ナムックさんはどんどん通りを下っている様である。
    それに追い付くために、歩を速める。

  • 観光客が非常に多く、音声ガイドで声は聞こえているが、どの辺りにいるのかが暫らく確認出来なかった。しかし、一番後方を溝田さんがツアーの人達を確認しながら、進んでいるので安心である。<br />何とか、トラヤヌスの泉と呼ばれる場所でナムックさんに追い付く。<br />その場所で説明を行っている。丁度、クレテス通りを下り、右手にそれがある。その奥には、特徴的な三角形をした“ファサード(教会などの正面壁部分をこう呼ぶ)”が目印となっている。<br />この泉は皇帝であるトラヤヌスに捧げられた泉である。<br />

    観光客が非常に多く、音声ガイドで声は聞こえているが、どの辺りにいるのかが暫らく確認出来なかった。しかし、一番後方を溝田さんがツアーの人達を確認しながら、進んでいるので安心である。
    何とか、トラヤヌスの泉と呼ばれる場所でナムックさんに追い付く。
    その場所で説明を行っている。丁度、クレテス通りを下り、右手にそれがある。その奥には、特徴的な三角形をした“ファサード(教会などの正面壁部分をこう呼ぶ)”が目印となっている。
    この泉は皇帝であるトラヤヌスに捧げられた泉である。

  • 現在はファサード以外では台座が残るくらいで、殆ど修復されていない。この辺りではギリシャの神々の像なども発見されているそうだ。その先には綺麗に残る建物がある。これがハドリアヌス神殿である。<br /> <br />アーチ状の門が綺麗に残っている。そのアーチの部分には多くのレリーフがある。この装飾の中央付近には、運命を司るとされる女神の“ティケ”が描かれている。<br />私はあまりギリシャ神話などに詳しくなく、良く判らないがナムックさんの説明によると、女神ティケは地位や財産の運命を司る女神とされているそうだ。<br />

    現在はファサード以外では台座が残るくらいで、殆ど修復されていない。この辺りではギリシャの神々の像なども発見されているそうだ。その先には綺麗に残る建物がある。これがハドリアヌス神殿である。

    アーチ状の門が綺麗に残っている。そのアーチの部分には多くのレリーフがある。この装飾の中央付近には、運命を司るとされる女神の“ティケ”が描かれている。
    私はあまりギリシャ神話などに詳しくなく、良く判らないがナムックさんの説明によると、女神ティケは地位や財産の運命を司る女神とされているそうだ。

  • また、その奥の門のアーチの中央には、これは私にも判る特徴のある女神が大きく手を広げた形で描かれている。髪が蛇の“メデューサ”である。<br />メデューサは女神であったが、ギリシャの神々を侮辱した事から怪物に変えられたと言われ、元々は大地母神として崇められていたとされている。その為にここに描かれているのかも知れない。<br />また、その左右の壁には、このエフェソスの起源伝説がレリーフに描かれている。<br />

    また、その奥の門のアーチの中央には、これは私にも判る特徴のある女神が大きく手を広げた形で描かれている。髪が蛇の“メデューサ”である。
    メデューサは女神であったが、ギリシャの神々を侮辱した事から怪物に変えられたと言われ、元々は大地母神として崇められていたとされている。その為にここに描かれているのかも知れない。
    また、その左右の壁には、このエフェソスの起源伝説がレリーフに描かれている。

  • この起源伝説とは、ナムックさんの説明によると、紀元前11世紀にイオニアの王であるアンドロクロスが受けたデルフォイの信託である。その内容は“魚と火、そしてイノシシが移民先を教える”と言うもので、丁度、魚とイノシシが壁のレリーフに描かれている。

    この起源伝説とは、ナムックさんの説明によると、紀元前11世紀にイオニアの王であるアンドロクロスが受けたデルフォイの信託である。その内容は“魚と火、そしてイノシシが移民先を教える”と言うもので、丁度、魚とイノシシが壁のレリーフに描かれている。

  • 更にその先にはまた浴場がある。ここはスコラスティカの浴場と呼ばれ、紀元1世紀頃に造られた公衆浴場である。

    更にその先にはまた浴場がある。ここはスコラスティカの浴場と呼ばれ、紀元1世紀頃に造られた公衆浴場である。

  • クレテス通りの反対側は未だ発掘途中なのか、上の方はテントに覆われた遺跡が見える。<br />更にその先にはまた浴場がある。ここはスコラスティカの浴場と呼ばれ、紀元1世紀頃に造られた公衆浴場である。<br />  <br />クレテス通りの反対側は未だ発掘途中なのか、上の方はテントに覆われた遺跡が見える。<br />この辺りは共同住宅群だった場所である。丘の上に向かい、集合住宅群が拡がる。日干しレンガと大理石を組み合わせ、造られている様だ。むき出しのレンガが多く見える。<br />

    クレテス通りの反対側は未だ発掘途中なのか、上の方はテントに覆われた遺跡が見える。
    更にその先にはまた浴場がある。ここはスコラスティカの浴場と呼ばれ、紀元1世紀頃に造られた公衆浴場である。

    クレテス通りの反対側は未だ発掘途中なのか、上の方はテントに覆われた遺跡が見える。
    この辺りは共同住宅群だった場所である。丘の上に向かい、集合住宅群が拡がる。日干しレンガと大理石を組み合わせ、造られている様だ。むき出しのレンガが多く見える。

  • クレテス通りに面した部分には綺麗なタイルが敷き詰められ、まだその色も鮮やかに残っている。また、一部天井付近にはフレスコ画が残る部分も見える。<br />この辺りまでがクレテス通りで、丁度その終わりの場所に大きな広場と大きな柱が並ぶ建物が奥に見えている。ここが下のアゴラで、大きな柱が並ぶ建物がケルスス図書館と呼ばれるもので、古代の図書館である。<br />ここで、ナムックさんより集合が掛かる。一旦、このクレテス通りの終わり部分に集合する。<br />

    クレテス通りに面した部分には綺麗なタイルが敷き詰められ、まだその色も鮮やかに残っている。また、一部天井付近にはフレスコ画が残る部分も見える。
    この辺りまでがクレテス通りで、丁度その終わりの場所に大きな広場と大きな柱が並ぶ建物が奥に見えている。ここが下のアゴラで、大きな柱が並ぶ建物がケルスス図書館と呼ばれるもので、古代の図書館である。
    ここで、ナムックさんより集合が掛かる。一旦、このクレテス通りの終わり部分に集合する。

  • ナムックさんが、「ここで少し自由時間にします。再集合時間は12時25分とします。15分程時間を取りますので、ケルスス図書館などを見たい人は見に行って下さい。再集合場所はこの右手の辺りにします。」と言う。<br />ケルスス図書館はこのエフェソス遺跡の見所の一つである。<br />解散後、まずは溝田さんを捕まえ、このケルスス図書館をバックに記念写真を撮って貰う。それを撮り終え、ケルスス図書館に向かう。<br />

    ナムックさんが、「ここで少し自由時間にします。再集合時間は12時25分とします。15分程時間を取りますので、ケルスス図書館などを見たい人は見に行って下さい。再集合場所はこの右手の辺りにします。」と言う。
    ケルスス図書館はこのエフェソス遺跡の見所の一つである。
    解散後、まずは溝田さんを捕まえ、このケルスス図書館をバックに記念写真を撮って貰う。それを撮り終え、ケルスス図書館に向かう。

  • 図書館は一段低い場所に造られているが、その入口には高い階段がある。<br />この建物の前まで来るとその大きさに圧倒される。この図書館は2階建てで、ローマ帝国のアジア州執政官であったケルススの死後、その息子が墓室の上に記念に造ったとされる。<br />1階の正面には“知恵”、“運命”、“学問”、“美徳”の4つの意味を象徴する女神像がある。<br />知恵を象徴する“ソフィア”、運命を象徴する“アレーテ”、学問を象徴する“エンノイア”、美徳を象徴する“エピスティム”が左から並ぶ。<br />  <br />その中に入ると、あまり奥行きはなく、その壁面には等間隔で本を治めたと思われる棚の様な窪みが見える。大理石とレンガで造られた壁は今も綺麗に残っている。<br />1階の柱はコリント様式とイオニア様式が複合した形式の柱である。2階の柱は少し違い、こちらはコリント様式の柱の様である。ここには1万2千巻の書物が所蔵されていたとされる。<br />この図書館を一通り見て後、写真も思う存分撮り、その横にある下のアゴラの門を潜る。<br />

    図書館は一段低い場所に造られているが、その入口には高い階段がある。
    この建物の前まで来るとその大きさに圧倒される。この図書館は2階建てで、ローマ帝国のアジア州執政官であったケルススの死後、その息子が墓室の上に記念に造ったとされる。
    1階の正面には“知恵”、“運命”、“学問”、“美徳”の4つの意味を象徴する女神像がある。
    知恵を象徴する“ソフィア”、運命を象徴する“アレーテ”、学問を象徴する“エンノイア”、美徳を象徴する“エピスティム”が左から並ぶ。

    その中に入ると、あまり奥行きはなく、その壁面には等間隔で本を治めたと思われる棚の様な窪みが見える。大理石とレンガで造られた壁は今も綺麗に残っている。
    1階の柱はコリント様式とイオニア様式が複合した形式の柱である。2階の柱は少し違い、こちらはコリント様式の柱の様である。ここには1万2千巻の書物が所蔵されていたとされる。
    この図書館を一通り見て後、写真も思う存分撮り、その横にある下のアゴラの門を潜る。

  • この下のアゴラは、“商業アゴラ”とも言われ、当時は市場などがあった場所である。中は広く、一部列状に並ぶ柱が残る。<br />時間も然程ないので、このアゴラ内を歩くのは止めた。この入口門には数匹の猫がいた。<br />この猫達は非常に人に慣れているのか、無防備な状態でいる。<br />

    この下のアゴラは、“商業アゴラ”とも言われ、当時は市場などがあった場所である。中は広く、一部列状に並ぶ柱が残る。
    時間も然程ないので、このアゴラ内を歩くのは止めた。この入口門には数匹の猫がいた。
    この猫達は非常に人に慣れているのか、無防備な状態でいる。

  • 聞くと、トルコの人は猫を非常に大事にするのだそうだ。この門内で寝ている猫の写真を撮る為にカメラをかなり近づけるが、それでも起きない。本当に人慣れしている。<br /> <br />もう時間があまりない。急いで集合場所に向かう。もう殆どの人が集まっていた。<br />結局、公衆トイレの見学が出来なかった。残念である。<br />

    聞くと、トルコの人は猫を非常に大事にするのだそうだ。この門内で寝ている猫の写真を撮る為にカメラをかなり近づけるが、それでも起きない。本当に人慣れしている。

    もう時間があまりない。急いで集合場所に向かう。もう殆どの人が集まっていた。
    結局、公衆トイレの見学が出来なかった。残念である。

  • 聞くと、ここの公衆トイレは水洗であったと言う。それを聞くと、遺跡の入口付近には上下水管に使用されたと思われる発掘された陶器製の管が山積みされていたのを思い出す。<br />  <br />全員が揃い、再びナムックさんを先頭に、今度はこのケルスス図書館前から続く、マーブル通りを進む。“マーブル”とは大理石の事で、所謂“大理石通り”である。<br />名前の通り、通りの両サイドには彫刻を施された大理石が並ぶ。勿論、道に敷かれた石も全て大理石である。<br />少し歩くと、今迄は全て白が基調の石であったが、緑色の大理石が通りの端に置かれている。<br />この石だけが緑色の大理石である。何か意味のある石であったのであろうか?ナムックさんからは何も説明が無かった。<br />

    聞くと、ここの公衆トイレは水洗であったと言う。それを聞くと、遺跡の入口付近には上下水管に使用されたと思われる発掘された陶器製の管が山積みされていたのを思い出す。

    全員が揃い、再びナムックさんを先頭に、今度はこのケルスス図書館前から続く、マーブル通りを進む。“マーブル”とは大理石の事で、所謂“大理石通り”である。
    名前の通り、通りの両サイドには彫刻を施された大理石が並ぶ。勿論、道に敷かれた石も全て大理石である。
    少し歩くと、今迄は全て白が基調の石であったが、緑色の大理石が通りの端に置かれている。
    この石だけが緑色の大理石である。何か意味のある石であったのであろうか?ナムックさんからは何も説明が無かった。

  • その先の左手の路面の大理石の前で、ナムックさんが集合する様に音声ガイドで話す。<br />その前に集合する。その石の表面には人の足型が彫られている。<br /> <br />ナムックさんが、「これは何の印か判りますか?」とここでも質問である。<br />誰も答えないのを見て、私を見て、「どうですか?答えて下さい。」と言うが私も判らない旨を手振りで示すと、「これはこの前に娼婦館があった事を表します。先程集合した辺りにも娼婦館がありましたが、この辺りにも娼婦館がありました。また、この足型はこの足より小さな人は入る事が出来ませんでした。利用の年齢制限も為に目安でもあったのです。」と説明をしてくれる。<br />それにしても大きな足型である。この基準で行くと日本人の多くは利用が出来ない事になる。<br />マーブル通りは非常に平坦な通りである。また、先程のクレテス通りよりも道幅も広い。<br />

    その先の左手の路面の大理石の前で、ナムックさんが集合する様に音声ガイドで話す。
    その前に集合する。その石の表面には人の足型が彫られている。

    ナムックさんが、「これは何の印か判りますか?」とここでも質問である。
    誰も答えないのを見て、私を見て、「どうですか?答えて下さい。」と言うが私も判らない旨を手振りで示すと、「これはこの前に娼婦館があった事を表します。先程集合した辺りにも娼婦館がありましたが、この辺りにも娼婦館がありました。また、この足型はこの足より小さな人は入る事が出来ませんでした。利用の年齢制限も為に目安でもあったのです。」と説明をしてくれる。
    それにしても大きな足型である。この基準で行くと日本人の多くは利用が出来ない事になる。
    マーブル通りは非常に平坦な通りである。また、先程のクレテス通りよりも道幅も広い。

  • このマーブル通りを少し歩くと、エフェソス遺跡で最も大きな、そして有名な遺跡に到達する。<br />それは大劇場である。マーブル通りから別れた上り坂を上る。その先に大劇場に入る為に柵の様な門を抜ける。その門のところにも猫が座り、人を見ても動じず、じっと人を見つめているだけである。<br />大劇場の観客席の下の方に出る。そこから劇場の舞台に階段で降りると、そこで集合する。<br /> <br />ここで再び、ナムックさんの説明が始まる。<br />「この大劇場は、後のビオン山という山の斜面に沿って造られています。ここでは演劇や全市民参加の集会などが行われたと考えられています。この大劇場の収容人数は約2万4千人で、観客席は直径約154mの半円形で、高さは38mもあります。また、映画などでも再現されたシーンがありますが、剣士と猛獣の格闘なども行われていました。」と説明してくれる。<br />ここで、また質問である。「それでは、このエフェソスの人口はどのくらいであったでしょうか?」と質問される。数人が適当な人口を言うと、「覚えておいて下さい。この様な大規模な劇場やオデオンは大体人口の1/10が収容出来る施設を造ったと言われているのです。そうすると、このエフェソスの人口はいくつですか?」と続ける。<br />みんなが、「24万人!」と答えると、「そうです。大体24万人と推定されています。当時としてはかなり大きな都市であった事が判ります。」と言う。<br />また、「折角、みなさんは大劇場の舞台に立っているので、ここで拍手をして見て下さい。この劇場の音響効果の素晴らしさが体験出来ます。」と言うと、「それではみなさん宜しいですか?はい、それでは拍手!」と言い、みんなに拍手を促す。<br />そして、みんなで拍手すると言われる様に拍手の音がコダマし、劇場内を巡る様に聞こえる。<br />

    このマーブル通りを少し歩くと、エフェソス遺跡で最も大きな、そして有名な遺跡に到達する。
    それは大劇場である。マーブル通りから別れた上り坂を上る。その先に大劇場に入る為に柵の様な門を抜ける。その門のところにも猫が座り、人を見ても動じず、じっと人を見つめているだけである。
    大劇場の観客席の下の方に出る。そこから劇場の舞台に階段で降りると、そこで集合する。

    ここで再び、ナムックさんの説明が始まる。
    「この大劇場は、後のビオン山という山の斜面に沿って造られています。ここでは演劇や全市民参加の集会などが行われたと考えられています。この大劇場の収容人数は約2万4千人で、観客席は直径約154mの半円形で、高さは38mもあります。また、映画などでも再現されたシーンがありますが、剣士と猛獣の格闘なども行われていました。」と説明してくれる。
    ここで、また質問である。「それでは、このエフェソスの人口はどのくらいであったでしょうか?」と質問される。数人が適当な人口を言うと、「覚えておいて下さい。この様な大規模な劇場やオデオンは大体人口の1/10が収容出来る施設を造ったと言われているのです。そうすると、このエフェソスの人口はいくつですか?」と続ける。
    みんなが、「24万人!」と答えると、「そうです。大体24万人と推定されています。当時としてはかなり大きな都市であった事が判ります。」と言う。
    また、「折角、みなさんは大劇場の舞台に立っているので、ここで拍手をして見て下さい。この劇場の音響効果の素晴らしさが体験出来ます。」と言うと、「それではみなさん宜しいですか?はい、それでは拍手!」と言い、みんなに拍手を促す。
    そして、みんなで拍手すると言われる様に拍手の音がコダマし、劇場内を巡る様に聞こえる。

  • 拍手を終えると今度は、「もう一つ、この劇場の舞台に立った記念に、皆さんで歌を歌いましょう!先程の拍手の効果ももう一度体験して貰う為に、“幸せなら手を叩こう!”を歌いましょう。皆さん、ご存じですね?」と言う。<br />みんなが知っている顔をして頷くと、「それでは、歌いましょう!」と言い、ナムックさんが歌い始まるのに合わせ、みんなで歌う。歌に合わせて手も叩くと、非常に良く響くのが判る。<br />そして、歌い終わると、観客席に座っていた別ツアーの人達から拍手を貰う。<br />その人達に礼をすると、今度はその拍手をしてくれた観客席にいた別ツアーの人達が“幸せなら手を叩こう”と歌い始める。<br />聞いていると、日本語ではない、韓国語の様である。韓国の観光客の人達である。<br />その人達の歌を聞き終え、こちらも拍手をする。<br />その後、この大劇場の舞台袖の通路に進む。この通路は大理石で造られた通路で、天井が非常に低い。大きなローマ人なら屈まないと進めないであろう。<br /> <br />この通路を抜けると再びマーブル通りに出るが、その前にはまた別の通りが、このマーブル通りと直角に交差する様に延びている。この通りがアルカディアン通り(港通り)である。<br />

    拍手を終えると今度は、「もう一つ、この劇場の舞台に立った記念に、皆さんで歌を歌いましょう!先程の拍手の効果ももう一度体験して貰う為に、“幸せなら手を叩こう!”を歌いましょう。皆さん、ご存じですね?」と言う。
    みんなが知っている顔をして頷くと、「それでは、歌いましょう!」と言い、ナムックさんが歌い始まるのに合わせ、みんなで歌う。歌に合わせて手も叩くと、非常に良く響くのが判る。
    そして、歌い終わると、観客席に座っていた別ツアーの人達から拍手を貰う。
    その人達に礼をすると、今度はその拍手をしてくれた観客席にいた別ツアーの人達が“幸せなら手を叩こう”と歌い始める。
    聞いていると、日本語ではない、韓国語の様である。韓国の観光客の人達である。
    その人達の歌を聞き終え、こちらも拍手をする。
    その後、この大劇場の舞台袖の通路に進む。この通路は大理石で造られた通路で、天井が非常に低い。大きなローマ人なら屈まないと進めないであろう。

    この通路を抜けると再びマーブル通りに出るが、その前にはまた別の通りが、このマーブル通りと直角に交差する様に延びている。この通りがアルカディアン通り(港通り)である。

  • 嘗ては、この通りの先には名前の通り、港湾施設があったそうだ。<br />その通りに下りる階段で、ナムックさんが、「ここから後を見ないで、前のみを見て歩いて下さい。私が後を見て下さいと言うまで、振りかえってはダメですよ!」と言う。<br />そして、階段を降り、少しアルカディアン通りを歩く。<br /> <br />この通りは先程のマーブル通りよりも更に道幅は広い。そこから少しアルカディアン通りを歩くと、アルカディアン通りを外れ、右手の小高いところへ上る道に入る。<br />その小高いところを上り切ったところで、ナムックさんが、「それではみなさん、後を見て下さい!」と言う。その言葉に合わせ、振りかえると、先程見た大劇場の全容が目に飛び込んで来る。<br />ナムックさんはこれを見せたかったのである。大劇場の大きさが離れて見る事で際立つ。<br />  <br />ここで再び、記念撮影会が始まる。この大劇場をバックに各々記念撮影を始める。私も溝田さんにお願いし、大劇場をバックに記念写真を撮って貰う。<br />

    嘗ては、この通りの先には名前の通り、港湾施設があったそうだ。
    その通りに下りる階段で、ナムックさんが、「ここから後を見ないで、前のみを見て歩いて下さい。私が後を見て下さいと言うまで、振りかえってはダメですよ!」と言う。
    そして、階段を降り、少しアルカディアン通りを歩く。

    この通りは先程のマーブル通りよりも更に道幅は広い。そこから少しアルカディアン通りを歩くと、アルカディアン通りを外れ、右手の小高いところへ上る道に入る。
    その小高いところを上り切ったところで、ナムックさんが、「それではみなさん、後を見て下さい!」と言う。その言葉に合わせ、振りかえると、先程見た大劇場の全容が目に飛び込んで来る。
    ナムックさんはこれを見せたかったのである。大劇場の大きさが離れて見る事で際立つ。

    ここで再び、記念撮影会が始まる。この大劇場をバックに各々記念撮影を始める。私も溝田さんにお願いし、大劇場をバックに記念写真を撮って貰う。

  • この辺りの右手にも遺跡が残っている。この辺りには劇場体育館と呼ばれる施設があった場所との事である。先程の大劇場で行われた格闘などの練習施設である。<br />また、この辺りの道の両側には大きな松の木が植えられ、日本の街道の様な雰囲気である。<br />もう、この道の先には反対側の入口である北入口が見えている。<br />これでエフェソス遺跡の見学は終了であるが、今迄にこれ程の大規模な古代遺跡を見学した事が無かったので、非常に感動し、充実した見学であった。<br />この遺跡が世界遺産に登録されていない事自体が非常に残念であるが、これ程多くの観光客を集客出来る遺跡であるので、世界遺産に匹敵する遺跡である。<br />世界遺産に登録されないのはそれなりの理由があるのだと思うが、いずれは世界遺産に登録される事は間違いない、いや是非登録して欲しい!<br />その後、北入口から遺跡を出る。<br />この北入口前にも多くの土産物屋が並んでいるが、時間もないのか、ナムックさんはさっさとその前を通り過ぎる。その先の駐車場に我々のバスも移動している様だ。<br />バスを見つけたナムックさんが、我々の方を向いて、バスの方向を指し示し、バスに乗る様に言う。<br />時刻は既に12時50分前である。<br />

    この辺りの右手にも遺跡が残っている。この辺りには劇場体育館と呼ばれる施設があった場所との事である。先程の大劇場で行われた格闘などの練習施設である。
    また、この辺りの道の両側には大きな松の木が植えられ、日本の街道の様な雰囲気である。
    もう、この道の先には反対側の入口である北入口が見えている。
    これでエフェソス遺跡の見学は終了であるが、今迄にこれ程の大規模な古代遺跡を見学した事が無かったので、非常に感動し、充実した見学であった。
    この遺跡が世界遺産に登録されていない事自体が非常に残念であるが、これ程多くの観光客を集客出来る遺跡であるので、世界遺産に匹敵する遺跡である。
    世界遺産に登録されないのはそれなりの理由があるのだと思うが、いずれは世界遺産に登録される事は間違いない、いや是非登録して欲しい!
    その後、北入口から遺跡を出る。
    この北入口前にも多くの土産物屋が並んでいるが、時間もないのか、ナムックさんはさっさとその前を通り過ぎる。その先の駐車場に我々のバスも移動している様だ。
    バスを見つけたナムックさんが、我々の方を向いて、バスの方向を指し示し、バスに乗る様に言う。
    時刻は既に12時50分前である。

  • <セルチュク郊外の昼食><br />バスに全員が乗り込むと溝田さんが、「お疲れ様でした。だいぶ歩きましたが疲れませんでしたか?それではこれから少し遅くなりましたが、昼食場所に向かいます。ここからは少し時間が掛かり、30分弱掛かると思われますが、もう少し我慢して下さい。」と言い、バスが出発する。<br />バスは再び、山間の道に出て、山の谷合を縫う様に造られた道を進む。<br />暫らく、その様な道を走っていたが、あるところから徐々に山に上り始める。そして、峠の山道に入る。<br />周りの山々には大きな木々がない裸山で、所々に小さな灌木が見えるが、良く見ると、果物の木々であった。オレンジであろうか?大きな実をつけている。<br />かなり山肌を上ったところで、上って来た道を外れ、小さな脇道に入る。<br />そして少し走ると、今度は前方に下り坂が見えて来たが、その前でバスは一旦停車する。<br />ここで降りるのか?周りには店らしきものは見えない。何やらナムックさんと運転手のナフィスかムラシットさんが話をしている。<br />すると、バスは何と後進(バック)で坂を下り始めた。どうするつもりなのだろうか?<br />バスはどんどん後進しながら坂を下る。そして、かなり坂を下ったところで停車する。<br />ここで溝田さんが、「それではみなさん!バスを降りて下さい。ここからは少し歩いてレストランに向かいます。」と言う。みんなでバスを降りる。<br />見るとレストランらしき入口が下って来た坂の途中に見えている。<br /><br />

    <セルチュク郊外の昼食>
    バスに全員が乗り込むと溝田さんが、「お疲れ様でした。だいぶ歩きましたが疲れませんでしたか?それではこれから少し遅くなりましたが、昼食場所に向かいます。ここからは少し時間が掛かり、30分弱掛かると思われますが、もう少し我慢して下さい。」と言い、バスが出発する。
    バスは再び、山間の道に出て、山の谷合を縫う様に造られた道を進む。
    暫らく、その様な道を走っていたが、あるところから徐々に山に上り始める。そして、峠の山道に入る。
    周りの山々には大きな木々がない裸山で、所々に小さな灌木が見えるが、良く見ると、果物の木々であった。オレンジであろうか?大きな実をつけている。
    かなり山肌を上ったところで、上って来た道を外れ、小さな脇道に入る。
    そして少し走ると、今度は前方に下り坂が見えて来たが、その前でバスは一旦停車する。
    ここで降りるのか?周りには店らしきものは見えない。何やらナムックさんと運転手のナフィスかムラシットさんが話をしている。
    すると、バスは何と後進(バック)で坂を下り始めた。どうするつもりなのだろうか?
    バスはどんどん後進しながら坂を下る。そして、かなり坂を下ったところで停車する。
    ここで溝田さんが、「それではみなさん!バスを降りて下さい。ここからは少し歩いてレストランに向かいます。」と言う。みんなでバスを降りる。
    見るとレストランらしき入口が下って来た坂の途中に見えている。

  • そこまで、坂を少し上る。時刻は13時15分頃である。店の名前は看板などがないので判らない。<br />レストランの入口からは更に階段が設けられ、山の谷合の斜面に沿う様に下る。その斜面にレストランが造られている様だ。<br />レストランに着くと、我々は谷合に面したテラス席に案内される。<br /><br />4人掛けのテーブルで、私はいつもの様に尾道の3人組と一緒に座る。<br />まずは飲物の注文をする事になる。エフェソス遺跡ではかなり歩いた事もあり、喉が渇いた。<br />すっきりした飲物が欲しくなり、スプライトを注文する。<br />

    そこまで、坂を少し上る。時刻は13時15分頃である。店の名前は看板などがないので判らない。
    レストランの入口からは更に階段が設けられ、山の谷合の斜面に沿う様に下る。その斜面にレストランが造られている様だ。
    レストランに着くと、我々は谷合に面したテラス席に案内される。

    4人掛けのテーブルで、私はいつもの様に尾道の3人組と一緒に座る。
    まずは飲物の注文をする事になる。エフェソス遺跡ではかなり歩いた事もあり、喉が渇いた。
    すっきりした飲物が欲しくなり、スプライトを注文する。

  • テーブルにはパンが既に置かれている。店員がワゴンで注文した飲物を持って来てくれ、注文を再確認し、各人に飲物を配る。それとほぼ同時にまずはスープが出て来た。<br />見た目はトマトスープの様である。<br />出て来たものは以下の様な内容である。<br /><セルチュク郊外での昼食><br /> ①トマトスープ(ドマテス・チョルパス)<br /> ②生野菜サラダ(きゅうり/トマト/玉葱/サニーレタスなど)<br /> ③トルコ風パイ(ボレキ)<br /> ④ケバブ(串焼き:牛肉と羊肉)<br /> ⑤松の実入りライス(サーデ・ピラウ)<br /> ⑥西瓜(すいか)<br /> ⑦飲物(スプライト)<br />最初に出て来たスープはトルコ料理では定番のスープだとナムックさんが説明してくれる。<br />また、ケバブの肉の赤身は牛肉で、脂身は羊肉だと、これも説明を加えてくれる。<br />その様に言われたので、ケバブは意識して食べると、確かに脂身だけは少し臭いが強い。羊肉独特の臭いがある。苦手な人は食べ難いのではないか?<br />生野菜サラダ(盛合せ)はレモンが添えられ、それを搾って食べる様である。ドレッシングはない。<br />ライスは、これも定番の松の実入りのサーデ・ピラウである。<br />

    テーブルにはパンが既に置かれている。店員がワゴンで注文した飲物を持って来てくれ、注文を再確認し、各人に飲物を配る。それとほぼ同時にまずはスープが出て来た。
    見た目はトマトスープの様である。
    出て来たものは以下の様な内容である。
    <セルチュク郊外での昼食>
     ①トマトスープ(ドマテス・チョルパス)
     ②生野菜サラダ(きゅうり/トマト/玉葱/サニーレタスなど)
     ③トルコ風パイ(ボレキ)
     ④ケバブ(串焼き:牛肉と羊肉)
     ⑤松の実入りライス(サーデ・ピラウ)
     ⑥西瓜(すいか)
     ⑦飲物(スプライト)
    最初に出て来たスープはトルコ料理では定番のスープだとナムックさんが説明してくれる。
    また、ケバブの肉の赤身は牛肉で、脂身は羊肉だと、これも説明を加えてくれる。
    その様に言われたので、ケバブは意識して食べると、確かに脂身だけは少し臭いが強い。羊肉独特の臭いがある。苦手な人は食べ難いのではないか?
    生野菜サラダ(盛合せ)はレモンが添えられ、それを搾って食べる様である。ドレッシングはない。
    ライスは、これも定番の松の実入りのサーデ・ピラウである。

  • 量的には然程多くないので、早々に食べ終わる。そして、最後にデザートとして西瓜が出て来た。<br />この旅行でもデザートで西瓜が出る事が多い。<br />中国などでも同じ様にデザートでよく西瓜が出たが、トルコでも西瓜が多い。<br />食べ終わると先程のエフェソス遺跡の話になる。<br />尾道から来たおじさんが非常に感動したのか、先程のエフェソス遺跡の事を熱心に話している。<br />確かに私もあれ程の規模の遺跡は今迄見た事がない旨を話す。それもあれ程、保存状態の良好なものも余り見た事がない。<br />しかし、良く考えると、ヨーロッパなどの遺跡は石の文化なので、保存状態が良いものが多いのかも知れない。<br />アジアの国々でも石を中心とした遺跡はあるが、木材を使用した遺跡も多く、保存状態も良いものは限られる。<br />食事を終えた面々が各々トイレなどに行っている。私もこの時間を利用し、トイレを済ませる事にした。<br />ここはレストランなので、トイレは無料である。丁度、バルコニー席の奥にトイレがある様だ。<br />トイレを済ませると、既に全員の食事が終わり、溝田さんが店員と共に飲物の精算を始めている。<br />私も飲んだスプライトの精算を行う。スプライトは7トルコリラである。<br />全員が精算を終了すると、再びトイレに行きたい人はトイレに行き、レストラン入口に移動する様に溝田さんに言われる。<br />我々は既にトイレを済ませているので、精算が終わると席を立ち、レストラン入口に向かう。<br />入口付近には先程よりも更に多くの車やバスが止まっていた。<br />我々のバスを探すと、入口よりも坂を少し上がったところに停まっていた。<br />溝田さんが入口に来ると、先にバスに乗る様に促される。全員が揃うのをバスの中で待つ。<br />暫らくすると溝田さんが全員乗り込んだ事を確認するとバスは走り始まる。時刻は14時過ぎてある。<br />

    量的には然程多くないので、早々に食べ終わる。そして、最後にデザートとして西瓜が出て来た。
    この旅行でもデザートで西瓜が出る事が多い。
    中国などでも同じ様にデザートでよく西瓜が出たが、トルコでも西瓜が多い。
    食べ終わると先程のエフェソス遺跡の話になる。
    尾道から来たおじさんが非常に感動したのか、先程のエフェソス遺跡の事を熱心に話している。
    確かに私もあれ程の規模の遺跡は今迄見た事がない旨を話す。それもあれ程、保存状態の良好なものも余り見た事がない。
    しかし、良く考えると、ヨーロッパなどの遺跡は石の文化なので、保存状態が良いものが多いのかも知れない。
    アジアの国々でも石を中心とした遺跡はあるが、木材を使用した遺跡も多く、保存状態も良いものは限られる。
    食事を終えた面々が各々トイレなどに行っている。私もこの時間を利用し、トイレを済ませる事にした。
    ここはレストランなので、トイレは無料である。丁度、バルコニー席の奥にトイレがある様だ。
    トイレを済ませると、既に全員の食事が終わり、溝田さんが店員と共に飲物の精算を始めている。
    私も飲んだスプライトの精算を行う。スプライトは7トルコリラである。
    全員が精算を終了すると、再びトイレに行きたい人はトイレに行き、レストラン入口に移動する様に溝田さんに言われる。
    我々は既にトイレを済ませているので、精算が終わると席を立ち、レストラン入口に向かう。
    入口付近には先程よりも更に多くの車やバスが止まっていた。
    我々のバスを探すと、入口よりも坂を少し上がったところに停まっていた。
    溝田さんが入口に来ると、先にバスに乗る様に促される。全員が揃うのをバスの中で待つ。
    暫らくすると溝田さんが全員乗り込んだ事を確認するとバスは走り始まる。時刻は14時過ぎてある。

  • <パムッカレまでの道程と村の結婚式><br />再び、山の中の主要道路に出ると、先程上って来た道を戻る。峠を下り、山間の道を進み、セルチュクの町に向かう。10分程でセルチュクの町に到着し、城塞前の道に出る。<br />ここから今日は、パムッカレへ移動である。パムッカレまで3時間程掛かる予定である。<br />セルチュクの町を過ぎると、再び単調なとうもろこし畑や果樹畑が拡がる景色に変わる。<br />その中をバスは暫らく進む。ぼんやりと外の景色を眺めていると、エフェソス遺跡でかなり歩いたせいか、眠気が襲う。暫らくすると寝てしまった様だ。<br />目が覚めたのが、バスが停車した時であった。もう休憩場所に到着した様である。時刻は15時30分頃である。1時間程寝てしまった様だ。<br />バスを降り、休憩所に向かう。ここは比較的大きなドライブインである。ドライブインには看板が無く、店の名前は判らない。日本の高速道路のサービスエリアの様な建物だ。<br />

    <パムッカレまでの道程と村の結婚式>
    再び、山の中の主要道路に出ると、先程上って来た道を戻る。峠を下り、山間の道を進み、セルチュクの町に向かう。10分程でセルチュクの町に到着し、城塞前の道に出る。
    ここから今日は、パムッカレへ移動である。パムッカレまで3時間程掛かる予定である。
    セルチュクの町を過ぎると、再び単調なとうもろこし畑や果樹畑が拡がる景色に変わる。
    その中をバスは暫らく進む。ぼんやりと外の景色を眺めていると、エフェソス遺跡でかなり歩いたせいか、眠気が襲う。暫らくすると寝てしまった様だ。
    目が覚めたのが、バスが停車した時であった。もう休憩場所に到着した様である。時刻は15時30分頃である。1時間程寝てしまった様だ。
    バスを降り、休憩所に向かう。ここは比較的大きなドライブインである。ドライブインには看板が無く、店の名前は判らない。日本の高速道路のサービスエリアの様な建物だ。

  • ここにもフレッシュジュースを売っている場所がある。<br />ここのフレッシュジュースもオレンジである。ここでもそのオレンジジュースを飲む。<br />値段は6トルコリラである。冷えてはいないが、喉を潤すには丁度良い。甘過ぎる事もなく、いっきに飲み干す。<br />ナムックさんはと言うと、ここでも運転手のナフィスさん、ナシットさんと一緒にチャイを飲んでいる。<br />本当にトルコの人はチャイ好きである。<br /> <br />ナムックさん達と同じ様にツアーの人達、数人もチャイを飲んでいる。<br />ここで20分程休憩していた。このペースで日が暮れるまでにパムッカレに到着する事が出来るのであろうか?少し心配になって来た。<br />この旅行前に私がトルコの世界遺産の中で最も行きたいと考えていたのが、パムッカレである。<br />パムッカレの観光には出来るだけ時間が欲しい。<br />その為にも早く着かなければ、日没後ではパムッカレの風景を堪能出来ない。<br />15時55分頃にこのドライブインを出発した。<br />バスに乗る際にナムックさんに、「パムッカレまであとどのくらい時間が掛かるのですか?」と尋ねると、「順調に走れば、1時間ちょっとで到着出来るはずです。」と答えてくれた。<br />また、「今の時期のこの辺りの日没時間は何時頃ですか?」と聞くと、「大体、19時前頃です。」と言う。それなら充分な観光時間がある。安心した。<br />バスはドライブインを出て、再び単調な景色が続く道に出る。<br />暫らくはあまり変化のない景色を見ながらの移動である。それにしても今日も本当に天気が良い。<br />快晴に近い空である。この辺りは空気が澄んでいるのか、空の青さが際立つ。<br />

    ここにもフレッシュジュースを売っている場所がある。
    ここのフレッシュジュースもオレンジである。ここでもそのオレンジジュースを飲む。
    値段は6トルコリラである。冷えてはいないが、喉を潤すには丁度良い。甘過ぎる事もなく、いっきに飲み干す。
    ナムックさんはと言うと、ここでも運転手のナフィスさん、ナシットさんと一緒にチャイを飲んでいる。
    本当にトルコの人はチャイ好きである。

    ナムックさん達と同じ様にツアーの人達、数人もチャイを飲んでいる。
    ここで20分程休憩していた。このペースで日が暮れるまでにパムッカレに到着する事が出来るのであろうか?少し心配になって来た。
    この旅行前に私がトルコの世界遺産の中で最も行きたいと考えていたのが、パムッカレである。
    パムッカレの観光には出来るだけ時間が欲しい。
    その為にも早く着かなければ、日没後ではパムッカレの風景を堪能出来ない。
    15時55分頃にこのドライブインを出発した。
    バスに乗る際にナムックさんに、「パムッカレまであとどのくらい時間が掛かるのですか?」と尋ねると、「順調に走れば、1時間ちょっとで到着出来るはずです。」と答えてくれた。
    また、「今の時期のこの辺りの日没時間は何時頃ですか?」と聞くと、「大体、19時前頃です。」と言う。それなら充分な観光時間がある。安心した。
    バスはドライブインを出て、再び単調な景色が続く道に出る。
    暫らくはあまり変化のない景色を見ながらの移動である。それにしても今日も本当に天気が良い。
    快晴に近い空である。この辺りは空気が澄んでいるのか、空の青さが際立つ。

  • 30分程走ると、前方の右手に然程高くはないが、山々が連なる風景が見えて来た。<br />その山々の裾野辺りには所々に村が見えている。丁度、左手にも低い丘陵地帯が連なり、その間の平野の真ん中を通り、道が続いている。<br />そこから、また10分程走ると、幹線道路から外れ、道を左に折れる。<br />もうパムッカレが近いのであろうか?<br />道を折れてから暫らくすると、前方で車が渋滞している。今迄車が渋滞する事が無かったので、何が起きたのかと前方を見ていると、渋滞している先に踏切らしきものが見えている。<br />何やら踏切付近で渋滞が起こっている。遮断機が降りていないので、列車待ちではない様だが?なぜ渋滞しているのか判らない。暫らく、バスはその渋滞の最後尾で、停車したままである。<br />しかし、5分程経ってもいっこうに動く気配がない。前方でその渋滞に巻き込まれている乗用車なども運転手が降り、前方の様子を確かめている。<br />我々もバスの前方に移動し、目を凝らし、先に見える踏切辺りを見るが、どうも様子が掴めない。<br />その内に前方から対抗する車が何台か、踏切を越えて、こちらに来るのが見える。踏切は通れる様だ。その先で渋滞の原因があるのだろうか?<br />更に5分以上が経過するとやっと少しずつではあるが、前方に停止していた乗用車が動き始まる。<br />それでも数台分進むとまた止まってしまう。更に5分が経過、また少し動き、止まる。この様な状態を暫らく、繰り返し、やっと踏切辺りまで来た。踏切辺りまで来て、原因が判明した。<br />踏切を越えた辺りの道路を乗用車が何台かで塞いでおり、その前で十人近い人が踊っている。<br />何をしているのであろうか?本当に迷惑千番である。<br />それでも前の乗用車が強引にその脇を抜けようとすると、道路を塞いでいた車の1台が移動し、何とか通れる様になる。そして、ゆっくりではあるが、その脇を通り抜け様としていると、その道を塞いでいる車の停まっている家の前から男女が出て来た。<br />ここで、ナムックさんが、「彼らは今日結婚式を挙げたカップルです。この騒ぎは結婚祝いの騒ぎですね!トルコでは結婚式にはみんな馬鹿騒ぎをするのです。」と言い、これは仕方がないと言う様な素振りである。<br />また、驚いたのは我々が興味深けにその脇を通り過ぎる時に見ていると、道を塞いでいた車の中から若い男性が空に向け、短銃を数発撃った事である。これには驚いた。空砲なのかも知れないが、トルコでは一般人でも銃器を所持出来るのであろうか?<br />やっとの事、この結婚式の馬鹿騒ぎの渋滞から解放され、バスは村の様な中を抜ける。<br />そして村を過ぎると、再び果樹畑が拡がり、左手に見えていた(今はバスが左に曲がったので、正面右手)丘陵地帯の奥に白い岩山の様なところが見えて来た。<br />まだ大分距離はあるが、あそこがパムッカレの石灰棚の様だ。<br />

    30分程走ると、前方の右手に然程高くはないが、山々が連なる風景が見えて来た。
    その山々の裾野辺りには所々に村が見えている。丁度、左手にも低い丘陵地帯が連なり、その間の平野の真ん中を通り、道が続いている。
    そこから、また10分程走ると、幹線道路から外れ、道を左に折れる。
    もうパムッカレが近いのであろうか?
    道を折れてから暫らくすると、前方で車が渋滞している。今迄車が渋滞する事が無かったので、何が起きたのかと前方を見ていると、渋滞している先に踏切らしきものが見えている。
    何やら踏切付近で渋滞が起こっている。遮断機が降りていないので、列車待ちではない様だが?なぜ渋滞しているのか判らない。暫らく、バスはその渋滞の最後尾で、停車したままである。
    しかし、5分程経ってもいっこうに動く気配がない。前方でその渋滞に巻き込まれている乗用車なども運転手が降り、前方の様子を確かめている。
    我々もバスの前方に移動し、目を凝らし、先に見える踏切辺りを見るが、どうも様子が掴めない。
    その内に前方から対抗する車が何台か、踏切を越えて、こちらに来るのが見える。踏切は通れる様だ。その先で渋滞の原因があるのだろうか?
    更に5分以上が経過するとやっと少しずつではあるが、前方に停止していた乗用車が動き始まる。
    それでも数台分進むとまた止まってしまう。更に5分が経過、また少し動き、止まる。この様な状態を暫らく、繰り返し、やっと踏切辺りまで来た。踏切辺りまで来て、原因が判明した。
    踏切を越えた辺りの道路を乗用車が何台かで塞いでおり、その前で十人近い人が踊っている。
    何をしているのであろうか?本当に迷惑千番である。
    それでも前の乗用車が強引にその脇を抜けようとすると、道路を塞いでいた車の1台が移動し、何とか通れる様になる。そして、ゆっくりではあるが、その脇を通り抜け様としていると、その道を塞いでいる車の停まっている家の前から男女が出て来た。
    ここで、ナムックさんが、「彼らは今日結婚式を挙げたカップルです。この騒ぎは結婚祝いの騒ぎですね!トルコでは結婚式にはみんな馬鹿騒ぎをするのです。」と言い、これは仕方がないと言う様な素振りである。
    また、驚いたのは我々が興味深けにその脇を通り過ぎる時に見ていると、道を塞いでいた車の中から若い男性が空に向け、短銃を数発撃った事である。これには驚いた。空砲なのかも知れないが、トルコでは一般人でも銃器を所持出来るのであろうか?
    やっとの事、この結婚式の馬鹿騒ぎの渋滞から解放され、バスは村の様な中を抜ける。
    そして村を過ぎると、再び果樹畑が拡がり、左手に見えていた(今はバスが左に曲がったので、正面右手)丘陵地帯の奥に白い岩山の様なところが見えて来た。
    まだ大分距離はあるが、あそこがパムッカレの石灰棚の様だ。

  • それを見つけ、周りの人に話していると、ナムックさんが、「右手の遠くに見えてきました。あれがパムッカレの石灰棚です。」と説明を始めた。時刻はすでに17時を廻っている。<br />更に走ると、また村の様なところが現れた。その村の中に何軒か店先で男性がお茶を飲んでいる光景に出くわす。<br />ナムックさんによると、これは“男性カフェ”と呼ばれる所なのだと言う。<br />トルコでは、農作業、お祈り以外の時間を男性が持て余し、殆どは家では過ごさず、この男性カフェで時間を潰すと言う。もう夕方ではあるが、まだ男性カフェには多くの人がいる。<br />その村内でバスは道なりに丘陵地帯に沿う様に方向を変える。<br />そして、その村を抜け、再び畑の地帯を進み、次の村に入ると、また前方で道を塞いでいる集団に遭遇する。今度も先程と同じく、数台の車で道を塞ぎ、その周りで踊っている。<br />ここも結婚式の様である。みれば近くに日本の何でも屋の様な店がある。<br />ここを中心にお祝いを行っている様だ。その前まで行くと、一旦バスは停車する。<br />踊っている集団の数人は手にコップを持っているので、酒盛りをしている様だ。酔っている様で、バスに近づいて何かを言っている。<br />本当にトルコの人は“ソフトイスラム教徒”である。お酒も堂々と飲む様だ。<br />運転手のナシットさんが何やら近づいて来た数人の人と話をすると道を塞いでいた車が1台動き出し、道を開けてくれた。<br />バスが再び走り出すと、ナムックさんが、「今日は結婚式が多いですね!今日は結婚日には良い日の様です。」と言う。日本の大安吉日の様な日なのかも知れない。因みに帰国後に、この9月8日を日本の暦で調べて見ると、やはり“大安”であった。<br />更に数分走ると、左手に大きくパムッカレの石灰棚が見えて来た。もう直ぐ到着である。<br />

    それを見つけ、周りの人に話していると、ナムックさんが、「右手の遠くに見えてきました。あれがパムッカレの石灰棚です。」と説明を始めた。時刻はすでに17時を廻っている。
    更に走ると、また村の様なところが現れた。その村の中に何軒か店先で男性がお茶を飲んでいる光景に出くわす。
    ナムックさんによると、これは“男性カフェ”と呼ばれる所なのだと言う。
    トルコでは、農作業、お祈り以外の時間を男性が持て余し、殆どは家では過ごさず、この男性カフェで時間を潰すと言う。もう夕方ではあるが、まだ男性カフェには多くの人がいる。
    その村内でバスは道なりに丘陵地帯に沿う様に方向を変える。
    そして、その村を抜け、再び畑の地帯を進み、次の村に入ると、また前方で道を塞いでいる集団に遭遇する。今度も先程と同じく、数台の車で道を塞ぎ、その周りで踊っている。
    ここも結婚式の様である。みれば近くに日本の何でも屋の様な店がある。
    ここを中心にお祝いを行っている様だ。その前まで行くと、一旦バスは停車する。
    踊っている集団の数人は手にコップを持っているので、酒盛りをしている様だ。酔っている様で、バスに近づいて何かを言っている。
    本当にトルコの人は“ソフトイスラム教徒”である。お酒も堂々と飲む様だ。
    運転手のナシットさんが何やら近づいて来た数人の人と話をすると道を塞いでいた車が1台動き出し、道を開けてくれた。
    バスが再び走り出すと、ナムックさんが、「今日は結婚式が多いですね!今日は結婚日には良い日の様です。」と言う。日本の大安吉日の様な日なのかも知れない。因みに帰国後に、この9月8日を日本の暦で調べて見ると、やはり“大安”であった。
    更に数分走ると、左手に大きくパムッカレの石灰棚が見えて来た。もう直ぐ到着である。

  • しかし、バスはホテルなどが並ぶ、パムッカレの麓の観光街を過ぎ、更に左手に見えて来た石灰棚の前も過ぎて更に進む。直接、この石灰棚の下から上がる道がないのだ。<br />バスは石灰棚を通り過ぎたところで、鋭角に道を曲がり、上り坂を上る。<br />この上り坂の入口にはアーチ状のゲートの様なものがあり、そこに何やら書かれているが多分、日本の観光地などでも良く見かける“ようこそ!パムッカレへ”とでも書かれているのではないか?<br />この辺りは道沿いに多くのレストランや小さな宿泊施設が並んでいる。<br />坂をバスは上り、店などが並ぶ一画を過ぎ、更に丘陵を上る。<br />最後には左手にパムッカレの石灰棚が見えなくなる程、丘陵を上り、そこから石灰棚の裏に廻り込む様に進み、やっとパムッカレの駐車場に到着した。<br />時刻は17時30分前である。村の結婚式に妨げられた為に予定よりも30分程遅れた到着である。<br />

    しかし、バスはホテルなどが並ぶ、パムッカレの麓の観光街を過ぎ、更に左手に見えて来た石灰棚の前も過ぎて更に進む。直接、この石灰棚の下から上がる道がないのだ。
    バスは石灰棚を通り過ぎたところで、鋭角に道を曲がり、上り坂を上る。
    この上り坂の入口にはアーチ状のゲートの様なものがあり、そこに何やら書かれているが多分、日本の観光地などでも良く見かける“ようこそ!パムッカレへ”とでも書かれているのではないか?
    この辺りは道沿いに多くのレストランや小さな宿泊施設が並んでいる。
    坂をバスは上り、店などが並ぶ一画を過ぎ、更に丘陵を上る。
    最後には左手にパムッカレの石灰棚が見えなくなる程、丘陵を上り、そこから石灰棚の裏に廻り込む様に進み、やっとパムッカレの駐車場に到着した。
    時刻は17時30分前である。村の結婚式に妨げられた為に予定よりも30分程遅れた到着である。

  • <パムッカレとヒエラポリス観光><br />バスが停車すると、音声ガイドを忘れない様に言われ、バスを降りる。<br />ここでは荷物として、タオルを持って降りる。予定では石灰棚の温泉に裸足で入る事が出来るので、その際に使用するタオルである。<br />駐車場には総合案内所らしき建物が建っている。まずはその前で集合し、トイレに行きたい人はここで一旦トイレに行く事を勧められる。パムッカレの中にはあまりトイレがない様である。<br /> <br />再び、全員が揃うとナムックさんを先頭に入口に向かう。<br />入口前まで行き、入口脇のチケット売り場でナムックさんがチケットの手配をするのを暫らく待ち、ナムックさんが手続きを終えると、入口に進み、ナムックさんが一人ずつチケットを通し、中に入る。<br />全員が入ると、再びナムックさんが先頭で歩き始める。歩きながら、ナムックさんが音声ガイドを使い、このパムッカレについて説明を始める。<br />このパムッカレは正式には、“ヒエラポリスとパムッカレ”として世界遺産に登録されている場所である。ヒエラポリスはローマ時代の古代都市である。ローマ人は本当に温泉好きで、この温泉の湧く地に大きな都市を建設したのである。<br />この事は日本の漫画が原作となった映画“テルマエ・ロマエ”でも有名である。<br />

    <パムッカレとヒエラポリス観光>
    バスが停車すると、音声ガイドを忘れない様に言われ、バスを降りる。
    ここでは荷物として、タオルを持って降りる。予定では石灰棚の温泉に裸足で入る事が出来るので、その際に使用するタオルである。
    駐車場には総合案内所らしき建物が建っている。まずはその前で集合し、トイレに行きたい人はここで一旦トイレに行く事を勧められる。パムッカレの中にはあまりトイレがない様である。

    再び、全員が揃うとナムックさんを先頭に入口に向かう。
    入口前まで行き、入口脇のチケット売り場でナムックさんがチケットの手配をするのを暫らく待ち、ナムックさんが手続きを終えると、入口に進み、ナムックさんが一人ずつチケットを通し、中に入る。
    全員が入ると、再びナムックさんが先頭で歩き始める。歩きながら、ナムックさんが音声ガイドを使い、このパムッカレについて説明を始める。
    このパムッカレは正式には、“ヒエラポリスとパムッカレ”として世界遺産に登録されている場所である。ヒエラポリスはローマ時代の古代都市である。ローマ人は本当に温泉好きで、この温泉の湧く地に大きな都市を建設したのである。
    この事は日本の漫画が原作となった映画“テルマエ・ロマエ”でも有名である。

  • 歩きながらナムックさんが始めた説明の要約は以下の様な内容である。<br />ヒエラポリス-パムッカレは複合遺産として世界遺産に登録されたところで、パムッカレは石灰華段丘からなる丘陵地の名前であり、ヒエラポリスとは2世紀頃のローマ帝国の都市のことである。<br />現在、その遺跡が丘陵の上に残っている。パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味で、綿とあるのは昔からこのあたりが良質の綿花の一大生産地である事によるのと、この石灰華段丘が綿を重ねた様に見える事から由来している。<br />温泉水が台地を形成している石灰岩を溶かし、この丘陵地帯を流れる所で、地表に純白の棚田のような景観を作り出したものである。<br />  <br />棚田の畦の部分は、流れてきた植物片などがひっかかり、これに石灰分が沈着して次第に堤のように成長したものである。このような景観が約200mの高さにわたって形成されている。<br />近年、湯量の減少でこの石灰華段丘の規模も小さくなりかけていたが、トルコ政府の努力で、石灰華段丘も徐々に回復している。<br />また、ヒエラポリスの遺跡は、パムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡で、ローマ帝国の温泉保養地として栄えた都市である。<br />ローマ帝国時代にも何度かの地震で破壊されるが、その後復興していたが、1354年の大地震で完全に廃墟となった。遺跡としては劇場や浴場などの遺跡が残っていると言う。<br />この様な話が終える前に入口から見えていた城壁前に到着し、その門を潜る。門の辺りはまだ発掘が充分進んでいない為か、半分程がまだ地中に埋まっている。<br />

    歩きながらナムックさんが始めた説明の要約は以下の様な内容である。
    ヒエラポリス-パムッカレは複合遺産として世界遺産に登録されたところで、パムッカレは石灰華段丘からなる丘陵地の名前であり、ヒエラポリスとは2世紀頃のローマ帝国の都市のことである。
    現在、その遺跡が丘陵の上に残っている。パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味で、綿とあるのは昔からこのあたりが良質の綿花の一大生産地である事によるのと、この石灰華段丘が綿を重ねた様に見える事から由来している。
    温泉水が台地を形成している石灰岩を溶かし、この丘陵地帯を流れる所で、地表に純白の棚田のような景観を作り出したものである。

    棚田の畦の部分は、流れてきた植物片などがひっかかり、これに石灰分が沈着して次第に堤のように成長したものである。このような景観が約200mの高さにわたって形成されている。
    近年、湯量の減少でこの石灰華段丘の規模も小さくなりかけていたが、トルコ政府の努力で、石灰華段丘も徐々に回復している。
    また、ヒエラポリスの遺跡は、パムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡で、ローマ帝国の温泉保養地として栄えた都市である。
    ローマ帝国時代にも何度かの地震で破壊されるが、その後復興していたが、1354年の大地震で完全に廃墟となった。遺跡としては劇場や浴場などの遺跡が残っていると言う。
    この様な話が終える前に入口から見えていた城壁前に到着し、その門を潜る。門の辺りはまだ発掘が充分進んでいない為か、半分程がまだ地中に埋まっている。

  • 門を潜ると、そこから広大な遺跡内に遊歩道の様に見学路が延びている。しかし、その周りの遺跡を見ると、まだまだ未発掘のところが多い。<br />遺跡内を入り、少し歩くと、このヒエラポリスのメイン通りと考えられている通りの発掘場所が遊歩道沿いに見えて来る。しかし、ここも本当に一画だけが発掘され、整備されているだけである。<br /> <br />遠くの丘陵斜面にも幾つかの遺跡が点在して見えている。<br />

    門を潜ると、そこから広大な遺跡内に遊歩道の様に見学路が延びている。しかし、その周りの遺跡を見ると、まだまだ未発掘のところが多い。
    遺跡内を入り、少し歩くと、このヒエラポリスのメイン通りと考えられている通りの発掘場所が遊歩道沿いに見えて来る。しかし、ここも本当に一画だけが発掘され、整備されているだけである。

    遠くの丘陵斜面にも幾つかの遺跡が点在して見えている。

  • また、「あそこにオデオンが見えるのが判りますか?」と先程から見えていた丘陵に点在する施設の一つを指さし、話す。「あのオデオンの収容人数は約15,000人です。それではこのヒエラポリスの人口はどのくらいですか?」と質問をする。<br />エフェソス遺跡でも同じ事を聞かれたので、そのオデオンの収容人数の十倍がその都市の人口である事は判っている。<br />「15万人!」とみんなが答えると、「そうです。最盛期のヒエラポリスの人口は約15万人でした。また、この遺跡には、このアナトリアで最大の共同墓地などもあります。」と説明を加える。<br /> <br />それから再び遊歩道を歩き始める。少し歩くと遊歩道が終わり、綺麗に整備された公園の様な場所に出る。更にその公園内を進むと、多くの人達が集まっている石灰棚の入口付近に到着した。<br />ここで、ナムックさんから、「それではここで自由行動にします。今の時刻が17時45分ですから、1時間自由行動にし、集合場所はあちらに見える建物前にします。あの建物が古代温泉館です。トイレもそちらにあります。宜しいですか?」と言い、みんなが頷くと、「それでは解散します。集合時間に遅れない様お願いします。また、この下で石灰棚の温泉に入る事が出来ます。入りたい人はここで入って下さい。滑り易いので、入る際は気を付けて下さい。」と言い、解散となる。<br />

    また、「あそこにオデオンが見えるのが判りますか?」と先程から見えていた丘陵に点在する施設の一つを指さし、話す。「あのオデオンの収容人数は約15,000人です。それではこのヒエラポリスの人口はどのくらいですか?」と質問をする。
    エフェソス遺跡でも同じ事を聞かれたので、そのオデオンの収容人数の十倍がその都市の人口である事は判っている。
    「15万人!」とみんなが答えると、「そうです。最盛期のヒエラポリスの人口は約15万人でした。また、この遺跡には、このアナトリアで最大の共同墓地などもあります。」と説明を加える。

    それから再び遊歩道を歩き始める。少し歩くと遊歩道が終わり、綺麗に整備された公園の様な場所に出る。更にその公園内を進むと、多くの人達が集まっている石灰棚の入口付近に到着した。
    ここで、ナムックさんから、「それではここで自由行動にします。今の時刻が17時45分ですから、1時間自由行動にし、集合場所はあちらに見える建物前にします。あの建物が古代温泉館です。トイレもそちらにあります。宜しいですか?」と言い、みんなが頷くと、「それでは解散します。集合時間に遅れない様お願いします。また、この下で石灰棚の温泉に入る事が出来ます。入りたい人はここで入って下さい。滑り易いので、入る際は気を付けて下さい。」と言い、解散となる。

  • まずはこのパムッカレの石灰棚の温泉を体験する事にした。その為にタオルも持参したのである。<br />溝田さんに付き合って貰い、靴を脱いで、石灰棚内に下りる。カメラは溝田さんに渡し、入ったところを撮って貰った。温泉は然程熱くはなく、人肌程度の温度である。<br />暫らく、この石灰棚の温泉に入っていたが、溝田さんにカメラを預けている為にあまりのんびりも出来ない。早々に石灰棚から出て、足をタオルで拭き、靴を履く。そして、溝田さんにお礼を言い、カメラを受け取る。同じツアーの人達はまだ石灰棚での温泉を楽しんでいる。<br />これからパムッカレの石灰棚の全景の写真を撮りたい。<br />

    まずはこのパムッカレの石灰棚の温泉を体験する事にした。その為にタオルも持参したのである。
    溝田さんに付き合って貰い、靴を脱いで、石灰棚内に下りる。カメラは溝田さんに渡し、入ったところを撮って貰った。温泉は然程熱くはなく、人肌程度の温度である。
    暫らく、この石灰棚の温泉に入っていたが、溝田さんにカメラを預けている為にあまりのんびりも出来ない。早々に石灰棚から出て、足をタオルで拭き、靴を履く。そして、溝田さんにお礼を言い、カメラを受け取る。同じツアーの人達はまだ石灰棚での温泉を楽しんでいる。
    これからパムッカレの石灰棚の全景の写真を撮りたい。

  • ナムックさんにベストポイントを聞くと、石灰棚の崖端に見えている城壁跡の先から見るのが最も全景を楽しめるとの事であった。<br />そこで城壁の向こう側に行って見る事にした。その方向には殆ど観光客はいない。<br />城壁を抜けると、その辺りも整備された公園の様になっている。その端から石灰棚が良く見えるが、良く本やDVDなどで見る景色とは少し違う。<br />  <br />やはり、本やDVDなどに写る景色は特別な場所で撮られたものが多い様で一般の人が入れる所ではない様だ。その点が少し期待外れであった。<br />仕方なく、この辺りから石灰棚を撮る事にした。<br />ここから更に奥に進み、石灰棚沿いに造られた遊歩道を歩く。先程までいた石灰棚とは別の石灰棚がこちらにも大きく拡がっている。<br />しかし、この辺りは湯量が少なく、石灰棚の一部が干上がった状態のものもある。<br />

    ナムックさんにベストポイントを聞くと、石灰棚の崖端に見えている城壁跡の先から見るのが最も全景を楽しめるとの事であった。
    そこで城壁の向こう側に行って見る事にした。その方向には殆ど観光客はいない。
    城壁を抜けると、その辺りも整備された公園の様になっている。その端から石灰棚が良く見えるが、良く本やDVDなどで見る景色とは少し違う。

    やはり、本やDVDなどに写る景色は特別な場所で撮られたものが多い様で一般の人が入れる所ではない様だ。その点が少し期待外れであった。
    仕方なく、この辺りから石灰棚を撮る事にした。
    ここから更に奥に進み、石灰棚沿いに造られた遊歩道を歩く。先程までいた石灰棚とは別の石灰棚がこちらにも大きく拡がっている。
    しかし、この辺りは湯量が少なく、石灰棚の一部が干上がった状態のものもある。

  • 遊歩道を途中まで進み、そこから先程の場所まで戻る事にした。<br />この辺りにも城壁跡が続き、その内側にはヒエラポリスの都市の建造物跡が残る。その中を横切り、先程入っていた石灰棚前まで戻る。<br />その先には段々畑の様に湯量豊富な石灰棚がかなり下まで続き、その中を観光客が行き来している。その光景を上から少し眺めていた。この辺りは湯量も豊富で、子供達は水着を着て入っている。<br /> <br />ここからパムッカレのもう一つの目玉でもある古代プールを見学に行く事にした。また、その手前にあるこのパムッカレの博物館も見学出来れば見学したい。<br />しかし、博物館前まで行くと既に門が閉まっている。今日はもう終了した様だ。<br />

    遊歩道を途中まで進み、そこから先程の場所まで戻る事にした。
    この辺りにも城壁跡が続き、その内側にはヒエラポリスの都市の建造物跡が残る。その中を横切り、先程入っていた石灰棚前まで戻る。
    その先には段々畑の様に湯量豊富な石灰棚がかなり下まで続き、その中を観光客が行き来している。その光景を上から少し眺めていた。この辺りは湯量も豊富で、子供達は水着を着て入っている。

    ここからパムッカレのもう一つの目玉でもある古代プールを見学に行く事にした。また、その手前にあるこのパムッカレの博物館も見学出来れば見学したい。
    しかし、博物館前まで行くと既に門が閉まっている。今日はもう終了した様だ。

  • 仕方なく、古代プールに向かう。この建物前が集合場所なので、ここで時間を潰すのも良い。<br />時刻は18時30分頃で、まだ集合時間までには少し時間がある。<br />古代プールの建物の入口上には、“ANTIQUE POOL”の文字が見える。<br />中に入るのは有料なのであろうかと心配していると、入口を入った左手に受付カウンターがあるが、中は有料ではない様で、ここでロッカーなどを借りる際に料金が発生する様である。<br />  <br />ガイドブックには入場料が20トルコリラと書かれているが、入る際に何も言われる事が無かったので、温泉プールの利用を行わないと入場料も必要ない様だ。その向かい側には土産物コーナーがある。<br />中に入ると、直ぐ目の前にプールである。<br />

    仕方なく、古代プールに向かう。この建物前が集合場所なので、ここで時間を潰すのも良い。
    時刻は18時30分頃で、まだ集合時間までには少し時間がある。
    古代プールの建物の入口上には、“ANTIQUE POOL”の文字が見える。
    中に入るのは有料なのであろうかと心配していると、入口を入った左手に受付カウンターがあるが、中は有料ではない様で、ここでロッカーなどを借りる際に料金が発生する様である。

    ガイドブックには入場料が20トルコリラと書かれているが、入る際に何も言われる事が無かったので、温泉プールの利用を行わないと入場料も必要ない様だ。その向かい側には土産物コーナーがある。
    中に入ると、直ぐ目の前にプールである。

  • そのプール脇に行き、プールを除くとプール内にローマ時代の柱などの遺跡がゴロゴロ無造作に転がっている。その中で観光客が泳いでいる。<br />水深はかなり深い様に見える。殆どの人が立ち泳ぎ状態である。温泉プール内から泡が出ているので、この下から温泉が湧いている。<br />この温泉プールを一周したが、特別見るものもない。時刻は18時40分頃である。<br />丁度、入口を出ると既に溝田さんなどが集まっていた。<br />溝田さんに頼み、この建物をバックに記念写真を撮って貰う。<br />また、ここでの土産物はここでしか買えないとの事を聞き、再び中に入り、土産物コーナーで土産物を物色する。<br />記念になるものはないかと探すと丁度、パムッカレの文字が入ったバスタオルが目に留まる。<br />それとこれもパムッカレの文字が入った樹脂製のカラフルなコースターを購入する事にした。合わせて30トルコリラである。<br />土産物の購入が終わり、再び集合場所に戻る。時刻はもう集合時間の18時45分になっている。<br />

    そのプール脇に行き、プールを除くとプール内にローマ時代の柱などの遺跡がゴロゴロ無造作に転がっている。その中で観光客が泳いでいる。
    水深はかなり深い様に見える。殆どの人が立ち泳ぎ状態である。温泉プール内から泡が出ているので、この下から温泉が湧いている。
    この温泉プールを一周したが、特別見るものもない。時刻は18時40分頃である。
    丁度、入口を出ると既に溝田さんなどが集まっていた。
    溝田さんに頼み、この建物をバックに記念写真を撮って貰う。
    また、ここでの土産物はここでしか買えないとの事を聞き、再び中に入り、土産物コーナーで土産物を物色する。
    記念になるものはないかと探すと丁度、パムッカレの文字が入ったバスタオルが目に留まる。
    それとこれもパムッカレの文字が入った樹脂製のカラフルなコースターを購入する事にした。合わせて30トルコリラである。
    土産物の購入が終わり、再び集合場所に戻る。時刻はもう集合時間の18時45分になっている。

  • しかし、まだ数人の人が戻っていない様だ。暫らく、その人達を待つ事になった。<br />  <br /> <br />5分程遅れて最終の人達が集合場所に来た。溝田さんからイエローカードが出る。団体行動なので時間を厳守する様にきつく言われていた。非常に厳しい!<br />全員が揃ったところで、駐車場に向かい歩き始める。<br />丁度、博物館の裏手を通り、駐車場への道をショートカットする様である。<br />この辺りにも無造作に遺跡が散乱している。「拾い上げて持って帰れそうだ!」と誰かが言うが、私が世界遺産での物は移動もしてはいけない事を話す。<br />そのショートカットされた道から入って来た遊歩道に出る。ここからは行きに来た道を戻る事になる。<br />既に日はかなり傾き、夕暮れ時の景色に変わりつつある。<br />改めて、このヒエラポリスの遺跡群を見渡すと、ここもエフェソス遺跡に匹敵する様な規模の遺跡である。この広大な土地にまだ未発掘の建物などが埋没しているのである。<br />この遺跡もまだまだ発掘整備途中である。<br />

    しかし、まだ数人の人が戻っていない様だ。暫らく、その人達を待つ事になった。


    5分程遅れて最終の人達が集合場所に来た。溝田さんからイエローカードが出る。団体行動なので時間を厳守する様にきつく言われていた。非常に厳しい!
    全員が揃ったところで、駐車場に向かい歩き始める。
    丁度、博物館の裏手を通り、駐車場への道をショートカットする様である。
    この辺りにも無造作に遺跡が散乱している。「拾い上げて持って帰れそうだ!」と誰かが言うが、私が世界遺産での物は移動もしてはいけない事を話す。
    そのショートカットされた道から入って来た遊歩道に出る。ここからは行きに来た道を戻る事になる。
    既に日はかなり傾き、夕暮れ時の景色に変わりつつある。
    改めて、このヒエラポリスの遺跡群を見渡すと、ここもエフェソス遺跡に匹敵する様な規模の遺跡である。この広大な土地にまだ未発掘の建物などが埋没しているのである。
    この遺跡もまだまだ発掘整備途中である。

  • 歩くこと15分、やっと城壁の門を潜り、入って来た入口を出る。<br />そして、観光案内所の建物前で、トイレに行く人を待つ。この観光案内所にも売店などが併設され、食べ物や土産物などを販売しているが、誰も土産物などを購入する人はいない。<br />私は少し興味があったが、先程も土産物を購入したので、ここでは何も買わなかった。<br />また、ここの売店でもフレッシュジュースを販売していた。その場所のショーケース一杯にオレンジが詰まっているのが確認出来る。<br />トイレを済ませた面々が戻り、バスに乗り込む。時刻は19時10分前である。溝田さんが全員乗り込んだ事を確認し、バスが動き出す。今日の観光はこれで終了である。<br />溝田さんがマイクを取り、「皆さん、お疲れ様でした。今日の観光はこれで終了です。これからホテルに向かいます。ここからホテルまでは20分程で到着する予定です。詳細な内容はまたホテルに着いてから説明します。」と言う。<br />バスは元来た道を下り、レストランなどの店などが並ぶ前を過ぎ、アーチゲートのところまで降りて来た。そこから鋭角に曲がり、先程の道を戻る。<br />この辺りにも大きなホテルが所々に見えるが、宿泊するホテルは、この辺りのホテルではない。<br />少し走ったところで、この道から右折し、丘陵の方にバスは方向を変え、暫らく行くと、また左折し、丘陵と並行に走り始める。<br />すると、ナムックさんが、「この右手がヒエラポリスのもう一つの入口がある場所です。この周りに見える四角い建造物は全て当時の高官のお墓です。」と教えてくれる。<br />見ると、確かに所々に四角い、建物としては少し小さな建造物が幾つも見える。<br />その先から再び建物が増えて来る。この辺りはパムッカレ、ヒアラポリス観光の拠点となる町(村?)の様である。<br />道路沿いにレストランや土産物店、ホテルなどが見える。時折、ナムックさんが、“右手のホテルも温水プールを持ったホテルです。”などの説明を加える。<br />その街中に入り、少しするとバスは再び右折する。この辺りはまだ建設中のホテルらしきものも見える。<br />まだまだ、開発途中の場所である。その先で丘に突き当り、左折した先が今日の宿泊ホテルの“パムサーマルホテル”である。時刻は19時30分前である。<br />

    歩くこと15分、やっと城壁の門を潜り、入って来た入口を出る。
    そして、観光案内所の建物前で、トイレに行く人を待つ。この観光案内所にも売店などが併設され、食べ物や土産物などを販売しているが、誰も土産物などを購入する人はいない。
    私は少し興味があったが、先程も土産物を購入したので、ここでは何も買わなかった。
    また、ここの売店でもフレッシュジュースを販売していた。その場所のショーケース一杯にオレンジが詰まっているのが確認出来る。
    トイレを済ませた面々が戻り、バスに乗り込む。時刻は19時10分前である。溝田さんが全員乗り込んだ事を確認し、バスが動き出す。今日の観光はこれで終了である。
    溝田さんがマイクを取り、「皆さん、お疲れ様でした。今日の観光はこれで終了です。これからホテルに向かいます。ここからホテルまでは20分程で到着する予定です。詳細な内容はまたホテルに着いてから説明します。」と言う。
    バスは元来た道を下り、レストランなどの店などが並ぶ前を過ぎ、アーチゲートのところまで降りて来た。そこから鋭角に曲がり、先程の道を戻る。
    この辺りにも大きなホテルが所々に見えるが、宿泊するホテルは、この辺りのホテルではない。
    少し走ったところで、この道から右折し、丘陵の方にバスは方向を変え、暫らく行くと、また左折し、丘陵と並行に走り始める。
    すると、ナムックさんが、「この右手がヒエラポリスのもう一つの入口がある場所です。この周りに見える四角い建造物は全て当時の高官のお墓です。」と教えてくれる。
    見ると、確かに所々に四角い、建物としては少し小さな建造物が幾つも見える。
    その先から再び建物が増えて来る。この辺りはパムッカレ、ヒアラポリス観光の拠点となる町(村?)の様である。
    道路沿いにレストランや土産物店、ホテルなどが見える。時折、ナムックさんが、“右手のホテルも温水プールを持ったホテルです。”などの説明を加える。
    その街中に入り、少しするとバスは再び右折する。この辺りはまだ建設中のホテルらしきものも見える。
    まだまだ、開発途中の場所である。その先で丘に突き当り、左折した先が今日の宿泊ホテルの“パムサーマルホテル”である。時刻は19時30分前である。

  • <パムサーマルホテルで><br />バスがホテルの玄関前で停車し、バスを降り、旅行カバンなどを受け取り、ホテル内に入る。<br />入口を入ると、まず正面のホテル中庭に大きなプールがあるのが目に飛び込んで来る。<br />ホテルロビーの右手がフロントで、その先にソファなどがあるので、我々はソファで溝田さんのチェックインを待つ事になる。もうすっかり日が暮れた。中庭のプールでは今の時間帯には泳ぐ人は誰もいない。その上にはパムッカレの石灰棚を模した建造物が見える。<br />ホテルロビーには我々のツアー客以外では、2人程がロビーのソファで寛いでいるだけである。<br />ここで10分程待ち、溝田さんがチェックインを終え、我々の所に来た。<br />再び、これからの予定が書かれた用紙とそれぞれのルームキーが渡される。私の部屋は3028号室で、私と尾道からの3人組のおじさんのみが3階の部屋である。あとの人達は2階である。<br />全員の予定用紙と鍵を配り終えると、これからの予定について説明が始まる。<br />今日の夕食は少し遅いが20時からで、この建物の2階で摂るが、集合はこの場所との事である。<br />また、このホテルにはプールや温泉施設があり、見えているプールと温泉施設の屋内施設は22時まで、温泉施設の屋外施設は24時まで利用が可能だと説明をしてくれる。<br />プールの上に見えている石灰棚を模したものが、屋外の温泉施設である。<br />プールの奥(屋外の温泉施設の下)に屋内の温泉施設があると言う。バスタオルなどの貸出も無料で行っているが、22時までで終了するとの事である。<br />プールや温泉施設を利用する際には、水着は勿論必要であるが、スイミングキャップも必要との事。スイミングキャップは、屋内の温泉施設のフロントで販売をしていると言う。<br />

    <パムサーマルホテルで>
    バスがホテルの玄関前で停車し、バスを降り、旅行カバンなどを受け取り、ホテル内に入る。
    入口を入ると、まず正面のホテル中庭に大きなプールがあるのが目に飛び込んで来る。
    ホテルロビーの右手がフロントで、その先にソファなどがあるので、我々はソファで溝田さんのチェックインを待つ事になる。もうすっかり日が暮れた。中庭のプールでは今の時間帯には泳ぐ人は誰もいない。その上にはパムッカレの石灰棚を模した建造物が見える。
    ホテルロビーには我々のツアー客以外では、2人程がロビーのソファで寛いでいるだけである。
    ここで10分程待ち、溝田さんがチェックインを終え、我々の所に来た。
    再び、これからの予定が書かれた用紙とそれぞれのルームキーが渡される。私の部屋は3028号室で、私と尾道からの3人組のおじさんのみが3階の部屋である。あとの人達は2階である。
    全員の予定用紙と鍵を配り終えると、これからの予定について説明が始まる。
    今日の夕食は少し遅いが20時からで、この建物の2階で摂るが、集合はこの場所との事である。
    また、このホテルにはプールや温泉施設があり、見えているプールと温泉施設の屋内施設は22時まで、温泉施設の屋外施設は24時まで利用が可能だと説明をしてくれる。
    プールの上に見えている石灰棚を模したものが、屋外の温泉施設である。
    プールの奥(屋外の温泉施設の下)に屋内の温泉施設があると言う。バスタオルなどの貸出も無料で行っているが、22時までで終了するとの事である。
    プールや温泉施設を利用する際には、水着は勿論必要であるが、スイミングキャップも必要との事。スイミングキャップは、屋内の温泉施設のフロントで販売をしていると言う。

  • 明日の集合時間は早く、7時20分。朝食が摂れる時間は6時20分頃からで、旅行カバンなどは部屋の前に6時30分までに出して置く様に言われる。モーニングコールは全員5時30分。<br />一通りの説明を終え、溝田さんが何か質問がないかと聞き、何もない事を確認すると、「それでは部屋に向かいます。」と言い、我々を先導し、部屋に移動する。<br />このホテルは、フロントのあるメイン建物を中心にコテージ風(コテージと行っても3階建ての棟であるが)の棟が幾つか並んでいる。<br />丁度、我々の宿泊する棟はメインの建物の左手奥に立つ棟である。その1階で各自別れる。<br /> <br />私と尾道からのおじさんのみが3階に上がり、各々の部屋に行くが、部屋の前に置かれた旅行カバンが逆になっている。それぞれの部屋の前に置かれた旅行カバンを交換し、部屋に入る。<br />私の部屋は一番奥の部屋であった。時刻は19時45分過ぎである。<br />集合時間が20時なので、時間はあまりない。早々に旅行カバンを開け、軽装に着替える。<br />また、お湯などのお決まりのチェックを行い、問題ない事を確認する。そして、少し早いが、貴重品とカメラなどの必要なものを持ち、そのまま部屋から集合場所にロビーに行く事にした。<br />部屋を出て、鍵を閉めるがドアの鍵があまいのか、上手く閉まらない。何回か、閉め直しを行い、やっと閉まった事を確認し、ロビーに向かう。<br />ロビーのソファには既に半数近くの人が集まっていた。<br />

    明日の集合時間は早く、7時20分。朝食が摂れる時間は6時20分頃からで、旅行カバンなどは部屋の前に6時30分までに出して置く様に言われる。モーニングコールは全員5時30分。
    一通りの説明を終え、溝田さんが何か質問がないかと聞き、何もない事を確認すると、「それでは部屋に向かいます。」と言い、我々を先導し、部屋に移動する。
    このホテルは、フロントのあるメイン建物を中心にコテージ風(コテージと行っても3階建ての棟であるが)の棟が幾つか並んでいる。
    丁度、我々の宿泊する棟はメインの建物の左手奥に立つ棟である。その1階で各自別れる。

    私と尾道からのおじさんのみが3階に上がり、各々の部屋に行くが、部屋の前に置かれた旅行カバンが逆になっている。それぞれの部屋の前に置かれた旅行カバンを交換し、部屋に入る。
    私の部屋は一番奥の部屋であった。時刻は19時45分過ぎである。
    集合時間が20時なので、時間はあまりない。早々に旅行カバンを開け、軽装に着替える。
    また、お湯などのお決まりのチェックを行い、問題ない事を確認する。そして、少し早いが、貴重品とカメラなどの必要なものを持ち、そのまま部屋から集合場所にロビーに行く事にした。
    部屋を出て、鍵を閉めるがドアの鍵があまいのか、上手く閉まらない。何回か、閉め直しを行い、やっと閉まった事を確認し、ロビーに向かう。
    ロビーのソファには既に半数近くの人が集まっていた。

  • 遅い夕食でみんなお腹が空いているのかも知れない。私は、然程空腹感はない。<br />20時を待たず、全員が揃い、溝田さんの先導で2階に上がり、レストランへ移動する。<br />見れば2階全体がレストランのエリアである。階段を上ったところには料理が並んでいる。<br />その奥にテーブルの並ぶ部屋がある。その部屋に行き、指定された席に着く。私はやはり尾道からの3人組と一緒である。<br />まずは溝田さんが飲物を聞いて廻る。何があるのかと聞くと、今迄のものにピーチティーやアップルティーなどもあるとの事なので、私はピーチティーを注文する。食事はバイキング方式である。<br />先程階段で上がって来たところに料理などが並んでいた。そこから自由に取って来るのである。<br />飲物を待つ事なく、みんなで料理を取りに行く。<br />料理は2つのワゴンに分けて置かれ、1つのワゴンには主に野菜料理や生野菜、パン類などが並ぶ。<br />もう1つのワゴンにはパスタや肉、魚料理が並ぶ。<br />また、この2つのワゴンとはかなり離れた場所にまた、ワゴンが置かれており、そこにはデザート類が並び、別の小さなワゴンにはフルーツ類が置かれている。<br />

    遅い夕食でみんなお腹が空いているのかも知れない。私は、然程空腹感はない。
    20時を待たず、全員が揃い、溝田さんの先導で2階に上がり、レストランへ移動する。
    見れば2階全体がレストランのエリアである。階段を上ったところには料理が並んでいる。
    その奥にテーブルの並ぶ部屋がある。その部屋に行き、指定された席に着く。私はやはり尾道からの3人組と一緒である。
    まずは溝田さんが飲物を聞いて廻る。何があるのかと聞くと、今迄のものにピーチティーやアップルティーなどもあるとの事なので、私はピーチティーを注文する。食事はバイキング方式である。
    先程階段で上がって来たところに料理などが並んでいた。そこから自由に取って来るのである。
    飲物を待つ事なく、みんなで料理を取りに行く。
    料理は2つのワゴンに分けて置かれ、1つのワゴンには主に野菜料理や生野菜、パン類などが並ぶ。
    もう1つのワゴンにはパスタや肉、魚料理が並ぶ。
    また、この2つのワゴンとはかなり離れた場所にまた、ワゴンが置かれており、そこにはデザート類が並び、別の小さなワゴンにはフルーツ類が置かれている。

  • まずは野菜類などのワゴンから生野菜を中心に取り、その後肉類、魚類とパスタのワゴンから料理を取る。しかし、あまり料理の種類もなく、食べたいと思う様なものもあまり多くない。<br />以下の料理を皿に取り、席に戻り食べる。<br /><9月8日 パムサーマルホテルでの夕食><br /> ①生野菜(サニーレタス/きゅうり/パプリカ/トマト)<br /> ②チキンのソテー<br /> ③パスタ(ミートソース掛け)<br /> ④ピザ<br /> ⑤フルーツ(メロン/すいか)<br /> ⑥デザート(ケーキ/ババロア)<br />料理の味もお世辞にも美味しいものでもなく、あまり空腹でもないので、取って来たものだけを食べて終わる。寧ろ、デザートは種類が豊富で、そちらに興味が湧く。<br />その前にまずはフルーツを食べる事にした。フルーツ類はオレンジ、メロン、すいか、パイナップルなどこちらも豊富である。その中でメロン、すいかなどを大量に取り、席に戻り、食べる。<br />一緒に食べていた尾道からの3人組の人達に、「フルーツばかり食べているね!」と言われる程フルーツばかりを食べていた。<br />その後、デザートのワゴンを見に行く。デザートはケーキ類などが非常に多く、目移りする。<br />その中からケーキの一つとババロア風のものを取り、席に戻り食べる。<br /> <br />しかし、やはり日本のケーキ程美味しいものではないので、これ以上取る事は止めた。<br />食べ終え、あとはピーチティーを飲みながら、尾道からの3人組の人達と話が弾む。各々の名前のここで初めて教えて貰う。おじさんは藤本さん、一人のおばさんも藤本さんであるが、おじさんとは親戚ではないと言う。そして、もう一人のおばさんは岡崎さんである。<br />主な話の内容は百島の生活の様子についてである。<br />また、ホテルの温泉の話になる。私もこの後に温泉に入るつもりである事を話すが、私はスイミングキャップを持って来ていない事を話す。<br />皆さんは持って来ているのかを尋ねると、持って来たとの事であった。私は、ここでスイミングキャップを買わなければならない。<br />話も終え、各々ボーイに注文した飲物の精算を行う。ピーチティーは8トルコリラである。<br />

    まずは野菜類などのワゴンから生野菜を中心に取り、その後肉類、魚類とパスタのワゴンから料理を取る。しかし、あまり料理の種類もなく、食べたいと思う様なものもあまり多くない。
    以下の料理を皿に取り、席に戻り食べる。
    <9月8日 パムサーマルホテルでの夕食>
     ①生野菜(サニーレタス/きゅうり/パプリカ/トマト)
     ②チキンのソテー
     ③パスタ(ミートソース掛け)
     ④ピザ
     ⑤フルーツ(メロン/すいか)
     ⑥デザート(ケーキ/ババロア)
    料理の味もお世辞にも美味しいものでもなく、あまり空腹でもないので、取って来たものだけを食べて終わる。寧ろ、デザートは種類が豊富で、そちらに興味が湧く。
    その前にまずはフルーツを食べる事にした。フルーツ類はオレンジ、メロン、すいか、パイナップルなどこちらも豊富である。その中でメロン、すいかなどを大量に取り、席に戻り、食べる。
    一緒に食べていた尾道からの3人組の人達に、「フルーツばかり食べているね!」と言われる程フルーツばかりを食べていた。
    その後、デザートのワゴンを見に行く。デザートはケーキ類などが非常に多く、目移りする。
    その中からケーキの一つとババロア風のものを取り、席に戻り食べる。

    しかし、やはり日本のケーキ程美味しいものではないので、これ以上取る事は止めた。
    食べ終え、あとはピーチティーを飲みながら、尾道からの3人組の人達と話が弾む。各々の名前のここで初めて教えて貰う。おじさんは藤本さん、一人のおばさんも藤本さんであるが、おじさんとは親戚ではないと言う。そして、もう一人のおばさんは岡崎さんである。
    主な話の内容は百島の生活の様子についてである。
    また、ホテルの温泉の話になる。私もこの後に温泉に入るつもりである事を話すが、私はスイミングキャップを持って来ていない事を話す。
    皆さんは持って来ているのかを尋ねると、持って来たとの事であった。私は、ここでスイミングキャップを買わなければならない。
    話も終え、各々ボーイに注文した飲物の精算を行う。ピーチティーは8トルコリラである。

  • 時刻は20時45分頃である。部屋に戻る前に食事中の溝田さんを見つけ、スイミンギキャップがどこで買えるかを聞く。すると、屋内温泉施設にタオルを貸してくれるところがあるので、そこで聞くと判るだろうと言うので、そこでまずは聞く事にした。<br />一旦、部屋に戻り、カメラや貴重品類を置き、お金だけを持ち、屋内温泉施設に向かう。<br />屋内温泉施設はメインの建物とプールを挟み、反対側にあり、丁度、屋外温泉施設の下になる。<br />その中に入ると、入った先の右手にカウンターがある。ここでタオルを借りる事が出来る様で、そこの男性にスイミングキャップが欲しい事を伝え、出して貰う。値段を確認すると2.5トルコリラである。<br />2.5トルコリラを払い、受け取ったスイミングキャップはホテルのネームが入った意外にしっかりとしたものであった。屋内温泉施設は大きな半円状の浴槽の様なプールがあるだけである。<br />その後、また部屋に戻り、水着に着替える。そして、タオルと先程購入したスイミングキャップを持ち、再び部屋を出て、屋外温泉施設に向かう。<br />既に屋外温泉施設には同じツアーの人達の何人かが来ていた。尾道からの3人組の人達も丁度、私と同じ時間に出て来た。時刻は21時10分頃である。<br />タオルなどを置く場所が少なく、温泉施設の通路の脇にかためて置く事にした。サンダルで来たので、そのサンダルもここで脱ぎ、温泉に入る。<br />最初入ると、温度は少し熱く感じた。<br />屋外は昼間に比べ、かなり冷え込んで来ている為に肩まで入りたい。<br />足が底に着くと底には泥の様なものが溜まっている。肩まで浸かり、底の泥を手に取ると、粘土質の土である。日本の別府などの泥風呂(泥地獄)などとは少し違う。<br />丁度、屋外温泉施設の中央には間欠泉の様に一定の間隔でお湯が噴き上がり、そこから新しいお湯が流れ出ている。その場所近くが最も熱く、そこから段々畑の様に下に向かい、浴槽が区切られている。夕方見て来たパムッカレの石灰棚をイメージし、造られているのである。<br />お湯は赤茶色である。底に溜まった粘土がお湯に混ざり、この色をしているのか、それとも鉄分などが多い温泉なのか、このどちらか、その両方によるものと思われる。<br />もう既に同ツアーの多くの人達が、この屋外の温泉施設に入っている。この屋外温泉施設を利用しているのは、殆どが同ツアーの人達で、あとは外国人の観光客が数人いるだけである。<br />我々は最もお湯の出る間欠泉の様な噴き出し口に近い、湯船に入った。<br />皆さん、スイミングキャップは持参されていた様で、私と同じスイミングキャップの人はいない。<br />お湯がそれ程熱くないので、これなら少し長めに入る事が出来る。我々は比較的近くに集まり、話をしながら、お湯に入っていた。日本人は温泉好きなので、話がお湯の質に話が及ぶ。<br />泉質としては鉄分の多い炭酸泉の様に思われる。所謂有馬温泉の様な泉質に近い様に思う。<br />硫黄の臭いはしないので、硫黄分はあまり多くない様だ。粘土質の泥が多いのは、この辺りの土質によるものであろうか?<br />この辺りはパムッカレのホテル群以外にはあまり民家も無いせいか、星々が非常に良く見える。<br />ホテルの灯りが多いので、近くに感じる程ではないが、それでも自宅の生駒で夜空を見るよりもかなり多くの星が見える。見える星座などは同じ北半球である為に同じ星空であるが?<br />結局、30分程入ったところで同ツアーの人達もバラバラと温泉を出始めたので、私も同じ様に温泉から出る事にした。<br />泥が体に着いているので、このまま部屋に帰り、直ぐに部屋の浴槽で体を洗わなければならない。<br />本当なら温泉の効能を考えると、体を洗わない方が良いが、泥成分が多いのでそうもいかない。<br />簡単に持って来た部屋のタオルで体を拭き、部屋着を着て、戻る。<br />部屋に戻ったのは時刻が21時50分頃であった。<br />戻るとそのまま浴槽で、体と髪を洗う。その後、水着を洗い、部屋の小さなベランダに干す。<br />その後、髪が渇くまで部屋で寛ぐ。特に何もする事もなく、今日の出来事をまとめながら、時間を過ごす。<br />今日は非常に観光の多い日であった。特にエフェソス遺跡は非常に感動した。<br />パムッカレは期待が大きかった為に少し残念ではあったが、それでもあの様な光景を日本で見る事は出来ない。<br />22時30分を過ぎた頃になり、荷物の整理を始める。明日も朝が早いので、予め明日必要なものだけをリュックに入れ、それ以外のものは旅行カバンに戻す。<br />明日の着替えなどを別途用意し、ベッドに潜り込み。明日のモーニングコールは5時半であるので、持参した目覚し時計を5時にセットする。23時過ぎには寝ていた。<br /><br />今回はここまで! コンヤ経由でカッパドキアへの移動。

    時刻は20時45分頃である。部屋に戻る前に食事中の溝田さんを見つけ、スイミンギキャップがどこで買えるかを聞く。すると、屋内温泉施設にタオルを貸してくれるところがあるので、そこで聞くと判るだろうと言うので、そこでまずは聞く事にした。
    一旦、部屋に戻り、カメラや貴重品類を置き、お金だけを持ち、屋内温泉施設に向かう。
    屋内温泉施設はメインの建物とプールを挟み、反対側にあり、丁度、屋外温泉施設の下になる。
    その中に入ると、入った先の右手にカウンターがある。ここでタオルを借りる事が出来る様で、そこの男性にスイミングキャップが欲しい事を伝え、出して貰う。値段を確認すると2.5トルコリラである。
    2.5トルコリラを払い、受け取ったスイミングキャップはホテルのネームが入った意外にしっかりとしたものであった。屋内温泉施設は大きな半円状の浴槽の様なプールがあるだけである。
    その後、また部屋に戻り、水着に着替える。そして、タオルと先程購入したスイミングキャップを持ち、再び部屋を出て、屋外温泉施設に向かう。
    既に屋外温泉施設には同じツアーの人達の何人かが来ていた。尾道からの3人組の人達も丁度、私と同じ時間に出て来た。時刻は21時10分頃である。
    タオルなどを置く場所が少なく、温泉施設の通路の脇にかためて置く事にした。サンダルで来たので、そのサンダルもここで脱ぎ、温泉に入る。
    最初入ると、温度は少し熱く感じた。
    屋外は昼間に比べ、かなり冷え込んで来ている為に肩まで入りたい。
    足が底に着くと底には泥の様なものが溜まっている。肩まで浸かり、底の泥を手に取ると、粘土質の土である。日本の別府などの泥風呂(泥地獄)などとは少し違う。
    丁度、屋外温泉施設の中央には間欠泉の様に一定の間隔でお湯が噴き上がり、そこから新しいお湯が流れ出ている。その場所近くが最も熱く、そこから段々畑の様に下に向かい、浴槽が区切られている。夕方見て来たパムッカレの石灰棚をイメージし、造られているのである。
    お湯は赤茶色である。底に溜まった粘土がお湯に混ざり、この色をしているのか、それとも鉄分などが多い温泉なのか、このどちらか、その両方によるものと思われる。
    もう既に同ツアーの多くの人達が、この屋外の温泉施設に入っている。この屋外温泉施設を利用しているのは、殆どが同ツアーの人達で、あとは外国人の観光客が数人いるだけである。
    我々は最もお湯の出る間欠泉の様な噴き出し口に近い、湯船に入った。
    皆さん、スイミングキャップは持参されていた様で、私と同じスイミングキャップの人はいない。
    お湯がそれ程熱くないので、これなら少し長めに入る事が出来る。我々は比較的近くに集まり、話をしながら、お湯に入っていた。日本人は温泉好きなので、話がお湯の質に話が及ぶ。
    泉質としては鉄分の多い炭酸泉の様に思われる。所謂有馬温泉の様な泉質に近い様に思う。
    硫黄の臭いはしないので、硫黄分はあまり多くない様だ。粘土質の泥が多いのは、この辺りの土質によるものであろうか?
    この辺りはパムッカレのホテル群以外にはあまり民家も無いせいか、星々が非常に良く見える。
    ホテルの灯りが多いので、近くに感じる程ではないが、それでも自宅の生駒で夜空を見るよりもかなり多くの星が見える。見える星座などは同じ北半球である為に同じ星空であるが?
    結局、30分程入ったところで同ツアーの人達もバラバラと温泉を出始めたので、私も同じ様に温泉から出る事にした。
    泥が体に着いているので、このまま部屋に帰り、直ぐに部屋の浴槽で体を洗わなければならない。
    本当なら温泉の効能を考えると、体を洗わない方が良いが、泥成分が多いのでそうもいかない。
    簡単に持って来た部屋のタオルで体を拭き、部屋着を着て、戻る。
    部屋に戻ったのは時刻が21時50分頃であった。
    戻るとそのまま浴槽で、体と髪を洗う。その後、水着を洗い、部屋の小さなベランダに干す。
    その後、髪が渇くまで部屋で寛ぐ。特に何もする事もなく、今日の出来事をまとめながら、時間を過ごす。
    今日は非常に観光の多い日であった。特にエフェソス遺跡は非常に感動した。
    パムッカレは期待が大きかった為に少し残念ではあったが、それでもあの様な光景を日本で見る事は出来ない。
    22時30分を過ぎた頃になり、荷物の整理を始める。明日も朝が早いので、予め明日必要なものだけをリュックに入れ、それ以外のものは旅行カバンに戻す。
    明日の着替えなどを別途用意し、ベッドに潜り込み。明日のモーニングコールは5時半であるので、持参した目覚し時計を5時にセットする。23時過ぎには寝ていた。

    今回はここまで! コンヤ経由でカッパドキアへの移動。

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