2013/09/06 - 2013/09/13
2785位(同エリア4766件中)
パンダ番長さん
- パンダ番長さんTOP
- 旅行記55冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 12,486アクセス
- フォロワー2人
トルコ旅行の6日目。カッパドキアからイスタンブールに移動し、イスタンブール観光。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
<イスタンブールへの移動の朝~カイセリ空港への移動~>
朝、4時30分頃に目が覚める。早々に顔を洗い、荷物など再度確認を行う。
5時にモーニングコールの電話が鳴る。そして、少し経つと、今朝もアザーンの放送が聞こえて来る。
5時15分頃には全ての準備を済ませ、時間を潰す。
5時30分前には旅行カバンを部屋の扉の前に出す。そして、再度忘れ物がないかを確認し、少し早いが玄関ロビーに向かう。
玄関ロビーで少し待っていると溝田さんが現れた。
朝の挨拶をした後、溝田さんが朝食の準備が出来ているか、確認の為に2階に上がる。
そして、戻り、朝食準備が出来ていると言うので、2階のレストランに上がる。
まだ、誰も来ていない。先日と同じ場所で朝食を摂る為に席に着く。
朝食のバイキングメニューは昨日とほぼ同じである。適当に料理を取り、食事を始める。
<9月11日 テメンニ・エヴァホテルでの朝食>
①豆のスープ
②ソーセージのピザソース煮
③蒸かしいも(じゃがいも)
④ゆで卵
⑤チーズ
⑥ハム(3種)
⑦パン(2種)
⑧トマト
⑨オレンジジュース/ネスカフェ
食べ始めていると少し遅れてツアーのみんながレストランに集まる。
今日は時間も少ないので、早々に食事を終える。時刻は6時5分過ぎである。
ロビーに降り様とすると、尾道の藤本おじさんが旅行用コンセントを返しに、席に来た。
「ありがとう!助かった!」と言い、私に返してくれる。 -
その後、玄関ロビーに戻り、溝田さんに部屋の鍵をフロントに返す様に言われ、フロント上に鍵を置く。
そして、ロビーのソファで全員が揃うのを待つ。
6時15分頃にはほぼ全員が揃い、溝田さんが各人に鍵を戻したかを確認した後、予定よりも少し早いがバスに移動する事になった。
その際に危うく、カメラを忘れるところであった。
ソファに置いているのを指摘され、慌ててソファに戻り、カメラを回収する。その後、階段を下り、バスの待つ坂まで移動し、バスに乗り込む。
6時30分前には全員がバスに乗り込み、バスが出発する。 -
バスはユルギュップの町を抜けて、荒涼とした景色の中に続く道を走る。この辺りまで来ると、視界が開け、上空には今日も多くの熱気球が見える。
すると、私の後方の席に陣取る尾道の3人組の人が、「この辺りの平坦なところに熱気球が着陸したんよ!」と教えてくれる。確かに、この辺りは広い谷合の平坦な土地が続いている。
その谷合の途中の裸山斜面に岩石の固まりで出来たものが見える。積み石の様な形状である。
何か有名なものであろうか?
その反対側には少し靄のかかり、全体がかすんだ状態で、エルジェス山が見え始まる。
暫らく、そのエルジェス山を右手に見ながら、バスは進む。 -
更に走る事15分、カイセリの町が前方右手に見えて来た。
しかし、その町は右手に見える状況が続く。どうもバスは町を迂回して進んでいる。カイセリの空港は町のかなり郊外にある様だ。
カイセリは古くから交通の要衝の地として栄え、中部アナトリアの商業都市で、トルコ絨毯の産地としても有名である。古代は“マザキヤ”と呼ばれた町で、ローマ時代に皇帝カエサルの町を意味する“カエセレア”と呼ばれ、キリスト教の影響を受け、町は更に発展、その後も幾つかの王朝に支配下を受け、現在も町の中心には城塞などの史跡が多く残る。
途中に線路が見えて来る。久々に見る線路である。
架線がない様なので、列車が走っているのであろうか?更に少し走ると、空港施設が見えて来た。
時刻は7時20分過ぎである。意外に早く、空港に来た。もう少し時間が掛かるものだと思っていた。
旅行予定表では、このカイセリの時発の便である。
バスは7時25分頃にカイセリ空港の出発ロビー前に到着した。
バスから降り、旅行カバンなど荷物を受け取る。 -
<カイセリ空港からイスタンブールへの移動~TK2011便~>
ここで、イスタンブールから今日までバスを運転頂いたナフィスさんとムラシットさんとはお別れである。少し粗っぽい運転もあったが、ここまで無事で到着した。カメラは無事では無かったが?
みんながこの2人の運転手にお礼を言い、空港ターミナル内に移動する。
カイセリ空港はカッパドキアなど中部アナトリア観光のメイン空港で、利用客も多い。空港内は朝の早い時間であるが、多くの利用客で混雑している。
まずは空港ターミナルの入口で手荷物検査を受ける。これを通らなければ、ターミナル内に入れない。そのチェックを受け、ターミナル内に入り、航空会社のカウンターに向かう。
そして、溝田さんに言われ、カウンター前に各々の旅行カバンを並べる。
溝田さんとナムックさんが搭乗手続きを行う間、我々は航空会社のカウンターから少し離れた場所の椅子で待つ事になる。
7時50分頃になり、溝田さんが我々のところに来て、航空チケットを配り始める。
それを受け取った順番に出発ロビー入口の手荷物検査所に並ぶ。
手荷物検査所は然程混雑していなかったので、10分程で全員が終了し、出発ロビーに出る。
カイセリ空港は観光の拠点空港の割には大した施設もない。
出発ロビーに入っても、椅子で搭乗を待つくらいしか出来ない。小さな土産物店はあるが、誰も見に行く人もいない。 -
ゲート前の表示では、8時40分頃に搭乗が開始される予定である。
暫らく、椅子で尾道の3人組の人達と会話をしていた。時刻が8時30分を過ぎると、ゲート前に列が出来始まる。すると、予定通り、8時40分前には搭乗が開始される。
ゲートを抜け、その先の出口を出ると、丁度その前辺りに機体が待機している。
地上から機体へはタラップで搭乗するのである。再びタラップ前に列が出来る。
ここで少し機体に搭乗するまでに時間を要した。
やっとの事、機内に入り、搭乗券を確認すると、07Aで窓際の席である。席に行くと、そこには既にトルコ人らしい老夫婦が席に座っていた。
私が奥の窓際の席である事を主張するが、がんとして席を退こうとせず、何か文句を言っている。
そこにナムックさんが来てくれ、通訳をして貰うも、更に怒りだした様子である。
その為にナムックさんが、私に、「通路側の席でも宜しいですか?」と聞くので、「問題ないです。」と答え、その通路側の空いた席に座る。時刻は8時50分過ぎである。
もめていたので、席に着くのに時間を要した。
機体はA320-200型である。両サイドに3人席が並ぶ、1列6人掛けである。
席を占領していたトルコ人の老夫婦は席を譲ってくれた事で機嫌が良くなったのか、笑顔で何やら私に話しかけて来るが、言葉が判らず、こちらも造り笑いで返す事しか出来ない。
シートベルトを付け、暫らくすると機体が動き始める。
空港内を少し移動した後、9時8分頃に無事にカイセリ空港を離陸した。 -
順調に上昇を続け、10分程で水平飛行に入り、シートベルト着用ランプが消える。
すると、CAが機内食を配り始める。時刻は9時25分頃である。
配られた機内食は紙箱に入った軽食である。紙箱に入っていたものは以下の様なものである。
<カイセリ空港→アタテュルク空港(イスタンブール):TK2011便の機内食(軽食)>
①チーズサンド
②野菜類(乾燥ナツメ/乾燥オリーブ/きゅうり/プチトマト)
③ケーキ(カステラ風のもの)
④飲物(オレンジジュース)
中途半端な時間なので、本当に軽食である。
このチーズサンドのパンは美味しい。機内食で食べるパンの方が各食事で食べるパンよりも美味しい気がする。この軽食を食べ終わり、CAが空箱を回収する。
機体は揺れる事なく、飛び続ける。何もする事もなくいので、少し寝る事にした。
昨晩は早く就寝したが、今朝が早かったので少し眠くなって来た。
いつの間にか寝てしまい、着陸の振動で目が覚めた。無事にイスタンブールのアタテュルク空港に到着した様である。時刻は10時23分で、ほぼ予定通りの到着である。
そこから空港内を10分程移動し、機体が停止する。みんなが座席から立ち、荷物棚から荷物を出し始まる。数分で乗客が機体から降り始めた。
機体は空港のターミナルに横付けされているのではなく、タラップを降り、その下に待っているシャトルバスに乗り込む。シャトルバスが満員になると出発した。
シャトルバスは空港内を5分程走り、やっとターミナルの入口に到着した。 -
時刻は10時45分前である。
国内線なので、そのまま手荷物受取所に移動する。
途中、トイレに立寄る。手荷物受取所では、直ぐに旅行カバンは出て来た。全員が旅行カバンを取り終えて、ターミナルを出る。
時刻は11時5分頃である。
ターミナル前の道路で暫らくバスが来るのを待つ。
5分程待つと、バスが我々の前に到着した。
バスはカイセリ空港まで乗っていたバスと同型の観光バスである。
荷物などを積み込み、バスは11時15分頃に出発する。 -
<イスタンブール市街地への移動と昼食>
今日は、イスタンブール到着初日とは逆方向のイスタンブール市街地に向かう。
バスは暫らく走ると、イスタンブールの市街地に入る。
すると、前方に水道橋が見えて来た。この水道橋もイスタンブールの名所の一つであるヴァレンスの水道橋である。
現在残る、ヴァレンス(又はコンスタンティヌス)の水道橋は16世紀頃にオスマントルコ帝国時代のものであるが、もとはビザンツ帝国のコンスタンチヌス帝から建造を始め、ヴァレンス帝時代に完成した為にこう呼ばれているのである。
この水は市街の北に拡がるベオグラードの森から注がれていたと言われている。この水道橋を潜り、バスは更に旧市街の中心地を目指す。 -
更に15分程走ると、前方に河の様なところが見えて来たが河ではなく、ここが金角湾と言う入り江である。
この金角湾がイスタンブールの旧市街地と新市街地とを分断している。
更にバスの進行方向に大きなモスク(ジャーミー)が見えて来る。
これがイェニ・ジャーミーである。
その手前でバスが停車する。ここでバスを降り、ここからは歩く様である。
貴重品やカメラを持ち、バスを降りる。
時刻は11時50分前で、まずは昼食場所に行くそうだ。 -
バスから降りた後、金角湾沿いの道路から石造りのビルが並ぶ街中に入る。
この辺りはレストランや店などが入るビルが多い。そのビルのひとつの前で一旦集合する。
ビルの屋上に“HAMDI RESTORANT”の文字の看板が見える。ここが今日の昼食場所である。そのビルに入り、入口奥にあるエレベーターで階上に上がる。 -
4階まで上がり、そこで降りる。その奥のテーブルの並ぶ部屋に移動する。その部屋の一番奥の窓際のテーブル席に着く。丁度、私が最も窓際に座る事が出来た。
窓外には金角湾が見え、その奥には新市街地が見えている。更に右手端にはイェニ・ジャーミーが見えている。椅子に座る前に、ここから写真を撮っていた。
まずは、いつもの如く、飲物の注文を聞かれる。ここではチャイをお願いする。 -
最初は、野菜サラダがテーブルに運ばれて来る。その次にスープが出て来た。
その後、出て来た料理は以下の様な内容である。
<金角湾沿いの“HAMDI RESTORANT”での昼食>
①生野菜(きゅうり/パプリカ/オリーブ/イタリアンパセリ/トマト)
②花嫁のスープ(エゾゲリン・チョルパス)
③チーズピザ
④牛肉のケバブ(シシケバブ)*ポテトフライ/トマト/ライス(サーデ・ピラウ)添え
⑤エキメッキ(トルコのライ麦パン)
⑥フルーツ(スイカ/イチジク/黄桃/メロン)
⑦飲物(チャイ)
出て来たスープは、“花嫁のスープ”と呼ばれるものは、トルコではこれもレンズ豆のスープと同様に、定番のスープだと言う。スープはトマトベースのスープであるが、このスープもレンズ豆が入っている。少し辛味が強いスープであるが、添えられたレモンを少し搾り、入れると辛味が和らぐ。 -
シシケバブは定番のケバブである。ここのケバブも少しヨーグルトソースを掛けてある。
パンはトルコの定番のライ麦パンの“エキメッキ”と言うものであるが、フランスパンの様に硬い。
チャイを飲みながら、尾道の藤本おじさんと歓談していると、どうしても外の景色が気になる。
藤本おじさんも気になるのか、カメラを向けている。 -
早々に席を立ち、窓越しに写真を撮っていると店員の人が気を利かせてくれて、窓の一部を開けてくれた。
その好意に甘え、その開いた窓から写真を撮らせて貰う。
そして、飲物の代金を精算した人から席を立つ。各々トイレなどを済ませ、1階に下りる。
1階には菓子などを売る店がある。トルコの定番のスィーツである“バクラワ”と言うパイの蜂蜜漬けや“カダイフ”と言うヘーゼルナッツを散りばめたお菓子などが並ぶ。どれも非常に甘そうである。
地元トルコの人達も買っているので、この店はお菓子の店としても有名なのかも知れない。
全員が揃った事を確認し、ナムックさんと溝田さんについて店を出る。 -
<イスタンブール観光①~エジプシャンバザール~>
店を出て、バスを降りた方向に戻るのかと思ったが、反対側に歩き始めた。
溝田さんに聞くと、これからこの近くにあるエジプシャンバザールと言うところに行くと言う。
暫らく、昼食を摂ったレストランのあるビルが面した道を歩き、そこから金角湾に向かい、道を折れると、広場に出る。この広場の周辺の建物の壁沿いには、小さな屋台の様な店が並ぶ。 -
屋台が並ぶ壁の建物がエジプシャンバザールの建物である。
その入口前で一旦集合し、ここでナムックさんが説明を始める。
「このエジプシャンバザールの名前は、エジプトからの貢物を集める場所として使用されていた事に由来します。以前は90軒近くの香辛料を扱う店が並んでいた事から別名、スパイスバザールと呼ばれていました。現在は香辛料の店は少なくはなりましたが、まだ様々な香辛料を扱う店が並んでいます。その他には土産物を扱う店も多く、食品などの土産物も多く扱われています。」と教えてくれる。
そして、その説明後、何やら溝田さんと打ち合わせ、「それではこれから少しの時間、このバザールで自由行動とします。今の時間は13時30分前ですので、集合時間は14時にします。場所はこの入口前にします。宜しいですか?皆さん、集合時間には遅刻しない様お願いします。また、このバザールから余り離れないで下さい。」と言う。
続けて、「土産物を買いたい人は38番のお店がお勧めです。私もその店辺りにいます。その店には日本人のスタッフもいます。」と教えてくれる。その後、解散となる。
まずは土産物を見る為に、ナムックさんお勧めの店に行く事にした。 -
とりあえず、殆どの人がその店を目指して歩き始める。その店は非常に多くの人が既にいた。殆どが日本人である。この店には日本語が至るところに書いてある。
ここで少し土産物を購入する事にした。
ナムックさんが、「ここには質は落ちますが、安い本物のトルコ石もありますよ!どうですか?」と教えてくれる。「トルコ石はもう良いです。」と私が答えると、「他にもたくさん土産物がありますので、見て行って下さい。カラスミも有名です。どうですか?」と店の人の様に話す。
店は然程大きくなく、縦長に6畳くらいの広さの店である。しかし、奥に地下に下りる階段があり、地下にも店が続いている様だ。
ここではチャイ用のガラスコップを購入したいと考えていたので、それを幾つか見せて貰う。
もう少し、多くの種類があるかと思っていたが、手頃な価格のものは然程種類もない。
その中の一つを購入する事にした。価格は50トルコリラである。
これを購入後、この店を出て、少しこのエジプシャンバザールを散策する事にした。
その店からバザールのアーケードを更に奥に進む。確かに未だに香辛料関連を扱う店が多い、その他もお菓子の“ロクム”など食料品を扱う店が目に付く。また、他の店でも日本語が横行している。
店員もアジア系の顔をしていれば、全て日本語で話し掛けて来る様だ。
「お兄さん、安いよ!」と言う声を何回も聞いた。
途中でアーケードは左に折れ曲がり、その先にも店が並ぶ。左に折れた少し先まで店を見るが、どこも同じ様なものを扱う店が並ぶだけである。そこで、ここまでにして引き返す。
そして、再び先程の店に戻ると、既に同ツアーの人達はいない様である。そのまま、エジプシャンバザールの入口付近まで戻ると、尾道の3人組に出会う。 -
すると藤本おじさんが、「隣のモスクの写真を撮りに行かん?」と言われたので、まだ少し集合時間まで時間もあるので、行く事にした。
エジプシャンバザールの横には大きなイェニ・ジャーミーが聳えている。
そのモスクの脇まで行くと、余りにも大きなモスクの為にカメラのフレームに収まらない。そこで、藤本おじさんと共に出来る限りフレームに収まるところを探しながら、その辺りを移動する。
丁度、エジプシャンバザール沿いの外にも多くの屋台の店が並んでいる。この辺りの店は花や植物の苗木、種などを売る店が多い。
その前を抜け、少しイェニ・ジャーミーから離れて写真を撮るが、それでも結局、フレームに収める事が出来なかった。
昼食場所からの方が綺麗に見えていた。
写真を撮り終え、集合場所に戻る。時刻はほぼ集合時間で14時であるが、まだ数人戻って来ていない様である。結局、集合時間になっても数人が戻らず、溝田さんとナムックさんがエジプシャンバザール内を探している。
やっと、5分程遅れて、全員が集合した。再び、遅れた人達に溝田さんがイエローカードを出す。
どうしても人数が多い、ツアーはこういう事が起こる。
ナムックさんを先頭にイェニ・ジャーミー横の道路に出るとそこでバスが来るのを待つ。
程なく、バスが到着し、慌てて乗り込む。時刻は14時10分頃である。
再び、金角湾沿いの道路をバスが走り始める。次は、このイスタンブールで最も有名なモスクであるスルタンアフメット・ジャーミー、通称ブルーモスクに行く。 -
<イスタンブール観光②~ブルーモスクとその周辺~>
バスは金角湾に沿う様に走り、途中オリエントエクスプレス(オリエント急行)の終着駅であるスィルケジ駅が右手に見えて来る。もっと大きな駅をイメージしていたが、然程大きな駅ではなく、昔ながらの駅舎がそのまま使用されている様だ。
パリからこのイスタンブールまでの直通列車は現在走っていないと思うが、それでもヨーロッパとの間を今も列車が走る。
その駅から更に少し走ると城壁が見えて来る。この城壁はトプカプ宮殿の城壁である。その城壁が切れた辺りで、右手に折れる。そこから丘を上り、細い道を縫う様に抜ける。
そして、少し大きな道に出たところで、バスが停車し、そこでバスを降りる。
この道にはトラムの線路が見える。
降りたところからもスルタンアフメット・ジャーミー(以後はブルー・モスクで記載する)やアヤソフィアが既に見えている。さすがにこの辺りは観光客も非常に多い。
まずはブルー・モスク方向に歩き始める。
ブルーモスクの近くまで行くと、ブルー・モスクの囲む様に造られた壁の脇には広い直線の道がある。ここでナムックさんから、この道路について説明を始まる。
「ここはローマ帝国時代の競馬場でヒポドロームと言う場所です。これは古代の競馬場を意味し、“ヒポ”はギリシャ語で馬の意味で、“ドローム”は道を意味します。今はその名残で道が広いのです。舗装されており、昔の面影はないですが、当時は数頭立ての競馬や戦車競走が行われていたと言われています。また、この辺りは現在、スルタンアフメット広場と呼ばれている場所です。」と教えてくれる。 -
その道路を歩き、更に進むと、右手にオベリスクが見えて来る。
これが有名なテオドシウス1世のオベリスクである。
このテオドシウス1世は最後の統一ローマ帝国の皇帝であり、この皇帝の死後、ローマ帝国は東西に分けられた。
また、この皇帝はコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に常駐した始めての皇帝でもある。
このオベリスクは戦勝祈念としてエジプトのカルナック神殿からコンスタンティノープルに運んだものである。近くで見ると各面にはエジプトのヒエログリフが刻まれている。
また、台座部分にはテオドシウス1世の業績が刻まれていると言う。高さは約20mである。
また、その先に途中から折れた金属製の柱が見える。この柱はヘビの柱と呼ばれている。
現在は、らせん状になった青銅製の柱にしか見えない。近くで見ても、然程大きな柱でもない。
元は三匹のヘビが絡まり、先端には三匹の頭もあったと言う。
これは紀元前5世紀にペルシャ軍に勝った記念として、ギリシャのデルフォイのアポロ神殿に奉納されたものをコンスタンティヌス1世が運んで来たものだと言う。
ここからブルー・モスクの壁の一画に入口が見えていたが、そこに向かい、方向を変える。
もう1本、ヘビの柱の奥にも古いオベリスクが見えている。
これはコンスタンチィヌス7世のオベリスクと言われるものである。 -
手前のコンスタンティヌス1世のオベリスクよりも遠目からも痛みが激しい様に見えるが、石の材質も違う様である。後で調べると、このオベリスクの表面は当時、青銅で覆われていたが、第4次十字軍により剥がされ、銅貨の原料として使用されたそうだ。
壁に開いた小さな入口からブルー・モスクの敷地内に入る。 -
狭い通路を抜けると、一段高い基壇の上にブルー・モスクが建てられている。
その基壇の上に階段で上ると、その横からブルー・モスク内に入れる様になっている。入口手前では、係員が服装のチェックをしている。
特に女性の服装には厳しく、スカーフなど髪を隠すものを持っていないと入れない。持っていない女性はここで、簡易のスカーフを係員から借りている。
ナムックさんによると、これは現首相エルドアンがイスラム回帰主義を唱え、公共での女性のスカーフ着用などを義務づけた事によるもので、観光と言えど、これを義務づけた為にモスクに入る時にスカーフ着用が必要になったと言う。 -
この様な厳しい制度に、トルコ国内でも反エルドアンのデモが頻繁に行われていると言う。
やっとの事、ブルー・モスク内に入れた。
ここで簡単にブルー・モスクについて説明をすると、最初に記したが、正式な名称は“スルタンアフメット・ジャーミー”で、イスタンブールを代表するモスクである。
世界遺産であるイスタンブールの歴史地区の歴史的建造物群のひとつである。
オスマン帝国の第14代スルタン・アフメット1世によって1609年から1616年の7年の歳月を掛けて建造された。設計はメフメット・アーで、世界で最も美しいモスクと評されている。
世界で唯一優美な6本のミナレットと直径24mの大ドームを持ち、内部は数万枚のイズミック製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。
この世界で唯一の6本ミナレットには逸話がある。
言い伝えによると、6本のミナレットはスルタンメフメット1世がメフメット・アーに対し、「黄金(アルトゥン)のミナレットを」と言ったのを、「6(アルトゥ)」と勘違いした為に出来たモスクと言われている。
モスク内に入ると意外に人は少ない。モスク内が広い為にそう感じるのかも知れないが?
モスク内の中央に大きなドーム状の天井がある。また、その下からは多くのランプがぶら下っている。現在も照明として使用されている様だ。
柱や天井などに描かれたイスラム風の幾何学模様が非常に綺麗である。全てタイルで模様が造られているのであろうか?
また、窓に嵌め込まれたステンドグラスも外からの光を受け、非常に綺麗である。
モスク内の中央まで進むと、ここでナムックさんから説明が始まる。 -
「このモスクの正式な名前は、スルタンアフメット・ジャーミーで別名がブルー・モスクです。このモスクには260もの小窓があり、その殆どにステンドグラスが嵌め込まれています。また、内装は2万枚以上のイズミックタイルと言われる青を基調としたタイルで様々な模様を描き、装飾されています。その事からブルー・モスクの名前で呼ばれています。また、天井を見て下さい。非常に高いですが、どれくらいあるか判りますか?」と質問が出る。
誰も答えないのを確認すると、「高さは43mで、ドームの直径は24mです。覚えておいて下さい。」と言う。その様な説明を聞きながら、モスク内を見渡すと、丁度我々が説明を受けている辺りからは低い柵で仕切られた区画がある。そこには絨毯が敷かれている。
その中には少ないが人がいる。どうもこの中はお祈りの為の場所なのだ。
ここは観光の施設でもあるが、本来のモスクとしての役割も続いているのである。 -
本当に綺麗なモスクである。
インドのタージ・マハルも内部を見たが、この内部とは全く違った趣がある。
しかし、内部に居たのは本当に少しの時間であった。この中で見るものは然程多くないのである。
本当に10分程でブルー・モスクを入口とは反対側から出る。 -
もう少し見るものがあると期待していたが、少し拍子抜けである。まあ、基本的には礼拝所なのである。
基壇を降りた先に出口があり、そこを抜けると正面には道路を挟み、スルタンアフメット広場が拡がり、その先にはアヤソフィア博物館が見えている。
ここからアヤソフィア博物館まで歩いて行く様だ。時刻は14時45前である。 -
<イスタンブール観光③~アヤソフィア博物館~>
スルタンアフメット広場まで行き、ここでやっとブルー・モスクの全容がカメラに収められるところまで来た。ここで、ブルー・モスクの写真を何枚か撮る。
また、公園内で今度はアヤソフィア博物館をバックにみんなが記念撮影を行う。
私も溝田にお願いし、記念写真を撮って貰う。その後、再びアヤソフィア博物館に向かい歩き始める。
アヤソフィア博物館は、ビザンツ帝国時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設されたもので、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノープル総主教座の所在地であったが、1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの教徒大聖堂とされていた。1453年から1931年まではモスクとして使われていた。そして1935年から博物館として使われている。
ビザンツ帝国の代表的な遺構であり、ビザンティン建築の最高傑作と評価される。
オスマントルコ帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用されていた。
公園を抜け、アヤソフィア博物館の前に到着する。 -
ここで、ナムックさんが入場手続きをするのを待つ事になる。この入口付近にも大きな水場がある。
ここは清めの泉(泉亭)で、これはイスラム教のモスクの特徴なのかも知れない。
ナムックさんの入場手続きが終了し、入場する。
アヤソフィアの建物に沿う様に敷地内を進むと、店が並ぶ一画に出る。 -
この辺りにアヤソフィア博物館の入口がある様だ。ここからアヤソフィア内に入る。
まずは側廊を抜け、身廊内に入る。
アヤソフィア内は観光客で一杯である。先程のブルー・モスクに比べても人が多い様に感じる。
また、内部も大きく違い、ブルー・モスクは青が基調の内部であったが、こちらは色褪せた金色が基調の内部である。
残念な事に一部工事中で内部に大きな作業足場が組まれている。
また、中央祭壇の上には大きな円盤状の額が掲げられ、その中に“アッラー”と“モハメッド”のアラビア文字が見える。更にその上のドーム状の壁には天使が描かれている。 -
ドームの中央付近に来ると、ナムックさんが止まり、アヤソフィア博物館の説明を始める。
「このアヤソフィアは西暦325年にコンスタンティヌス1世により前進となる教会の建設が始まり、西暦360年にコンスタンティヌス2世の時代に完成しました。その後、幾度となく焼失を経て、現在のビザンティン様式の大聖堂が完成しました。ビザンツ帝国時代はギリシャ正教の総本山として崇められ、“ハギア・ソフィア”と言われていました。この大ドームの屋根は軽量レンガで造られ、当時としては最高の技術で建設されています。その後、コンスタンティノープルがオスマントルコにより陥落されると、この聖堂もモスク(ジャーミー)として改修されました。聖堂内のモザイク画は18世紀には一旦漆喰で塗りつぶされましたが、20世紀に発見され、現在の形に復元されています。」と説明する。
そして、更に祭壇の方向に歩き始める。そして、そのかなり手前で再び止まり、話し始める。
「皆さん、先程のブルー・モスクのドームの高さは覚えていますか?」と質問が出る。
我々が、「43mです。」と答えると、「そうです。ブルー・モスクは43mです。このアヤソフィアのドームの高さは約56mと更に高いです。その直径は約33mです。」と説明を加える。
このアヤソフィア内はブルー・モスクよりも狭い感じがし、数値程天井の高さを感じない。 -
更に、「祭壇方面を見て下さい。この祭壇はイスラムでは“ミフラーブ”と言いますが、中央よりも少し右手にずれているのが判りますか?これはこのアヤソフィアが元は教会として建てられた後、モスクに改修される際に祭壇をメッカの方向、正確にはメッカにあるカアバ聖殿の方向に造り変えられた為に少しずれているのです。」と教えてくれる。
確かに、中央よりも少しずれた場所に祭壇が造られている。
この祭壇の“ミフラーブ”は幾何学模様で飾られている。
その右前には柵で区切られた小さな部屋の様なものが造られている。これが“ミンバル”と言われる説教壇である。金曜日にはここで説教が行われる。 -
ここからナムックさんは側廊部分に戻り、ここで再び集合する。そして、「これから少し自由行動にします。2階も自由に見学下さい。2階に上がるにはこの奥にスロープがありますので、そこから上がれます。集合場所はこの入口にします。集合時間は15時40分にします。」と言い、ここで解散となる。
側廊奥のスロープで2階に上がる。 -
まず2階の回廊の入口付近に土産物を扱う店があり、その反対側には、このアヤソフィアの古い写真などが並ぶ。2階部分の回廊の柱は装飾も非常に凝ったもので、綺麗な大理石の柱である。
残念な事に工事の足場で1階部分の見える場所が限られている。
左手の回廊奥まで行き、そこから1階を見降ろすが、やはり足場が邪魔で少ししか見えない。 -
しかし、ここまで来ると、ドームの天井付近に描かれている天使のフレスコ画が良く見える。
2階に上がるまで判らなかったが、天使はドーム部分の左右に描かれているが、顔が描かれているのは左手の天使のみである。
これは何か理由があるのであろうか?
左手奥から再び手前の回廊に戻り、今度は右手の回廊に移動する。
この右手も回廊に移動する途中で、ヨーロッパからの来たと思われる観光客の女性から声をかけられる。
どうも写真を私に撮って欲しいと言っている様である。OKし、カメラを受け取る。
その女性は綺麗な大理石の柱をバックに写真を撮って欲しいと言っている様で、気にいった柱前でポーズを取る。
私が何枚か写真を撮り、カメラを返し、確認をして貰う。上手く撮れている様で、笑顔で頷いている。
すると、更に別の場所でも撮って欲しい様で、その場所に私を連れて行き、そこでまた写真を撮る。
大きな荷物は持っていないが、その女性はヨーロッパから来たバックパッカーかも知れない。
女性から何度も礼を言われ、別れる。
そして、私は再び、右手回廊の見学を続ける。
右手回廊には、回廊を遮る様に大理石製の仕切りが設けられ、その中央付近が開いており、そこから中には自由に出入り出来る。 -
その中に入ると、回廊の窓際の壁付近に多くの観光客が集まっている。
何があるのかとその場所に行くと、その壁には綺麗なモザイク画が描かれていた。
これが、20世紀に発見されたモザイク画の一つである。ここに描かれているのは、中央にイエス、左手に聖母マリア、右手に洗礼者ヨハネである。復元されているのは、イエスも上半身のみで、マリアに至ってはほぼ顔部分のみである。 -
このモザイク画は、“請願(デイシス)”と呼ばれ、モザイク画の最高傑作とされる作品である。
このモザイク画を観賞後、更に回廊を奥に進む。
次の回廊の区画の壁にもモザイク画が描かれている。ここには、中央にイエスを抱く聖母マリアが、その両脇にはビザンツ帝国の皇帝と皇后が描かれている。
更にもう一つのモザイク画が窓際に描かれている。ここには、中央に福音書を持ったイエスが、その両側にはこれもビザンツ帝国の皇帝と皇后が描かれている。 -
ガイドブックによると、このビザンツ帝国の皇帝は、コンスタンティヌス9世で、皇后はゾエです。
右手回廊の一番奥に行くと、ドームの奥中央の天井付近に描かれたイエスを抱く聖母マリアのフレスコ画が良く見える。
それを見学後、回廊を戻れる。1階部分に比べ、2階を見学する観光客は意外に少ない。同じツアーの人達も殆ど見ない。どこを見ているのであろうか?
再び、上って来たスロープで1階に下る。最初は気が付かなかったが、この1階部分の柱には所々に唐草模様が描かれているが、その下にうっすらと十字が見える。元は十字架が描かれた上にイスラムの唐草模様を描き直したのである。
その後外に出る。まだ、集合時間には少し時間があるので、まだみんなはいない。
まずはトイレを済ませる事にし、外のトイレは行く。 -
トイレを済ませ、再び入口付近に戻ると、尾道の藤本おじさんが居た。手には何やら飲物を持っている。私が、「それは何ですか?」と聞くと、「そこの店でザクロジュースを買うたんよ!」と言う。
私も少し喉が渇いていたので、その店で飲物を購入する事にしたが、どこで購入すれば良いのか、判らない。盛んに、紙幣を示し、指でザクロを指さすが、相手にされない。
結局、集合時間となり、ザクロジュースを購入する事が出来なかった。
集合場所に戻ると、もう殆どの人が集まっていた。全員が揃った事を確認し、再び、アヤソフィア内に入り、手前の側廊を進む。その側廊の途中には、様々な遺物が置かれている。
ナムックさんの説明が無かったので、どの様なものかは不明である。
そして、出口が見えた手前でナムックさんが止まり、振り返り、天井付近を指さす。
その先にはここにも綺麗なモザイク画が描かれている。 -
ナムックさんの説明によると、このモザイク画も中央にイエスを抱いた聖母マリアが、その左手にはアヤソフィアの模型を捧げるコンスタンティヌス1世が、右手には街の模型を捧げるコンスタンティヌス9世が描かれているそうだ。
良く見れば、大理石の柱や壁には、天井付近までびっしりとモザイク画で模様が描かれている。
少し傷みが激しいが、当時の面影が判るくらいには修復されている。
このモザイク画を見学し、アヤソフィア博物館を出る。
さすがに博物館と言われるだけあって、先程のブルー・モスクとは比較にならないくらい多くの見るべきものがあった。
その後、清めの泉(泉亭)の脇を抜け、入口とは別に設けられた出口から敷地を出る。 -
<イスタンブール観光④~地下宮殿とグランド・バザール~>
ここから再び、スルタンメフメット公園内を抜け、バスを降りたトラムの通りに出る。
ここで、ナムックさんが、「少し時間がありますので、明日予定していました地下宮殿にこれから向かいます。」と言う。
そして、トラムの通りを車に気をつけながら、横断し、少し歩くと店の様な建物の前に到着する。
店の入口の様なところを入ると、そこが地下宮殿の入口になっている。
階段を降りると、直ぐに暗い地下に大きな空間が見えて来る。 -
更に階段を下りると、その全貌が見えて来た。均一に大理石の柱が並ぶ地下の空間である。底には水が溜まっている。その下まで下りると、柱を縫う様に貯水池の上に通路が設けられている。
柱の下部分に間接照明の様にライトが点いているが、明るい訳ではない。暗く、足元も良く見えない状況である。
ここで、ナムックさんから説明が始まる。「ここは地下宮殿と言われている場所ですが、実際は地下の貯水池として使用されていた場所です。正式には“バシリカ・シスタン”と言い、ビザンツ帝国時代に造られた大貯水池です。トルコ語では、“イェレバタン(地に沈んだ場所と言う意味)”で呼ばれています。この貯水池の大きさなは奥行き138m、幅65m、高さ9mで1列に12本の柱が28列、合計336本の大理石の円柱で造られています。この大理石の円柱は様々な様式の柱が使用されており、他の施設で使用されたものをリサイクル利用して建てられたと考えられています。ここには78,000m3の水が貯水出来ると考えられています。この水はイスタンブール空港からの途中で見えていたと思いますが、水道橋から供給されていたと考えられています。今も少量の水が天井から浸み落ちています。」と説明をしてくれる。
しかし、その分上手く撮れれば、幻想的な写真が撮れる。通路で何回か立ち止り、写真を撮るが上手く撮れたものは少ない。通路の一番奥まで進むと、観光客が集まる一画がある。 -
そこに行くと、柱の土台に彫刻が施されたものがある。良く見ると“メデューサ”が頭の彫刻されている。一つは横向き、もう一つは逆さまである。石を使いまわした事がこれからも良く判る。
地下宮殿内は光量も少なく、写真は撮り辛い。 -
その後、通路に沿い、この地下宮殿を一周し、出口の階段を上がる。途中、天井から水が滴り落ちる場所があった。本当に今でも地下に水が溜まっているのである。
ナムックさんによると、この様な地下貯水池はここだけではなく、このイスタンブールには数か所発見されているそうだ。
地上に出て、再びトラムの通りに戻る。ここからはブルー・モスクが非常に綺麗に見える。
まだ、バスが到着していない様子なので、ここでまた溝田さんにお願いし、記念写真を再び撮って貰う。暫らくするとバスが到着し、バスに乗り込む。時刻は16時25分頃である。 -
バスに乗り込みと、次の場所の説明を溝田さんが始める。「それでは皆さん、次はグランドバザールに行きます。ここでは土産物の他、様々なものが購入出来ます。」と言う。
バスは旧市街地の細い路地を何度も曲がり、ある一画で停車する。横には、モスクの尖塔が見えている。ここでバスを降りて、ここからは徒歩で移動する様だ。 -
人通りの多い路地を進むと、グランドバザールの入口門の前に到着した。
その門の脇で、ナムックさんが話始まる。「皆さん、これから自由行動にしますが、集合場所はあちらに見えている土産物店の前にします。今の時刻が16時45分ですので、集合時間は17時30分にします。このグランドバザール内には4000軒程の店があります。迷子にならない様にして下さい。出来れば、アーケード内の街路を曲がる際は右に右に曲がって下さい。それではここで解散します。」と言う。
まずは、この門を写真に収める。
この門はグランド・バザールの一つの門である。その後、門を潜り、アーケード内を進む。
入口付近には貴金属類を扱う店が多い。本当に様々な品物を扱う店が並んでいる。 -
少し奥に入ると、土産物店が出て来る。ここでも日本語が横行している。日本人と判ると、日本語で話し掛けてくる。
なかには、「バザールでござーる!」と言って、おどけている店員もいた。どこで覚えたのであろうか?
暫らく、一人で店を散策していたが、前方に尾道の3人組の人達を見つけ、その人達に合流し、その後は一緒にグランドバザール内を移動する。バザールの中心的なオールドバザール迄行き、そこで、ナムックさんに言われた通りに右に街路を折れる。バザール内を歩いていると、特に目についたものは、布類、織物類、ランプ類、水たばこパイプなどである。
そして、更に大きな街路に当たると右に折れる。
ここで先程のナムックさんの説明に加え、少しグランドバザールについて説明を加えると、グランドバザールは勿論、英語読みでトルコ語では、“カパルチャルシュ”と呼ばれている。
カパルチャルシュとは“屋根付き市場”を意味である。 -
1455年から1461年に掛け、当時のオスマン帝国皇帝のメフメト2世の命により建設された。
広さ30,700m2で、66の街路に約4000の店舗がある。宝石類、陶器、香辛料、絨毯類、その他諸々を扱う業者が、業種ごとに同じ街路に集中して出店している。
そして、何軒かの店は見たが、大きな土産物が多く、小物などを扱う店は少ない。
尾道の藤本おじさんの提案で近くの喫茶店でお茶を飲む事にした。
街路にテーブルが出た店があり、そこでお茶をする。席に付くと、何と日本人の女性が出て来た。
この店の主人の奥さんで、一緒に店を切り盛りしていると言う。
喫茶店もやっているが、メインはアクセサリー小物の店なのだと言う。主人の男性が来て、挨拶をしてくれた。少し日本語も判る様である。 -
我々は全員、チャイを注文する。ここで暫らく、休憩をしていた。
休憩中に先程のアヤソフィア博物館や地下宮殿で撮った写真を藤本おじさんと見せ合う。私のアヤソフィア博物館のモザイク画の写真を見て、「この写真はどこで撮ったの?」と聞かれる。
2階の回廊奥で撮った写真である事を説明すると、「そんなところに、こんな見るものが有ったのは知らなかったわ!」と言う。
「私が殆ど、ツアーの人を見ませんでしたよ!みんな知らなかったのでないですか?」と言う。
その後も地下宮殿での写真などを見せ合い、時間を潰す。
チャイも飲み終え、集合場所である土産物店で土産物も見たいので、早々に席を立つ。
支払いは、尾道の藤本おじさんがここも支払ってくれると言う。
遠慮したが、強引に支払いを済まされた。
そして、再び街路を通り、真っ直ぐに進むと、アーケードが無くなり、通りに出た。アーケードに入る前の通りであると思うが、不安である。しかし、尾道の3人組も一緒なので、その通りを右折し、進む。 -
暫らく歩くと、門が見えて来た。道は合っていた。その手前に集合場所の土産物店も見える。
その店の前には溝田さんが居た。
まだ集合時間には早く、我々もその店に入り、土産物を見る事にする。
この店にも日本人の女性スタッフがいる。入口にはお菓子のロクムの箱が山積みされている。
この店は2階もある。1階の土産物をさっと見た後、2階に上がる。2階には比較的大きな土産物が置かれている。
特に気になったのは、やはりランプである。ステンドグラスの様なガラスで出来たものが並んでいる。
店の人に聞くと、モザイクキャンドルと言うらしい。しかし、かなり大きなものなので、荷物になる。
店の人のお勧めは、目玉模様のガラス玉が付いたストラップである。
“ナザールボンジュウ”と言うそうだ。
大きなものはストラップではなく、コースター程の大きな目玉が付いたものもある。この様な大きなものは、部屋の飾りとして使用されるそうだ。
あとは陶磁器類である。これはカッパドキアでも購入したので、買うつもりはない。
ナザールボンジュウのストラップとお菓子のロクムを購入する事にした。ロクムは少し荷物になるが、購入出来るところも限られてきたので、ここで購入しておく。全部で200トルコリラを支払う。
集合時間が近づき、殆どの人が集まったが、まだ数人が来ていない様である。
店の前ではソフトクリームを売っているのか、何人かが食べている。
集合時間を少し過ぎた頃にやっと全員が揃い、元来た路地を戻る。そして、モスク横の道路に出て、バスに乗り込む。時刻は17時35分頃である。 -
<イスタンブールの宿泊ホテル~ザ・リッツカールトン・イスタンブールホテル~>
今日の観光はこれで終了である。
これから今日の宿泊ホテルであるザ・リッツカールトン・イスタンブールホテルに向かう。
このザ・リッツカールトン・イスタンブールホテルのスィートルームに宿泊する事が、この旅行のお勧めポイントにもなっている。
ホテルは新市街地にあると溝田さんが教えてくれる。グランド・バザールから再び、トラムの走る通りに出て、そのトラムの走る横をバスが進み、金角湾の見える通りに出た。
そこから、金角湾に架かるガラタ橋に差し掛かる。
このガラダ橋の周辺は桟橋が多い。シーバスや観光船などの発着場所である。現在、金角湾に架かる橋は、このガラタ橋とアタテュルク橋、ハリチュ大橋の3つである。
最近、日本で流行りのサバを焼いてパンに挟むサンドウィッチの“サバサンド”は、この金角湾周辺の名物で、ガラタ橋の上からも多くの釣り人が釣り糸を金角湾に垂らして、魚を釣っている。サバも釣れるのであろうか?
ガラタ橋を渡り、更にトラムの走る通りを今度はボスポラス海峡沿いに走る。
この辺りには、比較的近代的な建物が多いが、教会やモスクなども通り沿いに建っている。
夕方の時間帯の為か、道が渋滞している。
幾つか、トラムの駅を通過し、前方左手に競技場が見えて来た。この競技場の上に斜面に一際高いビルが見えるが、このビルがザ・リッツカールトン・イスタンブールホテルである。
競技場の先で道を左折し、丘の上に上がる。既に丘の中腹に建つ大きなビルが左手に見えている。ここがザ・リッツカールトン・イスタンブールホテルである。
ホテルの入口には日本の有料駐車場のゲートの様なものがあり、係員が操作をしている。
そのゲートを抜け、ホテルの玄関にバスが停まる。時刻は18時10分頃である。
バスを降り、玄関を入り、玄関脇のスペースで一旦集合する。
ここで、溝田さんとナムックさんによるホテルのチェックインを待つ。少しソファや椅子があるので、そこに数人が座る事が出来る。
ホテルフロント前のロビーは然程広くない。フロント前では集まる場所がない。
10分程でチェックインの作業を終えて、溝田さんが戻り、我々に部屋のキーカードとこれからの行動予定表を渡す。私の部屋は511号室である。ここで、これからの行動予定について説明が始まる。
「これから各自部屋に入って貰います。ここで注意事項ですが、部屋の冷蔵庫をチェック下さい。良く問題になるのが、冷蔵庫の飲物で、各自予定表に書いてある飲物、数が問題ないかをチェック下さい。もし問題あれば教えて下さい。お湯などは問題ないと思いますが、念の為に確認下さい。また、夕食はベリーダンスショーを見ながらの食事で、ホテルを19時45分に出発しますので、ここに19時45分に集合下さい。明日の朝の朝食場所はこのフロント奥のレストランで、朝6時30分からです。また、明日のホテルの出発時間は12時です。それまでの時間は自由行動です。また、出かけられる方は、旅行カバンを11時までに部屋のドアの内側に置いておく事を忘れないで下さい。それでは一旦解散します。エレベーターはフロント前にあります。」と言い、みんなが思い思いに歩き始める。 -
私もフロントの方に歩き始めると、溝田さんに呼び止められる。
そして、「ちょっと話があります。今日の部屋ですが、高石さんだけが海側のスィートで、他の人達はすべて海が見えない部屋です。それで申し訳ないのですが、部屋の話はしないで頂きたいのです。」と言う。そう言われ、全て了解出来た。
他のツアー客の手前、一人だけ海側の部屋であると後でクレームが出る可能性がある為である。
少し遅れて、私はエレベーターに乗り、部屋のある5階に上がる。
部屋を開けると、まだ荷物が届いていない様である。少し荷物を待たなければ何も出来ない。 -
部屋は3つに分かれている。入口の部屋にはソファと大きなテレビ、机などが置かれ、次の部屋にはダブルベットとソファ、そしてここにもテレビがあり、その奥には浴室、シャワー室、洗面台のある部屋がある。
さすがに有名なホテルのスィートである。部屋からはボスポラス海峡が望める。
暫らくすると、部屋のチャイムが鳴り、荷物が届く。ホテルのボーイにチップを渡す。
チップをどのくらい渡せば良いのか判らなかったが、2トルコリラ(約1ドル)分を渡した。
早速、旅行カバンから部屋着を出し、着替える。
時刻は18時半前で集合時間までまだ1時間以上ある。そこで、シャワーを浴びる事にした。
さすがにスィートである、シャワー室が浴槽とは別にあり、そこを使い、シャワーを浴びる。シャワーを浴び、髪と体を洗う。
シャワー室から出て、備え付けのガウンを着て、髪が渇くまで部屋のソファで時間を潰す。
時間もあり、ホテル施設の説明書をチェックする。このホテルには、屋内プール、スパ、ハマムなどがある。時間があれば、ハマムなどは利用してみたい。
時刻は19時15分を過ぎ、ガウンから着替え、服を着る。服を着て、再びソファで寛ぐ。
19時40分前には部屋を出て、1階フロント前に移動する。まだ、数人しか集まっていない。 -
4歳の子供連れの家族はおじいさんが今日もホテルに来た様で、フロント脇のソファで歓談をしている。その中に溝田さんも加わっていた。私は空いているソファでみんなを待つ。
溝田さんが近づき、耳元で、「部屋はどうでしたか?部屋についてはくれぐれも内緒にして下さい。お願いします。」と言う。暫らくすると、全員が集合した様で、溝田さんに付いて玄関に移動を始める。
バスは既に玄関前に待機している。そのバスに順次乗り込む。4歳の子供連れの家族のおじいさんと話をしていたので、最後に家族連れが乗り込んで来た。そして、4歳の子供連れ家族のおじいさんに見送られ、バスはホテルから出発する。
バスは丘の上に向かい、走り始める。既に辺りは暗く、夜景に変わっている。夜でどの辺りは走っているのかは判らない。
バスはホテルから丘を上り、新市街地を走る。既に辺りは暗く、どの辺りを走っているのかも地図を見るが、判らない。10分程走ると、バスが道路脇に停車する。ここでバスを降りる。
降りて判ったが、隣にはヒルトンホテルが見える。
今日の夕食場所はこの先にあるナイトクラブの様である。ネオンの看板には、“Kervansaray”の文字が見える。そのネオンの看板下の入口から入る。 -
中は小さな劇場の様な造りで、中央にせり出した舞台がある。
我々は左手の端の方の席に案内される。案内された席は中央の舞台から少し離れており、見易い席ではない。既に劇場内は多くの客でほぼ満員状態である。
中央舞台の近くは、欧州人の人達が占領している。
中国でも同じ様な劇場で何回か観賞したが、その際も欧米人が大体、良い席は占領している事が多かった。欧米人はこの様なショーが好きなのかも知れない。
ショーはもう直ぐ始まるそうで、まずは飲物の注文を聞かれる。飲物はチェリージュースを注文する。
すると場内が急に暗くなり、ショーが始まる。
まずは、バンドの演奏から始まる。既に舞台には楽器類が置かれていた。その演奏中に飲物と最初の料理が運ばれて来る。
最初の料理は、インゲン豆のオリーブオイル焼きである。その後、以下の内容の料理が出て来た。
<“Kervansaray”での夕食>
①ピーマンの挽肉詰め(ビベル・ドルマス)
②インゲン豆のオリーブオイル焼き/香草/トマト/きゅうり
③チーズピザ
④生野菜サラダ(オリーブ/きゅうり/とうもろこし/トマト)
⑤シシケバブ/焼き唐辛子/焼きトマト添え
⑥アイスクリームのフルーツ添え(りんご/オレンジ/いちご)
⑦飲物(チェリージュース)
生野菜が出て来たところで、ベリーダンスのショーが始まる。
最初の踊り子は、有名な踊り子ではない様である。
この劇場ではトルコで最も有名な踊り子が踊ると言っていた。 -
ベリーダンスは、イスラム時代以前のエジプトより、口承に基づき伝授されて来た踊りで、その起源は諸説存在するが、地中海世界、中東、アフリカと関係があると言われている。
例えば、紀元前5世紀頃のものといわれるエジプトの墓の壁画には、半裸のダンサー達が描かれており、その姿はベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操の姿勢に似ている。
また、12世紀から13世紀にかけてのペルシャの細密画の中にもベリーダンスの描写が見られ、その歴史の長さを伺わせる。
最初の踊り子の踊りが終わると、また少しバンドの演奏を挟み、ダンサーの踊りが始まる。
そのダンサーの踊りが始まると、溝田さんが来て、みんなに、「このダンサーがトルコで最も有名な踊り子です。」と教えに来てくれる。
しかし、素人には何が凄いのかは判らず、先程の踊り子との踊りの区別もつかない。
その踊り子の踊りも終了した。今度は、民俗衣装を着た数人の男性が出て来た。 -
今度は民族舞踊が始まる。その民俗舞踊の最中に先程の有名な踊り子が席を廻っている。何をしているのかと見ていると、客と一緒に写真を撮る為に廻っている様である。
溝田さんに聞くと、50トルコリラで一緒に写真が撮れると言うが、50トルコリラとは少し高い。
私達の席にも来たが、誰も一緒に写真を撮る事は無かった。
その後も何人かの踊り子や民族舞踊等があり、1時間半程の時間ショーが続いた。
ショーが終了し、溝田さんが飲物の代金を回収した後、席を立つ。時刻は21時30分を過ぎている。
店を出て、前の通りに止まるバスに乗り込む。
バスの乗るとナムックさんが、「皆さん、ベリーダンスショーはどうでしたか?」と聞く。
何人かは面白かったと答えていたが、私は正直なところ、必要ないオプションの様に感じた。もう少し近くで観賞出来れば、楽しかったかも知れないが?
バスは順調に走り、22時頃にはホテルに到着した。
溝田さんが明日の予定について、フロント前でみんなに指示し、確認を行う。
それが済むと解散となる。解散となり、溝田さんを捕まえ、明日の件について、確認を行う。
私が、「明日は出発までの時間を利用して新市街地の散策をしようと思っているのですが、タクスィム広場などに行く事は問題ないのでしょうか?」と尋ねる。
すると、「明日はもしかすると学生のデモがある可能性があるかも知れないという情報が入っていますが、午前中なら問題ないと思います。しかし、危険と感じたら近づかないで下さい。」と言われる。 -
また、「その他に近くで観光出来る所はありますか?」と聞くと、「このホテルの下にドルマバフチェ宮殿と言うオスマントルコ帝国時代の宮殿がありますが、明日、木曜日は残念ながら休館日です。その周辺の建物は見学出来ると思いますが?」と教えてくれる。
その事を確認した後、溝田さんと別れ、部屋に戻る。時刻は既に22時20分を廻っていた。
今日はホテルの施設に行く時間はもうない。早速、再びシャワーを浴びる事にした。
汚れていないとは思うが、シャワーを浴びるだけで気持ちが良い!
シャワーを浴びた後、髪が渇くまでソファで明日の観光目的地を決める為にガイドブックを確認する。
このホテルからタクスィム広場へは然程遠くない。
その後、新市街地のメイン通りであるイスティクラール通りをガラタ橋方面に進み、ガラタ塔辺りまで行こうと思う。時間としては2時間程あれば歩ける距離だと思う。
適当な駅からトラムでホテルの近くまで帰ってくれば良い。
その計画を組み、ベッドに潜り込む。時刻は既に23時を廻っている。
明日は早く起きる必要はないが、気温が上がる前の出来る限り早い時間に市街地を廻りたい。
早々に寝てしまう。
今回はここまで! 次回はイスタンブール観光の2日目と帰国の旅程。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
パンダ番長さんの関連旅行記
イスタンブール(トルコ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
58