2019/07/25 - 2019/07/27
1297位(同エリア3284件中)
hidemi.yさん
- hidemi.yさんTOP
- 旅行記55冊
- クチコミ826件
- Q&A回答0件
- 192,007アクセス
- フォロワー5人
阪急交通社のツアー「日光・鬼怒川・草津名湯めぐり」に参加して二泊三日で日光東照宮と草津温泉旅行をしてきました。
旅行中は、台風5号が東海地方に接近、上陸するも、現地は2週間ぶりのやや好天で、恵まれた時期でした。
日程は、名古屋駅からJR中央線「ワイドビューしなの」で塩尻駅まで行き、そこから観光バスにて碓氷峠を抜け、大谷石採掘場跡の「大谷資料館」を見学して鬼怒川温泉で宿泊。
翌日、日光東照宮と隣接の日光輪王寺を観光し、定番のいろは坂を抜けて華厳の滝へ。
その後、東洋のナイアガラと例えられる「吹割の滝」を見学して草津温泉で宿泊。
最終日は、草津温泉にて「湯もみショー」を見学後、渋峠を抜けて善光寺参拝。
帰路は塩尻駅からJRで名古屋駅でした。
まずは、塩尻~鬼怒川温泉と日光観光を紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス JR特急
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
-
午前8時、名古屋駅発長野行のワイドビューしなの3号に乗車。
-
指定席の車内は、各旅行会社のツアー客等でほぼ満席です。
-
午前9時57分、定刻どおり塩尻駅に到着。
-
塩尻駅前駐車場で待機中の以後3日間お世話になる観光バスに乗車。
私達の当日の指定席は、見晴らしの良い最前列でした。 -
私達が乗ったバスは、塩尻ICから長野自動車道に乗りました。
-
そして更埴JCTから上信越自動車道へ。
-
更に佐久小諸JCTを経て上信越自動車道を直進。
-
景色の良い山岳道路をひたすら走ります。
-
松井田妙義ICで高速道路を降りて国道18号に流入。
-
そして「峠の釜めし」で有名な「おぎのや」に立ち寄り、私達の弁当の「峠の釜めし」の積み込みとトイレ休憩。
-
バスは国道18号の旧道を走り碓氷峠へ向かいます。
-
峠を過ぎた先が最初の観光地「めがね橋」です。
めがね橋は通称であって「碓氷第三橋梁」といい、明治25年に完成した長さ91m、高さ31mの日本最大の煉瓦アーチ橋で、昭和38年に新線開通に伴って廃線となったそうです。
見上げると圧巻の橋ですが、歩道沿いのレンガに刻まれた落書きが痛々しかったです。 -
橋の下から123段の階段を上ってアプトの道へ。
-
ここは平成13年に廃線敷を利用した遊歩道「アプトの道」として整備されたもので、通称「めがね橋」の上を散策することが出来ます。
アブトとは、鉄道のレールシステムのことで、急勾配の線路を登る際に滑り落ちないよう、スイスのカール・ローマン・アプト氏によって開発されたそうです。
原理は、歯車型の車輪と歯車型のレールを噛み合わせることで1歯車ずつ坂を登っていく仕組みでした。 -
見学後は、松井田妙義ICから上信越自動車道に乗り、藤岡JCTから関越自動車を走行。
-
観光バスは、高崎JCTで北関東自動車道を進みます。
-
更に岩舟JCTから東北自動車道へ。
-
そして栃木都賀JCTを過ぎた先の宇都宮ICを下りて、国道119号、通称、日光宇都宮道路を走行。
-
到着した先は、今回2番目の観光地の大谷資料館です。
ここは約70年間、「大谷石(おおやいし)」と呼ぶ加工し易い凝灰岩の一種を採掘して出来た巨大な空間の坑内を利用した採掘の歴史資料館で、昨年日本遺産に認定されたそうです。
坑内に足を踏み入れると空気は冷たく、鍾乳洞とは違った直線的な空間で、幻想的にライトアップされています。 -
大谷資料館観光後は、初日の宿泊先「鬼怒川プラザホテル」へ。
鬼怒川温泉は、江戸時代に日光の寺社領内で発見され、日光詣帰りの諸大名や僧侶達のみが利用可能だった鬼怒川西岸の「滝温泉」と、後に開発された東岸の「藤原温泉」とを昭和2年に総称したものとか。
「滝温泉」は、明治以降に一般開放され、「傷は川治、火傷は滝」と言われ賑わったそうです。
この滝温泉から湧き出た源泉の一部を使用する「鬼怒川プラザホテル」で名湯に浸かり、湯波料理等の和会席を頂きました。 -
翌日は、ホテルから国道120号を西進し、ツアーのハイライト「生まれ変わった三仏堂」が鎮座する「日光山輪王寺三仏堂」に向かいました。
その日光山とは、奈良時代の7世紀半ば、勝道上人が開山して四本龍寺が建造、二荒権現も祀られ、関東の一大霊場として栄えたそうです。
この日光山の総本堂が「三仏堂」で、江戸時代になり、この地に徳川家康の東照宮や、家光の大猷院廟が建立され、明治時代の神仏分離の令により日光は、「三仏堂」を本堂に持つ輪王寺、東照宮、二荒山神社の三カ所が参詣所とされたそうです。 -
日光山輪王寺では現地の専門ガイドの案内で三仏堂に入場しました。
この本堂は、平安時代に創建され、後の16世紀半ばに徳川家光によって建て替えられたそうです。
堂内は撮影禁止の為、皆様に見て貰うことが出来ませんが、内陣には京都で大修理を終え6年ぶりに蘇ったという高さ7.5メートルの煌びやかな三本尊が祀られていました。
三仏堂の内陣には、日光三所権現本地仏という男体山の本地仏「千手観音」、女峰山の本地仏「阿弥陀如来」、太郎山の本地仏「馬頭観音」の三体の大仏さまが鎮座し、堂内の「修行の谷間」からは間近に見上げることが出来ました。
その後専門ガイドは、御朱印所や御守等の販売所と思わせる大護摩堂の前に案内し、そこの職員から数珠に関する説明を聞かされ、後に数珠の即売会となり、貴重な見学時間がそんなことで費やされてしまい、堂内の「五大明王」、「七福神」や「十二天」など、更には「大昇竜」の天井絵の見学は端折られ、残念でした。
当然、三仏堂から離れた地にある徳川家光の廟所「大猷院」等の世界遺産も見学出来ず、これがツアーの弱点と実感。 -
大護摩堂の前の通路です。
この通路の先が東照宮の参道となります。 -
妻は初めて、私は50年ぶり、私達にとっては期待に膨らんだ日光東照宮の参道です。
言わずと知れた日光東照宮は、徳川家康を御祭神にお祀りした神社で、16世紀初頭、家康が生涯を終えて久能山に神葬された後に遺言により二代将軍秀忠がこの地に移して東照社として鎮座させ、後に宮号を賜って東照宮と呼ばれるようになったそうです。
また主な社殿は、三代将軍家光によって造替されたものとか。
先の石鳥居は、筑前藩主黒田長政によって、九州から運んだ石材で建てて奉納したそうです。 -
石鳥居をくぐると左手に五重塔が建っています。
この塔は小浜藩主酒井忠勝によって奉納されたそうです。 -
五重塔の先にはどっしりとした表門が経っています。
左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれているそうです。 -
表門の仁王像
-
表門をくぐると絢爛豪華な建物群が出迎えてくれます。
ここは三神庫の前で、右から中神庫、「想像の象」がある上神庫、輪蔵です。 -
そして境内の石畳を左に折れた先に三猿で有名な神厩舎が建っています。
この神厩舎は、御神馬をつなぐ厩(うまや)で、昔から猿が馬を病気から守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あって人間の一生が風刺されているとか。 -
かわいい顔した三猿です。
-
更に石畳は右に折れて陽明門に至るのですが、この曲がり角は北極星が真上に来るパワースポットとされているそうです。
また、その地点は、陽明門の手前の唐銅鳥居の中に陽明門が綺麗に収まる場所としても人気のある場所です。
陽明門の手前の建物は、右が鐘楼、左は鼓堂です。 -
御水舎も豪華です。
水盤は、佐賀藩主鍋島勝茂によって奉納されたそうです。 -
石階段の上にそびえ立つ国宝の陽明門です。
この美しい門には、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻が施され、いつまで見ていても飽きないところから「日暮の門」とも呼ばれるそうです。 -
東照大権現の扁額と見事な装飾。
-
陽明門から右手に延びる回廊。
-
左手に延びる回廊。なお、この左右に延びる回廊外壁の花鳥の彫刻は本国最大級とのこと。
-
また、左右の回廊の手前に石柵がありますが、その裏手には、作の店頭を防ぐ「飛び越え野獅子」というものが施されています。
-
陽明門の裏側の様子
-
陽明門の奥に建つ、春秋渡御祭に使われる三基の神輿が納められた神興舎。
-
拝殿に通じるみごとな彫刻が施された唐門。
全体が「胡粉」という貝殻から作られた顔料で白く塗られ、正面直ぐ上の彫刻は、中国の伝説上の皇帝に謁見する様子が描かれ、寄木細工の柱は、左側が「昇竜」、右側は「降竜」が描かれています。 -
天井に描かれた龍
-
唐門から右手に延びる壁。
この壁の左右にある様々な花鳥の彫刻や極彩色の文様で飾られた壁は、総延長160mある「東西透塀」と言われるそうです。 -
絢爛豪華な側面の装飾。
-
門の裏側の逆さまの柱。
-
唐門の奥の拝殿と本堂の間の右手にある「眠り猫」で有名な祈祷殿の入口
-
回廊の蟇股に彫られた「眠り猫」です。
-
裏側の「二羽の雀」です。
-
そして最後は、堂内撮影禁止の鼓楼の奥に建つ本地堂(薬師堂)です。
この本堂の天井には大きな龍の絵が描かれ、お寺の方が竜の頭の真下で拍子木を打つとエコーがかかったように余韻が残り、「鳴龍」と呼ばれています。
この現象は竜の頭の真下でしか起こらないのが不思議でした。
また湿度が高いほど、良く鳴くそうで、私達の観光時は良く聞こえました。 -
ここは東照宮の表門を出た先の石灯籠が続く「二荒山神社(ふたらさん)」に通じる参道です。
ここもパワースポットの一つと言われています。
このほか東照宮には、奥宮に通じる龍道が、正気の通り道としてパワーが溢れ、また宝塔の真横と真後ろが特にパワーが強いと云われていますが、観光時間が足りなくて断念しました。
山輪王寺の大護摩堂での時間がもったいなかったです。 -
私達は東照宮を後にして「いろは坂」を抜けて明智平展望台に向かいました。
「いろは坂」は、日光市街と奥日光を結ぶ国道120号の坂道を言い、下り専用の第一いろは坂と上り専用の第二いろは坂があり、それらの坂に合計48か所の急カーブがあることから「いろは48文字」に例えてこの名がついたそうで、カーブごとに「い」「ろ」「は」と順に看板が立てられていました。
私達の観光バスは、遙かに続く山並みの眺めが抜群の明智平に立ち寄れる第二いろは坂を走行しました。 -
明智平駐車場には、展望台への「明智平ロープウェイ」が営業しており、これを利用して片道約3分程度の空中散歩を満喫。
-
展望台では絶景が待ち受けていました。
それは「中禅寺湖」と、湖から流れ落ちる「華厳の滝」です。 -
展望台から遠目の華厳の滝を見学した後は、間近での日本三大名瀑の一つの見学です。
ツアーの日程は、自費によるランチタイムを含めた自由行動で、滝を見るなら下からとバスガイドの勧めもあってエレベーター(往復大人650円)に乗って100m降下。 -
通路を抜けると2階建の観爆台があり、何処も観光客で一杯。
華厳の滝は、中禅寺湖の水が岸壁を一気に落下する高さ97mの瀑布。
他の観光客を掻き分け、何とか水量豊富で迫力満点な滝の全景をカメラに納めることができました。 -
またエレベーター乗場の脇にも観爆台があり、ここからは滝の上部を眺めることが出来ます。
-
華厳の滝を見学した後は、中禅寺湖の湖畔を走って群馬県片品村に至る国道120号、通称金精道路を走行。
-
後方眼下に見える中禅寺湖です。
-
通過した菅沼
-
暫く山道を走行して到着した次の観光地は、吹割の滝。
吹割渓谷の一部で、河床の岩盤の柔らかいところが侵食されて多数の割れ目が生じ、その大きく割れたところが滝となり、あたかも滝が岩石を吹割るように見えるところから「吹割の滝」と呼ばれるようになったとか。
滝の高さは約7m、約幅30mに及び東洋のナイアガラといわれ、竜宮へ通ずるとの伝説もあるそうです。
私達の観光時は水量が非常に多く、滝壺近くまでの立入が規制され、滝の高さを実感することが出来ませんでした。 -
吹割の滝からは、バスガイドから「体力のある方は如何ですか」と勧められ「鱒飛の滝」を見学して、二日目の宿泊地、草津温泉に向かいました。
この滝は高さ15m、幅6m余で、鱒が懸命に飛び跳ねて越えようとしていたことが由来とのこと。 -
草津温泉までの途中、国道145号沿いに広がる真田ゆかりの地に、今年秋頃には完成予定の八ツ場ダム工事現場を通過しました。
暫くすると沢山の水を湛えたダム湖になるそうです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
61