2019/07/16 - 2019/07/19
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Weiwojingさん
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20数年ぶりに仙台を訪ねた。今回、小生が所属する団体の大きなイベントの参加のために仙台に来たが、実はあちこち見て回るような、そんなに時間的余裕がなかった。ただ、いくつかの仙台市内のポイントを見て回ることが出来だけで、その後石巻を中心に2011年東日本大震災の跡地を訪ねたあわただしい旅行であった。
小生が参加したイベントは仙台国際センターであり、ここは地下鉄南北線の「国際センター駅」のすぐそばにある。この駅からは仙台城や仙台市博物館等が近くにあり、何とか時間を見つけて訪れてみた。
仙台滞在中は天気が良くなく、雨が降ったり、どんよりした毎日であった。ただ暑くないのがよかった。そんなに歩き回ったわけではないが、歩くのにちょうどよい気候であった。
そんな訳で大した旅行記ではないが、見ていただければ幸いです。今後、仙台は四季を通じて来てみるのもよさそうである。
- 旅行の満足度
- 4.5
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地下鉄南北線「国際センター駅」は今回何度も利用した。宿泊したホテルが仙台駅のそばでにあり、小生が参加したイベントが仙台国際センターであったので、3日間間この駅に通った。
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ここが仙台国際センターである。大きな施設で、会議やコンサート、講演会、イベント等いろいろな催事に使われるようである。
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日本フィギュアスケート発祥の地「五色沼」が国際センターのすぐそばにある。さほど広い場所ではないが、スケートの練習場としては十分な広さだと思われる。
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スケートをするフィギュアを模した記念碑が池の前に建っている。
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1924年(大正13)頃、五色沼でスケートをする第二高等学校生の写真が残されている。日本で初めてスケートが行われたのがここで、1909年(明治42)頃のことである。第二高等学校生がドイツ語教師ウイルヘルからフィギュアスケートの指導を受けたという。後に、彼らや後輩たちが全国各地で普及に努めたことから、五色沼は日本フィギュアスケート発祥の地と言われている。
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歩道を歩きながら足元を見ると、仙台城をモチーフとしたマンホールがあった。
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この方をご存知ですか。太平洋と大西洋を横断してローマに至り、当時のローマ法王に謁見した支倉常長像である。小生の最も興味ある日本人の一人である。
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裏側にこのような記が記されている。
「支倉常長は藩祖伊達政宗の使節として 慶長18年 月の浦を出帆し太平洋。大西洋を横断 ローマに至り教皇パウロ5世に謁見した この間8年の歳月を費し 幾多の困難を乗り越え よくその使命を果たした 当時としては誠に国際的な偉業であった 昭和46年、常長の生誕400年を迎えこれを顕彰する為 ゆかり深いこの地に銅像を建立する 昭和47年11月13日 河北新聞社 / 支倉常長顕彰会」 -
仙台市内にはどいうわけか様々な人物の銅像がたくさん建っているような気がする。
この人物は第19代から第25代仙台市長を務めた島野武像である。調べたところ、様々な面で仙台市の発展に尽くされた人物のようである。 -
仙台城は天守閣がないようだ。1945年(昭和20)7月9日の仙台空襲で焼失した。残されているのはこのような城壁の一部である。
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恐らくこれらは再建されたものだと想像する。
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この辺りは「仙台城址」と書かれた門柱があり、いくつかの城壁があるのみである。
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変わった碑が建っている。「軍馬 軍用動物 彰忠塔」と書かれている。戦時中戦争に駆り出された動物を悼む記念碑であろう。
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「仙台市博物館」は伊達家の寄贈品を始め、国宝などおよそ9万点を収蔵する歴史ファン必見の博物館である。
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仙台各地の遺跡から出土した縄文時代の土器がいくつも展示さている。
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縄文時代の土偶がいくつも展示されていて、仙台付近ではかなり発掘された模様である。
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「十一面観音像」
平安時代の鏡に仏像が留められていて、裏側に秋草、超、鶏などが表されている。 -
伊達家歴代当主17代までの肖像画が紹介されている。正直言って、第17代政宗だけしか知らなかった。
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その第17代伊達政宗を描いた絵画がある。束帯姿で威儀を正し、上畳に座す政宗を描いているが、実は彼は幼少時右目を失明したが、像を描く際は両目を入れて描くようにと生前語っていた。
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「徳川家康画像」(1781年〈天明元年〉、幸田良恭筆)
家康と伊達氏の関係は、政宗の父・輝宗の代から始まった。関白豊臣秀吉の下、家康は豊臣政権から伊達氏への連絡役の一人だった。秀吉の没後、政宗は家康との結び付きを強めていき、関ヶ原合戦に関わる東北地方での戦いでは徳川方に付いて戦った。 -
「伊達種宗(第14代)書状」
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仙台市博物館には支倉常長に関する資料が多く保存されている。これはキリシタン大名となった支倉常長を描いた油絵(国宝)があるが、彼は遣欧少年使節団よりもわずかに30年程遅かった。
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16世紀末刊行のローマ市街図。これはヨーロッパを中心とする世界の主要都市約450図を収録したブラウンとホーヘンブルフの著『世界都市図張』から分離したものである。常長らが訪れた当時のローマの景観を伝えるものである。
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支倉常長の遣欧使節一行を乗せたガレオン型船で、「サン・ファン・バウティスタ(「洗礼者ヨハネ」の意)号という名前の洋式帆船であった。
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博物館内庭園にある「残月邸」なる茶室があり、ひっそりと建っている。
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庭の隅の方にこのようなキノコが姿を出していた。
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伊達政宗像(胸像)が残されているが、これは本来青葉城跡にある政宗像の最初のものであったが、第二次世界大戦中軍に徴用されて、騎馬部分が溶解されて、この部分は別なところに打ち捨てられていた。それを篤志家が発見し、青葉神社に奉納された後、ここに移された。
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「林子平像」
林子平( 1738 ~1793 )日本史の授業で出てきた名前であったが、実はあまり知らない。調べてみると、北は松前から南は長崎まで行脚し『三国通監図説』や『開国兵談』を著してロシアの脅威を説いたが、あまり世に受け入れられなかったようである。 -
仙台と関わりの深い中国の作家魯迅像がある。これは彼の故郷浙江省紹興市から生誕120年を記念して贈られたものである。
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「魯迅の碑」
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ここが仙台市内だとはとても思えないような緑があふれている。正に「杜の都仙台」を感じるところである。
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水路にはカルガモが泳いでいる。
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仙台名物の牛タンを食べてみた。「牛タン定食」なるものがあったので注文してみたが、初めて食べた。
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「すんだ餅」も初めて食べた。想像していたよりも柔らかく、美味しい。
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東北地方にはロシア正教の教会が多いので、訪ねてみたいと思っていた。仙台市内には「ハリストス仙台教会」があり、日曜日の夕方訪ねてみたら開いていなかった。午前中に来るべきであったかもしれない。
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仙台と言えば、伊達政宗が思い出されるが、仙台市内を歩いていると彼の乗馬姿をよく見る。何と言っても仙台城に立つこの姿が圧巻である。
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ライトアップされた姿も小生は好きである。仙台の街を見下ろす姿はいかにも雄姿といった様で、仙台の人々に慕われていることが分かるように気がする。
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繁華街を歩いていると、神輿の行列に出会った。「一番町三社まつり」と書かれた横断幕が見える。
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「西宮恵比寿神社」と記されたのぼり旗」が先導している。その後に神輿が続いている。
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手前の方が着ている半纏の文字は何と読むのだろうか。
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この女性はなかなか凛々しい姿をしている。
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しばらく見ていたが、浅草の三社祭りと比べると、随分静かである。
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随分「伊達な」人ですね。
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滞在していたホテルの近くに中華そばの店があった。何度か前を通っていたので、帰る直前に寄ってみた。
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これが注文したラーメンである。
3泊4日の短い仙台滞在であった。あまり見て回ることは出来なかったが、訪ねてみたいところや見てみたいものは概ね出来たので、今回はこれで良しとしたい。
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