2019/06/16 - 2019/06/16
804位(同エリア1671件中)
naoさん
京都市伏見区下鳥羽は、鴨川と西高瀬川が一つにまとまって桂川と合流する付近に位置し、桂川から淀川へとつながる水上交通と、鳥羽街道から京街道を経て京と大坂を結ぶ陸上交通が一体となった、水陸交通の要衝に立地していたことから、古来、これらによる物流業務に携わった人々が集落を形成しました。
天下統一を果たした豊臣秀吉が、平安京造営にあたって築造された鳥羽作道(とばつくりみち)を礎に、伏見城の築城にあわせて現在の下鳥羽~納所間の桂川左岸に堤を築いて鳥羽街道を整備しました。
慶応4年(1868年)、これまで300年続いた徳川幕府と薩摩藩を中心とした明治新政府による武力衝突をきっかけに鳥羽伏見の戦いが繰り広げられましたが、この戦火をくぐり抜けて辛うじて残された商家などが点在する町並みが、今も往時の姿をしのばせています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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こちらのお蕎麦屋さんで昼食を戴いたあと、下鳥羽の町歩きへ向かいます。
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お蕎麦屋さんから少し走って、下鳥羽へやって来ました。
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典型的な京町家の佇まいを見せる町家です。
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2階に袖壁のある町家です。
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下鳥羽の町並みです。
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2階の窓に木製雨戸を備えた町家です。
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紅い新芽が美しいカナメモチが、そろそろ芽出しの時期を迎えようとしています。
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生垣全体が真っ赤に染まるころには、風情豊かな主屋との相乗効果で、見応えのある景観が生まれることでしょうね・・・。
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大きな妻面を見せる町家です。
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開口部がアルミの窓に替えられていますが、かつての趣は十分に感じ取ることができる町家です。
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大勢のお地蔵さまが安置された地蔵堂がありました。
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どのお地蔵さまもきれいにお化粧が施され・・・
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にこやかに微笑んでおられます。
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地蔵堂のそばに立てられた愛宕山の常夜燈。
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大きな開口のある土塀をめぐらせた町家です。
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晒葺屋根の門の壁に、縦長のスリットが開けられています。
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土塀の開口から姿をのぞかせる新緑の木々。
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敷地が道路から一段低く設定されている町家です。
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幹の途中で大胆に切り込まれた欅が、元気に新芽を吹かせています。
この生命力たるや、凄まじいものがあります。 -
この茅葺屋根は寺院の三門です。
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こちらのカナメモチの生垣をめぐらせた町家でも・・・
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そろそろ芽出しが始まっています。
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こちらの町家は、簾の間からベンガラ塗の名残が見え隠れしています。
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浅黄色の土壁とベンガラ塗が、良いコントラストを醸し出しています。
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下鳥羽の町並みです。
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こちらは、延宝三年(1675年)創業という伏見で最も古い歴史を誇る造り酒屋の「月の桂酒蔵(増田徳兵衛商店)」です。
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見頃を迎えた紫陽花が・・・
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彩を添える月の桂酒蔵さん。
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月の桂酒蔵の玄関先には、さる高名な禅僧の書になる『不許五辛入山門(ごしん さんもんに いるを ゆるさず)』が彫り込まれた石碑が立っています。
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禅寺には、臭いの強い野菜と酒は修行僧の心を乱し、修行の妨げになるので、これらの持ち込みを禁止するという意味で『不許葷酒入山門(くんしゅ さんもんに いるを ゆるさず)』という石碑がよく立てられていますが、月の桂酒蔵さんの石碑はこの禅寺の教えに倣ったものだそうです。
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ところが、さすがに造り酒屋さんとしては『不許酒』では話にならないので、杜氏さんたちの五感を狂わせる、大蒜(にんにく)、韮(にら)、葱(ねぎ)、辣韮(らっきょう)、野蒜(のびる)の『五辛』を酒蔵に持ち込むなという意味で『不許五辛入山門』にされたとのことです。
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月の桂酒蔵さんの商品には、「稼ぎ頭」、「吃驚仰天(びっくりぎょうてん)」、「抱腹絶倒」などユニークな銘柄名が並んでいますが、極めつけは輸出用の純米大吟醸酒に「把和游」の銘柄名が付けられていることで、これ「How are you」と読むんだそうです。
このウィットにとんだ命名は、洗練されたセンスがないと思いつきません。 -
なお、月の桂酒蔵さんの一部建物が改修工事をされているので、看板が足場の中に隠れていました。
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町並みにたたずむ愛宕山の常夜燈と地蔵尊。
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虫籠窓がアクセントの町家です。
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虫籠窓にかつての面影が残る町家です。
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大屋根の途中に軒先瓦が葺かれているのは、ここから下の部分を増築したためでしょうか・・・。
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棟も途中で継ぎ足されているように見受けられるので、恐らくそうなんでしょうね・・・。
いずれにしても壮観と言うべき町家です。 -
その町家のお庭に咲いていた紫色の可憐な花。
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白漆喰で縁取られた瓜型の虫籠窓が見どころの町家です。
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このお庭でも紫陽花が咲いていました。
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鴨川の河原に置かれたこれらの石は、寛文二年(1662年)の震災で被害を受けた二条城の修理のため、瀬戸内の石切場から運ばれたと考えられている石の一部で、鴨川の水中から引き揚げられたそうです。
では、ここで引き返します。 -
塀に上に顔をのぞかせている姿を見ているだけで、落ち着いた気分にさせてくれる町家です。
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下鳥羽の町並みです。
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では、そろそろ下鳥羽を後にします。
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