2016/06/03 - 2016/06/12
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kaoluさん
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一人旅のはずが・・くっついてきてくれる友が(笑)
今回の旅のメインは「小さなベルリン」のはずなんだけど、数時間の滞在でおしまいでした。
帰国時に、エンジントラブルに見舞われて、美味しいおパリ計画はすっとんでしまい、残念!
6月3日 出発。直前で同行をしたいと言ってきた友とは現地空港で待ち合わせ。
(同じルートはとれなかったみたい)
私はロンドン経由でベルリン入り
4日 ベルリン1日観光。遅めのお昼は国会議事堂のレストランにて。
夜はベルリンフィル三昧。2つのコンサートのはしご。
5日 プラウエンに向けてレンタカーの旅の始まり
無事到着後、夜はバレエ鑑賞。火の鳥・・なかなか頑張ってました。
6日 チェコまで日帰り観光マリアーンスケー・ラーズニェMariánské Lázně
ドイツ語のマリーエンバートMarienbad
帰り、パトカーに追跡される(笑)
7日 鉄分補給?で煉瓦橋めぐりのあとツヴィッカウ観光。
夜はプラウエンでミュージカル鑑賞
8日 午前はプラウエンの刺繍工房の見学。
ちょっと逆戻りでケムニッツへ。夜はオペレッタ鑑賞。
★ 9日 ミュンヘンに向けての移動・・の途中で今回のメイン、『小さなベルリン』
と呼ばれるメドラロイトMödlareuthへ。その後、ミュンヘンに向かう途中
事故渋滞!
なんとかレンタカー返却。夜はヘラクレスザールでコンサート。
10日 一日ミュンヘンぶらぶら。夜はガスタイクでコンサート
11日 私一人帰国の途へ・・しかしエンジントラブルのためフライトキャンセル。
合わせてストライキ欠航中につき減便!どうなる?
12日 何とか無事帰国
さて、中身はいつ完成するか?
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2016年6月9日
久しぶりのホテルの正しい朝ご飯です。
シュパーゲルがないのがさびしい。 -
さて、今日は大移動です。
今日の最終目的地はミュンヘン!なので、直行しても5時間近くかかる400キロ近い移動です。
でも、寄り道をします。 -
寄り道先は、ケムニッツから100キロほどのところ。
まあ、ミュンヘンに向かうルートからそれほどずれてはいないんですけどね。
でも、昨日までいたプラウエンの方がはるかに近いです。 -
ということで、どうも到着したようです。
事前情報はあまりありませんでした。
まあ、日本人にはあまりなじみがない・・というか、日本人の大好きな公共の交通機関利用では、ちょっと来にくいところだからかもしれません。
そんな場所なので、車のある今回は寄り道してみたいと思ったのです。せっかくですからね。
ですから、この画像を今回の旅行記の表紙にしてみました。 -
やってきたのはメドラロイトMödlareuthという小さな集落です。
バイエルン州とテューリンゲン州の境界にあるこの村は、あの大戦の後ベルリンと同様、集落が2分割されてしまったところでもあるんです。
この旅行記のタイトルでもある「小さなベルリン」とは連合軍であるアメリカが、ここの地域を呼んだ名前だそうです。 -
この村の存在を知ったのは・・↓の冊子でした。ここの12Pに記載されていたから知ったのです。
https://japan.diplo.de/blob/919070/bdc25c3718ca5f45c612c504839d2b16/broschure-teilung-data.pdf
で、一度訪ねてみたいと思ってグーグルマップを眺めていたのでした。 -
現在は博物館地帯として、保護、展示されています。
http://moedlareuth.de/ -
この小さな流れタンバッハTannbach が東ドイツと西ドイツの教会になったのですって。
もとも、バイエルン王国とロイス=ゲーラ侯国(テューリンゲン)の境になったりはしたんだそうですが、村人たちの生活にはあまりかかわりなかったようですが・・あの大戦後はバイエルンは連合国、そしてテューリンゲンはソ連軍占領地域となってしまったために、当初は村内の行き来にも許可証がひつようになり・・1961年にベルリンの壁が建設されると、この村にも『壁』がつくられてしまったということです。 -
監視塔に守られた緩衝地帯ももうけられたようです。
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この場所は、ドイツ国内では有名のようで、次から次へ団体さんがやってきます。
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当時の壁がまだ保存されてたりします。
鉄のカーテンの時代、連合国側は、この地から「東側の厳重警備を覗く」という観光をしていたようです。
ブッシュ大統領も1983年に訪問し、壁の向こうを覗いたそうです。 -
ソ連の置き土産もまだあるようです。
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この川を渡るのが大変だったのですね。
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ここにあるのは、この村の壁・・じゃなくてベルリンの壁のようです。
わざわざ運んできたのね。 -
野外展示のほかに、東のころのものが展示されてます。
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国境警備に配置されていた車両・・だったと思います。
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このジープの扉についているのは。。
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東ドイツの国旗のマーク
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これが、当時のほんまもんの国境標・・でしょう。
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ベルリンの壁崩壊から1ヵ月後の1989年12月9日、ここメドラロイトの国境は暫定的に開いたそうです。
ただし、表記にあるような時間だけ。
そして、国境を通過するにはパスポートが必要だったそうです。 -
パスポートに押されたスタンプ。
後で見た、当時の記録映画にも出てきました。 -
分断当時の村の様子を復元した模型。
西側は、ほんと間近まで民家があったいですね。 -
分断された時代、壁を乗り越えた・・脱国の記録。1973年5月25日に唯一成功したとか。
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記念館というか、建物の中では記録映画が上映されています。
右の部屋と左の部屋に振り分けられ、ひっきりなしにやってくる団体さん(おそらく遠足もあるのかな?子どもたちも多いです)をさばいています。
私たちが向かうと、「あーー英語の上映は左の部屋でまってて・・」ということで、待っていたのですが・・どーーっと団体さんが入ってきて、始まったのはドイツ語上映。
終わったころに、係員が私たちを発見して(笑)、「あ、ごめん。英語のこれから流すから・・」と、いうことで2回も見てしまいました。
結構面白かったので、2回みたことでより印象にのこりました。
戦後、できた壁は最初はこんな簡単なものでした。 -
年代とともに
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厳重になり、
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ついに本格的な壁ができてしまったようです。
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カラーの映像になったころも、まだ分断されてたのよね。
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壁が開いた・・ということで、各地から列車で押し寄せる人々。
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近郊のHofの駅は大混雑だったようです。
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国境を越えるためにパスポートにあのスタンプを押してもらう人々。
わらっちゃったのは、堂々とチップを渡していました。
時代だな~ -
もっと詳しく見てみたいとも思いましたが、先が長いのでこのくらいにしてここを離れることにします。
片隅にこんな石碑がありました。
最初に記されている1914-1918と言う年代。
ドイツを地獄に陥れた第一次世界大戦でのこの村の犠牲者でしょうか。
あの第一次大戦の膨大な付けを払わされた・・ということがヒトラーの台頭につながっていったのだと思います。
その、第二次大戦の犠牲者の名前もその下に刻まれていました。
分断されてしまった村は、今は再び行き来できるようになっていますが、その軋轢はなかなか解消されないようです。
悲しい歴史の足跡ですね。 -
のんびりしすぎました。さあ、お次、本日の最終目的地、ミュンヘンに向かって出発です。
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