2018/12/25 - 2019/01/04
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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【2015年3月5日ニューズウィーク日本版/楊海英】ミャンマー(ビルマ)北東部シャン州コーカン地区が先月から、戦火に包まれるようになった。政府軍が中心地ラウカイに突入して反政府勢力を制圧。非常事態宣言が発令されると現地の中国系住民は大挙して越境し、中国雲南省領内に避難した。コーカンの指導者たちが人民解放軍雲南軍区の軍営内に避難している姿も目撃されたという。
中国の新浪ネットや微博(ウェイボー)では「コーカンは東南アジアのクリミア」「強大な中華民族の積極的な干渉を」と書き込まれた。退役軍人によるサイト「中国軍事論壇」では「コーカンの親中派を訓練し、武器弾薬も提供すべきだ」との論調も見られた。
人民日報系の「環球時報」紙は「クリミアに例えるのは滑稽だ」と社説で当局の関与を否定したが、外務省報道官はいつもの甲高い声で「政府は事態の推移を注視している」と発言。政府の御用新聞らしからぬ弱気な論調は報道官の姿勢と奇妙にも食い違っており、かえって紛争の激化に中国の謀略が働いているのではと勘繰らざるを得ない。
ネット世論を政権維持に利用する共産党政権の下では、基本的に政府の意向を反映した記事しか掲載できない。実際にはクリミアに例えたネット投稿は今なお黙認されており、習近平(シー・チンピン)国家主席も「友達プーチン」のまねをする可能性は否定できない。
約2000平方キロと大阪府ほどの広さのコーカンには約16万人の住民が暮らすが、そのうちの14万人は中国系。もともと土司と称する首長に統治されていたが、土司は清朝政府に貢ぎ物をして、任命権を獲得して権威づくりに利用してきた。清朝崩壊後に現れた中華民国は一時、自国領だと主張したが土司側とビルマ政府の反対に遭った。
第二次大戦時、旧日本軍と盟友関係を締結し日本名も有していたネ・ウィンは、終戦間際にビルマ族中心の軍隊を結成。戦後は中国人民解放軍と共同作戦を展開し、国共内戦から逃れてきた中華民国の敗残兵を殲滅した。ネ・ウィンの協力に毛沢東は大いに感謝し、コーカンをビルマ領として正式に認めた。
毛は世界革命を発動しようとして66年に文化大革命を発動。「古くからの友人ネ・ウィン」を切り捨て、ビルマ共産党支持に舵を切った。一方、コーカンの中国系住民たちは親台湾の態度を取り、反共基地に変貌。毛は紅衛兵を侵入させて政権転覆を図った。私の故郷、中国内モンゴル自治区に下放されていた中国内地の元紅衛兵たちもはるばると南下してビルマに陸続と入っていった。
76年に毛が死去したのに伴い、「世界革命」も単なる幻想に終わると、元紅衛兵たちはそのままコーカンに定着。武器を手にしたケシ栽培民に姿を変えた。
中国人に「リトル・マカオ」との愛称で呼ばれているコーカンは実質的に中国内地の都市と何ら変わらない。漢字の看板が立ち並び、中国語が響き渡る。携帯は中国移動(チャイナ・モバイル)の電波に頼っているし、学校の教科書も隣の雲南省で印刷製本されたもの。店に入ればカジノだけでなくドラッグも満喫でき、土日になると中国人が殺到して「爆買い」する。もっとも、この地で産出される違法ドラッグは雲南を経由して日本にも流入してきている。
「コーカンの中国系武装勢力の装備が急激に改良され、強くなってきたのは事実。しかし、彼らだけで政府に抵抗できない」と、イギリス統治時代から政府軍と戦ってきた勇猛果敢なカチン族の幹部らは分析する。既に雲南軍区に属する人民解放軍の兵士が潜入したとの情報もある。「コーカンは中華民族の領土。毛のようにわれわれを見殺しにしないで」と、現地の指導者は華僑のネットワークを利用して中国への編入を求めている。
中国の干渉を許す口実も確かにある。ミャンマーのテイン・セイン大統領による脱中国依存政策だ。中国による南シナ海での強硬姿勢が世界の不安定化の一因となっている現在、毛時代に下放青年だった習がいかなる姿勢で臨むかが注目される。
[2015年3月10日号掲載]
ラーショー逍遥~その1:街歩きとラインカー情報
https://4travel.jp/travelogue/11494997
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 2.0
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- タイ・スマイル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ラーショー中心部のランドマークは,雲南モスクのミナレットである。
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その周辺は,ラーショーの一大マーケット(ミョーマ市場)になっている。
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露店には,オーソドックスなものから,
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新顔の農作物まで,
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バラエティ豊かな産物が並んでいる。
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その中で,ひときわ目を惹いたのは茶問屋だった。
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茶問屋は何軒もあったが,扱っているのはコーカン(果敢)自治区で生産される果敢茶であった。
「シャン州コーカン自治地帯」は,ミャンマー国軍と少数民族武装勢力MNDAAが衝突する危険地帯として,外務省から「渡航は止めてください(渡航中止勧告)」が発出されている。
どうして,そんな辺境の危険地帯で茶なんか作っているのか,そしてその茶がラーショーの市場でさかんに売り捌かれているのか。 -
コーカン族は,ミャンマーの少数民族とされているが,実は「漢族」なのである。
この問屋で売っていた茶を買って飲んでみたが,中国茶の緑茶そのものであった。
茶葉は「食べもの」であるという文化を持ち,飲料としての製茶が発達しているとは言い難いミャンマーにあって,彼らコーカン族の製茶技術はずば抜けているのであろう。
もっとも,うがった見方をするならば,「果敢茶」のすべてが本当にコーカン産なのか,どこかの国から密かに(あるいは公然と)運ばれてきたものも混じっているのではないか,という疑いは出てくるのだが。 -
茶問屋の店頭にはマトゥーム(ベルノキ,ベールフルーツ)の大袋も並んでいる。
中国語で「木敦茶」と言うので,茶扱いなのだろうか。 -
軒にぶら下がっているのは,砂糖の玉。
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スターフルーツの漬物は,ちゃんと星形にスライスされている。
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一段下がった先が,生鮮食料の露店がひしめくエリアになっていた。
季節にもよるのだろうが,物産があまりにも豊かで,市場好きには堪えられない。
以下,しばらく羅列になる。 -
シャン豆腐。
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シャン豆腐は,その場で辛いたれをかけて食べさせてくれるところもある。
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こちらは白豆腐(ペービャー)。そして,もやし,きくらげ,煮豆。
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皮蛋(ピータン)。
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これはタヤチン。細く切ったマンゴーの漬物。
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シャンの餅。タイではカーオ・プック(・ユンナーン)と呼ぶ。
小さく切って,炙って食べる。 -
こんな餅もある。
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フィリングを入れた凉粉(リャンフェン)。
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らっきょうなどの唐辛子漬け(チャトンシェ)。
酒のアテに買ってみたが,酒の味が分からなくなるくらい強烈だった。 -
ンガピジョーというより佃煮に近い?
買い忘れてしまった。 -
こんにゃくだ! シャン人はこんにゃくを食べるのか。さらに親近感が高まる。
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うれしいのでもう一枚。全部で三軒くらい売っていた。
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やけにカラフルなマカロニは,米に並べて売っていたり,
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豆と一緒に売られたりしていた。
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カウッスェ(米麺)は白ばかりかと思えば,
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乾麺のものは結構カラフルだ。
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こちらは甘味屋台のシロップ。
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乾物屋。
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魚を扇のように開いて干してある。
かんてきで炙りやすそう。 -
干肉と腸詰め。
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揚げ豆腐にワダ。東西の混合。
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シャンのケーキ。
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ゆでた豆を軽く潰し,白ごま,胡麻油,塩,MSGで味をつけた惣菜。
「ワンッ・トウッ」と呼んでいた。
優しい味で,これは酒のアテによい。 -
黒くわい。
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タロ,サツマイモ,根ニラ。
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山くらげ(茎レタス)。
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なんきんの右側にあるのは,マルンガイとハヤトウリ。
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大根の右側にあるのは,シロナではないか? シロナは関西人しか食べないのではなかったか。
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むき豆の後列は,ローゼル(ハイビスカス,グラジアプ・デーン)の花とディル。
ディルは,タイでは「ラオスのパクチー」と呼ばれる。
ビルマ人は,ローゼルの葉(チンバウン)を好んで食べる。 -
鮮やかなオレンジ色をした玉ひも。
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こんな小魚を食べるところも,日本人と通じ合う。
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右上はインドナツメ(スィーディ)。タイではプッサーという。
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傷まないように配慮されたイチゴ。
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アボカド。ひょうたん型とまん丸のものがある。
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干し柿だ。縦に潰して作っている。
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バラの花。
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これは,お供物用のヤシの実と青いバナナ。
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やかんでラペイエを煮出している茶店。
夢中になっていたが,そろそろ市場巡りを終えようか。 -
市場を出て,食事に向かう。
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大通り沿いにある「雲鶴餌絲店」に入ると,店のシャン人の女性が流暢な日本語をしゃべり始めて驚いた。
しばらく日本に住んでおられたことがあるそうだ。 -
サンズィーのアトゥッ(餅もち麺の汁なし),美味しく頂いた。付属のスープは濃い牛骨味で,アイェーでもらえばよかったと後悔。
今日は,シャンと日本のつながりを感じることの多い一日だった。
雲鶴餌絲店(Yin Hau Noodle Restaurant)
Google座標「22.937613,97.750523」 -
☆ラーショーのミョーマ市場は圧巻。シャンの食文化が一堂に会している感がある。じっくりと時間をかけて見回るとよい。
☆モスク東側に伸びる屋台街(夕方~)もいい。こんなに見どころがあるのに旅行者が少ないのは不思議。
☆良い安宿はない。慌しい商業都市なので,のんびり過ごす雰囲気の街ではない。しかし,面白い。
☆マンダレーへ移動は,乗合タクシーで約7~8時間(17kMMK)。夜行バスでヤンゴンまで行くほうが手っ取り早い気もする。
ラーショー逍遥~その1:街歩きとラインカー情報
https://4travel.jp/travelogue/11494997
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