2019/02/14 - 2019/02/18
722位(同エリア1037件中)
明石DSさん
二回目のモーニング
土曜日の朝だから?人が多い
6時半に行ったのにオープンテラスは満席
韓国人“おっさん”グループが多かった
////////////////////////////////////////////////////////////////
2019.平成31年2月16日(土)
■ビエンチャン二回目の朝
ビエンチャン二度目の朝も日本時間午前6時 当地ではまだ午前4時過ぎに目が覚め温水シャワーから始まる。そして6時半過ぎに朝食バイキングに5階の展望レストランへ。土曜日の朝、昨日と違ってすでに客で一杯。
オープンテラスのテーブルは空きがなかった。日本語が聞こえて日本人客の“おっちゃん”グループも一組いたが、その他は韓国人“おっさん”たちやタイ?からの観光客の一団らしきで男女で一杯だった。「ビエンチャン⇔ソウル」は一日数便、「ビエンチャン⇔釜山」が一日一便の直行便があるようだ。
関空からの直行便はなく、そりゃあ韓国人観光客が多いのが頷ける。韓国とラオスと言えば昨年『2018年7月23日18時頃にラオスのチャムパサック県パクソン郡のホアイマクチャン川、セーピアン川、セーナムノイ川に建設中であったセーピアン・セーナムノイダムが決壊した事故である』
このダム決壊は『韓国SK建設の手抜き工事と言われている。韓国SK建設の社員はダム決壊前に逃げ出して全員無事。』・・・とあり、2014/平成26年4月のセウォル号沈没事故 の際に船長(無期懲役)が真っ先に逃げ出したことと同じ。南北朝鮮とは未来永劫の断交を心底願う!
昨日と同じような食べ物を皿に盛りお粥も入れて屋内の席に座る。今朝も腹一杯。
今日も朝9時の約束なのでそれまでホテル付近の散歩へ。首都ビエンチャンだがホテル付近の道も一歩幹線から外れたら舗装の無い地道がまだまだある。雨期はどんな様子になるのだろう。
今朝歩きながら感じたのは雀が多いこと。神戸市に生まれ育った私も少年期までは雀も燕もコウモリも普通に沢山いた。ボロ屋の中にコウモリが飛び込んで来た。その時期になれば燕がアチコチの軒先に巣を作りヒナが孵り巣立っていく。燕の滑空を見ながら佐々木小次郎の「ツバメ返し」を棒きれで真似てみたものだ。
夕方にはコウモリがたくさん舞っていた。雀も当たり前のようにいた。煉瓦を組んで雀を取る仕掛けを作ったり、木の枝の三又にゴムを掛けたパチンコで雀を狙ったことも。少年から青年になった頃、雀が少なくなりツバメも減った。コウモリも徐々に見かけなくなった。
そして気が付けば雀もいない。燕もコウモリも見ない。犬でいえば雑種も少ない、キャンキャンとうるさいだけのスピッツもいない。トカゲも街中では見ない。トカゲの尻尾を踏んだらちぎって逃げた。トカゲの尻尾が再生することを知った。あァ~無常。永遠なるものはナシ・・・か。
ビエンチャンの朝の散歩で雀がホント懐かしかった。路地には溝ではなく土だけのドブもある。その一角を曲がれば豪邸も多々あり、貧国なのだろうが金持ちも多いのか?
一体社会主義・共産主義というは何なのか?口先では平等を謳いながらこれほど矛盾した政治体制はない。
豪邸への道も舗装ナシの道に、ドブ(溝)もある。日本ではほとんどニュースも聞かない不思議な国ラオス、そしてその首都ビエンチャン。「へぇ~こんな感じのとこなんや・・・」と周辺の散歩からホテルに戻って出発準備
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
今朝の私の朝食
お粥は嬉しい 美味しい “オジン”だから? -
なんかしらんけど“おっさん”が多いな
-
食後の朝の散歩
ホテル隣のコンビニ風の店 -
ホテル近くの雑貨屋さん
ここで明日の朝傘を買うことになった -
砂埃だらけのスズキ車発見!
-
首都ビエンチャン ホテル傍の道も地道
これが発展途上国というものか・・・
先進国と途上国の違いは人間力の違い
資源の有無も、立地も 他の条件も関係ない
ただただ「人」「人間」の違いあるのみ -
緑茂る住宅街
何やら高級住宅街のような一画が -
道にゲートが これより先は進むことをためらう
共産主義国家にあってはならいはずの貧富の差も歴然
といっても共産主義の実践など現実世界ではありえず
今はシナの属国の体のラオス
https://igasanjin.muragon.com/entry/128.html -
首都の中心部からそんなに離れていないのに
写真で見るより実際はもっと汚らしい
雨季にはさぞかし歩きにくい道になろうだろうに -
地元明石、我が家の家の周辺では雀を見かけない
ツバメもコウモリも見かけなくなった
そういえばトンボもモンシロチョウも
すべてが希少動物・希少昆虫になっていきそうだ -
トヨタ・ハイラックス車のパトカーが停まってた
ラオスの警察 電話は「1191」
「救急:1195」「消防:1190」 -
タイとの国境を流れるメコン川
早朝散歩からホテルに戻る -
ホテル玄関前で“Tさん”を待つ
今日は「ナムグムダム」まで行くぞ!
//////////////////////////////////////////////////////////////////////
■「ナムグムダム」へ出発!
一階ロビーで待っていたら9時前に“Tさん”が到着。ダムまでの途中に「食用昆虫市場の見学」「動物園で像に乗る」という予定で「ナムグムダム」に向けて出発。
道路沿いにコンクリートむき出しで建てかけのビルが多い。これは建築資金の都合、建て掛けストップはこっちでは普通のことらしい。完成期日は未定で金次第。
道路沿いにパン屋台店あり。長さ50cm以上のデカイ!フランスパンがズラーと並んでいた。この道を通って地方に行く運転手が土産に買って行ったりするらしい。フランス支配下にあったラオスはフランス文化の影響がアチコチに残っている。
ホテルから30分ちょっとで 食用昆虫が売っている「① Dongmakkaiy(ドンマッカイ)市場」に着いた。昆虫だけでなく何でもあり市場だった。まず市場入り口でサトーキビ・ジュースを飲んだ。竹のようなサトーキビを絞り機で絞ってジュースの出来上がり。
サトーキビは12年前の2007/平成19年5月11日(金)雲南省騰越から保山に向かう途中道沿いで買って、その時はジュースではなく、かじった。騰越はミャンマーの直ぐ東。味は子供の頃の記憶にある味と一緒。「あっ これや、この味」と懐かしかった。
昆虫の類が市場で食い物として売られていた。「幼虫」「さなぎ」「芋虫」の違いは良く分からないが、そんなのがそれぞれに器に入って売っている。そして驚いた、いや感動したのが「糞ころがし」の本物を初めて見た。小学校の時のファーブル昆虫記で見た記憶がある。
「スカラベ」「糞虫」、日本では鹿の多い奈良公園にも沢山いて、奈良市には「ならまち糞虫館」もあるようだ「フ~ン」。「糞の殻も食うの?」聞いたら「食べないでしょ」と言われた。
「ラオス――カブトムシは食べ物だった」
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000009/ISQ000009_003.html
食用昆虫は『差し迫る世界規模の食糧難への解決策』・・・か。『地球人口の推移「1802年10億人」「2015年73億人」「2050年95億人(予想)」』人類の滅亡は「食い尽くしてか?」「世界大戦争でか?」「AIに駆逐されてか?」「温暖化による異常気象によってか?」「地球外生物からの攻撃によってか?」
それとも100年後 200年後の未来の地球には人類にとって素晴らしい世界が待っているのか?
ドンマッカイ市場を見れば人間にとっての毒がない限り基本的に何でも食えるのだろう。料理の仕方、味付け次第で美味しくもなれば不味くもなる。人間とはそれだけ考えても地球上で唯一の恐ろしき生物なり。 -
ナムグムダムまでの行程
①「Dongmakkaiy(ドンマッカイ)市場」
②「タ―ゴーン村の水上レストラン」
③「ラオスで初のコカ・コーラ工場」
④「動物園」
⑤「ナムグムダム」 -
「何、廃墟?」・・・と、こんな骨組みだけのビル
工事中断中のビルをアチコチで見かけた
これがラオス、資金繰りで中断し、資金が貯まれば再開
ビエンチャンの象徴「パトゥーサイ」もまだ未完成
文化価値観が違うというのはこういうこと
どっちが正解というのではなく考え方の相違
価値観の相違、だから異文化の人との共生は難しい -
デカイフランスパンを並べた屋台店
フランス統治の名残り、フランスの影響が随所に残る
都会からの土産物として地方に持っていくようだ -
R10号線を「Dongmakkaiy(ドンマッカイ)市場」へ
-
国道沿いにいろんな店がある
簡易テラスのオープン展示場 -
①ドンマッカイ市場に到着
土曜日の朝9時57分 お客さんもそこそこ -
珍しいのでサトーキビジュースを頼む
小さい時は我が家でも時々しがんだことはあったけど
昭和30年代のこと、その内いろんなジュースが出て来た
粉末ソーダ 粉末ジュースもいろんなのがあった -
サトーキビジュースを飲む
当然だが生サトーキビの味がする
普段飲むジュースは添加物の入った合成ジュースばかりなので
これはそんなに美味しいものではないが・・・
なんか身体には馴染んでいるような気がした -
日本では市場は少なくなってスーパーばかり
市場の良さは店の“オバチャン”とのやりとりだろう
人間にとって利便性の追求は失う物も多い -
私の海外旅行での楽しみの一つに市場見学がある
その国の庶民の人間ウォッチングにも最適な場所
並ぶ品物をみるだけで異国に来た実感がある
「所変われば品変わる」 -
何でも食い物 日本で見れば驚きのものばかりだが
ここで見れば不思議なく・・・「食えるんや」
「虫を食べるはなし」
https://www.jataff.jp/konchu/hanasi/index.htm -
昆虫も美味しいのか
「えっ これって糞ころがしちゃう・・・?」
私が小学生の時にファーブル昆虫記で写真で見た「糞ころがし」
本物を見るのは初めて、それもビエンチャンで見れるとは
感動した!万歳! -
小学生時代の印象深い思い出が現実に目の前に現われた
「これ食うの?」というより「糞ころがし」を見つけた!
“Tさん”に聞いた
「殻も食べるの?」「いや食べないでしょ」だった
食べないのに糞殻付き販売なのはなんでかなァ~? -
ファーブル昆虫記と「糞ころがし」
少年時代の記憶が蘇る -
昆虫の?おつまみ”皿盛り
拡大鏡でみればゾッとする
最初は驚きの連続だったが・・・
見ているうちに慣れて来た
でも見るには慣れても食う気にならない
でも見慣れるなら食うにも慣れるはず -
ハチミツは旨そうだ
-
ドンマッカイ市場
“Tさん”の案内がなければ来れなかった場所
来れて良かった 見れて良かった 思い出の場所
「糞ころがし」の本物には感動した -
②ナムグム川 タ―ゴーン村の水上レストラン
橋を通過中に車から撮影
最高の水上レストラン(タ―ゴーン村)
https://yspalace.hatenablog.com/entry/20130130/p1
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
■④ラオス動物園(Lao Zoo)へ行く
R13号線から10号線に入りナムグム川(Nam Ngum River)を渡ってしばらく走ったところに2015年9月ラオスで最初に作られたコカ・コーラ工場があった。
68才の私が思い浮かぶ飲み物は、武田食品が販売していた「プラッシー」(昭和33年から、俺8才か)オレンジの粒々入りで美味しかったが当時の感覚では高かった。米屋に売っていた。粉末ジュースも炭酸やそのほか沢山あったなあ。コカ・コーラも最初は薬のようで馴染めなかった。60年で飲み物も激変だ!
ビエンチャンから出て国道10号線を左右に広がるのんびりした田舎風景や車道脇の露店、そして時々の集落風景などを見ながらひた走る。そして正午前、ヴィエンチャン県バンクンにある動物園到着。この動物園には“Tさん”のご両親も数年前に来て、その時は私と同い年のお母さんが「ゾウに乗った」とのこと。
私も15年前にタイで象に乗って以来また乗ろうと思ってやってきた。まだ動物園の門を入る前、外から見ただけでも寂れている。その瞬間にこんなんじゃあ象には乗れないだろうと感じた。
入場料は15,000キープ(¥195円)ラオスには野生のゾウもトラも生息している。こういった動物園など日頃動物を見る機会の少ない首都ビエンチャンの子供たちが見に来るのかもだが、本来自然の中で多くの動物や鳥類と共存している人たちにとって動物園とは一体何ぞや?
広々として鳥や猿などがいたが大型の動物はクマとゾウだけだった。もしかしたら広い園内のどこかに飼っていたのかもだが、探す気力もなく。ゾウ一頭を見つけて納得して戻って来た。動物園としては私が海外で行った中では一番粗末だった。
30分程園内を歩き回って戻る。地元の人だろう親子連れが少しはいたが日曜日の動物園は閑散としていた。ビエンチャンの動物園に来るなんてこんな機会がないと有り得ない。貴重な経験であり、これぞ旅だ。 -
③2015年9月 ラオスで最初に作られたコカ・コーラ工場
抜粋
『ラオスは元々ペプシが主流。国内最大飲料メーカー「ビア・ラーオ社」が
ペプシコーラを生産していたため、輸入品のコカ・コーラは価格が高かった
2015年に東南アジア最後の参入地であるラオスで
コカ・コーラの製造・国内販売を始めると、
徐々に人気が高まり、今では両製品の勢力は拮抗しています。』
なるほど、そういうことか
私が日本で飲むのはコカ・コーラばかり -
ラオスは日本の本州とほぼ同じ面積
なのに人口は「約649万人(2015年,ラオス統計局)」
愛知県の人口726.3万より少ない
土地はいくらでもありそうだ -
動物園を目指して車は走る
青々とした田園風景が広がっているところも -
④ラオス動物園(Lao Zoo)に到着
入場料は15,000キープ(¥195円) -
広いけど・・・今まで海外で見た動物園で
一番活気なく寂しい動物園だった
首都ビエンチャンはいざしらず
普段から動物と触れ合っているラオス人 -
土曜日なのにひっそりと
人少なく動物もすくなく
写真で見ての通りの雰囲気 -
ここは動物園内の休憩所なのか?
人いない -
サルも手持無沙汰
放してやれば良いのにとも思う -
熊も水に浸かって昼寝
刺激なく毎日これじゃあたまらんやろ
ラオスに動物園は不要なり -
この一画だけが賑わいがあった
店らしきもあり・・・そしてなんといっても
写真左側に「テナガザルのギボン」がいるから -
これが「テナガザルのギボン」
ホンマに放し飼いにされていた
この写真は私が写したデジカメ動画の切りとり
でも、この動物園で「一日楽しめる」人もいるようだ(↓)
一日楽しめるビエンチャン動物園
https://tokuhain.arukikata.co.jp/vientiane/2014/01/post_75.html -
“Tさん”のお母さんが数年前に
この動物園でゾウに乗ったとのこと
それを目当てに来たが、寂れてた
このゾウ一頭あり なんだかさびしそうだった
仲間の群れに返してやりたいけど -
園内を30分ほど散歩して戻って来た
広そうだったので、全部は回れず
来て 見て 良かった 来ないと分からない -
幼児子供の欲しがる物は
国が違えど同じような物を欲しがるようだ -
ナムグムダムまであと20分ほどの景色
国土の70%が高原や山岳地帯
なるほど
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////
■「ナムグムダム」へ
12時半動物園を後にし「ナムグムダム」に向かう。
「ナムグムダム」は日本人:久保田豊氏の尽力により完成した。久保田氏(1890年4月-1986年9月 享年96)は朝鮮半島の水豊ダム建設をはじめ多くのダム建設に関わっている。戦後日本工営を設立。
『久保田氏は東南アジアエリアでの大規模水力発電所の建設に携わり、ナムグムダムは1968年に着工。内戦の間も双方の勢力が中立地帯に指定し建設は続行され1971年12月に完成。1972年から発電を開始。当初は3万キロワットのタービン2基であったが、1975年には4万キロワットのタービン2基が追加され、1983年にも1基の追加が行われた。』
『このダムで発電されている電力の多くは隣国タイに送られており、ラオスの重要な外貨収入源となったのである。総発電量は240万kWとも言われる。原発2基分に相当する発電力。』
「ラオスで一番貢献した日本人は久保田だ」と、今もラオスで語り継がれているようだが、その他にも「ラオスで、世界で鍛えられ、活躍する日本人」が沢山いる。同じ日本人として嬉しい限り。
"https://www.data-max.co.jp/2014/03/10/post_16456_dm1701.html
そしてまたこのダム建設過程でこの地で亡くなった数名の日本人がいる。ビエンチャンのお寺の墓に葬られているという。こういった日本人を想う時、いつも大東亜戦争で外地で散華し遺骨を放置したままの幾万幾十万戦死者の方々を想う。
例え「遺骨の収集ができずとも」「名さえ知らずとも」戦後に生きる日本人が心の中でそういった方々がいることを心で想い感謝し冥福を祈ることは出来るはずだ。
それでなくば死者の魂は安らぎを得ず、また生きている日本人も真の幸せは得られまい。
「ラオス発展貢献の知られざる日本人」
https://www.data-max.co.jp/2014/03/24/post_16456_ik1.html
久保田氏のこともダムのことも何も知らなかった。旅を通じて知識が少しは増える。どんなことでも知らないより知っている方が余程良い。私にとっての旅とは勉強でもある。
動物園から左右に樹木茂るR10号線を40分ほど走ってダムに到着。下流側から見たダムは幅が小さく感じた。
「ナムグムダム」
貯水池面積:約370平方キロ(名古屋市:326k㎡・福岡市:339k㎡)(琵琶湖:617平方キロ)
総貯水容量:70億立方メートル(日本一の奥只見ダム:6億立方メートル)(黒部ダム・黒四ダム:2億立方メートル)
ダム湖が名古屋市・福岡市と同じくらいの面積を有するのにダムはこんな小さな幅なのか?と、これじゃあ地元の「?吐ダム」と変わらぬ外見だと見上げたナムグムダムには拍子抜けの感があった。
ダムの周囲は公園になっており花壇の花々も美しい。制服姿の男女高校生らしき学生たちが来ていた。ダムの写真を撮って、次にダム湖の方に行った。
途中、「HAZAMA ANDO CORPORATION」の表記のある作業現場があった。今も「安藤・間(株)」のプロジェクト工事が行われているようだ。 -
ラオスの今は「中国に植民地化されている」とも言われる
ビエンチャン市内もそうだがここにも中国語表記の標識がある
一体この先支那の膨張はどうなるのだろう?
共産主義独裁国家の膨張は害あって益なし -
ナムグムダム入り口に到着
「WELCOM TO NAMNGUM-1 HYDRO POWER PLANT」
「ようこそナムグム水力発電所へ」
「NAMNGUM-2」「NAMNGUM-3」もあるみたい -
日本工営の久保田豊氏の尽力により作られた
ダムは1971/昭和47年12月に完成、1972年から発電を開始 -
ナムグムダム建設における日本人犠牲者
(ボート転覆:日本人技師数名が死亡)
『3年3カ月の月日を費やして、71年12月にダムは完成。
その期間中、命を落とした日本人の技術者もいる。
ダムの近くのお寺には、その魂を弔うお墓がひっそりと建っている。』
犠牲者の人数も名も知らず、墓の在所も分からず
何かを成すために時には犠牲者も出る
多くの同胞の犠牲の下に今の日本がある
感謝とご哀悼を祈る! -
ラオスの高校生(後期中等教育)らしき男女生徒
制服があるようだ
ラオスの学校制度「5・4・3・4制」計16年
義務教育は初等と中等(無償)
初等教育(1~5学年) 前期中等教育(6~9学年)
「高校」後期中等教育(10~12学年)
「大学」高等教育(1~4学年)
日本は「6・3・3・4制」だから計16年は同じ -
ナムグムダム傍に
「安藤・間(株)」の 工事現場あり
「EXPANSION PROJECT(拡張プロジェクト)」との表記
頑張れニッポン!
「ラオス 竜の奇跡」日本とラオスの合作映画
http://saynamlai.movie/ -
「なんじゃァ~ これは、こんなデカイのか」とびっくり仰天!
ダムは「何や、こんな規模のダムなんか」
と、想像以上の小ささに拍子抜け感があったので
ダム湖を見た驚きはギャップの大きさもあって
驚天動地の驚きだった
////////////////////////////////////////////////////////////////////////
■驚きのナムグムダム湖
そして狭い昇り道を車で越えてダム湖が見えた瞬間「えっ~! こんなデカイ ダム湖か!」と驚きと感動だった。海の無い内陸の国:ラオス、ナムグム湖はまるで海のようだった。ダム湖に島が点在し、日本三景:松島のごとき景色が目の前に広がった。
小さいなダムと巨大なダム湖。天気は晴れなのだろうが霞がかかり全体がボヤ~としていた。?吐ダムのダム湖である衝原湖の大きさとは天地の差がある。これでも琵琶湖の半分強の広さなのか。
何ヶ所かに船着き場があり、遊覧船が出ている。ほとんど何も知らずにここに来たが、観光客はこの遊覧船で遊覧しながら食事や宴会をするようだ。時刻も午後1時40分。“Tさん”が昼食のことを何も言わずにここまで来たことがやっと分かった。
この遊覧船上で昼食のつもりだったのだ。ご両親が来た時もそうしたらしい。その時と同じ波止場・同じ店にやって来た。“Tさん”も別に知り合いの船ではないそうだが、たまたまその時ここで船を貸し切って船上で食事をしたので、今回もとのこと。
そして恰度先客が乗っていた遊覧船が波止場に戻って来た。三階建ての100人くらい楽に乗れそうな大型の遊覧船。降りて来たのは10名くらいだったと思う。その船を私とガイドの“Tさん”二人が貸切ることになった。
私にはそんなこと余程の金持ちでないと日本では考えられない。それが日本の平均所得以下の一庶民の私がこのラオスでは可能だった。メニューを見ても良く分からないので“Tさん”に決めてもらった。
その料理が出来て船の長く大きなテーブルの片隅に置かれてから船は出発。船には私たち二人と船長、そして世話係の若い女性が一人付いて計4名で出航!まず船上で昼食を食べる。三皿の料理と私の好きなうるち米「カオ・ニャオ」
“Tさん”が選んでくれた料理なので不味くはないが美味くもない。料理はどうであれ私の場合は「カオ・ニャオ」があれば満足。腹もふくれる。土曜日だが旧正月(春節)も終わり観光シーズンではないのか観光客は多くなかった。
長い船上テーブルに“Tさん”と差し向かいで昼ご飯を食べる。食べ終わった頃を見計らって世話係の女性が「島に上陸しますか?」と聞いて来た。乗客が希望すれば点在する島の一つに船を止め上陸が出来るらしい。
小さな島に上陸したら土産物屋があり、観光客の一団なのか?テーブルを囲んで宴会をしていた。島には作業用の小屋があり七面鳥のような鳥がいた。周囲を網で囲んでおり餌箱のようなものもあった。食用なのか卵なのか分からないがこの島で飼育しているのだろう。
霞の掛かった大きなダム湖に点在する島々、遊覧船も少ないが浮かんでいた。こんなに大きなダム湖だと夢にも思わず。そして遊覧船の貸切り、眼前の景色・・・なにもかもが夢幻の如くなり。
1時間ほどの遊覧で景色も堪能し船着き場に船は戻った。帰国後改めて“Google・Map”でナムグム湖を見れば地図上でも当然大きな面積だ。なのに実際に見るまで大きさの意識はなかった。ホンマ不思議だけど、まあ来てこそ味わえる感動なり。 -
日本三景 松島に似たり
この大きさで琵琶湖の半分強とは
琵琶湖の大きさを改めて知る
『大小様々な島があり、湖の中心部に
刑務所やドラッグ中毒者の更生施設まである』
ふ~ん、そうなんか -
遊覧船乗り場がアチコチに
今日は賑やかとは程遠かったが
シーズンには観光客で賑わうのだろう -
“Tさん”がご両親を連れて来た時の店に行く
その時も船を家族で貸切って船上食事をしたそうだ -
ラオスのお嬢さんが出迎えてくれる
この時私はまだこの先のことを知らなかった
昼食をここで食べるというのは分かっていたが -
ここの船着き場に戻って来る遊覧船
桟橋に着き10名足らずのお客さんが降りて来た
この船を二人で貸切って遊覧するとは我未だ知らず -
3階まであり100人は楽に乗れそうなこの遊覧船
二人で貸切って船中食事とは、ホンマかいな -
「松島や ああ松島や 松島や」
とうとう二人の貸し切りで大型遊覧船は出航 -
遊覧船にすべり台・・・か
そのまま湖に飛び込むのはスリルありそうだ -
二人が頼んだ食事
十分腹一杯になる
味はそれなり・・・「カオ・ニャオ」 一番美味い -
島に上陸
島の上でテーブル囲んで6~7人が宴会中だった
土産物も売っていた -
飼育しているのか七面鳥のような鳥がいた
ここで生活している様子はなかったので
毎日この島に通ってくるのだろう -
若き船長
家族経営なのか?雇われなのか?
ラオスの好青年は、どんな人生を送るのだろう -
遊覧船乗り場 お食事処のカウンター
私の予想は家族親族経営の店だけど?? -
「ナムグム-1」
来て良かった
人生最初で最後のナムグム湖よサラバ! -
ダムからの帰路
②ナムグム川 タ―ゴーン村の水上レストラン
橋を通過してビエンチャンを目指す -
午後5時2分 ビエンチャン市内は渋滞中
-
ノーヘルは当たり前 飲酒運転の取り締まりもほとんどなし
ビエンチャンの交通事故
『2014年9月16日-2015年9月15日の1年間』
交通事故発生件数は 1568件
死亡事故「241人」
負傷事故「2170人」
ちなみに
『東京都内の2015年中の交通事故死者数は116人』
東京の人口1千3百万人vsビエンチャンの人口70万
ビエンチャンのあまりに多過ぎる交通事故死者数 -
土曜日の海鮮屋台店はお客さんも多いかも
準備万端整えて今日も賑やかになりそう
これがここの日常風景なり
////////////////////////////////////////////////////////////////////////
■ホテルに戻り ぶらぶら散策
ナムグム湖を出発したのは午後3時を過ぎていた。そして再びラオスの田舎の景色を左右に見ながら車は一路ビエンチャンへ。車内表示の外気温は「33℃」。ラオスにはカーナビのシステムはないようで“Tさん”の車にもカーナビは装着されてない。スマホのアプリでルート検索可能のようだ。
午後5時頃ビエンチャン市内に近づくと渋滞発生。ホテルには午後5時40分頃到着。ラオス在住15年くらいの“Tさん”と一期一会の出会いだった。人生全てにおいて言えるが人と人の関係が良し悪しを決定づける。“Tさん”のお陰でビエンチャンの旅は楽しかった。
どんな時もどんな所でも嫌な人に出会えば面白くなく、良い人と出会えば有意義であり楽しい思い出となる。人間は感情の生き物であり判断の一番の基準は感情だ。どんな時にも最初から本音でぶつかり合えば例え互いに納得できずとも分かり合える。
部屋で小休止をし、夕食を食べに出て行った。ホテルのメコン川沿いは、ずら~と屋台がほぼ準備を整えあとはお客さんを待つばかり。今日も賑やかな夜になるのだろう。私の目的の店は「OSAKA(大阪)」、やはり日本食が良い。ビエンチャン料理を食べようとは思わない。
大阪に向かって歩いていたら雨が降って来た。乾期の今なのに雨が降るとは予期してなかったけど・・・。傘を持っていないのでそのまま歩いてホテルから25分くらいで無事到着。店内の壁一杯に写真入りのメニューが貼っていた。
「しんこ巻き」「味噌汁」「焼きそば」を頼んだ。¥85,000キープ(¥1,105円)味も日本と同じで美味しかった。この店には“Tさん”も時々来て日本人オーナーとも馴染だそうだ。オーナーの姿はなかった。
食事中も雷の音が響き心配だったが幸い店を出る頃には雨も止みラッキー。だが夜店はもうほとんどが雷雨の為に店仕舞い。折角の土曜日の夜なのに開けてる店も少なく歩く人も少なかった。昨日の賑やかさをもう一度見たかったのに残念至極。
夜店同様に食事屋台も雨には勝てず。テント張りで営業を続けているところもあったがひっそりとなっていた。午後7時過ぎに部屋に戻った。ラオス・ビエンチャンの旅は明日午後5時まで。5時にホテルロビーで待ち合わせの約束となっている。
明日は歩いてビエンチャン観光となる。そのメーンはパトゥーサイに上ること。雷雨のお陰で生演奏もなく静かな夜になった。 -
対岸のタイ東北部「ノーンカーイ」にも灯りが
目と鼻の先の異国 互いにライバルなり
日本と支那朝鮮の間は海で隔たりまだ救われる
だが願わくば・・・
日本列島よ、一年に1キロでも良いから東にずれてくれ -
ビエンチャンの旭日旗
韓国のイチャモンで日本で翻る旭日旗が少なくなった
今も今後も未来永劫も韓国イコール嫌悪の対象でしかない
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のが普通の人間だ
百万遍同じことを言う、これは差別ではなく感情だ
感情こそ自由の根源だ!理性理知は偽善だ! -
雨と雷の中、レストラン「OSAKA」に到着
-
店内の壁にはびっしり日本語の料理メニューが
見るだけでホッと一息
やっぱり私は元より海外旅行向きではないのだろう -
「しんこ巻き」「味噌汁」が来た
美味しかった -
「焼きそば」も日本で食べるのと同じ
値段も日本と同じくらいかも
¥85,000キープ(¥1,105円)
満足して店を出る -
折角の土曜日の夜なのに、まして今は乾期のはずが
雷雨で店仕舞い・・・か、賑やかな土曜日の夜店を楽しめず
残念だが天気に勝てぬ -
オープン屋台も雨には勝てぬ
店仕舞いはしてなかったが客はほとんどいない
傘をさして飯は食えぬ -
ぶらぶら散策を楽しめずホテルに戻る
明日の夜は機内だ -
4階444号室 いつの日にか我が子孫がこの部屋に宿泊するかも
祖父 高祖父 先祖の足跡を訪ねて誰かが旅をする・・・かも
その可能性に期待を込めて旅行記を記している ハハハ -
今日のスマホ歩数計
「14464歩 10.7キロ」
さあ、明日は最後のビエンチャン観光
歩き回るぞ!
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
82