2018/10/16 - 2018/10/19
6922位(同エリア11698件中)
明石DSさん
二日目、三日目と歩き回った上海
早くも最後の朝を迎えた
さわやかな青空に感謝!
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4日目:10月19日(金):晴れ
東方明珠電視塔に上る。そして帰国
2018.平成30年10月19日(金)
■康?上海外?酒店 最後の朝
上海で日本人の足跡を訪ねて歩き回るという旅も今日の午前中で終わりとなった。歩き回るので天気が一番心配だったが幸いにも好天続きで万々歳、今朝もカーテンを開けたら青空が広がっていた。
バスタブが無いので温水シャワーで目を覚まし三度目で最後の朝食を食べに一階へ。朝食は「一日68元×18=1224円」毎日少しづつメニューも変わり内容も満足。お粥は毎朝二杯は食べた。
朝食を食べホテルの周囲を散歩する。隣の公園では朝から健康体操?太極拳?を高齢者がやっていた。日本、中国、世界のあちこちで高齢化が進んでいる。余生を如何に過ごすか?誰しも死ぬまで生きねばならない。どうせなら死ぬまで元気が良い。
その為には高齢になればなるほど努力が必要だ。例え報われずとも自分の出来る最善の努力をしたい。結果は神のみぞ知る。2011/平成23年から卓球を始め、4年前から教室に通い気合を入れてやるようになった。しかし“オジン”になって始めるとなかなか様にならない。
今になって切実に思うに、小さい時にいろんなスポーツをかじっておけば身体は覚えている。野球・サッカーはやっていたので今でもそれなりにできる。ということでサッカーがメーンの孫(小1男)を誘って卓球を月一、二回している。
ホテル周辺を散歩し部屋に戻り退房(トゥイファン・チェックアウト)の準備。いつものように日の丸を背負って、ゴミ一つ無きよう部屋を片付け「これが日本人の退房じゃ」と自己満足でホテルを出た。
- 旅行の満足度
- 5.0
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-
お粥が二種類
しっかり朝食は旅の朝だけ -
こんな朝食だった
-
ホテル玄関を出て北側にある歩道橋
延安東路に架かっている -
ホテル前の公園
朝から芝生の周りを走ったり歩いたり
健康に留意する人多し -
高齢化社会を如何に生き抜くのか?
68才、振り返ればあっという間
来た道は分かるが、行く道は分からない
10年後 20年後 いかに? -
康?上海外?酒店(Campanile Shanghai Bund Hotel)
カンパニール上海バンド ホテル
最初はここか?だったけど満足だった -
ホテル出発は午前8時19分
リュックを背負い延安東路の歩道橋に向かって歩く -
延安東路に架かる歩道橋から写す
左から
「屋上花びら(上海外灘中心)」「金茂大厦」
「栓抜きビル(上海環球金融中心)」「上海中心」
上海のビルは目立ちたがりが基本
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■人民広場站から陸家嘴站へ
帰国の飛行機は浦東空港:15:15(発)。2時間前に空港着予定なので昼まで観光。最後の観光は東方明珠電視塔へ。ここも20年前初上海で上って以来の二度目となる。地下鉄「人民広場站」から行くことにした。
福建南路→福建中路→(左折)広東路→(右折)浙江中路と8時半頃の上海の路地風景をキョロキョロしながら歩いた。ホテルから17分程で人民広場站16号口に到着。午前8時48分金曜日の地下鉄ホームの風景は出勤なのか?まだまだごった返す人の多さ。
2017年人口
『① 重慶市 2884.62 ② 上海市 2301.91 ③ 北京市 1961.24 ④ 成都市 1404.76 ⑤ 天津市 1293.82』
ちなみに東京都は1375.40万人。さすが13億越えの中国の大都市は人が多い。一体地球はどれだけの人間を食わせることが出来るのだろう?
世界人口『1802年 10億人→2015年推計 73億人』 増え方が凄い!
地球人類滅亡のシナリオ?この世に永遠なるものは存在しない。ならば当然いつの日か天体としての地球の消滅も来る。それは仕方がないが、その前に「人類滅亡シナリオ10」で予想されることが起きないことを祈る。
https://tocana.jp/2017/03/post_12479_entry.html
地下鉄2号線:人民広場站→南京東路站→(黄浦江)→陸家嘴站で下車、5分ほどで電視塔の下に到着。220元(約¥4000円)の高い入場券を購入、歴史陳列館など①~⑤の入場券が付いている。 -
早朝から肉を買う人多し
ふ~ん -
浙江中路の朝の風景
-
西蔵中路の横断歩道
服装も顔つきも見分けつかず -
人民広場站16号口から入る
16号口・・・か、一体出入り口の数は?
1~20号まである
大阪市営地下鉄御堂筋線の出口案内 18ヵ所 -
地下鉄:人民広場站の手荷物検査
検査員は5~6人はいるようだ
これだけでも人件費は膨大なり -
現在時午前8時49分
ラッシュアワーのピークは何時頃?
生きる為の活動がこれから始まる -
人民広場站→南京東路站→(黄浦江)→陸家嘴站
站二つで黄浦江を越え浦東新区に到着
ここから電視タワーは歩いてすぐだ -
9時ちょうど1号出口から出て来た
-
1998/平成10年12月28日に二男と上った電視塔
その時は大気汚染が原因で下界ほとんど見えず
20年ぶりって、ちょっと前、それとも随分前なのか?
68才になると50年前も20年前もちょっと前に感じる -
電視塔に到着 入場券売り場を探して購入
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■東方明珠電視塔に上る
電視塔への入場口には、すでに白人観光客人が並んでいた。9時過ぎなのにここにいると言うことは、私と同じで観光のスタートが早い。手荷物検査を受けて入ると中央部に塔の柱がありその柱内にエレベーターがある。その周囲の廊下に並んでエレベーターに向かう。
「へぇ~、電視塔はこんなに人気があるんや?」・・・そういえば平成24年に「スカイツリー」を見に行ったけど長蛇の行列で下から見上げただけだった。
263mの展望台からの眺めは良かった。
今日は天気も良く遠くまでビルで埋め尽くされた大都市の風景が広がっていた。真下には黄浦江、高杉たちが来た1862年には動物や人の死体まで捨てられている汚い黄浦江だった。今はここから見る限り塵などの浮遊物はない。
樹木林立ではなく、隙間なく建ち並ぶコンクリートビル林立の景色を前に改めて人間の凄さを思う。ここから地面をうごめく人間を見ればアリに満たず。肉体としてこんなちっぽけな身体の人間が何でこんな巨大な人工都市を作れるのか?訳が分からん?
黄浦江沿いの旧上海日本領事館の赤レンガ建ても良く見えた。外白渡橋の傍に建つ上海大厦(ブロードウェイマンション)も頑張って建っている。夜の外灘では黄金色に輝き偉容を誇る歴史建築群は静かに大人しく並んでいる。
展望回廊に案内表示がある。その中に「台湾省台北市」との表記で方向を示していた。台湾本省人がこの表記を見て何思う?悔しいけれど力こそ正義なりか。台湾は中国の一部では断じてなく、台湾は台湾であり世界が独立国として認める日が来ることを信じる。
世界第二の高層ビル:上海タワーも金茂大厦も目の前。金茂大厦には「2004.平成16年5月27日(木)」三峡下り・重慶に行った帰路、上海で「火筆画家:羅成驤さん」と共に中国で活動をしている知り合いに出会って一緒に87階で珈琲を飲んだことがある。
その時、夕食で中華料理を三人でたらふく食べた料金が「204元」だったのに金茂大厦87階で飲んだ珈琲三杯が360元(5040円)にびっくり仰天だった。
263mの展望台から次に地上351mの展望台「太空?(タイコンツァン Tàikōng cāng)スペースカプセル」へ行く。351-263=88mの高さの差で下界の景色の感じはどう違うのか?
88mの高さの差で眺めは「より遠く」「より小さく」と高さの違いでの景色の違いは感じたが、それ以上でも以下でもなく「やっぱり全然ちゃうなァ~」なんて感慨や感動はない。「ふ~ん、そうかこんなもんか・・・」だった。
ここに宇宙服を着た人形がぶら下がっていたが、中国はすでに2003/平成15年に有人宇宙飛行を成功させ、2011/平成23年には宇宙ステーションの実験機「天宮1号」を打ち上げ有人でのドッギングにも成功している。つまらん商人国家であり続ける日本は未だ有人宇宙飛行に挑戦も出来ず。
351mから降りてこんどは259mの「全透明観光廊」のフロアーに行く。ようするに歩く展望回廊の床が全部ガラス張りになっている。高所恐怖症の私だが柵とか安全を担保する何かがあれば恐怖に勝てる。
強化ガラスか?強化プラスチックか?知らないが、もし割れたら落ちずに何かにしがみ付くという気持ちを持って床が透明の回廊をぐるっと廻った。やっぱり心地は良くない。
“ゆっくり”高所からの眺望を楽しんだつもりだが滞在時間は30分ほど。満足して午前10時過ぎにエレベータ前に並ぶ。階下のフロアーに着いたらエレベーター待ちの長~い行列が出来ていた。早く来て正解だった。 -
五ヵ所全部セットで220元(¥4000円)
高い?安い?というより今じゃ金持ち多い中国
東京タワー「大人(高校生以上) :900円」
東京スカイツリー「大人 2,060円」 -
白人団体客も朝一から並んでいた
「へぇ~、こんなに人気あるんやなァ~」 -
地下鉄もタワーも手荷物検査は空港なみ
見た目はそうだが実際はどうなんだ? -
手荷物検査のゲートを潜ったらここに出た
中央のエレベーターまで一列だが長~い行列 -
展望台からの最初の一枚がこの写真
黄浦江へ呉淞江(蘇州河)が流れ込む
外白渡橋に右手広い範囲に虹口の街が広がっている -
左手:旧英国領事館:黄浦江公園
右手:上海大厦(ブロードウェイマンション) ロシア領事館他多数
写真右端:赤レンガ 日本領事館旧址(紅楼) -
こういった場所には入場者の国籍表示が欲しい
「現在の見学者の国籍別表示と人数」
タッチパネルで自己申告で良いから提案する
あれば「へぇ~、こんな国から?えっこんな国あるの?」
等々きっとみんな興味津々だと思うけど
観光地・テーマパークなど人が集まる場所に! -
ぬけぬけと台湾を統一か?
ふざけるな支那共産党独裁国家よ
台湾の独立を支持する! -
後ろ三つ
左から「栓抜きビル」「金茂大厦」「上海中心」
2004/平成16年、14年前金茂大厦87階で珈琲を飲む
一杯120元(1680円)だった
その時トイレから出ようとすると
トイレ係がお手拭きをくれた -
351米 太空?(スペースカプセル)からの展望
太空?(タイコンツァン Tàikōng cāng) -
263mからの写真
-
351米太空航からの写真
263mと351m その差 88m
ちょっとはちゃうな -
太空?(スペースカプセル)の様子
-
351mからの風景
左から「栓抜きビル」「金茂大厦」「上海中心」
上海中心は632mで、世界第二位、中国で最高層ビル
世界最高ビル:ブルジュ・ハリファ 828m -
東方向
-
中国:2003/平成15年に有人宇宙飛行成功
2011/平成23年には宇宙ステーションの実験機
「天宮1号」を打ち上げ有人でのドッギングに成功
日本は何故シナに先んじて有人飛行をしなかった
商人国家は惨めなものよ 商人が天下を握れば腐る -
263から351m、そして今度は259m
全透明観光廊 -
259mの透明廊下より下を見る
人はアリより小さい、吹けば塵のように飛ぶ
人は何でこんなデカイ物を作れるのか? -
透明廊下で飛び跳ねるのは怖い
座ったり、屈んだり・・・ -
展望台30分程の滞在で
降りてきたら行列は更に長く
早く来て正解だった -
上海歴史発展陳列館
期待して入ったが
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■上海歴史発展陳列館を見学して昼食へ
まだ行っていない世界第二の上海タワーに行かずに電視塔を選んだのは「上海歴史発展陳列館」を見たかったから。期待して中に入って行った。そして昔の写真展示があったので興味深く見たが写真が少なくてガッカリ。
あとはほとんどが再現模型 ジオラマ模型ばかりで期待外れ。模型はどの程度当時を忠実に再現してるのか今一分からない。その模型の中に1867、1884年に創設した上海の京劇劇場があったが茶を飲みながらの京劇鑑賞の男性客の髪型は辮髪である。
(1644-1912 268年間)満州族が支配した清朝では敵味方区別の為に満州族のスタイルだった辮髪を漢族にも強要した。『清朝は辮髪を拒否する者には死刑を以って臨み「頭を残す者は、髪を残さず。髪を残す者は、頭を残さず」』であり、最初は抵抗した漢族もやがて当たり前になった。
「阿Q正伝」でも辮髪を頭の上に巻きあげるか?切るか?等々清朝を倒す革命機運が起き始めた頃に辮髪が悩みの種にもなっている。日本も丁髷の歴史があり明治4年「散髪脱刀令」が」出されたが反発も根強く、一揆も起こり6人が騒乱罪で死刑になっている。
その始まりの起源は如何にあっても一旦風習となり文化となったことを強制的に変えるのは難しい。今の私が髪型・服装・生活様式を政府の命によって強制されるのは想像すら出来ない。「丁髷を結え」「頭を剃れ」「着物を着ろ」「畳敷きは禁止」「米を食え、パンを食うな」・・・やっぱり強制は嫌だ。
昼になり観光は全て終えて空港に向かうことにした。その前に昼食をと、目についた「味千拉麺」と書かれた店に入る。玄関マットには「味千ラーメン」と熊本豚骨ラーメンのチェーン店のようだった。店内は広く客の入りも上々。味千拉麺¥30元と餃子¥15元を注文する。美味かった! -
1930年代の福州路
今も昔も変わらぬ活気が伝わってくる -
1920年代の外灘
黄浦江に浮かぶ船は時代を感じるが
建物は今も同じなので不思議な感覚だ -
競馬場
上海の租界 白人の世界がある -
1930年代の南京路
日本語表記が見当たらない
福州路の写真もこの写真にも
白人なく日本なく中華一色??? -
龍華寺 徐匯区
文革前の中国の寺もこんな賑わいがあったのか?
陳列館に昔の写真少なく残念だった
展示写真に日本の影ナシ -
大世界
1937/昭和12年8月14日
中華民国軍の誤爆によって
同胞が多数犠牲になった
そんな説明は一切なし -
茶を飲みながらの京劇鑑賞
男は皆辮髪・・・か
髪型は時代と共に変化する
禿薄毛の悩みは人類の歴史に符合する -
電視塔に上る人たちは引きも切らず
早く来ていて良かった -
観光は全て終了、浦東機場へ
熊本豚骨ラーメン店を見つけて入る -
日本の豚骨ラーメンも上海人に大人気のようだ
店員の制服、店内の雰囲気も日本に変わらず -
若い頃、餃子定食を食べてる奴の気が知れず
何故か40代くらいから餃子は好きになり
中華料理店やラーメン店では大概注文する
好き嫌いは年齢と共に変わる物多し -
見た目も味も日本で食う拉麺と同じ
-
目の前に聳える五棟の高層ビル
一帯この五棟の中に合計何人がいるのだろう?
人類の力は無限なり、想像出来るものすべて実現する -
12時31分、陸家嘴站プラットホーム
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■浦東国際空港から関空へ
陸家嘴から地下鉄に乗り空港へ、途中来た時と同じく「广?路(グアンランル:広蘭路)」で反対方向から来た電車に乗り換えた。空港到着は午後1時半、出発は午後3時15分、二時間切っていたがまだ余裕、ちょうど良いと思っていた・・・が。
搭乗手続きのカウンターNoを探すためにフライト案内の電光表示を見たが3時15分(発)「上海→関空 MU9821」がない。「えっ?何で」と焦った。案内で聞いたが「T1、T2?」と聞かれても若い女性の発する「ティーワン、ティーツー」が中国語なのか英語なのかも分からず。意味不明。「関空行のMU9821はT1」と教えてくれたと思う。
その時私は浦東空港ターミナルが「1」と「2」があるということすら頭になかった。関空も1.2があるのに、30回以上海外に行きながらそんな基本的なことすら気付かず場所を変えてまた聞いた。そこの男性スタッフが私に分かるように「ここはターミナル2、それはターミナル1。まっすぐ行けば良い」と親切に教えてくれた。
一旦は冷や汗かいたがホッとしてターミナル「1」に向かう。迷っていたのは20分くらいだったが焦った。何とか無事に搭乗手続きを終え211番搭乗口に到着したのは2時12分。一年二回の一人での海外旅行では空港の乗り降りは慣れない。毎回緊張する。ツアーで添乗員同行は楽だけど・・・。
2時45分搭乗口からバスに乗って飛行機の下へ、そこからタラップで乗り込む。デカイ飛行場は乗客にとって面倒なことが多い。小さい飛行場の方が良い。ほぼ予定時間通り離陸した。私の座席は窓側ではなかったけどエコノミー席の一番前で前席はなくビジネス席との壁で足が伸ばせる。
機内食は完食は出来ず。歩き過ぎたし、非日常になれば体調も崩す情けなさ、肉体を鍛える方法は分かり易いが、精神の鍛え方は今もって分からず。故に強靭なる精神に憧れるだけでほど遠いまま今に至る。
「強靭なる身体」と「強靭なる精神」、どっちか一つの選択を迫られれば迷わず「強靭なる精神」を選ぶ。 -
「广?路(グアンランル:広蘭路)」乗り換え
こんなことを当たり前のようにやってるが
他に方法はないんかい、誰が考えてもおかしいやろ! -
地下鉄を降り何も考えずT2ターミナルに向かった
フライト案内の電光表示に「上海→関空 MU9821」
どこの案内表示を見てもない、焦った -
浦東空港には「T1」「T2」の二つのターミナルがある
東方航空のターミナルは「T1」ということを全く意識せず
「1」と「2」のターミナルは歩いて行けるので助かった -
知らずに彷徨った時間は20分ほど
3時15分(発)まで、まだ1時間ちょっとある
それでも冷や冷やした -
ここまで来れば一安心
海外旅行は何度しても緊張する
緊張の最大の要因はやはり言葉の壁 -
搭乗口からバスに乗って飛行機まで、タラップを上って
「兼高かおる世界の旅」と時代がちゃうぞ!
「1959年12月13日~1990年9月30日:30年10か月」
この番組を見ていた当初は、海外旅行なんて夢の世界 -
窓側ではなかったが、三座席中央
エコノミー一番前で足が伸ばせてラッキー -
すぐ前はビジネスクラスの席
宝くじ高額賞金が当たれば乗ろう
毎回買ってるけど、いつ当たるのか? -
見た目は良くても味は今一
それでも出してくれることに感謝! -
無事に関空着陸
思えば最近海外旅行の際に遺言書を書かなくなった
過去何度か書いて出発したが、たまに書くのは良い
まだ誰も読まず仏壇の引き出しの奥に眠っている
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■関空到着、我が家へ
日本時間6時17分関空に無事到着。午後7時過ぎには到着出口から出ていたが、一時間一本の「関空⇔ポーアイ」船便ベイシャトルの次のバスが7時50分なので三階レストラン街、信州そば處「そじ坊」で休憩。「おろしざる蕎麦定食」¥820円を食べる。
そして時間が来てバスターミナルに行くと大勢が並んでいた。一台では乗れず次の二台目に乗って船着き場に。二台に分乗したのは初経験、なんで?まだ台風で連絡橋にタンカーがぶつかった影響でアクセスが通常ではなくベイシャトルの利用者も多いようだ。
8時40分過ぎマイカーに到着。我が家に向かう。阪神高速をひた走り、我が家に帰ってホッとする。午後9時19分。早速仏壇に線香をあげ旅からの無事帰着を感謝!ついでパソコンの電源を入れデジカメSDカードを一枚づつ挿入。全部パソコンに入力を完了。
やれやれ、しかし私の旅は旅行記完成を持って終了となる。これからの方が長い、時間も掛かる。最後にスマホの歩数計を確認した。
今日は歩数「13383歩 9.9キロ」初日「16,041歩、11.8キロ」、二日目「33348歩:24.6キロ」、三日目「歩数30984歩、22.9キロ」
四日間合計歩数=93756歩、四日間徒歩キロ=69.2キロ 今回は本当に上海歩き旅だった。良く歩いた! -
着陸後10分程で出口から出て来ている
リュック一つなので荷物を待つ必要もなく -
関空3階 信州そば處「そじ坊」
時間待ちで食事の時は大概ここに来る -
おろしざる蕎麦定食:¥820円を食べる
-
まだ関空アクセスは通常に戻っていないのか?
バス乗り場にこんなに人が並んだのは見たことない
一台で乗れず二台目に乗る -
バスの中央部はトランク置き場
座席は多くない -
関空からポートアイランドへ向かって
大阪湾を約30分で横断する -
船を降りて駐車場へ向かう
-
駐車場は台風被害で半分ほどが使えない
駐車場には先頭グループで到着 -
阪神高速3号線を一路我が家へ
左側はホテルオークラ -
無事帰宅
今日の歩数「13383歩 9.9キロ」
四日間合計歩数=93756歩、四日間徒歩キロ=69.2キロ
今回は本当に上海歩き旅だった。
六回目の上海
1998/平成10年、長男の上海留学を機に私も中国と縁が出来た。中国語を学び始め一人で大陸の各地を旅するようになった。そのうち戦跡を巡るという目的の旅が多くなり行き先も満洲が多くなった。
上海の過去5度のうち三度は長男訪問であり、二度は経由の為の上海。今回初めて上海での日本人の足跡を訪ねることになった。しかしながら上海は足跡が多過ぎてどこに行けば良いのか途方にくれた。
第一、第二次上海事変と上海での大戦争もあり戦跡も物語りも沢山あるのだろうが、調べること叶わず。ガイドブックを手に戦跡ではなく日本人が多く暮らしていたところを歩いて見ることにした。
敗戦までの上海は最多10万人もの日本人が暮らしていたそうで虹口地区が実質日本人租界だった。虹口を歩けば確かに足跡は至る所にあるが、今その虹口で日本人の暮らす姿は見かけなかった。
敗戦によって上海在住だった日本人は築いた家も財産も放置し日本に引き揚げた。それは上海だけではなく外地にいた日本人すべてがそうだった。戦争とその結果、その後を今の私が当時の人たちの気持ちを含めて想像しようにも難しい。
確かに敗戦のどん底から世界の主要国「G7」にまで成り上がった日本。その底力は認めるが、何とかここらで真の日本の姿を国も国民も取り戻して欲しい。その為には現行憲法を即刻廃棄し大日本帝国憲法の改正若しくは新憲法創憲が始めの一歩であり、国軍を有する普通の国になることだ。
これは旅行記というより私の能書きであり、子孫に残す私の想い。でも「フォー・トラベル」はいつまであるのかなあ?私亡きあともネット上から消えないことを願いながら作っている。でもあっけなく消え去るかも?仕方がないけど。
平成29年上海在住日本人数「56,690人」 今の上海日本人街は古北地区らしい。さあ来年はどこに行こうか?まだ未定。
2018/平成30年12月吉日(記)
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