2019/02/14 - 2019/02/18
303位(同エリア1037件中)
明石DSさん
ビエンチャン最後の朝食
朝から雨でテラスには出れず
結局展望テラスでの朝食は初日の一回だけだった
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////
2019.平成31年2月17日(日)・18日(月)
■ビエンチャン最後の朝
三泊五日ラオス・ビエンチャンの旅もあっけなく最後の朝を迎えた。乾期の旅なので暑さは気にしたが雨は念頭になく降らないもんだと思っていた。でも昨晩は雷雨にみまわれ今朝は目が覚めたら雨音が聞こえる土砂降り模様。
最後の一日、歩き回っての市内観光予定だったのに無念なり。まあ天気だけはどうしようもない。諦めて5階の朝食へと4階の「444号室」から階段を登って食堂へ。日曜日の朝だからなのか客は少なく閑散としていた。
そしてオープンテラスの床は雨に濡れ、当然だがテーブルに座る人はいない。最後の朝食は「サンドウィッチとお粥」どちらも美味しかった。腹ごしらえをし、最初は「歩こうか?タクシー?トゥクトゥク?」と正直ちょっと迷ったが、すぐに覚悟を決め雨が幾ら土砂降りでも歩いて行くことにした。
傘が無いので一階フロントで「傘を貸して」と頼んだが「傘はありません」と言われた。近所のコンビニもまだ開いていなかったけどヨロズ屋のような店があったのを思い出して小雨の中を傘を求めて出て行った。その店は7時過ぎなのに全面オープン。
やはり今朝は雨だからか傘も沢山ぶら下げてあった。その内の大きな傘を一本手にして店番の“オバチャン”に「これっ ハウマッチ?」と聞くと「¥50,0000キープ(¥650)」。これで準備OK。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
目覚めの時は土砂降り、その後は降ったり止んだり
この写真を見れば、ちょうど雨が止んでいた時だろう -
ホテルに貸し傘の用意なく傘を買いに出る
隣のコンビニ店はまだドアが施錠されていた -
そういえば近くに雑貨屋があったと思い出し
小雨の中を歩いたら朝早くから“おばあちゃん”が店番してた
嬉しいことにいろんな傘がぶら下がっていた
一番大きくて頑丈そうな傘を買う
これで良し!雨がどれだけ降ろうと歩き回るぞ! -
チェックアウトの為に綺麗に片づける
いつもながら気合がはいる
「立つ鳥跡を濁さず」・・・フフフとニヤケル
//////////////////////////////////////////////////////////////////
■雨の中歩いて観光地巡り
部屋に戻っていつもように「俺は日本人だ!」と、気合を入れゴミ一つ残さないよう部屋を片付け一階に降りた。午後5時この一階ロビーで空港送迎の“Mさん”と待ち合わせなのでリュックをフロントに預ける。小雨になっていたが傘をさして出発。
メコン川沿いを東に向かう。今日の目標は七ヵ所。パトゥーサイは行きたい場所であったが、それ以外は一応ビエンチャンに来たのだから行って見ようというだけの所。
①「ワット・シーサケット」:②「ワット・ホー・パケオ」:③「ワット シームアン」 :④「タート ルアン」:⑤「パトゥーサイ」:⑥プラザ・ホテル「菊」で昼食:⑦タラートサオ ショッピングモール
ホテルからメコン川沿いを歩き広場から「チャオ・アノウ通り(Chao Anou Road)」に入る。仏教寺院「ワット・チャン(Wat Chan)」の前を北に歩き「セーターティラート通り」を東に・・・。寺院銀座なのか?それともビエンチャンには至る所に寺院があるのか?立派な黄金色の寺院が次々にある。
貧国ラオスの首都ビエンチャンで何故こんなに立派な寺院が数多く維持できるのか?寺の名前もその場では何も分からずただ次々「境内に入りキョキョロして出る」の繰り返しで寺を巡りながら歩いた。
帰国後写真を見ながらその時の寺が「ワット・オントゥ(Wat Ong Teu)」であり「ワット・ミクシー(Wat Mixay)」だったと知る。これも“Google・Map”のお陰だ。日曜日だが雨の早朝、人の姿はほとんどなし。信者の寄進で寺が維持できてるのならラオスの人たちの信仰心は本物なのだろう。
日本も寺社仏閣はコンビニの数より多いと言われているし、我が家の周辺にも大小様々だが寺も神社も多い。数で言えばビエンチャンよりも多いかも。神社もお社だけはあっても神主の常駐していない神社も数多くある。それでも地元有志が境内を当番で掃き清めたり維持管理している。
私は結婚で今の所在地に来た「よそ者」なので地元神社や寺の祭りや行事に呼ばれもしないが、地の人たちの伝統を守り次代に繋ぐ努力に敬服し感謝している。人間生きて行くに金だけではない。ビエンチャンではホームレスのような人は見なかった。去年行ったハワイ・オアフ島では何人も見たが。
そして一昨日に“Tさん”と入った喫茶店「ジョマ(Joma)」、そしてナンプ広場前を東に進み「ブルネイ・ダラサラーム国大使館」「迎賓館・大統領官邸(Presidential Palace)」前を通り最初の目的の場所「ワット・シーサケット」へ辿り着いた。 -
メコン川の風景も、もうすっかり馴染の風景になった
悠久の歴史と共にある変わらぬ山河 その風景こそ心打つ -
「SAMURAI」の店
異国で日本に出会うと素直に嬉しい
この店の繁盛と長~く続くことを祈る -
歩きの順番
「センタワン・リバーサイドホテル」
↓
「SAMURAIの店」
↓
「ワット・チャン(Wat Chan)」
↓
「ワット・オントゥ(Wat Ong Teu)」
↓
「ワット・ミクシー(Wat Mixay)」 -
「ワット・チャン(Wat Chan)」寺院
サムライの店からチャオ・アノウ通り(Chao Anou Road)」に入る
こんな寺院がアチコチに・・・なんでやねん -
ワット・オントゥ(Wat Ong Teu)寺院の境内を歩く
雨の日曜日の朝、参詣者はいない -
セーターティラート通りからワット・オントゥ寺院を写す
狛犬ならぬピンクの狛ゾウが左右に寺院を守る
向かって(右)牙ナシ・(左)牙アリ
今のグーグル・ストリートビューに狛ゾウなし
https://goo.gl/maps/SZCur2EzDQr
狛ゾウは最近置かれたもののようだ -
ワット・ミクシー(Wat Mixay)寺院
ワット・オントゥ(Wat Ong Teu)寺院の直ぐ東隣りにある
何でこんなに多いのと思ったが、そういえば日本も多い
コンビニ5万5千、郵便局2万4千、神社寺院16万とも
日本人の宗教心・信仰心の厚さは世界でも群を抜いている -
ワット・ミクシー(Wat Mixay)寺院
門番像なのか仁王像なのか両側に立っている
雨のなか傘をさして目的地目指して歩く -
歩いていたら喫茶店「ジョマ(Joma)」があった
先日15日 “Tさん”と入った喫茶店
歩いてこそ道が繋がり自分の現在地が分かる
自分の立ち位置が分からないと面白くない -
ナンプ広場
セーターティラート通りを東に黙々と歩く -
このオシャレな建物は「ブルネイ・ダラサラーム国大使館」
ブルネイは人口40万人ほどの小さな国 在ラオス大使館は立派 -
大統領官邸前の観光客
たぶん韓国人観光客だろう -
大統領官邸を背にしてラーンサーン通りを写す
遠くにパトゥーサイが建つ
まさにビエンチャンのメーンストリート -
今日の目標は七ヵ所
①「ワット・シーサケット」:②「ワット・ホー・パケオ」
③「ワット シームアン」:④「タート ルアン」
⑤「パトゥーサイ」:⑥プラザ・ホテル「菊」で昼食
⑦タラートサオ ショッピングモール
③「ワット シームアン」から④「タート ルアン」はトゥクトゥク移動
その他 ホテルからすべて徒歩による移動
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////
■ビエンチャン観光の始まり
時刻は午前8時半頃、もうすでに観光客の集団のお出ましタイム。それも韓国からの観光客がほとんどだった。路上に駐車の観光バスに書かれているのはハングル文字。
①「ワット・シーサケット(Wat・Sisaket)」入場券は¥10,000キープ(¥130円)
『1551年にセーターティラート王による建立と伝えられるビエンチャン最古の寺院である。現在の建物は王国時代の1818年(1824年説あり)に建設されたもの。』
1800年代建立で戦火を逃れ建立時の原型を留め価値が高いとのこと。周囲の回廊に仏像がずら~と並ぶ。
②「ワット・ホーパケオ(Wat・Ho Phra Keo)」に入る。「ワット・シーサケット」の斜め向かい側
入場料はシーサケット同じ¥130円 ラオス人は3000キープ(¥39円)
『1565年にエメラルド仏を安置するために建立された王立の寺院。後にタイとの小競り合いで寺院は破壊されエメラルド仏はタイに持ち去られた。現在の建物は20世紀に入ってからの再建で資料がないので建物の原型は不明。エメラルド仏を持ち帰ったタイは、バンコクにワット・プラケオを建立、本尊として安置している。今ではバンコク観光の目玉寺院』
「へぇ~そうなんか・・・」 タイとの争いで持ち去られたのが真実ならラオスとタイとの関係がそれだけで分かる。強国と隣り合わせの弱国の悲哀であり、何故強国となり得るのか?弱国としての位置から抜け出せないのか?
すべてに理由があり原因がある。そして当然だが強国であるべき。富国強兵を目指すことによって人は人としての道を外さず真っ当に生きれる。だが強国になればなるほど自らを厳しく律し、他に優しくなれれば最高なり。
この寺院の参観中も周囲は皆韓国人ツアーの集団ばかり、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ので○○人を見たくもない。しかし仕方がない。ワット・ホーパケオを出て次に向かうのは「ワット シームアン」 -
①「ワット・シーサケット(Wat・Sisaket)」
朝8時半 観光客もそこそこ来ていた -
『1551年(室町・戦国)にセーターティラート王による
建立と伝えられるビエンチャン最古の寺院』
戦争で破壊され現在の建物は王国時代の1818年建立 -
周囲の回廊に仏像が並んでいる
本堂、回廊合わせると6840体になるそうだ
とりあえず来てみた観光なので・・・気分は乗らず -
寺院を出たらハングル文字バスが
韓国人観光バスばかり
品性下劣のストーカーに付きまとわれるが如く -
②「ワット・ホー・パケオ(Wat・Ho Phra Keo)」
入場料はシーサケット同じ¥130円 ラオス人は3000キープ(¥39円) -
エメラルド仏をタイに奪われた寺院
エメラルド仏の伝来
エメラルド仏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89%E4%BB%8F
この時、観光客は韓国人オンリーだった -
支○○鮮人と価値観異なり
異文化ながら顔が似てるのが痛恨の極みなり
慰安婦・徴用工。侵略等々嘘八百並べ立てる奴ら
奴等と関わるべからずこそ日本が選択すべき道 -
ワット・ホー・パケオ寺院を背に写す
こんなところだった -
ATMが所々に設置されていた
使い慣れた者には便利なのだろう
使い方今一分からず、英語も分からず -
中国援助・・・か 中国人らしい
援助の押し付けもいとわず
「恥を知る文化」と「見栄と面子の文化」は相容れぬ
もっとも今の日本、生活保護を恥と思わぬ輩がいる
私の中ではそんな奴らは乞食以下だ
しかし誰であっても、この世に無意味な者なし
例え殺人鬼といえど存在の意味あって世に出る -
City Pillar Shrine
直訳「市柱神社」
ワット シームアンに行く途中 こんな神社が -
ワット シームアン
案内看板に「Smke Free Temple(喫煙自由な寺院)」との表記あり
そういえばさっきの「ワット・ホー・パケオ」も同じ表記があった
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
■ ③「ワット シームアン」 入場無料(Smke Free Temple 喫煙自由な寺院)
『1563年、セーターティラート王がこの寺院を創建する際、神に捧げる人身御供(ひとみごくう)、いわゆる“生けにえ”が必要となりました。誰も生けにえに名乗りでない中、「シーさん」という若い妊婦が、寺院建立のために、支柱を建てる穴に飛び込み、自らと母体の子の命を捧げたのです。』
「人身御供」、今の世では理不尽極まりないことだと思うが、一年に一度罪なき人が「人身御供」「生贄」として命を捧げる掟があれば世の中はどうなのか?「自主的に誰かが名乗り出るのか?」そうでなくば「誰が選ばれるのか?」
そんな「掟」があれば現実の生活が幾ら厳しくとも「生贄」にならずに命あることだけで文句は言い難い。そして自ら生贄に名乗り出れば英雄となる。冷徹な命の遣り取りがある社会には常に緊張感がある。強者の庇護を受けた能天気な似非平和は人を限りなく堕落させる。
震災や災害の犠牲者にはメディアを筆頭にいつまでもことこまかく追跡し慰霊を訴え有識者も右に倣えと哀悼のコメントを発し続ける。震災での犠牲者と国を守る為に戦った戦争での犠牲者は根本的に意味が違う。その戦死者が祀られた靖國神社に参拝もしない日本人は地獄に落ちて当然だ。
戦後日本社会は偽善と似非ばかりが脚光を浴びているが、その罰は因果応報としていずれ子々孫々の代に受けることになる。戦死者を人身御供と同じとは言わないが、戦争で散華した同胞は我らの今を自らの犠牲で守ってくれた人たちだ。
「自分の国を自分で守る」人として基本中の基本を放棄し、誤魔化しばかりの似非・偽善の社会は地獄への入り口に他ならない。戦後日本で日本の危機を訴え自ら腹を切った英雄が「三島由紀夫」だ。
【憂国忌】三島由紀夫最後の言葉【檄文】
https://dajya-ranger.com/patriot/yuukoku-ki-gekibun/
寺の内部はやはり女性が多かった。ここは観光寺とは違って地元女性が日常的にお参りに来るお寺であると言うのが良く分かった。まず雨の中歩いて最初の三ヶ所には迷うことなく到達。ここから次の目的地「タート ルアン」は遠いし雨ということもあってトゥクトゥクを探す。 -
雨が降ったり止んだりが続いていた
妊婦のシーさんが自ら人身御供になった寺院
誰かのため、何かのために自らの命を犠牲にする
それ以上に崇高なことはない -
ビエンチャンで一番人気のワット・シームアン
シーさんが守り神ということもあって女性の参拝客が多い -
本堂内に入って見ればなるほど女性参拝者が多かった
由緒ある観光寺院と違って、庶民の身近なお寺のよう
坊さんに相談したり先祖供養をしてもらったり -
ビエンチャンで一番人気の寺だった
それもやはり女性が圧倒的に多い
背筋が伸び凛とする威厳ある神社寺院も良いが
気軽に人が集えるこんなお寺もいいもんだ -
ワット・シームアンに来て良かった
ここに来ていなければビエンチャンの寺院は
多分あっけなく脳裏の片隅から消えていた
シーさんのお陰で今も救われている人たちが大勢いる
それがここに来て堂内に入って実感できた -
「ワット・シームアン」から「タートルアン」まで
“Google・Map”で約4キロ 徒歩1時間弱
雨で靴も靴下もグジョグジョ、我は“オジン”
トゥクトゥク移動を迷わず選択する
///////////////////////////////////////////////////////////////////////
■トゥクトゥクでタートルアンへ行く
歩いて来る途中止まっていた軽トラックのトゥクトゥク目指して行ったらまだそこに止まっており運転手もいた。ワットシームアンからタートルアンまで約4キロ 運転手に声を掛けて値段交渉、“Tさん”から相場は市内なら遠くても5万キープくらいと聞いていたので運転手が5万と言ったのを3万に値切り交渉成立。
ビエンチャン最後の日で財布にはキープもまだあったので値切らずとも良いのだが、他の旅行者の為にも値切る、ハハハ。ガタガタと荷台の乗り心地は悪いし雨も入ってくる。10分も走らず到着。
トゥクトゥクが止まったのはタートルアンの隣の寺院「ワット・タートルアンタイ(Thatluang Tai Temple)」
残念ながら予備知識なく寺の外観の写真を撮っただけでスルーしタートルアン方向に向かう。ここは『元ラオスの僧侶が教えるビエンチャンのおすすめ寺院観光4選!http://thisway.fun/2018/08/04/vientiane-temple4/』の一つの寺だった。
折角この場に来ているのに「ワット・タートルアンタイ」の天井に書かれている美しい曼荼羅図も涅槃像も見ないままとなる。
④「タート ルアン」に再訪
一昨日来たのに再訪した目的は只一つ。雀を逃がすこと。案の定雨の中も雀の籠をぶら下げた“オバチャン”が広場に立っていた。この前来た時値段を聞いただけで「高いからやめとこう・・・」となったのが何故か心に引っ掛かっていた。
功徳など期待しないが雀の数羽でも逃がしてやりたいと素直に思ったから。値段交渉などせず、それでもケチって一籠2羽入りのを2万キープ(\260円 一羽¥130円也)で放す。雀は一瞬にして大空へ。
性分ケチなので、その時は「これでええや」と思って歩き出したが、途中あまりにケチ臭く感じてもう一度さっきの“オバチャン”の所に行って二籠合わせて10羽入りを10万キープ(¥1300円)を払って放鳥。籠から出る瞬間をデジカメで撮影しようと構えたが写っていなかった。
“オバチャン”は私の方を見てニヤッとしながら持ってる籠を私に向けて「これ全部・・・」とジェスチャーしたが、私もニヤッとし断った。自己満足す。 -
軽トラ・トゥクトゥクの荷台に乗って
運賃は5万を値切って3万キープ(\390円)
一応荷台に幌掛けだが
雨が吹き込んで来る
贅沢言えぬ、歩きより楽 -
10分程で到着
「ワット・タートルアンタイ(Thatluang Tai Temple)」
タートルアンの隣の寺院に停車 -
再びやってきたタートルアン
-
早速雀籠を抱えた“オバチャン”に近づく
-
わざわざ放鳥の為に来ておきながら
一籠2羽入りを逃がして帰ろうとした -
帰り掛けたが、あまりのセコさに引き返す
-
二籠合計10羽
-
デジカメ写真を撮ろうと構えたが
-
あっけなく雀は飛び出して行く
-
結局一度も飛び出す瞬間は写せず空になる
-
“オバチャン”に「これ全部・・・」と言われたが
やはりケチは死ぬまで治らないので断った
籠の雀はどれくらい拘束されていたのか?
飛び出しと羽ばたきは元気そのものだった -
「23・シンハー通り(Rue 23 Singha)」
パトゥーサイに向かって南に歩く
この時歩道を走って来た原付バイクが
私を追い越して行き(写真の原付)ヒヤッとした
原付はこの先にある交番所勤務の警察官だった
//////////////////////////////////////////////////////////////////
■ゆっくり見学したかったパトゥーサイへ向かう
放鳥したあと「23・シンハー通り(Rue 23 Singha)」旧タートルアン通りをパトゥーサイに向かって歩く。歩道を歩いていたら後ろから歩道を走って来たオートバイが横をすり抜けヒヤッとした。「何じゃ 危ないなあ」と思っていたらそのオートバイは直ぐ先の交番所勤務の警官だった。
飲酒運転もお構いなしのラオスなら歩道を警官がオートバイで走っても普通のことだろう。
外務省前( Foreign Ministry):ベトナム大使館(Embassy of Vietnam)そして大使館の隣にあるトヨタの前、そして一昨日の夕食を食べたレストラン「タムナック・ラーオ」の前を歩きパトゥーサイにやって来た。ここが今日の観光ハイライトの場所。
⑤「パトゥーサイ」
パトゥーサイに近づいたらその前に一見して「なんじゃこりゃあ」という、この場にまったくそぐわないモニュメントがあった。前足を上げ鼻を空に伸ばしたゾウが四隅に立ち、その中央に塔がある。陶器のコップと皿で作ったようなモニュメント。
案の定表示を見れば中国が寄贈したラオス中国友好のモニュメント。下らんの一言であり、下らん支那の押し付けだろう。ラオス人がこんな下らん物を望むとは露も思わず。下らん!
パトゥーサイ前の噴水も中国政府から贈られたとの表記があった。どう考えても支那の膨張は世界を不幸にする。中国は同じ黄色人種、アジアの一員だが、まだ米国欧州の白人世界が世界をリードする方が安心感がある。ましてや共産主義・社会主義は最悪なり。
雨だがパトゥーサイはさすがの人気で観光客が多い。市内の中心部メーンストリートにあり上に昇れば周囲360度が見渡せる。それが私にとって一番の魅力だ。見知らぬ所に行けば、自分の立ち位置を確認したい。
ビエンチャンって街はどんな街、今自分がそのビエンチャンのどこにいるのか?全体をより見渡せる場所が良い。¥3000キープ(¥39円)の入場券を買い階段を上る。
『1962年から、内戦の終結とパテート・ラーオの勝利を記念して建造が開始された。ラーンサーン通りをパリのシャンゼリゼ通りに見立て、パリのエトワール凱旋門を参考にして建設を行ったと言われているが、それ自体はラオス様式である。資金難により工事が貫徹されぬまま終わり、現在でも未完成のままである。 』
「資金難により未完成のまま」・・・ハハハ。ビエンチャンの象徴も、ラオス人気質を象徴している。それで良し!内部はどの階も土産物店、“Tさん”の話しでは「ここにはラオス土産の種類も多く程度も良い」らしい。でも私は土産物に興味なく。見て回るだけ。
『アヌサーワリー・パトゥーサイ。「アヌサーワリー」は「記念碑」、「パトゥーサイ」は「勝利の門」という意味である。』
『1F チケット売り場、売店』『2F 階段踊り場』『3F 土産物フロア1』『4F 土産物フロア2」『5F 土産物フロア3 展望バルコニー』『6F 土産物フロア4 展望バルコニー』『7F 展望楼』
グルグル回りながら時折外を見て上へ上へと上る。最後は鉄の螺旋階段になっており展望台へ。観光客は結構いるのに何故か?螺旋階段を登って最上の展望台に私一人。東西南北高層ビル林立の風景のないラオスの首都ビエンチャンが一望できた。
ビエンチャン観光に来てパトゥーサイの展望台に上らずに帰る人は果たしているのか?ここを知りながら上らないならその心は? -
道沿いにあった外務省
「MINISTERE DES AFFAIRES ETRANGERES」
フランス語 外務省 -
ベトナム大使館
-
ベトナム大使館の南隣にトヨタの販売店があった
-
トヨタの南隣に15日(金)の夜来た
レストラン「タムナック・ラーオ」があった
そうかここやったんか・・・ここまで来てたんや
その時は二日目の夜、土地勘なく歩いていたが
ここに来てビエンチャンの鳥観図が
少しは頭の中に浮かぶようになった -
ビエンチャンの象徴ともいえるパトゥーサイ
その前に設置されたモニュメントを遠くで発見し愕然とする
遠目で見て直ぐにそれが何であるのか、私には分かった
支那の押し付けだろう・・・と
受け入れたラオスもバカだがシナはホンマ嫌な奴等だ
下らんモニュメントの横に中国寄贈と漢字で赤文字の立て札 -
さすがに雨でもここには観光客が多い
好天気の日曜日ならもっと賑やかだろうに
残念だが仕方がない -
凱旋門の内部に入る
傍にくればやはり大きい
「大きい」「高い」はそれだけで存在感がある -
入場券売り場と入場口
このパトゥーサイは1962年から建造開始だそうだが
資金難で未だ未完成とのこと
この写真を見ても建物内部は汚い -
どの階も土産物でぎっしり
土産物に興味ないので素通りしながら階上へ -
パトゥーサイ周辺には結構人がいたけど
内部には人があまりいなかった
雨が降っているのに入る人少ないのが不思議 -
資金難で未完成・・・というのが納得
一体、あの階段はどこに通じるの?
1962年着工から2109年の今年で57年
未だに未完成は国家ぐるみのジョークなのか? -
途中に展望バルコニーがある
そのたびに外に出て周囲を眺め写真を撮る -
この螺旋階段で最上階の展望楼へ
最上階は7階になるのか・・・ -
7階展望楼で北東方向を写す
正面まっすぐが
カイソーン・ポムウィハーン通り(国道13号線)
右斜めが私が歩いて来たタートルアンに繋がる道 -
北西方向
目の前の赤い屋根 白壁は「政府機関」 -
南西方向
正面大通りがラーンサーン通り
大統領官邸が正面突き当りにある -
南東方向
手前黒屋根「法務省」 赤屋根白壁「市庁舎」
写真左側奥の高層ビルは25階建て五つ星ホテル
ムオン タン ラグジュアリー ビエンチャン
(Muong Thanh Luxury Vientiane) -
地上150mの超高層ビル建築中
ワールドトレードセンター ヴィエンチャン
(World Trade Center Vientiane)
https://www.asiatravelnote.com/2013/08/08/skyscrapers_in_southeast_asia.php -
サラバ!パトゥーサイ
“ゆっくり”見学したつもりだが
滞在30分程だった -
ラーンサーン通りを南に歩く
今朝買った傘
¥50,0000キープ(¥650)
///////////////////////////////////////////////////////////////////////
■昼食を食べにラオ・プラザホテルを目指す
パトゥーサイには30分ほど滞在して満足す。次の目的地はラーオ・プラザ・ホテルの高級和食店「菊」。雨も上がり南に歩く。「招き猫」のある銀行を右に曲がり「タートダム」方向に歩いていたらマッサージ店があった。時刻は11時過ぎだったのでビチャビチャの足のまま入る。
またアロママッサージを1時間¥80000キープ(¥1040)で、一昨日と同じ内容で施術だったが安かった。日本ではアロママッサージなんて高いし、と思っていたがネットを見れば日本でも4~5千円くらいであるようだ。
マッサージで気分一新、タートダムを通り抜けて高級ホテルにそぐわない身なりの“おっさん”一人、プラザ・ホテルの高級感溢れる「菊」に到着。さすが「菊」と思う店構えと室内だったが客はいなく私一人。「えっ、まだ午後1時になってないのに・・・」
店と和様の制服を来た現地女性スタッフの心配りは素晴らしいけど、これでやって行けるの?と要らぬ心配をしてしまった。焼肉弁当を注文。まず「お手拭き」「ナプキン」と「付け出し二品」が出て来た。日本人板前の料理のようで美味しい。
「焼肉弁当」「茶碗蒸し」「味噌汁」「香の物」も日本で食べるのと相違なく美味しかった。お茶を少しでも飲むと、すぐに女性スタッフが継ぎ足してくれる。それには恐縮と苦笑い。他に客がいなかったので手持無沙汰だったのだろうけど・・・。
昼食後、最後の観光場所「タラートサオ ショッピングモール」へと向かう。また「タートダム」を抜けてショッピングモールへ -
何回見ても可愛い招き猫
この銀行を右に曲がってラオ・プラザホテルへ向かう -
昼食時に二度目のアロマ・マッサージ
マッサージ店を出たら12時36分 -
タートダム
ビエンチャンに来てから何度もこの道を歩いた -
2月17日(日)午後2時41分
雨上がりのサームセンタイ(Samsenthai Rd)通りの様子
この少し先にラオ・プラザホテルがある
“Google・Map”ストリートビュー↓と、この写真の間違い探し?
https://goo.gl/maps/HEuSnijoFPq -
ラオ・プラザホテル
ここの日本料理店「菊」で昼食
今日の目標:七ヵ所の六ヶ所目、残りは一ヶ所 -
午後12時44分 「菊」に客は誰もいない
まだ昼飯時のはずなのに・・・なんで? -
客はいないが高級感はある
この店内でラオスを感じるのは女性スタッフだけ -
焼肉弁当を頼んでしまったけど
もっと和食らしきを頼めば良かったと後悔
でも美味しかった 満足! -
ラーンサーン(Lane Xang)通りにあるので何度も前を通ってた
朝から雨の中を歩いたので靴も靴下もグチュグチュ
ここで靴と靴下を買うつもりで入った
////////////////////////////////////////////////////////////////////////
■「⑦タラート(市場)サオ(朝) ショッピングモール」
2015年に中国資本の新しいショッピングモール「ビエンチャンセンター」が出来ているそうだが、タラートサラは2007年完成、ビエンチャン最大のショッピングモール。この時は雨でグジュクジュになった靴下と靴を買うつもりで探して歩いた。
靴屋も何軒もあったが気に入った靴がなく、靴下はなかなか見つからず。迷路のような巨大ショッピングセンターなのか市場なのか?分からないけど行ったり来たりでやっと靴下を見つけて購入。25000キープ(¥325円)
靴は気に入ったのがなかった。幸い靴には穴が空いていた訳ではなく靴下が濡れただけでの湿りで、脱いだ靴下の濡れていない所で靴の中を拭いたら中は問題なくなった。そして靴の外側の泥にまみれ濡れたところを拭いていたら徐々に湿りも少なくなり表面が元の色に戻って来た。
タラートサオで20分程うろついていた。日曜日の大型ショッピングセンターもそんなに人出は多くない。メコン川沿いの夜店のほうが遥かに賑わっている。金売り場は別として別段商品の高級感もないしこんなものだろう。
グチュグチュの足元が新しい靴下に履き替え靴の内側を拭いて気分一新、気持ちよく歩けるようになった。ナンプ広場から朝も歩いた「セーターティラート通り」に戻り路地角にあった「トゥルーコーヒー(True Coffee Vientiane)」 に午後2時40分入る。
タイのチェーン店らしい。どこに行っても白人が多い。フランスの植民地であったこともあり欧米系白人、特にフランス人がおおいようだ。この喫茶店にも白人客が何人も座っていた。
カウンターでメニュー表示を見て注文したのが「エスプレッソ」 そして一人客だしテーブル席は空いていなかったので窓際のカウンター席に座る。そして運ばれて来たコーヒーカップを見て苦笑い。「しまった!そうか忘れてた・・・」と。
ウェイトレスが指でつまんで持ってきたコーヒーカップは超ミニサイズ。普通のコーヒーカップの半分の大きさとあるが、見た目もっと小さく感じた。二年前にイタリアに行った時にもエスプレッソを頼んで苦笑いだったのに、すっかり忘れてた。
周囲を見てもみんなアイスなのか大きなコップをテーブルに置いてストローで飲んでいた。“オジン”の私がミニチュアドールハウスの中にあるようなミニカップを一つだけカウンターに置いてる様は滑稽でしかなかったが、コーヒー通のすまし顔で他に何も頼まずチビチビ飲んだハハハ。¥16,000キープ(¥208円)
超ミニカップコービーで苦いコーヒーをチビチビ飲み30分休憩。通りに出たら直ぐのところに果物ジュースの屋台があったのでスイカジュースを飲んだ。こっちの方は超美味かった。 -
店も多くて靴屋もあったが結局買う気にならず
-
日曜日なのに店内は人も少ない
夜店の活気には程遠い -
必ずある金売り場
ここも貴金属店が並ぶフロアーがあった
ゴールドは価値ある 紙幣は信用できなくても
金の価値は世が変わっても永遠不滅だろう -
この店で靴下購入
25000キープ(¥325円)
店を出てすぐに靴下を履き替えた
靴は靴底に穴はなく靴下を脱いで
靴中を拭き取ったら湿り気もなくなった
気持ちよく歩けるようになった -
トゥルーコーヒー(True Coffee Vientiane)店に入る
-
感想:ビエンチャンには白人が多かった
-
痛恨のミス エスプレッソ
メチャメチャ小さなカップにコーヒーがちょっと
エスプレッソなんて絶対頼みたくないのに・・・
笑うしかないくらいの小さなカップ一つ前に置き -
喫茶店の窓の外にホンダの原付が並んでた
ホンダの単車が多いのにビックリする
安い中国産単車は入ってこないのか? -
トゥルーコーヒー店を出て西に歩くと
フルーツジュースの屋台あり
スイカジュースを飲む
美味しかった -
ワット・ミクシー(Wat Mixay)寺院で
僧侶たちが足場を組んで作業をしていた
////////////////////////////////////////////////////////////////////
■メコン川の広場にて
そしてメコン川のほとりに戻って来た。午後3時半頃、今日の夜店の準備がボチボチ始まっていた。オートバイに荷車をけん引して夜店一式と商品を運んで来る。公務員も副業でやってるらしいが日々準備と片付けだけでも大変だろうに・・・。
昨日の夜も雷雨で早々の店仕舞いだったようだが、今日は朝から雨、午後からは止んでいるが空模様は怪しい。それでもみんなとりあえず店を開くようだ。ラオス・ビエンチャンの旅も残された時間はあとわずか、最後はメコン川広場で休憩。
メコン川を前にして階段に座って景色を眺めていたら、自転車に道具箱を積んだ30代後半から40代に見える女性が私に声を掛けて来た。「マニュキアをしませんか?」ということらしい。「えっ、マニュキア?爪に色でも塗るのか?」と一瞬思ったが、そうではなく爪を切ったりのメンテナスのようだった。
去年の上海旅行の際にマッサージの時、足の爪を切ったりタコを切り取って綺麗にしてもらったことを思い出した。まだキープも残っていたしやってもらう。プロの技で手際よく小型ペンチで指の爪をカットしヤスリで綺麗に爪を整えてくれる。
手の爪が終わったら「足も・・・」と言うので足もしてもらう。水の入ったペットボトルを持参しており指を洗ったりの道具一式揃ってる。確か手・足それぞれ¥30000キープ(¥490円)くらいだったと思う。
足をしてもらっていたら友達だと思うが同業者の他の女性が近づいて来て私の肩に手を置いて「マッサージは?」と聞いて来た。でもさっきマッサージをしてもらったし、なんか二人の女性にまだ明るい広場でしてもらうのは恥ずかしいし断った。
そうかこの女性たちは屋外で手足の指の爪カットや肩マッサージをする商売をやってるんか。これも副業かもだけど頑張ってる逞しい女性たちだった。他にも同業者がこの場に集まってくるのか自転車を並べ弁当を広げ仕事前の腹ごしらえをしていた。
そしてビエンチャンとの別れの時間が近づいた。メコン川沿いをホテルに向かってボチボチ歩く。左手対岸にタイを見ながら。そして初日の夜に食べたズラーと並ぶ屋台料理の店の準備も大方完了のようだった。あとは客が来るのを待つだけに。
ビエンチャンの変わりない日々の様子がある。そこを歩く私はたった三泊四日の滞在でこの地を去り、もう再びこの風景を見ることはない。旅なんて夢幻の如くなり。だが人生とて同じなんだろう。同じことの繰り返しというが刻一刻厳密に言えば同じはない。 -
この通りに「OSAKA」があり「ラ・テラス」がある
通りの先にはメコン河畔のチャオ・アヌウォン公園 -
ここにも見たくもないが中華の門がある
-
雨上がりの日曜日
今日も夕方からの夜店の準備が始まろうとしている
こうやってバイクで屋台を牽引して来る
専業ならともかく副業でやるには準備に片付けと大変だろう -
メコン川の広場を背に
「チャオ・アノウ通り(Chao Anou Road)」を写す
右斜め:仏教寺院「ワット・チャン(Wat Chan)」
「SAMURAI」屋台がここにある -
メコン川広場 午後3時35分
午後5時にホテルロビーで空港送りのガイドさんと待ち合わせ
ビエンチャン滞在もあとわずか、メコン河畔で名残を惜しむ -
広場でボ~っと座っていたら
「マニュキアをしませんか?」と自転車に乗った“オバチャン”が来た
「えっ、なに それ?」っとピンと来なかったが話しの種に頼んだ
道具一式自転車に積んでいたらしく早速その場で店開き -
「マニュキア」は爪に色を塗るのではなく「手入れ」の意味
小型ペンチで爪をカットし、足指周辺の手入れをしてくれた
手際よく慣れたものだ。手が終わったら「足も?」と聞かれ
足の指もついでにしてもらった。料金は当然「×2」 -
両手指、両足指、20分足らずでお手入れ終了
写真ちょっと向こうに座る編み笠二人も同業者
働き者の女性たち、逞しくビエンチャンで生きる
彼女たちの幸福を祈る!頑張って稼いで! -
名残惜しいがメコン川とも別れの時間が迫って来た
たった三日だが嫌な思いは一度もしなかった
旅の成否はどこに行っても対人関係に尽きる -
セン タワン リバーサイド ホテルに戻って来た
(Sengtawan Riverside Hotel)
三ッ星 日本人オーナー 5階展望レストラン -
ホテル前の海鮮屋台
今日の夜もきっと賑やかになるだろう -
ホテル一階のトイレ
小便器の位置が高すぎる
白人仕様なのか?腹立つ -
セン タワン リバーサイド ホテルのフロント
空港まで送ってくれるガイドを待つ -
約束の時間より20分早く迎えに来てくれた
ガイドの“Mさん”が送ってくれるのではなく
“Mさん”はマイカーでホテルまで来て
私の送りに運転手が別の車で来てくれる
無駄なようだがそういう仕組みらしい
///////////////////////////////////////////////////////////////////////
■ビエンチャンを発つ
ホテルロビーに到着午後4時40分。間もなく初日のガイド“Mさん”が迎えに来てくれた。送りと同じで送迎車は別に、二人で一人を送ってくれる。贅沢なり。10分ほどで空港到着、今朝買った傘を“Mさん”に渡す。
ビエンチャン空港(ワットタイ国際空港)はこじんまりで綺麗な空港だ。カウンターで搭乗手続きをし窓側席を頼む。ベトナム航空 VN920「ビエンチャン(発)19:40→ハノイ 20:50(着)」 乗り継ぎ:ベトナム航空 VN330「ハノイ 2月18日 0:45(発)→関空 6:40(着)」
キープがまだ残っていたので空港内の土産物店で孫に「ルービックキューブ」を買う。¥130,000キープ(¥1690円) 残ったのは¥13,500キープ、日本円で¥175円ほど。これでお菓子一つ買えずに日本に持ち帰る。寄付箱見当たらず。
2階の出発ロビー 搭乗口は二ヵ所しかなかった。午後7時20分頃から搭乗始まる。午後7:40分(発)が少し遅れて午後8時VN920はハノイに向けてビエンチャン空港を離陸、窓外はすでに暗く眼下も大都市とはかけ離れた灯りの少なさである。
ハノイまでの空路、水一杯が配られ一時間でハノイ着。ホーチミン空港もそうだったがハノイ空港もベトナム・ラオスの国力の違い通りの空港の大きさだ。VN330ベトナム航空:18日(月) ハノイ(発)0:45まで3時間半ほどのトランジット休憩となる。
再度の手荷物検査を受け搭乗ゲートへ。そして突然の驚くほどの雷雨に「欠航」or「遅延」が頭をよぎり心配したが無事に雨も止む。携帯の充電や土産物を少し買ったりで時間を潰して何とか日本へ帰国の搭乗時間となった。。
18日午前零時2分頃搭乗始まる。毎回思うのは同じ日同じ時間同じ所に向かう人々、国も違い理由も違う。行くのか帰るのか?それとも途中通過に立ち寄るだけなのか?とにもかくにも同じ飛行機に乗る人多し。それをいつも不思議に感じるが、沢山の人間がいればこうなる。
ハノイ→関空の飛行時間は約4時間。デジカメ時間での「ハノイ離陸~関空着陸」は3時間40分だった。ジェット気流(偏西風)は「秒速80m以上、時速300km」の風が追い風となるハノイ→関空は往路より約1時間早い。因みに台風は秒速表示。
機内食の軽めの夜食(和食)も美味しかった。ベトナム航空万歳!。薄明るくなった午前6時眼下に瀬戸内の島々が見えて来た。そして日本時間午前6時37分滑走路に無事着陸。ホッとする。 -
ホテルからあっという間に空港へ到着
今朝買った傘を“Mさん”に渡してお別れ -
空港内の売店で残りのキープで孫に土産
ミニ・キュービック
¥130,000キープ(¥1690円) -
ビエンチャン空港の搭乗カウンター
VN920 ベトナム航空 ハノイ行き -
出発ロビー 搭乗口は二ヵ所
午後7時18分ハノイ行き搭乗始まる -
さあ、いよいよ帰国だ
飛行機があっと言う間に関空に着けばいうことなしだけど
狭くて窮屈、エコノミー席は辛抱・我慢が必要だ -
ハノイ到着
あとは関空まで・・・日をまたいでの帰国となる -
ハノイ空港は大きい
ハノイには「2007:平成19年10月」以来
12年ぶり
突然のような雷雨、それも大雨、欠航が頭によぎる -
搭乗口で3時間半くらいの待ち時間
スマホ充電のコンセントが斜めに傾いているので
差し込み難い、何でこんな設計にするんや?
雷雨はいつしか止む -
すでに日は18日(月)になる
やっと搭乗始まる、乗客は一杯
毎日こんなに行き来してるのか?
一体何をしに・・・ -
窓側席に座る
空席は見当たらなかった -
ハノイから関空の機内食も美味しかった
他の航空会社もこれくらいの機内食出せるやろ!
と、思うけどなァ~ -
関空への着陸態勢に入る
もうすぐ到着だ -
なぜか機内がカラフル照明に変わる
こんなん初めて -
無事関空に着陸
飛行機は世界の空を日々飛び回っているが
墜落事故は限りなく少ない
こんな重たくて巨大な代物が空を飛ぶ
それだけでも人類は偉大なり -
デジカメ時刻は午前6時42分
ベイシャトルのバスの時間は午前7時5分
この時は17分でバス停に辿り着けるとは夢にも思わず
////////////////////////////////////////////////////////////
■帰国 我が家に
機外に出たのが午前6時46分。関空→ポートアイランドへのベイシャトルのバスの時間は午前7時5分。それまでに19分。でも入国審査に税関検査の関門があるので、これには乗れないが次の7時50分なら大丈夫だと思っていた。でも、ここに来て「もしかしたら・・・間に合うかも」と速足移動。
「人事を尽くして天命を待つ」なんて大袈裟なことではないが、どうせなら早く帰りたいと気合を入れる。な、なんと12分で入国審査・税関審査を通過しでバス停に余裕で到着。まあリュックを背負ってだからトランク待ちがなければ早い。
関空桟橋を7時15分出航。大阪湾を横断してポートアイランド桟橋へ到着。68才最後、平成最後の海外旅行は無事に帰宅となった。
我が家に到着後は仏壇の前に座り、ご先祖に感謝。そしてパソコンにデジカメの写真のSDカードを順次入力。すべてを入力し終えホッと一息。 -
機内食は最高!のベトナム航空 VN330便
-
午前6時58分にはバス停到着
入国審査→税関検査を受け
機外に出てたったの12分でここまで辿り着く -
関空桟橋午前7時15分(発)ベイシャトルに間に合った
-
大阪湾を横切ってポートアイランドを目指す
-
ポートアイランド到着
-
駐車場で待つマイカーに向かう
そして我が家へ
でも、でも 深夜便で帰国し車の運転は超危険
眠かった、居眠り運転でヒヤッとする
眠気が来れば仮眠しなければ地獄に落ちる
ご先祖が守ってくれたと感謝、感謝!
40回目の海外旅行も無事終了となる
////////////////////////////////////////////////////////////////
ラオス:ビエンチャンの旅を終え
ラオス・・・か。日本の本州と同じくらいの面積に人口はたったの700万人。首都ビエンチャンにその一割の70万人が暮らす。日本でラオスのニュースを新聞・テレビで見聞きすることもなく、ラオスの政治家の名前も著名人も誰一人知らず。
日本とラオスの国家間の問題も対立も聞かず、日本にどれほどいるのかいないのか在日ラオス人のことも知らない。何となく知っていたのはベトナム戦争時にホーチミンルートへの空爆で大変だったということくらい。
この旅を前に少しは調べたが「百聞は一見に如かず」で、ビエンチャンの地に足を踏み入れて三泊四日だけだが貴重な体験が出来た。一番の印象はラオスの人たちの表情というか、人に接する態度に「トゲトゲしさ」や「きつい感じ」がない。
ラオス人の奥さんを持ち在ラオス邦人“Tさん”曰く「泥棒も多いし、非常識な者も多い」というのも事実だと思うが、幹線道路でも車の警笛音もなく街は静かだ。貧しい国ということだけど、いるのかいないのか?一度も物乞いは見なかった。ホームレスや乞食のような姿も見掛けなかった。
“Tさん”が言っていた「貧しいけど貧しさを感じない」その言葉が、ラオス初めての私も頷ける。ラオスに好感を持った。ビエンチャンへの再訪はないと思うが「ルアンパバーン」には行ってみたいと思う。その時にも今回同様、接するラオス人皆が優しい人であるように・・・。
2019/平成31年4月吉日記す
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
122