2000/04/21 - 2000/05/22
83位(同エリア138件中)
milouchatさん
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[2つの海峡を越え2大陸にわたる大旅行なので
2部に分けるつもりだったが、思いのほか写真が
少なかった (紛失?) ので1つに纏めた…]
レイル・パスと言えばユーレイル・パスが有名だが
それはヨーロッパ以外に住んでいる人が対象のパス。
それに対しヨーロッパに6ヶ月以上 住んでいる人には
同様のインターレイル・パスがある。
そこで近所の旅行社 STA Travel で1ヶ月パスを購入。
現在と違い、当時は A から H までのゾーン制になっていて、
Zone F には ONCFM (モロッコ) が含まれると分かったので
Zone E :フランス、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダ
Zone F :スペイン、ポルトガル、モロッコ
が乗り放題の 2Zone を 235ポンドで (当時のレートで 38,376円)。
元が取れたかは分からないが、何より (当時は) 行き先を知らなくても、
ふと飛び乗れる "自由旅行" の必需品。
極端な場合、例えばパリで0時頃、行き先は問わず
適当な長距離列車に乗り込み、朝の4時頃どこかの駅で降りて、
逆向きに乗り換え、朝パリに戻るホテル代わりにも使えた。
昔はコンパートメント式が主流だったから運がよければ
1室1人で占有でき、横になって寝ることもできた。
今回の目的はカンヌ映画祭とモロッコのタンジェ、ポルトの橋
そして『冒険者たち』のラ・ロシェルに行くことだったが…
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 ヒッチハイク 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
面白いことに、乗る列車情報 (乗車駅、日時など) は
写真のように自分で記入する。従って
TGV など指定券が必要な一部の列車を除き
事前の手続きは一切なしで適当に停車中の
列車に乗っても車内で記入すればよかった。
今ではネットで早割のほうが圧倒的に
安いだろうし要指定の特急列車ばかりで
レイル・パスを買う優位性はほとんどない。
(それが、個人旅行はできても自由旅行は
難しい、という意味)
ともかく8ページ 6段の記入欄のうち
5ページと1つ、つまり 31回乗った
列車の発車駅と発車時間だけは
20年後の今でも正確に把握できる。
この1ページ目ではフェリーでドーヴァー海峡を
越えてから、4月22日 にカレー 15:47発 の列車で
リール・フランドルに、リールで1泊し
23日 11:01 の TGV でパリに、2泊して
25日 21:47 の夜行でバルセロナに、2泊してから
28日 10:33 の列車でマドリードに移動、
23:00発の夜行でアルヘシラスまで、
つまり翌朝 フェリーでジブラルタル海峡を
越えてモロッコに渡ったと分かる -
★参考までに、 1986年周遊の時の写真だが
座席のシートを前にスライドすることができ、
横ではなく縦に寝ることもできた。
この時のように、もし1部屋占有できれば
全部の座席を引き出せば完全なベッドになる。
ちなみに日本の昔の普通夜行列車もシート部分が
取り外せたので床に下ろして寝たこともある
(床なら完全に体を伸ばせる) -
ロンドンからフランス (カレー) には
いつも通り安いフェリーで。
発色が悪いがフェリーがドーヴァーを離れたところ。
ドーヴァーの白い崖が見える -
船内の様子。というか上の数分後だね…
やはりバックにドーヴァーの白い崖が見える。
フェリーは公海上に出るので船内に免税店があり
酒やタバコの買い出しだけが目的で
英仏海峡を往復する人も多かった。
なにしろ英国のタバコは異常に高かったから… -
★カレー港に着きました。
[ただし写真は同年2月に友人女性が撮ったもの] -
フェリー・ターミナルから国鉄駅までは
無料のシャトル・バスがあった。
今日はリールに泊まる予定なので時間はないが
少しだけ街歩き。カレー市庁舎前
右手に本物 (オリジナル) の ロダンの
「カレーの市民」 が見える。
[現在のSVでは日本庭園のようなものが出来ている]
列車の時間は 15:47分、市庁舎の時計は 15:40分?
急がないと… (駅はすぐ側です) -
リールに着いたら小雨だった。
飛び込みで泊まったホテルの名前は分からないが
ビジネスホテル風の 23号室で 165+15 フラン。
(当然、カンヌ以外の宿は すべて予約なし)
何となく歩いていて無料の小動物園に
入ったことぐらいしか記憶はない。
映画は見なかったようだ…
翌朝 11:01発 の TGV7040 で
Lille Flandres から パリ北駅に向かう。
駅で指定席券を 20フランで買っている。
パリまでちょうど1時間… -
ラ・ヴィレットにある半球状のスクリーンに
映写するオムニマックスという上映システムの
映画館 La Géode 。 映画館といっても、
初期の IMAX 同様システムの性質上 一般映画ではなく
自然や宇宙のドキュメンタリー的な作品が中心。
見たのは『老人と海』「ヘミングウェイ・ポートレート」。
この 2泊のパリ滞在中に Géode 以外では
『スクリーム3』など5本を、帰りの5月20日にも
「Je prefere le bruit de la mer」 を見ている -
さすが 科学産業都市。
写真はチラシとかではなく入場券で、
当時としては珍しいキャッシュ・カード状の
黒帯磁気カード式。
写真はないが、パリではノートルダムにも近い
4区のキリスト教系 Auberge de jeunesse (YH)
MIJE Fourcy に 2泊している。
満員だったが近くの宿舎 (?) に移らされた。
429号室で 110F。 女子高生の団体 数十人が
泊まっていたので 結構やかましかったが
食事はよかった気がする -
次の目的地はモロッコだが、その前に…
4月25日 21:47 発の夜行でオステルリッツ駅から
Latour de Carol 経由で Barcelona Sants に着いた。
(当時は通貨も違うし陸路での国境越えは結構大変)
名前は記録にないが Liceu 近く、ゴシック地区の
ホテルに飛び込みで2泊。帰りの 5月 4日に寄った時は、
満員だったので (日程未定なので予約はできない) 、
その近くで見つけた日本人経営の私営YHに。
スペインは各停は別だが、原則 全列車予約が
必要で敬遠したこともあり、バルセロナは初めて。
一応 有名観光地も少しだけ回った。
写真はホテル近く、ランブラスに面した建物の
面白い傘だらけの装飾 (今も変わってない) -
外から見ただけの カサ・バトリョ
-
まずはサグラダ・ファミリア
ほとんど記憶はないが
行列の必要もなく、すぐ登れたはず -
文字通り、工事現場ですね…
-
多分 列車の中でだったと思うが、
出会った日本人女性と昼食を共にした -
2009年の旅行記にも載せたが
グエル公園の外にいた猫たち。
集まって食べている、すなわち
エサを上げる人がいるということ。
バルセロナではベッソンの
『ジャンヌ・ダルク』を見ている -
バルセロナにもエンタメ・ガイド誌があり買っていた。
cineguía と映画だけのようだが、パリの pariscope 同様
映画部分だけを切り離せるようになっている (他の部分は捨てたようだ)。
右も同じく、よくある星取り表だが、
1位はアンゲロプロスの『永遠と一日』、さすがヨーロッパ!
2位『アニー・ホール』、以下『ストレイト・ストーリー』『或る殺人』…
『恋の骨折り損』『トイ・ストーリー2』『もののけ姫』!
『アメリカン・ビューティー』などが続くが、
興行成績 (4月 3-9日)では、1位から
『エリン・ブロコビッチ』『スクリーム3』『アメリカン・ビューティ』
『ギター弾きの恋』『電話で抱きしめて』『ダブル・ジョパディー』
『エニイ・ギブン・サンデー』『リプリー』と当然 評価とズレがある -
チケットも出てきた。
4月26日にリセウ Carrer del Pi, 5 に今もある
Cinema Maldà で 『ジャンヌ・ダルク』を 650ペセタで。
スペイン語題は 「Juana de Arco」
16:30と 21:10の2回上映スペイン語字幕あり… -
ガウディ学生時代の作品の
水飲み場があるシウダデラ公園 -
バルセロナータの海岸から北方向。
28日朝 バルセロナからマドリッドに行き、
市内観光をして 23:00の夜行でアルヘシラスに
向かう予定だったが…
予定していたマドリッド行きが満席で
1時間前の電車になり、大慌てでホテルに
荷物を取りに行き駅に戻った。
急いでいたため、駅のエスカレーターで
バランスを失い向こうズネを金属の階段に強打し
出血が止まらない。ともかく薬局で包帯と塗り薬を
買い列車に乗ったがマドリードに着いても
痛くて歩くのがやっと。
仕方なく観光はやめたが (マドリードは 2回目)、
幸い Chamartin 駅構内に映画館があったので
ホラーの「惨劇の週末」ともう 1本何かを見て
夜まで駅の構内だけで時間を潰した。
さて、予定通りアルヘシラスからフェリーで
タンジェ (旧) 港に着いた。降りるなり
大勢の男たちが寄ってくるが無視。
しかし… -
モロッコの写真は、なぜか訳ありで
カサブランカのどこかの、この1枚しかない。
タンジェではバロウズが 滞在し 「裸のランチ」を
書いたホテルに泊まろうと思っていた。
(今では名前も場所も分からない)。
フランス式に rue なんとか、という住所は
調べていたので簡単に見つかると思っていたが
(例によって地図はない) 甘かった…
パリのように住所だけでは探せない。
というか、勝手なイメージでバロウズが住むんだから
メディナのような汚い地域だと思い込んでいた。
人に聞いても、言うことがバラバラで無駄に歩くだけ。
結局1日目は 高級ホテルの El Min Zah に泊まる…
わけはなく、その向いの安ホテル Gibrartar に。
フロントで値段を聞くと、逆に幾らなら泊まる?
と聞かれ 100ディルハム (1000円ほど) というとOK。
大広間にベッドが8つぐらいあったが
ほかに客はいないので占有。室外にシャワーは
あったが、元々お湯は出ない (必要ない?)。
夜は街の大衆食堂でタジンを食べたが、手で食べるので、
トイレではなく店内に客用の洗面台がある。
2日目に何とか目的のホテルが見つかったが
意外と高級 (それでも 200ディルハムぐらいだったはず) で
部屋にはバスタブもあった。
(ちなみにバロウズの滞在した部屋は
オーナーが使用し見ることはできない)。
タンジェで見た映画は 「Zanjear」という
ボリウッド映画の復讐劇でアラビア語字幕付き
Cinema Rifで 6.5ディルハム と、題名と劇場は
記録漏れだがコメディを1本。大きくはないが
1階にディスコがあるビルの2階の映画館で
客は大笑いしていた -
今回の旅行に関係ないが、
大昔にどこかで買ったタンジェ港の絵ハガキ。
面白いのは表に貼られた切手。
右下はモロッコの切手で消印は 6月14日。
左上がスペインの切手で消印は 6月15日、
その右もスペインで消印は 6月21日、
そして左下はスペインで 6月あるいは 7月28日。
裏は白紙なので、普通の郵便物ではないようだが… -
写真はいきなり一番の目的地カンヌ映画祭に移る。
カンヌに着いた日は小雨だった。
(ということは、この写真は別の日)
レッド・カーペットは見えるが
ベスト・ポジションを取るのは困難だろう。
実は… -
タンジェの海岸にいたとき雨が降り出し、
雨宿りしながらタバコを吸っていたら、
隣にいた男が話しかけてきて、
俺の家は そこだから来いという。
(僕はバカだから) ノコノコ付いていくと
ミント・ティーだけでなくハシッシュまで
吸わせてくれ…
詳細は省略するが、彼の車で2日間
ラバト、フェズの親類めぐりに付き合わされることに。
その間の費用は、すべて彼が払う。
でまあ… 簡単に言うとキャッシュ・カードの
暗証番号を盗み見られチャンスが来るまで
僕を離さなかったわけで、
現地人しか行かない温泉に連れて行かれ…
金額的には人生最大の "ちょっとした" 被害にあったが、
(今みたいにメール通知があるわけでもなく)
口座の残高が減っていることに気づいたのは
1ヶ月ほど後の Statement が届いたとき。
まあ高い授業料ではあったが3つの家族の家で食事を
ご馳走になり、普通では体験できないことを味わえた。
少なくとも最近のように命を奪われるような
危険はなかった。一応 "優しい男" だったし…
ただ、おかげで自分の足でモロッコを歩くことが
出来なかったことだけは残念で、機会があれば、
また (騙されに?) 行きたい。
フェズからは 01:20分の夜行でカサブランカに。
駅に時刻表の掲示もなく、駅員に聞くと印字したレシート
のような紙をくれた (車内は震えるほど寒かった)。
カサブランカの Casa Voyageurs 駅も町の中心から
離れていたので駅で荷物を預けようとしたら、
リュックのように鍵が掛けられないものはダメ
と拒否され、仕方なく駅前のビジネス・ホテルに1泊。
市中まで30分ぐらいは歩いて、メディナなど一応の観光。
再びカサからタンジェに戻りフェリーでアルヘシラスに。
さらに 21:30の夜行でマドリード経由バルセロナに戻り、
翌6日に一番の目的地カンヌに着いた… -
映画祭には数千人の人が訪れるから
最初からカンヌのホテルは探さず、
近郊のどこかで探すつもりだった。
しかし、ロンドンの NFT (シネマテーク) の
掲示板にキャンプ村のキャンピング・カーに
泊まる広告を見つけ2週間分の予約をしていた。
当然 (しないが)、料理や洗濯もでき、
水圧は低いが湯の出るシャワーもあり、
近くにはカルフールもあるので生活には困らない。
バスで 10分ほど山に入るが、まあ仕方ない…
写真はカンヌの浜辺。
泳いだ記憶はないから泳ぐには早かったのだろう
(86年7月に来たときは泳いだ) -
世界三大映画祭の代表で、おフランスの芸術映画の
祭典というイメージを持つかもしれないが、実態は…
昔はあった日本語の公式HPのトップに、カンヌ映画祭は
映画業界人のための国際映画祭である、と明記されていた。
つまり原則、一般人は映画を見ることが出来ない。
唯一 (多分今も同じだろう)、監督週間だけが一般人も見ることができる。
写真は3日目のスケジュール表だが 19の会場がある。さらに
次の写真 (裏面) にも 19、合計 38の会場で1日数百本の上映があるが
監督週間 (QR) は裏面の3本のみで (ABC,ABCと1日2回上映)
これが 12日間続く。 写真左端は三池崇史『オーディション』の告知 -
さらに、ウィキにもあるように
MIFED (ミラノ),AFM (1回行ったサンタモニカ) と並ぶ世界最大の
マーケットが主体で (上の写真にも頭に "Cannes Market" とある)、
"予告編しかできていない映画や、脚本すらできていない
企画段階の映画まで ブースでプレゼンとパーティが行われる"と言う。
要するに 38の会場の多くはホテルの一室などでの上映で
海岸にも無数のテント掛けのブースが並んでいる映画見本市。つまり、
映画ファンにとっては "映画が見られない!" 最低の映画祭と言える -
映画祭は、そういう商売の場所だから、見ての通り
高級ホテルの Carlton も下品とも言えるほど
見苦しい映画の宣伝に使われている。
ちなみに、歩いていて目立ったのが韓国人。
国家の援助もあって韓流が勢力を伸ばす頃 -
まあそれでも、運がよければスターにも会える。
写真はその一例で、何となく桟橋に立っていたら、
多分 自分の船から降りてきた
ジャン=クロード・ヴァンダムが目の前に現れ、
向こうから "ça va?" と手を差し出し握手してくれた。
ボディガードらしき男たちを連れているが必要なの? -
こっちはミシェル・ピッコリ。
監督週間の『ルムンバの叫び』上映のとき、
僕は通路側に座り右隣が2つあいていた。
中年女性が現れ、席を取っておいてくれという。
そして現れたのが ピッコリで僕の隣に座った。
少し話しただけだが、すごく感じのいい優しい人だった。
映画のイメージで、もう少し小さいかと思ったら
胸板の非常に厚い大男だった -
ブライアン・デ・パルマのインタビューが
書店であったので見に行っている -
映画は1日3本しか見れないので時間が余り
時間つぶしに、見つけた Cannes Loisirs という
ボーリング場に 12日に行っている (89フラン)。
消えかかっているが、懐かしい (?) ドットプリンター。
スコアは 3ゲームで 124,146,157 まあ普通ですね -
幸い レイル・パスがあるので、
時間つぶしで、毎日あちこちに各停で行った。
7日 モナコ、マントン
8日 アンティーブ、サン・ラファエル
9日 ニース に行っている。
写真はモンテカルロ駅前 (?) からの眺め。
駅自体は地下だが、写真のように高地にある。
前年できたばかりで、工事現場のように殺風景だった -
同じく反対方向
-
下まで降りてみた。
岩場が多く、いわゆるビーチはない。
もちろん王宮やカジノも前までは行き
写真も撮ったと思うが見つからない -
これは、調べていないが電車で行った、
サン・ラファエル かどこかのビーチ。
ところが…
おフランス恒例のストがありバスがストップし
足がなくなった (タクシーは呼べるだろうが…)。
アウトドア派じゃないのでキャンプ生活を楽しむ気にもならず
仕方なく 3日ほどヒッチハイクで通う羽目に。
そんなわけで、2週間いる予定だったが 1週間で退散。
(宿では返金できると聞いたので帰宅してから
1週間分の返金を求め、仲介した男と電話で大喧嘩、
rude な奴だと言われたが、何とか返金してもらえた)
結局カンヌでは一般映画館も含め1週間で
13本見ている。 僕にしては少ないでしょ?
そして 14日 19:05分発の相変わらずの夜行で
次の目的地『冒険者たち』のラ・ロシェルに向かう -
ある世代の人には宝石のように大切な映画
『冒険者たち』。 そして当然 誰もが、
あの要塞島 Fort Boyard に行きたいだろう。
残念ながら上陸はできないが周囲を回る
ツアーは複数ある。泊まったホテルは
Hotel Atlantique 254.10フラン。
写真は要塞島に近づく遊覧船 -
実はラ・ロシェルには 1986年にも来たのだが…
悪天候で遊覧船は欠航。フランスでは人気のある
観光地らしく予想外に観光客が多く
安ホテルを何軒か回ったが空きがない。
さらに雨にも降られ観光する気も失せ、結局
泊まらず数時間で退散した苦い経験がある -
要塞島の反対側。
海に足場が組んであるが
映画のように (?) ホテルを作るのではない。
しかし内部には何かの事務所があり
蛍光灯が点灯し作業員がいて、
まるで工事事務所のような雰囲気はあった。
ちなみに上陸できない理由は
映画にも出てくるが、周りに岩場があり
小舟でしか近づけない。
内部でサバイバル・ゲームのようなことをする
フランスのテレビ番組に参加すれば
上陸できる (今もあるかは知らないが…) -
もちろん僕が撮ったものではなく
買った絵ハガキだが、やはり
『冒険者たち』を見たら
ラストの このアングルにはシビれますよね -
遊覧船は途中で l'île d'Aix に寄り1時間弱の自由時間があった。
当時は、島には土産物や日用品を売る店が一軒あるだけらしく、
特に見所もないなと、ブラブラ (もちろんガイドブックなど
資料はゼロ、というか仮にあっても島のことが載るはずがない)。
ふと映画の場面に似ているな、と撮っておいた船着き場が、まさに
映画でマヌー (アラン・ドロン) が要塞島に向かうとき乗り込む場所だった。
右上に見える緑の屋根のカフェはギャングたちが待っていた店。
(もちろん、後で映画を見直して分かった) -
島には何軒か日時計の付いた家があり
面白いなと、何となく写真を撮っておいた -
別の家にも日時計がある。
後で映画を見返すとマヌーたちが宿泊していた家に、
まったく同じものが!!
つまり、それと知らずにマヌーの家の前に立っていた。
しかも、アフリカ美術館も この島にあった!
知っていれば、絶対に行ったのに… -
何と、ラ・ロシェル (新市街) には
12スクリーンもある大型シネコンがあった。
ここでは『TAXI 2』『宮廷料理人ヴァテール』の
2本を見ている -
どういう関係か分からないが
新市街にフランソワ・トリュフォー通りがあった -
ラ・ロシェルにもボーリング場があったので…
Bowling Minimes で3ゲーム、119,161,122 で 76フラン。
カンヌからなら地理的には、ラ・ロシェルより
先にリスボンに行くべきだったかもしれない。
しかし、どこの国でもそうだが、特にフランスの場合
鉄道はパリを中心に、いわば放射状に
各地を結ぶので、周辺部間を移動する場合でも
横ではなく縦に、一度パリに戻るほうが便利な場合もある。
だから距離ではなく、電車の連絡の都合を優先し
一見 無駄なルートをとるが、それができるのも
自由に乗れるレイル・パスがあるからこそ。
ラ・ロシェルからは再度南下し
ボルドー 18:55分発で国境駅 Irun に。
そして 22:10分発の夜行でリスボンに入った。
ボルドーでは特に街歩きはしなかったようだ。
多分、時間がなかったのだろう -
リスボンでは、初めての経験だが
歩いていた日本人バック・パッカーに声を掛け
ホテル・シェアを持ちかけところ、OKしたので
名前は不確かだが Hotel Esperance に2泊。ただし
彼は1泊なので、料金は 2,500と 5,000 エスクード (約2,500円)。
ウィキによると 1999年1月1日にユーロ導入のようだが、
まだ流通していなかったようだ。
(リスボンの写真も見つからない)
その間に日帰りで写真のポルトに。
映画はリスボンのシネマテークで
「O Meu Seculo」 を見たが、会場にサイン帳が
あり、パラパラと見ると日本語の書き込みがあり、
山根貞男氏だった。そういえば超高齢の
オリヴェイラの運転で怖かった、と
どこかに書いていたな… -
上に書いたホテル Hôtel de l'Esperance はパリのホテルで、
カードが出てきて分かったがリスボンで泊まったのは
アルファマ地区 Largoterreiro de trigo 16 に今もある
ゲストハウス Pensión BEIRA-MAR だった!
裏の文章では空港、駅、フェリーターミナルから無料送迎もある。
rooms with sea view とあり、確かにネットにも、
そういう写真が載ってるが、当然 そういう部屋もある (あった)
ということで僕らが泊まった部屋には窓もなかった気がするが、
改装した可能性もある… -
ポルトに来たかった理由は
この ドン・ルイス 1世橋 (Ponte Dom Luís I) を見ることだけ。
(完全な記憶違いだったが『ミニミニ大作戦 (69)』に登場する、
と思っていたが見返すと出てこなかった (映画の舞台はトリノ) -
さらに、橋の設計者はエッフェルさんだと
思い込んでいたが、実際は弟子のテオフィロ・セイリグ。
ただしエッフェル設計の別の橋はあるし、
この橋の北には Gustavo Eiffel という通りがあり
Gustavo Eiffel Apartments なんてものもある -
特にポルトの街を歩いたわけではないが
ポルトのどこか -
セーヌ川です! パリです!帰ってきました。
(滅多にないが) ヨーロッパを周遊するときなど
パリに戻って来ると "帰ってきた" と言う感覚になる。
パリなら (行く場所が決まっているとは言え)、
地図なしでも自分が どこにいるかが分かる。
写真はサン・ルイ島先端の、恋人たちが集まる?
Place Louis Aragon 。
ロンドンのテムズは水辺に降りられないが
セーヌは場合によっては川に入ることも可能 -
再びのパリでは 昔は定宿にしていたオデオンの
古すぎる安宿 Hotel Stella に久しぶりに泊まってみた。
昔と違い "古さ” を売り物に、かなり高くなっていた。
ノートルダムじゃないが、建物は 1748年建造の石造りだが
内部は木造で床も木なので歩くとミシミシ音がする。
写真はホテル窓からの眺めで、
前の通りは Rue Monsieur Le Prince 。
『ミッドナイト・イン・パリ』の主要舞台 (?) でもある
1845年創業の Polidol という有名大衆食堂の上がホテル -
映画監督の ヴィスコンティに関係あるか不明だが、
Rue Visconti と Rue Bonaparte の角、6区です -
パリでも 20日にボーリングに行っている。
今回の旅行では 3回行ったことになる。
場所はモンパルナスの Bowling Montparnasse で
3ゲームのスコアは 151,120,140 料金は 120フラン
同じ 6時台に行ってるが、やはりパリは相当高い。
ボーリングは好きで、昔は日本でも結構行ったが
マイボールやマイシューズを買うほどの思い入れはなく
その時に使う道具のせいもあり、成績は安定しない。
昔から外国でも一度やりたいと思っていたが、
システムも分からないし1人で入る勇気が
なかなか出なかった。しかし 1998年に、たまたま
付き合ってもいい、と言う相棒がいたので意を決し!(大げさな)
外国で初めて入ったのも、このボーリング場。
当たり前だが、世界中システムに大差はなく、それ以後は
ボーリング場があり、時間と心 (と金) の余裕がある時は
(言葉が通じない国でも) 気にせず1人で入るようになった -
Bowling Montparnasse の誕生パーティの広告。
例えば右下 Forfait Adulte (6人以上)
ボーリング 2ゲームとお好みのアルコール、
バースデー・ケーキのセット、平日8時まで 1人 91フラン。
面白い経験をしたい人は申し込んでみたら?
そういえば 1986年、パリのどこだっだかのカフェで、
ビールのグラスが気に入り、たまたま誕生日だったので
ギャルソンに、今日は誕生日だけど これ (グラスのこと) くれない?
と言ったら勘違いされ、映画で見るように (?)
まわりの客に "彼の誕生日だって” と言って
ビールを 1杯サービス!! みんなが祝福してくれた。
でも、さすがに今更 グラスを頂戴とは言えなかった…
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