2019/03/07 - 2019/03/07
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かっちんさん
釧路には国内唯一坑内掘りで海底下を最先端技術で採掘している炭鉱があります。
太平洋炭鉱のあとを引き継ぎ、平成14年(2002)から石炭を生産している「釧路コールマイン」です。
そして国内唯一の石炭輸送専用の鉄道「太平洋石炭販売輸送 臨港線」があり、長い編成の石炭列車を選炭工場から港の貯炭場まで走らせています。
私が訪れたときは残念ながら石炭列車を見ることができませんでした。
後日、わかったのですが臨港線は、2019年3月31日付で運休、6月30日に廃止予定となりました。
今日は釧路炭田に関係する臨港線の知人貯炭場、選炭工場のある春採駅、太平洋炭鉱展示館、炭鉱の喫茶「珈琲坂」を訪れます。
また、釧路地方の自然と歴史を紹介している「釧路市立博物館」では、釧路炭田と釧路・根室の簡易軌道の展示が興味ある内容でした。
工場夜景は新富士近くの日本製紙釧路工場を新釧路川付近から眺めます。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・釧路市石炭産業対策協議会「釧路石炭ガイド」
・釧路市立博物館の展示説明
・海上保安庁燈光会の案内板「釧路埼灯台」
・北海道ファンマガジン「日本最後の石炭輸送専用鉄道が消える!太平洋石炭販売輸送 臨港線が廃止へ」
・北海道新聞「石炭列車6月30日廃止 太平洋石炭販売輸送が廃止届」、2019年3月28日
・釧路炭田その軌跡「Ⅳ.ビルド炭鉱としての存続・飛躍」
・歩鉄の達人「釧路コールマイン(太平洋石炭販売輸送)」
・名取紀之氏、編集長敬白アーカイブ「太平洋石炭販売輸送を訪ねる」2007年1月28日
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
釧路駅前バスターミナル
今日はここから路線バスを利用して釧路の町を巡ります。 -
釧路周辺の地図
春採(はるとり)に釧路コールマイン「選炭工場」。そこから本州火力発電所向けに石炭を運ぶ「太平洋石炭販売輸送臨港線」が走り、南埠頭には大規模な「貯炭場」があります。
「太平洋炭鉱展示館」と喫茶店「珈琲坂」では釧路炭田を学ぶことができます。
春採湖畔の「釧路市立博物館」では、釧路地方の自然と歴史を紹介しています。
幣舞橋からは海に沈む夕日、新富士駅の近くでは美しい工場夜景が見られます。 -
釧路市のデザインマンホール
釧路湿原を飛び立つタンチョウです。 -
釧路埼灯台周辺の地図
駅前バスターミナルから、くしろバスの「たくぼく循環線」に乗り「釧路埼(くしろさき)灯台」で降ります。
バス停は米町2丁目の明照幼稚園のあたりです。
釧路臨海鉄道(現、太平洋石炭販売輸送臨港線)の貯炭場は、高台にある釧路埼灯台から見えます。 -
バス停から見える踏切
坂を上り切ったところに臨港線の踏切があります。 -
釧路港の生き証人「釧路埼灯台」
釧路港の開港(明治32年)に先駆けて、8年前の明治24年(1891)に灯台が建てられ、海上に光が灯ります。
大正14年には霧笛が設置されて港の安全性を高め、街中に響くその音は釧路の象徴でした。
平成13年(2001)に灯台と船舶通航信号所が一つになり、現在のマンション風の建物になりました。
釧路沿岸では春から夏にかけて霧が発生します。かっちんが昭和40年代後半の夏休みに釧路まきばYHに泊まったとき、初めて「ブォーブォー」という霧笛を聞きました。
今ではGPSなどの計器の発達により、もう霧笛の音が聞けません。 -
イチオシ
知人貯炭場(釧路埼灯台近くの丘の上から)
臨港線の知人駅(しれとえき)にある貯炭場です。
春採の選炭工場からやってきた石炭列車が、貯炭場の「石炭桟橋」に到着し、貨車の側扉を開放。
1両あたり30トン積まれた石炭をわずか数秒で下に落とします。
石炭は地下のベルトコンベアを経由し、南埠頭の石炭ローダーで石炭専用船に積み込まれます。 -
2本の石炭桟橋
貨車24両の長い編成の石炭列車は、桟橋手前で2つの編成に切り離され各々桟橋に進入してきます。
右側の桟橋には前方12両を機関車がけん引し、左側の桟橋には後方12両を後ろに連結された機関車が後押ししてきます。 -
石炭列車はしばらく運休中で見られません
貯炭場の下に、貨車から落とされて残った石炭が見えます。
最近、2019年3月30日が最終の運行になったと報道されました。
実際に運行されている様子は下記URL「道新ニュース(2019年3月28日)」から動画で見られます。
https://www.hokkaido-np.co.jp/movies/detail/6018476492001 -
石炭列車の来ない踏切
丘の上から貯炭場近くに下りて来ました。
しばらく運休なので踏切にロープが張られています。 -
海の間近を通る臨港線
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シャッターの閉まる「たばこ屋」
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貯炭場
石炭桟橋の下には地下のベルトコンベアがあるのですが、よくわかりません。
この後、港湾の道路を通り、米町公園からバスで釧路駅前に戻ります。 -
釧路バスターミナル
次は、釧路市立博物館へ行くので、最寄りの「市立病院」へ向かいます。
春採湖方面へ行く3系統は、どのバスでも市立病院を通ります。 -
釧路市立博物館に到着
市立病院から歩いて5分ほどのところにあります。
入館料470円、毎週月曜日が休館日。 -
懐かしい「43.10 よんさん・とう」ポスター(博物館)
東北の交流電化に伴う昭和43年10月の大幅ダイヤ改正の話です。
展示会場はここではなく、仙台の東北福祉大学。
「43.10 よんさん・とう」のころ、かっちんは高校生で鉄道趣味にはまりかけていました。 -
観覧券とパンフレット(博物館)
ここは釧路地方の自然と歴史を紹介する総合博物館です。
最近、常設展示に「釧路・根室の簡易軌道」が加わりました。
では、1階の展示(釧路の大地、生物)から紹介していきます。 -
釧路炭田の石炭(博物館)
釧路市の太平洋海底炭は今でも採掘されています。
他に、音別町の尺別炭、阿寒町の雄別炭がありました。
石炭を含む地層は浦幌層群で、5層の含炭地層からできています。
石炭層は数十枚あり、普通1~3mの厚さですが、5mを超えるものもあります。 -
大きな羽のオオワシ(博物館)
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口をあけるサケ(博物館)
サクラマス、アメマス、ベニザケ、カラフトマスなど。
ベニザケは身だけでなく、体の表面も赤いのですね。 -
クジラの飾りヒゲ(博物館)
ミンククジラのヒゲを、縁起物としてつながったまま円く加工したもので、「花おき」とも呼ばれています。 -
巨大なトドとタラバガニ(博物館)
では2階に上がり、釧路の歴史や暮らしの展示を紹介します。 -
これは何だ??(博物館)
6月から7月の初夏にかけて、釧路では霧のかかる日が多くなり、視界の悪い霧の日には、沖合を運航している船舶に対してその位置を音声で知らせる霧笛(むてき)がかつて鳴り響きました。
大正11年(1922)、後の昭和天皇が濃霧の釧路港を視察し、霧笛の設置を勧めたのを受け、完成しました。
展示されているラッパの部分は、霧笛の吹鳴器(すいめいき)と呼ばれるもので、圧縮された空気がこの中に送り込まれて音が鳴ります。
昭和47年(1972)には電気による振動音に変わり、以後40年近くも釧路の港の安全を守ってきました。
現在は、船の装備が充実してきて霧笛が必要とされなくなり、平成22年(2010)釧路を含む全国の灯台で霧笛が廃止されました。 -
木材と枕木生産(博物館)
明治34年(1901)、釧路に道内で最初の製紙工場ができ、原料には釧路川や阿寒川流域などの松材が使用されました。
明治38年(1905)、鉄道は帯広まで延長され、十勝や北見の木材を釧路に集めるようになり、釧路港は北海道東部の木材積み出し港となりました。
特に、鉄道の枕木は、中国やアメリカの鉄道建設に使われ、大正時代を通じ、釧路港を代表する輸出品でした。 -
馬産地(博物館)
明治30年以降、釧路にきた移住者は雑穀や馬鈴薯を作るかたわら、軍馬や開墾馬を育てました。
明治44年には大楽毛(おたのしけ)で馬市が開設され、釧路は馬産地となりました。
昭和6,7年の大冷害をきっかけに乳牛も飼育され、やがて酪農地帯に変わります。 -
漁業の道具(博物館)
ふいごみたいなものは、昭和30年代の船の汽笛です。 -
焼玉エンジン(博物館)
昭和27年(1952)に地元の釧路内燃機製作所が製作した2気筒40馬力の焼玉エンジンで、サケ定置網漁の起し船の動力に使われていました。
「ポンポン」という音を響かせながら航行するので「ポンポン船」と呼ばれました。
かっちんの小さい頃、東京水道橋の神田川を「ポンポンポンポン」とリズミカルな音を立てて小型船が航行してたことを思い出します。 -
消防用手押しポンプ(博物館)
大正末期から昭和10年代に使われました。 -
生活道具(博物館)
げたの裏に鉄の刃を取り付けた「ゲロリ」は、昭和初期の氷上を滑る「げたスケート」の履物です。
照明道具は燭台から、ガス灯、ランプと変わっていきます。 -
釧路炭田の炭鉱(博物館)
釧路周辺、雄別、尺別に炭鉱があり、そこから石炭を運ぶ鉄道もありました。 -
坑内掘りの釧路コールマイン(博物館)
太平洋炭鉱のあとを引き継ぎ、平成14年(2002)から石炭を生産している「釧路コールマイン」です。
国内唯一坑内掘りの炭鉱で、海底下を最先端技術で採掘しています。
硫黄分の少ない石炭を年間約50万トン生産し、約80%を国内火力発電所で使用しています。 -
釧路・根室の簡易軌道(博物館)
ここからは常設展示で新しく始まった「開拓を支えた鉄路、釧路・根室の簡易軌道」です。
昭和35年(1960)当時、道東には国鉄、雄別鉄道、簡易軌道、馬力線などの路線がありました。 -
簡易軌道のあゆみ(博物館)
関東大震災(1923年)の罹災者救援として、根釧原野への移住が始まります。
開拓不振の一大原因であった交通不便に対応するため、馬力を中心とした殖民軌道が開通していきます。 -
戦後は簡易軌道(博物館)
戦後、殖民軌道は「簡易軌道」と呼ばれるようになり、ディーゼルカーなどに動力化されていきます。
1960年代からの急速な道路整備により、簡易軌道はその役割を失っていきます。
昭和42年(1967)に鶴居村営軌道(雪狸線)が休止、昭和46年(1971)に標茶町営軌道(標茶線)・別海村営軌道(風連線)が廃止、昭和47年(1972)に浜中町営軌道(茶内線・若松線)が廃止となります。
約50年間、北の大地の開拓を支えてきた簡易軌道は全て姿を消しました。 -
簡易軌道が運んだ集乳缶(博物館)
集乳缶は酪農家から集乳所や工場へ牛乳を輸送しました。 -
イチオシ
簡易軌道の写真(博物館)
全国の鉄道ファンや軌道OB・OG、各自治体から提供された貴重な写真が映像で次々と紹介されています。 -
別海村営軌道の保存車両(2011-7-29かっちんが訪問した時の写真)
風連線奥行臼(おくゆきうす)停留所にレールバス(自走客車)が保存されています。
地域住民の交通手段とともに、生活及び生活物資の輸送に大きく貢献しました。
近くに国鉄標津線の奥行臼駅も保存されています。
詳細は旅行記「開拓時代の鉄道が思い浮かぶ奥行臼駅(北海道)」をご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/10917433 -
炭鉱の喫茶「珈琲坂」
博物館を後にし、市民病院から白樺入口行きのバスに乗り、「益浦入口」で降ります。
途中、釧路コールマインの選炭工場を通ります。
「珈琲坂」のマスターは元炭鉱マンだったので、炭鉱に関するよもやま話が聞けます。 -
名物の炭鉱ラーメン(珈琲坂)
旧太平洋炭鉱の指定商(一般の人は立ち入れなかった)として製麺会社が食堂を出し、炭鉱マンが早く食べるために茹で上がりの早い細い縮れ麺が生まれました。
70年前の懐かしい味を再現する、さっぱり・あっさり系のいわゆる釧路ラーメンです。
コーヒー付で700円。 -
坑内で使われていた防爆電話(珈琲坂)
店内には炭鉱の歴史を物語るパネルや用具が展示されています。
炭鉱ガイドツアーを要予約でやっています。 -
釧路石炭マップ(珈琲坂)
現在の炭鉱の採掘の様子がわかります。
釧路沖にねむる石炭を海底下の坑道で採掘し、地下ベルトコンベアで春採の選炭工場へ運びます。
選炭工場では比重を利用して、石炭と売りものにならない「ズリ」に分けられます。
石炭は臨港線の貨車に積まれて知人駅の港に運ばれ石炭専用船で本州の火力発電所へ、またトラックにより道内の工場等へ運ばれます。
ズリはベルトコンベアで武佐捨石集積場(ズリ山)へ運ばれます。
昔のズリ山は旧興津坑の近くにあります。 -
昔のズリ山
珈琲坂を後にし、高台にある炭鉱展示館へ向かいます。
途中でズリ山が見えます。 -
阿寒の山々(高台から)
高台から釧路湿原の先に阿寒の山々が見えます。
左から阿寒富士、雌阿寒岳、右の方が雄阿寒岳です。 -
斜面に並ぶ住宅(高台から)
以前は炭鉱住宅だったところが、新築の建物の住宅地になっています。 -
炭鉱展示館
旧太平洋炭鉱の展示館です。 -
坑道掘進機(炭鉱展示館)
屋外に展示されています。
コンテニアスマイナーと呼ばれ、先端にある2基の車輪状の切削機で炭壁を上から切り落とし、これをギャザリングローダーでかき寄せ後方に待機するシャトルカーに積載します。 -
太平洋炭の特性(炭鉱展示館)
硫黄分が少ない、火付きがよい、灰分が少ない、火力が強い、粘らないなど、いいことづくめ。 -
坑内電気機関車(炭鉱展示館)
地下に模擬坑道が設けられており、坑内電気機関車、高性能採炭機などが展示されています。
この機関車は、第5坑道で人員及び資材の運搬に使用され、架線電圧が直流500V、出力100KW、レール幅610mmです。 -
選炭工場
炭鉱展示館を後にし、坂道を下り選炭工場へ向かいます。
工場の建物には太平洋炭礦の名前が残されています。
採掘された石炭が左側からベルトコンベアで運ばれてきます。 -
イチオシ
選炭工場の構内
手前は沈殿微粉炭回収施設のシックナー(沈殿装置)、奥に臨港線の機関車庫と選炭工場が見えます。 -
選炭工場の入口
-
春採駅の石炭積み込み施設
-
D401、D701ディーゼル機関車(春採駅)
石炭列車をけん引する機関車です。 -
セキ6000形石炭車(春採駅)
連接構造の石炭車(2両1セットの貨車に台車が3つ)です。
港のある知人貯炭場では、機関車運転台からの操作で石炭車側面下側の扉が開閉し石炭を落とします。 -
イチオシ
青いD801機関車につながる長い貨車(春採駅)
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勇壮な姿の石炭列車(春採駅)
石炭を積んで走る姿が見たかったです。 -
イチオシ
幣舞橋の夕日
釧路駅に戻り、幣舞橋から夕日を眺めます。
この後、新富士駅近くの工場夜景を見に行きます。 -
釧路のJR車両たち(車窓)
釧路から列車に乗り釧路運輸車両所を通過中に、製紙工場の煙突と車両の写真が撮れました。 -
イチオシ
夜空に煙がたなびく製紙工場(新富士)
新釧路川と日本製紙釧路工場の夜景です。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 墨水さん 2019/04/02 23:56:11
- 変。
- かっちんさん、今晩は。
「太平洋炭鉱」は「釧路コールマイン」に変わっていたんですね。(知らんかった。)
えっ!、霧笛は無くなってたの?。(笑)
旧四級船舶免許修得した時、霧笛の話は有りました・・・。
その後、貧乏で免許更新できず、失効しました。(笑)
船舶免許の制度も変わったけどね。(笑)
焼き玉エンジン、有ったね~~っ、独特な音出してたよね。
簡易軌道、北海道だけの施策の結果で、発展して行けなかった事が、返す返すも残念です。
墨水。
- かっちんさん からの返信 2019/04/04 08:08:04
- Re: 変。
- 墨水さん
こんにちは、
釧路はだいぶ変わりました。
墨水さんの思い出にも火がついたようですね。私もですが(笑)
かっちん
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